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 確かな絆を、どうか

 黒く、ねっとりと肌にまとわり付いてくるような空気は気持ちの良いものではない。それなのに機関室は、どこか心地よささえ感じさせるのだから不思議だった。不快な空気を肺までしっかりと吸い込み、ジョミーは今日も感じる奇妙な矛盾に首を傾げた。どうしてだろうねぇ、と肩にちょこんと座り込んでいるナキネズミに語りかければ、ちいさな生き物はきゅっと鳴いて頭を頬に擦り寄らせてきた。ふしぎ、と声が響く。
 ね、ね、よく分からないよね、と。ナキネズミと同意しあうジョミーに、腕まくりをしながら工具を持ち、忙しく走り回る整備班の青年たちからは微妙な視線が向けられた。なんでこんな所に彼が居るんだろう、と思っているに違いない視線だ。その通りの思念が飛び交うのも受け止めて、ジョミーは苦笑して視線をさ迷わせる。深い、大地の歌のような音を響かせて回るエンジンは、傍では耐え難い熱気を発していた。
 額に流れる汗を腕でぬぐい、ジョミーは眉を寄せて考え込む。三つ目の残り香。ブルーがジョミーの為に船中にちりばめた思念の一つは、確かに機関室の中にあったと思うのだが。中に入ると急に、位置が特定できなくなってしまったのである。それは一時も休まず動き続ける機械のせいなのか、忙しく動き回る整備班の気配に乱されているのか。どちらにしろ、ナキネズミの助けを借りても掴むことができない。
 分かんないなぁ、と呟きながら、ジョミーは惹かれるものを感じて動き続けるエンジンを見つめた。大きな歯車やちいさなネジが複雑にくみ上げられたエンジンの構造など、ジョミーに分かるわけもない。どうやって動いているのか、すら理解できない。けれど、なにか惹かれるのだ。黒々とした鉄のかたまり。無機物でありながらも、どこか命を秘めているような。暴れ馬、と呼ぶに相応しい猛々しさと力強さがある。
 幼い頃、飛行機の模型に憧れたのと同じ気持ちで、ジョミーはいつしかエンジンに魅入っていた。新緑を写し取った瞳は心を弾いてキラキラと輝き、誰の目にもその興奮を伝えてくる。すごい、すごいっ、と無邪気に喜ぶジョミーの腕を、急にぐっと引っ張る者があった。ハッとしてジョミーが目を向けると、立っていたのは見知らぬ整備班の青年で。え、と戸惑うジョミーに、青年は呆れ顔でため息をついた。
「ジョミー・マーキス・シン?」
「そ、そうだけど」
 誰、なに、と混乱と不安の思念を撒き散らすジョミーに、ややむっとした表情で青年は掴んでいた腕を離した。そしてジョミーと動き続けるエンジンを見比べ、見てたい気持ちは分かるんだけどさ、と肩をすくめる。
「用事があって動いてんだろ? 時間、いいのか? それと、ここ暑いから長時間いるなら水分取れよ。俺たちの中でも、たまに脱水症状で倒れるの、いるんだよ。ゼル機関長には、近頃の若者はこれだからっ、とか。軟弱者どもがっ、って怒られるんだけどな」
 向けられる言葉に一々目を瞬かせて、ジョミーは新鮮な気持ちで青年を見つめた。ジョミーと同年代ではなく、十代の後半か、二十歳になったばかりの若いミュウである。長老たちとリオならともかく、船に来てそれくらいの年齢の者と会話することさえなかったから、どうしていいか分からないのだ。そもそもアタラクシアではジョミーたちが最年長で、後は親世代の人間ばかりだったので、経験自体が少ないのだが。
 完全にオープンになっているジョミーの心から、上手く反応を返せない理由を掴み取ったのだろう。青年はどこか気まずそうな表情になって視線をそらし、俺だってちょっと戸惑ってはいるんだぞ、と拗ねた声を響かせた。
「さっき、さ。お前、公園でカリナたちと話してただろ。で、その時カリナたち、船中に向かって一斉にテレパシー飛ばしたんだ。知ってるか? リオさまなんか、なにがツボにはまったんだか大爆笑してらしたけど」
「……リオ、さま?」
「そこかよ」
 笑ってるのに突っ込めよ、と手をひらつかせながら半眼で呟き、青年はそう、と頷いた。そしてもう一度リオさま、と繰り返されて、ジョミーは今更ながらリオの船内における立場を知らないことに気がついた。一般の者と同じ、と感じたことはない。それは確かだ。ソルジャー・ブルーに、ジョミーの迎えを信任されたことからも、力の強いミュウだということは分かる。納得できない様子のジョミーに、青年は笑った。
「ま、それはいいや。そんでさ、話戻すけど。カリナたちのテレパシー受けて、俺はその……嬉しかったんだ。あと、申し訳なかった。ごめんな、俺、お前のことずっと誤解してた。俺たちをずっと見下して、殺そうとしてる人間と一緒なんだって思ってた。けど、違うって分かったからさ……ごめん。すごく、今更かも知れないけど」
 仲良くしてくれないかな、と青年は言った。思わぬ言葉に思考停止に陥るジョミーに、青年は視線をうろうろと落ち着きなくさ迷わせ、答えを待っている。そうしている間にも、青年の思念波がジョミーに流れ込んできた。嘘偽りのない、純粋な好意と好奇心だった。ジョミーは恐る恐る手を伸ばして、青年の手をぎゅっと握る。言葉は出なかった。頷くだけの仕草と、心が全てを伝えてくれた。青年は、ぎこちなく笑う。
 緊張しているようだった。深呼吸を何度も繰り返して、青年はえっと、と顔をあげて言った。
「よ、よろしくな……ところで、引き止めといてなんなんだけど。用事、いいのか?」
 ソルジャー・ブルーに関連することで動いてるって聞いてんだけど、と問いかけられて。はっとそれを思い出したジョミーは、半泣きでそうだったっ、と絶叫してしまう。慌てふためくジョミーの頬をナキネズミがぺろりと舐めて、肩をちいさな足でトントン、と叩く。大丈夫だよ、落ち着きなよ、と必死に慰めているのだった。だ、大丈夫、がんばる、とナキネズミをぎゅっと抱きしめたジョミーは、改めて息を吸い込んで。
 そして明るい笑顔で顔を上げ、あっちだっ、といきなり走り出す背を見送りかけて、青年は口元に手で筒を作り、ジョミーっ、と大きな声で呼び止めた。
「俺、たいがい機関室にいるからさっ。なにかあったら会いに来いよっ……エンジンのこととか、機械のこととか、教えてやるからっ」
「うんっ。どうもありがとーっ。じゃあ、また今度っ」
 弾む心が抑えきれずに、足は前へ前へと進んでいく。立ち止まることも、振り返ることもできないくらいだ。嬉しさにこぼれる笑みを浮かべながら、ジョミーはそっと心でブルーに問いかける。あなたがテストを組んだのは、こういった理由なのですか、と。受け入れられること。歩み寄られること。受け入れること。友達が、できること。それは二ヶ月船の中にいて、それでも、ジョミーには初めての経験ばかりだった。
 ブルー、と言葉がこぼれていく。あなたはぼくに、なにをさせようとしているのですか、と。不安はなく、ただ穏やかに歓喜だけを抱く心での問いかけに、返って来る思念はなかったのだけれど。それでもブルーが、そっと、満足そうに微笑んでくれたのを感じて、ジョミーは立ち止まった。ちょうど、目的としていた人物を眼前に捕らえた所だったからだ。ゼル長老さま、と呼びかけると、老人は眉を寄せて振り返る。
「ワシは機関長で十分じゃわい。長老などと、堅苦しくてたまらん。前にも言わんかったかね?」
 言われた気が、しなくもなかった。うぅ、と言葉に詰まるジョミーに大きく息を吐き出して、ゼルは外見に似合わないきびきびとした動作で歩み寄り、勢い良く手を差し出してくる。勢いが良すぎて、ジョミーは叩かれるかと思ったくらいだ。身をすくませて足を引いたジョミーに、なにを勘違いしとるんじゃ、と眉を吊り上げ、ゼルはほれ、とさらに手を突き出してくる。
「若者共のお遊びに付き合ってやろう、と言っとるんだ。さっさと出さんかね」
 まったくおかげで寝不足じゃわい、とぼやきながら、ゼルは恐る恐る差し出された帳面を引ったくり、表紙の次の一枚目、こどもたちの名前が乱雑に書き込まれたものを見て、意外に優しく目を細めた。ゆっくりとした仕草で二枚目をめくり、エラの名とスタンプがあることを確認して、ゼルは細かく肩を震わせて笑う。そうかそうか、と好々爺の呟きを響かせ、ゼルは三枚目にしっかりとスタンプを押した。
 そして、やけに性格の透けて見えるきびきびとした、ちいさな文字を書き込む。
「友の出来た気分はどうかね。あれは、多少落ち着きがないが良い若者だ」
 パタンと帳面を閉じて手渡してくるゼルに、ジョミーは頬を赤く染めながら嬉しいです、と言った。同じ機関室内で起こった出来事だから、知られていないとは思っていなかったのだが、こうして口に出されると理由のない恥ずかしさに襲われてしまう。青春じゃの、と若き日を眩しく思い出す声の響きで、ゼルは機械に興味があるのかね、と問いかけた。ためらいがちにジョミーが頷くと、ゼルは嬉しげに目を細める。
「では、休みの日にでも遊びに来るがよいわ。茶菓子のひとつくらいは振る舞ってやろうの。なに、若いもんに説明を任せておくと、なにを言うか不安でたまらん。どうせなら、学びなされ。ハーレイよりは良い教師じゃ」
 あの若造も、なにを教えておるのやら、とからかいの笑みを浮かべるゼルに、聞いていたらしいハーレイから抗議が飛んでくる。お言葉ですが私はきちんとっ、と叫ぶハーレイの思念をあっさり振り払い、ゼルは煩いヤツじゃの、と眉を寄せた。そして、ちいさく笑うジョミーを追い払うように手を振り、さっさと行け、と送り出してやる。
「先は長い。道草せず、早く行ってやれ」
 待ちくたびれさせるでないぞ、と笑うゼルに慌てて頭を下げて、ジョミーは機関室を走り出していった。その気配がどこへ向かったかを追いかけることもなく、ゼルは大きく伸びをする。それから部下たちに指示を飛ばす為、きびきびとした動きで歩き出した。

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