基本的にやることがないので、ソルジャーたちは暇を持て余していた。ジョミーはカリナたちと遊ぼうとしたのだが、リオに笑顔で止めて下さいね、と言われてしまえば食い下がれない。あなたの笑顔はある意味毒なんですよ、と言われたのには意味が分からないが、悪い意味で遊ばないで、と告げられたのではないことが分かれば十分だ。そしてジョミーが暇なのであれば、ブルーも同じく暇なのだった。
それは別に運命共同体だからではなく、ブルーはブルーで、出歩いてなにかやらかさないように部屋にこもっていてください、と長老一同にお願いされていたからで。正確に言えば、それは『ジョミーを連れて出歩いてなにかやらかさないでください』なのだが。どちらにしてもひどいと思わないか、とブルーは穏やかな軟禁状態にある青の間で、お茶一式を並べた机にあごをのせた。ジョミーは、すぐに頷く。
「やることないもんね。お茶の用意はしてくれたから、それだけはありがたいけど」
リオの手作りクッキーを一つ摘み上げたジョミーは、ぽし、と音を立てて二つに割った。その片方を自分の口に入れ、もう片方を机越しにブルーに差し出す。ブルーは暇すぎる、とため息をつきながら体を傾けて口を開き、ジョミーのくれたクッキーをぱくりと食べた。さすがリオの手作りともいえる一品は、甘さも味も実にブルーの好みで、そしてジョミーの好みでもあった。だからこそおいしい、と感動さえするのだが。
その感動も、すぐ消え去ってしまう。机に肘をついて手を組んであごをのせ、ブルーはつまらなさそうに呟いた。
「暇だ……やることがない」
それさえ、もう何度目か分からない言葉だ。暇だということにすら飽きてしまって、ついに無口になってしまう。うぅ、と呻くブルーに、同じ状態のジョミーがじゃあ、とぼんやりした様子で言った。
「ぼくらも、一緒にお昼寝でもする? ベットあるし」
「お昼寝か……きみがどうしてもしたいのなら付き合うが、ぼくはここ数年、寝てばかりでね」
正直、眠るのにも飽きているんだ、と正気を疑われそうな言葉に、しかしジョミーは深々と頷いた。それは、やっと同士にめぐり合えた喜びさえ宿していて。まさか、と期待に輝く目を向けるブルーに、ジョミーは笑いかけた。
「分かるよ。飽きるよね、寝るのって」
「ジョミー……! はじめて分かってくれる人にめぐり合えたよ」
「ぼくもだよ、ブルー。飽きたって言ってるのに、やれ良いから眠れだの、やれ顔色が悪いだの、体調が悪くなったらどうするつもりだ、だの。ずっと寝てるほうが体調悪くなる気がするよね。それに、寝るのってホント飽きるし」
お昼寝とか言ってごめんね、と笑うジョミーの手を取って、ブルーはいいんだ、と囁く。そのまま二人は感激した表情で見つめあい、しばらくは暇を忘れていたのだが。五分もすると暇すぎてどうしようもないことを思い出してしまって、手を取り合ったまま、がくりと脱力した。思い出すんじゃなかった、とどちらも思うが、いったん意識してしまうと忘れることができない。呼吸をしても、視線を動かしても、暇である。
暇つぶしになにを考えるかを考えるしかないのか、と不毛この上ない思考に逃げようとしたジョミーの前で、ブルーはせめて、と青の間の出入り口を見つめた。
「図書室に居させてくれればいいものを。そうしたら、ジョミーの秘蔵コレクションがしまってあるから、それを見ていられるのだし。一時間だって半日だって丸一日だって、一週間だって飽きないのに」
だから図書室に行かせてくれなかった、ということを考えもしない嘆きに、ジョミーは同意の頷きを見せた。そしてこちらは、持って来れば良かったなぁ、と残念がる言葉を発して、でもやるよね、と言う。
「だってあんなに、あんなに可愛かったんだもの。いや今も十分可愛いけど。写真取ったり文書でその日あったことを記録したり、映像保存したりするよね。ぼく悪くないよね。きみなら分かってくれるよねっ?」
「ああ、分かるとも。確かに今でも十分可愛いが、ちいさい頃はちいさいからこその言い表せぬ可愛らしさというものがあって、それをぼくは残しておきたいと思うだけなのに。それをどうして捨てようとするのか理解できない」
それはストーカーの行為で犯罪だからですよ、とリオなら笑顔で突っ込んでくれただろうが、あいにくと青の間にはソルジャーが二人しか居なかった。そのため、二人は意気投合して記録の正当性を主張しあい、ひとしきり語った後に切ないため息を吐き出した。
「捨てられていないといいのだけれど。最近、ハーレイがうるさいのだよ。いい加減に処分しなさいとか、ジョミーがかわいそうだと思わないのですか、とか。バレたら嫌われますよ、とか。確かにジョミーにコレクションのことは話していないが、それはそれ、これはこれだ」
「分かる分かる、すごーく分かる。最近になってうるさくなったよねー。別にいいじゃないか、誰にも迷惑かけてないし。それに、すぐ傍に居るっていっても、ブルーは最近ソルジャーのお仕事で忙しくてあんまり会えないんだから。その辺り、もっと分かってくれなくちゃいけないよね」
ね、と同意しあって、そこでまた会話が途切れてしまった。どちらともなく紅茶の入ったカップに手を伸ばし、ぬるくなってしまった液体を喉に通す。ふっと気の緩んだ息を吐いたのは同時で、二人はすこし意外そうに眉を吊り上げ、全く同じ仕草で肩をすくませてクスリと笑った。ソーサーにカップを戻して、ジョミーはなんか、と面白そうに呟きを落とす。
「不思議な気分だ。ブルーとこういうこと話してるのも、目の前に居るきみが同い年だっていうのも」
「そのまま正しくぼくの台詞でもあるよ、ジョミー。……向こうの二人も、こんな気持ちかも知れない」
「そうかも……いや、そうだろうね。不思議で、妙に居心地よくって落ち着いて、ぼんやり、なんとなく、理由は分からないんだけど嬉しくて楽しい。ぼくがそうなんだから、向こうのジョミーも同じだよね」
目の前にその存在があるだけで、なんとなく落ち着いてしまって、心が揺れることなど一度もない。だから本当は暇であることさえ、どうだっていいのだ。傍にいる。近くで笑っている。穏やかな気持ちで、お茶を飲んだりお菓子を食べたりする。そんな時間を過ごせるというだけで、幸せだと思える。暇だと呟き続けるのは、それに同意したり言い合ったりしてみるのが楽しいだけで、嫌なわけではないのだった。
ほのぼのとした空気を漂わせながら、ブルーはやはりリオの手作りマフィンを手に取った。そして一口だけかじると、マフィンを持った手を机越しのジョミーに伸ばす。ジョミーはまったく自然な仕草として体を傾け、ぱくんと一口、マフィンを食べた。そしておいしいねぇ、と笑いあって、すぐにお互いため息をついた。
「暇だね」
「うん。暇だね」
「暇だよねぇ」
さてなにをしよう、と実は延々ループしている会話を繰り返しながら、二人はカップを手にとって、ゆっくりと紅茶を飲み込んだ。
大体予想していたのだが、それでも寸分たがわぬ光景と会話が繰り広げられていたのには呆れてしまう。呆れるべきか、脱力するべきか迷ってため息をついたリオは、こんな光景を見せてしまって大丈夫だろうか、と十四歳組の映るモニターを振り返ったのだが。もう全然大丈夫だったことにすぐに気がつき、額に手を押し当てて遠い目をしてしまった。ハーレイではないが、胃がちくちくと鈍く痛んでくる。
ブルーとジョミーの様子が見たいから見せて繋いでお願いお願いっ、と二重奏で頼まれた時点で、別にどんな会話をしていようとも姿を見られるだけで構わないのだ、というのは薄々分かっていたのだが。どうして今の会話と光景で、目をうるませて顔を真っ赤にして、感激したような感動したような、惚れ直したような風になれるのだろう。考えても分からないので早々に思考放棄して、リオは目をそらした。
暇だねー、暇だねー、と言い合いながらカップを傾けるソルジャーたちにうっとり見惚れながら、十四歳のジョミーは胸の前で祈りのかたちに手を組む。そしてため息と共に、呟いた。
『やっぱりブルー、仕草が綺麗……っ。どうしよう。なんであんなに綺麗なんだろう。困る。綺麗で』
『ジョミーの声、どうしてあんなに綺麗なのかな。綺麗だな。綺麗だな、綺麗だなー』
その隣で頬に手を当て、同じくため息をつきながら呟いているブルーは、会話の内容はどうでもいいらしい。二人で恋する乙女のように綺麗、綺麗、素敵、と連呼するのをぬるい気持ちで眺めながら、リオは昨日もこの光景見た、と思った。その時と比べてジョミーとブルーの立場が逆だが、お互いに、さすが同一人物、と思わせる反応である。お互いが好きなのにも程がありますよね、とリオは静かに思った。
そして二人がうっとりしている隙に、指示して通信を切らせてしまった。今頃は盛大に騒いでいるかも知れないが、その声は特に聞こえてこないので問題はなかった。続いて青の間のモニター画面も消し去って、リオは肩の荷が下りた様子で椅子に座る。そして成り行きを呆れ顔で見守っていたハーレイに、からかうような、同情するような視線を向けた。
『キャプテン。あなたの気持ちがすこし、分かった気がします』
「聞きたくないがあえて聞こう。リオ、それはどういう意味だ」
『そのままの意味ですが。胃痛って辛いですよね、という』
ふぅ、と息をはくリオは本当に辛そうで、ブリッジからは心配する視線がいくつも向けられた。自身も同じく心配しながらも、ハーレイは己の時との差異に思わず眉を寄せてしまう。ハーレイの胃痛や苦労は、労わりつつも基本放置がシャングリラのスタンダードだ。なんともいえない気持ちになるハーレイに、リオは和んだ様子で微笑みかける。そしてまあまあ、と肩を叩いた。
『いまさら気になされても、もうどうしようもないんですから』
「慰められている気がしないんだが、気のせいか?」
『どうぞお好きに』
解釈は自由です、と笑顔を向けられるので、慰められていない、で良いのだろう。大きく息をはいたハーレイを見て笑みを深めながら、リオはさて、と立ち上がった。その動きを視線だけで追い、ハーレイが問いかける。
「どこへ」
「食堂と、青の間へ。給仕をしてきます」
ソルジャー二人が淡々とお茶菓子を口にしているせいで、十分な量を用意した筈が、先程の映像を見ると足りなくなっていたのだった。また用意してやらなければ、それこそ暇だと口にしながら青の間から出て来てしまうだろう。ゆっくりしていて欲しい。理由はいろいろつけたが、リオたちは別に閉じ込めたくてソルジャー二人を軟禁しているわけではないのだ。ブルーは船内の、そしてジョミーは向こうからの希望だ。
普段忙しくてあまり休もうとしない人だから、理由をつけて室内に閉じ込めて、体だけでも休めて欲しい、と。様子を見る分に、心も体も休まっているので、結果としては最上のものだろう。ブルーが積極的にものを口にするのも、あまりない機会なのだし。さすがはジョミーですよね、と思いながらブリッジを出て、リオは食堂へと向かった。今度はどれを運んで行こうか、と考えるのは案外楽しいことで。
こんな日も悪くない、と微笑しながら、リオは足を進めた。