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 眠りを呼ぶ声

 体の芯まで貫くような、ビリビリとした振動は、うまく受け取れない悪意の囁きたちだ。ああもう一月も経つのだから、いい加減すこしは受け入れてくれればいいのに、と。自分がさほどミュウの文化や思想、歴史などを受け入れていない事実を棚にあげて、ジョミーは苛立ち紛れにベットの上で寝返りを打った。もう二週間前にもなるが、ブルーがジョミーに『なにか』をしてくれたおかげで、痛みを感じることはない。
 ただ、うまく受け取れないだけで。『声』が発する振動のようなものは、正常に痛みなく、受け止めることができるようになっていた。できるようになったからといって、声が聞こえないのであれば、現状になんら変化は起こらないのであるが。まあ、痛くなくなっただけマシなのかな、と目を半眼にして考えながら、ジョミーはベットの上に体を起こし、全く来ない眠気に呆れた顔つきになる。眠い、と思わないのだ。
 それはなにも、絶え間ない振動が眠りを邪魔しているから、ではなく。恐らくは心因性のものなのだろう。船に来たころから、すこしずつ不眠の症状が出始めていたのが、ここに来て一気に悪化したというだけのことだ。まあ仕方ないよな、とジョミーは暢気に座り込んでいる。眠れないものは眠れないのだし、薬を飲もうにも手元にはないし、言ってもくれるかは分からないので、いさぎよく諦めるしかないのだ。
 でも、昨日も二時間くらいしか眠れてないし、さすがに疲れてはいるんだけど、と。ぶつぶつ呟くジョミーは、空気に金木犀の香りが混ざったのを感じて、思い切り眉を寄せる。それは急激に濃くなることもなく、また消えてしまうこともないが、やんわりと、そしてずっと漂って来ている。最近ようやく、ジョミーはその香りの正体を突き止めた所だ。それは、ソルジャー・ブルーの意識が向くところに現れる。
 ジョミーを気遣い、ジョミーを想い、ジョミーを感じて『見て』いる時にのみ、その香りが漂ってくるのだ。リオに聞いたところ、ブルーは別に香水をつける習慣はないとのことで、香りがなぜ漂うか、については未だ不明のままなのだが。巡る思考をそこで止めて、ジョミーはともかく、と口を開いた。中途半端に漂ってくるのは、ブルーが来ていいものか迷っているせいだから。
「ブルー?」
『……こんばんは、ジョミー』
 眠れないの、とやんわり微笑みながら、青白い燐光に彩られて姿を飛ばしてくるソルジャー・ブルーを、他の誰かが見たら卒倒するだろうに、とジョミーは思った。妙な所で器用らしいブルーは、船内のジョミーに感情があまり良くないのを察してか、個人的な接触を公に明かすような真似をしていないらしかった。表立って庇えば、立場がさらに悪くなるかも知れないから、と憂いて言われたのは、最近のことだ。
 だから早く、たどり着いて欲しい、と。もろもろを学び、知り、理解して、その上でこの船のどこにブルーが居るのかを探し当てて。会いに来て欲しい、とブルーは言ったのだ。それまでは、こうして姿を飛ばして会いにくるから、寂しくはならないだろうけど、と。体調が悪くて眠ってばかり、という噂を聞いているだけに、記憶の言葉と目の前のブルーを照らし合わせて考えて、ジョミーはあなたこそ、と目を細めた。
「体調が悪い、と聞きました。……眠れないんですか?」
『ジョミーが寝たら、ぼくも眠るよ』
 やわらかく、美しい笑みをたたえて言うブルーから、ジョミーはすこしだけ目をそらした。ブルーの笑みはいつも綺麗で、ジョミーへの想いにあふれていて。きちんと姿を見ることができるようになってこのかた、まともに見ていることができないでいる。そんなジョミーにすこしだけ残念そうな表情を浮かべ、ブルーはそっとジョミーの肩を押しやった。その優しい仕草に逆らわず、ジョミーはベットに横になる。
『さあ、おやすみ。眠れるまで、ここにいよう』
「……あまり、見ないでください」
 恥ずかしくて眠れないでしょう、と拗ねたように言うジョミーにくすりと笑い、ブルーはそっと身を屈めて頬に唇を落とした。かすめるだけの口付けに、ジョミーはぎゅっと目を閉じて大きく息を吸う。香りだけを感じ取れていた幼い日々には、全く意識しなかった恥ずかしさが胸にはあった。幾度も幾度も、ブルーはこうしてジョミーの頬に口付けを落としていたのだ、と。記憶通りの慣れた感触に、今更ながら知る。
 真っ赤になったジョミーに、ブルーはくすくす、と悪戯っぽく笑う。
『おやすみのキスだよ、ジョミー。そんなに意識しないでくれ』
「い……意識、させているのは、誰ですか」
 さあ、わからないよ、とうそぶいて、ブルーは優しい仕草でジョミーの頬を撫でた。乱れた前髪を指で整えてやりながら、ブルーは目を閉じたままのジョミーにさあ、と囁きかける。
『おやすみ、ジョミー。良い夢を……そして、明日こそ』
 待っているよ、と告げる声を最後に、ジョミーの意識は夢へと沈んでいった。

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