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 灼熱の花が呼ぶ

 丸まって眠るナキネズミを指先でつつき、ジョミーは浮かない表情で息を吐き出した。どうも、気分が沈みがちである。原因はハッキリ分かっていて、それはソルジャー・ブルーが見つからないからだった。リオにナキネズミの世話を託されて、早三日。きちんとしつけをされたのか、それとも元々の性格なのかナキネズミはとても良いコで、ジョミーの手を煩わせることなど一つもしなかったし、味方になってくれた。
 一緒にいると力が安定するのが、ハッキリと自覚できるのである。どうしても制御できなかった大きな渦が、穏やかな力で凪いで行く感覚。それは優しい母の腕に包まれるのにも似ていて、ナキネズミと一緒にいるだけで、船の中のどんな悪意でも平気な気がした。けれど。ブルーの居場所が、ジョミーにはまだどうしても掴めない。たったそれだけのことで、ジョミーの力はまた不安定になり、どんどん荒れていく。
 それはもう、ナキネズミが居ようと抑えきれないらしかった。元々ナキネズミからの働きかけは、ほんのきっかけを呼び込むようなささいなもので、荒れていくのを止める程に強くはないのだった。強くなっていく頭の痛みに耐え、ジョミーは歯を食いしばって胸の辺りの服を握り締める。起き上がっているのはもう限界で、そのままナキネズミを起こさないようにだけ気をつけながら、ベットへと無造作に横たわった。
 痛い。船に来た頃よりずっとミュウたちを理解し、近しく思っているからこそなお、悪意が痛かった。それはもうすでに、ジョミーに対する悪意ではないのだろう。ジョミーに向けるつもりでも、ないものだろう。それはただ、人への悪意。ミュウたちをつまはじきにし、この世界から抹消しようとしている人間に対しての、やり場のない怒りと悲しみ。それが無意識に、ジョミーへと向けられてしまっているだけなのだろう。
 ミュウは弱いから。戦いにも争いにも、本当はまるで向いていなくて。傷つけること、憎み続けることも、優しいミュウたちの心を蝕んでいくものでしかないのだろう。だからこそ悪意は、無意識にジョミーに向いてしまうのだった。ジョミーだけがこの船内で、心まっすぐに悪意も、善意も両立させることのできる強さを持っているから。はっ、と浅い息を吐き出して、ジョミーはゆっくりと、心にうすい膜を張っていく。
 無意識に向けられるものだから、そのテレパシーを跳ね返すことは危険だ。無意識ということは無防備で、そんな状態で思念を跳ね返したりすれば、最悪そのミュウの心が壊れてしまいかねない。だからジョミーは、拒絶せずに受け入れる。ただそのままでは痛すぎるから、緩和する為にうすい、うすい膜を張って耐えるのだ。ゆっくりゆっくり、焦らずに己の力を操って。痛みをすこしづつ、感じないようにしていく。
 やがて痛みが我慢できるくらいまで薄まって、ジョミーは全身から力を抜いた。熱い汗がどっと噴き出して、全身がベタついて気持ちが悪い。ぼんやりとまばたきを繰り返して、そこまで集中していなくても膜がはじけて消えないことを確かめ、ジョミーはやっと心底安堵した息を吐き出す。そしてシーツに心地よく頬をすり寄せ、無駄だと分かっていながらもブルーにバレてしまわないようにと、それだけを祈った。
 優しく美しいあの人は、それが無意識の行いであろうとも、ジョミーと仲間たちを思う心の板ばさみになって苦しんでしまうだろうから。ぼくは大丈夫だから、これくらいなんでもないから、だから傷つかないで、と。伝えたくても、伝えれば完全に露見してしまうからそれが怖くて、ジョミーは一人で圧迫感に耐えるのだ。気がついているリオとハーレイだけが、謝罪と気遣いの思念を向けてくれるのが気持ちよかった。
 それらに大丈夫、と口元だけに微笑を浮かべてたどたどしくテレパシーを送り、ジョミーはゆるりと上半身を起こす。なんの気なしに見た窓の外は、雲の中であるが故に白く、薄暗くぼんやりとしていた。ここからでは、星が見えない。夜空の、あの見上げるだけで感じる独特の静けさも、分からない。それがジョミーには、たまらなく残念なことに思えた。なにより月が望めないことが、悲しいくらいに悔しいことだった。
 冴え渡る月のように、美しいひと。天上に輝く月は、ソルジャー・ブルーそのもののようでありながら、彼の持つ優しい眼差しや雰囲気を思い起こさせてくれる。それが見えれば、どれ程心の慰めになるだろうか。ふらつきながら立ち上がり、ジョミーは窓辺へと歩いていく。そして冷たい硝子の感触を手に感じたとたん、世界が暗転した。声をあげる間もなかった。荒れる己の力に耐えかねて、意識が奥へ沈んでいく。
 無意識に助けを求めて伸ばされた手は、冷たい硝子ではなく暖かな体温に包まれた。貧血を起こしたように開けないまぶたの裏側で、感じるのは蛍の灯火のように淡い、淡い青白い光。ソルジャー・ブルーのオーラの色だ。しまったなぁ、と思いながらゆるゆるまぶたを開くと、案の定、とても怒った顔つきのブルーと目が合ってしまって。視線を逸らすしかできないジョミーに、ブルーの抑えた声が向けられる。
『ジョミー』
 名を、呼ばれただけ。たったそれだけなのに、ジョミーの体はびくんっと大きく震えてしまった。ジョミー自身も驚くほどの反応は、ナキネズミのせいもあって深く開かれた心が、ブルーに対して恐怖を覚えたからだった。嫌わないで、と。まずそれだけがまっすぐに、浮かび上がってくる感情だ。嫌わないで、呆れないで、怒らないで。傷つかないで、と。それはひたすら、ブルーに対しての望みと願い。それだけで。
 そんな感情を受け止めて、ブルーがそれ以上ジョミーを怒れるはずもなく。まったく、と息をはいて抱きしめれば、ジョミーは居心地が悪そうに腕の中で身じろいだ。己の感情がまっすぐに相手に届いたのを、ジョミー自身も自覚したからである。心が遮蔽できないことを、普段がそうであっても自覚してしまった状態では、恥ずかしすぎてあまり抱きしめてもらいたくないのだった。
「ブルー……ブルー、あの、できれば」
『駄目だ。もうすこしでいいから、このままで……ジョミーの心が、流れ込んでくる』
 可愛い、とクスリと耳元で笑われて、ジョミーはもう意識を失いたくなってしまった。恥ずかしくて、恥ずかしくて仕方がなくて、くらくらする。眩暈を起こすほど感情には行き場がないのに、それはそのままブルーへ伝わってしまうのだ。恥ずかしくて、でもそれだけではなくて。嬉しいと思う、心が。伝わってしまう。ぎゅぅ、と目を閉じて硬くなってしまったジョミーの額に、ブルーは宥めるような口付けを送った。
『ジョミー、大丈夫。なにも、怖がることはない』
「怖がって、なんかっ」
『……いいコだ』
 ごく嬉しそうに微笑んで、ブルーはジョミーの頬を撫でた。丁寧さを感じる仕草に、ジョミーはどんどん息苦しくなっていく。心拍数が上がるのも、呼吸が上手く行かないのも、自覚しているのにどうすることも出来ない。ブルーはすこし困ったように微笑むだけで、いつも通りに見えるのが悔しくてならなかった。ジョミーは、こんなに苦しいのに。大体ブルーは、こんな時でも思念体で、生身ではないことが悲しかった。
 言葉にできない感情が、胸の中で花を咲かせていく。それが、伝わっているだろうに。ブルーは微笑むだけで、ジョミーを助けてなどくれなかった。ジョミーの目に、じわりと涙が浮かぶ。それが零れ落ちる前に、ブルーの唇でぬぐわれるのを感じて。もう、我慢などできなかった。
 あなたは、と。掠れた声が、漏れて行く。
「ぼくの、ことを……どう思って、いるんですか」
 聞きたい。けれど、聞きたくない。どんどん溢れていく涙は、制御できない感情そのもののようだった。こんなにも。ジョミーはこんなにも、ブルーに焦がれてならないのに。頬を伝えない涙をこぼしながら、ジョミーは幼くしゃくりあげた。かすかな期待に心を動かすブルーを、知ることもなく。
「あなたは、だって。きっと。ぼくが、思うほど、ぼくのことを」
 想ってくれてはいないのでしょう、と。言葉を。続けることなど、永久にできはしなかった。見たこともない程に鋭利な視線に射抜かれて、ジョミーは息をすることができない。ただ心でブルーの名を呼べば、途方もない愛しさに紅玉の瞳が揺れた。けれど、ブルーはジョミーの言葉を否定しない。愛しく、やさしく、笑うだけ。
『どうすれば』
 この想いが、と。吐息にのせて、ブルーは囁く。
『ジョミー。君のそれより、もっとずっと、深いものだと。大きいものだ、と。伝わるだろう』
 泣き顔さえ愛おしいのには困ったものだ、と鈴を転がすようにちいさく笑って。ブルーはジョミーをぎゅっと抱きしめ、今日はもうおやすみ、と囁く。その言葉に、本当は逆らってもみたいのに。それでも素直に眠りに落ちていく意識を、悔しく思って。ジョミーはせめてもの抵抗に、ブルーのマントをぎゅっと握り締める。すると慣れた仕草で、頬に口付けが下りてきて。ことりと、簡単に、ジョミーの意識は夢に沈んだ。
 会いにおいで、と聞こえた気がした。

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