準備がぜーんぶ終わったらもう一回呼ぶので、出歩かないで静かにそこで待っていてくださいねー、と告げられて、イワンは苦笑しながらトランスポーターの上に腰かけた。足を投げ出してふらふらと動かせば、ブランコの上にでもいる気分だった。あいにく、トランスポーターは揺れたりしないのだが。ジャスティスタワーをぐるりと取り囲むように、そこへ続く全ての大通りを封鎖して、七大企業のトランスポーターが集合していた。技術者たちが乗りつけてきた大型トラックやワゴン車、自家用車なども道に縦横無尽に止められており、その隙間を白衣姿の者たちが忙しく動き回っている。彼らはイヤホンマイクや携帯電話、拡声器などを駆使してそれぞれに連絡を取り合っており、いくつもの報告が飛び交う空気は、祭りの前のそれに似ていた。落ち着かない。それなのに、ちっとも不安な気持ちではなかった。くす、と上機嫌に笑みを刻んで、イワンは後ろに手をついて背を反らし、暮れゆく空を遠くに眺めた。ゆっくり、ゆっくり、夕方へ変わろうとしている時間帯の空。透明な青がきよらかな紫へじわじわと色を変えようとしているのを目を細めて眺め、耳に触れるざわめきにイワンはすーと肺の奥まで息を吸い込む。心臓がどきどきしてしまうくらい騒がしいのに、その中に一般人の声はひとつも紛れていなかった。ジャスティスタワーを中心に半径二百メートル以内は現在ほぼ無人区域であり、動いているのは七大企業の関係者か、あるいは忍び寄る『敵』だけである。緊急事態の発生であるから迅速な避難を、との呼びかけにここまで市民が反応したのは、やはりジェイク・マルチネスの恐怖が心にこびりついているからに違いない。
もう怖くないよ、と言ってあげたいのに、今回ばかりはその恐怖が、ヒーローたちの望んだ無人戦闘区域を作り上げた。大都市の中心地。技術者たちが奏でる騒がしさ以外は、しんとして静まり返っている。その二百メートルを超えれば、全くいつも通りのシュテルンビルトがあるというのに。閉鎖完了を確認しました、と告げるポセイドンラインの通信が場に響きわたると、わっと大きな歓声があがる。その歓声の隙間を縫うように、ごうっとジェットパックの起動する音がした。
『ポセイドンラインです! 定刻より二十分早いですが、スカイハイの出動準備を完了しました!』
『こちらヘリペリデスファイナンスですー! ちょっと遅れ気味なので予定より五分くださーい!』
『こちらクロノスフーズ。ロックバイソンの出動準備完了。いつでも出られます。また連絡を』
歓声が幾重にも幾重にも重なって、暮れゆく街の空気を揺らしていた。これから大がかりな出動であるのに、その為の準備なのに、こんなに緊張感がないのも、こんなにわくわくするのも初めてだった。キリサトさん頑張ってくださいねー、と遅れ気味の自社をのんびり応援していると、体にふと影が落ちる。見上げれば、スカイハイがもの言いたげに見ていたので、イワンは苦笑しながら立ち上がる。まだヒーロースーツもちゃんと着ていないアンダースーツの状態で会うのはなにやら恥ずかしいが、求められれば仕方がないだろう。どうぞ、とばかり手を差し伸べれば、スカイハイはまっさかさまに落ちるように、勢いよくイワンの手を掴みに来た。ごう、と風圧でトランスポーターが揺れる。ちょっとおおおおおっ、と内側から涙声の絶叫で怒られて、イワンはスカイハイを胸に抱きとめながらすみませんと弱々しく呟く。イワンの手をぎゅっと掴み、広げられた腕の中に飛び込むように降りてきたスカイハイは、尻尾があればぱたぱたぱたぱたずーっと振っているようなご機嫌な気配である。やがて、意思疎通がしにくいと気が付いたのだろう。片手でよいしょよいしょと苦労しながらヘッドマスクを取ったキースは、にこにこ笑いながらイワンの胸にじゃれついてくる。
「イワンくん!」
「はいはいはい。どうしました? 飛び回って良いんですか? 出動まで時間がある訳じゃないんですから、落ち着いて待っていてくださいって言われたりしなかったんですか?」
「イワンくんに会えたら落ち着くんだが、と言ったら分かりました行ってらっしゃい、と送り出してくれたよ?」
なんにも悪いことしてないよ、とばかりきょとんと首を傾げるキースの頭を無言でわしゃわしゃ撫でてやりながら、イワンはポセイドンラインのトランスポーターがある方へ視線を流した。まあ、彼らが良いと言ったのであれば、調整や打ち合わせも終わっているのだろう。全く、と息を吐いてイワンは言う。
「すぐ、会えるのに」
『アポロンメディアより皆様へ。タイガー&バーナビーの準備が整いました。状態は最高! いつでも行けます』
「会えても、君は私を放っておいて、バーナビーくんの所に行ってしまうかも知れないし」
刻一刻とその時が迫っている。各社の報告が大音量で飛び交う中での会話はどこかゆっくり、優しく繋がって行く。
「だって、あんなに寝不足で……。でも、寝てたから体調は回復したみたいですね。よかった」
「私だって……イワンくんの膝枕でお昼寝してみたい……」
「普通に硬い男の太股なので、女の子みたいにぷにぷにしてるみたいな夢を見ないでくだされば、そうですね……帰ったらやってあげますよ」
本当かいっ、ときらきらした目で見つめられて、イワンは仕方がなく頷いた。まあ、今からの戦闘で特に重要な役目を担うスカイハイに対する、ご褒美のようなものだろう。頑張れそうだよ、と笑うキースに、イワンはそっと身を屈めた。ざざ、と独特の音を立てながら飛び交う音声が、耳の奥で響く。
『こちらオデュッセウスコミュニケーション。ドラゴンキッドの準備が整いました』
『ヘリオスエナジー。ファイアーエンブレムの準備、完了致しました。……で、どこに集合でしたっけ? ジャスティスタワー前で? とりあえず全員?』
『タワー前に全員集合って聞いてるけど? タイタンインダストリーはブルーローズを送り出す準備ができました。ヘリペリデスファイナンス? コールは?』
唇を離して、額を重ねてくすくすと笑いあう。足元からまだですーっ、とほぼ泣いている声が響くのを聞く分に、まだまだイワンは呼ばれないらしい。そんなことだろうと思った、と各社が穏やかに生温く遅延を諦めてくれるのに申し訳なく思いながら、イワンは各社トランスポーターから出てくるヒーローたちを見て、首を傾げた。ジャスティスタワー前だと言っていた筈なのに、なんで皆でヘリペリデスファイナンスのトランスポーターを目指しているのか。イワンは身を乗り出して口元に手をあて、こっちじゃないですよー、と言った。
「集合場所! タワー前だそうです! 逆、逆!」
「知ってるー!」
ぴょこん、と元気よく飛び跳ねて声をあげたドラゴンキッドが、トランスポーターの上に乗っているイワンとスカイハイに手を振った。
「でも、まだ時間あるんでしょー? イワンさんなんて着替えてもいないしさー! 遊びに来たんだ、ボク」
乗せて乗せてーっとぴょこぴょこ飛び跳ねるドラゴンキッドにお安い御用さと笑い、スカイハイの風が少女の体を浮かび上がらせた。トン、と音を立ててトランスポーターの上に着地したドラゴンキッドは、高いすごいとはしゃぎつつ、ブルーローズに向かって手を振った。満面の笑みだった。
「カリーナもあげてもらいなよ。気持ちいいよー!」
「私は別に乗りたっ、きゃあぁ!」
「はい、暴れないでくださいね? カリーナ」
後ろからひょいとブルーローズを抱き上げたバーナビーが、身軽く跳躍してトランスポーターへ着地する。能力を発動してもいないのにそこまで飛びあがれるのは、元々の身体能力をスーツがかなり補助しているからだろう。イワンのものにも能力補助効果はついているが、アポロンメディアの技術は、やはり群を抜いている。お姫さま抱っこからそーっと降ろされたブルーローズは、真っ赤な顔をして乗りたくないって言おうとしたのに、と文句を言っているが、バーナビーは乗りたいって言おうとしたのかと思いましたとしれっとしているので、このままだとまた仲良く喧嘩を始めそうだった。二人とも、あれはあれで飽きないよねぇ、とのんびりドラゴンキッドが見守る中、よじよじと自力でのぼって来たワイルドタイガーが、やや疲れた様子で溜息をつく。
「バニー……。喧嘩すんじゃないっての」
「喧嘩? してませんよ」
「一応喧嘩じゃないのよ、たぶん。……ありがと、タイガー」
つまるところ、これもバーナビーとブルーローズのコミュニケーションの一環であるらしい。若いコよく分からない、とワイルドタイガーが遠くを眺めるのに、遅れてやってきたファイアーエンブレムとロックバイソンが、顔を見合わせて肩を竦めた。二人はさすがに登るつもりもないのか、思い思いに身を寄せ合って時間を過ごす仲間たちのことを見つめていた。やがてばたばたと慌ただしい足音を立てて飛び出して来たキリサトが、すぐ傍に立っていたファイアーエンブレムとロックバイソンにぎょっとした顔つきをして、勢いよくトランスポーターの上を振り返った。苦笑しながら、イワンは手を振る。キリサトはちょっとぉっ、と叫び、ヒーローたちを指差した。
「なんで皆して乗ってるんですかーっ!」
「だって、イワンくんがいたから」
「うん。スカイハイとイワンがいたから」
乗っていいのかなぁ、と思って。声を合わせて素直に白状したスカイハイとドラゴンキッドに、技術者はそんな訳があってたまるか、という表情になってぐらりと眩暈を感じ、そのまま場にしゃがみこむと、深く息を吐きだした。
「……イワンくん」
「はい」
「降りて来てください。準備しますよー……その間に他のヒーローは屋根から降りているように! さもないと、他の事業部に言いつけますからねっ?」
言いつけるもなにも、彼らの姿が見える距離に、それぞれの保護者たる事業部の技術者や責任者はいるのだが。ヒーローたちは逆らわずはーい、と言って、飛び降りるイワンを見送った。空の色が濃くなってきた。そろそろ、夜が訪れる。
ヒーローTVのエンディングテーマとして、ブルーローズが歌う為のトランスポーター改造特設ステージが、夕闇の中、きらびやかな光を浴びて注目を集める。静寂の中、進み出たのはブルーローズではなく、白衣を来た数人の技術者だった。白衣の襟にはオデュッセウスコミュニケーションの文字が刺繍され、ドラゴンキッドのヒーローグッツとして発売された腕章を揃いで付けているから、正体はとても分かりやすい。ステージを最前列で見つめる特等席から、自社のヒーローに頑張ってー、と声をかけられた技術者たちはそれは幸せそうに笑みを浮かべ、ひとつしかないマイクを争うようにして持った。カチ、とスイッチをオンにしたのは、責任者らしき壮年の男である。男は静かに息を吸い込み、まず、と居並ぶ各社の技術者とヒーローたちに向かって、ことの次第を説明してくれた。
「現在から遡って八時間前。再び、大規模なクライム・ハッキングが七大企業の各ヒーロー事業部に対して行われた。二時間の攻防戦の末、防衛に成功。同時に、仕掛けた相手の現在位置の特定に成功した。その位置とは、ジャスティスタワーの女神像内部である。繰り返す、我らの敵の現在位置はジャスティスタワー女神像内部! 特定から現在に至るまで、それらしき人影は確認できていないが、恐らく内部に留まっていると思われる。確実にそこに誰かいるという根拠については……あー、ヘリオスエナジー?」
「い、いきなり呼ばんでくださいな!」
ここからは担当違うから説明できない、とばかり水を向けられて、ピンク色の白衣を着た男性が舞台の端から中央へ走ってくる。襟ではなく、彼らは背中の布一面を使って派手にクロノスエナジーのロゴをプリントし、所属会社を主張していた。
「説明変わりまして、ヘリオスエナジー所属、ハリー・デイライトがマイクお借りしますー。ファイアーエンブレム、どうかお怪我なさらず帰ってきてくださいね!」
「説・明・しろ」
「おっさんうるさいわー。こんな口うるさそうなおっさんいたら毎日大変やわー。キッドちゃんも応援して欲しかったよなぁ? え? ああ、いらんの? そうなん? へー……で、え、なんの説明すりゃええのん? あ、内部残留説の根拠? それならそうと、言ってくれないと。え? 言った? 聞こえんかったん、仕方ないですなー?」
我慢できなかったのだろう。壮年の男がハリーの頭を平手で叩くと、痛いですわぁっ、と即座に声が上がる。
「ちょぉ、なにしますのんっ? え? いいから説明? ああ、はいはい、しますから叩かんといて! もー、もぉー……えー、内部残留が確実だとしてもらったんは、大規模工場の夜間事故防止用で使ってるサーモグラフィーのシステムもってきて、ヘリ飛ばして上空から女神像部分を一時間に一回スキャンして確認してたんですわ。熱源ようさんありまして、まあ間違いなく秘密基地というか、機械が詰め込まれた要塞みたいな場所ですわ。よぉ作りましたなぁ……。で、ま、そん中に一人分だけ、人の形したんがおりまして、それがまあちょこまか動き回りまして。不安なんでしょうなぁ、そうですよなあ。こんだけ回り取り囲まれてんのに、外との連絡はぜーんぶ遮断されてどっことも連絡つかないんですもん。オデュッセウスさん敵に回しとうないわー。怖いなー。えー、そんで、ハッキング終了から今まで通信自体は封鎖できたんですけど、エネルギー供給の遮断が上手いことできへんかったんですな。ジャスティスタワーに対する電気、ガス、水道、ぜーんぶ今止めさして頂いたんですけど、内部装置もあるみたいやね。要塞やわー、困ったことに籠城しておるわー。そんな感じでよろし?」
「ポセイドンラインがモノレール軌道上からも運転手に目視監視して貰っていたが、やはり同じく人影は確認できず、中に留まっているものと思われる。ハリー、お前はもういい」
しっし、と手で追いやられるのに傷ついた顔をしながら、ハリーは壮年の男にべー、と舌を出したのち身を翻し、素早い動きで同じ白衣を着た集団へ戻って行った。あいつ、あとで、殴る、と言いたげな顔つきで口元を引くつかせ、司会進行を任されているオデュッセウスコミュニケーションヒーロー事業部最高責任者は、わざとらしい咳き込みの後、息を吸いこんだ。
「そもそも、このたび合同展開と相成ったのは、先日の戦闘用アンドロイドとの市街戦闘があってのことであり、我々ヒーロー事業部を持つ企業とヒーローTVに対し、明確な攻撃の意思を持つハッキングを受けてのことである。だが、知っての通り、ヒーローは基本的に、攻撃する権利を持たない。彼らは防衛の為に力の行使を許可されているのであり、積極的な攻撃は犯人の確保や市民の安全の為、防衛の為の攻撃と限られている。つまり、だ。そこに悪の拠点があろうと、彼らは手出しされ被弾するその瞬間まで、NEXT能力の発現を法的に規制されているのだ。……だが、この件においてのみ司法局は我々の味方である。ヒーロー管理官は頭の上に拠点があったことにかなりお怒りの様子であった。要約すると、人身事故を起こさない限りは大体なにをしても最高の弁護を約束してあげますから叩きつぶしてきなさい、とのおおせである」
低く、うねるような声でタナトスの声を聞かせる必要がありそうだな、と聞こえた気もしたが、壮年の男はそれを口にすることはしなかった。大事なのはヒーロー管理官がこちらの味方をしてくれたという事実のみである。あの仮面怖いダークヒーローの中身が誰、というのは置いておくべきだった。
「さて、作戦内容を発表する……前に、アポロンメディア?」
「……身内の恥を暴露するようで大変恐縮です胃が痛い」
溜息をつきながらも背を伸ばし、顔をあげて凛とした足取りでステージに歩み出たのは、バーナビー失踪のおり、虎徹の傍でバディを探しに行かないか監視していた青年だった。アポロンメディアTチームの腕章を今日もしっかりとつけた青年は、壮年の男から恭しい仕草でマイクを受け取ると、居並ぶ技術者、そしてヒーローたちに向かって潔く一度、頭を下げた。
「もうご存じのことかと思いますが……弊社CEO、アルバート・マーベリックと、このジャスティスタワー上部に潜伏しているであろう犯人との間に接触が取られていた事実を確認しました。犯人の名は、ロトワング。……私は、その名を知っています。お集まりの皆さまも、知る者は多いでしょう。ミスター・ロトワングです。アンドロイド工学の……天才と呼ばれながら、あのバーナビー夫妻殺害事件の後、忽然と姿を消していた彼が……今回の、戦闘用アンドロイド事件の、首謀者で……恐らく、クライム・ハッキングを仕掛けてきたのも彼か、彼の組みあげたプログラムでしょう。アポロンメディアは、タイガー&バーナビーのスーツを作り上げるにあたって、バーナビー夫妻と親交の深かったマーベリック氏から、夫妻が研究されていたアンドロイドの強化データ、プログラム、設計、理論……諸々、一切を譲り受けました。夫妻の研究や成果は、死後、不自然な形で焼失していたことはご存じの通りです。そのコピーが親友であったにせよ、マーベリック氏の手元で完全な形で保存されていたことに、私たちはもっと早く、おかしいと思うべきでした」
一度、大きく息を吐きだして。呼吸を、体の隅々にまで行き渡らせるように、大きく、おおきく吸い込んで。青年は言う。
「一番悔しいのは、タイガー&バーナビーのデータが、戦闘用アンドロイドの製造に流用されていたという事実です。ブルックス夫妻の基礎に、アポロンメディアの技術が応用されて戦闘用アンドロイドが作られてしまった。……人を、傷つける、ロボット。僕たちが……どれほど……」
息を、つまらせて。歯を食いしばって涙を耐える青年を、誰もが静かに見守った。すみません、と何度が口にして気持ちを落ち着かせ、青年はそこにいない誰かを睨みつけるように、強い眼差しで顔をあげて、言う。
「ワイルドタイガー!」
「お、おおっ?」
突然の名差しに、ワイルドタイガーが直立不動の体勢になる。なにを言われるのかと怖々待っていると、癇癪を起したこどものような声が、暮れゆく街の空気を震わせた。
「全部壊してください! 全部、全部、全部っ! なにひとつ残さず! そりゃ一体くらい今後の技術の発展の為に必要かなって思いますけど! 僕は、そんな技術、絶対っ……!」
いらない、と言おうとしたのだろう。息を吸い込んだ唇を、後ろから塞ぐ手さえ伸びてこなければ。あ、と目を見開いた青年が、マイクを離して振り返る。え、と言ったのはバーナビーと同時だった。そこに立っていた女性の名を、呼ぶ。
「リサ! 君、自宅謹慎がとけてないんじゃ……!」
「私の夫が精神的に追いつめられてるので来てください、ってキリサトちゃんに呼ばれたのよ。まったく。良いかしら? それが例えどんな技術でも、どんな存在でも、良いとか悪いとか、決めていくのは使うひとよ。……無くしてしまいたい気持ちは分かるけれど、目を反らしてなかったことにしてしまったら、そこから得られるものも、救えるものも、消えてしまう」
リサ・パタースン。バーナビーを連れて消えた責任を取って謹慎処分になっていた女性は、しょんぼりする青年の肩を優しく叩き、マイクを受け取って微笑みを浮かべる。
「失礼しました。……後は頼んでいいかしら? マックス?」
「了解。……大丈夫なのか、リサ。出てきて」
「これからロトワング博士共々、自社のCEOを捕まえようっていう時になにか大丈夫でなにが大丈夫じゃないのかは分からないけれど……ロイズ総合部長には一応、連絡だけしてあるし、クビになったら彼に養ってもらうか、どこかの事業部に再就職させて貰うわ? クロノスフーズのリサになるかもね」
旧知の技術者にマイクを受け渡し、女性は笑いながらそう言った。クロノスフーズの技術責任者は苦笑いして、お前にロックバイソンの整備士は似合わないよ、と告げ、ヒーローたちを振り返る。しっかりとした生地のツナギが、誇らしげだった。
「各部隊、気を引き締めて作業にあたれ」
応、と一斉に声が上がった。見上げた先にそびえる女神像に向かって突き出された拳たちは、たった一つの意思を掴みたがるよう、かたく握り締められている。よし、と深く頷き、屈強な男は張り詰めた意思を感じさせる声で、言い放った。
「これより、ジャスティスタワー潜入チームは、あらかじめの作戦通りに行動するように。安心しろ! 俺たちの技術は負けん! 絶対にだ!」
あのジェイクにすら砕けなかったロックバイソンのスーツ性能が、たかが戦闘用アンドロイドに負けてなるものか、と男は叫んだ。真新しい、この為だけに作りあげたツナギで胸を張って、命を預けろ、と男は言う。
「ヒーローは俺たちの命綱だ! 各自、肝に銘じて行動しろよ! それでは解散! 各母体からの通信と、チーム担当ヒーローの指示に従って動くように!」
足踏みと、それに応じるおたけびに大地が一瞬揺れ動き、風が上へ突き抜けて行ったかのよう、空気がびりびりと振動する。それを背中で受け止めたヒーローたちは思わず顔を見合わせて、なんとなく泣きたいような嬉しい気持ちで、ただ笑みを交わし合った。行ってきます、気をつけてね、と声を交わし合い、ヒーローたちの元へ駆け寄って行くのは、特殊な製法でロックバイソンにスーツ性能を転用して作った、作業用ツナギを着た者たちだった。男も女も、若いものも年かさの者もいる。彼らとは逆に、トランスポーターへ駆け戻って行く者たちは白衣の裾をひらめかせる、サポートチームだった。現場の潜入チームとサポートチームがすれ違って行くたび、ぱん、と手を合わせて互いの無事と成功を祈っている。拍手のように、ヒーローの耳に優しく響く音だった。いいなぁ、と苦笑するブルーローズは、ふと傍らでずっと沈黙している折紙サイクロンに視線を向け、そっと首を傾げてみせた。そういえば交通規制の為に六割以上の技術者が出払っているポセイドンラインとは違い、ヘリペリデスファイナンスはほぼ全員が現場にいる筈である。それなのに挨拶に現れなかったのは、他になにか用事でもあるのだろうか。ぎこちない動きで沈黙を続けている折紙サイクロンになんとなく声もかけにくく、ブルーローズは集まってきた担当チームに呼ばれ、その場を離れていく。
各社技術者混合で編成された潜入チームの役割は、現行犯での逮捕権しかもたないヒーローに変わり、ロトワングがその姿を現す瞬間まで、彼らのサポートをすることである。戦闘用アンドロイドが市民に直接的な被害を与えるようであればヒーローにも積極的な戦闘が可能なのだが、周辺の市民はすでに避難させてある。彼らに変わって『被害を受けそうになってヒーローに守ってもらう』為、そしてアンドロイド破壊、あるいは解体の為に彼らは行くのだ。ブルーローズにはなにに使うのかすらよく分からない工具を腰から下げたポケットに詰めた技術者たちに笑って、ブルーローズは安心していて、と告げる。
「絶対、守ってみせるから!」
「ありがとうな。俺たちも、盛大な解体ショー見せてやるよ」
ロックバイソンのスーツを、どうしても切って壊さなければいけない時にだけ使う特殊な強化エアニッパーを持つクロノスフーズの男は、戦闘用アンドロイドを壊す気満々のようだった。他社の技術者も、それぞれ遠隔通信の電波を遮断する機械や、サーモグラフィーのリアルタイム計測装置などを持ちこむようで、それぞれが急づくりのものであるのか、配線や回路が剥き出しの状態である。それこそ、解体される寸前の時限爆弾のような見かけだが、ブルーローズはそれを怖いとは思わなかった。うん、と頷く。よろしくね、と言った瞬間、上から風が降るように空気が振動した。能力を生かし、何回かに分けてスカイハイが自身の担当チームと、同じく上からの突入に振り分けられたファイアーエンブレムやバーナビーを連れて行くのは知っていたから、ブルーローズは忍び寄る緊張感に鼓動の数を増やしつつ、視線を上へと持ち上げた。そして、思い切り眉を寄せる。
「……え?」
一度にスカイハイが連れて飛べる人数には制限がある。それをブルーローズはちゃんと知っている。知っているのだけれども。人形を抱くように背中から脇の下に手を入れて、ぎゅっと抱きしめるように折紙サイクロンを連れていく必要は、たぶんない筈だ。背負われるように背中にくっついて一緒にのぼっているバーナビーの表情は分からないが、絶対に乾いた笑顔だろう。先にヒーローをあげて、その次に技術者を、という段取りも覚えているが、それにしても、しかし。なんとも言えない気持ちで、他の地上突入組と合流する為に移動していくブルーローズは、そういえば折紙サイクロンが無抵抗なのに気が付いて、いぶかしくもう一度上空を見つめた。もしかして、体調でも悪いのだろうか。アイツ、いざっていう時に駄目なことあるからなぁ、と心配のあまりぶつぶつ文句を言いながらロックバイソンとドラゴンキッド、ワイルドタイガーと合流して、ブルーローズは憂鬱な溜息をついた。ジャスティスタワーは高層ビルである。ここを、一階ずつ上にのぼって、各フロアの安全を確認しながら頂上を目指さなければいけないのかと思うと、やや気が遠くなった。四人でワンフロアずつ確認していくので、階数割ることの四の手間で済むことは確かなのだが。移動する時にエレベーター使っていい、と首を傾げるブルーローズに、技術者たちは厳かに頷いた。辿りつく前に、体力が尽きそうだったからである。微妙なローテンションでジャスティスタワーの正面玄関へ消えた突入部隊とヒーローズを見送って、リサ・パタースンは唇に指先を押し当て、そっと微笑した。
「……さて」
呟き、くるりと振り返る。
「私たちも、そろそろ行きましょう」
ツナギの潜入チーム、白衣のサポートチームとは違い、そこに集っていたのはスーツを着用しサングラスをかけた二十人ほどの集団だった。半数がアポロンメディア、もう半数がヘリペリデスファイナンスの人間だが、そこにもキリサトの姿はない。少女は今頃、自社のトランスポーターで一人きり、すでに戦いをはじめている筈だった。ジャスティスタワーはまだ沈黙したきり、戦いの火ぶたは落とされていない。それが十秒でも二十秒でも遅くなるようにと祈りながら、リサはサングラスを取り出してかけ、移動用の大型車へ駆け寄った。トランスポーターでの移動はできない。それはタイガー&バーナビーの為、ここへ残して行かなければならないものだからだ。車に乗り込んだ瞬間、どん、と爆発の音が響く。繋いだ通信が上空突入部隊の状況を告げ、戦闘用アンドロイドと遭遇したことを告げた。やっべええええ本当に攻撃してきたなんだこれーっ、とテンションが明後日の方向に振り切れた技術者たちの叫びが、冷静に能力を発動させて攻撃と防御に転じたヒーローたちの奏でる音の間から響いてくる。思わず、リサは通信に向かって叫んでいた。
「……頼みましたからね!」
『了解! こっちは任せて、行ってらっしゃい! 突入Sチームから各部隊へ! 写真と動画で映像送るから! 素材とか弱点とか色々よっろしく!』
トランスポーターに向かって一斉に情報が送信されていく。サポートチームが瞬時に解析に移り、様々な声が通信に飛び交った。一体壊すのに大体二十分くらいかかるかな、と暢気に笑いながら告げられるのに苦笑して、リサは気持ちを切り替え、車のエンジンを入れた。一気に限界まで踏み抜いたアクセルに従い、車が急加速で夜の街を走って行く。目指すのはアポロンメディア。目標は、そこにいるであろうアルバート・マーベリックの確保だった。どん、と爆発音が空気を揺らす。振り返らず、リサと黒服のチームはアポロンメディアを目指した。