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 しょんぼり

 どうも最近ジョミーの元気がないんですよね、とリオにテレパシーで相談を持ちかけられ、ハーレイはそっと額に手を押し当てた。このタイミングでそれを言ってくるか、と思ったからだ。現在、ハーレイとジョミーはミュウについての勉強会の最中なのだが、どうも顔色が悪い、と思っていた矢先の発言なのである。もう、見計らっていたとしか思えない。呆れで心をいっぱいにするハーレイに、リオは微笑んだようだった。
『それで。やっぱり、元気が無いと思いませんか?』
 病気ではないようなのですけれど、とそっと息を吐いたようなリオの言葉に、ハーレイはいいから休んでいて欲しい、と思った。リオが腕を痛めてから、一月とすこし。未だ完全回復していない体には、こんな会話より睡眠や休息が重要だというのに。どうも、妙にジョミーを気に入ったらしいリオは、ことあるごとに少年の心配をするのだった。ねえ、と念押しするような思念波に、ハーレイは大きく息を吐き出して。
 そして、なにかを言おうと口を開きかけながら、机に向かって本を読むジョミーに、視線を向けたのだが。声は、テレパシーであっても音声であっても、一瞬凍りついて出てこなくなってしまった。それというのも、ジョミーは上半身だけを体に横たえて、くったりとしていたからだ。慌てて駆け寄って名前を呼べば、ひどくおっくうそうに視線が上げられ、ハーレイの名が紡がれる。名前を呼ぶ元気だけは、まだあるらしい。
 額に手を押し当てて熱を測れば、通常の温度のように思えた。呼吸は気持ち弱弱しい気もするが、途切れてしまいそうなものではない。疲れ切っている、というのが一番相応しいだろうか。時刻は午後の二時。朝から勉強し通しだったので、疲れが出てくる時間帯かもしれないが、それでもジョミーの様子はおかしかった。また、テレパシーを上手く受け取れなくなってしまったのだろうか、とハーレイは眉を寄せる。
 静かに、それでいて灼熱の怒りを持ってハーレイに思念を飛ばしてくるリオから、視線をそらすような気持ちで無視しつつ、ハーレイは顔色の悪いジョミーに呼びかけた。
「ジョミー。どうしたんだ」
「ハーレイ、先生……ええと」
 あの、と言いかけて、迷うように視線をめぐらせ、ジョミーは口を閉ざしてしまった。その横顔は怯えているようにも見えたし、困惑しているようでもあった。どちらでもあるのだろう。だがもっとも強いのは緊張と不審で、信じていいのだろうか、という問いが見え隠れしている。何度言っても直さない、どうも直せないらしい『先生』の呼称に慣れない感覚を覚えつつ、ハーレイは手を伸ばし、ジョミーの頭をぽんと撫でた。
 ミュウの幼子たちに、時折する慰めや、なだめの仕草だった。それを今どうしてジョミーにやってしまったのかは分からないが、慌てて手を退けるのも妙だろう。不思議な気分になりながら無言でジョミーの頭を撫でて、その手が拒否されないことに、ハーレイはかるく目を見張る。頭というのは、急所の一つだ。ミュウであっても人間であっても、もっとも過敏に防衛反応が働く場所のひとつだといってもいいだろう。
 それなのにジョミーは、ハーレイを不審そうに見やるものの、頭を動かさないし手を伸ばして遠ざけたりはしなかった。それは少なくとも、すこしであっても、ジョミーがハーレイを信頼している、ということなのだろう。無意識の行動であったにしても。攻撃しない相手だ、と。悪意を向けてこない相手だと、認識している証拠だ。それなのに、ジョミーは言葉の続きを告げてこない。遠慮しているのか、それとも怖いのか。
 なんとなくむっとして、ハーレイは眉を寄せた。そしてかすかに怯えるジョミーに向かって、なるべく優しく言い聞かせるように、と念じながら口を開く。ようするに、怯えて怖くて頑なになってしまったこどもを相手にしている、と思えばいいのだ。異邦人ではなく、人間、でもなく。そんな、人種的な分類で考え、相手を捕らえるのではなく。もっと簡単に、年齢的な成長をかんがみて、接してやればいいだけなのだ。
 ジョミーは、十四歳。まだたったの、十四歳なのである。母親が恋しいだろう。一人引き剥がされて不安もあるだろう。敵意に取り囲まれて、怖いばかりだっただろう。混乱することばかりだっただろう。そんな生活が一月以上も続いていれば、誰だって体調を崩してしまう。もっともジョミーは、もうミュウたちを受け入れる気持ちに変わってきているから、不安を覚え、怯えるばかりではないのだろうけれど。
「ジョミー。さあ、怒らないから」
 言ってみなさい、というハーレイを、ジョミーはしばらく見つめていた。本当に信頼して良い相手なのかどうか、そうして見極めようとしているようだった。それは恐らく、最初で最後のチャンスなのだろう。わだかまりを残さずジョミーに受け入れてもらえる機会は、きっと一度だけだ。真摯に視線を受け止めるハーレイに、ジョミーの瞳が迷うように揺れた。新緑を宿す、翠の瞳。命の輝き、そのもののような色。
 ぱたぱた、とまばたきが繰り返される。そして逸らされた視線は、対応を決めかねてのことだろう。指をもじもじと動かしながら考えるジョミーの周囲に、その時、青白い光がともる。薄ぼんやりと、半透明のその光は、ハーレイでも意識しなければ見ることのできないソルジャー・ブルーの残り香。やさしさと愛おしさにあふれた、気遣いの想いが、光となってジョミーを抱きしめる。大丈夫、大丈夫、とあやすように。
 光が見えているわけではないのだろう。しかしジョミーはハッと顔をあげて息を吸い込み、ほんのり頬を赤く染めて視線をさ迷わせる。それまでハーレイに対して見せていた警戒の姿とは、全く違う態度だった。それは甘えて、安らいで、恥ずかしがっているような。ふわりと、金木犀が香る。ジョミーだけでなく、ハーレイにも届くほどに。それは、ソルジャー・ブルーの香りだ。彼がもっとも愛し、まとう香りそのものだ。
 それがなぜ、とハーレイが口に出す前に、ジョミーの目がまっすぐに向けられる。
「船に来たばかりの頃は、そんなこと感じなくて。だから、ここ最近のことなんですけど」
「あ、ああ」
「おなかが空くんです」
 きっぱり、ハッキリと。言い切ったジョミーの目に、嘘偽りなどなかった。しかし予想外の言葉に、ハーレイは上手く意味がつかめない。沈黙してしまったハーレイに、ジョミーは恥ずかしそうに言葉を重ねて行った。いわく、船に来たばかりの頃は緊張していたし、慣れない環境だったから食欲もわかなかったし、胃ももたれてしまっていたので大丈夫だったが、最近はすこし適応してきたのか、量が足りないのだと。
 ミュウたちの食事は、人間と比べると若干少なめだ。そして消化に良いものが多く、基本的に食べやすい。つまり人間社会でずっと暮らしていて、しかも成長期の少年であるジョミーにしてもれば、十分満足行く内容ではなく、量も足りない、ということで。思わず笑いに噴き出してしまったハーレイに、ジョミーは真っ赤になった顔で笑ったっ、笑わないって言ったのにっ、と噛み付くような叫びを向けてくる。
 怒らない、とは言ったが笑わない、と告げた記憶はない。しかし火に油を注ぐだけだと分かっているハーレイは、すまなかった、と素直に謝罪し、むくれてしまったジョミーの髪をぐしゃりと撫でる。やや乱暴な撫で方に、ジョミーはすこし驚いたようだったが、それでも嬉しかったのだろう。やがて穏やかな笑みを浮かべて、ちいさく頷いた。そしておなか空いた、と切なげに呟かれるので、ハーレイはすこしだけ考えて。
 室内にある戸棚に歩み寄り、その中にあるこどもたちが勝手に置いて行ったお菓子箱を持ってくると、ジョミーの前にコトリと置いた。
「とりあえず、これを食べなさい。食堂には連絡をしておこう」
 あればおやつを持ってきてもらうし、なければ夕食をその分増やしてもらうから、と。言ったハーレイに、ジョミーはぱぁっと顔を輝かせた。警戒を解いた、無垢な笑顔だ。思わず目を見開くハーレイに、ジョミーはありがとう先生、と笑って、嬉しそうにお菓子の箱を開けた。

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