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 そこへ行く鍵

 ハーレイが忙しい為に出来た授業のない一日を、ジョミーは与えられた部屋でぼんやりと過ごしていた。急に休み、といわれてしまっても、やることがなければ退屈なだけなのである。課題として出された本はもう読んでしまったし、さりとて復習をするような気分にもなれない。あてもなく、出歩く気分でもない。ひたすら時間をもてあます鈍い苦痛に耐えながら、ジョミーはうー、と唸ってベットの上を転がっていた。
 すると柔らかな思念波がそっとジョミーを呼んだので、ぱっと顔をあげて扉を見る。ノックする音こそしないが、それはそう言った習慣がないからだ、とジョミーはもう知っていた。代わりにテレパシーで伺いを立てるので、入室できるかできないか、が確実に分かって良いのだろうだが。リオ、と弾んだ声で呼びかけながら小走りに扉に近づき、ジョミーは内側から扉の鍵を開けた。そして、廊下に立つリオを招き入れる。
「リオ、リオ。もう出歩いていいの?」
『ええ。大丈夫ですよ。ありがとう、ジョミー』
 笑いさざめくような気配を思念波にのせて、リオはゆっくりとした仕草で部屋に入ってきた。その姿を、ジョミーはすこしばかり不思議に見つめる。なんとなく、普段と違う気がしたのだ。なにがどう違う、ということまでは分からないのだけれど。こういう時、テレパシーがきちんと操れれば違うんだろうな、と軽い劣等意識でため息をついたジョミーに、リオは優しい微笑みで首を横に振る。ダメですよ、ということらしい。
 穏やかにたしなめられるのはいつものことで、その仕草がいつもあまりに優しいからこそ反発もせず、ジョミーは素直に頷いて扉を閉めた。そしてリオを振り返ると、唐突な驚きに目を瞬かせる。愛しげに微笑むリオの、ジョミーに向かって差し出された両手のひらの上に、ちいさな生き物がちょこん、と座り込んでいた。それは灰色がかった薄い青と、濃い青の二種類の毛色を持つ金目の生き物。ナキネズミだった。
 わぁっ、と思わず歓声を上げるジョミーめがけて、ナキネズミがぴょんと飛びついてくる。ちいさな体をなんなく肩で受け止めたジョミーは、頬ずりしてくるナキネズミに嬉しげに目を細めた。すっかり懐いているナキネズミの、柔らかな毛を何度か手で撫でてやりながら、ジョミーはリオに目を向ける。リオはじゃれあう光景を穏やかな目で見つつ、微笑ましげな表情で、よかったですね、と囁いた。
『あまりに、あなたを恋しがってなくもので。家畜飼育部から引き取ってきました。お世話、できますか?』
「ああ、もちろんっ……ありがとう、リオ。すこし、気になってはいたんだ。ぼくが連れてきたから」
 お前困らせちゃダメじゃないか、とナキネズミを撫でるジョミーは、いつになく嬉しそうだった。思わぬ再会に、よほど心弾んでいるらしい。やはり連れて来て良かった、と心から安堵を覚えるリオは、だからこそ頭の痛そうな声で切々となんてことを、と訴えてくるハーレイの声をすっぱりと遮断してしまう。そもそも、ジョミーが暇をもてあまして可哀想だったのは、ハーレイがスケジュール調整ミスをしたせいなのだ。
 ならば、多少無理を言ってナキネズミをジョミーに預けたとしても、文句を言われる筋合いなどないのである。恋しがっていたのは事実ですし、と耳を塞ぐ気持ちでハーレイを無視し続けるリオに、ジョミーから不思議がる目が向けられた。どこかしら戸惑いを含んで揺れる瞳に、リオは大丈夫ですよ、と安心させるように笑う。
『家畜飼育部が困っていたのは、本当のことですから』
 それ以上に、ナキネズミをジョミーの元へ連れて行くことで困らせたのは、この際ささいな問題なのである。ジョミーが笑顔ならば、それに勝る問題などないのだ。ね、といい含めるリオにこくんと頷いて、ジョミーは頭の上によじ登ろうとするナキネズミを腕に抱きしめる。そして穏やかな息を吐くと、リオの名を呼んだ。
「ありがとう。でも……うん。他の人を困らせるようなことは、なるべくしないで」
 ハーレイ先生も困っているようだし、と軽く眉を寄せて訴えられて、リオはナキネズミの持つ能力を思い出した。ナキネズミは微量ながら思念波を出すことができ、他者とのそれを中継することも出来るのである。最近、ジョミーの能力にもやっと安定の兆しが見えてきたから、中継されれば薄ぼんやりとしたものであっても、思念をとりまく感情くらいなら正確に把握できるのだろう。はい、と返事をして、リオは頷く。
『分かりました。肝に銘じます、ジョミー。あなたを、困らせることはしません』
「え、いや、ぼくだけじゃなくて、他の……っ」
 ミュウたちにも、と言葉は続く筈だったのだろう。形成されかかった単語が胸の中で混乱し、そのまま消えていくのをリオはハッキリと感じ取った。そして、手のひらから熱が広がっていくような感覚も。ジョミーが抱くナキネズミのおかげで、ずいぶんと深くまで意識が外に開くようになって来たらしい。それは良いのか、悪いことなのか、と考えながら、リオは口付けを落としたジョミーの右手を解放し、至近距離で笑う。
 ぱっと手を取り返して口をぱくぱくと動かし、深呼吸をしてやっと声が出せるようになったジョミーは、ふてくされたように視線を外してなにするんだよっ、と言った。
「なんでっ、なんでリオはそうやってすぐっ」
『誓いの形として、一番分かりやすいですから。対外的にも、私とあなたの関係が伝わりやすいでしょう?』
「リオは、ぼくとどんな関係になるつもりなんだよっ……いい。言わないでいい。考えないでいいっ」
 知りたくないっ、聞きたくないっ、と騒ぐジョミーは、そこではじめてリオの思念が読みやすいことに気がついたのだろう。原因を探してさ迷った視線は、やがて胸元にひっついているナキネズミの上で止まった。大正解です、と笑いながら教えてやるリオに、ジョミーはがくりと膝から折れて脱力し、床の上にしゃがみこむ。そしてしばらくの沈黙ののち、ジョミーは頭が痛そうな声でリオ、と問いかけてきた。
「もしかして、また、図った?」
『いいえ。全く。嬉しい誤算ではありますが、今回は違います』
「今回はってなんだよっ。今回『は』ってーっ」
 ああもう信じられないっ、と跳ねるような勢いで顔をあげたジョミーに、リオはにっこりと笑いかけた。その笑顔はあくまで優しいもので、だからこそジョミーは怒りを持続できず、すぐにぷいと視線を外してしまう。気を取り直して立ち上がり、ナキネズミをベットにでも寝かせようかと足を踏み出したジョミーに、リオはそっと手を伸ばして頭を撫でる。なに、とばかり向けられる視線に笑いかけて、リオは口を開いた。
『でも、これでソルジャーの居場所を探りやすくなったでしょう?』
「……え」
『ナキネズミは思念波の中継もしますが、それ以上にジョミー、あなたの力の制御にすこしだけ力を貸してくれます。ほんのすこし、ですが、それは大きな違いでしょう』
 だから。探す効率も、精度も良くなる筈だ、と告げるリオに、ジョミーはぱちぱちと目を瞬かせて。それから花が咲きほころぶように笑って、ありがとう、と叫んだ。ナキネズミはその大声に驚いて、きゅっと鳴き声をあげる。そのことにも気がつかない様子で喜ぶジョミーに、リオはそっと笑ってこれくらいなら、と気がつかれないように思念波を送る。これくらいならば、手助けのうちにも入らないでしょう、と。
 ソルジャー・ブルーは微笑みながら、ジョミーが良いのなら、と言葉を返して。やわらなか想いで、喜ぶジョミーを見つめていた。

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