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 ジャスティスタワーから離れて行く車の後部座席に座りながら、シレーネは自分が刑務所から出される条件を思い返していた。カナートが警告しなければそんなものだろうと思って深く考えはしなかっただろうが、虎徹の申し出を断ったのは嫌な予感がしたからだ。現役のヒーローを巻き込んでしまうのは申し訳なかったし、カナートは自分で出来る範囲のことを自分でやれ、と言い残した。その上で、恐れるな、とも。静まり返った車内で溜息をついて、集中の為にゆっくりと目を閉じる。数秒後、再び開かれた瞳は、発動の光に青白く染まっていた。
「質問に、答えて」
 仲間たちはシレーネの能力が、すでに制限限界の外にあると告げた。それを疑うことなく信じるならば、一々命令だと思わず、言葉を発するだけでいい。運転手の男はぎくりと身を強張らせて息を飲み、素早い仕草で隠しボタンを押そうとする。シレーネは息を吐いて、駄目、と言った。男の動きが凍りつき、シレーネは車が事故を起こさないように、道の端に停めるよう指示をした。己の意思で動くことを許されない男の、恐怖と怒りが混じった眼差しが、バックミラー越しにシレーネを睨みつける。溜息をついて、シレーネは笑った。
「NEXTには効きにくい筈だったんだけど……うーん、まあ、いいや。あのね? 私がこの後警察に行って、それから刑務所に戻るっていうのが聞かされてた予定なんだけど。私は無事に刑務所に戻れるのか知ってる?」
「……知っている」
「あ、聞き方間違えたかな。えっと、えーっと……本当は、私の取り扱いをどうするつもりなのか、言って?」
 言葉でのささやかな抵抗を許さず、シレーネはさらに問いかけた。苛立っている気持ちを自覚するが、上手く収めることが出来ない。シレーネがヒーローとしての存在の抹消を受け入れたのは、ただ仲間を守りたかったからだ。映像に映っていた三人の姿は、シレーネが思い描いたどの未来とも違っていた。捕らえられて五年後に、彼らが命を落としたことは知っていた。当時の看守がシレーネに情報を与えることは許されていないと知りながら、そっと耳打ちしてくれたからだ。彼らはなにか大きな事故に巻き込まれ、市民の救出を優先した結果、重傷を追い、そのまま命を落としたのだと聞いていたのに。どんな馬鹿でも、分かった筈だ。彼らは恐らく包囲され、攻め込まれていた。誰に、なんの為にかは、考えないでも分かった。
「ねえ」
 震えが走る。おかしくもないのに、笑いたくなった。
「私も殺すの?」
「……そういう予定だと、聞いている」
「どういうシナリオで?」
 即座に、隙を見て殺すか、警察署内でなんらかの抵抗をしてやむなく射殺に踏み切るか、どちらかと言うことになっている、と答えが返ってきて、シレーネは深々と溜息をついた。なににせよ、無事に刑務所へ戻る予定ではなかったらしい。
「……その計画を立てたのは誰?」
 今日はこんなに晴れて空が綺麗なのになぁ、と窓から雲を見上げながらシレーネは訪ねる。帰って来た名前に全く聞き覚えがなかったのでさらに問いを重ねれば、警察署の幹部の一人であり、NEXT差別者の過激派であるとの情報まで得ることができた。司法局とヒーローTVは知らないことであり、ただ単に警察内部の一派がシレーネの存在を消したいが為に独断で動いているらしかった。そうすると、助かる道も見えてくる。司法局と報道は、今のところはシレーネの敵ではない。だとすると、司法局も入っているジャスティスタワーから離れたのはマズかったかも知れない。振り返ればまだ遠くに、高くまでそびえる建物が見えた。シレーネは迷わず車の扉を開け、外に出て運転手に笑いかける。
「教えてくれて、どうもありがとう。……眠りなさい」
 強く、意識を集中して言葉を叩きつける。閃光のように煌いた青白い光が、込められた力の大きさを物語っていた。
「起きた時、あなたは私との会話を覚えていない。眠りなさい。……ごめんね。仲間が迎えに来てくれるって言ったから、私はそれまで、頑張って待ってなきゃいけないの」
 意識を繋ぐ糸を引きちぎられたような唐突さで、運転手の男はハンドルにぐったりと体を預け、眠りこんでしまった。数秒して寝息が聞こえてきたことを確認し、シレーネはさて、とジャスティスタワー方面へと足を踏み出した。無事に安全に掴まって刑務所に戻る為には警察まで行くのが一番だが、それに命を狙われているなら、法に守ってもらうしかないのである。ヒーロー管理官の名前を思い出しながら、シレーネは小走りに今来たばかりの道を戻りだした。その日、ジャスティスタワーのありとあらゆる監視カメラに、シレーネの姿は確認されず。少女は忽然と、姿を消した。



 平和な一日として、終わる日の筈だった。夕方のニュースはシュテルンビルトはメダイユ地区で発生したこどもの誘拐事件を報道したが、警察が捜索を続けていることからヒーローに対する出動要請はなく、楓と虎徹、バーナビーは近所のスーパーで食材の買い出しをし、のんびりと夕食を作り、暮れゆく夜を穏やかに過ごした。元々、ヒーローの仕事は凶悪事件の現行犯逮捕が主である。彼らは正義のしもべであることを求められるが、それでいてヒーローは法の番人であり、警察に認められた捜査権を持たない存在だ。たとえどんなに気になっても自ら捜査に動きだすことは明らかな越権行為であり、それが許されるのは出動要請が鳴り響いた後のことだ。メダイユ地区での誘拐事件を聞いた虎徹がそわそわと落ち着かないのはいつものことで、楓とバーナビーは苦笑しながら警察の捜査を信じ、こどもの無事を祈って就寝までの時間を過ごした。
 就寝前に一応、楓はPDAを操作してサポーターの出動要請がないことを確認し、現在発生している誘拐事件の資料も送られてきていないことに、そっと溜息をついていた。ヒーローと違い、サポーターの活動範囲は広い。楓とエドワードの仕事はあくまでヒーローが動きやすいよう、その助けになることが主である。しかし最近はその働きが認められ、警察や消防から簡単な事件の捜査協力を求められることがあるのだった。報道によれば、誘拐された少女は楓とちょうど同じ年頃で、中学からの帰宅途中、忽然と姿を消して連絡が取れなくなったらしい。誘拐と判断されたのは少女が友人と別れた場所の近くで、走り去る不審な車を見た者が居たからだ。車が走り去る直前、誰かが言い争うような声を聞いた者も居た上、少女の携帯電話が帰路から離れた場所に投げ捨てられるような形で落ちていたのが発見され、決定打となった。少女の両親は、共に警察官であると言う。恨みあっての犯行の可能性もあり、メダイユ地区は普段より物騒なざわめきに揺れ、落ち着くことを知らなかった。
 連れ去られた少女は、両親の助けを信じて待つだろう。怖くて悲しくて、心細くて仕方がない時に、ヒーローの名を呼ぶこともするのだろうか。シュテルンビルトに住む少年少女はほぼ例外なくお気に入りのヒーローを持つのが常だから、心に宿す希望のひとつとして、少女がヒーローの名を呼び助けを求めるのは現実的な想像だった。オリエンタルタウンで暮らしていた頃であれば、その想像はなにか物語めいて楓の意識を夢へ導いただろう。心配してもそれはあくまで客観的な同情であり、今のように心を裂く不安に変わることはなかっただろう。楓は努めて寝ようと意識をまどろませながら、昼間にシレーネが告げた言葉を思い出していた。ヒーローの名を呼んで助けを求めた誰かの手を、取れなかったことが悲しくて悔しい。辛いことだった、と『初代』は告げた。今の楓には、その気持ちがよく分かる。その手を握って、大丈夫だと言ってあげたい。それだけの為にヒーローの出動があっても、良いような気がした。
 楓がようやく眠りについたのは、階下で明日の準備をするバーナビーのはなし声や、風呂に入っていた虎徹の奏でる物音が完全に聞こえなくなってから、一時間も経った頃だろう。日付が変わるか、変わらないかくらいまでまどろんでいた意識は、前日の疲れもあってひどく深い眠りに叩き落とされた。本来ならその眠りは、朝日が差し込み目覚ましが時を告げるまで破られるものではなかっただろう。しかし真夜中、なぜか楓は暗闇の中でまぶたを開き、眠気でくらくらする頭を持て余しながら深呼吸をした。体から全く疲れが抜けていない状態で、意識が眠たくて眠たくて仕方がないと訴えている。どうして目が覚めてしまったのかも分からないまま、楓はすぅ、と息を吸い込んだ。まぶたを閉じれば、すぐに意識を落としてしまいそうだ。大きくあくびをして、時間を確認しようとして、瞬間、決定的な異変と違和感に気が付く。
 室内は真っ暗闇だった。なんの光も、なんの明かりも見つけることが出来なかった。眠すぎて理解できない状態を抜ければ、自分の手すら見つけられない、本当の暗闇がそこにあることに気が付く。反射的な恐怖にどくりと跳ねる心臓を落ち着かせようとしながら、楓は本来デジタル時計がある辺りに視線を巡らせ、なんの光点も確認できないことを知ると手さぐりで枕元のルームランプに手を伸ばした。時計は故障してしまったのだと言い聞かせ、ルームランプのスイッチを押す。しかし、しんとするばかりで明かりは灯らなかった。ぎこちなく、ベッドの上で体を起こす。必死で、室内になにがあるかを思い出そうとするが、明かりを灯せるようなものを思い浮かべることができなかった。なにか異変が起きている。怯える心を叱咤して片時も離すことのない手首に巻いたPDAに指先を這わせれば、いよいよ楓の恐怖は本物になって襲いかかって来た。PDAも、なんの反応も返さない。今まで絶対にないことだった。
「お……とうさん! おとうさん! お父さんっ! お父さんお父さんっ!」
 全身をかけ巡って目の前をまっくらにして行った恐怖が、悲鳴の代わりに叫ばせたのは父親の存在だった。助けて、とも言えず、ただただお父さんと繰り返すばかりの楓に、二階からゴトリと慌てた物音が響く。すぐにばんっと音を立てて楓の部屋の扉が開かれ、眩いばかりの青白い光が飛び込んでくる。
「楓っ!」
「おとうさん! おとうさん、おと……お父さんっ!」
「よしよし、楓。もう大丈夫だからな。ここに居るからな。……よく頑張ったな」
 胸の内側から痛みを錯覚する程、心臓が恐怖に飛び跳ねている。どんどんと太鼓のように耳のすぐ傍で響く鼓動は煩いばかりで、父親に強く抱きしめられるぬくもりの中にあっても、中々落ち着いてはくれなかった。はっ、は、と早く浅い呼吸を繰り返す楓の背を叩いて宥めながら、虎徹は部屋の入り口を振り返り、火をつけたアロマキャンドルを手に入ってくるバーナビーに視線で不審者の有無を問いかける。無言で首を横に振ったバーナビーは、施錠を確かめても来たのだろう。ごく慎重な仕草で楓の部屋を隅々まで見回し、そっと虎徹の傍らにしゃがみこむと、涙でぐしゃぐしゃの少女の頬に指先を押し当てた。すこしばかりひんやりとした青年の体温が、ほんのわずか、楓の呼吸を楽にしてくれる。バーナビーの視線は少女のパジャマが乱れていないかを確認した後、楓と同じ違和感に気がついたようで、訝しげな沈黙が送られてくる。ようやく落ち着いた状態に戻った楓に胸を撫で下ろした所で、遅まきながら、虎徹も家から明かりという明かりが消えていることに気がついたのだろう。
「……ブレーカー落ちたか?」
「確認してきます。すぐ戻るからね」
 前半は虎徹に、後半を楓に囁いたバーナビーが、火の揺らめくアロマキャンドルをベッドサイドにおき、ぱたぱたと足音を立てながら部屋を出て行った。普段は足音などを立てないことを知っているだけに、新鮮な物音だった。ぱたりぱたりと動き回る足音は一階をくまなく見て回るとリズミカルに階段を上り、いくつかの物を拾い上げてからすぐに階下へ戻ってくる。楓の部屋に顔を覗かせながら虎徹に向かって携帯を投げ渡し、バーナビーは溜息をついて少女の傍に座りこんだ。
「ブレーカーは落ちていませんでした。ただ……電気が全部止まっているというか、電化製品が全部死んでますね」
「……は? え?」
「携帯の電源が入りません。PDAも反応なし。窓から外を確認してみましたが、辺り一面暗いばかりで、街灯もネオンもなにもついていませんでした。大規模停電にしてはおかしい点がありすぎる。……楓さん、なにか感じたんですか?」
 少女の叫びは、尋常ではないものだった。だからこそ跳ね起きた虎徹はとっさにハンドレットパワーを発動して娘の元へ駆け付けたのだし、バーナビーは家中を点検してから少女の状態を目で確認し、ようやく僅かばかりの安堵を得ることができたのだ。不審者の侵入は杞憂に終わったようでなによりだが、だからこそ、今のこの異変が気になってしまう。楓は分からないと首を振りながらも、己の感覚に耳を澄ませるよう、ぎゅっと強く目を閉じ、息を吸い込んだ。
「分からないの。……PDAも動かなくて、それがすごく怖くなっちゃって……ごめんね、お父さん。びっくりさせたよね」
「んー? 気にすんなよ。それにな、お父さんは楓に呼んでもらえて嬉しかったぞー?」
 くしゃくしゃに髪を乱して来る手をこども扱いしないで、と退けてしまうのは簡単なことだったけれど、楓はあえてそれをしなかった。落ち着いたばかりの気持ちが、父親の存在を恋しがったのかも知れない。未だ文明の光を回復させない暗闇に視線を巡らせながら、楓はそっと息を吸い込む。
「……なにか、起きたのかな」
「だと、思います。ただこの状態だと、出動要請がかかっても……連絡が繋がらないですよね。最寄りの警察署まで行きます? それとも司法局か……TV局か。交通機関が止まっていなければ良いんですが」
「いや、会社行った方がいいかもしれねぇ」
 出動するにしても、スーツはトランスポーターに置いてあるしな、と言った虎徹に頷きかけ、バーナビーはいえでも、と眉を寄せながら首を傾げた。
「よく分かりませんが、電子機器が根こそぎ使えないとすると、ヒーロースーツってかなり……いや、でも着ていた方がいいのか、通信が死んでもスーツの防御性能が消える訳じゃないし。分かりました、会社に行きましょう」
「バニーはたまーにめんどくさいな?」
「うるさいですよ。お・じ・さ・ん?」
 にっこり、威圧感のある微笑みで一言づつ区切りながら言い放ったバーナビーは、すっと立ち上がると楓に向かって手を差し出した。すぐに手を握って立ち上がった楓に、バーナビーはほんわりと嬉しそうな笑みを浮かべてはにかんだ。その顔つきに、楓はあっと声をあげてしまいそうになりながら、急いで口を開く。
「バーナビーさん! あのね!」
「うん?」
「バーナビーさんのこと忘れてた訳じゃないの!」
 呼んであげなくてごめんね、と必死の様子で訴えてくる楓に、バーナビーは心から不思議そうに首を傾げてみせた。繋いだ手に安堵を覚えたささやかな笑みは、本当に無意識のものであったようだ。それでも、言葉にして告げてもらえて嬉しく、安心もしたのだろう。分かってますよ、と響いた声はふわふわとして柔らかく、楓は置き去りにされかけていたアロマキャンドルを手で包みこむようにして持って、しみじみと言った。
「……めんどくさくて、可愛いねえ」
「だろー? バニーは可愛いよなぁ……!」
「ちょっと、変な話してないで。着替えたらすぐ出ますからね?」
 明かりの無い室内の様子に、歩きまわっていた分、二人よりも慣れたのだろう。臆することなく足を踏み出して行きながら、ちらりと肩越しに振り返り、言い放つ。親子は、声を揃えてはぁいと返事を響かせた。楓は虎徹が二階へ上がって行くのを見届けてから、頼りない火で手元を照らし、クローゼットを開ける。さっと下着を身につけ、選んだのはなんの変哲もない薄手の長袖とジーンズだった。セーラー服を着ようかとも思ったのだが、スカートよりはジーンズの方がなにかと動きやすい。髪の毛も簡単に纏めてしまおうと思った所で、家の扉が激しく叩かれた。瞬時に家の中に殺気に似た緊張が走る。
「楓っ!」
 扉越しに響いた声に、楓はなにも考えられず、部屋を飛び出した。手さぐりで扉を開けると、そこに立っている人物へ手を伸ばし、存在を確かめるように縋りつく。エドワードは声もなく飛び込んで来た楓をしっかりと抱き寄せ、少女の頭を肩に押し付けるようにして、深く安堵の息を吐き出した。
「……無事でよかった」
「うん。……うん、エドさんは?」
「大丈夫。なんでもねぇよ。……二人は? 中に居るのか?」
 無言で頷く楓にそうか、と息を吐きながら、エドワードは己の背後を振り返った。確認できました、と報告するのに楓が視線をあげると、苦笑しながら二人を見守っていたユーリと視線が合ってしまう。
「こ……こんばんは! ユーリさん」
「はい、こんばんは。楓さん。……鏑木さん、バーナビーさんも、ご一緒で手間が省けました」
「……楓。それほんとーに、ただのバディ? 嘘つかないで、お父さんに教えてごらん? 怒んないから。な?」
 青筋を立てて笑顔をひくつかせながら言われても、全く説得力などない。ぱっとエドワードから飛び退くようにして離れ、楓はバディ、と力いっぱい宣言した。エドワードは降伏を示すように軽く両手をあげ、身の潔白をバディの父親と養父に主張している。これを敵と定めるべきか、迷う表情でじりじり距離を計っている保護者を呆れ顔で見やり、ユーリはぱん、と両手を打ち合わせ、視線を己に集中させて微笑んだ。
「うちの子になにか不満が?」
「俺いつアンタんちの子になったんだよ」
「サポーターにするのに刑務所から引っ張ってきた時、私の中ではそういうことで折り合いがついています。まあ、それは今はいいでしょう。さて、ワイルドタイガー、バーナビー・ブルックスJr、鏑木楓、エドワード・ケディ」
 その場に居る者の名を淀みなく呼びあげ、ユーリはまるで闇の中浮かび上がる蒼い炎のごとく、ゆるく笑って言い添えた。
「事件です」
 現時点を持って、司法局はヒーローの出動の必要があると判断します。異変を事件だと断定する言葉に、四人の表情には同じ緊張と、奇妙な高揚感が浮かび上がった。



 黒塗りの車を慣れた仕草で運転しながら、ユーリは恐らくNEXT能力による大規模停電に似た状態が起きています、と説明した。あくまで停電ではなくそれに似た状態であるのは、未だ電源を押しても明りを灯さない携帯電話や、PDAが証明していた。人通りの全くない道は時間を考えればそうおかしいことではなかったが、信号も街灯もなにもない暗い道は、ただ漠然とした不安感を心にもたらした。なにせ、街からはなんの音もしないのである。生活音もそうであるし、人が眠っていても動いている筈の機械の稼働音が一切しない。後部座席に座る虎徹の耳に飛び込んでくるのは車内に居る各々の呼吸音と車の音だけで、暗闇に沈んだ街をいくら目で探しても、動く影を見つけることができなかった。ユーリは落ち着きの無い虎徹の姿をバックミラー越しに確認すると、助手席に座るエドワードの目線でひとつの指示を出した。エドワードは手に持っていた数枚の書類を懐中電灯付きで後部座席にぽいと投げ、虎徹とバーナビーに挟まれて座っている楓に、言い聞かせるように告げる。
「今日の夕方からの緊急通達書。……警察官の娘が誘拐されたのは報道されて知ってると思うけど、その容疑者にシレーネさんが浮上してる」
「……は?」
「行方不明になったんだよ。シレーネさん。ジャスティスタワー付近の道路で、彼女が乗ってた車と、昏倒した運転手が発見された。それが十六時四十二分。そっから緊急で秘密裏に警察が検問張って探したけど、今に至るまで見つかってない中で誘拐が発覚した。誘拐現場から逃げ去った不審車の映像から照合しても、運転手の外見はシレーネさんに一致しないけど、時間帯がかぶってる。あと、十八時に意識を取り戻した運転手の証言により、シレーネさんがNEXT能力を発動して逃亡したと断定された。これにより、十九時には警察から専門の捕縛部隊が出動。発砲も許可された上で捜索が続行されているが、メダイユ地区では姿が確認できず、地区の外に出たかどこかに潜伏しているものと思われ……二十三時、シレーネさんの首に付けられた首輪のGPSが起動されたが、電波妨害でも受けてるのか、とりあえずメダイユ地区の中にいることしか確認できなかった。続いて二十四時、警察上層部が首輪の爆破機能を起動させることを決定。起動ボタンを押すが、ユーリさんが即座に爆発解除ボタンで停止させた。そこから今まで、シレーネさんが逃亡したあげく警察官の娘を人質に取って潜伏してるに違いないって言う妄言を吐く上層部と、なんでその結論に達するのか理解できないから理論的に筋道立てて説明しなさいっていうユーリさんの、延々一騎打ち状態が続いてたんだよ。あー、俺もうほんっとう警察だいっきらいなんだけど」
 そういえば夕方、エドワードはユーリから個人回線で『手伝って欲しいことが出来ました。来なさい』と呼び出されていた。その用件が、それであったらしい。私も手伝わせてくれればよかったのに、と頬を膨らませてエドワードとユーリを睨みつける楓に、ヒーロー管理官はやや疲れた様子でハンドルをひねり、大通りを右に曲がって車を進めて行く。
「一人で十分だと判断したので。次は一緒にお願いしますよ」
「うん。お願いします!」
「こら、楓。いいからお前も説明聞きながら書類読めよ。そこに全部書いてあるんだからさぁ……。で、そんな会議してるうちに、いきなり会議室の明りが消えたと思ったら、そこに居た奴らがばったばった倒れ始めた訳。は? と思って呼吸確認したら正常だし、どうもただ寝てるだけっつーか……。起きてられたのが俺とユーリさんだけで、外部通信も完全に切れてるし、っつーかそもそも起動しねぇし、なんか起きたと間違いないとみて、とりあえずヒーローの無事を確認しがてら回収してって一カ所に集めようぜ、ってことで今移動中。質問は? あ、ちなみにそんな状況になってるのにヒーローの呼び出しかからなかったのは、警察が全部情報独占して、どこにも出さずに処理しようとしてたから。……なんかなー」
 警察の上層部、本気でシレーネさん嫌いみたいでな、と溜息をつくエドワードに、ユーリは深く息を吐くことで同意を示した。まさか爆破の起動まで強行するとは思いませんでした、との呟きに楓の表情が強張る。視線が彷徨うように首筋へ向けられたのを感じ、エドワードは苦く笑いながら、シレーネの首に付けられたのと同じものに指先で触れた。
「あのな、楓」
「……なに」
「意固地になってないでちゃんと聞けよ。……あのな、今回のシレーネさんへの使用は、制作者の想定外なんだよ。これは、あくまで俺専用だから、分かりやすく首輪になってるだけで、他の誰かにも兼用するとしたら、たぶん腕輪とかになってた」
 その変化がなんなのか、と不審がる少女に、エドワードは見て分かりやすいだろ、と告げる。
「急所の近くで、安心もするだろうし。……それに」
「それに?」
「俺の能力なら、これの取り外しも可能だって、お前まだ気がつかなねぇのかよ」
 からかうように笑うエドワードに、横から伸びてきた白い手がぺしりと頭を叩いて行く。なんで叩くんだよ、と唇を尖らせて睨まれて、ユーリは呆れた様子で目を細めてみせた。視線はあくまで、車の進む先に固定されている。
「取り外し可能は最重要機密でしょう。言わないでいいんです」
「だって楓がいつまで経っても不満そうっつーか、あのひとに敵意剥きだしなんだもん。しょうがなくね?」
「彼女は全く気にしていませんでしたよ。先日会った時も、エドワードったら心配されちゃって、二人とも可愛いんですよー! と楽しそうに教えてくれました。さっきだって、ちょっと警察告訴するので書類整えてくださいねって笑ってたじゃないですか」
 あれはサンプル品で実際の使用を想定したものじゃないのに、見本を無断使用したあげく爆破しようとするとは何事だーっ、と座っていた椅子をなぎ倒して立ち上がり、怒りをあらわにした技術者を思い出して、エドワードはしみじみと頷いた。なぜあんなに怒っているのに、女は笑うことが出来るのだろう。
「……まあ、ともかく。そういうことだから、楓」
「そう言うことだから、なに」
「謝らなくていいから、言うことは素直に聞くようにしろよ? あの人はNEXTの理解者で、味方だ。今回だってシレーネさんの件で警察から呼び出し食らった時点ですでに切れてたし、まあ技術が知らないトコで半ば悪用されてたら技術者ならだれだって切れるんだろうけど。逃亡の可能性があるとか、だからさっさと殺しておけばよかったのにとか聞いた時とかさぁ……なんだっけ、ロウ人形とかなんとか」
 眼前に、大きな公園が見えてきた。パーキングエリアには向かわず、そのまま公園内部車を走らせて行きながら、ユーリが蝋人形であっていますよ、と補足する。
「確か彼女は『お前ら全員蝋人形にしてやろうかーっ!』と叫んでいました」
「ああ、うん。それそれ。意味分かんないけどすげぇ怖かった」
 彼女は本気でやりかねませんからね、とため息交じりに呟くユーリは、だからアンタ本気で止めてたのか、と納得するエドワードの視線に、口元だけで笑みを浮かべた。
「今の彼女には、ヘリペリデスファイナンスの豊富な資金と、技術力が付いていますからね。実現しかねません」
「イワンも大変だよなぁ……と、よし。到着」
 やっぱ俺たちが一番早かったみたいだな、と言って車が完全停止するのももどかしくシートベルトを外したエドワードを、ユーリは慣れた仕草でぺしりとはたき、優雅な仕草で車から降り立った。資料を読むのに集中していた虎徹たちは、会話を半分聞き流していたが、真剣に聞いてもぽかんとしてしまうばかりだっただろう。聞き流すだけで突っ込み疲れするような会話ってあるんだな、と呟きながら車から降り立った虎徹に続き、バーナビーは全くです、と頷いた。
「僕たちはなにをすれば? というか、ここ何処ですか?」
「メダイユ中央自然公園です、バーナビー。なにをするかは……合流してから決めましょう」
 ユーリのその言葉に、合流、と繰り返しバーナビーが口にした時だった。公園の別の道を辿って来た一台のトランスポーターが五人のすぐ前で停車し、中からばらばらと人影が走ってくる。お、と虎徹が嬉しそうな声をあげた。
「おう、カリーナ! ヘリペリデスのトランスポーターか? これ。なんで一台だけ?」
「運転できる人がいなかったの! それより」
 なにが起きてるのか誰か説明してちょうだい、と唇を尖らせたカリーナは、やや眠たげな様子だった。異変を感じて目を覚ましたというより、急いで叩き起こされたという様子である。飾り気のない白い上着とピンクのスカートは、普段の洒落た格好よりは随分とシンプルで、見れば革靴に突っ込んだ脚は素足のままだった。本当に急いで連れてこられたらしい。そんなにじろじろ見るんじゃありませんよとバーナビーに頭を叩かれ、虎徹は次々とトランスポーターから現れる仲間を確認した。誰も彼もがどこか眠たげな様子で、急いで身に付けた服を着て、現状を理解できない状況で顔を見合わせている。異変が起きていることは確かだが、こうも通信が遮断された状態で街が静まり返っていれば、不安は煽られるが危機感が湧いてこないのである。そわそわとするばかりで、状況がつかめない。

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