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 1 太陽の王 -ソルジャー・シン-

 記憶を手放しなさい、と求められた瞬間、ブルーの心に満ちたのは大人になる憧れと喜びではなく、闇色の恐怖だった。奪われる。消し去られる。十四年間の大切な思い出。十四年間の暖かな記憶。その全てがなくなってしまう。全身がぞろりと悪寒を抱き込み、ブルーは己の体を強く抱きしめた。頭が痛い。気持ち悪くて吐きそうだ。でもそんなものは、無くなってしまう悲しみに比べればほんのささいなことで。
 ブルーは嫌だと呟いて、テラズ・ナンバー5を睨みつけた。呼吸が浅く速く繰り返され、鼓動が耳元で鳴っている。視界が白く染まりそうな感情に翻弄されながら、ブルーはそんなのは嫌だと、呟いた。呟くしかできないのは、圧迫感があまりに強すぎて声が出ないからだ。外側から強制的に染み込んでくる記憶消去の威圧も、確かにある。けれどもっともブルーを苦しめていたのは、内側からのものだ。
 じわりと、なにかが滲み出してくる。それは不快ではないのだけれど、コントロールできなくてただ苦しい。強固な宝箱の鍵が外れかけていて、内側から光が漏れていくようだ。その輝きはどんどん強くなっていて、ブルーの意識を内側から食い破って外に出ようとしている。その光が強くなるたび、記憶消去を命じる気持ち悪い意思が弱くなっていくのを感じるのだけれど。わけが分からなくて、ただただ怖かった。
 この世界に住む者は、一名の例外もなく十四歳で大人になる。大人になる為には成人検査を受けなければいけない。それが常識で、それが絶対だった。ずっとそう教えられてきたし、大人になるということを誇らしく、うれしくも思っていた。けれどブルーは、今気持ちが悪いのだ。成人検査の名のもとに記憶を奪われかけて、それに対して恐怖と強い怒りと、悲しみと苦しみを感じて、喜びなど欠片も見当たらない。
 大人になるとはなんだろう。記憶を消されて上書きされて、どこかへと送られて育てられるのがそうなのだろうか。ならば、それは。そんなことは。嫌だ、とブルーは首を振った。ぱさぱさと嫌に乾いた音を立て、銀色の髪が揺れ動く。その毛先から雫が落ちるように、淡いひかりが空間に現れた。青白いひかり。優しく穏やかに、ブルーを守るように現れていく、それ。数を増やしていくたび、呼吸が楽になっていく。
 テラズ・ナンバー5が動揺と、拒絶を等分にしたような叫びをあげた。許されませんと叫ばれて、ブルーは意味が分からない。なにが許されないのか。なにが、そんなにも叫ぶことなのか。分からないまでも青白い光はブルーの内側から生まれ、零れ落ちて空間を満たしていく。呼吸が楽になった。まばたきすることも、もう抵抗なく普通にできる。微笑んだ瞬間、記憶を手放しなさいっ、と絶叫が響き渡った。
 それにブルーが拒否を叫ぶのと、空間を光が貫くのではどちらが早かったのだろうか。けれど叫びをあげたと同時に、ブルーは満足そうに嬉しそうにクスリと笑う声を聞いた気がしたので、恐らくは閃光が後だったのだ。あまりに鮮烈な光に目がくらみ、まぶたが持ち上げられずに体が揺れる。体が浮かび上がった不思議な空間の中、ぐらりと揺れて倒れこみそうになるブルーを、抱き寄せる腕の感触があった。
 そのままぎゅっと抱きしめられて、肩口に額が触れてくる。耳元で揺れる髪の毛の感触がくすぐったかったが、ブルーは戸惑いよりも安堵を感じて体の力を抜いた。先ほどまでずっと、頭の中で響いていたテラズ・ナンバー5の声がやけに遠い。記憶を手放せ、と繰り返し叫ばれる命令に、抗うことさえ苦痛だったのが嘘のようだ。嫌だ忘れない、と頭をふれば、ブルーを抱き寄せていた人物がくすくすと笑った。
「うん。それでいいよ、ブルー。よく頑張ったね。すこし、遅くなってごめん」
 逆らうのは苦痛でしかなかっただろうに、と優しい囁きが空気を揺らす。そっと頭を撫でられて目を開き、ブルーは己を抱きしめている人物を視界に捕らえた。翠の瞳が、嬉しげに輝く青年だった。金の髪は短く、木漏れ日を宿して風に揺れている。浮かぶ表情はどこかこどもっぽく、生き生きとしていてひどく魅力的だった。あなたは、と掠れた声で問うブルーに一瞬痛ましげな顔をして、青年はにこりと笑う。
「ぼくは、ジョミー。ジョミー・マーキス・シン。ミュウたちの長で、ソルジャー・シンだ。新たなぼくたちの仲間。ミュウとして覚醒したきみを、迎えに来た。……声が、かれてしまったね」
 かわいそうに、と指先でそっと喉に触れられ、ブルーは思わず目を瞬かせる。それから急激な恥ずかしさに襲われて、言葉もなく俯いてしまった。そんなブルーを改めて深く胸の中に抱きしめ、マントで体を隠すようにして保護しながら、ジョミーはさて、と視線を前に向ける。甲高い声でわめきちらすテラズ・ナンバー5に笑顔を向けて、ジョミーはすっごく煩いんだけどさ、と口を開いた。
「黙ってこの子を渡してくれないかな、テラズ・ナンバー5。そうしたら、軽い機能停止で許してあげるよ?」
『戯言をっ。出て行きなさいミュウの長っ。その子を離しなさいその子はお前たちのような化物のっ』
「よし壊そう」
 化物、という単語が紡がれ終わるより早い決断だった。笑顔のまま、早口で決定を下したジョミーは、そのまま意識を集中させて行く。ブルーにまわした片腕に力をこめて、しっかりと抱きしめながら、もう片腕を地と水平になるように差し出した。空気が痛みを孕んでいく。びりびりと電気的な痛みを肌に感じて、ブルーは無意識に体を強張らせる。抱き寄せられたぬくもりが、耐え難い灼熱を心に宿させるようだった。
 触れ合う体温は心地よいのに、そこから流れ込んでくる熱が、痛い。ぎゅっと目を閉じてしがみついてくるブルーに、ジョミーはすこし目を和らげて微笑む。身を屈めて額に口付けを落とし、ジョミーは力を抜いて、と囁いた。
「ごめん。ぼくの力が流れ込んじゃてるんだね。感じ取らなくていい。……大丈夫、すぐ終る」
『ジョミーっ。なにをしているんですかっ、いいからすぐ離脱してくださいと言っておいたでしょうっ?』
 場に第三の声が響いたのは、ジョミーがブルーに囁きかけた直後だった。ジョミーは誰もない虚空に微笑みを向けると、やあリオ、と親しげな様子で返事をかえす。
「大丈夫だよ。ちょっと、ほんのちょっとだけ、この機械壊すだけだから」
『そのどこがちょっとだとっ……ジョミー。ソルジャー・シン。お願いですからこれ以上キャプテンの胃に負担を』
「あ。ごめんリオ時間切れ。用意できちゃったから。終ったらすぐそっちに行くから、スタンバイよろしく」
 通信を切るような気軽さで言い放ち、ジョミーは戦意に瞳を輝かせて笑った。ぶつんっ、と物理的に糸を断ち切ったような音がブルーの脳裏にも響き、奇妙な響きを持つ声がどこからも聞こえなくなる。遮断したから、と短くブルーに説明をして、ジョミーはさらにわめき声をますテラズ・ナンバー5に目を向けた。差し出しておいた片腕、手袋に包まれたジョミーの指先に火の粉が踊り始める。徐々にその数を増やして。
 ちり、ちりりっ、と軽やかに遊んでさえいるような火の粉の奏でる音はどんどん重なっていき、それと同時に炎の大きさも増して行く。炎に横顔を照らし出され、陰影濃く微笑みながら、ジョミーは指先をしなやかに動かした。
「ぼくたちを『ばけもの』呼ばわりしたのに加え、ブルーの声を嗄らしたのって許せないからさ」
 燃え上がった炎が、指先で不死鳥の形を成す。たった今天空から舞い降りてきたように恭しく、炎の鳥はジョミーの腕に留まっていた。その鳥の喉を可愛がるように指先で撫でて、ジョミーはさあ、と呟き鋭く笑う。
「行けっ」
 羽音さえ後に従えて、閃光の速さで炎の鳥がテラズ・ナンバー5に襲い掛かる。それだけでは許さず、さらに炎の塊をいくつか思い切り振りかぶって投げつけて、ジョミーは悲鳴をあげるテラズ・ナンバー5に嫌そうな目を向けた。壊れちゃえ、とぼそりと呟きが響く。その声に応じるように不死鳥は高く鳴き、テラズ・ナンバー5を貫くように突っ込んでいった。満足そうに頷いて、ジョミーはブルーに目を向ける。
「しっかり掴まってて。ちょっと揺れるかも知れないから」
 はい、とブルーが答える時間はなかったのではないだろうか。ジョミーは緋色のマントでブルーを頭から包み込むように抱きしめると、やけに軽やかな動作で足を踏み出し、すこしだけ浮き上がった。階段を、一段上るような動作だった。けれどそれだけで、周囲の空気が激変する。閉鎖感のあったよどんだ空気ではなく、開放感ある清涼な風が吹き抜けていく。ブルーが目を瞬かせると、マントが取り払われた。
 眼下に広がっていたのは、プレイランドだった。見覚えのある遊具がいくつも並んでいるが、新鮮味を感じるのは上から見たことがなかっただろう。足元に視線を落とすと、やけにカラフルな屋根だった。記憶をさぐって考えると、どうやらブルーはメリーゴーランドの屋根の上に立っているらしい。いきなりふらつくブルーの腕を慌てて掴み、ジョミーは焦った声で叫んだ。
「リオっリオリオリオっ。すぐ来てすぐっ、すぐーっ」
『慌てないで下さい、ジョミー。大丈夫ですよ。転移先が屋根の上だったので、驚いただけでしょうから』
 色とりどりの屋根に靴音を響かせて、リオはあきれ返った表情でジョミーに声をかけてやる。おかえりなさいの挨拶がないのは、それだけリオが怒っているからだ。長年の付き合いで十分それを知っていたジョミーは、やけにゆっくりとした動作で、強張った笑みをリオに向ける。それに無垢な表情でにこりと笑いかえし、リオは『ちょっと』ね、と呟いた。ジョミーの体が、びくりと震える。顔が、青ざめていた。
 それは別に恐怖のせいではないのだが、リオはことさら怒りを印象付けるように笑みを増す。リオが怒っているせいでジョミーの顔色がさえないのだと、救い出したばかりの仲間に教え込んでしまうようにして。そしてその目論見は、あっけなく成功を果たす。すこしばかりリオを責め、ジョミーを庇うような眼差しを向けてきたブルーに、有能なる側近は心からの笑みを向けた。
『こんにちは、ブルー。ぼくはリオと申します。ソルジャー・シンの従者で、ジョミーの親友です』
「ソル……え?」
 わざわざ言い分ける意味が、よく分からないのだろう。混乱した表情で視線を向けてくるブルーに、ジョミーは落ち着いたら説明するから、と笑いかけて。そして厳しい視線を屋根の下、プレイランド全体に向けて舌打ちをした。リオもまたジョミーの視線を追い、眉を寄せて黙り込む。どこに隠れていたのだか、手に銃を持った者たちが多数、ジョミーたちの居るメリーゴーランドに向かって駆け寄って来ていたのだ。
 包囲され、発砲が始まるのも時間の問題だろう。ジョミーは無言でリオにブルーを預けると、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そしてマントをなびかせながら、ジョミーは二人を背に庇うように立つ。
「テラズ・ナンバー5だけで、許してやろうと思ってたのに」
 熱風が、リオとブルーの頬をざらりと撫でた。ハッとした表情になったリオが、非難の思念をジョミーに向ける。転移予定地から大幅にずれた場所に出現してしまうほど精度が落ちた集中で、乱れた力で、いったいなにを行おうというのか。そんな顔色で、とブルーに伝わらぬように必死に力を抑えながら訴えるリオに、ジョミーは炎にあおられて明るくなった顔で振り返り、満面の笑みを披露する。
「大丈夫だよ。だけど、すこし離れてて。危ない」
 火の粉が踊る。あかがね色と明るい黄色が入り混じる炎が、ジョミーの周囲でくるくると踊る。高温のあまり白にまで色を変えた炎を手のひらに包みながら、ジョミーは真剣な視線でプレイランドを、そして包囲を完了した兵士たちを見下ろした。どこか静けさを感じる仕草で、ジョミーは空中に一歩を踏み出す。生み出した炎を従えて、まるで遊びにでも出かけるように微笑みながら。リオとブルーを、すこし振り返った。
「リオ、ブルー。終ったら、帰ろう。すぐだから」
『……五分しか待てませんよ』
 それ以上長引くようなら、強制的にでも連れ帰る、というリオの言葉にしなかった意思を読んで、ジョミーは笑いながら頷き。そして、炎を解放した。



 船のターミナルにずらりと並ぶミュウたちの視線は、新参者のブルーではなくジョミーに集中する。ジョミーは予想していなかったようで、気圧されたように一歩足を引いたが、リオにしてみれば当たり前のことだとも思う。あんなに、あんなに注意をしたのに、結局ジョミーは約束の五分ではなく二十分も破壊行為に力を使い、プレイランドを焦土に変えてきたのだから。なにかよほど気に食わないことがあったらしい。
 それでも、人間側には一名の死者も出ていない。怪我人ならおびただしい数に登るが、それでも軽症ばかりで重症はなく、一般市民には一人の負傷者もないのだから呆れてしまう。え、ほら、ちゃんとコントロールして壊してきたし、と視線を思い切りさ迷わせながら言い訳するジョミーの肩を後ろから掴み、リオはそうですね、と和やかな声で同意してやった。それがどうかしましたか、と言う問いも忘れずに。
 全身を震わせ、ひきつった表情で振り返るジョミーの顔色はひどく悪い。完全に血の気が引いてしまっていて、青白いというよりは、ただ白かった。リオはため息をつきながら医療班に最長老を引き渡し、連れて行かれるのを笑顔見送ってから、視線をすこし動かしてブルーを見る。銀髪に青い目のこども。幼さを色濃く残した真新しい仲間は、連行されるジョミーを追いかけたくて仕方がなさそうに見つめていた。
 救い出してくれた相手が行ってしまう寂しさやジョミーの体調の心配、見知らぬ相手の中に取り残される不安が伝わってくる。リオは苦笑しながらしゃがみこみ、ブルーと視線を合わせて大丈夫ですよ、と囁いた。
『心配なら、後で一緒にお見舞いに行きましょう。それより今は、どうか仲間に挨拶を』
 はいどうぞ、と笑顔で背を押され、ブルーは見知らぬミュウたちに向かって足を踏み出した。それまで最長老に向けられていた視線が、いっせいにブルーに集まっていく。好意的な視線が多いようだった。けれど悪意や、不審そうなものもある。飛び交う思念波の多さと入り混じる感情に、ブルーは吐き気がしてしまいそうだった。つい先ほど目覚めたばかりのミュウには、情報量が多すぎて処理しきれない。
 額に手を押し当てて深呼吸をしても、意識はぐらぐらと揺れ続ける。これはもう、意識を手放した方が楽なのではないか、とブルーが思い始めたのを感じ取ったかのごとく、軽い怒りに爆発した思念が船中を揺れ動かした。
『ブルーっ。ブルーどうしたのっ? 気分が悪いのかなっ。ちょっと皆っ、ブルーは覚醒したばかりのミュウなんだ。けどすごく力が強い。ぼくの力を受け入れ、身の内で感じ取ってしまうくらいに強大でしなやかだ。だから思念もきっと全部、感じ取ってしまってる。注意してあげて。情報過剰で倒れてしまう。だからっ……ああもうドクターっ。もう大丈夫ったらっ。ターミナルに戻してよっ。ちょっとリオっ、ハーレイっ!』
『いいから黙って治療を受けなさいソルジャーっ。話はまずそこからですっ!』
 途中でいったん落ち着いたものの、終盤になるにつれ興奮してきたのだろう。暴れて抵抗し、飛び出そうとしてくるジョミーを、ハーレイの野太い声が一喝した。それは船内のミュウの総意でもあった為、ジョミーは仕方なく従うことにしたらしい。まだ文句を言いたげなジョミーにドクターの雷が落ち、そして思念が静かになった。無理矢理思念の送信を遮断させられたらしい。やれやれ、とハーレイは息を吐き出した。
 そして、今のやりとりに耳を傷めたらしく、手を当てているブルーへ歩み寄る。ブルーは近寄ってくるハーレイにすぐに気がついて、素直でまっすぐな目を向けてきた。その傍らでは、リオが肩を細かく震えさせて笑っているのだが、気にもならないらしい。ふむ、どこかのソルジャーとは違って集中力に長けている、と感心しながら、ハーレイは立ち止まり、ゆっくりとした口調で語りかける。
「騒がしくてすまない、ブルー。私はこの船のキャプテンで、ハーレイという。われわれは、ソルジャー・シンの選んだ新たな仲間を心から歓迎する。多少複雑な想いを抱く者も居るが、どうか許してやって欲しい。ソルジャーの無理はいつものことで、自業自得なのだがね」
「ぼくを……ぼくを助けに来てくださるのに、無理をしたから、ですか?」
『いえ、それはいつものことなのです。ただ今日に限ってすこし、お怒りようが激しかっただけで』
 まさかプレイランド全壊まで止まらないとは、とすこし遠い目をして呟くリオに、ハーレイが物言いたげな目を向ける。なぜ力づくでも止めなかった、と言いたげな視線に、リオは軽く左右に首を振る。そして映像はずっと見ていた筈でしょう、とハーレイにも、ターミナルに集まった仲間たちにも聞こえる澄んだ響きで思念波を響かせ、ブルーに向く複雑な思いを宥めていく。
『ジョミーは……失礼、ソルジャー・シンは仲間を傷つけられるのを嫌い、そのことに対して怒ってくださる優しいお方です。そして人間たちが私たちを指して『ばけもの』と呼ぶことに、我慢がならないと常々仰っております。今回の救出で、ソルジャーが行った時にはすでに彼は喉をすこし痛め、声がかすれていました。その上、テラズ・ナンバー5はわれらのことを『化物』と。……条件がそろいすぎていたのです』
 静かな、受け入れてもなんの負担にもならない優しい声を聞きながら、ブルーはぼんやりと思い出していた。壊れていくプレイランド。響く悲鳴には恐怖を覚えたけれど、それを成すひとからは一時も目が離せなかった。どこか苦しそうに、悲しそうに歯を食いしばって炎を操る気高きひとは、泣くのをこらえているようでもあったから。
『しかも、よく考えてください。彼は……彼が、ジョミーの『ブルー』です』
 分かりますね、と言い聞かせる声に、ブルーは反射的に顔をあげてリオを見た。そこでどうして自分の名が出てくるのか、全く理解できなかったからだ。しかし、分からないのはブルーだけらしい。一気に脱力し、納得の空気を漂わせ始めるミュウたちに、リオはほとほと呆れ、頭の痛い様子でダメ押しをした。ですからね、と。
『あれだけで収まったのは、幸運です。それに、彼が止めてくれたから、ソルジャーは落ち着いたのです』
 ね、と水を向けられても、ブルーは戸惑うばかりで言葉が出せない。しかしミュウたちは慣れたもので、ブルーは誰かがそぅっと心に触れ、本来は本人だけが持つ記憶をさらっていったのを感じ取る。言い知れぬ違和感に眉を寄せるブルーにくすりと笑って、リオは分かったでしょう、と全体にもう一度問いかけた。
『彼に非はありません。それ所か、私たちは彼に感謝をしなければ……ぼくの声を聞きもしないんですから』
 困ったものです、と柔和に笑うリオに、ターミナルに満ちる思念がいっせいに緊張したのを感じ取り、ブルーは青年から一歩距離を取る。怯えさせるな、とリオに頭の痛い声で注意を向けて、ハーレイはそういうことだ、と説明を終らせる。
「各自複雑なものもあるだろう。だが彼を責めるのは止めてもらいたい。これ以上なにかある者は、後日、直接ソルジャーに抗議をしに行くように。ソルジャーを心配した者は、彼を怒らず、ソルジャーを怒って差し上げろ。その方がよほど薬になるだろう。……反省してくだされば」
『キャプテン。ソルジャー・シンは反省できる方ですよ。持続しないだけであって』
「それが問題なんだっ。その、反省の持続しなさ加減が最大の問題なんだあの方はーっ!」
 なぜいつまで経ってもその辺りが出来ないのかっ、と血を吐くような叫びを響かせるハーレイに、ターミナル中から同情の視線が向けられた。しかしそれは長続きせず、しだいに忍んだ笑いに変化していく。くすくすと好意的な笑いはブルーにも向けられて、戸惑う表情に誰かから思念が届けられる。
『さっきはごめんなさいね。歓迎するわ、私たちの新しい仲間。戸惑うことも多いでしょうけれど、ゆっくり馴染んでくれれば、それで構わないから。どうぞよろしく』
『ソルジャー・シンを止めてくださってありがとう。私たちの大切な方を、無事に船に戻してくださって、ありがとう』
『心から歓迎しよう。十四年間の教育からは、理解できないことや受け入れがたいことも多いだろうが、君は仲間。君はミュウなのだ。ソルジャー・シンの大切な『ブルー』、君に会えて嬉しいよ』
 戸惑いや反発もかすかに残っているが、大部分が好意的に受け入れてくれている思念だった。そっと送るだけで正体をつかませず、ミュウたちは恥ずかしそうにターミナルからそれぞれの持ち場へ散っていく。はじめまして、これから頑張れ、と背を軽く押していくような気持ちが、ブルーの中でいくつも弾け、心にすっと馴染んで行った。シャボン玉のように淡く輝く思念たちは、キラキラしていてすぐ消えてしまう。
 ほとんど気配のなくなったターミナルで、ブルーはやっと途切れた思念に大きく息を吐く。そうすると疲れが一気に押し寄せてきて、ブルーはその場に座り込んでしまった。そのまま休ませてやりたいとも思うが、ここはターミナルである。長居するのも邪魔になるし、休むに適した場所でもない。申し訳なく思いながら手を差し出し、立ち上がらせながら、リオは今日はこれくらいにしておきましょうね、と告げる。
『船内の案内は明日以降に。今日はこれからすぐ部屋に案内しますから、そこでゆっくり休んでください。色々なことがあって、混乱もあるでしょう。……なにか?』
 聞きたいことがありそうな顔をしていますよ、と微笑みながら首を傾げられ、ブルーは恥ずかしそうに視線をさ迷わせた。見透かされてしまうことに慣れていない様子が、リオにもハーレイにも好ましい。柔らかな感情で言葉を待ってやれば、ブルーはあの、と戸惑いながら問いかけた。
「さっき、誰かが……ソルジャー・シンの大切な、と。そう、ぼくに告げたのですが。それは」
『ああ、それは、そのままの意味ですよ。ね、ハーレイ』
「そうだな。すまないが、その説明は後日、本人からしてもらってくれないか。私にはためらわれる」
 ぼくにもためらわれます、と続けられて、ブルーは釈然としないものを感じながら頷いた。その様子に肩を震わせながらも、部屋へ導こうとハーレイが歩き出す。その背を追いかけてリオも歩みだし、ブルーは素直に二人について行った。ターミナルを出て廊下を歩いていくと、不意にふわりと暖かな空気がブルーを包み込むのを感じる。歓迎の意思だ、とブルーはすぐに分かった。喜んでいるのだ、と。
 ターミナルで向けられた意思は複数のものが混ざり合っていて、また人数もたくさんで、ブルーはそれが誰のものだか特定できなかった。知らぬ相手ばかりだったこともあるだろう。慣れない力はブルーを振り回すばかりで、ちっとも役になど立ってくれなかったのだが。やんわりとブルーを包む暖かさは、疲弊した力を優しく導いてくれる。こうするのだ、と教えてくれているようで。答えが、心に落ちてくる。
「ソルジャー・シン。……あなただ」
 くすくす、と笑うように空気が揺れる。言い当てられたことを喜ぶ思念が、船にふわりと広がっていく。ブルーを先導して歩きながら、ハーレイとリオは顔を見合わせてため息をついた。ブルーに罪はない。全くない。欠片も存在しない。悪いのは全て、安静にしてくれないジョミーなのだ、と。分かっていても八つ当たりしてしまいそうになって、二人は案内の足を速めた。一刻も早くブルーを部屋に送って、それで。
 あの落ち着きなくどうしようもないソルジャーを、叱りにいかなければ、と決意して。



 ふぅ、と困った表情でため息をついて、フィシスは盲いた目で、それでも睨むように表情を作った。それからすこしばかり言葉を捜して沈黙し、満足いくものを見つけ出して微笑む。会話を焦る必要がないので、空気はどこかゆったりと流れていた。本当はもうすこし尖った空気が望ましいのだが、それを作り出すにはフィシスの性格は優しすぎる。それを自覚していたので諦め、フィシスはもう、と口火を切った。
「それで、逃げてきた、と仰るのですわね。困った方」
「フィシス。声と表情合ってないよ。笑い声じゃ怖くない」
「まあ、私は怒っておりますの。ジョミー、あまりリオとハーレイに心配をかけてはいけませんよ」
 もちろん私も心配しております、と肩を震わせて笑いながらの言葉に、ジョミーは視線を天体の間の扉へと向けた。常であれば開け放たれている筈の扉は、今はきっちりと閉ざされている。その上、傍付きのアルフレートも居なかった。フィシスを慕う楽師は、よほどのことがない限り傍を離れようとはしないのにも関わらず、である。ちらりと視線を戻してくるジョミーに、フィシスはそ知らぬ顔つきで口を開いた。
「なにか?」
「怒ってるなら。どうしてアルフレートを追い出して部屋に鍵を閉めて、思念や転移を遮断する装置を作動させてくれてるのかな、と思っただけだよ、フィシス。おかげで、ぼくは二人……アルフレートも含めて三人の怒りが解けるまで、出て行くことも出来ないじゃないか」
 占いとは神聖なものであり、静謐なものである。船に常に漂う誰かの思念は、よくも悪くも、その占いに影響を及ぼしてしまうのだ。そのためフィシスの常駐する天体の間は、思念が届きにくい船の奥に作られ、その上で遮断装置が備え付けられている。装置は、ゼル機関長の力作である。ひどく動力を食うので常に動かすことはせず、フィシスが集中して占う必要がある時だけスイッチが入るのだが。
 フィシスはターフルにさえ向き合っておらず、その手にはタロットの一枚もない。軽く睨んでくるジョミーに笑顔を向けて、フィシスは穏やかに声を響かせた。
「言ったでしょう? 私も怒っておりますのよ、ソルジャー。あんなに無理なさるだなんて」
 顔色はもう良くなったようですけれど、と手をジョミーの頬に触れさせて、フィシスは呆れと心配の入り混じった息を吐き出す。ジョミーはとても居心地が悪く身じろぎをし、けれど言い訳は口にしなかった。うろうろと視線をさ迷わせながら、時々扉越しに聞こえてくるリオとハーレイ、アルフレートの、要約すれば『立て篭もってないで出てきなさい』と『ソルジャーを引き渡してくださいフィシスさま』の叫びを聞いている。
 怒ってる、怒ってるよ、と息を吐くジョミーにくすくすと笑って、三人の怒りに油をまいて火をつける真似をしたフィシスは、すいと泳ぐように移動してソファに腰かけた。その上でぽんぽん、と膝を叩いてジョミーを手招いてくるので、仕草の意味など分かりやす過ぎる。体調が万全ではなく、逆らう気もしないジョミーは、素直に歩み寄ってころんとソファに横になり、頭をフィシスに預けて息をはいた。
「ねえ、フィシス。起きてもまだ怒ってたら、一緒に謝ってくれるよね」
「ええ。もちろんですわ、ジョミー」
 素直に目を閉じるジョミーの髪を撫でて眠りへと誘いながら、フィシスはそんなことはないでしょうけれど、とひっそり微笑む。アルフレートはどうか分からないが、リオとハーレイは安静にせず、逃げ回ったり力を使うジョミーに対して怒っているのだ。寝室のベットか天体の間のソファの違いはあれど、眠ってしまえばそれは安静にしているのと変わらない。それぞれに小言はあっても、怒りは消えていることだろう。
 くたりと体から力を抜いて横たわるジョミーは、やはり疲れているのだろう。すぐに意識がまどろんできて、フィシスの微笑みを誘った。おやすみなさい、と囁けば、ジョミーの瞳がうっすらと開く。夢と現の境界線を見つめながら、ジョミーは吐息に乗せて問いかけた。
「ねえ、フィシス?」
「はい」
「ぼくの力は、まだ大丈夫だ。そうだろう?」
 ぼんやりと下から向けられる目に、それが嘘偽りではないというのに、フィシスは手の震えを押さえ切れなかった。ぎゅっと手を握りながら、祈るようにはい、とだけ言葉を返してくるフィシスに微笑みかけて、ジョミーはまるで慰めるような響きで言葉を紡いでいく。本当なら、慰められる相手はジョミーであるのに。それを全く感じさせない、強さを秘めた穏やかさで。大丈夫だよ、だから、と。そっと、フィシスを撫でた。
「そんな風に、心配しなくていいから。それに、もう、ブルーがいる。……ぼくが見つけて、ぼくが選んだ後継者だ」
「ええ、ジョミー。存じ上げております。あの時の喜びようといったら」
 船中がつられて大喜びしてしまった程ですもの、と笑うフィシスに、ジョミーは眠たげな表情でうん、と頷いた。そして眠りに入る直前、すぅ、と息が吸い込まれる。言葉を歌い上げるように、呟きがもれ響いた。
「夕暮れを見つめながら……ずっと、夜を待っていた。待っていたんだ、フィシス」
「はい」
「夜の中で眠りたかった。だから、ぼくは」
 うれしい、と眠りに解けた言葉を最後に、ジョミーは眠りに落ちてしまう。力を失って投げ出された手を取り、頭を庇うように抱きしめながら、フィシスはこみあがってくる悲しみを堪えていた。眠りは、死を意味する言葉ではない。けれど眠りは、力の喪失を意味する言葉だ。ジョミーはそれを分かっている。フィシスもまた、感じている。その時は近い。もう地平の彼方に見えてしまうくらい、その時が近づいている。
 けれど。けれど、どうしても覚悟など出来ない。嫌、とかすかな呟きで首をふり、フィシスは眠るジョミーにお願いですから、と囁いた。無理をしてしまっても、怪我をしてしまっても、心配ばかりをかけられても。それがあなたの思うままの行動ゆえなら、もうそれはいいから。諦めて受け入れて、仕方がないと望むとおりに微笑んでみせるから。だから、だから、どうか。眠りなど。力の喪失など。そんなことは、どうか。
 言わないでいて。告げないでいて。そんな日など、こないで。言葉に成らぬ思念波に、天体の間の空気はゆらゆらと揺れて。しかし眠るジョミーにも、扉の前の三人にも伝わることなく。やがて静寂の安らぎの中に、悲しみながら消え去った。

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