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 彼の悪癖

 朝食の時間帯は、とうに過ぎていた。しかし昼食には早い時刻だから、食堂は人気もなく、がらんとしている。そんな中でジョミーは一人、もぐもぐと口を動かしていた。目の前に並べられたのは、遅めの朝食兼早めの昼食に相応しい量の食事たち。焼きたてのパンはバスケットに入れられて、三種類。ふわふわのロールパンと、固めに焼かれてベーコンを練りこんであるものと、はちみつを塗られた山形パンだ。
 山形の食パンは六枚切りの分厚いものだったが、食べにくいものではない。噛むごとにじわりとはちみつが染み出してきてとても甘く、ジョミーのお気に入りの一つだった。大きめの白いマグに入れられているのは、こちらもふわふわミルクがたっぷりのカフェオレ。コクのあるはちみつの甘さを、カフェオレでさっぱりと流し込んで、ジョミーはやっと人心地ついた様子で息を吐き出した。けれど、食事の手は止めない。
 角切りのじゃがいもやニンジン、セロリやトマト、豆などの具がぎっしり詰め込まれたミネストローネをスプーンを使って飲みながら、ジョミーはやっと、あれ、なんでご飯食べてるんだろう、と首を傾げた。ジョミーは確か、ソルジャー・ブルーに会うべくスタンプラリーを実行中で、船内を走り回っていた筈なのだが。機関室を出てからの記憶が、どうもあいまいである。うーん、と考えながらジョミーはスープを飲み干した。
 次にフォークを手にとって、口に運んだのは温野菜のサラダだ。作りたてのそれはほんのりと湯気を立てて暖かく、濃い緑が誇らしげなブロッコリーはとても甘い味がした。キャベツやプチトマトを食べながら、ジョミーはうーん、ともう一度考えて首を傾げて。そして温野菜のサラダを食べ終わって、ジョミーはようやくこうなった経緯を思い出した。食欲が満たされたので、記憶が活動を再開してくれたようだった。
 そうだっ、と叫びながら席を立ち上がろうとしたジョミーの半開きの口の前に、唐突にロールパンが差し出される。反射的にぱくっとかぶりついて、ジョミーは立ち上がりかけていた席に腰を下ろした。そしてパンが差し出された方向に視線を向けて、ジョミーはなんとなく血の気が引いていく想いをした。目玉焼きとソーセージを乗せた皿を手に持って、微笑む女性が居たからだ。顔は笑顔だが、目が笑っていない。
「どこへ行こうって言うんだい? こーの欠食児童が」
「児童じゃなくて、ジョミーです。食堂のマム……ええと、ソルジャーの、スタンプラリーの、続きに」
「食事を抜くような悪ガキに、歩ける廊下なんか船内にはないねっ」
 きっぱりと言い放ち、女性はジョミーの目の前に持っていた目玉焼きの皿を置いた。そしてジョミーの前の席に座り、にっこりと笑いながら見つめてくる。食べるまで、席は立たせてもらえない、ということだ。しょんぼりした気持ちになりながら、ジョミーはフォークを目玉焼きに向ける。半熟で黄身がとろりと出てくる焼き具合は、今日もジョミーの好みにバッチリあっていた。もぐもぐ口を動かしながら、ジョミーは息を吐く。
「だから、食べないつもりはなかったって言ってるじゃないですか。忘れてただけで」
「それは十分、食べないつもりだった、に該当するじゃないか。アンタね、食事抜いたら大きくなれないよ?」
 育ち盛りなんだから、と手を伸ばしてジョミーの髪をくしゃくしゃと撫でてくる女性は、いつの間にか好意的になっていた一人だ。それは多分、ジョミーの食事量が足りないのだと、ハーレイに訴えた前後だった気もするのだけれど。正確な時期が思い出せないことがなんだか申し訳なくて、ジョミーは無言で目玉焼きとソーセージをたいらげ、最後のパンに手を伸ばした。それでようやく、満腹になるくらいなのだ。
 固めのベーコンパンをゆっくり噛んで食べながら、ようやくジョミーは『食堂のマム』に掴まった時のことを思い出した。機関室を出て、さて次は、とブルーの気配を探ろうとした直後のことだった。やや乱暴な仕草で襟首を掴まれたかと思ったら、そこに女性の姿はあったのだ。恐らく、出てくるのを待ち構えていたに違いない。そのままジョミーは猫の子のように食堂まで引きずられ、散々お説教を受けたのだった。
 要約すれば『ご飯を抜くだなんてとんでもない』と怒られたのは、ジョミーが一時期、食事の量が足りないあまり元気がなかったのを知っているからだろう。食堂勤務の女性たちは、そうでなくとも船内の者たちの健康や、食事面に関して敏感だ。こどもたちの食事量や、日々の元気に関しては、特に気を配っているようで、医務室との連絡も盛んだと聞く。だからこそはじめから、ジョミーは心配をかけていたらしい。
 たとえ人間だろうと中途半端なミュウだろうと、食堂に勤める女性たちにしてみれば、ジョミーはちょっと顔色が悪くて食が細い、元気のないこどもでしかなかったらしい。いきなり連れてこられたが故の環境の変動と、周囲からの誹謗に耐えていたから、食事が喉を通っていかなかったことに、けれど彼女たちは気がつけなくて。だからこそ今、ジョミーは怒られるのだ。食べられるようになったのだから、と。
 あんま心配かけるんじゃないよ、と切なげに笑いながら撫でてくる女性は、ジョミーにアタラクシアのマムを思い起こさせて。それは食堂勤務の女性たちが『食堂のマム』と呼ばれているからなのか、それとも他の理由なのかは分からず、ジョミーは比較的素直に反省して、こくりと頷いた。ごめんなさい、とちいさな呟きがもれるのに明るく笑い、女性は分かればよし、と言って手を差し出した。
「じゃ、出しな。スタンプ押してやろうじゃないの」
「……え」
 持ってたんですか、と。気がつかなかった、と。両方の意味をこめて呟くジョミーに、女性はさもおかしげに肩を震わせて笑う。
「ソルジャーからのお達しでね。『リオはきっとジョミーの意思を優先して、そのまま行かせてしまうだろうから。時間を過ぎても食べに現れなかったら、きちんと食事を取らせてやってくれないだろうか』ってさ。……アンタ、ホントに愛されてるねぇ。ソルジャーは、ご自分の食事はめんどうくさがってすーぐ抜くくせに、アンタのことには気が回るんだから。困ったものだよ、我らが最長老さまは」
 口ぶりから察するに、食堂には元々ブルーの気配などなかったらしい。自発的に食べに行って欲しかったのだろうか。ため息をつきながらスタンプ帳を出したジョミーに、女性はデザートの焼き菓子をいくつか交換で手渡しながら、それも食べちゃいな、と命令した。
「ったく。リオさまも、後で見つけたらとっちめてやろうじゃないの。優しくするのと甘やかすのは、全然違うだろうに。甘やかすのもいいけどさ、こういうのはやめてもらいたいもんだよ。育ち盛りなんだから」
 ねえ、と同意を求められても、甘やかされて食事を抜きかけてしまったジョミーに言葉が出せるわけもない。あいまいに視線をうろつかせていると、女性はスタンプを押して名前を書き込みながら、ジョミーにとってもう絶対逆らえない言葉を口にした。
「食事抜くと、身長伸びないよ。いいのかい?」
「絶対食べに来ます。食事抜きません」
「ん、よし。良いコだね。ソルジャーにもホント、見習って欲しいもんだよ」
 あの方は一時期のアンタより食が細い上、すぐめんどくさがって抜くから、と息を吐く女性の言葉に、ジョミーの周りの空気が僅かばかり、気まずげに揺れ動いた。恐らく会話を聞いているであろうブルーにも、一応罪悪感があるらしい。でもこれはあなたが悪いですよ、と呆れて息を吐いて、ジョミーはじゃあ、と首を傾げた。
「今度、よかったらブルーのこと、連れてきましょうか? ぼくも、ブルーとご飯食べてみたいし」
「ああ。それはいいねえ。ソルジャーも、アンタのお誘いなら断れないだろうさ」
 なんせ本当に可愛がってらっしゃるから、と笑う女性に恥ずかしさを感じながら、ジョミーはようやく席を立ち上がった。スタンプ帳を受け取って、ジョミーは視線をそらしながら問いかける。
「断られないと、思います?」
「他の誰の誘いを断っても、アンタのだけは断らないね。断言してもいい。考えてみりゃすぐ分かるよ。あんなに可愛がって、待ち望んでたコだもの。胸を張って良い。アンタはソルジャー・ブルーに、本当に大切にされてるんだ。……辛いこともあるだろうけどね。頑張んなさい」
 さあ行っておいで、と頭を撫でられて、ジョミーはすこし恥ずかしそうにしながら食堂を飛び出していった。厨房から顔を覗かせた何人もの女性たちが、その後ろ姿を笑いながら見送る。ジョミーはちゃんと、可愛がられているのだ。ただ今まであまりに余裕がなくて、視野がせまくて、気がつかなかっただけで。スタンプラリーは、それに気がつかせる意図でも行われているのだろう。笑って女性は、背後を振り返った。
「そう言うわけですので、ソルジャー。食事に来てくださるのを、一同楽しみに待っております」
『……やられた。まさか、ジョミーを使うとは』
「ソルジャーも私たちを使ったでしょうに。おあいこです」
 やわらかな燐光を漂わせながら、思念体のブルーは心から嫌そうに息を吐いた。食事をすることがキライなのではないが、口を動かしてものを飲み込むのが、ひどく面倒くさい。飲み物なら、と呟くソルジャーに笑顔でダメです、と言って、女性は大丈夫ですよ、と暖かく笑う。
「良いコじゃないですか」
『だろう? 愛されて育ったコだ。眩しいくらいに、愛おしくなる』
 だから理解されて欲しいのだ、と苦笑するブルーに、女性は肩をすくめて。心配しなくても大丈夫ですよ、と繰り返した。

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