けれど、ここは甘やかしていい場面ではなくて。ジョミー、と促すように名前を呼んでやれば、それで決心がついたのだろう。うん、と頷いて深呼吸をして、ジョミーはえっと、と勢いづいて胸を張りながら言った。
「ブルーがぼくとえっちするようになってから!」
「もっと小声で言いなさいっ!」
すかさず注意したのはエラだが、突っ込むのはそこで良いのだろうか。まあ公認ですけどね、長老たちも知ってますけどね、ともの言いたげな視線を向けるリオをものともせずに、ジョミーはなぜか怒られている。これだから最近の若者はっ、までは分かるのだが、貞操観念についてジョミーが叱られるのは間違っているのではないのだろうか。ジョミーの貞操を危うくしたのも、奪ったのもブルーなのだから。
言えっていったのそっちのくせにーっ、と叫び返して半泣きになっているジョミーの肩に後ろから手を回し、リオはぐいと抱き寄せて長老たちから距離を取らせ、救出してやる。すぐにリオーっ、とめそめそ抱きついてくるのを撫でながら、リオは氷河さえ呼び出せそうな冷たい笑みを長老たちに向けた。
『お叱りは以上です、ね?』
いいえと言おうものなら、この先一月は背後に気をつけた生活を送らなければならない。もちろんだ、と引きつった表情で頷く長老たちに満足げな笑みをみせ、リオは引っ付いたまましょげているジョミーの背をゆっくりと撫でる。大丈夫、もう大丈夫、と囁きながら軽く叩いてやると、それだけで気持ちが落ち着いたのだろう。すぅ、と息を吸い込む音が耳元で響き、サラリと流れる金の髪がリオの首をくすぐった。
「ねえ、リオ。ぼくが悪いのかな。……なにか思い出させるようなことしてるの、かな。それともぼくのなにかが、思い出させちゃうのかなぁっ……ハーレイ、ゼル、ブラウ。辛いこと聞いてるって分かってる。酷いこと言ってるのも分かってるんだ。でも思い出して、教えて欲しい。ぼくは……ぼくの仕草だったり、言葉だったり、なんでもいい。どんなことでもいい。ぼくは、実験を思い出させるようなこと……あるの?」
ソルジャーとして迷いなく尋ねようとしながら、ジョミーとして不安に揺れてしまった頼りない声だった。離れようとしたジョミーを抱きしめることで元に戻させ、リオは無言で腕の力を強めた。そんなことはない、と言ってやりたい。けれど経験していないリオでは、楽観的な希望にしかならないのだ。祈るようにして言葉を待つジョミーとリオに、三人の口は重たく、中々開かなかった。けれど、やがて、答えが響く。
いいや、とブラウは苦く笑った。遥かな記憶をそっと見つめてくれた優しさを声に宿しながら、ブラウはハッキリと否定する。ハーレイとゼルも、それに続いた。なにひとつとして、そんなことはない、と。完全に否定されて、かえって分からなくなったのだろう。ジョミーの瞳に、我慢していた涙が浮かぶ。リオにぎゅっと抱きついてしゃくりあげながら、ジョミーはゆるく首を振った。
「じゃあ、なんでブルーは……ぼくとそうなった夜だけ、夢なんて見てるんだよっ」
『……毎回ですか?』
「そうだよっ! 絶対、必ず、一回の例外なし!」
ごく控え目な、それでいて重要なリオの問いに、ジョミーは噛み付くように叫び返した。そして癇癪を起こしたこどもそのままに、うーっ、と声も上手くあげられず泣き出してしまう。リオはそれ以上問うことなく、強くジョミーを抱きしめてやった。鋭い視線が長老たちに向けられる。もしもなにか分かるとしたら、ブルーと同じ経験をした者だけだ。辛くとも苦しくとも、今の救いの為に考えてもらわなければ。
長老たちは複雑であっても、異論はないのだろう。皆一様に決意を秘めた表情になって、静かに考え込んでいる。それだけでも、この年若いソルジャーに向ける敬愛の深さが分かろうというものだ。嬉しく微笑んでジョミーの頭をぽん、と撫で、リオは長老たちの言葉が出るまでの間もたせとして、素朴な疑問を一つ口にする。
『ブルーは、夢を見たことを覚えてらっしゃるのですか?』
どうもそうとは思えないからこその疑問だった。ジョミーがブルーの元で過ごす夜が終わり、朝が来ると必ずリオは青の間の前まで主君を迎えに行っているのだから。中からこぼれる気配は、疲れていることや幸福に満ちているのが大半で、さっきの長老たちのようではない。長老たちも、それを疑問に思ったのだろう。視線に乗せられた無音の問いに首を振り、ジョミーは直接問いかけたリオに向き直って言う。
「覚えてないみたい。夢を見たこと自体分かってないんじゃないかな。それに……見るって言っても寝てる間中ずっとってわけじゃなくて。ぼくが気がついて起きて、止めさせるまでの短い間だよ」
『止めさせる?』
「うん。こう、ブルーをぎゅーって抱きしめてね。大丈夫だよ、もう終ったよって言ってあげるの」
最初の頃はホントに、もうどうしていいのか分からなかった、と途方にくれた息を吐きながら、ジョミーの顔には薄い悲しみが宿っていた。対処方法を身につけたとはいえ、ブルーが夢を見なくなったわけではないのだから。
「そうすると、すぐ夢を見なくなってことんって寝ちゃうんだよ。やっぱり安心するのかな。寝てても言葉が届いてる感じがして、ぼくは嬉しいけど……喜ぶことじゃないよね、別に。ああ、そういえば、でも、そうやって安心させられなかった頃でも、起きて覚えてる様子はなかった」
夢に苦しむブルーを眺めるしかできなかった夜は、どれほど長いものだったのだろうか。沈痛な気持ちになって抱きしめてくるリオの腕を、ジョミーは甘やかすように無抵抗で受け入れてやる。優しいひとだった。どこまでも、ジョミーは優しい。ぽんぽん、とリオの腕を叩いて抱擁を解かせ、ジョミーは難しい顔つきで黙る長老たちを、困りきった目で見つめる。ねえ、と小石を転がすような気安さでジョミーは言う。
「ぼくはどうしたらいいのかな。今まで覚えてたことないけど、これからもずっとそうだとは限らない」
記憶の中の思い出だけで長老たちの反応になるのであれば、夢として追体験した直後ならどれほど心が乱れるのだろう。それこそサイオン・バーストの危険さえある。かつてソルジャーだったブルーだから大丈夫、という保障はできない。大きな力の保有者だからこそ、暴走した時に自分の手で止められない大爆発を起こすのだ。何度かそれをやらかしているジョミーだからこそ、苦い気持ちをたっぷり込めて告げる。
「ブルーは強いよ。その心も、力もだ。けど、それは元々強かったんじゃなくて……長老たち、間違ってたら正してくれて構わないけどさ。ブルーの強さは、強くなろうとして頑張って頑張って、頑張れちゃったからものすごく強くなった強さなんじゃないかなって、思うんだよね。元が弱かったとは言わないよ。元もすこし、他と比べれば強かったんじゃないかな。でも今のブルーくらいまで強くなったのは、それはブルーが」
「望んだからだ。ソルジャー、君は正しい」
きっぱり言い切ったのはハーレイだった。その言葉に万の気持ちをこめ、一言も謝罪や後悔をにじませずに。告げてくれたハーレイに、ジョミーはやっぱりね、とにっこり笑う。見たものの心を軽くしてくれる笑い方だった。思わずふっと力を抜く長老たちに、ジョミーは大きくため息をつき、困ったなぁと天井を睨みつける。そして天井の染み助言されたかのように、急に目を瞬かせてねえねえ、とリオの服をひっぱった。
「夢の中にもぐって、介入してブルーを助けるってできないかな」
『介入……ですか?』
「うん。せめて夢の中だけでも。過去はどうもできないからさ……無理、かなぁ」
可能か不可能か、の二択であれば『不可能ではない』としか答えられない問いだった。やってできないことはないが、危険が大きすぎる。下手をすれば精神が夢の中に閉じ込められ、ジョミーが二度と目覚めない可能性もある。その場合でもブルーは起きることができるので、事態を知ればそれこそサイオン・バーストを起こした半狂乱に陥りかねないだろう。止めて下さいね、と言うリオに、ジョミーは唇を尖らせた。
「そんな、もしもの可能性で止められても困るよ。それ言うなら、もしもブルーが今度は覚えてて、起きた瞬間に大爆発するかも知れないじゃないか。結果が一緒なんだったら、行動したほうがずっと有益だ」
『後者は船の被害ですみますが、前者はあなたを取り戻せません。ダメです。ダメです。ダーメーでーすっ!』
ぴんっと指先で額を弾きながら言い聞かせるリオは、ジョミーの年齢を間違えているとしか思えない。こどもあつかいだ、とぷっくり頬を膨らませて抗議すれば、そんな仕草をしておいてよく仰る、と笑われてしまう。ますます頬を膨らませたジョミーは、それでも諦めない様子でじゃあ、口を開いた。
「分かった。リオ手伝って」
『何を仰るのですか。ダメですよ。やりませんよ』
「いいじゃないか。リオ、手伝ってっ」
リオが僕の傍で付きっ切りで、閉じ込められそうになったら引き上げてくれればいいだけの話じゃないかっ、と言われてしまえば、それもそうなのだが。それでもリオが間に合わなければ結果として同じなのである。そんな危険に、リオは従者として主君を行かせるわけにはいかなかった。ダメです、と先程よりハッキリした声でリオが告げると、ジョミーの眉がつりあがる。
「ダメじゃないよ。リオ手伝って」
『ダメですダメですダーメーでーすっ!』
「ダメじゃないから手伝ってってばっ!」
こうなるともう、どちらが折れるか勝負にしかならない。いつのまにか低次元の言い争いに下げられてしまったことを気がつかず、リオはジョミーをきっと睨みつける。対するジョミーは、言葉は真剣なものの哀願の目つきで、リオは思わず一歩引く。この時点でリオは劣勢なのだが、諦めるわけにはいかなかった。すでに半分諦めて傍観している長老たちを忌々しく思いながら、リオはダメっ、と叫ぶ。
『ダメですっ! ダメったらダメっ!』
「手伝って!」
『だからっ』
ダメ、とさらに言い募ろうとするより早く、ジョミーが叫ぶ。
「手伝って! リオ大好き!」
ここでその台詞は、最大最強の反則技なのではないだろうか。思わず脱力してしまったリオに、ジョミーはにこにこと笑いながら顔を覗き込んできて告げる。
「ね。手伝ってくれるだろう? リオ、リオ、大好きっ」
『……覚えていなさい。いつも手伝って差し上げると思ったら大間違いですよ』
「うん! リオ大好き!」
やったぁっ、と歓声を上げて抱きついてくるジョミーを受け止めながら、リオは完全敗北を認めて、長老たちに視線を向ける。そして各々から遠隔補助を受ける約束を取り付けて、はしゃぐジョミーの頭を撫でた。
そうだ、目を覚まさなければいけない、と。深い眠りに落ちていきそうな意識を強制的に殴り起こして、ジョミーはもそもそと身動きをした。大きく体を動かしても、一度眠ってしまったブルーは緊急警報がならない限り起きないので安心なのだが、ジョミーの方の都合でそれは不可能なのだった。全身が疲労まみれで、心地よくシーツに包まって眠ってしまいたい。誘惑をあくびで断ち切って、ジョミーは起きた。
裸の体にもう一枚用意していたシーツをまきつけて、ジョミーは大きく伸びをする。そして眠い目をこすりながら一応ブルーが眠っているのを確かめ、青の間の扉を振り返った。
「リーオー。もーいーよー」
『……失礼、します』
ああなんでこんな所に、と珍しく思考だだもれの状態でこっそり入ってきたリオは、情事後の姿を見たくなどなかったらしい。せめて服着てください、とうなだれながら近寄ってくるのに、ジョミーはむくれた様子で首を振った。
「嫌だ。えっちの後に服着ると、なんかすごく重たいから」
聞くんじゃなかった、という顔つきになるリオに、ジョミーは軽く唇を尖らせたがそれだけで、言葉を発しようとはしなかった。無言ですいと視線を移動させ、健やかに眠るブルーの顔を見つめる。月の佳人は今日も麗しく、今の所悪い夢を見ているようではなかった。ジョミーはじっと油断なく視線を向けたまま、戦いの前にそうするように集中を高めていく。それは何千、何万の細い糸を一本によりあげていくように。
細く、どこまでも細く鋭く、強靭な一本の糸。あるいは敵を切り裂く一振りの刃を研ぎあげるように。愛しくブルーを見つめながら、内面が恐ろしいほど磨き上げられていく。合わせて己も補助の用意をしながら、リオは集中の邪魔にならないように声を響かせた。
『注意を、しておきます。万が一にも、戻れなくならないように』
「うん。聞くよ」
聞いてるから勝手に言って、とばかりに視線さえ向けず、ジョミーはそっとブルーの手を取った。両手で包むように軽く握り締めて、そぅっと微笑する。唇を指先に押し当てて、それが本当に大切で大好きなのだと誰の目にも分かる笑顔を浮かべて、ジョミーは幸福のため息をついた。なんとなく見ていられなくて視線をさ迷わせながら、リオはそれでも真剣な声で言う。
『あなたがそこでどんな体験をしようと、どんなものを目にしようと。それはブルーの経験で記憶で、そして夢です。飲み込まれないで下さい。それが夢だということと、介入しているという現実を忘れないでいてください。必ずここに、戻ってくるのだと。意識をしっかり保って』
「うん。分かった……ああ、はじまった」
ジョミーこそ痛みを感じているような呟きに、リオはハッとして視線をブルーに向けた。それまでごく穏やかに眠っていたブルーは、苦悶に歪む表情で全身に力が入れられ、呼吸さえも苦しげで顔には汗をかいている。おそらく、全身から発汗しているのだろう。今にも苦痛で叫びだし、暴れだしそうなブルーに、しかしジョミーは慌てなかった。爪が食い込むほど掴まれた手を見て、まずそこに唇を落とす。
そっと、そっと、触れるだけのキスだった。それなのにほんのすこし、ブルーの全身から力が抜ける。ジョミーは穏やかな表情で微笑みながら、ブルーの体に覆いかぶさる形で横になった。そして肩口に甘えるように頬をこすりつけて、耳元で声を響かせる。優しい声だった。綺麗な、声だった。子守唄を紡げば、天上から響く光になって降り注ぐであろう愛に満ちていた。綺麗で、聞くだけで意味もなく涙が出そうだ。
両手で包んでいた手を離して、片手だけで握るようにして。もう片方の手で、ジョミーはブルーの肩を優しく撫でる。触れた箇所から痛みや苦しみ、ブルーを苦しめるなにもかもを受け止め、吸い取ってしまうように。
「ブルー。ブルー。大丈夫。もう大丈夫だよ。それは、もう終わり。ね、終わり……終ったんだよ」
それは何度、繰り返された言葉なのだろう。大いなる福音のように穏やかに、慣れ親しんだ響きで紡ぎあげられる。それでいてどこかたどたどしく、言葉を選んで囁きかけられていた。
「終ったんだよ。思い出して、ブルー。あなたはもう、自由だ。……ブルー。ねえ、ブルー。大丈夫」
それでも、ブルーは中々安らいだ状態に戻らなかった。一進一退を繰り返して、呼吸がどんどん浅く速くなっていく。ジョミーはブルーの額に浮いた玉の汗を指で拭い、神聖なものに対するようにそっと口付ける。大丈夫、大丈夫、と繰り返す言葉は言い聞かせているようであり、そしてまた己に対しての祈りのようだった。見守ることしかできないリオは、せめて邪魔にならないよう、息をつめて二人の傍に控える。
ジョミーは用意していた濡れタオルでブルーの顔や首を拭ってやりながら、バサつく髪に指を通して愛しげに微笑んだ。そしてもう一度苦しむブルーの耳元に唇を寄せて、軽くキスした後に笑う。
「あいしてる、よ」
びくっ、とブルーの体が大きく震えた。シーツごしでも分かるほど硬直していた体から、ゆるゆると力が抜けていく。ジョミーは、なんの感情にか浮かんだ涙をまばたきで振り払って、ブルーをぎゅぅっと抱きしめる。
「あなたをあいしてるよ。ブルー……ね、分かって。もう終わり。もうおしまい。終ったんだよ。終ってるんだよ」
ゆるゆると力が抜けていき、呼吸がだんだんゆっくりになっていく。血が通れずに白くなっていた手にも色が戻り、ジョミーはほっと息を吐き出した。そして、ブルーが傷つけてしまった箇所に手を押し当てて癒し、完全に安堵したのを見て取るとリオを振り返る。その表情はリオの知る、いつものジョミーのものだ。しかし、リオの方が普通には接することができない。大切な、とても神聖なものを見てしまった気持ちで。
戸惑いながら近くに来るリオに面白そうに笑いかけて、ジョミーは頼むよ、とだけ告げた。余計なことを一切告げない気遣いに、リオは己の役目を思い出して背筋を正す。ジョミーは、本当は体を拭いてあげてからの方が気持ちよかったんだろうけど、と苦笑して、シーツが汗でうっすらと濡れてしまっているブルーの体に、先程のように覆いかぶさった。今度は腕を首と背に回し、ぎゅっと力を入れて密着する。
「夢が完全に消える前にしないと、ね……じゃあ、行って来ます。もし緊急事態が起こったら、途中でも呼び戻して良いから」
『はい。行ってらっしゃい、ジョミー。どうぞ御武運を』
「なんか戦いに行くみたい」
おおげさなんだから、と苦笑して、ジョミーはブルーと額を重ね合わせた。直後、ジョミーの全身から力が抜け落ちる。精神が体から離れたのだ。ぐんぐんブルーの意識にもぐっていく道筋だけを追いかけながら、リオはジョミーの成功をひたすらに願っていた。