検査結果を見た少女の第一声は、マジ受けるわー、というなんの感情も乗せられていない平坦なものだった。続けて、なんの冗談ですかとも言われたので、虎徹の眉間に青筋が浮かぶ。しかし、視界に大人しく聞けないなら塗りますけど、とばかり笑顔でスプレー缶を持ってヒーロースーツの前に立つ自社の技術者を見つけ出したからだろう。う、と言葉に詰まった様子でもぞもぞと椅子に座りなおすのを冷たい目で眺め、キリサトはちょぉーっと理解できないですねー、と呆れ切った声を出した。
「アポロンメディアも……かわいそうに……」
「あの、心から本気で言うの止めて頂けませんか」
「いやだって、バーナビーさん。検査もしないで能力減退してるって思って、いや実際減退はしてたみたいですけど、なんていうかこう……ああ、こういう人が肺炎とかを風邪だと思いこんで勘違いして寝て直そうと思ってそのまま悪化して動けなくなって死ぬのかなぁ、と思うとなんか涙浮かんできて」
はああああ、と心の底から息を吐きだしてしゃがみこんだ少女の手から、プリントアウトされた虎徹の精密検査の結果が抜き取られる。それを次に目にしたのは、ポセイドンラインのロゴが左胸に入ったツナギを着た男性である。男はしげしげと検査結果を眺めたあと、虎徹を見て眉を寄せた。
「知識がねぇってのは、怖いな」
「ですよねー! ですよ、ねー!」
やだもうやだもう信じらんなーいっ、と涙ぐんで叫ぶ少女の声が、ポセイドンラインの格納庫に響き渡った。ヒーローたちと技術者が身を置いているのは、ポセイドンラインがモノレールの修理に使うのに持つ、郊外に設置された格納庫のひとつである。普段はポセイドンラインのモノレールの整備士たちが忙しく動き回るであろう空間を、右へ左へと駆けまわっているのは、しかし七大企業のヒーロー技術部に所属する者ばかりである。ちょっと盗聴とかの危険がない場所で、騒音が出ても問題なくて、全員が集まれる場所ってどこかなって思った時にポセイドンの人たちが申請出して使えるようにしてくれたんですよね、とはキリサトの談である。つまり場に集っているのは全員が技術者であり、ヒーローやNEXT能力に関して、ある一定以上の知識を持った者たちばかりなのだ。格納庫の端に集まって泣いているタイガー・サポーターを、別の社の白衣を着た者たちがよかったね、と言って慰めているのが見える。彼らに心底同するような雰囲気で、脱力から立ち直ったキリサトが、ヒーローたちに向き直った。
「私も専門家ではないので、確実なことは言えないんですけどー……まあ、引退とかしなくていいと思いますよ、これ」
「……え」
「え、じゃなくて。はい、いいですかここ見てください。ここの数値がですね、基準と比べて異常に増えてるの分かりますか? NEXT能力についての……なんて言えばいいのかなー、親和性? これが通常二千を超えるとNEXT能力適正あると判断されるんですけど、今なんか四万くらいありますよね?」
能力の発動時間が短くなってるのは、ほぼ全部これのせいだと思ってもらって間違いないと思うんですが、と少女は言う。
「ハンドレットパワー特有の症状、と思ってもらって間違いないと思うんですね。これがイワンくんみたいな擬態だったり、アントニオさんみたいな硬質化であれば、かえって能力の発現が潤滑になった可能性があります。これは普通は悪さするものじゃないんですよ。親和性を高めるってことですから、人の体とNEXT能力の橋渡しをしてくれる数値みたいなものです。高ければ高い程良いってものでもないですが、コントロールが不安定になるものではありません。体感的に、意思としてそれを考えてから発動までのスパンが短くなるくらいです」
格納庫は動き回る人の気配といくつもの会話で、心地よく騒がしい。自社以外の技術者と会うのが珍しいパオリンとカリーナは、先程からクロノスフーズの技術者につきっきりで、フルアーマータイプのロックバイソンのスーツ構造について講義されている。二人は目を輝かせて話に聞き入り、肩のドリルに込められた男のロマンのくだりになると、手を叩いて喜んでいた。自社には全くいないタイプの技術者であるので、話を聞くのがとにかく楽しくてならないらしい。アントニオは、なぜかポセイドンラインの技術者に取り囲まれていた。この筋肉と重量を安定して飛ばせるにはどうすればいいか、と真剣に考え込まれているアントニオは若干遠い目をして逃げたがっている。高所恐怖症のアントニオにとって、スカイハイのような空を飛ぶという行為は精神的ないじめに他ならないのだ。ネイサンはオデッュセウスコミュニケーションの技術者とスーツに使う布地について相談し合っているし、その中にはヘリオスエナジーやタイタンインダストリーの姿もある。彼らのヒーロースーツは、フルアーマータイプではない。特殊な製法で編みあげられた布地を裁断し、体の形に合わせて作っていくスーツだ。もちろん硬質な素材と組み合わせて使用しているものの、防御力という点においては、最強の名高いロックバイソンに何歩も差をつけられている状態である。かと言って全身を多い隠してしまうようなスーツに変更することもできないので、並々ならぬ苦労があるらしかった。彼女たちの魅力を損なわず、起動性も重視し、華やかでそれでいて耐久性のあるスーツを、ということで三社は意見が完全一致しているらしい。よし、手を組もう、と円陣でなにやら誓いあっている隣では、キースが斎藤さんの話に耳を傾けていた。ちいさな声を、風の動きで補助しつつ、正確に聞きとっているのだろう。うん、うん、と頷いてはなにかを答え、それなりに楽しく過ごしているのが見て取れた。
いいな、俺もあっちに混ざりたい、という顔つきをする虎徹に、これ以上の説明をしても無駄だと思ったのだろう。キリサトは格納庫中を駆け回って見切れポイントを探していた自社のヒーローを呼びよせると、詳しい説明は今度、イワンくんがバーナビーにでもしておいてください、と言った。
「このひと、説明聞いてくれないんでやです……」
「どこまで説明したんですか?」
「エヌイー数値の説明くらいまで? ハンドレットパワーの説明とかはまだ全然してません。NEXTってつまりなんなのかとか、そういうことまで辿りつけてません」
私もあっちに混ざって色々作ってきます、と指差す方向に目を向けると、溶接の火花が飛び散っているのが見えた。彼らが騒音を出してもいい場所、と条件を出したのはこの辺りが理由である。集まった者は普段は様々な事情で交流することのできない、七大企業の技術者ばかり。新しいなにかを作って遊んできます、と涙ぐむキリサトの肩をはいはいはいと手で叩き、イワンは簡単な説明くらいなら僕にもできますが、と息を吐いた。
「ちゃんとした説明はこの中でもキリサトさんか、アポロンのリサさんか、ヘリオスのハリーさん、クロノスのマックスさんくらいしか出来ないんですから。お願いします」
「……虎徹さんがちゃんと説明聞けばいいんですよ。ほら、女の子を困らせないでください。しゃんとして」
「悪いとは思ってるんだが……なに言ってんのか分かんないんだもんよ。……ごめんなあ、もっと簡単に言えるか?」
キリサトはすんすん鼻を鳴らしてむくれたあと、仕方がなさそうに頷いた。
「がんばります……。じゃあ、まず、なんであなたのハンドレットパワーが、通常の五分から徐々に減ったかってことなんですけど。この数値の異常上昇が関係してるんですね。えーっと、えーっと、なんて言えばいいかなぁ……ハンドレットパワーって、体の内側に向かって作用する能力じゃないですか? ロックバイソンの硬質化もそうなんですけれど、あれはどっちかって言うとイワンくんみたいな変化タイプであって強化じゃないんですよ。ものすごい厳密に言うと。強化は強化でも、強化の域を超えて変化にまで辿りついているというか。だからつまり、全く同じ数値異常が出ても能力には関係ないんですが、ハンドレットパワーは直接身体能力を百倍にする能力の性質上、親和性があがると身体が耐えきれなくなります。だから、壊れる前に脳がストップをかける訳です。これが今回の、発動時間の減少として現れました。なんとなく分かります?」
「……なんとなくな」
「じゃあもうそれでいいです。で、次。なんでこの親和性を示す値。エヌイー値と言うんですが、これが急激に上昇したかと言うと……これについては諸説あって未だ特定できていないんですが、一番多いケースから考えて行きましょうか。質問です。最近、身近に新しくNEXT能力に目覚めた人はいませんでしたか? 身内でもいいですし、会社の人でもいいですし、行きつけのコーヒーショップやデリや、同じ地区に住んでる人でもいいです。心当たりは?」
ヒーローともなると活動範囲が広いので、この限りではないんですが、と言ったキリサトに、虎徹は苦虫を噛み潰した表情で低く、いる、と言った。
「楓が……俺の娘が、NEXTに目覚めた。ほんの、つい最近」
「分かりやすくて大変結構。原因は間違いなくそれですね」
「楓のせいだって言うのかよ!」
思わず座っていた椅子から立ち上がった虎徹に対し、キリサトは様子を伺っていたイワンの服を掴んで体を隠すようにしながらも、立ち上がらず、逃げようともせずに言い放った。
「そうは言ってないです。イワンくん、説明交代してもらっていいですか」
「もうちょっと、もうちょっと。はい、頑張ってくださいね。……そろそろ座らないと、油性ペインティングが開始されると思いますけど? いいんですか、しましまタイガーになっても」
アポロンメディアのヒーロー技術部は、未だワイルドタイガーのヒーロースーツを虎しま模様にするというペナルティ決行を諦めてはいない。他社の主任に迷惑かけないでください、と呆れた目で見られて、虎徹はしぶしぶ椅子に座りなおした。がしがしと頭をかき、悪かった、と言う。
「怖がらせた」
「……キリサトさんも、もうすこしでいいんで、言葉を選んでくださいね。原因なんて言ったら、親御さんは怒りますよ」
「ううぅ……。NEXTは、知っての通り、現在に至るまでほとんどが分かっていません。どうしてNEXTと呼ばれる存在が現れるのか、そこに法則はあるのか。人種なのか、性別なのか、突然変異なのか。病気なのか、進化なのか、それすらも。遺伝するものなのかも分かっていません。親子二代というケースは稀に確認されますが、三代、四代と繋がっていくケースは……歴史に存在を認められて以降、まだ時間が浅いというのもありますが、確認できていません。二代まで。もうあと百年くらいすればNEXT能力が遺伝していくかどうかも分かると思いますが、ともあれ、現在分かっていることは……NEXT能力者は、ある程度引っ張り合いっこするってことです。類は友を呼ぶといいます。あるいは、素質がある者をその通り、呼ぶんです。目覚めよ、と命じるようにNEXTの目覚めは連鎖的に起きることは確認されています。親がNEXTであり、そのこどもに資質があった場合。ちなみに資質のあるなしっていうのは、ある程度の年齢に達するまでのエヌイー値の数値で分かるものなんですが、ある場合、大体の場合は第二次性徴が来る前に能力に目覚めることが多いんですね」
これは身体的な完成の前に能力を目覚めさせて、体がNEXT能力を馴染ませようとするかららしいんですが、この辺りもまだ分かっていません、と技術者は首を傾げる。
「体が完成しきってから目覚めるケースもあります。つまり、まだぜんっぜん分かってないトコなんですが、分かっていることだけ言うと……目覚めたばかりのNEXT能力者に影響を与えたNEXT能力者、この場合でいうと楓さんですか? 彼女を目覚めさせたあなたのエヌイー値が上昇します。異常上昇と言えるくらい、数値が跳ねあがります。なんで上がるのか、ということは分かってません。あがるものはあがるんです」
と、言うまあそういうわけなので、と少女は喋りすぎて顎が疲れたらしく、しきりに頬に手を押し当てながら言った。
「落ち着けば元に戻ると思いますが、大事をとってしばらくは能力を発動させないでください。お医者さまにも言われたと思いますが、一ヶ月くらいは。あと、その楓さんをこっちに呼んで、一緒に検査してもらった方がいいですね。目覚めたばかりだと色々不安定ですし、NEXTとしても、お父さんがいてくれた方が安心できるでしょうし」
「あー……楓、呼ばないと駄目か?」
「なんでですか? 娘さんに会いたいでしょう?」
辞める理由のひとつとして口にしたくらいなのだから、傍にいてやればいいものを。ためらう理由が分からず問いかけた少女に、虎徹はいやあのなー、と気まずそうに苦笑した。
「言ってないんだわ、娘に」
「……なにを?」
「ワイルドタイガーが俺だってこと? あと、NEXTだってこともちゃんと話した記憶がない」
NEXTだってことくらいは、もしかしたら薄々気が付いてるかも知れないんだけど、と苦笑する虎徹に、キリサトは頭を抱えて沈黙した。全身全霊で、ちょっと今なにを言われたのか理解できないんで待って頂けますか、と告げ、キリサトはぷるぷる震えながら顔を上げ、イワンを見て、バーナビーを見て、それから虎徹を見た。
「……はい?」
「いや、だから。ワイルドタイガーがお父さんだよーって、楓に言ってな……」
「つかぬことをお伺いしますが娘さんおいくつですか」
私は小学校低学年くらいだと思って話を進めてたんですが、もしかしてもうちょっと大きかったり小さかったり、と微笑むキリサトに、虎徹は十歳かな、と告げる。そうですか、とキリサトは言った。がたん、と椅子を鳴らして立ち上がる。すー、と少女は息を吸い込んだ、イワンはさっと耳を塞ぐ。
「……いま、すぐ!」
「へ?」
「電話して打ち明けて来いー! 十歳とかなに考えてるんですかばっかじゃないですか! プレティーンですよプレティーン! それはヒーローなんて職業につけるNEXTが親にいたら能力にも目覚める年頃ですよ! よく十歳まで目覚めなかったくらいだって関心するくらいですけどっ? ああもう……アポロンメティアのTチーム! ちょっと来てくださいお願いがあるんですけど! この人が娘さんに自分がワイルドタイガーだって話さなければ、もう塗っちゃっていいと思うんですよ!」
しましま模様のワイルドタイガーにしちゃっていいと思うんですよねっ、あの芸術品になんかぬりたくるのは大変心が痛みますが、と叫ぶキリサトの隣で耳をふさいでいた手を離し、イワンははいはいどうどう、と少女を慣れた様子で宥めてやった。ぜーはーぜーは肩で大きく息をしながら、ちょっと待て、とあっけに取られる虎徹を睨み、キリサトはびしりと言い放つ。
「さあ電話してください?」
「ちょ……本人の意思と家庭事情ってもんが」
「ご家庭の事情は最大限尊重されてしかるべきだと思います、が。あなたの場合はまず、エヌイー値上昇の原因となった娘さんが傍にいないと話が始まらないってゆーか、向こうの状態が落ち着かない限り、あなたの状態も落ち着かないままなんですね? 能力を発動しないことで発動時間の減少は食い止められると思いますが、あくまで可能性の話で、このまま身体的な異常に発展しない可能性はゼロではありません。でも、とりあえず、過去のいろんなデータが示しているように、傍にいてくれさえすれば双方落ち着くのが早いんです。向こうは早期の能力安定が見込まれますし、あなたはエヌイー値の上昇が食い止められ、徐々に元の値に戻っていくと思われます。……現実的な話をしましょうか? あなた、今ヒーロー辞めたとして、賠償金が会社支払いから一部自分支払いに切り替わったとしてちゃんと支払えるんですか? で、払えるとしてもご実家に帰った時に多大なる借金を抱えてることについて娘さんに説明できます? というか説明するってことはヒーローについても打ち明けるってことになると思いますが、そんな説明の仕方でいいと思ってるんですか? そもそもヒーロー活動について、辞めたあとは口外禁止令が出るとか思いません?」
ヒーローの内部事情は黙して語らず。鉄則ですよね、とにっこり笑って、少女はうなだれる虎徹の手に携帯電話を握らせた。そして満足そうに大きく伸びをし、イワンに笑顔で向き直る。
「もういい?」
「……はい、お疲れさまでした。遊んできていいですよ」
「わーい! なんか! なんかすごいアレつくりたい!」
こう、一見なんの役にも立たなくて意味も分からないんだけど、実はすごいなんかアレでそれな感じのやつ、と本人の感覚にだけ頼った計画を立てながら、少女は爆発音のする現場へ走って行った。イワンに被害が来なければなにを作ってもいいのだが、可能性としては半々くらいだろう。キリサトにその意図がなくとも、精神的な被害をこうむる発明品が出来あがることは、稀にだがある。溜息をついて、イワンは虎徹を見る。ちょうどバーナビーが携帯電話を取りあげ、ボタンを押してコール音を響かせ、それをバディに返した所だった。諦めた様子で電話を持つ虎徹に苦笑して、バーナビーが視線をあげる。お疲れ様です、と苦笑されて、イワンはそっちこそ、と目を細めて笑った。血液検査であっさり原因が判明した虎徹と違い、バーナビーの検査結果がでるには時間が必要のようだった。CTで見た所、脳に目立った異変はないとのことだったが、あくまでひとつの目安にしかならない。バーナビーの記憶混乱の原因も特定されていないので、これからが頑張りどきなのだった。それでもなんとなく、大丈夫だという気持ちになってくるのは、格納庫に集った技術者たちのおかげだろう。七大企業のヒーロー事業部に所属する技術者のほぼ全てが、彼らの為に動くと約束してくれた。様々な事情で積極的な参加が出来ない者もいたが、それでもできる限りは力になると言ってくれている。反撃の準備は整ってきている。敵の姿は未だ、見えずとも。