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 3 光の庭

 二人の出会いは、唐突に訪れる。その時ブルーは意識を集中して、サイオンで敵を攻撃する訓練中だった。暗い部屋の中で一人、目を閉じて集中していたのだけれど。まぶたを閉じた闇の中で、己の力の波動とはまったく違うものを感じ取ったのだ。ブルーの力は月光のように青白く、穏やかで優しい輝きを放つのが常だった。けれど、ふわりと広がったのは夕日に似た赤で。それは、瞬く間に闇に閃光を走らせる。
 暗さに慣れていた目は、光を受け止めきれずに白く染められた。短い悲鳴をあげて集中を途切れさせたブルーに、隣室の長老たちから驚きの声があがる。宇宙に一人浮かんでいたような夜の部屋が、瞬く間に元に戻った。白と金で構成された訓練室の床にふわりと着地して、ブルーはそのまましゃがみ込んでしまった。今のは、一体なんなのだろう。閉鎖された空間に、あれほど強く影響する力など知らない。
 混乱するブルーに、隣室から長老たちが飛び出し、駆け寄ってこようとしたのだが。それよりずっと早く、バンっと派手な音を立てて扉が開かれ、赤いマントが風になびく。トンっ、と体重を感じさせない軽やかな足音が、一度だけ響いた。ぐったりとしていたブルーの体が、いとも簡単に抱き上げられる。脇の下に手をいれ、ひょい、と目の高さまで持ち上げて。ほとんど泣きそうな翠の瞳が、ブルーの顔を覗き込んだ。
 同時に、熱さがブルーの全身を包み込む。溶け込んで同化して、痛みや眩暈を消し去ってくれる熱。それは、ジョミーの力だった。癒しを一心に集中してほどこしながら、ジョミーは答えるまもなく問いかける。
「ごっ、ごめんごめんごめんねブルーっ。痛かった? 辛かった? 大丈夫っ? ああ、本当にごめんっ」
「え……え、と。ソルジャー・シン?」
「うんっ。目は? 目が痛い? それとも頭痛い? ごめんね、そんなつもりじゃっ。ハーレイ、ハーレイっ」
 どうしようぼくやっちゃったよっ、と半分泣き声でブルーを抱えたまま、ジョミーはハーレイを呼びつけた。それだけでブルーの不調の原因を悟った長老たちは、一様に額に手を押し当ててため息をつく。いち早く立ち直ったブラウ航海長が、叱り飛ばすような目でジョミーを睨みつけた。アンタ、たまにはハーレイじゃなくてアタシたちも頼りなよ、と飛んでくる思念波にこくこくと頷いて、それでもジョミーはハーレイを呼ぶ。
 混乱しているのだろう。矢継ぎ早に告げられた質問のどれにも答えていないのに、ジョミーの中でブルーは重病人になっている。ひどく悔いた思念が流れ込んでくるのに、ブルーは回復した視界にソルジャー・シンの姿を捉え、己を抱き上げる腕にそっと手を触れさせた。すぐに、涙をたくさん浮かべた瞳がブルーを映し出す。ごめん、としゅんと力ない声で告げられるのに微笑んで、ブルーは大丈夫ですよ、と言った。
「すこし、驚いたくらいです。もうなんともありません。ソルジャー・シン」
「……うん。それなら、いいんだ。よかった。本当に、よかった。ごめんね、ブルー。ごめんね」
 浮いたままでぎゅぅ、と抱きしめられて、ブルーは足元が不安定なのにも関わらず、この上ない安らぎを感じて目を閉じる。ソルジャー・シン。ミュウたちの長で太陽とされている人の腕は、本当に温かくて心地よいのだった。ふっと息を吐くブルーを、ジョミーはやっと安堵した目で見つめる。そんな最長老のマントを、いきなり強く引っ張ったのはハーレイだ。ハーレイは額に青筋を立てながら、深呼吸をして口を開く。
「ソルジャー・シン。あなた安静中の身でしょうとか、フィシスとリオは今どこでなにをしてるんですかとか、色々言いたいことがありますが。まずは、これだけを。ソルジャー、あなたは、なにを、しました」
 無言で上空へ逃れようとするジョミーだが、ハーレイはそれを見越してマントを掴んでいたのだろう。ぴんっ、とマントが引きつってそれ以上距離が開けられなくなるのを悲しく見つめて、ジョミーは腕にブルーを抱いたまま、ええと、と視線をめぐらせた。なんとなく、誰かに助けを求めたのだろうが、長老たちは知っていて顔を背けていたので誰とも視線を重ねられない。結局すぐに諦めて、ジョミーはあの、と呟いた。
「ブルー、いまどこに居るかなって、探ってたら、その……出力調節を、間違えて」
「間違えて、空間に干渉してごく軽く攻撃してしまったと。そう、仰いますか。……ほぅ?」
「いやあのハーレイ。分かっててどうして聞くのかと思うんだが」
 なんだそれ苛めじゃないか、と唇を尖らせたジョミーに、ハーレイの脳内で何かが切れる音がした。ぶつん、と物理的に響く筈のない音を、しかし確かに耳にして、ジョミーの顔色が悪くなる。げっ、とうめいたジョミーの腕からさっとブルーを取り上げて、ブラウは他の長老たちと一緒に距離を取った。あああっ、と叫んでブルーに手を伸ばすジョミーの腕をがしっと掴み、ハーレイはソルジャー、と低い声を響かせる。
「出力調整が出来ない体調だ、ということですね。つまり。それなのに今ここでなにをしてらっしゃる。しかも思念体でもなく、生身で。あなたには体調回復までの絶対安静を、キャプテンの立場から申し付けてあった筈ですが」
「だ、だってフィシスもリオも、もう起きて良いってっ」
「あれほど甘やかすなと言ったのにっ。あの二人はどうしてそういつもいつもいつもソルジャーを甘やかすんだっ」
 いいからアンタ今すぐベットに戻りなさいっ、と怒鳴りつけられて、ジョミーはじんわり涙を浮かべた。そして、だってフィシスとリオ良いって言った、と幼子の言い訳のように繰り返されるのに、ハーレイの怒気が増していく。八つ当たりの対象として選ばれないように、体の影にブルーを隠しながら、長老たちはこっそりとため息をついた。体の隙間から二人の様子を伺いつつ、ブルーはひそめた声で問いかける。
「あの、ソルジャー・シンとキャプテンは、仲が悪いんですか?」
「いいや。良いよ。あれはただ、一方的にソルジャーが悪くて怒られてるだけだからね。……大丈夫かい?」
 我らのソルジャーにも困ったものだ、と甘く息を吐きながら、ブラウは手を伸ばしてブルーの頬に触れる。ごく軽い攻撃を受けてしまったがゆえに、体調を心配してくれているようだった。それに、素直に笑み返して大丈夫です、としっかり頷き、ブルーはそれより、とジョミーに目を向けた。すぐに抱き上げて抱きしめて、己の力を注ぎ込んでブルーを回復させてくれたジョミーの、顔色が冴えないことが気になった。
 注ぎこまれる暖かで強い力は、ブルーの衝撃をすぐに消し去ってくれたのだけれど。そんなことを、させて良い相手ではなかったのだ。悲痛な顔つきでひたむきにジョミーを見つめるブルーに、ブラウは大丈夫、と息を吐く。
「本当にダメだったら、ハーレイも怒る前にベットへ連れて行くさ。強制的に連行しないだけ、余裕がある」
 叱り飛ばすハーレイを苦笑しながら見つめて、終るまでしばらく待ってな、とブラウ航海長は告げた。大体あと八分かな、と予測の声が響くのは、それだけ慣れているからだろう。もう五分もしたら止めに入るわい、と脱力気味に告げるゼル機関長の隣で、ヒルマン教授は言い訳を響かせるジョミーに暖かな視線を向けていた。エラ通信長は呆れ返った冷たい目でソルジャー・シンを睨みつけているが、どこか優しい。
 本気で怒っている長老など、いないのだろう。ハーレイも声を張り上げて怒りながら、顔色の悪さを心配しているふしがある。ああ、本当に愛されているのだ、とブルーがふと口元を緩めると、ちょうど部屋に入ってきたリオと視線があった。にっこりと嬉しげに微笑まれ、ブルーは思わず頬を染める。年上の、しかもミュウたちの最高指導者を可愛らしく思ってしまったことを、恥ずかしく感じたのだ。年上の相手なのに。
 ふわりと広がるブルーの思念波を、ジョミーとハーレイを除いた者は感じ取っていたが、誰もなにも言わなかった。年上として意識するには、ジョミーはこどもっぽい面が多すぎる相手であり、また外見も年若い。仕方のないこと、とやんわり受け入れて、リオはハーレイへと歩み寄った。ハーレイも、リオが入ってきたことに気がついていたのだろう。逃亡防止にジョミーのマントを掴みながら、振り返って睨みつける。
「起き出す許可を出したと聞いた。どういうつもりだ、リオ。勝手な真似を」
『いえ、本当に体調は回復したんです。ドクターにもご許可頂きました。顔色が冴えないのは……そうですね。久しぶりに力を使ったら上手くコントロールできなくて、その上ブルーに衝撃を与えてしまったショックが大きかったからじゃないでしょうか。お元気ですよ。体調は』
「リオー。ぼく、ブルーに。よりに、よって、ブルーに……どうしよう立ち直れない。すごくショック」
 へろへろと力なく降りてきて、ジョミーはリオに腕を回して抱きついた。慣れた仕草で背を撫でて慰めるリオの姿を、ブルーはなぜか見つめてしまう。微笑ましい光景だと、思った。けれどほんのすこし、気分が晴れない。ん、と眉を寄せるブルーに、すぐ気がついたのだろう。一瞬のスキをついてマントを取り返したジョミーが、わきめも振らずかけてきて、ブルーの手を握り締める。
「ブルー?」
 火の粉のような、燐粉のような、微細な輝きがジョミーの周囲に広がった。赤々と燃える光の欠片は、力の発動する前兆だった。慌てて大丈夫ですっ、と叫ぶと、ジョミーは心配そうな顔をしながらも首を傾げ、うん、と呟く。輝きはすぐ消え去るが、手は繋がれたままで離されない。あの、と困惑して呼びかければ、ジョミーは心底嬉しそうな笑顔で口を開いた。
「こうやって、ちゃんと会うのは初めてだよね。こんにちは、ブルー。ぼくは、ジョミー・マーキス・シン。ミュウたちの長で、ソルジャー・シン。きみを、ずっとずっと待っていた。ずっと、ずっと会いたかった。ずっと、こうして、触れたかった。……こんにちは、ブルー。嬉しいよ。遅くなったけど、ようこそ、シャングリラへ。もう慣れた?」
「はい。ソルジャー・シン」
 いくら年若い外見であろうとも、幼い行動を取っていようとも、ジョミーはミュウたちの長である。多少緊張しながらそう返すと、ジョミーの表情は曇ってしまった。けれど、言葉は告げられず、思念波も沈黙している。ちらちらと視線が長老たちを気にしているので、言いたくとも言えない気持ちがあるのだろう。長老たちも、リオも、ジョミーが言いたいことは分かっているようだった。けれど分からないふりで、笑っている。
 うー、とうめくジョミーの顔をぼんやり見つめ、ブルーはもしかして、と唇を開く。数日前、占い師フィシスに告げられたことが思い出された。
「……ジョミー?」
 輝き。一瞬の微細な閃光が、船中に喜びを広げていく。強い、強い歓喜に押し包まれて、ブルーは息を止める。キラキラと輝く、翠の瞳があまりに綺麗だった。そぅっと伸ばされたジョミーの腕が、ブルーを腕の中に抱き寄せる。ぎゅぅ、と抱きしめられて、ブルーは息を吸い込んだ。呼吸さえ苦しい感情は、ブルーではなくジョミーのものだった。触れ合うからこそなお強く感じる気持ちに、ブルーはすぅと目を細める。
「泣いて、いるのですか。ジョミー」
「……ううん。嬉しいだけ」
 その言葉は、否定しているようで、しきれていない。遠まわしの肯定と、同じだった。長老たちは苦笑するだけで、若きミュウの長に対する呼び名を咎めはしない。ずっとそう呼ばれたがっていたのを、知っていたからだ。公衆の面前では慎ませるように、と注意を向けて、長老たちは沈黙する。リオは柔らかく笑って、そんな二人を見つめていた。



 手を引かれて入っていく公園が、いつもより眩しいのは恥ずかしさのせいなのだろうか。頬を赤く染めながらそんなことを考えるブルーを振り返り、ジョミーはにこ、と無垢な笑みを浮かべて見せた。大丈夫だよ、と言葉にならない思念波が、ただ安心させる気持ちだけを伝えてくる。けれど、それこそが真に恥ずかしくて目を伏せてしまったブルーに、ジョミーがきょとん、と目を瞬かせていると、足に衝撃が走る。
 久しぶりに起きてきたソルジャーを、見つけて走ってきたこどもたちだった。まだ言葉を話せないほどちいさな幼子や、ブルーより若干年下に見える少年や少女たちは、ソルジャーの姿を認めるや否や、歓声を上げながら走り寄ってくる。ジョミーはまず、足に抱きついて来た一歳くらいの女の子をひょいと抱き上げ、片手でブルーの手を強く握って微笑した。こっちの手は離さないから、という意思表示のようだった。
 驚きと恥ずかしさで声の出ないブルーは、向けられるこどもたちの視線に耐え切れず、ジョミーの背にそっと隠れるように立っている。こどもたちはそんなブルーにきらめく笑い声を向けて、すぐに興味の対象をソルジャーへと移した。ジョミーのマントには幼子がわらわらと取り付き、なぜか必死によじ登ろうとしている。少年少女は笑いながらそれを注意して、口々にジョミーになにか報告したり、話しかけていた。
 ジョミーは幼子を無理に振りほどくことなく、やんわりと力で包んで怪我をしないよう保護しながら好きにさせ、少年や少女たちの訴えには、一々頷きながら答えてやっていた。その間も、ジョミーはブルーの手を離さない。強く握ったのは最初だけで、包み込むだけの仕草は、けれど暖かな熱と思いやりを伝えてきて、ブルーには嬉しい。やがて、会話がひと段落したのだろう。ジョミーはくるっとブルーを振り返った。
「ブルー、ごめんね。ぼくが誘って連れてきたのに、きみを無視するみたいになっちゃって」
「いえ、大丈夫です……みんな、こんにちは」
 ごめんなさい、という言葉は、あえて一歩引いてくれたジョミーを傷つけるだけだからと判断して、ブルーはあえて普通にこどもたちに挨拶をした。手を繋いでいるのが恥ずかしいだけであって、こどもたちに対して人見知りをしているわけではないのである。言葉は案外簡単に口から出て行って、こどもたちの笑顔で受け止められた。休憩や気晴らしにブルーはよく公園を訪れていて、こどもたちとは顔見知りだ。
 はにかむ笑顔で笑うブルーの表情と、ソルジャーが離そうとしない手を見て、こどもたちはなにか感じるものがあったらしい。一部が嬉しそうにブルーは本を読んでくれるのよ、遊んでくれるのよ、とジョミーに報告しだし、残りは年に似合わない微笑ましい表情を浮かべて沈黙する。その全てが僅かなズレもなく、まあソルジャーったら、とジョミーに向ける感情である為、ブルーは思わず笑いに肩を震わせてしまった。
「あなたは……とても、愛されてるんですね」
 ね、と同意を求めて首を傾げれば、ジョミーの顔がみるみる赤くなっていく。あっ、わっ、と面白半分に歓声を上げて見守るこどもたちの視線さえ、恥ずかしくてたまらないのだろう。ジョミーは腕を上げて、手で顔を半分隠してしまった。バサ、と音を立てて赤いマントが揺れる。もごもごとなにか言葉が呟かれるが、そのどれもが明確な形を成さないものだ。あまりの効果に呆然としていると、ブルーの服が引かれる。
 視線を下に向けると、そこにはにこやかに笑う少女がいた。名前は確か、カリナだっただろうか。思い出しながら、かすかな疑問系で名を呼ぶ。カリナはこっくりと頷いて、口を開いた。
「ブルー。あんまり、ソルジャーをいじめないであげてね? ソルジャーはね、とっても恥ずかしがり屋さんなの」
「ちょっとカリナっ」
 きゃっ、と慌てたカリナの声が響くが、切迫したものではない。腕を伸ばしてカリナを捕まえたジョミーが、少女を腕に抱いて地を蹴ったから上がった声なのだ。ふわりと、なんの抵抗もなく浮かび上がるジョミーの翼のように、マントが空気を抱いて広がっている。大きな、大きな赤い鳥のような姿だった。ジョミーはカリナを抱き上げて、赤い顔でなにごとかを呟いている。耳打ちされているカリナは、くすくす笑っていた。
 声は数メートル離れただけでも、聞き取れないほどちいさいものだった。聞かれたくないからこそ、ジョミーは浮かび上がったのだろう。けれどソルジャー・シンの心は遮蔽するのが酷く下手なのだ。そうブルーは長老たちに聞いていたし、それを証明するように、この時もジョミーの心は漏れに漏れていた。カリナひどいだとか、恥ずかしいからそんなこと言わないでだとか、声が心に響いてくる。
『やめてよカリナっ。ブルーが呆れたらどうするんだよっ。呆れるだけならともかく、嫌われたりしたら、ぼくもう立ち直れなくなるだろうっ? お願いだから、お願いだからヘンなこと言わないで』
『あら、だってジョミー。本当のことでしょう? 好きって言うのも、抱きついたりキスしたりするのも、ジョミーは平気でするのに。好きって言われたり、キスされたりするとすぐ赤くなるの。恥ずかしがり屋さんね、ジョミーは。私が頬にキスしてもダメなんだもの……えい』
 ちゅ、と可愛らしいキスの音が響く。直後、船内に恥ずかしさ一色で構成された、ジョミーの声が響き渡った。頬を片手で押さえ、ジョミーは恥ずかしさに涙の浮かんだ目でカリナを睨んでいた。それでも、もう片方の手でカリナが落ちないようにと支えているのが、ソルジャー・シンの限りない優しさである。カリナはおしゃまな表情でくすくすと笑い、ね、恥ずかしがり屋さんと全く反省のない声を響かせた。
「ジョミーったら、可愛いんだから」
「ねえカリナ。お願いだから、カリナっ。ぼくの立場とか、きみの年齢とか、ぼくの年齢とかを考えた上で言ってくれないかなぁっ。ぼく、これでもミュウの最年長で、しかも長なんだけどっ」
「知ってるわ。ソルジャー・シン。でも、可愛いものは可愛いの」
 ぴょん、とジョミーの腕の中から地上へと飛び降りて、綺麗に着地したカリナは、にっこりと微笑んだ。それは少女の笑みではなく、有無を言わせぬ女性の微笑だ。ジョミーは拗ねたように視線を外し、やがてふわふわと高度を下げるとブルーの隣に降り立つ。やけにしょんぼりとした姿が、保護欲を刺激した。胸を高鳴らせるブルーに視線を向けて、ジョミーはがっくりと肩を落とす。
「こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……まあ、でも、よかった。皆と仲良くしてくれてるんだ」
 そして向けられた笑顔があんまり嬉しそうだったから、ブルーは思わず息を飲んでジョミーを見つめてしまう。本当に、なんて表情が豊かなひとなのだろう、と思って。くるくるとまばゆく入れ替わる感情は、そのどれもが炎のように鮮烈なきらめきに満ちていて。魅力的で、目が離せない。ほぅ、と息を吐くブルーに不思議そうに首を傾げて、ジョミーはひょい、と顔の距離を近くした。目の距離が、一気に縮まる。
「どうかした? ブルー。なにかあったら、すぐ言ってよね。ぼくは……きみの力になりたいんだ」
 いつも心安らかであって欲しいよ、と。そぅっと祈りのように言葉が落とされて、ブルーの手が取られる。一度離してしまった手を再び繋ぎ合わせて、ジョミーはそのことが心底嬉しいと分かる笑みを浮かべた。ブルーの心に、喜びが満ちていく。繋いだ手からも暖かな感情は流れ込んでくるので、その喜びが入り混じり、満ちていくのがどちらの心なのかよく分からない。けれど一粒の不思議さは、ブルーのもので。
 ゆっくり、公園を散策する為に歩んでいくジョミーに並んで歩きながら、ブルーは静かに問いかけた。
「どうして、ぼくに優しくしてくださるんですか? ソルジャー・シン……いえ、すみません。ジョミー」
 きゅ、と悲しげに眉が寄せられた為にすぐ呼び名は訂正しても、ブルーは問いを引っ込めようとはしなかった。ずっと聞きたかった疑問だったからだ。長老たちに尋ねてもよかったが、本人の口から聞きたかったので、ずっと心に沈めていた不思議さだった。思えば、成人検査に介入したときから、すでにジョミーはブルーに好意を抱いてくれていた。それからずっと親愛と喜びは捧げられていて、消えることがない。
 それまでブルーは、ジョミーの存在など知りもしなかったのに。それなのに、どうして、と。ひたむきに問いかけてくる瞳に、ジョミーはやんわりと微笑んだ。愛しげな微笑みだった。自由な方の腕を動かして、ジョミーはブルーの頬に手を当てる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「きみという存在が、ぼくにはとても嬉しいからだよ。ブルー」
 それは、存在の全肯定だ。それも、無条件の。比類なき好意。答えは得た。けれどますます混乱してなぜ、と心を乱れさせるブルーに、ジョミーはすこしばかり困った表情になる。そしてすこし間を空けてから、ジョミーはため息をついて言った。
「理由がなければ、安心できない?」
「安心できないと、いうか。納得できません。……どうしてだろう、と」
「うん。分かった。じゃあ教えるけど、また今度ね……もうすこし、ブルーが成長したら。たくさんのことを知って、たくさんのことを分かって? そうしたらぼくの理由を、きみに教える。本当は理由なんかなくても、ぼくはきみを好きなんだけど。それでも理由は、あるから」
 やんわりと言い聞かせて、ジョミーは悲しげにため息をついた。理由がある、ということを心底嫌がっているようだった。だって好きなことに理由なんて要らない、と拗ねた思念が届くのは、無意識の送信なのだろう。ハッとしてブルーが目を向けても、ジョミーはなにか痛みをこらえるような表情で沈黙しているだけで、決して目を合わせてくれようとはしなかった。輝いていた翠の瞳が、今はすこしだけくすんで見える。
 それが、どうしてだか、胸に痛くて。ブルーは手を伸ばして、ジョミーがそうしてくれたように頬に触れた。力ない手を握り締めて繋ぎなおし、ブルーは待っていてください、と言った。ハッキリした声で。謝罪の代わりに、まっすぐな決意を伝えたくて。
「ぼくは、すぐに、あなたに話してもらえるようなミュウになります」
「……まってる。ありがとう、愛しいぼくの銀月」
 前髪を、かすめて。額にそっと触れていったのが、ジョミーの唇だと。理解するのに、ブルーには数秒の時間が必要だった。理解しても、言葉が口から出て行かない。嫌ではないが、混乱してしまっているのだ。口をぱくぱく動かしながら、ブルーは遠巻きに見つめているこどもたちの中からカリナを見つけ出し、ホントにこのひとって、と慣れない思念を精一杯飛ばす。
『自分でやるのは平気なひとなんだっ?』
『ええ。そうなの。仕方がないひとでしょう?』
 にこにこ。にこにこ。心から邪気なく弾む笑みを浮かべるソルジャー・シンは、うっとりと目を細めてブルーを見つめるだけで、飛ばされる思念を拾おうとはしない。本当に苦手なのか、それとも盗み聞きになってしまうから控えようとしているのか。性格的には後者のような気がするが、実は絶対前者だ、とあたりをつけてブルーは息を吐く。やっとソルジャーに向ける長老たちの気持ちが、すこし理解できた気がして。
 本当に、仕方のないひと、なのだ。ジョミーは。ソルジャー・シンというひとは。愛おしさとほんのすこしの諦めが入り混じって、心が一つの言葉へと向いていく。仕方のないひと、と言葉に出して呟いて、ブルーはにこにこ笑っているジョミーを見上げた。
「ところで、体調は本当に大丈夫なんですか?」
「心配してくれるんだ、ブルー。嬉しいな。ありがと」
 それは、まったく質問の回答にはなっていない。思わず脱力しかけるブルーの肩を、その時誰かが掴んで引く。え、とブルーが振り返るより早く、驚いた表情のジョミーがその存在の名を呼んだ。
「あれ、シロエ?」
「『あれ、シロエ?』じゃないですよっ……この、この歩く天然タラシソルジャーっ」
「な、なんだよそれっ。ぼくがいつ誰をたらしこんだって言うんだよっ」
 カリナといいシロエといい、どうしてブルーの前でそんなことばっかりっ、と悲鳴に近い声をあげて騒ぐジョミーに、シロエと呼ばれた青年の反応は冷たかった。素行をかえりみて事実認識をしっかりしてください最長老さま、と流れるような口調でぴしゃりと言い放ち、尊大な態度で腕組みをする。高慢な態度だった。しかし、嫌味なく似合っている。青年は短く切った髪をサラリと揺らし、空色の瞳を不愉快に歪めた。
「それで、ソルジャー? ぼくには、いつ紹介してくれるんです? あなたの大切な、大切なブルーを」
 ぼくがこんなに待ってやったっていうのに、あなたは一向に紹介しようとしないんだから、と憤り激しい声で告げられて、ジョミーもブルーも目を瞬かせてしまった。紹介もなにも、ブルーの存在は船に入った時点で全ミュウにあまねく伝わっているのだ。ブルーが知らない相手だとしても、その逆は成り立たないのである。目をぱちぱち瞬かせながら、ジョミーが純粋に不思議いっぱいの声でシロエを呼ぶ。
「シロエ? ブルーが船に来た時、シロエいなかったっけ?」
「いましたよっ。来た日、速攻で医務室に走って行ってあなたを黙らせたのぼくでしょうがっ」
「だ、だよね。え、じゃあ、なんで?」
 ますます不思議がって問いかけるジョミーに、シロエの丸くて大きい目がすぅっと細まった。そしてへぇ、と低く抑えられた声が空気を揺らす。それは、大爆発の前兆だった。これ以上刺激してはいけないことを過去の経験から思い出し、ジョミーは素早い仕草でブルーを背に庇ってしまう。そして恐る恐るシロエ、と声をかければ、青年はさも不愉快そうにふんっと鼻を鳴らしてみせた。
「あなたを気遣うだなんて、そんな真似しなければよかった。あんなに大切に待ってた相手だから、ぼくが勝手にお近づきになって仲良くしてたら嫌だろうと思って、あなたから紹介されるのを待ってたんですよ。ぼくはね。まったく、こんなことなら、早く声かけて仲良くなっておくんでした。あなたの知らないところで仲良くしてたら、あなたが拗ねて使い物にならなくなると思った、ぼくの予想は外れで良いんですね?」
 ジョミーの顔が、みるみる青ざめていく。想像したところ、相当ショックだったらしい。嫌だ、それ嫌だ、とぶんぶん首を振るソルジャーに、やや呆れた、けれど優しい目を向けて。シロエは、大きく息を吐く。
「じゃ、紹介してください。仲良くは、していいんでしょう?」
「うん。シロエと仲良くしてくれるなら、すごく嬉しい……よかったね、シロエ。友達増えて」
「どういう意味ですーっ!」
 純金に見紛う黄金の閃光が、するどく空気を切りさいた。大慌てで防御して、ジョミーはシロエ、と注意するように唇を尖らせる。怒りを爆発させたシロエは、そんなジョミーをぎろりと睨みつけ、誰のせいだと瞳で語っている。パリパリと音を立て、ちいさな雷がシロエの周囲を浮遊していた。静電気で黒髪が広がり、服はふわりと肌から浮かび上がっている。具現するのだ、とブルーは唐突に知識を思い出していた。
 ミュウたちの中でも特に力の強い何人かは、力を外側に出す時、その魂の性質により波動が具現化するのだ、と。そうブルーは教わっていて、その数少ない具現者が目の前に二人も立っていた。ジョミーは炎を、そしてシロエは雷をまとうのだろう。どちらも幻想的で、そしてとても攻撃的で、魅力的で綺麗だ。ぼくにも出来るようになるのだろうか、とブルーは己の手を見つめ、そしてそぅっと握り締めた。
 そんなブルーに目を向けることなく、シロエはジョミーに食って掛かっている。黄金の閃光をちらつかせながら、シロエはジョミーのマントをしっかりと掴んでいた。逃がさない、と言いたげに。
「ぼくにだって、と、友達くらいいますよっ。馬鹿にしないで下さいっ」
「う、うんうん。うんうんうんうん。悪かった。悪かったよシロエ。ごめん。ごめんね?」
「あなたの謝罪には誠意が足りないっ。まったく、はやく紹介したらどうなんですっ」
 さもないとマント焦がしますよっ、と脅されて、ジョミーはやや心配そうな顔つきでブルーの肩をそぅっと押す。そしてシロエの前に立たせて、ジョミーは恐々と口を開いた。
「あのね、ブルー。このコは、シロエ。ブルーのすこし先輩にあたるミュウで、手先が凄く器用なんだ。機械に強くて、今は機関室で技師の仕事をしてる。あと、力がとびきり強いから、攻撃セクションの責任者にもなってもらってる。……それで。シロエ、このコがブルーだよ。ぼくの、ブルーだよ」
 しっとりと耳元で囁かれ、ブルーは全身の体温が上がっていくのを感じた。ぼくの、というのはどういう意味なのだろうか。単にぼくが連れてきた、という意味であっても、それだけではない愛情を感じてしまう。硬直してしまったブルーを慰めるように見つめて、シロエは手を差し出し、ブルーの手をやや乱暴に取った。
「セキ・レイ・シロエ。シロエって呼んで。ブルーって呼ぶ。いいね?」
 よろしく、という声は音声ではなく、思念で強く送り込まれる。挑戦状をたたきつけられるような勢いに、ブルーは目を瞬かせてしまった。しかし一呼吸で気持ちを落ち着かせると、普段通りの笑顔を浮かべ、よろしく、と言い返す。そして、そう呼んでくれると嬉しいよ、と付け加えると、シロエの頬が薔薇色に染まった。キラキラと輝く喜びの感情が、砕け散った雷の美しさを思わせて、ブルーは眩しく目を細める。
 シロエはブルーからぱっと手を離すと、満足した表情でジョミーに笑いかけた。
「じゃ、ぼくこれからブルーと仲良くしますから。今日は仕事に戻りますけど、そこよろしく」
「……ぼくだって、ブルーと仲良くするんだからねっ」
 シロエに負けないっ、と大人気なく噛み付くジョミーの表情は、それまでブルーが見たこともないものだった。それは対等な相手に、じゃれあいのケンカをしかける、遊びの楽しさにも溢れている。恐らくは、シロエにしか引き出せない表情なのだろう。さらに笑みを深めながらも、シロエはぱっと身をひるがえして公園の出口へと走っていく。その背に、こどもたちが次々と声をかけて見送った。好かれているのだ。
 もー、シロエはー、と脱力気味の声で呟くジョミーも、困ってはいるが嫌っていないようだった。ちらりと向けられた視線が期待を宿していたから、ブルーは思わず微笑んで大丈夫ですよ、と告げる。
「仲良くできそうです」
「うん。それは、それは嬉しいけど……ぼくとも仲良くしてね、ブルー」
 約束、と差し出された手に手を重ねると、ジョミーの表情が華を取り戻す。そして七色に輝く光の思念波が、船を喜びで包み込んだ。長老たちは呆れながら、喜んでその変化を見守る。リオとフィシスは微笑ましいですね、と笑っていた。嬉しい、とジョミーの心が躍る。そのたびふわ、と輝きがソルジャーを彩った。優しい炎の、愛しい赤。その光を一つ、そぅっと手のひらに閉じ込めて。ブルーもすこし、微笑んだ。
 ここは、光の庭だ。まばゆく美しい魂の持ち主が集う、清浄な場所。白き神殿、シャングリラ。いつか、その中の強い、強い光の一つになれることを祈って。願って、ブルーはそっと目を伏せた。

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