ソルジャー二人が、青の間からブリッジへと辿り付くに有した時間は三十二分だった。なぜそんなに時間がかかったかと言えば、立ち寄った公園でこどもたちに取り囲まれていたからだ。ジョミーが『ジョミー』ではないと知ったカリナたちは、懐いていることもあってケンカごしで詰め寄ってきたのである。あなたなに、私のジョミーをかえしてっ、と。その『私の』の部分にブルーとしては色々言いたいことがあったのだが。
怒られたジョミーは、それどころではなかったらしい。一番最初はびっくりして翠の瞳をまんまるく見開き、それから公園全体をぐるりと眺めるように視線をめぐらせてこどもたち一人ひとりの顔を見つめ、最後に大きく息を吐いてしゃがみこんだ。感動のため息のようだった。そしてカリナと視線の高さを水平にして、睨みつけるのに甘い微笑みを返したのだ。見ているほうが恥ずかしくなってしまう、とろけた笑みだった。
「カリナ」
わきの下に手を入れてひょい、と抱き上げながら立ち上がって、ジョミーがごく幸せそうに幼子を抱きしめた。そしてああ、カリナだ、と至福の笑みで言われるのに、少女本人は声も出ない様子だ。それもそうだろう。普段からジョミーの笑みを見慣れているブルーでさえ、ハッキリ目の毒にしかならない極上の表情だ、と思ったくらいなのだから。愛おしくて、嬉しくて、喜びでいっぱいで。笑顔が焼きついて、消えない。
この表情を守るためならどんなことでもしよう、と誰にも決意させてしまうような。見ているだけで幸せになって、涙で胸がいっぱいになってしまう。微妙に直視できないので視線をさ迷わせながら、ブルーはジョミーから受けた記憶で見た、『ジョミーのシャングリラ』の様子に納得した。これならば、船の誰もがジョミーを大好きで、力になりたいと頑張っていて、弱くとも全員で戦うと決意して前向きにもなるだろう。
ブルーが作り上げたシャングリラと比べて、どちらが良い、というものではない。そもそも比べるものではないし、ブルーにはブルーしか作り出せない空気があって、ジョミーにはジョミーしかできない方法があるだけだ。どちらもがどちらに勝って、そして負けている面がある。隣の芝生は、青く輝く見えるものなのである。すこし落ち込みそうになった気分を持ち直して、ブルーはようやくジョミーに視線を戻した。
十八歳のジョミーは真っ赤なカリナをひとしきり抱きしめて頬ずりしたあと、言葉もなく口をぱくぱくしているのを愛しげに眺めている。ほんのすこしこぼれて伝わってくる心は、こちらにもカリナがいたことを喜んでいるのを伝えてきた。どの世界でも、どんな立場でも、どんな出会いでも、『ジョミー』にとっての『カリナ』がすこし特別な存在であることは変わらないらしい。ジョミーはカリナを抱きしめて、にこっと笑う。
「嬉しいな、カリナ。こっちでもぼくのこと好きでいてくれるんだ」
「こ……こっち? え。え?」
「さっきのじゃ、突然すぎて分からなかったかな。ちょっと待って……今、送るよ」
そぅっと囁いて、ジョミーは指先でカリナの前髪をどかせると額をあらわにさせた。そして神聖なものに対するような態度で、おごそかに唇を落とす。触れていたのはほんの数秒で、ジョミーはその間に必要そうな情報だけをカリナの中へと流し込んだらしい。まだすこし混乱している、それでも納得した目で見上げてくるカリナに笑いかけて、ジョミーはうん、と頷いた。
「そういうこと。だからね、ぼくもジョミーだよ、カリナ。……ユウイはいる?」
視線を動かしてユウイを探すジョミーに、少年は自ら前に出てきた。わずかに目が細くなっているのは、目の前でジョミーがカリナの額にキスをしたからだろう。それが『ユウイのジョミー』なら怒りはしなかっただろうが、目の前のジョミーにはまだ違和感が残るのである。カリナを下ろしてユウイと視線を合わせたジョミーは、なにもかもを見通しているらしい。怒らないでよ、と囁くと、ユウイの頬にもキスをした。
あとでブルーがどうしてキスを、と聞いた所、ジョミーは己の知識を相手に伝えるのが不得意で、接触するのが一番手っ取り早いから、という答えが返って来たのだが。接触なら手を繋ぐのでも十分なので、キスの理由はジョミーの趣味だろう。またも数秒で離れたジョミーに、ユウイは赤い頬を手で押さえながら、納得の目を向けた。それならいい、と頷くユウイは、ジョミーを同一の存在として認識したようだった。
歳のわりに落ち着いた、好意的な笑みを向けてくるのにジョミーは嬉しそうに笑い返す。そして不思議そうな目を向けてくるこどもたちの額や頬に次々にキスをして、ジョミーはやっと『ジョミー』として認めてもらえたのだった。三十二分もかかったのは、ジョミーが一人ひとりにキスしていたせいで、それ以外の問題が起こったからではなかった。それはいいんですけれど、と到着したソルジャーたちにリオは苦笑する。
『ひとつお尋ねしますが、ソルジャー・シン。いえ、もうソルジャーの座を降りられたのは知っていますけれど、ジョミーだとすこし違和感があるのでそうお呼びすることを許してください。……それで、お尋ねしますが。もしかしてキス魔ですね?』
「そういうことなら呼び方は構わないけど、違うよ?」
ぼくがキスするのって好きな相手にだけだからね、とあっさりした表情でリオの確定系の問いを否定するジョミーに、ブルーはものすごく複雑そうな表情になった。ジョミーは、基本的に博愛のひとである。好き嫌いはハッキリしているが、それは食べ物の好みの話で、人や動物、植物に関しては『好き』か『すごく好き』か『大好き』の三段階くらいしかないのを、ブルーは知っている。そして『嫌い』がないことも。
ジョミーの対人関係における『嫌い』は『嫌い』ではなく、『無関心』になってしまうのだった。あるか、それとも完全にないか。ある意味男らしいきっぱりとした思い切りだが、ブルーのジョミーがそうであるように、ソルジャーのジョミーも無自覚で同じだったらしい。でもリオは好きだからキスしようっと、とにこにこ笑いながら頬に口付けているのを見て、ブルーは額に手を押し当ててため息をついた。
「ジョミーが帰ってきたら、キスして良いのはぼくだけだと教えておかなければ」
「ソルジャー・ブルー。考えていることが口に出ていますが」
「聞かなかったことにしてくれたまえ、キャプテン。教育とは大事なものなのだよ」
ごくまじめな顔で言うブルーに、ハーレイはまあいいですけれど、と諦めて、じゃれあうリオとジョミーに視線を移した。二人が仲良くじゃれているのはいつものことだが、ジョミーの年齢が違うので、どうも見慣れない。それにしても、とハーレイと同じ感想を抱きながら、ブルーは思った。どの世界であっても、ジョミーはリオと仲が良いのだな、と。それは微笑ましくも、こどもたちの時と違ってなんとなく面白くないことだ。
もちろん、リオが悪いわけでも、ジョミーが悪いわけでもないのだけれど。ふと振り返ったジョミーは、ハーレイに目を止め、ブルーを見てにっこりと笑う。それは暖かく包み込んでくる、大人の笑い方だった。ブルーのジョミーにはまだできない笑い方に、思わず息を飲んでしまう。
別世界のジョミーは、同い年のブルーに仕方がないなぁ、とくすくす笑って。トン、と床を蹴って軽やかに距離をつめると、その体に腕を回してぎゅぅっと抱きしめてきた。
「『ジョミー』が好きなのは『ブルー』だよ。……きみが好き。だからそんな顔しないで」
「……どんな顔、してたかな」
「好きって言って欲しいなぁ、って拗ねた顔。ブルー可愛い」
軽く宙に浮きながらブルーの肩に額を押し当て、ジョミーはくすくすと笑った。そんな顔はしていない、と思いながらも、相手はジョミーだ。なにかを感じ取ったのだろう。愛しいよりも不思議に、穏やかに相手が好きな気持ちになって、ブルーは腕を持ち上げるとジョミーの頭を抱きしめた。恋の絡んだ愛情ではない。仲間が仲間に向ける、穏やかな親愛だった。はじめて出会う、同い年の相手だからかも知れない。
様々な違いがあっても、ジョミーだからかも知れない。理由はよく、分からないのだけれど。抱きしめたい気持ちになって、実行に移しながら、ブルーは困ったなぁ、と苦笑した。
「きみを帰したくなくなる前に、どうにかする方法を探さなければ」
「うん。ぼくも、帰りたくなくなる前に帰らなきゃ。……でも、もうすこしだと思うよ」
至近距離でにっこりと笑いあって、ジョミーは軽く胸を張って告げる。
「ぼくのシロエは優秀だからねっ。リオも、いなくなったぼくを探すの本当に上手なんだ。だから、きっと、もうすぐ」
それは上手だと判断できる回数と頻度であなたが姿をくらましているということなのですか、と将来の不安を抱えながらハーレイが尋ねようとした矢先だった。ブリッジの一角であら、と声があがり、キャプテンに向かって報告が来る。
「あの、外部から通信が入っているのですけれど」
「どこからだ」
「座標は不明です。ですが、その……その、識別信号がシャングリラのもの、なんです」
そんなことある筈がない、とハーレイが即答しなかったのは、十八のジョミーが隣でにこにこ笑っていたからだ。視線で問いかけると、きっとぼくの、と頷かれたのでハーレイはとりあえず深呼吸をする。そしてなにが起きても驚かないだけの覚悟を決めて、短くつなげろ、と命令した。ブリッジの正面スクリーンに砂嵐が走る。ざ、ざっ、と奇妙にねじれた音が響き、そしてなんの前触れもなく映像が映し出された。
画面の前に立っていたのは、黒髪の綺麗な美少年だった。勝気そうな顔つきは真剣そのもので、モニターをまっすぐ見据えながらもキーボードに手を置き、なにかを忙しく入力しながら口を開く。
『こちらはシャングリラ。ぼくは攻撃セクションの長で、セキ・レイ・シロエ。そちらは……シャングリラ、ですか? ですよね? 応答願います。繰り返します。こちらはシャングリラ。ぼくはセキ・レイ・シロエ。居ますね? ジョミー! はやく返事してくださいっ!』
「そ、そんなに怒鳴らなくても聞こえてるったらっ」
『ぼくがこんなに苦労してるのにブルーといちゃついてるのが悪いんでしょうがっ! 悔しかったら反論しなさい反論できないでしょうほらいいから余計な口は挟まずに返事すればいいんですよっ! このブルーたらし!』
なんだそれっ、とブルーにべたべたしたまま悲痛な叫びをあげるジョミーには、説得力というものがなかった。どこでなにしててもブルーをたらし込むんだからっ、と画面越しにぎゃんぎゃん叫んでくるシロエを、ジョミーは恨めしそうな表情で見上げる。
「どうしてシロエはそうやっていつも怒鳴るんだよ。恐い。シロエ恐い」
『恐くさせているのは誰ですっ……! ああもう会話進まないっ! アンタいいからもう黙っててくださいっ!』
いいですねっ、とすごい剣幕で同意を求められて、嫌だと言ったらジョミーは帰った時にものすごく怒られることだろう。今後の身の安全のためにも素直に頷いたジョミーは、会話を誰に任せようかと視線をさ迷わせたのだが。ジョミーが見つけるより早く、画面越しのシロエが適任者の名を呼んだ。
『キャプテン・ハーレイはいらっしゃいますか』
「私がハーレイだ。はじめまして、セキ君」
『シロエ、でいいですよ。キャプテン。それにしても、その反応だとホントにそっちにぼくはまだ居ないようですね』
変なところばかり違うのだから、と笑って。シロエはすっと姿勢をただし、画面越しにブリッジ全体に向かって頭を下げた。思わず見惚れてしまうほど綺麗な仕草に、ハーレイは言葉を発せない。迷っているうちにシロエが頭をあげて、にっこりと天使のような笑みを浮かべた。
『ぼくたちのジョミーがお世話になっております。その代わり、というか、そちらのジョミーはちゃんとこっちに居ますのでご安心を。ほら、こっちおいで。きみのシャングリラに繋がってるから』
画面の外に向かってちょいちょい、と手招きをしたシロエもとに、ぱたぱたと聞きなれた足音が近づいてくる。思わず真剣な表情で画面を見るブルーの視線の先に、ひょこりとジョミーが顔を出した。
『ブルー?』
すこしばかりの不安に揺れる声は、なによりも先に、誰よりも早くブルーの存在を求めていた。クスリと笑って十八歳のジョミーからはなれ、ブルーは画面から見やすい位置に体を移動させる。そしてブルーを見つけ、ぱっと明るい表情で笑ったジョミーに目を合わせた。
「ジョミー」
その一言。名前をたった一度ずつ呼び合うだけで、もうどちらの不安も消え去ってしまった。大丈夫だ。にっこり笑いあう二人に、十八歳のジョミーがシロエを見る。その、なんだか拗ねたような視線が言いたいことを察して、シロエは分かってますよと苦笑した。そして画面の前から姿を消すと、すぐにブルーを連れて戻ってくる。外見がまだ十四歳のブルーに、外見が十八歳のジョミーだけがほっと安堵の息を吐いた。
それ以外のシャングリラのメンバーは、大きなどよめきでその姿を認める。ソルジャー・ブルーがちいさい、となにより分かりやすい驚き方に、三百年を生きたブルーがなんとも言えない表情になった。二人のブルーを見比べてクスリと笑い、十八のジョミーは画面越しに、己の銀月へと微笑みかける。優しい表情だった。きみがそこにいてくれるのならもう大丈夫だ、と。全幅の信頼で安心し、安心させる笑みだった。
シロエに腕を掴まれながらブルーはこくんと頷いて、待っていてくださいね、と告げる。それにもちろん、と元気よくかえして、十八のジョミーはシロエを見た。リオではなくハーレイではなく、シロエが通信を繋いできたなら、それはそのこと自体に意味があるからだ。落ち着いた仕草に、誰もが気がついたのだろう。瞬く間に注目を集めたシロエは、こほんとちいさく咳をして、リラックスした様子で話し出した。
『ジョミーが入れ替わった原因は、恐らく半日ほど前にあった空間の歪みのせいだと思われます。その歪みができたのは……心当たりがありますよね? ジョミー。目を逸らさないでちゃんとこっち向いてください人と話をする時は目を合わせるのが礼儀で常識でしょうがこら逃げるな隠れるなっ! あなたが酔った勢いでシャングリラを増築しようとかそんなことするからこういうことになるんですよ聞いてるんですかっ!』
「だ、だって。だって長老たちがぼくの秘蔵のブルーメモリアルを全部捨てようとするからー!」
こちらのリオの背に隠れながらの、涙声の大絶叫だった。あっちもソルジャーはそういうことしてるのか、と言わんばかりの視線がジョミーに向けられるが、向けられた当人はシロエに睨まれてそれどころではない。ぼくの宝物を捨てようとするのがいけないっ、と胸を張って反論すれば、シロエはそれを笑い飛ばした。
『バレるような隠し方するのが悪いんでしょう?』
問題そこなんだ、とブリッジ中の者に思わせながら、シロエはさて、と話題を切り替えた。
『原因が特定できたので、この状態はそう長く続きません。今こちらで歪みを作り出す装置を製作中ですので、そうだな……今日を含めて三日程度、ジョミーを預かっていただけないでしょうか。ジョミー。ちゃんと良いコにしてるんですよ? 迷惑かけないでくださいねっ!』
「……シロエのばーか」
それ以外、どんな反論もできなかったのだろう。しょんぼりしながら言い返すジョミーを、シロエは笑顔で完全に無視した。さらに落ち込んだのを見て、シロエの袖をブルーがひっぱる。もうだめ、と苦笑されて、シロエは仕方がないと口を閉ざした。その代わりに、ブルーが年上の『ブルー』に向かって礼儀正しく口を開く。
『あなたのジョミーは、それまでぼくが大切にお守りします』
「ああ。頼むよ……ジョミー、良いコでね」
『はい、ブルー!』
満面の笑みで嬉しさを隠し切れずに返事するジョミーの隣で、十四歳のブルーの頬が赤くなる。シロエは額に手を押し当てて、無邪気に幼いジョミーって犯罪過ぎる、と呟いていた。それに上手い反論を思いつかないブルーは、苦笑して沈黙を選ぶ。そうしているうちに、短い挨拶と共に通信が切れ、奇妙な鏡合わせ状態は終わりを告げた。