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 そして、はじまる 03

「あそこが、談話室です」
 可憐な声が、若干の不満を含ませながら小さく告げる。
 メーシャはここまで案内してくれた少女の頭に手をのせようとして、慌ててその手を引っ込めた。先ほど『子ども扱い、しないでください』と言われたばかりだったのに、どうしても労いの意味で頭を撫でようとしてしまった。メーシャとしてはそんなつもりまったくなかったのだが、されるほうは「子ども扱い」されたという認識なのだろう。自分も似たような経験があったせいか、少しは理解できる。隣で俯き加減でいる少女を自分のほうに向かせ、メーシャは視線を合わせるべくしゃがみこんだ。
「ありがとう、ハリアス」
 そして、真正面からルビーの瞳を覗き込む。少女の瞳は驚くように見開かれ、戸惑いからか視線を逸らされた。
「……頼まれたのは、私ですから」
「でも、ありがとう」
「……っ、し、新入生は全員で四人。ひとりは保健室にいるみたいですよ。それ以外のことは知りません。それじゃ」
 メーシャに手早く説明をしたハリアスは、ぺこりと軽く頭を下げて駆け出した。その背中を危なっかしいと思いながら、静かに見送った。揺れるはしばみ色の髪を眺めていると、ふとあの髪に触れた感触を思い出す。やわらかかった。それは髪だけではなく、抱き上げたときの体も。ラティよりも線が細くて、小さい彼女の体はとても頼りなかった。それでも心がしっかりしているせいか、芯はしっかり持っている。そんなことを考えながら、小さくなった背中が角を曲がり、視界から完全にいなくなったところで、メーシャは扉に向き合った。
 緊張が先走る。震えそうになる手を、ドアノブを掴むことで押さえた。そして息を吸い込み、そっと開く。
「ろぜあちゃん……ロゼアちゃん、あのね、ソキね。あのね……?」
 何かを求めるような甘い声に、扉を開けようとしていた手が一瞬だけ止まる。“ロゼアちゃん”と呼ぶ人物に何かを聞いてもらいたいと求める甘い声。その邪魔をしてはいけないと、瞬時に体が動いたのだ。しかし、相手が先を促すように問い返しても、甘い声からの返答はない。もしかして邪魔をしてしまったのだろうか。部屋の中に耳をそばだてるも、そっちに意識を集中させていたせいか体重をのせた体が自然と扉を押してしまった。慌てて扉を閉めようとしたのだが、部屋の空気が少しだけ変わったのを感じ、メーシャはそのまま押し開ける。
「……っ」
 中から、赤褐色のしなやかな体躯をした少年が抜き身の剣のような視線を向けてきた。何かを守るような緊張感が彼を纏っているのを感じ、動物のようだと思った。静かな威嚇にそっと視線を下ろすと、彼の腕の中にいる小さな少女を見て、彼の行動に納得した。――守るように腕の中に閉じ込めていたのは、宝石のような少女がただ少年だけをその瞳に映し、彼だけを求めて、彼のことしか考えられない様子でいたからだ。
 なんという光景だろう。言葉にできない雰囲気に、目が離せなくなっていた。
 メーシャの僅かな知識だけで言うならば『騎士と姫』のそれに似ている。それから、幸せだな、とも。これだけひたむきな想いを一心に向けられて、守りがいがあるだろう。実際に騎士と姫なのかはわからないけれど、とても洗練された関係性のように見えた。が、今はそんなふたりを前に和んでいる暇ではない。
「……えっと?」
 きっと、ふたりの大切だろう時間を邪魔してしまった負い目からか、メーシャは自分が今何をしなければいけないのか一瞬だけ忘れかける。少年と少女を交互に見て、さらに自分のことを思い返すと「ああ」と自然と答えに結びついた。
「その子が、最後の? 新入生、だよな?」
「……新入生?」
「うん。君と、俺と、もうひとりと……その子の四人が、新入生だって聞いたけど?」
 最後に談話室にたどり着いたのは自分だというのに、ついつい彼女が「最後」だと言ってしまった。緊張しているのだろうか、なんとなくぎこちない気分だ。ふたりの世界に介入してしまい、きっとタイミングも悪かったのだろう、申し訳なさに苦笑が漏れた。
 その間も彼らはメーシャの前で自然に触れ合う。
 少女は少年に自分を預け、少年もまた少女を守ろうと、それが「当然であり、必然だから」と受け入れているように彼女を受け入れる。絆、という言葉は彼らにとって、もっとも近しい言葉なのだろう。けれど、メーシャから見て彼らの関係性は『絆』というひと言で片付けられるものではないということも、理解した。
 少年が少女を抱き上げたまま、その赤褐色の瞳をメーシャに向ける。
「ごめんな。ちょっと、びっくりして……ええと、名前」
 けろりとした表情で問われて、メーシャは珍しく緊張する自分を感じながらも、己の名前を口にした。
「メーシャ、だよ。俺は、メーシャ。よろしくな、ロゼア?」
 確か、少女は“ロゼアちゃん”と言っていた。たぶんあっているはずだ。明確な理由はないのだが、なんとなく緊張しているメーシャに、ロゼアははにかむ。彼の緊張がとけたのか、それともメーシャが敵ではないことが伝わったのか、雰囲気が緩和された。少しだけ、ほっとする。
「よろしく、メーシャ。……この子は、ソキ。人見知りはしないんだけど、今はちょっと会話無理かも」
 ソキと呼ばれている少女に「お話できるか?」と問うロゼアに対し、彼女は無言で首を振った。ふるふると振った際に、金糸の髪がゆるゆると揺れる。ソキをあやすように背中をぽんぽんと叩くロゼアの表情を見て、メーシャは彼の彼女への想いを知った。
 それが、どんな名前なのかは今のメーシャにはわからなかったが、とても、とても大切なものだと感じた。


 それからしばらくして、保健室にいる最後の新入生の様子が気になったメーシャが、ふたりを置いてそっと談話室を抜け出した。ロゼアとソキにはなんとなく時間が必要なんだと、勝手にそう思って気を使ったのだ。ただのよけいなお世話だったのかもしれないが、そうすることが一番だと思ったメーシャはなんだかいいことをしたような気分になって、保健室のドアを開ける。
 そこには、昨夜ルノンを治してくれた白魔法使い・フィオーレが心配そうに銀色の髪をした青年を見下ろしていた。
「……フィオーレ、さん?」
「お、その声はメーシャか」
 ベッドで眠る銀髪の青年から、くるりと振り返ってメーシャに向き直る。彼のピンクの髪の毛がふわりと揺れた。男性なのにとても鮮やかな髪色をしているなぁと改めて思ったメーシャは「はい」と顔を綻ばせる。
「ちょうどよかった。そろそろ検査が始まるだろうから、他のふたりがいたら保健室に連れてきてほしいんだ」
「検査……?」
「適性検査のことだよ。おまえ、自分がなんの魔術師なのかわからないだろ? それを検査して見つけるんだよ」
「……占星術師、とか……?」
「俺みたいな白魔術師とかね。とにかく、検査を受けたらわかることだ」
 だったら、ラティと同じ占星術師になりたい。
 メーシャは自然とそう思っていた。
「ほーら、早く他のふたりを呼んできてくれよ」
 フィオーレからの催促に、メーシャは慌てて、しかし、新入生を起こさないよう気遣って保健室を出た。談話室に戻り、ロゼアとソキに一緒に保健室に行くことを告げると、今度は三人で向かった。メーシャたちが保健室にたどり着いたころには、新入生の目が覚めていたのだが、ルノンが倒れたときの光景に一瞬だけ重なって顔が強ばる。あのときも、ルノンの顔色は同じように悪かった。それを見抜いたフィオーレに抱き上げられ、彼の言葉と優しい行動に、心に渦巻いていた不安がどこかに飛んでいった。安心したところでそれぞれの自己紹介をする。そして、最後に――ぎこちなく微笑んだ青年は、ナリアンといった。
『メーシャくん。……ロゼアくん。ソキちゃん、も』
 声が、聞こえない。けれど、言葉として伝わる。そんな不思議な感覚に包まれながらナリアンを見つめると、静かにその唇が動き出す。
「よろしくね」
 吐き出された言葉は、しっかりと耳に入ってきた。


 新入生が全員揃ったところで、メーシャたちはそれぞれ適性検査を受けに行くことになった。ソキだけはもう適性がわかっているらしく、談話室に戻るそうだ。
 メーシャとロゼア、ナリアンは連れ立って、とある部屋の前に案内された。扉はふたつ。つまり、部屋もふたつ。メーシャとロゼアが先に呼ばれて、それぞれは室内に足を踏み入れた。この適性検査で、自分がどんな魔術師なのかを知る。それは自分を知ることと同じなのかもしれないと、メーシャは思った。
「入学おめでとう」
 入った部屋にいたのは、大柄な男性だった。にかった笑った彼は、メーシャを部屋の中心に立たせ、『その適性を持つ者にしか発動できない、魔術の基礎詠唱を』と言う。が、メーシャにはさっぱりわからない。
「魔術の、基礎、詠唱……?」
「ああ。大丈夫。最初は何を言われてるのかわからないだろうが、自然と出てくるもんだ」
 そういうもんなんだ。うんうんと頷き、ひとり納得する男に向かって、メーシャは浮かんだ不安を口にしていた。
「で、出てこない場合は……、もしかして入学取り消しとか、ですか……?」
「ばかだな。もう少し自分を信じてやれ」
 不安を口に出したメーシャに対し、大柄の男はそんな不安など些末なことだと言うように笑い飛ばす。大丈夫だというのだから、と気持ちを新たにするのだが、それでもどきどきと心臓が緊張を訴える。見られている意識と、基礎詠唱が出ないかもしれない不安。違うふたつの緊張を感じて、メーシャは胸中で焦っていた。
 どうしよう。このまま何も出なかったら。
 そもそも魔術なんて発動できるのか?
 思考の階層が下がればさがるほど、ネガティブになっていく。これじゃダメだ。いつもならルノンがそんなメーシャを引っ張り上げてくれるけれど、今はひとりだ。――そう、ひとりなんだ。
 渦巻いていた緊張を認識したメーシャは、自然と俯いていた顔をゆっくりと上げる。それから記憶の戸棚を開けて、ラティのことを思い出した。


『いいですか、メーシャ。緊張は敵です。ゆっくりと、自分が何者なのかを理解してください』


 これを言われたときは、何を言われているのかわからなかったけれど、きっと地に足をつけろって意味だったのかもしれない。
 ラティの言葉に導かれるように、深く息を吸って、吐き出す。自然と精神が臍下丹田(せいかたんでん)に落ちていった。まぶたを落とし、静かに“自分が何者なのか”を考える。
 いつも、感じていた。――自分の中に“力”があることを。
 それがどんな力なのかはわからなかったが、体の中に渦巻く“流れ”をひとつにまとめるイメージを作る。なんとなく、それが大事なことだと思った。そして自分を信じること。散らばっていた意識がひとつにまとまっていくと――。
(星、だ……。星が見える。あ、でも……流れた)
 まぶたの裏にきらりと光る何かが流れ落ちた。弧を描くように落ちたソレは、メーシャのもとへたどり着き、そして体をすり抜ける。自然と言うべき言葉が口から出ていた。


「流浪、する星のひかり」


 自分に、ぴったりの言葉だ。
 メーシャは自分がどうやってこの世界におりたったのかわからない。ゴールの見えない旅人なのだ。まさに、流浪の民。たくさん彷徨って、ようやっとここに、学園にたどり着いた。それでもまだ、ゴールじゃない。それをしっかりと心に刻み込み、ゆっくりとまぶたを押し上げる。
 終わりがないってことは、自分で見つけられる希望でもあるんだ、と。
「満ちた自心は、欠くることはない」
 続けざまにこぼれた言葉を言い割ると、男の満足気な顔が視界に入る。彼はにんまりと口元を綻ばせた。
「わからないと言っていたわりには、早かったな」
「え……?」
「適性検査、終わりって意味だよ」
「あ、あの、それってどういう……?」
 戸惑うメーシャに、男は嬉しそうに結果を告げる。


「月属性の占星術師」


 息が、止まった。
 まさか、なりたいと思っていたとおりの結果になるなんて。一瞬信じられなくて、自分の耳を疑ったぐらいだ。
「星降の国のメーシャ。喜べ、その出身国に相応しい、魔術師であり属性だ」
 呆然とするメーシャに、男はその意味を伝える。最初の言葉は『その適性を持つ者にしか発動できない、魔術の基礎詠唱』、次の言葉は『その属性がなければ発動できない基礎詠唱』のことだと言う。
「満ち欠けという言葉は、月しかないからな。ずいぶんと、星に気に入られているようだ」
 手元の紙に何かを記入しながら、男は上機嫌でそう説明した。が、メーシャからの反応がないことを不思議に思ったのか、動かしていた手を止める。
「……どうした? 不満でもあるのか?」
 つい、と顔を上げてメーシャの様子を伺う男に、慌てて首を横に振った。その様子に口の端を吊り上げた男が近づき、餞の言葉を贈るようにメーシャの頭を撫でた。
「しっかり励めよ、新入生」
 その言葉に力強く頷いた。

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