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 退院してから四日目。ようやくイワンは、トレーニングルームへ足を運ぶことを許可され、正式にヒーローとして復帰することとなった。退院した時点で体調は元に戻っていたのに、四日もの時間を要したのは、ヘリペリデスファイナンス技術部の許可が下りなかったからだ。退院したその足で社に挨拶に向かったイワンを真剣な顔つきで出迎え、それでいて嬉しそうにおかえりなさい、と告げたキリサトは、目の下から隈を消し去った姿でこう告げた。私たちは病院での検査結果を信頼していない訳ではないですし、イワンくんの自己申告を疑っている訳でもないですが、それはそれ、これはこれとしてヒーロースーツを着て戦うのに本当に大丈夫な体調かどうか、これから検査したいと思います。ということで、とりあえず、血液ください。仮面で顔の半分が見えないといえど、キリサトが満面の、きらきらと輝く笑みを浮かべていたであろうことはよく分かったので、トレーニングルームを目前とした廊下でふと足を止め、イワンは遠い目になってなんとも言えない気持ちを噛み締めた。あんなに嬉しそうに血液くださいと言われたのは初めての経験だが、あんなに楽しそうに採血する技術者というのも、恐らく世界でただ一人だろう。一人以上いたら迷惑この上ない、というか取り扱いに困ること甚だしいので、キリサト一人で十分なのだが。かくして技術部総出で行われた折紙サイクロンの体調チェックは昨日無事に終了し、結果も問題なく、イワンはトレーニングルームへ向かうことができたのだった。入院中に頼んだ本からキリサトが医学書を一冊抜き取って借りたのは、恐らくこれがしたかったからに違いない。やりたいことができたなら、それに向かって全力で突き進み、努力し、実現させてしまうはた迷惑な天才。それが、キリサトという少女だった。
 とりあえず、いつ出動要請がかかってもいいようにスーツの調整は終わってるので、なんか事件起こるといいですね、と警察に聞かれたら冤罪をかけてでも逮捕したくなるような発言でもって送り出されたことをも思いだし、イワンは手首に巻いたPDAが無反応なのを確認して、トレーニングルームの扉を開けた。事件がないということは、シュテルンビルトが平和である、というひとつの証拠だ。そうであるのなら、現在活動中のヒーローたちは特別な事情がない限り、この部屋でトレーニングを積み重ねている筈で。意識せず、弾む鼓動を持て余しながら足を踏み出そうとしたイワンは、しかしぎょっとして背を仰け反らせ、部屋の入り口で立ち止まってしまった。目の前に、少女が立っていたからである。黄色いツナギ状の服には、黒いラインが入っている。飾り気のない、動きやすさを優先した服は野暮ったくもならず、少女の身にしっくりと馴染んでいた。
「……パオリン? えっと、どうし」
「おかえりなさいっ!」
 どうしたの、と告げられることを待たず、パオリンが両腕をいっぱいに伸ばしてイワンに抱きついてくる。急な動きに対応しきれず、イワンはわ、わ、と慌てながらふらついて、けれど倒れることもなく、首に両腕を絡めて身を寄せてくるパオリンを抱きとめた。パオリンは腕に力を込め、離れようとしない。
「おかえり、イワンさん。おかえり……!」
「た、ただいま……?」
「無事で、本当に……ぶじで、よかった、よぉっ……!」
 熱烈な歓迎を受ける理由を探して考え込んでいたイワンは、耳元で囁かれる切ない響きに、ハッとして息を吸い込んだ。ぬくもりを、確かな鼓動を確かめるように体をくっつけてすり寄ってくるパオリンの背に、そっと腕を回してやる。とくとく、とくとくと早い鼓動を繰り返しながら、まるで泣くのを堪えているかのよう、パオリンはイワンの肩に額をくっつけ、顔を伏せてしまう。大きく息を吸い込んで、吐き出す音が響く。ずっと、誰にも言えない不安を抱えていたのだろう。ジェイクの元にイワンが潜入してから、ずっと、パオリンはこの街の為に戦い続けてきた。仲間たちが傷つき、倒れて行く姿を目の当たりに。仲間が、ジェイクを打ち倒す瞬間を見てもなお、こびりついた不安が消えなかったのは、残されたヒーローの数が少なかったからに違いない。皆、復帰できる怪我だった。だからこそ男性陣がいない間、シュテルンビルトの平和は、確かに少女たちの手に託されていたのだ。その忙しさは熾烈を極めるものであったと、イワンは聞いている。しばらくは大きな事件もなく平和な空気に満ちていたシュテルンビルトだが、それでも、ヒーローの出動要請が掛からなかった訳ではない。
 それまで八人で守っていた街を、三人で守ること。それも、たったひとつの失敗も、怪我も、許されないような状況で。すり減らされる神経の焦燥を聞いても、パオリンは立ち止まらなかったに違いない。これから戻る仲間の為に、そして数を欠いたヒーローを頼りにする市民の為に、怖いとか、不安だとか、泣きだしそうな気持ちを、全部全部封じ込めて今日まで来たに違いないのだ。入院している仲間たちに告げれば、それがどんな言葉であっても、焦らせることを少女は知っていた。周りの優しい大人たちに告げれば、きっと負担を減らそうと、精一杯の所をさらに疲弊させてしまうのだと、感じ取っていて。忙しさのあまり、五分だったり、十分だったり、時には顔を見てすぐ帰らなければいけないようなスケジュールの中、三日と開けず病院に姿を現して彼らを見舞ったパオリンは、必ず、大丈夫だから任せてね、と口に出して告げていた。精一杯の宣言だと、どうして気がついてあげられなかったのだろう。
「……ただいま」
「おかえりなさい。……おかえりなさい、イワンさん」
「うん。待たせてごめんね。また一緒に頑張らせてください」
 イワンが擬態して潜入に向かって以来、ゆっくり言葉を交わすこともできなかったからこそ、ここでようやく、本当に終わったと実感できたのだろう。張り詰めていた糸が緩んだように、パオリンは大きく息を吸い込み、イワンにぎゅぅっと抱きついた。心配させたね、ごめんね、と囁きながら腕に座らせるように抱きなおし、トレーニングルームへ足を踏み込んで行く。循環している筈の空気が甘く柔らかに感じるのは、現在、ここを使用しているのが女子二人とマダムだけだからだろうか。
「イワンさん、入院してたわりには、あんまり筋力落ちてないね? 退院して四日も来ないから、どうかしたのかと思った」
「リハビリしてたからかな……。来られなくてごめんね。ちょっと、技術部が離してくれなくて……」
 素直に運ばれながら疑問を口にしたパオリンも、ヘリペリデスファイナンスの技術部のことは知っているらしい。慰めるように頭を撫でられたので、イワンは思わぬ嬉しさに笑ってしまう。するとパオリンも嬉しそうに笑い声をあげたので、イワンは少女の脇の下に手を差し入れ、ちいさな体を持ち上げた。
「よっと……ああ、でもやっぱり、筋力落ちてるかも」
「ボクと一緒に組み手しようよ! 鍛えてあげる!」
「ねえ、アンタたちなんなの? その体勢で、なんでそんな色気のない会話ができるわけ? 信じらんない……」
 パオリンが朝からそわそわそわそわ待ってるくらいだから、再会したらさぞ可愛い感じになると思って期待してたのに、と唇を尖らせ、二人に対して歩んで来たのはカリーナだった。直前まで、ランニングマシンで走っていたのだろう。浮かぶ汗を白いタオルで拭いながら、冷えた炭酸飲料を手に持ってきている。すとん、とパオリンを床に下ろし、イワンはそんなこと言われても、と苦笑した。
「心配かけちゃったからだよ。ね?」
「うん! イワンさん、元気みたいでよかった!」
「元気だよ、大丈夫。……と、カリーナさん。ただいま」
 また一緒に、よろしくお願いします。にっこり笑って告げたイワンに、カリーナはなぜか沈黙したのち、嫌いではないが好きでもない食べ物を間違えて口に入れてしまったような、ひどく微妙そうな顔をした。飲み込めなくはないが、あんまり楽しくもない。そういう表情だ。
「……なんか……感じ、変わった」
「そう? そんなことないと思うけど」
「変わった! なんか、えっと……男っぽい!」
 指差して全力で言ってくるのはちょっとやめて欲しい、とイワンは思った。
「男っぽいっていうか……僕、元から男だけど?」
「そうじゃなくて! 男っぽくなったって言ってんの! 落ち着いたっていうか、きょどってないっていうか……やだ、ちょっとなんで急にそんな、男の子みたいになってんのよ」
「だから、男っぽくもなにも」
 僕は元から男ですってば、と溜息をつきかけるイワンを、背からするりと伸びてきた腕が引き寄せた。驚きも慌てもしないのは、その気配を知っていたからだ。その熱は火のように温かく、そしてとても、優しい。顎をそらずように頭を後ろに傾けて視線を流し、イワンはにこ、とネイサンに微笑んだ。
「こんにちは、ネイサン。また一緒に、よろしくお願いします」
「おかえり、イワンちゃん。……あらぁ、あらあらぁ……そうねぇ、急に男になっちゃって、なにかあったのかしら?」
「あなたまで、そんなこと……」
 信じていたのに、と後輩の真似をして軽く拗ねながら、イワンはそうですね、と苦笑しながら口を開く。
「なにかは、そうですね。ありました」
「あったのっ?」
「あったよ? なんで?」
 ぎょっとした様子で問うカリーナに、イワンは不思議で仕方がない様子で尋ね返した。少女はだって、と呟いて唇を尖らせ、どこか身の置き所がない様子で、もじもじと両手の指先を擦り合せている。爪先まで丁寧に整えられた、少女の指。
「だって、だから落ち着いたっていうか、男の、ひと、みたいな感じなのかなって。べ、別に! 変な意味じゃなくて!」
「そうねぇ……アンタ、一番異性に免疫ないものね」
 照れちゃって、と微笑ましく呆れた溜息をつくネイサンに、カリーナの頬が怒りと照れに赤く染まった。おおきく息を吸い込んだきり、言葉を見つけられない唇がぱくぱくと動く。やがて、ううぅ、と涙目で悔しげに閉ざされてしまった口は、むっと結ばれてしまった。アンタのせいなんだから、とばかり睨まれて、イワンは苦笑する。
「そんな顔されても……」
「うるさい、うるさいーっ! もう、いい! 私、トレーニングに戻るからっ……イワン!」
「ん?」
 言い放って足早に離れようとしつつ、途中で、大切な言葉を告げていなかったことを思い出したのだろう。唇を噛んで恥ずかしさを堪えつつ振り返り、カリーナは今にも泣きそうな潤んだ瞳で、ハッキリを響く歌声のよう、それを告げた。
「おかえり!」
「……ただいま、カリーナさん」
「あんまり頑張りすぎないのよ。アンタ、弱いんだから、また怪我するとこっちも困るし……ちょっと、なに笑ってんのよ」
 感情を素直に言葉に直すことがどうも不得意な、少女の遠回しな心配が温かかった。睨みつけられるのにごめんと返し、イワンはそっと、決意の為に息を吸い込んだ。弱いのは、知っている。それに傷ついたからこそ、言葉を紡げた。
「強くなろうと思って。ヒーロー活動はこれまでと同じで見切れ中心で行くけど、救助もしたいし、犯人の確保もできそうな時はしてみたいし。それだけじゃなくて、弱いのは知ってるから……強くなろうかなと思って、決めてきたんだ」
「……頑張り過ぎたりしないでよね」
 アンタが、ちゃんと頑張れるってことは、もう知ってるから、と。苦しげに告げたカリーナが思い出したのは、先日の事件のことだろう。ああ、やっぱりこの少女にも心配をかけてしまっていたのだ、と思って、イワンはうん、と頷いた。
「しないよ。約束する」
「……絶対?」
「うん。絶対。だから、安心してくれる? ……これから、また一緒に。よろしくね、ブルーローズ」
 ぱちん、と音を立てて打ちあわされた手と、瞬きひとつで、少女は年相応の不安と迷いをかき消して、ブルーローズの表情になった。誇り高く、凛として美しく。笑って、ブルーローズは折紙サイクロンに告げる。応援してるわ、と。折紙サイクロンは笑って、それに応えた。ボクも、と手をあげて主張したドラゴンキッドと手を打ちあわせた瞬間、手首のPDAがけたたましく鳴った。一瞬で引きしまった空気に笑いかけるかのよう、有能な女性の声が開幕を告げた。
『ボンジュール、ヒーローズ。準備はいいかしら?』
 少女たちとマダムがそれぞれに頷く中、イワンはひっそり、誰にも気がつかれないよう、こみあげてくる笑いをかみ殺した。鼓動がだんだん早くなって行く。意識が透き通るよう鮮明になって、思考の回転が速くなるのを感じた。胸に満ちて行くのが喜びだという事実を、認識はしても受け止めたくない。事件が起きるのを、待っていただなんて。ヒーローとして出動できることを、嬉しく思ってしまうだなんて。そんなこと、気がつかれる訳にはいかなかった。満面の笑みで振り返り、イワンに手を差し伸べて行こう、と言ってくる仲間たちには、もちろん、そんな気持ちなどお見通しだったのだけれど。



 男性陣が揃って入院している間も、もちろんヒーローTVの放送は続けられていた。出動できるヒーローの数が三人とすくなく、また自己申告を含めた性別が全員女性であった為に、『女子編』と題して特別放送されていた時のコンセプトは、早期解決と演出は派手めに、というものであったらしい。なぜそんなコンセプトが必要だったのか、ということを、イワンは現場に復帰して初めて理解した。そもそも入院中、イワンの個室にテレビは設置されておらず、手元に入ってくる情報は落ち着いた文面にて事件の概要だけを伝えるニュースペーパーからだけだったから、三人が結託して力をふるう場を目で見るのは、ほとんど初めてのことなのである。なぜイワンの個室にテレビが設置されていなかったのかと言えば、それはヘリペリデスファイナンスの過保護気味な気遣いに他ならない。ジェイク・マルチネス事件が終焉した後、ヒーローたちが負傷して入院することとなった事実は速やかにシュテルンビルト市民に伝えられたのだが、そこで折紙サイクロンに対して、疑問を持つ者が現れたのだ。折紙サイクロンは、ジェイクと直接戦ってはいなかった筈。それなのになぜ現場に復帰できず、入院する状況に陥っているのか、ということだった。ヘリペリデスファイナンスとしては、折紙サイクロンの状況を、なぜそうなったかという事実を、公開しないままで終わりにしたかったのだが、疑問視する声があまりに多く、結局は総当たり戦の前に潜入捜査をし、失敗して怪我を負った為に療養している、ということを発表した。
 君の活躍を誇っていない訳ではないんだよ、と穏やかな声でCEOが説明してくれたのを思い出し、イワンは苦笑する。それは僕たちだってね、君がどんなに頑張ったか言ってまわりたいのは山々なんだけど。その為には君の能力がどう使われたか、どういう手段として使えるのか、ということも一緒に宣伝してまわるリスクがどうしても付きまとうだろう、と。折紙サイクロンは、有効な能力の持ち手であってはならないのだ。これまでも、そしてこれからも。イワンもそれには納得しているし、それに対する非難も甘んじて受け止めるつもりではあるのだが、ヘリペリデスファイナンスはそれら言葉の刃から、自社のヒーローを守るつもりでいるらしかった。その結果が、テレビの撤去である。もちろん、他のヒーローたちが入院していた三人部屋にならテレビはあったし、やろうと思えばリアルタイムの映像も入手できる方法はあったのだが、イワンはあえてそれをしなかった。だからイワンは『女子編』として放送されていた間、三人がどうやって犯人を確保していたのか具体的には知らないし、彼女たちが仲間の不在を埋める為、そしてこれ以上、シュテルンビルト市民を不安がらせない為に、どれほどの決意で出動に望んでいたのかを正確には認識できていなかったのだが。
 復帰初日、イワンは犯人の気持ちを思いやって溜息をついた。怖かっただろう。それはもう、怖かっただろう。やる気に満ちあふれたヒーロー三人に完璧な連携で追いつめられていくことも怖ければ、女子組は揃いも揃って自然操作系のNEXTなのである。火か、氷か、雷の三択。彼女たちの能力は、それぞれ手加減と完璧な制御があってこそ犯人への直接被害を軽減するものだが、迅速な確保を念頭に置いた三人であるから、そこに気遣いがある訳もない。イワンはヒーローTV関係者の苦労を思いやり、遠い目になった。コンセプトの早期解決は結果としてそうなっているだけであり、派手めな演出は、その言葉で彼女たちのやる気のあまり制御を度外視した能力発動を誤魔化す為、くっつけられたに違いない。大通りに散らばる氷の欠片と、火であぶられ溶けてしまったが故の道路の穴をひょいひょいと避けつつ、追ってくるカメラに見切れることも忘れずに、折紙サイクロンはヒーロー活動最前線に近づいて行く。五分ほど前から睨みあい、膠着状態に陥っている為、状況を打開しろとアニエスから命令が下ったのだ。正直、怖いから近寄らないで遠方撮影のカメラに延々と見切れていたかったのが本音なのだが、折紙サイクロンの到着が状況打開の鍵になるのよ、とまで言われてしまえば嫌がる訳にはいかないだろう。
 今回の犯人は飲食店を狙った強盗犯で、犯行は早朝から深夜まで多岐に及んでいた。犯人は複数であり、それぞれ武器を所有している。本来なら警察の領分であろう犯人逮捕にヒーローが呼ばれたのは、今回の犯行で怪我人が複数出た事実と、緊急で検問をとり行っていた警察をひき逃げしたという、この二点が問題視された為だ。幸い、怪我人もひかれた警察官も、命に別条はない。強盗の現場に居合わせた被害者に怪我を負わせたのは、青白い光と共に犯人の手に突如現れた銃であることから、NEXTの可能性であることもヒーローが呼ばれることとなった原因だった。それまでは犯人がNEXTだったとしても、ちいさな事件であるなら警察がなんとかしようとしていた筈なのだが。ジェイク事件後、犯人にNEXTの可能性があるというだけで、ヒーローは現場に駆り出されるようになったのだ。ある意味過剰反応だが、仕方がないことだと割り切るしかない。そして、この状況であるからこそ、折紙サイクロンはこびりついた恐怖の影を拭い去る存在になれる筈なのだ。頑張ろう、と決意も新たにでこぼこの道を進んで行くと、数台の黒い車を取り囲み、睨みつけている三人の姿が見えてきた。その状態になってしばし、気持ちが焦れて来たのだろう。全員関電させちゃえばいいよね、とばかり両手に雷を呼びこみ、全身を帯電状態にしてその瞬間を待つばかりのドラゴンキッドの前に、折紙サイクロンはすべりこむよう身を躍らせた。
「ちょっと待って……で、ござるよ」
「……折紙さん? あれ、あっちにいたんじゃないの?」
 ドラゴンキッドの全身を覆っていた張り詰めるような緊張が、にぶく、それでいて急速に消えて行くのを感じる。はやく街を安全な状態にしてあげなきゃ、はやくはやく、と焦るばかりの気持ちが解けていき、ドラゴンキッドはふぅ、と大きな息を吐きだした。後方を指差しながら告げる少女の瞳は、まだ折紙サイクロンの体ごし、車の位置を油断なく認識していたが、危険な状態は脱したようだ。過度の緊張と能力の出力による疲労をようやく体が認識したのか、足元をふらつかせるドラゴンキッドの腕をとり、折紙サイクロンは大丈夫だから、と囁いた。
「ここで、座って待ってるでござるよ。……ね?」
「……うん」
「ブルーローズ殿、ファイヤーエンブレム殿! ちょっといいでござるか? ドラゴンキッド殿を頼みたいでござるよ」
 正三角形を描くように囲んでいた包囲を一点に集めてしまうのはよくないことだが、発言を聞いている筈のアニエスはそれを止めず、そして折紙サイクロンの言わんとすることを察したファイヤーエンブレムが、ごねるブルーローズの腕を引いて駆け寄ってくる。注意は外されていないことが分かるのか、黒塗りの車に動きは見られなかった。ブルーローズが傍に来た瞬間、ドラゴンキッドはぺたりと地面に座りこんでしまい、少女の慌てた声が響き渡る。任せることにして犯人たちに向き合う折紙サイクロンの隣に、そっとファイヤーエンブレムが並んだ。
「……すまないわね」
「いいえ。今までも、ずっと?」
 小声の会話は念の為、TVに拾われないようにマイクをオフにして行われた。音声は聞きとりにくいものだったが、意思は正確に伝わって行く。そうね、と苦笑気味に囁いて、ファイヤーエンブレムはそのてのひらに、明るい炎を生み出した。
「ずっと、かしら……アタシも、時々気をつけてはいたんだけど、背負い過ぎちゃったのね。助かったわ。ありがとう」
「いいえ。……もう大丈夫ですよ」
 炎は温かく眩いばかりで、折紙サイクロンがそれに危機感を感じることはなかった。それは完璧に制御されたことを示す炎であり、マダムの手の中に収まっているだけで、誰の肌も傷付けることはしないのだと直観的に理解できる。疲れ切ってしまったドラゴンキッドも、ブルーローズも、聡明な相手だ。やがては気が付くことだろう。それに、これからヒーローは戻ってくるばかりだ。次々と埋まって行く空白が、自覚できなかった焦りを消してくれることを願って、折紙サイクロンは告げる。
「さて、と。アニエスさん、作戦はあるでござるか?」
『ないわよ。でもお手柄ね、折紙サイクロン』
 見てごらんなさい、と囁かれ、視線を向けた先では犯人たちが次々と車を降りていた。その表情に、抵抗の意思はない。ヒーローに追いつめられた時点で観念していたのか、彼らは一様に疲れきり、ほっとした顔で両手を上にあげながら、折紙サイクロンに向かって歩み寄ってくる。行ってあげなさいな、と背を押された折紙サイクロンが前に出て、犯人の一人の腕を手で掴む。疲れた表情の男は振り払うこともなく、折紙サイクロンに大量の犯人確保ポイントが追加された。

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