ジョミーがソルジャーの座を降りるきっかけとなった戦闘から、一週間が経過していた。船の修理がやっと終わり、落ち着いた空気が戻り始める。負傷者でも打ち身程度の軽症者は通常業務へと復帰し、人員不足を補っていた。リオは、昨日目覚めたばかりだ。ベットの傍でずっと手を握り、離れようとしなかったジョミーを見つけて苦笑まじりに額に口付けを落としたのは、生きていることへの感謝だったのだろう。
シロエは、戦闘が終るまでは意識を保っていた。全ての地雷を破壊し、もう一つも残っていないことを確かめてから、医務室で治療を受けていたジョミーの元に走りこんできて。泣きはらした目で睨みつけ、アンタ本当に馬鹿ですねあとおかえりなさい、と言って倒れたのだった。そのまま二日間目覚めなかったのは、リオと同じくサイオンの使いすぎによる深い疲労の為だろう。それでも、二日後には起きていたのだが。
今は元気に仕事に復帰し、休み時間ごとにジョミーのもとに来ては嫌味まじりの心配をして、時折手を握ってじっと黙り込んでいる。生きていることを、確認しているのだという。ブリッジに居たシドは、疲労はあっても怪我はなく、せいぜい打ち身程度だったので翌日から普通に生活をしていた。しかし、シロエが眠り続けた二日間、暇を見つけては部屋に訪れ、夜は同じ部屋で眠っていたことを誰もが知っていた。
フィシスは、ブルーに連れられてジョミーが戻って来たやいなや、ブリッジに姿を現して綺麗な平手打ちを決めてみせた。思わず全員が絶句する中で、フィシスはその場にしゃがみ込んで泣き出してしまった。その涙を止めることは、ジョミーしか出来なかっただろう。よろけながらブルーの腕の中から離れて、言葉もなくフィシスをそっと抱きしめたジョミーを見て、理性とは別の感情が、かすかな痛みを訴えたけれど。
それよりも大きな安堵で、ブルーは抱擁する二人を優しい気持ちで見ていた。ありがとう、とフィシスからかけられた感謝の言葉に、素直に頷くことが出来たのは嬉しいからだった。ハーレイは、さすがにキャプテンの地位にいるからだろうか。周囲にそっと、こんなことが何回もあったら体がもたない、とグチをこぼしたがそれだけで、船にまつわる全てのことにてきぱきと指示を出し、不安な空気をすぐに消し去った。
カリナとユウイは、しばらくブルーと口をきかなかった。こどもたちの中には、挨拶くらいはしてくれる者もいたのだが、多くはそれもしないでブルーに対して怒っていた。和解したのは、戦闘が終って六日目。リオが目覚めるすこし前のことだった。さんざん泣いた表情でユウイとカリナが手を繋いで現れ、ブルーに対して頭を下げたのだ。ずっとブルーを無視していてごめんなさい、だからどうか嫌いにならないで、と。
愛しいこどもたちを、ブルーは強く抱きしめた。そして抱きついてくる二人を撫でながら、ぼくもごめんね、と囁きかける。頼まれたのに、助けることさえ諦めようとしていた。叫ばれるまで、なにもしようとしなかった。できなかった。約束したのに、破ろうとしてしまってごめんね、と。ユウイとカリナは、泣きながら微笑んで、ブルーを許してくれた。その理由は『だってまだミュウなりたての、新米長さまだものね』だった。
誰でも一番最初は上手くできないものよ、とおしゃまに笑ったカリナの頬に、ブルーは感謝の気持ちを込めてキスを送った。最初の一週間はそうして過ぎて、次の一週間は今度こそ人間に見つからない位置に船を動かそう、ということで場所を決める会議尽くしだった。様々な条件を全て満たす場所は中々見つからず、一週間は瞬く間に過ぎていった。そして戦闘が終って十六日目。ようやく新しい位置が決まった。
その決定をくだす会議が終った後。ブルーは長老たちに呼び止められ、着慣れないソルジャー服のマントをさばきながら、くるりと振り返った。青い布がバサリと音を立てるのに、どこか他人事として仰々しい、と思う。大体、どうして青なのか。ジョミーと同じ赤だったら、おそろいで、しかも瞳とも合うのに、と思いながら、ブルーは首を傾げるのをぐっとこらえて、注意しながら口を開いた。
「な……なんだい?」
なに、と言いかけたのを無理に中断したから、奇妙なことになってしまった。早くこの口調にも慣れなきゃ、と思っていると、思考を呼んだのかブラウがクスリと笑いかけてくる。無理すんじゃないよ、ボウヤ、と笑われて、ブルーは苦笑しながら頷いた。
「頑張るよ。それで、どうかしたのか?」
ソルジャーの地位を引き継いでから十六日目。口調を相応しいものへ改めるように要請されて、十二日目。さすがにだんだん慣れてきたのだが、どうしてもこどもっぽい口調や仕草、クセが抜けずにブルーはまだ苦労している。ジョミーがあんなだから気にしなくていいのに、と言ったのはシロエだが、ブルーは首を横に振って微笑した。ブルーは、まだ己の内面が『ソルジャー』に相応しくないことを知っている。
だからこそせめて、外見だけは、口調だけは整えて、それから内側もそれに相応しく育てていくのだ、と。そう、決意しながら告げたブルーをじっと見つめて、シロエは面白そうに笑って頑張りなよ、と言った。ぼくも、今よりもうすこし成長するから、そしたら『ソルジャー・ブルー』の片腕くらいにはなってあげなくもないからね、と。お互いに頑張ろうね、と言い合って、ブルーはなんとか背筋を伸ばしているのだった。
「今の会議で、ぼくに何か落ち度があったならば、そう言って欲しい。次回からは、無いようにするから」
「ああ、いや。そうじゃないんだよ。そんなことじゃなくてねぇ」
ほら言うんだろ、とからかうような視線をブラウから向けられて、ハーレイはむっとしたような、照れたような顔つきになって長老たちの間から一歩を踏み出した。
「……この間の戦闘のことで、あなたに言っておきたいことがある」
長老たちの誰よりも早く、ブルーに対する言葉遣いをすこし改めたものに変えたのがハーレイだった。ブルーに口調を『ソルジャー』に相応しいものにするように、と言ったのもハーレイなので、違和感や抵抗感は特に感じない。しかし告げられた内容が内容だけに、ブルーはぎくりと体を強張らせた。これまで叱責されなかったことが、おかしいことだったからだ。ソルジャー候補生として、やってはいけないことをした。
その自覚は十分あるし、怒られた方が楽だとも思う。今までなにも言われなかったのは、ただその時間が無かったからに過ぎないのだろう。俯いてしまうブルーに、ハーレイは勘違いしないで欲しいんだが、と笑う。
「反省はするべきことだ。なにに対する反省を求められ、必要だとしているかは、我々が言葉を尽くすよりあなたは自分で知っているだろう。だから、それについてのことではない。私が言いたいのは、その……必要以上に反省したり、落ち込まないで欲しい、ということで」
「つまりさぁ、ブルー? アンタ、ちょっと落ち込みすぎなんだよ。三日や四日くらいならそれでいいけど、もう二週間以上も過ぎてるだろ? もういいから、元気だしなってことさ。なにもアンタを怒りゃしないよ。アンタはよくやった。ソルジャーを連れ帰ってくれたじゃないか。もう、それで十分なんだよ。だからいい加減、ちゃんと笑って欲しいんだよ。新しい長さまがそんなんじゃ、船の中が落ち着きやしないじゃないか」
全く思ってもみなかった言葉に、ブルーは目を瞬かせた。口を開いても、出て行く言葉はえ、とか、でも、と言った単語ばかりで、混乱した意識は文章を作ってくれない。またブルー自身、なにが言いたいのかよく分かっていなかった。苦笑しながら見守ってくれている長老たちの前で、ブルーは深呼吸を四度も繰り返し、それから脱力気味に口を開いた。
「それで良いと、ぼくは思えないんだが」
「大切なのは、繰り返さないことですよ。始めは誰もが間違います。大切なのは、二度目の過ちを犯さないことです。反省は、同じことを繰り返さないためにするのですから。そうでしょう?」
暖かな口調で、冷ややかなものを交えて言ったのはエラだった。頷きを返しながらも、ブルーは納得しきれずに『はい』とは告げられない。だって一歩間違えば、ブルーは本当に役立たずのまま、ジョミーは死んでいたのかも知れないのだった。仮定の恐怖が心を貫き、ブルーはぞっと身を震わせた。あの場でジョミーを助けに行くだけの能力を持っていて、自由に動けたのはブルーだけだったというのに。
目線をあげないブルーに、仕方がないと息を吐いたのはゼル機関長だった。ゼルはやれやれといった様子で首を振り、そして彼方を見つめる眼差しになりながら誰も一度くらいは失敗するものじゃよ、と苦笑する。
「わしは、大規模戦闘中にエンジンを完全停止させたことがある」
「ああ、あれは……船ごと海に叩き落されるかと思いました。船自体の浮力が失われたわけですからね」
ありましたねぇ、そんなこと、と。ごく穏やかに、ほのぼのと、エラとゼルはため息を付き合う。ブルーはしばらく、その会話内容を上手く理解できなかった。戦闘中に、エンジン停止。それはもしかしなくとも、命の危機というか、一歩間違えればミュウ全体が殲滅させられる危険があったのではないか。凍りつくブルーの前で、エラが私もやりましたねぇ、となぜか楽しそうに微笑んで口を開く。
「整備班を手伝っていたのですけれど、ちょっと汚れを拭こうとしたら……連絡艇が全て操作不能になってしまって。今思えば、機能停止スイッチを水ぶきすれば、それはもう止まりますよね。おかげで、アタラクシアの潜入部隊を迎えにいけなくなりました」
「ソルジャーが待機していたシドを連れて、救援に向かったのだったな。懐かしいことじゃわい」
ハーレイはともかく、他の長老たちにとって、ブルーは未だ『ブルー』であり、『ソルジャー』はジョミーを示す呼び名だ。だからそれに混乱することはないのだが、ブルーは思わず床にしゃがみこみつつ、頭を抱えた。違う。それは絶対に違う。どう考えても懐かしいと頷きあいながら、笑って話していいことではない。それなのに、長老たちは腕組みして過去を懐かしみつつ、やらかしたねぇ、と笑いあっている。
「ヒルマンは息抜きで遊びに行った先で捕まえられちゃうし、ハーレイはパニック起こして戦闘中に指揮不能になっちゃうし、ジョミーは物壊すし忘れてくるし、演説中に舌噛むわ原稿忘れてアドリブで乗り切ろうと思ったら途中でどうすればいいか分からなくなって、言葉に詰まってあとは黙ったままだったとか。調子に乗って壊しすぎたこともあるし、かと思えば手加減したわけじゃないのに、思わぬ反撃にあって大怪我して帰ってきたりとか」
さりげなく己の悪行を流そうとしたブラウに、苦笑したヒルマンが自分を忘れているぞ、と突っ込んだ。そしてブルーに対しては教師の微笑みで、仲間のろくでもない過去を教えてくれた。
「ブラウはな。人間統合軍の重鎮に、それこそ年若い乙女のように恋をして、向こうに行こうとしたことがある」
「ちょっ、人の甘酸っぱい青春をバラすんじゃないよっ」
「なにを言う。自分だけなにもやっていないような言い方をするからだろう」
その恋の結末は、今ブラウがブルーの目の前にいることが全てだった。なんとも言えない笑みを浮かべたブルーに、だからさ、とブラウはヒルマンを軽く叩きながら言った。
「私たちだって、それこそ一歩間違えばミュウの存亡に関わるようなこと、やらかしてるんだ。大事なのは、二度と繰り返さないこと、さ。分かったかい?」
「ああ、ちなみに」
長老たちのものだけでは足りないと思ったか、あるいは悔しいと感じたのだろう。こほん、とわざとらしい咳をして、ハーレイは本人たちにバレたら人気の無い場所に呼び出されそうな事実を教えてくれた。
「フィシスは占い結果を読み間違えて、包囲網の真っ只中に船を転移させたことがあるし、リオはうっかり間違えて最重要データを削除して復元できなかったことがある。シドは味方の船に向かってサイオンビームの打ち込みを指示したことがあるし、シロエに到っては……うぅ」
「怒って船全体に電流を流して一時間の機能停止に陥らせたあげく、叱ったら逆切れして船を大破させたことがある。あと、ある日突発的にプリンが食べたくなったと騒ぎ出して食堂を占拠したあげく、シドを呼び出して手作りさせた、とか」
そのおかげなのか、シロエの食事には毎回必ずプリンがつくことになった。相当好きらしい。ブルーは頭の上を流れていく会話を聞き取りながら、もう言葉が出ない状態だった。別に、彼らが己より長く生きていたからと言ってなにもやらかしたことがないと思っていたわけではないし、万能で完璧だと思っていたわけでもないのだが。
「だからさぁ」
ぽん、と肩を叩かれて顔をあげると、ブルーに触れていたのはブラウだった。特徴的なオッド・アイが、悪戯っぽく笑う。
「気にすんじゃないよ。アンタ、まだマシな方だから」
「……そうする」
はぁ、と全力で息を吐き出し、ブルーは暖かい気持ちで立ち上がった。そして、それぞれブルーを見てくる長老たちに笑いかけると、どうもありがとう、と言う。長老たちは肩をすくめたり、笑ったりするだけで、どういたしまして、さえ告げなかった。その代わり、代表してハーレイが呼び止めて悪かった、と告げて手を振る。
「それでは、ジョミーによろしく。ベットに居なかったらリオの所へ。リオの所に居なかったらこどもたちの所へ。そこにも居なかったら館内放送で呼び出して、縄で縛って医務室へ連行して差し上げろ」
「考えておくよ」
大人しくしているといいのだけれど、と苦笑して。ブルーはふわりと浮き上がり、いとも鮮やかにその姿を転移させた。残像が消え去るまで見送って、ハーレイはやれやれ、と苦笑して肩の力を抜く。その隣でブラウが、喉の奥で笑いを響かせた。
「楽しみだねぇ、あのコ。自然に敬って『ソルジャー』って呼べるようになるのは、まだ先そうだけどさ。そうなってみたいよ。そう、思わせてくれるって、中々すごいことじゃないかい?」
「そうだな」
すくなくとも、当時のジョミーよりはよほど優秀だ、と苦虫を噛み潰した表情で言うハーレイに、長老たちは一瞬の間を置いて、それから一様に笑いに吹き出した。確かにそうだった。けれどその時は、長老たちとてそうだったのだ。多くの時間が過ぎ、そしてこれからも過ぎていくのだろう。当たり前のことが何年ぶりかに大切に思えて、楽しくて、長老たちはそれぞれ笑いで心を揺らしていた。
ブルーがジョミーを見つけたのは、いつかの夜に訪れた展望室で、だった。その時とは時間帯がまるで違うため、清涼な光が室内を明るく照らし出しており、人も結構な数がいる。その誰もがジョミーに気がついていながら、声をかけたりできなかった理由は一つだ。展望室の端のベンチで、ジョミーは眠っていた。ここで寝るなら部屋で寝ようね、と思いながらブルーはその隣に座り込み、ジョミーの頭を持ち上げた。
そっと膝の上におくと、ジョミーがもぞっと身動きをしてまぶたを持ち上げる。翠の瞳がゆらりと動き、ブルーを認めてほにゃりと笑った。
「おはよう、ブルー。会議は終ったの?」
「終ったよ。ジョミー、こんな所で寝ていたら駄目だろう? どうして部屋にいないんだ」
優しく言い聞かせる声に首を傾げながら、ジョミーは体を起こして伸びをした。気持ちよさそうに目を細めてから、大きく息をはいて脱力し、ジョミーはあ、そっか、とブルーに視線を戻して笑う。
「口調変えたんだっけ。うん、似合ってる、似合ってる。格好いい。あと可愛い」
「……ジョミーは、ぼくがなにしてても『可愛い』付けるから、もうなにも言わないよ」
諦めの表情で笑うブルーに、ジョミーは不思議そうな顔つきになりながらもにこりと笑った。寝起きで機嫌が良いらしい。全く、すぐ抜け出してどこか行ってしまうね、と怒るブルーに、ジョミーはにこにこと笑って告げる。
「ブルーが探しに来てくれるの、嬉しくて」
「リオの代わりにしないでくれないか。あとハーレイが胃痛を訴えるから、やめて欲しいのだけれど」
「もー。ブルー、シロエと同じこというー」
シロエ、もっと厳しく言い聞かせて、とブルーは思った。軽く睨むと、ジョミーからは満面の笑みが返って来る。ダメだ勝てない、とブルーは苦笑してジョミーに腕を伸ばし、ぎゅっと抱きしめた。
「あまり心配かけさせないで」
「はいはい、ブルーは心配性なんだから」
分かった、気をつけるよ、と甘く笑うジョミーにため息をついて、ブルーは密かに決意する。そのうち、絶対、抱きしめただけで恥ずかしくて言葉も出なくなるくらいの良い男になろう、と。とりあえず、今は今として満足することにして。ブルーはジョミーに、そっと唇を寄せた。
銀木犀の花言葉 『唯一の恋』『初恋』
銀木犀の恋
――それは、この世で唯一の