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 そして、はじまる 04

 適性検査が終わったあとは、談話室で待っているソキと話をした。
 今まで人から自分の目が綺麗だと褒められたことがなかったので、宝石のような少女に言われたときは、正直面食らった。メーシャが他人を褒めることがあっても、メーシャが他人から褒められることはあまりなかったからだ。「かっこいいね」とはよく言われたが、なんというか本心はどう思っているのかわからない言葉だと、言われた本人は思っていた。というのも「かっこいいね」などという言葉はあまりにも軽すぎる。自身のことをかっこいいと思っていない人間にとって、それは褒め言葉でもなんでもない。だからメーシャはそう言って近づいてくる人間の表情を見て、本気で言っているのかどうかを判断していた。
 ソキに関しては、メーシャが驚くぐらいに率直な感情が伝わった。
 綺麗だと言う瞳をきらきらさせて「もっと見ていたい」などと無言の圧力を感じる。きらきらした少女からの無邪気な言葉を信じないわけがなかった。純粋なソキの気持ちが流れ込んだからこそ、メーシャは素直に困ったのだ。
 しばらくするとロゼアもナリアンも戻ってきて、遅い食事を摂ることになった。
 それが終われば入学式だ。
 これからの学園生活の一歩を、みんなで踏み出す。わくわくした。この一体感が、気持ちよかった。


「入学おめでとう。……俺は、ここで、ずっとお前たちのことを待ってたよ」


 星降の国の王は、何もかもを受け入れるように言った。すべてを抱きしめるように、と言っても過言ではない。
「魔術師として、そのたまごとして目を覚ましてしまうずっと前から。ずっと会いたくて、ずっと、会えると信じて。この場所から見守っていたよ」
 優しげな声が、ゆっくりとメーシャの心に沁みこんでくる。見守られていることに、改めて『ひとりじゃない』と思えた。しかも、彼の言葉はすべてが「本当」に聞こえた。本当にずっと見守ってくれていたんだ、と。自然と受け入れることができた。不思議な音色とでも言うべき星降の国の王の声。優しく包み、メーシャの中にあった“何か”を解きほぐした。
 ほろり。
 流れた涙が頬を伝う。その涙を拭うように、王の手が優しく触れた。頬を包み、ゆっくりと引き寄せられる。その優しい行動に、もっと泣きたい気持ちになった。なんだろう。かえってきたような気がする。ラティやルノンの元へ“帰る”のとは、違う。魂のふるさととでも言うのか、うまい言葉は見つからなかったが、安堵と王の優しさで涙が溢れていた。メーシャは歯を噛むことで嗚咽を堪えるのだが、王はそんな彼の顔を覗き込みながら静かに言う。
「……お前がなにもかも断ち切って、そうして全て守ろうとした時も。俺はお前のことを知っていたよ、メーシャ」
 流れるようにその言葉は入ってきて、メーシャの心を揺さぶった。
「っ……!」
「名前は知らなかった。どんな顔をしてるのかも、どこに住んでなにをしているのかも。年齢も性別も、なにもかも、知らなかったし俺には分からなかった。でも……でも、いつかここで、お前に会えるのを、俺はちゃんと分かってたよ。迎えには行けないけど。ここで待つことしかできないけれど。確かにここへ辿りついて、こうして会えることを、俺はずっと知っていたよ」
 泣くつもりはなかった。これっぽっちも。でも、この歳若き王によって自分の心の中にあって、こびりついて離れない部分を知った。それは、――孤独だ。
 ラティやルノンがいても心のどこかで孤独が拭えなかった。楽しければ楽しいほど、かつての“自分”に申し訳なくなる。そう思うと、自分が不幸であることのほうが当然のような気がして、幸せであたたかくなった心が急に冷えた。だめだ、と。幸せになってはいけないんだ、と。
 己に鎖を巻きつけた。それはまるで呪いのように、メーシャの心を戒める。
 その鎖が、呪いが、解けた瞬間だったのかもしれない。


「お前の孤独に祝福を」


 染みこむように入ってきた祝福が、孤独という鎖からメーシャの心を解き放つ。
 自分ですら気づけなかったソレを王が簡単に解いたことに衝撃を受けつつも、メーシャはこれが魔法なのかと思った。だって違うんだ。ただの言葉じゃなかった。自然と、するりとメーシャの中、それも心の中に入ってきて一番苦しいものを取り除いてくれたんだ。魔力がこめられているような。適性検査で垣間見た自分の魔力よりも、違う旋律、星の流れが伝わった気がした。
 なんだろう、心が洗われたような気分だった。
「メーシャ」
 ほろほろとこぼれる涙の理由はわからない。
 記憶をなくしたときに流れた理由のない涙と同じ原理だ。が、温度は逆。あれが冷たい湖の底のような涙だったならば、今はゆりかごの中にいるような、存在は知らないけれど母の腕(かいな)に抱かれている慈愛に満ちていた。
 そんなメーシャの頬を両手で包み、撫でた王はほがらかに笑う。
「昼の陽の中では木漏れ日になり、夕闇の中では虹色の輝きに、夜の藍の中では星のように煌き、火のように揺らめき、あたたかな、力強い、導きのひかりにお前はなるだろう。輝けるもの。誰かはそれを希望と呼ぶかも知れない。勇気や、意志。祈りと、そう名をつける者もあるだろう。お前は恐れながら進むけど、迷うことはない。足を進める方向を、己が進むべき、進みたいと心が願う方向を、お前は知っている筈だよ。疲れに、怖さに、立ち止まってしまった時は目を閉じて考えてみればいい。瞼の裏側にひかりがある。お前のひかりだよ。そして、お前を愛おしく思う者たちのひかりだ。お前が大事に想い、お前を大事に想う者たちのひかりだ。……そして、いつかお前は知るだろう。失ってしまったものなど、なにひとつないこと。全部、全部、お前の所へ戻ってくるよ。大丈夫。……だぁいじょうぶだよ、メーシャ。さあ、手を貸してくれな」
 言葉の意味を考えようとするメーシャの手を、王は静かに取る。そして、手の甲にそっとくちづけた。右手、左手、最後に右手に戻り、手のひらにもくちづけ――あたたかな祝福が身体中に広がった。
 身体の中に渦巻く“何か”を感じ、呆けているメーシャの肩をぽんと叩いた王は、彼を近くのイスに座らせた。そして次に、ロゼアの名前を呼ぶ。ひとり、イスに座らせられたメーシャはぼんやりと自分の手を見つめていた。
「……ひかり。俺を、大事に想う者たちの、ひかり……?」
 今はまだ信じられないが、王からもらった言葉を何度もなんども心の中で反芻させる。今、自分に必要なのは、それだ。なんとなく、そう感じていた。


 *★*―――――*★*―――――*★*


 入学式が終わり、寮の部屋に入ったメーシャは、緊張を吐き出した。
「……はぁ」
 今日はずっとふわふわしていた。
 なんだろう。なんていえばいいのだろう?
 自分を教えてもらったような気持ち、とでも言うのだろうか。何を言われたのか、完全に理解したわけじゃない。流れるように心の中に入ってきて、すんなりメーシャの魂の近くにでも居座っているような、なんだかそんな気分だ。不思議と心地良い。
 何もない簡素な室内を見回し、窓が目につく。このまま眠りたい気持ちもあったのだが、なんだか星を眺めたくなった。しっかりとした足取りで窓辺に向かい、窓をあけて桟に腰をかける。見上げた漆黒の空に、散らばるように星が瞬いていた。
「……今日は、いろんなことがあったなぁ」
 別れと、出会い。
 呪縛と、解放。
 そして、己のこと。
 ふと、ふたりの少女の顔が浮かぶ。ひとりは、ルビーの瞳に涙を溜めて自分を見つめる少女と、もうひとりは宝石のような少女だ。
「悪いこと、しちゃったな」
 ロゼアの体調が悪いように見えて、ソキを彼から離してしまった。あんなにも彼を求めていたというのに。それを知っていたにも関わらず、どんな理由であれ、結果、彼女から彼を取り上げてしまった。もう少し彼女の立場になるべきだったと、反省する。もしくは、言い方を考えるとか。やりようは他にもあったはずだ。それすらもわからないほど、メーシャは新しい世界に踏み込んだことに興奮し、配慮が欠けていた。
 次から次にわいてくる反省の言葉に、どんどん心が落ち込んでいく。
 ハリアスも嫌な気分になっていなければいいのだが。
 ソキのことがあったせいか、メーシャはそんなことを考えていた。こんなときルノンがいてくれたら、なんて思うのは、自分がまだ幼いからだ。もう魔術師のたまごなのだから精神的にも自立して、立派になっていきたい。
 もっと他人との付き合いをしっかりしていかなければ。
「うん」
 落ち込んでなんかいられなかった。これからここで一緒に学ぶ仲間として、メーシャだってみんなのためになりたい。そのためには、もっとみんなを知っていこう。まず、そこからはじめよう。自分から逃げたらそこまでだ。――ルノンなら、そう言う。
「……あーあ、ルノン離れできてないなー」
 自嘲を漏らして夜空を見上げると、どこからか、花の香りがした。


「ニーア、魔術師に、なったよ」


 ふと聞こえたのは、大事な人へ囁くような言葉だ。ふわりと風にのって、なんとなくメーシャの耳に届く。ああ、この声はナリアンだ。落ち着きのある声が何かを愛おしいと言うように言葉を紡いでいた。メーシャには、そう聞こえただけだから、本当は知らない。けれど、メーシャはこれを愛の調べだと勝手に思っていた。
「……俺も、……ここで、大事な人を見つけるのかな」
 きらりと流れた星を見上げて、するりと言葉が出る。
 それは予言のようにメーシャの心にじんわりと沁みついた。
 あれ、なんでそんなこと思ったんだろ? そう、首をかしげるメーシャに、どこからか声が届く。
『出会ってくれてありがとう。メーシャ』
 甘えるような、心をくすぐるような声に、顔を上げる。水滴が水面に落ちて波紋を作るように、メーシャの耳にじんわり残った。まだ出会ったことのない“何か”を知ったら、誰かを呼ぶ声もこんなに甘くなるのだろうか。
 今はまだ、誰を呼んでもこんな声にはならない。――だとしたら、これから知るのだろう。
「ラティ」
 話したいことが、たくさんあるんだ。
「――俺、月属性の占星術師になったんだ。……だから」
 今は、まだ幼くて頼りないだろうけど、


「もう、泣かないよ」


 みんなの“ひかり”に、なりたい。

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