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 月は辿る

  暗闇に、星が灯る。月の明かりだけがやんわりと夜を切りさき、地上を照らし出す夜。見果てぬ夢を追い求めるように、ソルジャー・ブルーは空を眺めていた。雲間に沈んだ船の窓からは、白く濁って夜空さえ上手く見通せないが、それでも凛と冷えた独特の空気が真昼とは違う静けさで心に寄り添い、気持ちを癒してくれる。窓に手をあて、すぅと目を細めて、ブルーは物憂げに息を吐き出した。幾度目の夜だろう。
 こうして幾度、夜は巡ったのだろう。それは数え切れぬ程で、うっすらとした恐怖が指の間をするりと抜けては消えていく。思わず手を握っても、その中にはなにも掴めなかった。そっと手を開き、視線を落としてみる。白い手袋に覆われている、見慣れた手のひらがあるばかりだった。いったい、なにを期待したのだろう。ほろ苦く笑って、ブルーは窓に背を向けた。今夜は冷える。もう、寝た方がいいかも知れない。
 誰もいない部屋に、ブルーの足音がひっそりと響く。二歩、三歩。体は窓辺から離れていく。四歩、五歩。そしてゆっくりと六歩目を踏み出し、硬く澄んだ音が静寂に響いた瞬間だった。彗星が、ブルーの脳裏を駆け巡っていった。それは、一瞬意識が白くなるほどのすさまじい衝撃。ブルーは、思わず息を乱して振り返った。窓から見える景色に、なんら変化はない。現実の夜空に、流れた星ではなかったからだ。
 しかし、それでも。焦がれたものを追い求めるように、ブルーは窓辺へとかけもどり、手のひらを強く押し当てた。息をつめながら強く、強く夜空を見上げ、ブルーは感嘆のため息をつく。
「ああ……やっと、生まれたんだね。君を……ずっと、待っていた」
 たった今生れ落ちた君という存在を、ずっとずっと、この幾年。数え切れぬ夜を巡り、切なさに胸を裂かれながらずっと、ずっと。待っていた。待っていた、待っていた、待っていたのだ。震えるブルーの唇が、未だ知らぬ名をなぞるようにゆっくりと動く。そして泣き声のような音を立て、息が吸い込まれた。
「君を、待っていた」
 音もなく、頬を涙が流れていく。そっと閉じられたまぶたの裏側で輝く、光に対して微笑みながら、ブルーは限りない安堵と喜びに身を任せていた。ああ、彗星だ。夜を裂き、長い暗闇から連れ出してくれる彗星が、やっと流れたのだ。泣きながら、笑いながら、まぶたの裏に見る光は美しく。それはまるで太陽のように、強く、強く輝いていた。未だ辿れぬ名の代わり、ブルーの囁きが静寂を揺らす。君を、と。
「今、みつけた」
 木漏れ日のような金と、新緑の翠。生きる力、伸びやかなきらめきに満ちた存在。待ち焦がれていた、ひと。ブルーはやわらかに目を細め、窓越しの空にむかって指先を伸ばした。そしてきゅっと手を握り、大切ななにかを掴んだように。満ち足りた表情で、微笑んだ。



 音高く扉を開けて走りこんできた指導者の姿を確認し、ハーレイはリオが逃げたことを確信した。最近はずっとブルーの傍に控え、身の回りの補佐をしていた筈だから、重ねられる甘い言葉に耐え切れなくなったのだろう。一週間か、よくもったな、と遠い目をしながら勇者を賞賛するハーレイに、ブルーは目をきらきらと輝かせながら駆け寄ってきた。そしてがしりとばかりに両肩に手を置き、聞いてくれ、と笑う。
「ジョミーが、今日はじめて話したんだっ」
「……それは、大変良うございました」
 絶対にジョミーの養父母より喜んでいるであろうブルーに、ハーレイはげっそりしながらそう答えた。昨日とも、一昨日とも違う内容であるからこそ、よくも喜ぶネタが尽きないと感心するばかりである。やはり耳栓を購入すべきか、と真剣に悩むハーレイに、ブルーは熱っぽい視線を虚空へと投げかける。その唇からは無駄に美しい声が言葉となってもれ出ているのだが、ハーレイは聞こえないふりをすることにした。
 要約すれば『ジョミー可愛い』の一言で済む内容だということは、ここ一年程で分かりきっているからである。ジョミー・マーキス・シン、と名づけられたこどもがこの世に生を受けて以来、とにかくその存在を気に入っているのだった。無意識に送信されるテレパシーを完全に受信拒否しつつ、ハーレイはどうにか肩を掴んでいるブルーの手を外そうとするのだが、そう力が入っているわけではないのにびくともしない。
 無駄な抵抗を可愛がるようにほんのり微笑んで、ブルーはハーレイに弾む声で告げる。
「これから、どんどん育っていくんだ。……ぼくの、太陽は」
 それは、どんなにか素晴らしいことだろう、と。この世の喜びを歌い上げるように笑うブルーに、ハーレイはよかったですね、とそれだけは心からの言葉を捧げた。船を強奪し、人間たちから逃れてこのかた、ブルーはずっと薄い不安を抱えていたからだ。それは原因のない、理由のない、ただ漠然とした不安。それがジョミーの誕生によって、霧が晴れるように消えていたからだ。そしてもう、抱えることはないだろう。
 ブルーがジョミーを太陽と呼ぶように、ハーレイをはじめとしたミュウたちに取って『ソルジャー・ブルー』は月なのだ。鮮麗な、静かな、やさしい光をたたえた月。その月が、ようやく見つけ出した太陽だ。己の生を輝かせるものがある限り、ブルーは闇に囚われることがないだろう。夜の静けさの中にあっても。遠く輝くその光が、暖かく身を包み込むことだろう。よかったですね、と言うハーレイに、ブルーは微笑んだ。

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