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 君は、はじめて自分と向き合う 05

 無事に儀式が終わったあと、学園に戻る『扉』の前でメーシャを待っていたのは、とても会いたい人だった。
「ストル先生……!!」
 リコリスから、ちょうどローブを受け取っている担当教官の名前を呼ぶと、彼は静かにローブを身に纏い、自分に駆け寄る教え子に笑みを浮かべた。
「その様子じゃ、成功したようだな」
 満足気なストルに、メーシャは何度も首を振る。おかしい。言いたいことが山ほどあったというのに、なぜかストルの何もかもを受け入れるような笑顔を見ていたら、言葉が出てこなかった。逆に、胸がいっぱいで苦しいぐらいだ。
「落ち着け。そう慌てなくてもいい。俺は、ちゃんとここにいるから」
 声から、空気から、彼の優しさが伝わってくる。ああ、どうしよう泣いてしまいそうだ。湧きあがる感情に流されないよう、あの、だから、その、と口を開けては閉じてを繰り返す。そんなメーシャを、ストルは微笑んで見守っていた。やがて、ロゼアとナリアンがやってきたことにより、メーシャの緊張が一度途切れる。みんながそれぞれ担当教官のもとへ向かう姿を視界の端に捉えると、メーシャの意識はストルからそわそわしている美しい男性に移った。
「……ああ、ウィッシュのことか?」
 メーシャの視線が一箇所に集中していることを察したのだろう、隣からストルの声が聞こえた。
「ソキの先生ですよね……?」
「そうだ。……ところで、ソキの姿が見えないな」
 どうした。大丈夫なのか。そう、ソキのことを案じるストルに、メーシャは向き直る。
「ソキは……、今、自分の力でここに向かってるんです」
 強く、はっきりと告げたメーシャに、ストルは「そうか」と満足そうに微笑んだ。
「……憑き物が落ちたようだな」
「はい」
「それはいいことだ」
「あの、ストル先生……!」
 思いきってストルを見るが、どうしても次の言葉が出てこない。彼に対して謝りたいことがたくさんあるのに、ごめんなさいと言葉にするのは簡単だが、伝えるには足りない。だから、それ以上何も言えなかった。どう伝えたらいいのかわからないまま、焦るメーシャをストルは変わらず見守ってくれる。それが、とても嬉しかった。すとん、と落ちた感情に言葉が浮かんだ。
「……ありがとう、ございます」
「ん?」
「あの庭や、ローブや……あと、心。俺に、先生の気持ち、少しも気づかなくて……、気づけなくて。俺、……先生を遠くに感じてました。星と一緒に」
 メーシャの唇から落ちる懺悔に、ストルの静かな声が告げる。
「今、おまえの星はどこにある」
 と。
 暗闇から手を差し伸べるように光を放つ星のような声に、メーシャは迷いなくストルを見つめ、自分の胸元に右手をやった。
「ここに。俺の、……中に、あります」
 その答えに対し、ストルはいつものように“答え”を出さない。けれど、とても嬉しそうに微笑み、メーシャの頭を珍しくぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「上出来だ」
「あ、あの、せんせ……っ」
「今のおまえを、情けないだなんて言うヤツはいないだろう。メーシャ自身も含めてな」
 メーシャから手を退いたストルの言葉に、はっとする。これは『もう自分のことを情けないとか言うな』ということだろうか。リコリスにしてやられたと思いつつ、メーシャは彼女の言葉を思い出した。
「あ、そういえば、ストル先生って触られるの嫌いなんですか?」
 もし、嫌な思いをさせてしまっていたらと思うと、申し訳ない。そう思って訊いたのだが、どういう意味かわからないといった様子で視線を返されたメーシャは、リコリスから言われたことを素直に告げた。すると、ストルからため息がこぼれる。
「そんなことはない。ただ」
「……ただ?」
 ストルから否定の言葉を聞けてほっとしたのも束の間、彼は何かを思い出したように憂いを帯びた表情を浮かべた。
「自分から触れる女性は、ただひとりと決めている」
 その直後、ふと風に乗って甘い香りが鼻先を掠めた。ストルもそうだったようで、表情を変え廊下の先をじっと見つめる。その視線を追うように、メーシャもまた視線を移した。すると、そこにはソキと一緒に藤色の髪を靡かせた少女が佇んでいた。
 彼女は驚きで声が出ないのか、ちいさく唇を動かす。それは、ここにいる彼の――。
「メーシャ」
 急にストルから名前を呼ばれ、慌てて返事をする。
「え、あ、はい」
「すまない。用事ができた。俺は、これで」
 そう言った彼の表情は“先生”から“ひとりの男”になっていた。ストルの視線の先には、花のように儚げな少女しかいない。彼女が何を思ったのか踵を返して駆ける背を、彼は追いかけた。
 その後ろ姿を見送りながら、メーシャは少女の口元を思い浮かべる。彼女は確かに綴った――すとるさん、と。
「…………あの庭を、あの子のために作ったんだ」
 ふたりの様子を見て、メーシャはそう結論づけた。
 ――そして、彼女こそがストルが唯一自分から触れる女性、だと。


 *★*―――――*★*―――――*★*


 いろいろあったが、新入生一行は学園の裏手にある小高い丘に場所を移した。
 夜を降ろしても、まだ授業が残っているからだ。
 新入生は教員から星座版とスケッチプックを手渡され、自分で決めた星や星座を書き記すことになっていた。メーシャは適当な場所に腰を下ろすが、先ほどのストルと逃げた少女のことが気になって集中できない。こんなことではいつまで経っても終わらないと首を横に振って、とにかくメーシャはやらなきゃいけないことをやろうとスケッチブックに星を書きはじめた。内容は、シリウスのいるオリオン座に絞った。冬の星座だからここでは見られないのが残念だが、知っていることを次々と書いていった。
『いいか、メーシャ! あそこの青い星はシリウスって言ってだなぁ』
 頭の中ではルノンの講義が流れている。最初に星の並びを教えてくれたのはルノンだった。その知識をラティへの手紙に綴ると、その返事に星の知識を書いてくれた。時には夢にまつわることも。
 かつての記憶に導かれるように、メーシャはスケッチブックに思い出を詰め込んだ。
「よし、これで終わり……っと」
 優しい記憶で埋め尽くしたスケッチブックを愛しげに見つめたメーシャは、それを大事に抱く。
 これを書きながら“自分”を知っていくような気分になった。
 それはこれからを生きるにあたってとても大事なことで、とても意義のあることなのだと信じる。――この腕に抱いた記憶を二度と失わないためにも。
「……うん」
 立ち上がったメーシャは、草原に寝転がって夜空を眺めているロゼアのもとへ向かった。
 なにげなく声をかけただけだったが会話が弾み、ソキやロゼアの両親の話になる。すると当然自分の家族の話にもなるわけで。
「俺、記憶がなくて。そこをラティに助けてもらったんだ。ラティが俺の後見をしてくれてる。だから、ラティが家族」
 するりと、出た。言いよどむことなく、ロゼアに気を使わせることもなく、食事の献立を伝えるように。
 だって、それが――俺だから。
 そう思ったら何もかもが楽になった。なんだろう。肩に入っていた力とか、そういうのがなくなって、なんとなくロゼアが近くにいるように思えた。そう思えたら今までできない話もできて、それがとても嬉しかった。ロゼアが応えてくれたような気がして。
「じゃぁ、一緒に今から教えに行こう、ロゼア」
 ソキが星に詳しくないことを知ったら、自然と口からこぼれていた。言ってしまったものは戻せない。だからメーシャは立ち上がって軽く身体を伸ばすと、ロゼアに向かって手を差し伸べる。
「星を教えてあげれば、これからは“一緒に”星を数えられる。……――新しい関係が、始まるよ、ロゼア」
 唖然とした表情を浮かべたロゼアだったが、やはりソキが気になるのだろう。メーシャの手を取るのにそう時間はかからなかった。
「メーシャは、疲れないか?」
「え?」
「そうやって、自分以外の誰かを気にかけてばかりで」
 ロゼアに言われるまで、あまり気にしたことがなかった。メーシャにとって、それはみんなが笑顔になるために必要なこと、だと思っていた。だから。
「……疲れる……とか、考えたことないかも」
「そか。じゃあ、疲れたと思ったらたまには寄りかかってくれよ」
 いきなりの申し出に戸惑いを浮かべて、メーシャはすぐに申し訳ないとロゼアに謝る。
「……なんで謝る?」
「いや、だって、なんかロゼアに負担かけてるような気がして……」
「メーシャ」
 ロゼアが、語尾を強めてメーシャの言葉を遮った。
「友達に、負担、なんて、言葉は、ない」
 言葉を区切るロゼアに、メーシャは息を呑む。言った当人は、これで会話は終わり、とばかりに足元のスケッチブックを拾っていた。メーシャはどんな言葉をかけたらいいのか考えをめぐらせ、――ロゼアの背中に向かって声をかける。ロゼア、と。
「あの……、ありがとう」
「……」
「もし、そういうときが……きたら、寄りかかっても、……いい、かな?」
 懸命に言葉を絞り出すメーシャに、ロゼアはからりと砂漠を照らす太陽のように笑った。
「寄りかかっていいって先に言ったのは俺だぞ?」
 いいから、早くソキの様子見に行くぞ。
 いつの間にメーシャのスケッチブックも一緒に拾っていたのか知らないが、ふたり分の荷物を手にしたロゼアの背中がほんの少し揺らいで見える。


 ――その日、初めてメーシャは自分と向き合い、自分を受け入れた。

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