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 3 翠と暁

 外見の年齢が違うだけで、基本的に同じひとだと分かっているのだけれど。それでも会えない寂しさが無くなってしまうわけではなくて、ジョミーはころんとベットの上で寝返りをした。こちらの、ジョミーが三百年生きた最長老の世界に来てしまって、一日目の夜だ。昼間の通信が終った後は、フィシスにひとしきり可愛がられたり、リオに気が済むまで可愛がられたり、シロエにまじまじ観察されて時間を過ごした。
 だから昼間はなんとなくずっと緊張していて、時間など瞬く間に過ぎてしまったのだが。その為に夜になって『寂しい』という気持ちに気がついてしまい、疲れてもいなかったので、どうしても眠れなくなってしまったのだった。明後日になれば恐らく自分の世界に返れる、ということが眠れない気持ちに拍車をかけていた。早く帰りたい、という気持ちがある。そして本当に帰れるのだろうか、という不安もあった。
「……ブルーに会いたい」
 ジョミー、と。昼間、画面越しに聞いた優しい声がよみがえる。その声を聞くだけで安心することができた。なにもかも大丈夫だと、その時は確かに思ったのに。薄暗い部屋の中で、音もなく不安だけが降り積もっていく。眠れない、どうしよう、と悲しい気持ちにさえなった時だった。控え目なノックの音が響いて、扉がすこしだけ開いた。
「ジョミー。起きてるかい?」
 ひょい、と顔を覗かせたのはこの世界のブルーだった。キラリと輝く銀糸の髪も、夕陽色した紅の瞳も、抜けるように白い肌もまるで一緒の、外見だけが歳若いブルー。浮かんでいた涙を拳で拭って、ジョミーは慌ててベットの上で体を起こした。それからうん、起きてる、と頷けば、ブルーの顔つきがすこしだけ痛ましいものになる。ブルーは無言で扉を閉めると近づいてきて、音のない仕草でベットの端に座った。
 そのまま、二人の間には沈黙が流れる。居心地が悪いような、そうではないような、どうにも落ち着かない静寂だった。二人は全くの初対面であるのにそうではなく、出会いの混乱と興奮を過ぎてしまえば、すこしだけぎこちない。どういう風に接したらいいのか分からないのは、二人が共に十四歳で、まだこどもだからなのだろう。悩むジョミーを救うように、口を開いたのはブルーだった。
「眠れなかった、かな。やっぱり」
 もし眠っていたら邪魔だと思って迷っていたのだけれど、と。告げるブルーは顔を動かして、はにかんだ笑みをジョミーに向けた。その表情には恐れと、拒絶への不安が見え隠れしている。どうしたのだろう、と思わず見つめてから、ジョミーはハッと気がついた。きっと、同じなのだ。ジョミーがこのブルーに対して『違う』と思うように、ブルーはジョミーに対してそう思っていて、けれど拒否されることは恐れていて。
 違う、というのは受け入れないことではないのだけれど、同じだという感覚がどこかに残っているから。目の前の相手にそう思われることは、今はいない相手に、そう思われてしまうのと同じことで。勇気を出して手を伸ばせば、指先が頬に触れた瞬間、夕陽色の瞳が泣きそうに揺れた。ジョミーは、とにかくブルーを泣かせたくなくて。よく考えないままに動いて、同い年の少年を強く抱きしめていた。
「ごめん。『ジョミー』じゃなくて」
 抱きしめてから抱きしめたのに気がついて、ジョミーはすこし唇を噛んで。悔しいような、申し訳ない気持ちでそう言った。それにブルーはきょとんと目を見開いた後で微笑み、ジョミーがよく知る『ブルー』と同じ表情で穏やかに微笑む。ジョミーの背が、あやすように撫でられた。その仕草は、指先のささいな動きに至るまで本当に一緒で、不思議な気持ちになりながらも安心することができる。
「こっちこそ。ごめんね、『ブルー』じゃなくて」
「いいよ。同じだし……同じ、だから」
 二つの『同じ』の微妙な違いを、ジョミーは言葉で上手く説明できなかったのだが。ブルーにしてみても、それは同じことだったらしい。苦笑気味の表情でうん、と頷きあって、二人は吐息を分かち合う親しさで額をくっつけた。至近距離で見つめ合うのはよくすることなのに、お互い慣れない新鮮さで、それでいて普段通りの落ち着きが広がって、二人は面白さにくすくすと笑う。嬉しい気持ちだけが、変わらないものだ。
 やがてねえ、と声が響いた。ぴったり重なってしまった言葉に、二人はきょとんと顔を見合わせた後、またすこし笑ってそっちが先に、と譲り合いが始まる。ベットの上でそんな風に笑いあっていたら、なんだかすごく楽しくなってしまって、二人はころんと寝転んで視線を合わせた。お話しようよ、と言ったのはジョミーだった。うん、たくさんしようね、と笑ったのはブルーだった。二人は両手を繋ぎ合わせて、笑う。
「ねえ」
 きみの『ジョミー』はどんなひと、と。翠の瞳を悪戯っぽく輝かせて聞くジョミーに、ブルーはくすくすと笑った。それから真剣に考え込んで、甘く甘く微笑みを浮かべる。
「落ち着きなくて人の話聞かなくて、くるくる飛び回ってすぐ表情変えて、明るくて元気で素直でこどもたちが大好きで、仲間が大好きで、誰からも大切に思われてて……ずっと好きですって言われてないと、すぐ不安になっちゃうひと、かな。あと、格好良くて、すごく綺麗」
「……ぼくのこと言われてる気にならない」
 違うから当たり前なんだけど、と複雑そうな表情で首を傾げるジョミーを、ブルーはうっとりと見つめていた。違うなんて、きっとそんなことはないのだ。ブルーからしてみれば、違いはあってもやっぱり同じ『ジョミー』で、姿や精神が幼い分、ものすごく可愛く感じるだけで。思わず抱き寄せて額にキスすれば、ジョミーはくすぐったそうに笑っただけだった。そんなささいなことが、楽しくて嬉しくて仕方がない。
 触れる時はいつも、ドキドキしてそれ所ではないのに。やっぱり同い年だと違うのかな、と思いながらジョミーに思う存分頬ずりをして、くすぐったがって笑うのにまたキスをした。こつんと額をまた重ねて、お互いに目を覗き込みながら、今度はブルーがジョミーに問いかける。
「きみの『ブルー』は、どんなひと?」
「しかたのないひと、かなぁ」
 甘く、甘く緩んだ声で、微笑みで。それでも第一声は褒めていないようにしか聞こえないことを言うのが、二人に共通したことだった。
「優しくて、強くて、しなやかで。落ち着いてて、ゆっくり優雅に動くんだよね。いつも笑ってるんだけど、微笑って感じで、ぼくと目があった時とか、ぼくと一緒にいる時だけホントに深く笑ってる……のに、ぼくが気がついてることに気がついてない辺りが、軽く天然だと思う。あと実は寂しがりやなんだけど、甘えるのがちょっとヘタなんだ。見惚れるくらい綺麗で……綺麗で、綺麗でどうしようもないひとだよ」
「……それが『ブルー』なんだ」
 全然ぼくに当てはまってないのに恥ずかしすぎる、とベットに力なく横たわるブルーを見つめて、そんなことないのになぁ、とジョミーは笑う。確かに違う所はたくさんあるのだけれど、それでも同じ『ブルー』だと思うのだ。真っ赤な横顔はとても綺麗で、そしてものすごく可愛いと思うくらいで。基本的に一緒だと、思って。可愛いなぁ、と思いながらブルーの手をきゅっと握れば、さ迷っていた視線がジョミーへ戻ってくる。
 そしてはにかんだように笑われて、ジョミーは心底ブルーを可愛いなぁ、と思ってにっこり笑った。その笑みを見たブルーが、ため息をつきそうな気持ちでジョミー本当に可愛いなぁ、と思っているのを知らずに。にこにこ、にこにこご機嫌で二人は笑いあって、同時にちいさくあくびをした。口に手をあてる姿はまるで双子のように左右対称で、二人はもう思い切り笑い出しながら、もう一度手を繋ぎ合わせた。
 こと、とブルーが首を傾げる。
「一緒に寝ていい、よね?」
「うん。一緒に寝ちゃおう!」
 きゅっと手を繋いで。額を重ねて。見つめ合って、笑いあって。それだけのことが、楽しくてしかたがなくて。二人はお互いに抱きしめるように背に腕を回して、優しい気持ちで目を閉じた。不安などなにもなく、ゆっくり眠れそうだった。



 まあ、たぶんそういう流れで、と。シロエはジョミーの部屋をモニターに出して見せながら、画面の向こうのソルジャー二人に『ブルーとジョミーが朝寝坊して起きてこない理由』を説明した。
「二人で眠り込んじゃって、あんまり気持ちよくてまだ寝てるだけなんじゃないかと」
 二人とも無邪気な寝顔しちゃって可愛いったらないですね、と若干年上ぶった発言をするシロエに、ブリッジからは忍び笑いがもれる。そんなシロエが可愛い、と思っているシドのものだった。恥ずかしまぎれに睨みつけて、シロエは画面の向こうへと視線を流す。そして、見なければよかったと後悔した。シロエの見慣れたジョミーと、見慣れない年上のブルーは、二人そろって顔を真っ赤にして座り込んでいた。
 体が小刻みに震えているのは、笑いをこらえているからではなく、きっと感動しているからだ。画面越しに白い視線を向けられているのも関わらず、ジョミーはものすごく感激した顔つきでぐっと拳を握り締めている。
『可愛いっ……ブルー、ちゃんと寂しいって思っててくれたんだっ。可愛い可愛い可愛い可愛いっ!』
『寂しかったんだね、ジョミー。そうか、寂しかったんだね……可愛い。すごく、可愛い。本当に可愛い』
 その隣でうっとりと陶酔した表情で呟くブルーは、やはり感動しているようだった。ほとんど同じ内容で、ソルジャーたちはそれぞれの愛し子に身悶えている。朝起きたら愛し子の様子を見たくなったので、無理を言ってシャングリラに通信を入れさせたかいがあったものだ、と二人のソルジャーの態度が語っていた。三日も我慢できないのかこの人たちは、と正しい呆れで、シロエは思い切りため息をつく。
 向こうのブリッジクルーは、朝から災難だったことだろう。なにせ、ソルジャーが二人なのだ。愛し子のためにはこちらが引くくらいにすごい行動力を発揮するので、立場的にも、勢いでも逆らえなかったに違いない。迷惑かけるなと言ったばかりなのに、と額に手を押し当てながら、シロエはとりあえずこの映像は記録しておいてあげよう、とシドに指示を出して。おもむろに、朝の通信を切ってしまった。
「うん。ぼく悪くないよね。視覚的にダメージ受けるし」
 通信を切れば見えなくなるこちらと違って、向こうのブリッジはさぞ大変だろうなぁ、と思いつつ。シロエは大きなあくびをして、シドから映像を保存したディスクを受け取った。
「ありがとございます、シド・ヨーハン」
「すこし眠れよ、シロエ」
「ありがとございますに返すのはどういたしまして、でしょうが普通」
 相変わらず会話通じない、とかるく睨むシロエの目の下には、うっすらとクマができていた。それというのも、殆ど寝ないで時空に歪みを発生させる装置を作っていたせいだ。整備班が総出で手伝っているものの、基本的にシロエが設計と計算を担当している為、かかる負担が莫大なものになってしまっているのだ。分かっているくせに、と唇を尖らせるシロエの頭を、ぽん、となでて。シドは優しく微笑した。
「でも、まあ、すこし休め。そんなに心配しなくても、ちゃんとジョミーは帰ってくるさ」
「分かってます、けど……まあ、そこまで休んで欲しいというなら、やすんであげますよしかたない」
 あまりろれつの回っていない呟きを落として、シロエはこしこしと幼い仕草で目をこすった。直後にふらりと転移してしまったので、シドは数秒考えてから、まさか、とジョミーとブルーの眠る部屋をちいさく手元のモニターに映してみたのだが。案の定、そこにシロエが加わっていた。ブルーとジョミーの間に器用に挟まって、すでにくー、と健やかな寝息を立てている。やはり、相当無理して起きていたらしい。
 まったく、と思いつつ、シドはこっそりその光景を記録して、最高プロテクトをかけた上で保存してしまった。こみあげてくる気持ちに口元を緩ませて、シドは別世界でソルジャーたちが考えているのと同じことを呟く。やっぱり、ウチのコが一番可愛い、と。

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