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 扉を開いて

 しん、と静まり返った後に潜められた声や思念波で言葉を交し合われて、ジョミーは思わず眉を寄せた。そんなに嫌がらなくたっていいじゃないか、と思ったのだ。ミュウたちに悪意を向けられることこそ、あまり無くなったとはいえ、好かれてはいないのは分かりきっていることではあるのだが。こうして歓迎されない様子を目の当たりにすると、面白くないのも事実なのである。ジョミーはぷぅっと頬をふくらませた。
 しかし、ふてくされている時間はない。時間の制限を課せられたわけではないが、ジョミーは一刻も早くブルーの元へ辿りつきたいのだった。よし、と気を取り直して意識を集中し、ジョミーはココに来るまでにハーレイがしてくれた説明を、頭の中で繰り返す。リオから説明があった通り、ジョミーは船内の十ヵ所に、意図的にちりばめられたブルーの残り香を探知して、スタンプを集めていかなければいけない。
 つまり指定された部屋を探し当てて辿りつき、その部屋の中に居る誰かを探し当てる、という作業を十回繰り返さなければならないのだった。中々に手間がかかる作業である。けれど、難しくないように思えた。感知することはまだ思う通りに出来るわけではないが、その作業によって一歩一歩ブルーに近づいていくのだと思えば、不思議と心が安定していく。けれど、一歩届かない感覚に、ジョミーは眉を寄せた。
 指先を精一杯伸ばして、その先をなにかが掠めていくような感覚はある。しかし掴めないし、届かないのだ。悔しくて、思わずジョミーは浅く息を吸い込んだ。無意識に、なにかに助けを求めようとしたのかも知れない。その気持ちを、まるで受け止めたかのように。やっとジョミーに追いついたナキネズミが足からよじ登り、頬に擦り寄ってくる。くすぐったい感触に思わずジョミーはすこし笑って、そして目を開いた。
 ナキネズミに感謝しながら、ジョミーはゆっくりと歩き出す。そして噴水とちいさな運動場を抜けて、人工的に作り出された陽光から逃れ、木陰で座り込むこどもたちの前に立った。部屋の中の大人たちが、いっせいに緊張するのが感じ取れる。それに気圧されぬように息を吸い込み、ジョミーはある少女に目を留めた。金色の、ふわふわと広がるであろう髪を二つ分けに結んだ、小柄で華奢な少女だった。
 ジョミーがなにかを言う前に、少女は勢いよく立ち上がる。そして緊張に満ちた表情で目を向けてくるのに、ジョミーはすこし苦笑しながら口を開いた。
「こんにちは……ええ、と」
 声をかけるまでは普通にできるのだが、その後がどうにも続かない。視線をめぐらせて言葉を捜していると、少女をはじめとした、その周りにいるこどもたちの思念波が飛び込んできた。それはジョミーに向けたものではなく、無作為に零れ落ちていったものだったのだろうけれど。その中に会話の糸口を見つけて、ジョミーは嬉しく微笑んだ。それからジョミーはあることに気がついて、慌ててしゃがみ込む。
 ジョミーもまだ少年とはいえ、少女たちはそれよりさらに幼いのだ。見下ろされれば怖くも思うだろう、と思っての行動だったのだが、目の高さが水平になったとたん、こどもたちの気配がほっと和らぐので正解だったらしい。よかった、と安堵しながら、ジョミーは口を開いた。
「カリナ、だよね? あの、ブルーから」
 なにか預かってないかな、という言葉は、名を呼んだ一瞬の空白の後、巻き上がったこどもたちの歓声によって消し去られてしまった。思わず目を丸くするジョミーに向かって、こどもたちが殺到してくる。ぼくの名前はっ、私はっ、と口々に名を言い当てることを求められて、ジョミーは驚きながらも意識を集中する。こどもたちは皆、心の中で己の名を唱えていてくれたから、すぐにジョミーに伝わった。
 こどもたちもまた、ジョミーがそっと心に触れたことに気がついたのだろう。淡い期待を視線に乗せるのに恥ずかしく笑い返して、ジョミーは一人ひとりの目を見て、ハッキリと名を呼んでいく。
「ターニップ、メシエ、エリス、ラカーユ、ミラ……それに、カリナ。当たってる?」
「ジョミーすごいっ。私たちの心が読めるのねっ? サイオンが使えるようになったのねっ? 仲間なのねっ?」
 満天の星空に負けない瞳の輝きで、カリナがジョミーに抱きついてくる。それを皮切りに、わらわらと思い思いに抱きついてくるこどもたちにくすぐったく笑いながら、ジョミーは優しい気持ちで頷いた。
「まだ、すこしだけだけど。ナキネズミが手伝ってくれるから」
「嬉しいっ、ジョミー。すごく頑張ってくれたのねっ。分かるわっ、伝わってくるわっ」
 十四年間。それが当たり前だとされて植え付けられてきた知識、それから連なる常識や価値観を変えるのには、途方もない苦労が必要となってくる。ミュウたちは敵ではなく、そしてまた悪でもない。仲間なのだ、とジョミーが理解して受け入れるまでに、かかった時間は二ヶ月にもなる。けれど、終わりの見えないような二ヶ月間、ジョミーは本当によく頑張ったのだ。それを知って、こどもたちは目を輝かせる。
 ミュウの大人たちはこどもに、ジョミーには注意しなさい、と言い聞かせていた。人間だから、もしくは半端なミュウだから、私たちのことなど理解もしないし、攻撃してくるかも知れないから、と。最近こそ言われなくなったものの、こどもたちはきちんとそれを覚えていた。だからこそ、ジョミーに目の前に立たれてとても緊張したのだった。けれどジョミーはこどもたちと目の高さを合わせて、そっと心に触れてくれた。
 暴力的だったり、威圧的だったり、恐れていたことはなに一つされなかった。確かにジョミーは、今でもミュウとしては中途半端だ。明確な定義においてではなく、感覚的にこどもたちはそう理解する。けれど、それがなんだというのか。こんなにも頑張ってくれたジョミーを、嬉しく歓迎することはしても、拒絶するなんて出来そうにもなかった。ジョミーは、大丈夫だ。こどもたちはそう受け入れて、船全体に心を飛ばす。
 怖くないよ。ジョミーは怖くないよ。だってこんなに心が嬉しくて、笑顔がとても優しいんだもの。怖くないよ。ジョミーは仲間だよ、と。生き生きと、どこまでも伸びやかに響いていく思念波に赤面して、ジョミーは居心地が悪そうに視線をめぐらせた。明るい笑い声を返して、カリナがポシェットにしまいこんでいたスタンプを取り出す。そしてほとんど奪うように帳面を受け取って、カリナはぽん、とスタンプを押した。
「ジョミーが、ソルジャー・ブルーに会えますようにっ」
 がんばってねっ、と応援しながら、カリナは自分の名前をスタンプの下に書き込んだ。無理矢理押させられたのではなく、きちんと自分の意思で行ったとの証明だ。カリナが笑顔でジョミーにスタンプ帳を返そうとすると、横から伸びてきた手がそれを奪っていく。あん、もうっ、と不満の声があがるが、カリナの友人たちは誰一人として聞き入れてくれなかった。頼まれても居ない名前が、次々書き込まれていく。
 読みにくいこどもの文字で書かれた名前が、スタンプ帳の一枚目を埋め尽くした。それからやっと手元に帰ってきたそれに、ジョミーは涙で胸が詰まる思いだった。ありがとう、の言葉は誰に告げればいいのだろうか。分からなくて、でも告げずにはいられなくて呟くと、こどもたちは満面の笑みでどういたしまして、と叫び返してきた。



 入ってきたジョミーを見るなり、その女性は眉を吊り上げて見せた。歓迎しませんよ、という意思が仕草一つからも透けてみえる。こどもたちとのやり取りで暖かくなった心が、急に冷静になっていくのをジョミーは感じた。
「エラ、長老さま……こんにちは」
「はい。こんにちは、ジョミー。それで、御用事は?」
 用事など分かりきっているだろうに、エラは重厚な木作りの机に向かったまま、書類に落とす目を上げないままで問いかけてくる。ないがしろにされている、という感覚は受けない。無視することも出来るのに、エラは忙しさの合間をぬってくれているのだ。今まで不満を覚えるしかなかったその態度に、はじめて感謝の気持ちを抱いて。しかし上手く言葉には表せずに、ジョミーは口ごもりながらも思念波で囁く。
 ありがとうございます、と告げたかった言葉は、緊張して萎縮しているからこそ、想いだけが伝わるぼんやりとしたものにしかならなかったのだけれど。エラは書類から目を上げて、ジョミーに向かって苦笑した。
「私を訪ねてきた者を、気に入らないからという理由で無視するほど、冷たい人間ではありませんよ。ジョミー」
 けれどようやく分かりましたか、と笑うエラは、それでいてジョミーを受け入れる温かな気配を漂わせているわけではなかった。万人に対する平等さがあるだけで、近づくことをきっぱりと拒否されているような感覚さえある。ヒステリックに喚きたてられないだけ、良いのだろうか。考え込みながらジョミーは意識を集中し、エラの心をすくい上げるように言葉を重ねていく。
「エラ長老さまが、ぼくのことを歓迎できないのは……ぼくが、未熟なミュウだからですか? そして、あまりに人間に近いから。力が……強くて不安定で、ソルジャー・ブルーに負担をかけているから。色んなことに気がつかないままで、拒絶してしまっていた、から?」
「その通りです。ジョミー・マーキス・シン」
 今は言われなくても分かっているでしょう、と告げるエラに、ジョミーはこくりと頷いた。いつの間にかジョミーは、船の空気を揺らす悪意に耐えられるようになっていた。けれどそれは、受け入れたからではないのだ。悪意に対する抵抗を、諦めたわけでもない。ただ己を傷つけるものだと遮断して、拒絶して、受け入れようともしないで目を逸らしていただけ。そんな強さとも呼べない逃げは、歓迎できるものではない。
 忙しい中で訪れても追い返すことなく、不慣れな思念波ではなく言葉で応対してくれていたエラの優しさと思いやりにも気がつけないままで。一方的な苛立ちを抱えたまま、ほんの僅かの理解者たちだけに甘えていた。分かっています、と苦痛に耐えながら頷くジョミーに、よろしい、と笑って。エラははじめて椅子から立ち上がり、机の横を通ってジョミーの前まで歩み寄ってきてくれた。
「私はあなたを歓迎できません。こどもたちのように、すぐ意識を切り替えることなどできません。これからも、恐らくそうでしょう。あなたには、不安になる材料が多すぎる」
「ぼくは」
 まだ続いていくであろう言葉をさえぎって、ジョミーはまっすぐにエラの目を見返した。
「それでもぼくは、努力を……して行こうと、思います。受け入れる為と、受け入れてもらう為に」
「……焦らず、ゆっくり歩んでいきなさい。長く生きた我らと違い、あなたはまだ若いのですから」
 そのことがようやく、私にも分かってきましたよ、と苦笑して。エラは流れるような仕草で帳面を取り、そこにスタンプを押し当てた。そして流麗な文字で名を書きいれ、きょとんとするジョミーにしっかりと手渡す。
「認めたわけではありません。けれど、あなたの今後の成長に期待します。……さあ、行きなさい」
 ソルジャーによろしく、と送り出したエラに勢いよく頷いて、ジョミーは廊下を走り出す。廊下は走らないっ、とエラの怒声が、船内の空気をビリビリと揺れ動かした。

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