「シルと仲がいいのか?」
あの広い部屋へ向かう途中、ランツェは小走りで着いてきたナリアンに声をかけた。
「……だれと、あの人のこと聞いているんですか」
だいぶ低くなってしまった声にナリアンはうつむいて反省しているようだった。なるほどな、とランツェは一人納得してしまう。何がなるほどだ、と唇を尖らせて、抗議するようにみせるナリアンに、肩をすくめてみせる。
「まあ、シルは好みが分かれるだろうよ。お前はいっとう、嫌いなようだが」
大きく頷いたナリアンに、ランツェは苦笑した。年若い魔術師、と言っても、ナリアンは既に成人し、働き、自立した若者である。長くを生きることができるものは限られていることから、魔術師という枠組みから見れば、ナリアンの歳で入学をするものは稀、かもしれない。よばれることが前提であるから、それも仕方がないのだが、ナリアンはこのタイミングでよばれた。魔力は決して少なくない。むしろ、ロリエスや己よりも多い。二人足しても、敵わないであろう。よばれるなら、もっと早い段階で学園に来なければならなかったはずである。それが、今、この年。粒ぞろいと言われる年だが、ランツェには不穏な年であるように思えていた。誰も彼もが、四人もたまごがきた、と喜ぶ。いない年もあるのだから、喜ぶのはわかる。わかるのだが、なぜ、この四人なのか。太陽の黒魔術師、風の黒魔術師、それも特別力の強い黒の魔術師。それから、月属性の占星術師に、極めつけは予知魔術師。扱いにくい、なんなら一人でも複数人の手を煩わせるであろう力の持ち主たちだ。それが、同じ年に学び舎へ迎え入れられる。同期、という繋がりは、星の観点から観ても特別結びつきが強い。予知魔術師という頭痛のタネは、言葉魔術師が二人いた時点で、もう一人いることはわかっていた。だが、それを護るのか害するのか、わからぬ位置で、三つの大きな星が輝く。
頭の痛い話だ。考えれば考えるほど。観ようとすればするほど。己が星読みに長けているわけではないことを踏まえても、この大きな星と小さな星の関係は、悩む。星は魔術師の友。そうだとしても、異様だと思えるほど強い星たちにすべてを放り出してしまう。己の知己に、占星術師はまだ健在であっただろうかと、考えてしまうほど、難題であった。最悪、ロリエスの伝手を頼らなければならない。未だ、弟子に弱みを見せられぬ己に自嘲的な笑みが浮かぶ。早く全てをさらけ出して吐露してしまえればいいのに、そう願うがきっと己はそうしない。ロリエスに背負わせるくらいなら、墓場まで持っていく。この身と引き換えに。大きな扉を開け放って、後ろを心細げに着いてきた若者を振り返った。
「さあ、ナリアン。始めようか」
ぎっ、と重たい音を立てて扉が閉まっていく。バタン、と部屋と廊下を切り離した。
部屋の中央までランツェは歩いていった。ナリアンを手招きして側へと呼び寄せる。左手でナリアンの左肩を掴み、ぐっと近づけた。同じものが見えるように。体を固くしたナリアンの目の前に右手を出した。腕を伸ばし、手のひらに集中する。
「見えるか」
ぶんぶん、と癖毛が揺れる。少しばかり力を込めた。
「これは?」
じいっと、食い入るようにナリアンは見つめているようだったが、やはり力なく首を振った。握りつぶし、魔力を霧散させて、ナリアンを離す。
「ふむ」
恥じ入るように背中を丸めてしまう若人をランツェは眺めたが、妙案が浮かぶわけでもない。なにせ、ロリエスは器用にこなしてしまったから。どかり、と床に腰をおろし腕を組む。はて、己のときはどう掴んだか。手を顎にあてて、自身の若い時をナリアンから探そうとするが、全く共通点が見当たらなかった。師に楯突いていたことも、悪ガキとして名を馳せていたことも、そんな己に、「花と、なれ」と祝福めいた呪いと役職を残して消えた師を思い出す。まだ、その言葉を吐いた顔は覚えている。他の記憶は褪せてしまったというのに。悲しげに笑っていたその顔はいまだこびりついたままだ。真意を知ることはもう二度とない。昔の思い出に浸っていれば、ちらちらと視線を感じる。泣きそうな顔をしたナリアンは、ロリエスとも似つかない。あれも泣きそうではあったが、殺してやると言わんばかりに睨んで来たからなあ、と感傷にふけるのは歳をとった証拠だろう。ナリアンを見上げて、息を吐き出し、体を反らしながら後ろに手をついた。
「魔力を感じたことは?」
びくりと震えるナリアンにため息をつきそうになる。ぐっとこらえて、震えている意思に耳を傾ける。
『よく、わからなくて……風が……吹くことしか』
「風、なあ……」
ナリアンを見つめて、結局、己はほとほと教師には向かないのだと知る。ロリエスは出来のいい生徒だった。良すぎるほどだった。膝を叩いて立ち上がる。
「習うより慣れろ、だ。行くぞ」
「えっ、えっ」
ずんずんと廊下を歩いていくランツェの後ろを小走りになりながら、置いていかれぬようにと着いていく。なおざりなノックと共に扉を開けながら中にいるロリエスへとランツェは命令した。
「ロリエス、外に出てくる。こいつの許可を出せ」
「断る」
書類を眺めている漆黒の瞳はランツェを見ることなく、切り捨てた。はい、と声が返ってくるとばかり思っていたのかランツェは開けた扉をすでに閉めかけていた。
「あ?」
開きながら、聞き間違いかと疑った内容を、聞き返そうとしただけなのであろうが、ナリアンはぴゃっと飛び上がって身がすくむ。そろり、と若干、ランツェから距離を置いた。大人のような気がしていたが、ランツェは短気だ。ロリエスと同じ。地の底を這うような声音も、ロリエスから聞いたことがある。やっぱり師弟だ、とナリアンはぷるぷると震える。ばちばちと、二人の視線の間に、火花が散っているようにすら感じる。無言の時間がどれだけ流れただろう。結界でも張ってあるのか、というほど誰もロリエスの部屋へ入ってこない。今すぐにでも誰かがバタバタと足音を盛大に響かせながら、泣き声をあげて入ってきそうなのに。ロリエスを見て、ランツェも見て、でも二人は互いから視線を外さない。胃痛がしそうになってようやく、ランツェがため息をついた。ぴくりとロリエスの眉が動く。
「儂は、こいつの教育を請け負ったと思っていたんだがな?」
ランツェの言葉にロリエスは、椅子の背もたれを軋ませた。肘掛けについた手で、口元の笑みを隠し、口を開く。
「たまごは、外で魔術を使ってはいけない」
「担当教員の許しがあればいいんだろう?」
お前こそ何を言っていると言わんばかりに、ランツェの口元の笑みが深くなる。
「実技過程において、ある一定の成果が認められた場合かつ、担当教員のお墨付きがあれば、の話ですよ。よもやお忘れになった?」
底意地の悪い笑みでロリエスはランツェを嘲笑う。ランツェは、真一文字に口を引き結び、ナリアンを振り返った。
「お前、今年の実技の評価は」
『えっ!? し、しらないです』
じっとりとした目がナリアンからロリエスに移る。その視線を受けて、ロリエスは、引き出しの中から一冊の冊子を出し、ランツェに渡した。パラパラと紙をめくり、じぃっと書類を眺めて天を仰ぐ。大きく肩が下がり、ナリアンはぴしりと固まってランツェを泣きそうな顔で見上げた。なんて書かれているのだ、と不安になる。ランツェはちらりとロリエスをうかがえば、頷きが返される。閉じられた冊子が渡され、恐るおそる開いた。そこには上から下までみっちりと文章が書かれていた。さっと視線を走らせれば、この冊子の取扱について書かれているようであった。ぺらり、と紙をめくり、教員の心得など事務的なページがあり、そしてナリアンの上期の成績なのか、所感であるのか、報告書が始まる。授業の態度から始まり、各筆記試験の点数が並べられ、それから実技試験のページ。日付および内容とそれから。
「可……」
「……ギリギリ及第点ってやつだな」
優がもらえるほどうまくやれたつもりも、そういう試験だったということも思わないが、改めて、その現実を突き付けられると、胃がキリキリと痛む。わかってはいるのだ、納得もしている。ロゼアやメーシャ、ソキだって実技試験らしい実技試験だった。三人からそれぞれどうだったのか聞いたのだから間違いない。己だけだ、器を推し測ってこいと言われたのは。
同じ黒魔術師であるロゼアに、器について聞こうかと思ったのだが、ロリエスからそれは失礼な事であると言われ思いとどまった。至極デリケートな内容である、と言われてしまえば、それを踏み越えようとは思わず、そうなんだ、と頷くに留めたのだ。つまり。
「俺……」
「実技に関しては下から数えたほうが早いな」
ずばりと言われ、がくりと膝をつく。わかっていたはずなのに、いたはずなのに。
「いや、一番下だ」
「……お前な」
ロリエスが追い打ちをかけるように言い、さすがにランツェが咎めた。ぼかして言ったのに、ずばりとロリエスは言う。びしゃーんと、雷に撃たれたように固まるナリアンに同情を禁じ得ない。崩れ落ちたたまごを見ながら、でもフォローすべき言葉など、どちらも持ち合わせてはいなかった。終わったことをとやかく言ったところで何も変わらないのだ。今、考えるべきは未来のことだけである。よろよろとナリアンが頭をあげたのを見計らって、ランツェはつまらなさそうに書類を弾いているロリエスを見た。
「こいつが駄目なのはわかった」
バターンと、倒れ込むような音がした。
「許可は出せんのか」
「無理だとわかっているのになぜ聞くのですか」
ランツェを見ずにロリエスは言う。机の上にあるカップを持ち上げて、空であるのを確認し、残念そうに元あった場所に戻す。口をつぐみ、どうすれば抜け穴を示せるか考える。はてさて、花舞の、ロリエスのお膝元といえど、ナリアンの実技の成績では城内ですら魔術を使うのは難しいのではないだろうか。それなのに、ロリエスはナリアンの実技の面倒を見ようとしたし、現に今、ナリアンは城内の限られた場所ではあるが、魔術の行使を認められているのではないか。おやおや、どうやって許可を取り付けたのか。ひたり、と教え子を見つめても視線が交わることはなく、淡々と机上の書類をさばいている。
「……お前がいれば、城外に出ても構わんのか?」
ため息を一つ。持っていた判をころりと、机の上に転がし、ゆっくりとロリエスは背もたれに身を預け、肘掛けに腕を乗せ、指先で唇をなぞるように覆う。妖艶ととられるだろうが、その仕草、目線はナリアンから見れば、尊大であった。
「この書類の山を残して?」
うふふ、と深く笑みをこぼすがその目はまっすぐにランツェを射抜き、笑ってなどいない。ロリエスからの視線を真っ向から受け止め、にらみ合いのような一瞬が続く。ナリアンがどちらにつくべきか、どうするべきかそれを悩んでいるうちに決着がついたようだった。ため息をついたのは、ランツェであった。
「儂が手伝えるのがあるのか」
にっこり、とロリエスが笑い、二つある山をさらりと示す。ピタリと止まったランツェを、両肘を机につき、指を組み、その上に顎を乗せ、にこにこと機嫌よくロリエスは見つめた。一度、首を振ったランツェが重々しく口を開いた。
「選別したらどうだ」
「してありますよ」
何を当然のことを、とロリエスはたっぷりと微笑む。あなたが私をそういうふうにお育てになったのですよ、と普段は色を失っている唇が赤々と色づきランツェを呼ぶ。
「せんせ」
「やめろ」
「いいえ、せんせ」
ソキのようなとろけるような甘やかさなど、決してにじませずにその唇は舌足らずに言葉を紡ぐ。先程からぞわぞわとナリアンは鳥肌が止まらなかった。寒気すら覚える。本能なのか、第六感なのか、叫ぶのだ。この人を敵に回してはいけないのだと。ランツェがわかったと、頷きかけるのを遮り、ロリエスはこてりと首を傾げる。
「せんせ、隣の部屋にもありますので」
ぎしりと軋ませながら動くのを止めたランツェが、大きく息を吐き出しながら、がっくりと肩を落とした。そして恨めしげに、ナリアンを見た。
「お前、ものにしろよ」
少しの間を置いて、ランツェは言い直した。
「絶対に身につけさせてやる」
絶対だ、何故なら身につけるまでやめないからだ。そう目が語っているのをナリアンは真正面から受け止め、泣きそうになるのをこらえた。泣いたって誰も助けれくれないし、きっと応援しかしてくれない。いや、応援してもらえるだけ、有り難いのかもしれない。はい、と消え入りそうな声で頷いて、ようやく、ランツェはナリアンから視線を外した。
「行くぞ」
「先に済ませて頂けますか、せんせ」
ランツェのこめかみがピクリと動くのを見たナリアンはすくみ上がるが、ロリエスは当然のことであるかのように振る舞う。端的に言えば、ロリエスの顔は、絶対に逃しません、と物語っていた。多分、ランツェは前科があるのだろう。だらだらと背中に冷や汗をかきながら、ナリアンは、はわわと口元に手を置いて成り行きを見守っていたが、この場の強者はロリエスなのだ。ランツェではなく。魔術師筆頭だからではなく、ただロリエスは、ナリアンに対しての采配権を握っているだけである。その権力がいかに強いのか、というのはまだナリアンはわかっていなかった。書類仕事をしたくないのであれば、ランツェはナリアンを放り出してしまえばいいだけである。なのにそれをしないのは。
花舞の魔術師にとって、花舞の魔術師になる可能性をもったたまごに関わること、それは言葉の力を増すため。