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 女神像に辿りつく屋上部分へ出るまで残り三フロアを残した所で、地上から駆けあがっていた部隊もアンドロイドと遭遇した。それまで下に降りてこなかったのは上空突入部隊が食い止めていたからであり、単にそこまで接近されていなかったからに違いない。ジャスティスタワーに足を踏み入れてからずっと、各フロアにある監視カメラの全てに不自然に追いかけられていたことを知っていたから、ヒーローたちも技術者たちも、誰も動揺などしなかった。サポートチームと繋がりっぱなしのイヤホンマイクにアンドロイドとの遭遇を告げると、向こうから返ってきたのはなぜか歓声で、ブルーローズはぐったりとした。喜ばないで欲しい。これまで、異常なし、しか報告が受けられず、地上のサポートチームが暇をもてあまし気味だったのは十分に分かるのだが。戦闘用アンドロイドは、バーナビーの姿をしていた。正確に表すのなら、バーナビーのヒーロースーツの基調を黒に塗り替え、全体的に黒っぽい色合いに落ち着かせた姿をしていた。情報によると黒いワイルドタイガーの姿も確認されているというので、戦闘用アンドロイドは須く、タイガー&バーナビーの姿を模して作られているようだった。ぎり、と歯ぎしりの音がすぐ近くからする。はっとして目を向ければ、じりじりと距離を縮めてくる黒いバーナビーを睨みながら、アポロンメディア所属の技術者が呼吸を整えていた。ヒーロー立ちにしてみても同じことだが、彼らにとってはまさしく悪夢だろう。その姿はまさに、彼らの技術そのものが流され、悪用された事実を示している。地上サポートチームにも、映像が届いたのだろう。しんと静まり返った空気のどこからか、しゃくりあげるような涙の気配が、それぞれの耳に届けられた。
「……私の」
 怒りが、悔しさが、苦しみが、通信越しに伝わった。言葉はなにより自然に口を零れ、叩きつけられる。
「私の氷はちょっぴりコールド」
「っ……ブルーローズ?」
「あなたの悪事を、完全ホールド!」
 許さない、許さない、許せない。そんな想いで本当は、力を使ってはいけないのに。叫びと共に夥しい量の氷を瞬時に出現させ、ブルーローズは現れた一体をその中に完全に閉じ込めてしまう。意識集中の僅かな時間すらない、ただただ衝動的な発現に、能力の激しさに、意識がついて行かなかった。ぐら、と意識を白く掠れさせて貧血のように苦しく倒れかけたブルーローズの体を、ワイルドタイガーの腕が支える。
「……大丈夫か」
「アンタ、こそ!」
 ぜいぜいと、喉が嫌な呼吸音を立てる。意識が感情と、荒れ狂う能力の制御に悲鳴をあげて揺れていた。抱きとめてくれる恋しい腕にちっともときめけない状況にも悔しくなりながら、ブルーローズは握りこぶしで男の胸を何度か叩く。
「アンタのもあるのよっ? あれ、アンタのもあるの! ワイルドタイガー!」
「あー……あー、うん。落ち着け、落ち着けな」
「落ち着けない! ぜんっぜん、落ち着けない……! や、やだこれ、なにこれ……なによこれ、ひどい! ひどい、ひどい、ひどい、ひどい、ひどいっ……ひどい! ひどいっ!」
 口元に両手を押し当てて、目をいっぱいに見開いて、ドラゴンキッドがその場にしゃがみこんでしまうのが見えた。ロックバイソンのたくましい腕が少女を抱き上げ、強く抱きついてくる背中を、ぽんぽんと優しく叩いて慰めている。ドラゴンキッドはゆるく左右に首を振り、感情の制御ができないというように、周囲に淡く放電してしまっていた。
「ひどい……ひどいよ」
「うん、そうだな。ありがとな。……ありがとうな」
「知ってるから! 私、タイガーとバーナビーが、どんなにヒーロー馬鹿かって、ちゃんと知ってるから! アポロンメディアが、どんなにアンタたちを好きで、守ろうとして、頑張ってるかも知ってるから! 知ってるんだからっ……!」
 悔しい、と。そう告げて泣きだしてしまった少女を引き寄せ、抱きしめて、ワイルドタイガーは天井を仰ぎ、大きく息を吐きだした。いきなり全力で能力を開放した時はどうしたのかと思ったが、理由は本当に少女らしいもので、胸が熱くなる。バニー、とスーツの内部通信機能を使って呼びかければ、バディは一連の騒ぎをちゃんと聞き届けていたのだろう。はい、と苦笑しながら、嬉しそうな泣きそうな穏やかな優しい声で返事をして、嬉しいです、と噛み締めるように呟いた。こっちも最初は我慢していたみたいなんですが、途中からずっとスカイハイさんとファイアーエンブレムさんが全開出力で、さっき技術部にいったん能力発動を止められていた所なんです、と続けていく。
『先輩は、なんかずっと見切れてますが』
「……おい、やる気出せよ……まあ、折紙はなー。能力が戦闘向きじゃねぇから、仕方ないのか」
『というか、これは……。まあ、いいです。もう三フロアで合流でしょう? 待ってますから、早く来てくださいね』
 そろそろロトワングが出て来そうな気がします、セオリー的に、とまったくあてにならないことを言って、バーナビーは最後にブルーローズを呼んだ。涙を乱暴な仕草で拭って顔をあげたブルーローズは、なによ、と勇ましい声で問い返す。くすくす、と笑って、バーナビーは囁いた。
『僕は大丈夫ですよ。でも、ありがとう』
「……どういたしまして」
『パオリンも、ありがとう。……ありがとう、守ろうとしてくれて。本当に、嬉しいです』
 涙を拭って顔をあげて。パオリンはうん、と頷いた。もう大丈夫だよ、ごめんね、と囁いてロックバイソンの腕の中から飛び降りた少女は、足早に上のフロアを目指そうとする。その背に咎める声をかけることをせず、ワイルドタイガーはブルーローズの手を引き、その後を追いかけた。制御できない感情に震える少女の手を、痛むと分かっていて強く握り締める。涙の膜を張った瞳が不思議そうに見上げるのに、ワイルドタイガーは言葉短く、悪いな、と言った。駆け抜けていく、その足を止めずに。ブルーローズはううん、と誇り高く息を吸い込む。
「いいの、だって……仲間だもん」
「そうだな」
「うん。……うん」
 ぽろ、と新しい涙が頬を伝わって行くのに気がついただろうに、ワイルドタイガーはなにも言わず、ブルーローズの手を引いて走ってくれた。周囲の技術者たちも温かく見て見ぬふりをするだけで、しゃくりあげる少女を優しく一人にしてくれる。悲しいんじゃないのよ、とカリーナは思った。すこしだけ切ないけど、でも嬉しい。ずっと、一人で走って行くようなひとだと思っていた。隣に立てるのは、バーナビーだけのような気がしていた。それなのに、今手を引かれて走っている。仲間だと、認めてくれたことが嬉しい。同じ場所に、ようやく立てたような、そんな気がして。唇を、ひらく。そっと、そっと、言葉を紡いだ。世界で一番やさしく、その名前を呼んだ。
「タイガー……」
「ん?」
「好き。……バーナビーのことも、私、大好き」
 告げたくて、言いたくて、たまらなかった言葉が開放されて胸に満ちていく。ぎゅっと手を繋げば笑って、ワイルドタイガーはありがとうな、と言った。言葉の意味が、ちゃんと通じているかは分からないけれど。うん、と頷いてカリーナは笑った。あと三フロア。決選の場所に辿りつくまで、それまで、手を繋いでいて。それからちゃんと、この恋を終わりにしよう。



 ヒーローたちはアンドロイドたちの戦いを潜り抜け、ジャスティスタワーの女神像前で合流を果たしたようだった。技術者たちも顔を見合わせ、ほっとした様子で肩の力を抜いているのが見える。執務室でひとり、マーベリックはその様子を眺めていた。窓からは夜景きらめくシュテルンビルトの街並みと、遠くにジャスティスタワーが確認できるが、そちらの方向を向こうとは思えない。机に設置したモニターに食い入るように視線を向けて、悔しげに息をひとつ、飲み込んだ。正確な数は分からないが、ロトワングの手元に残るアンドロイドは、もう片手の数程もないだろう。女神像の中に未だ潜伏しているようだったが、見る間にヒーローたちが入り口をこじ開けて中に入って行く。手を伸ばして映像を切り替えれば、ヒーローたちが警戒しつつも、奥へ奥へと進んで行くのが見て取れた。不意に、画面いっぱいに映し出された折紙サイクロンに眉を寄せ、マーベリックはまた映像を切り替えていく。どうして現在、映像を繋いでいるカメラが分かるのかは知らないが、こうして時折見切れヒーローは観察の邪魔をして、マーベリックをひどく苛立たせた。ロトワングが捕らえられるのは、もう時間の問題だろう。映像を眺めながら深く椅子に背を預け、マーベリックは疲れた息を吐きだした。どうしてこうなってしまったのか、ぼんやりと思考を巡らせる。画面では戦闘用アンドロイドがまた一人、ヒーローに動きを止められている間、技術者たちの手によって動かぬ機械へと変えられていた。アンドロイドは精密機械である。遠隔操作はオデュッセウスコミュニケーションによる電波妨害で上手く届かず、ハンドレットパワーにも耐える外殻はクロノスフーズの手によって破壊され、エネルギーの核となる部分はヘリオスエナジーによって見抜かれ、アポロンメディアやポセイドンラインの機械作業に長けた者たちが整備の為の道具を駆使し、配線を物理的に遮断して動かなくしてしまう。
 彼らの手は鮮やかだった。時にヒーローの攻撃によって破壊されもしたが、アンドロイドのほとんどはヒーローの助力を得た技術者たちの働きによって無力化されていく。ロトワングはアンドロイドの敵として、ひたすらNEXT能力を持つヒーローだけを想定してきた。その結果が、これである。ヒーローたちの手がついに、最後の扉へと伸びていく。その瞬間、執務室の扉がノックされて、マーベリックは立ち上がった。脱出の為の手筈は、既に整えてある。やり直せばいいだけだ。何度でも、何度でも、諦めず、成功するまで繰り返せばいい。ウロボロスの手が、マーベリックの行方を隠してくれるだろう。今行く、と答え、マーベリックはモニターの電源をオフにしようとした。次の瞬間音高く、荒々しく、扉が開かれた。
「その必要はありませんわ、CEO」
「……リサ・パタースン。君かね」
「どなたの迎えをお待ちだったのか、今はお聞きしません。ただ……アルバート・マーベリック。あなたに、犯罪組織ウロボロスとの繋がりがあるという疑いと、戦闘用アンドロイドの所持、研究協力の疑いがもたれています。疑いというか、すでに証拠は上がっていますけれど……詳しくは、警察が調べてくれるでしょう。できることなら、自首を勧めに参りました」
 マーベリックの手元だけを照らすルームランプの灯りの中、視界が悪いだろうに、リサはサングラスを外そうとはしなかった。油断なくマーベリックの手元を見つめ、全身を緊張にみなぎらせて、その瞬間が来ることを警戒している。
「お願いします、どうか……自首を。バーナビーの為にも」
「君に、なにができると言うのかね?」
 小娘一人、記憶を失わせて逃れることなど、マーベリックには容易いことだった。椅子から立ち上がり、距離をじりじりと近くしていく。その全身が青白く光り、てのひらに真っ白なゆらめきが現れる。サングラスごし、目を細めてNEXT能力の発動を見守って、リサはゆっくり、唇を開いた。
「……記憶操作には、いくつかの可能性が考えられました」
 悲しげに、そっと、囁かれる声だった。訝しく歩みを止めるマーベリックをまっすぐに見つめ、女性の声が囁いていく。
「それがNEXT能力である場合、一番やっかいなのは光触媒ですが、これは他の能力でもそうであるように、サングラスなどの防衛がある程度有効です。完全に防げなくとも、タイムラグが生まれます。その間にどうにかしてしまえばいい。次に可能性があったのが接触型。触れる、という行為で記憶を書きかえるタイプ。これが単なる上書き保存なのか、別の映像をすりこんで元の記憶に繋がらなくするか、あるいはシナプスを切ってしまうのか……バーナビーさんの精密検査で判明したのは、恐らく、記憶のすり替えタイプだということです。やっかいですが、ある程度の条件を満たせば記憶改ざんを打ち破れる可能性があったのも、このタイプだった。知らせを聞いた時、だから本当に嬉しくて……安心しました。サングラスは必要ありませんね。これで視界が楽になる。そして……」
 残念ながら、と呟く女性の体が青白い光に包まれ、輪郭を崩す。一瞬の後、そこに立っていたのは銀髪の青年だった。
「ここにいるのは、警察から委任され、犯罪者の確保権を持つ現役のヒーローです。……触れられる訳がない」
「き……貴様、どうして!」
「敵を騙すにはまず味方から。そう、昔から言うでしょう?」
 すっと持ちあがったてのひらで、指がパチンと音を立てる。それを合図になだれ込んで来た黒服の集団は、それぞれに苦しげな顔をしてマーベリックに殺到し、腕をねじり上げて肩を押し、床に腹ばいに倒して拘束してしまった。それら全員の顔と名前が一致せずとも、数名は分かる者がいたのだろう。彼らはアポロンメディアの技術者である。彼らを説得して自首を促したのはシナリオにないイワンの願いだったが、それも無駄になってしまったことが、苦しい。溜息をつきながら歩み出て、イワンはアンダースーツ姿でしゃがみこみ、マーベリックと視線を合わせた。ゆっくりと、囁くように言う。
「本物のリサさんは、キリサトさんと一緒に、折紙サイクロンの遠隔操作プログラムを動かしてくれています。……あなたが、リサさんを自宅謹慎にしてくれたおかげで、打ち合わせの時間が十分取れたと、キリサトさんが喜んでいました」
 映像が繋がったままのモニターから、わっと歓声が流れ込んでくる。外で待機してくれていた警察に連絡を繋げ、安全が確保されたので突入して逮捕してください、と言いながら、イワンは部屋を横断し、机に設置されたモニターを覗き込む。向こうも、ちょうど終わったようだった。タイガー&バーナビーの手に寄って完全に動きを封じられたロトワングを、他のヒーローたちが取り囲んでいる。終わった、やった、と歓声をあげながらスパナやドライバーなどをぽんぽん上に頬りあげている技術者たちは、それが卒業式に空へ投げる帽子の代わりのつもりなのだろう。音を低く設定し、繋げていたイヤホンマイクの向こうからも悲喜こもごもの溜息と、ぐったりとしたキリサトの呻き声が聞こえてくる。
『こちら、ヘリペリデスファイナンスです……。各社には、終了までの協力を深く感謝すると共に、えーっとなんていうか、スカイハイ以外の他のヒーローにないしょにしておいてくれて、ありがとうございました……。でももうこれやんない……え、遠隔操作リアルタイム、む、むり……リサちゃんが手伝ってくれたのに、脳が……頭じゃなくてなんかもう脳がいたいです』
「……どんな技術でも、使い方ひとつで変わって行く」
 ぽつり、呟く言葉に、執務室はしんと静まり返った。室内にいるアポロンメディアの技術者と、そしてイワンは知っている。遠隔操作で動く折紙サイクロンを作る為に使用されたのは、戦闘用アンドロイドとまったく同じ技術であることを。自分で考え、判断して動くようにするか、完全に遠隔操作のリアルタイムで打ちこんで行くプログラムによって動くかの違いしかなく、形を作る材料も、配線も、基本的には同じものを使ったのだ。イワンは息を吸い込んで、到着した警察に引き渡されるマーベリックの背に、祈るように声をかけた。だから、と。
「あなたの正義も……思い描いた理想も、使い方や、形を変えてしまうかも知れないけれど……僕たちが、必ず」
 覚えて、考えて、伝えていく。目を反らして、終わったからとなかったことにはしないで、ちゃんと。そう言ったイワンを僅かに振り返り、マーベリックは笑ったようだった。若さを嘲笑うようにも、自嘲するようにも、それは見えて。安堵したようだったとも、誰かが囁き、ひとつの事件が終わりを迎えた。



 リサ・パタースンの謹慎処分が正式に解除されたのは、事件終結から四日が経過してからのことだった。なにかあって四日もかかったのではない。アポロンメディア内部が混乱しすぎていて、その対応に追われていたのを見るに見かねた本人が、時間が出来たらでいいから後回しにしなさい、と告げたせいだった。それでも、たった四日で復帰してきたのは、ロイズの手腕とリサを求める技術者たちの声あってのものだろう。リサが復帰して最初に取りかかった仕事は、ほぼ無傷の状態で回収された、二体のアンドロイドの解析をすることだった。一体はワイルドタイガー・タイプ。これは上空から突入した部隊が最初に遭遇したアンドロイドで、スカイハイの風が動力へ繋がる回路だけを寸断した為に停止したもので、ひどい損傷もなく、保存状態も良いとのことで残されたものだった。もう一体がバーナビー・タイプ。ブルーローズが激情のままに氷の中に閉じ込めたもので、それを掘り返して回収してきただけであるから、なにも損なわれない状態である。ロトワングの手から設計図は押収したものの、それは警察の手に渡ってしまって技術者たちには触れることも叶わない。研究の為、今後のヒーローの為だと司法局にも協力してもらってごり押ししたおかげで手に入れた二体のアンドロイドを、研究して解析していくことが、アポロンメディアヒーロー技術部の仕事だった。
 よし、と腕まくりをして、リサはアンドロイドに手を伸ばす。触れると、感触はやはりヒーロースーツのそれと酷似していた。眠れるアンドロイドに笑いかけ、リサは大丈夫、と囁いた。
「もう、誰のことも……傷つけなくていいのよ」
 生まれ変わりなさいな、と言って、リサは打ち合わせの為にその部屋を出て行った。アンドロイドの目に、淡く光が灯る。それはちかちかと瞬いて、やがて誰の目にも触れぬまま、その光を消し去ってしまった。

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