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 疾風に勁草を知る 08

 ゴーン、と城の見張り台に隣接した鐘が鳴り響く。重く、それでいて美しい音が城下町の隅々まで聞こえる。それは新たな魔術師が戦地へと送り出される鐘だった。以前は、兵士が戦場に出向くための軍歌であったが、いつの間にか、道具となった魔術師を戦場に送るための合図となった。ひとつ目の鐘は、知らせの鐘。ふたつ目の鐘は、開門の鐘。みっつ目の鐘は、出立の鐘。よっつ目の鐘は、弔いの鐘。
 王宮の一室。王女と、ガトアとナリアンがいる部屋でも、鐘の音は聞こえた。王女の指先が震える。ひとつ目の鐘が鳴った。ガトアは、突きつけられた事実に体が動かせないでいた。ナリアンは、窓の外を見やった。雲が厚く空を覆い隠していた。天気が崩れることなどなかった空が、灰色に染まっている。その景色に、己の器が壊れかけていることをナリアンは知った。この国に起こることは、すべてナリアンの身に起こること。その影響は、一心同体であるのだろう。腹の底が重くなっていく。ぽつり、と王女が口を開く。
「……間に合いません。シリウスは、剣に選ばれました」
 魔術師はそれぞれ一振りの武器を持つ。ナリアンが杖を持つように、ロリエスが剣を持つように、ソキがロゼアがメーシャがそれぞれの武器を持つように。魔術師となってしまったシリウスもまた、それに準じた武器を持った。王女の言葉に、ガトアの顔色が変わる。焦ったように、王女との距離を縮める。
「なんで、だって、扉は壊れていたはずじゃ」
「なぜあなたが、そのことを知っているんですか、ガトア」
 ガトアの身が跳ねる。王女の視線は鋭い。そういう顔をした時、王女はひどくロリエスに似ている。しまった、という顔をしたガトアがうつむき、視線を逸らすも逃げられないと判断したのか、息を吐き出した。
「その扉を壊したのは、俺だからだ」
「反逆罪に問われますよ」
「それでも構わない。シリウスが、戦場に行かなくて済むのであれば」
「……今回の件は、国家への反逆です。死罪は免れません」
「……それでも、俺は魔術師なのだろう?」
 歪んだ笑みを見せるガトアに、王女の表情が落ちていく。魔術師となってしまえば、物になり人間として扱われなくなる。物は王家の持ち物となり、国の物になる。王といえども、戦力に数えられる物をただ壊す選択を選ぶことはできない。魔術師はすぐにでも戦場へと投入され、物として消費される。魔力を見ることができる王女が、魔術師だと断定してしまえばそれは何よりの証となるのだろう。ガトアは、死罪と判定されようとも、戦地に赴く以外の選択肢はない。
「ナリアン、と言ったか。俺は、お前を殺す。この国を滅ぼそうと言うのであれば、俺はお前を殺して、この国の王を殺す。王が変われば、国は変わる。国が変われば、世界をも変えられるかもしれない」
 王女から視線を外し、ガトアはナリアンを睨みつける。憎々しげに青の瞳は爛々と輝いていた。騎士として国に仕える身分の者が吐いていい言葉ではない。それを知っていてもなお、ガトアはその言葉を選んだ。
「ガトア! あなた、何を!」
「殿下、あなたが王になればいい。そうすれば国は変わる。少なくとも、魔術師は物として扱われない。この国においては」
 あなたが王として、その頭上に冠を戴く姿が目に浮かぶ。
「だからな、ナリアン。邪魔をするなら、俺は容赦しない」
 ガトアの足元に風が渦巻く。その風に、砂塵が混じり始める。室内だというのに、どこからともなく。武器を手にしていないガトアはどこか危うげだった。魔術師の傍らには武器があり、その武器が魔術師を愛し、守る。未だその武器を持たないガトアの魔力にたじろぎそうになる。勢いを増す風に、押しやられる。転びそうになった王女に咄嗟に腕を伸ばし引き寄せかばう。ざしゅり、と腕から鮮血が散った。痛みがナリアンを襲う。王女を胸にかばい、ナリアンは念じようとした。ガン、と風に飛ばされた籠が、ナリアンの後頭部にあたる。星が散って、王女を下敷きにするように倒れた。
「ナリアンさま!?」
 気を失ったナリアンに王女が声をかけるが、風に掻き消され消えていく。抱き込まれた体で重い男の体は動かしようがなくナリアンの体の下で叫び続ける。
「ガトア! やめなさい、ガトア!」
 叫べども声は届かない。いくら呼んでもガトアは聞こうとはしない。
「……シリウス」
 もう呼ぶこともないであろう名前を呼んでしまう。恋い焦がれたたった一人のひと。守るだけの力を持てなかった自分を何度責めただろう。彼を物にしてしまったのは、王女である自分自身だ。ツンと目頭が熱くなる。泣かぬようにと、今まで気を張ってきたのにも関わらず、出て行ってしまいそうだった。ナリアンに抱かれている熱がそうしているのかもしれない。あんな風に、望んで欲しいなどと、言われたことなどなかった。自分自身が望んで、それを実行してもらうのは当たり前の地位にいたから。面と向かって、ただ真っ直ぐに、望めと。
「シル……シリウス……シー……」
 なんでも望んで欲しいと言われて、焦がれたのはたった一人の男だった。国よりも、魔術師よりも、シリウスに側にいて欲しい。抱きしめて欲しかった。大丈夫だと、信じていると、そう言って欲しかった。
「シリウスを、助けて。たすけて」
 ぽろりと涙がこぼれていく。二度目の鐘が鳴る。三度目の鐘は、もう間近だ。王女として、国が栄えるためにはたった一人の人間を切り捨てないといけないこともある。たった一人の人間を特別扱いしてはいけない。それなのに、わかっていても、心が求める。
「たすけて」
 この国を、シリウスを、ガトアを、壊れそうなこの国を。誰か、どうか、お願いだから。
 ぐっと、体が持ち上がる。驚き、目の前の人を見上げる。頭を切ったのか、銀髪は血に染まっていた。ぐらりと揺らぐ頭を押さえながら、ナリアンは呟く。
『風よ』
 掻き消されない声は意志だった。大きな音を立てて、窓が開く。溜まっていた質量が、どっと外へはじき出されていく。重さを感じていたとわかるほどの勢いだった。石造りであるはずの城が揺れたようにも感じた。抱き起こされ、床に足を着く。背にかばわれてはいるが、ガトアの姿がよく見えた。ナリアンと並べば、まるで太陽と月のようにも見えた。スッと、ナリアンの腕が伸ばされる。その指先が指すのはガトアで、それを受けてガトアの瞳が燃え上がる。
『世界を変えよう。行くべきはずの未来を、より良いものに。俺は』
 望む。
 声が二重に聞こえた。ナリアンの肉声と、意志と。ガトアの風を押しのけ、暴風が吹き荒れる。その中心にいるのは間違いなくナリアンだった。背の高い調度品がなぎ倒され、軽いものは舞い上がっていく。重いはずの椅子も机も、じりじりと押しやられていく。内側に開くはずの扉が、外側へ飛んで行く。ナリアンの暴風の中でも、ガトアは立っていた。髪一本もそよぐこと無く。ナリアンもまた同様だった。
『世界を割る。争うことのないように、国ひとつひとつを生かそう。国ごとに、生き延びられるように。世界がまた、一つとなれるように。今はまだ、そうでなくとも』
 ナリアンの背中に、王女はすがりついた。風に吹き飛ばされそうになったわけでもない。ただその背を、そうしなければいけないと思ったからだ。たったひとり、孤独に立ち向かおうとするかのような背だった。
「ガトア。力を貸してくれ。世界を叩き割るだけの力を君は持っている」
 ナリアンは対峙する魔法使いに声をかけた。ガトアの口元が引きつる。
「君は馬鹿か? 俺は」
「魔法使いだ。君の魔力は、現に留まることを知らない」
 動揺するガトアに、ナリアンは一歩近づく。指し示していた指を、手のひらを差し出す。手を取れと。
「俺は、俺には武器がない」
 選ばれていない、まだ魔術師ですらない、とガトアは訴える。
「アイオライト」
「は?」
「思い描け。君だけの武器。長剣、真っ直ぐな細身の鋼。柄に埋め込まれたアイオライト。君だけを愛している武器」
 共に旅をしたガトアの武器をナリアンは思い出す。美しい剣だった。薄い刃は折れそうなほどだったが、決して譲らぬ強い意志を感じていた。
「何を」
「瞳を閉じろ、深く呼吸を。選ばれるはずだ。時間は待ってはくれない」
 三度目の鐘が鳴る。王女が離れていきそうになるのを、ナリアンは腕を掴んで引き止めた。視線はガトアから外さないまま、見据える。すがるように、ガトアは王女を見た。黒い瞳は、揺れていた。ふとガトアの心が軽くなる。ああそうだ、思い出した。俺は、目の前の王女を、親友を守りたい、それだけだったと。目を閉じれば、呼吸が落ち着く。深く、息を吸えば、腹にたまる感覚がする。
「俺は、魔術師か」
『いや、魔法使いだ』
 ずしり、と左の腰が重くなる。聞いたことのない声に驚き、左腰を見やれば、見慣れない剣が吊り下がっていた。柄にはアイオライトが輝いている。ナリアンを見れば、満足気に目を細めていた。花の香が鼻孔をくすぐった。リン、と済んだ音が響き、赤い花が風に負けじと転がり込んできた。導かれるようにナリアンの胸元にそれは収まる。ぎゅっと抱きつくのを、ナリアンは空いた手で支えた。懐かしくも愛おしい熱を抱き込む。
「行こう」
 妖精に囁き、ナリアンは王女の手を掴んだまま窓へと歩を進める。ガトアはそれを呼び止めようとして、風に背を押された。窓枠からすでにナリアンは身を乗り出していた。王女の腰を抱き上げ、止める暇もなく身を投げ出す。追いかけるように、ガトアの身も空へと投げ出された。体を押す風に身を任せ、いつの間にか街外れに生えていた大樹へとたどり着く。とん、とナリアンがそれに触れれば、いつかナリアンが持っていた杖に変わる。白い杖の先には、アメジストが埋まっていた。ぎゅっと杖を抱き、ナリアンはガトアと王女を見つめる。
「ここが、この国の本当の中心。国境でこの国を世界から切り離します。そうすれば、この国を切り取るために使った楔が世界を徐々にバラバラにするでしょう。誰が気づかなくとも、時間をかけて世界は割れる。誰かが気づけば、もっと早く世界は割れる。争う相手がいないのであれば、それはもう国の問題です」
 呆然とするガトアの手をナリアンは掴んだ。自分が見てきた風駈(かざかけ)の国のイメージを伝える。
「俺が線を引きます。ガトアは、楔を打ち込んで。あとは二人で、楔を押し込みます」
「本当にやるのか」
「それは、やれるのか? ということですか」
 ナリアンは薄く笑みを浮かべながらガトアに聞き返す。対抗心を煽られたガトアは面白く無いと思いながらも、ナリアンの言葉を信じた。不安げに見つめる王女へ、男二人は微笑む。月と太陽と、似通ったような男がゆるく、柔らかに王女へと。
「シリウスは助かりますよ」
「むしろ殿下は、これからのことを心配してください」
 あなたが王になるのだから、という言葉をガトアは飲み込んだ。この国を変える。その一歩が、世界を割ることなのだとしたら、二歩目は今あるものを変えることだ。王が心を変えてくれるのであれば、そのままであろうし、それが叶わぬのなら。
「変なこと考えていないで、今は集中してもらえませんか」
 横からナリアンに釘をさされる。確かに、シリウスが国境を越える前にやってしまわねばならない。もう三度目の鐘は鳴っているのだから。国の中心だという場所を挟んでナリアンとガトアは立つ。互いの杖と剣を地面に着き、目をつむった。
「風よ、野を分けて吹き渡る風よ。俺は望む。この国とその国を分けるための道標を、俺は望む」
 穏やかに吹いていたはずの風が強く、四方八方へと過ぎていく。
「わが祖国の大地。俺は、この国を護りたい。この国が、この国であるように、俺は望む。だからどうか、俺に護らせてくれ」
 パシン、と足元の小石が次々と割れていく。遠く、ナリアンの言う国境でヒビが入り始めたのだろう。それが伝わって、ガトアの足元の小石が伝える。線を引き終わったナリアンが、ガトアを見つめる。じっと、瞳をつむり集中している。その瞳がナリアンを捕らえ、声が重なる。
「風よ」
「水よ」
『切り離せ』



 呼ばれたような気がしてロリエスは机の上に広げていた本から視線を上げた。真っ暗な外に、何時間このままだったのかと思う。冷めきったコーヒーに手を伸ばす。ぐっと飲み込んだそれは、いつの間にか甘くまろやかになっていた。はちみつとミルクを入れた覚えのないそれにロリエスは頭を抱える。気づかなかったのか、この距離で、と自己嫌悪に陥る。
「はぁ」
 ため息がこぼれる。見慣れない紙袋に、ちゃんと休むこと、とシルの字で書かれたメモがつけられていた。メモはロリエスの机にあるもので声をかけても反応がなかったからそうしたのだろう。シルの気配に慣れてしまっている自分に目眩を覚えた。
「気を許しすぎだ、ロリエス」
 言い聞かせるように呟く。力を抜けばぐうっと、腹が鳴った。それも、ナリアンの試験が始まってからのことだ。魔術師になって今まで空腹を覚えるなんてことはなかった。忙しく走り回る毎日でそんなことを思う暇などなく、三食きちんと食べることなど稀で、コーヒーだけで一日を過ごすことのほうが多かった。誰もそんなロリエスを咎めなかったし、女王陛下が時折、手ずからお菓子を口元に差し出していたぐらいだ。それが今は、朝飯だ昼飯だ夕飯だと食堂に連れていかれ配膳までされる。シルが持ってきた量を最初は胃が受け付けなくて心配をさせたし、食べたら食べたで子供に接するようによく食べれたな偉いぞ、と笑う。当然のように部屋に居座り、休憩だ、働きすぎだ、寝ろと世話を焼いていく。シルがいることに慣れてしまっている自分が嫌だった。
 がさり、と紙袋を開けばドーナツが十個入っていた。それは、ロリエスの好きな、なないろ小道にあるこじんまりとした屋台のもの。おばあさんがひとり、朝と昼間に少しだけ営む店のもの。日中、動けることの少ないロリエスにとって、ご褒美に近い部類のものだ。シナモンと砂糖をまぶし、焼いたドーナツ。油であげていない、それは冷めてもべたつくことがなく胃にも優しい。さめれば少し固くなってしまうが、湯気のたつコーヒーに乗せていればじんわりと柔らかくなる。コーヒーのともにするには十分だ。多すぎるだろう、と思いながらも、きっとぺろりと食べてしまうのだろう。ドーナツをひとつ、はくり、と口に運ぶ。砂糖の甘さの向こうに、ミルクの甘い味がした。
 来週からは、筆記試験が始まる。今日が実技試験の最終日で、ほとんどの生徒は終わって来週に備えるべく休みを迎える。ナリアンはまだ隣の小部屋の中に篭っていた。三週間、ロリエスは花舞の国へ戻っていない。火急の用件もすべて、書類で済ませることができたし、ロリエスが戻らねばならぬほどの用事など本当は滅多にない。ソキとの二度目のお茶会もナリアン抜きで、ロゼアが買ってきたお菓子が出された。すでにナリアンの焼いたクッキーもパウンドケーキもなく、そろそろ食べたいなどと思う自分がいることが不思議だった。食べることに、執着などしたことがない。背もたれにぐっと背中を預け、天井を仰ぎ見る。ナリアンの実技試験に、落第の判を押さねばならないと過る。押すだけであるなら、それはどれほどいいだろう。いつになったらあの部屋から出てくるのか、それとも出てこないのか。ぐっと胸が締め付けられる。入れてしまったのは自分だ。始めたのはナリアンだが、始めさせたのはロリエスだ。まだ、時期ではなかっただろうか。幾度も思ったことを、またぐるりぐるりと悩む。
 半分ほど食べて、ホッと息を吐き出す。冷め切ったカフェラテに変貌してしまったコーヒーを啜り、カップを置いた直後、衝撃が襲う。ドン、と一回、室内が揺れた。机に立てかけた剣を持ち上げ、気配を探ろうとしたが、そんなことは必要なかった。隣の部屋から、濃密な魔力が漏れ出ていた。すぐさま、自身を守るように魔力の盾を築く。扉を開けば、押し返されるような気がした。隣の部屋の扉が、外れ、向かいの壁に立てかかっていた。中の様子をおそるおそる覗き込んで、扉を踏みつけ駆け寄った。
「ナリアン!」
 うつ伏せに倒れこんだナリアンの肩を叩く。うっ、と短く呻くナリアンに、四隅に置いた鈴を見やれば、すべて跡形もなく、壁が焦げたように黒ずんでいた。ナリアンの魔力が外にあふれて行くのがわかる。どくどくと、血が噴き出すようにそれは留まることを知らない。
「ロリエス! ナリアン!」
 駆け込んできたのは、シルで、中の様子を見た瞬間、踵を返す。
「空間魔術師を呼べ!」
 鋭くシルの背中にロリエスの声が刺さる。シルの後に遅れて、学校に住んでいる教師陣が集まってくるが、中には魔力にあてられて、途中で膝をつく教師もいた。迅速にナリアンがいる小部屋への道は封鎖され、魔力が出て行かないようにと、結界が張られる準備と、救護室が開かれる。大事になっていく中で、当の本人は薄っすらと目を開け、ゆっくりと体を起こす。そして、ロリエスの顔を見て、へにゃり、と笑う。言葉が発せないロリエスへ、ナリアンの腹が盛大に鳴った。眉をハの字に垂れ下げ、ナリアンは周りの様子を気にも留めず言う。
「……お腹が空きました」
 べしり、とロリエスはナリアンの頭をはたき、隣の部屋から九個、残ったドーナツの紙袋を持ってきて渡す。それをほっぺたを膨らませながら食べるナリアンにカフェラテをいれて渡せば、すぐさまおかわりを要求される。恥じらいも、戸惑いも見せないその姿に、驚きながらも何も言わず、次を作ってやる。ナリアンでさえ、多いだろうと思っていたドーナツは瞬く間に空になった。まだ食べたそうにちびちびと五杯目のカフェラテを飲む。呆れながら、ロリエスは口を開く。
「答えは、見つかったのか」
 ロリエスの問いに、ナリアンはカップから口を離し、ひたと見つめた。そして、頷く。
「俺の器は、国です。風の止まない、国。魔力を表すのは、発展。今はまだ、中心しかないけれど、道ができ、街が造られ、緑が芽吹く。水が流れ、山ができ、人も動物も生きる。それが、俺の魔力であり、器です」
「……そうか」
 頷くことしかできなかった。ロリエスが知る限り、器を国だと言った者はいない。あまりにも想像とかけ離れているがゆえに、見えなかったのだろうかと思う。三週間前よりも、精悍な顔つきになったナリアンに、ロリエスは微笑む。
「日付が変わる前にその言葉が聞けてよかった。ナリアン、合格だ。来週からは、座学が控えているから励むように。また、明日からは三週間分の補修があるから、追って連絡する」
 スッと立ち上がり、ナリアンに手を差し出す。
「立ち上がれるか?」
 その手をナリアンは、少しだけ迷い掴む。ぐっと、足に力を入れ立ち上がる。ぷるぷると震える足は、あれだけあの世界を歩き回ったにも関わらず、衰えているかのようだ。ロリエスの手は、王女の手のように滑らかな手ではなく、固く、節くれだっていた。ロリエスの積み上げてきたものが、現れているような手だった。
「なんだ」
「なんでも無いです。先生の剣は、トパーズ、ですか」
 ロリエスの腰に佩かれた剣にナリアンは視線を移す。ナリアンに見えるようにロリエスは腰から抜く。
「そうだが、どうかしたか?」
「……いいえ」
 ナリアンの杖をロリエスは拾い上げ、持たせてやる。そうすれば、ふっとナリアンからこぼれていく魔力が和らいだ気がした。
「ああ、そうだ。お前、魔力をしまえ。こぼしすぎだ」
「?」
「……お前、ここで寝ろ」
「えっ」
「迷惑だ、歩きまわるな」
 ナリアンに背を向け、ロリエスは倒れたままの扉をまたぎ、部屋から出る。遠巻きに部屋を伺っている面々に頭を下げ、扉を入り口に立てかける。走り回っていたのか、汗の滲んだシルが息を切らせながら近づいてくるのを手で制す。そちらに近づき、被害状況を聞く。シルの対処が早かったのか想像していたものより被害はなかった。
「不出来な弟子ですまないな」
「……いいや? たまごだし、俺の仕事だ」
 シルの言葉にロリエスは笑う。
「あの部屋の使用期間の延長を申し入れたいんだが」
「承りましょう」
 先ほど日付が変わった。ナリアンが使っている部屋に簡易ベッドが運び込まれ、せっせと空間魔術師たちが結界を張る。魔力にあてられた、たまごや魔術師たちの世話をする白魔術師。幾人もの魔術師に支えられていることを、ナリアンが知るのは、もう少し、先。

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