メグミカとは物心つく以前から共に育ってきた仲だが、ロゼアが傍付き、彼女がその補佐となってからは、食事を一緒に取ることは珍しくなった。傍付きと補佐は交代で花嫁花婿の傍らに控える決まりとなっていて、ふたりの寝食の時間が重なることは少ないのだ。今のようにソキが屋敷に不在の場合は、各々の予定を消化することに忙しい。
それが三日前から同室で寝て、食事を共にし、連れだって行動している。
ロゼアは食堂への道すがら、メグミカの横顔を盗み見た。彼女の榛色の双眸を燃え上がらせていた怒りは、すっかり鳴りを潜めているが、代わりに疲労が色濃く彼女の目の下を縁取るようになっていた。
ロゼアからの視線に気づいたらしい。メグミカが一瞥をロゼアに寄越す。ロゼアは知らぬふりを決め込んだが、メグミカは苛立たしげに尋ねてきた。
「……なに?」
「目の下すごい隈だぞ、メグ」
メグミカがロゼアを睨め付けてくる。ごめん、とロゼアは素直に謝った。
メグミカの疲労はソキのことがあってのものだ。けれどそればかりではないことを、ロゼアは知っている。
メグミカが唸る。
「あんたが朝一番からいきなりいなくなったりしなければ、私だってゆっくり眠れんのよ……」
メグミカは、ロゼアの行動を見張っているのだ。
補佐は傍付きの影である。代役であり、監視である。
花嫁花婿にかかわる有事の折には傍付きが暴走せぬよう見張ることが、補佐の役割だ。
「だいたい、あんた最近ちょっとおかしいのよ。誰もいないところでひとりでぶつぶつ呟いていたりするし」
隣を飛んでいたシディがびくりと肩を震わせてロゼアを見た。その顔にごめんと書かれている。ロゼアは笑った。隠れて会話しているようでいて、目撃されているということはありがちな話だ。
「ちょっと? 何がおかしいのよ……」
「いやなんとなく。リンデンさんは何て言ってた? 報告したんだろ?」
「妖精さんとお話しているのよ、放っておきなさい、ですって」
つまり、補佐の総括はロゼアが案内妖精の来訪を受けたと知っているらしい。なるほど、とロゼアは頷いた。メグミカが苛立たしげに拳を繰り出した。
「あっ、ぶな!」
寸でのところで避けたロゼアに、メグミカが地団太を踏んで叫ぶ。
「わたしは! まじめに! 報告したんだけど!? ちょっとロゼア、あとで組手しない? それで殴られてくれない?」
「組手はいいけど殴られるのはやだよ。……メグミカ」
「なによ、刺されてくれるの?」
「もっとやだよ。……あのさ」
数歩先を行ったメグミカが眉をひそめて振り返る。ロゼアは立ち止まって深呼吸をした。
「……俺、屋敷を辞める、と、思う」
告白には勇気が必要だった。
認めたくはない。しかし、選択肢が他にないと、もうわかっていた。
もし回避できる可能性があるなら、両親がロゼアに告げているはずだ。けれども彼らはロゼアが辞職することを前提に話を進めた。それは入学許可証が幾度も復元する様を見るよりも、辞職せよという王からの返事をラギから聞いたときよりも、ロゼアに諦念を抱かせた。
逃げられない。
この運命から。
メグミカは足を止めてロゼアをぽかんと見返していた。やがて口の端を片方だけ戦慄かせた彼女は、瞬きを繰り返してぎこちなく首をかしげた。ロゼアの言葉を理解したくともできない。そのように見えた。
ロゼアは繰り返した。
「おれ、屋敷を辞めるんだ。メグミカ」
刹那、メグミカの顔が憤怒に染まった。
大きく踏み出したメグミカがロゼアの首めがけて手刀を本気で繰り出してくる。戦慄したロゼアは壁際に飛び退りながら彼女の手首を跳ね上げた。シディが驚愕の顔で天井近くまで飛び上がり、口を開く――……。
『呪われ……』
「シディっ! ……っつ!!」
得体の知れぬ力を吐きだそうとしていたシディに気を取られ、ロゼアはメグミカからまともに足払いを喰らってしまった。背中を絨毯敷きに勢いよく打ち付け、息が詰まる。
ロゼアの襟首を捻り上げて、メグミカが馬乗りになった。
「……じょうだんいうのもほどほどにしておきなさいよ」
メグミカの声はおどろおどろしいほどに昏かった。彼女の顔からは完璧に表情が消えていた。
「ソキ様を置いていくつもり……? あんた何を言っているのかわかってるの?」
「メグミカ……聞いて」
「うっさい!!」
揺すられた首がさらに絞まる。不足する空気に指先が痺れた。ロゼアは天を仰いだ。霞む視界の中でシディがおろおろとしている。
「シ、ディ」
『は、はい』
「メグを……おとなしく……」
させてほしい。
力任せに跳ね飛ばすことはできるのだが、メグミカの怒りを増長させる気がした。
できるか、という問いは声にならない。
けれどシディは頷いた。
メグミカの頭上すぐまで高度を落として彼は叫ぶ。
『ボクが望むものは拘束され吐息のみが許される!』
虹色の光が弾けた。ホウセンカの種のようだった。
メグミカの身体がびくりと跳ね、その手から力が抜け落ちていく。座っていることすらできぬというように、彼女はそのまま横転した。
気管支を解放されたロゼアは激しく咳き込んだ。後ろ手を付いて上半身を起こせば、メグミカがさらにずり落ちる。
ロゼアはメグミカの口元に手を寄せた。呼吸はしている。しかし声を出せないらしい。身体を丸めた状態のまま彼女は微動だにしなかった。
『ロゼアっ、大丈夫ですかっ!?』
メグミカを見つめながら呼吸を整えていたロゼアの下にシディが飛んでくる。
「あー、うん。……助かった、けど」
あどけない少年の顔は確かにロゼアの身を案じていているのに。
得体の知れぬその力を、怖いとは思った。
「……メグに何をしたんだ?」
『見たままですよ。動けないようにしました……他には何もしていません』
「これが魔術?」
『そうですね。妖精だけが扱える……呪い、という魔法の一種です。ロゼアが扱う魔術とは、また種類が違います』
「そうなのか。……これはすぐに解ける?」
『えぇ。ボクが望めば』
魔力で緊縛されたままロゼアを見上げるメグミカの目には畏怖があった。無理もない。シディの行動を見ていたロゼアでさえ慄いた。彼の姿を視認できないメグミカの混乱はいかほどだろう。
「メグ……メグミカ」
ロゼアはメグミカの肩をやさしく叩いた。
「いまから説明する。全部。だから、暴れないでくれ。俺の話を聞いてくれ」
メグミカは不服そうに口先を尖らせ、瞬きで了承の意をロゼアに示した。
ロゼアはほっと息を吐いてシディに請うた。
「シディ」
『わかりました』
ぱち、とまた光が散る。陽光を透かした水滴めいた小さな輝き。
数拍おいて、メグミカがのっそり身体を起こした。俯いたまま、呻く。
「……なんだったの? いまの」
「魔術だってさ。ここに……妖精がいるんだ」
ロゼアは自分の膝上を示した。そこにシディが立ってメグミカを見上げている。一方の彼女は首を捻っている。けれどもロゼアの言葉を否定することはなかった。わたしにはみえない、とだけ彼女は言った。
「魔力がないと見えないらしい」
「ロゼアにはあるの?」
「みたいだ。……妖精が俺を迎えに来たんだ。星降の国王陛下から召喚状が来た。夏至の日までに学園に入れって」
ここまで説明すればメグミカもロゼアの置かれている状況を理解できるはずだ。
メグミカが絨毯の上で握りこぶしを作った。
「……魔術師に、なるの……?」
「ならなきゃいけない」
「ソキ様はどうなるのよ? ソキ様を置いて……アンタは行けるの?」
「俺だって行きたいわけじゃない」
「ロゼア」
「メグミカ。最後まで聞けよ、人の話を」
メグミカの肩を揺さぶると、彼女から睨みつけられた。しかし怯んではいられない。
「さっき、父さんと話したんだ。屋敷の体制が変わる。若様が実権を握られる。ソキが無事なら、今回みたいなことはきっと二度と起こらない。でもソキの安全が保障されるまで……メグの親父さんたちがソキを保護するまで、最短であと二、三日はかかるはずだ」
「……ロゼア……ソキ様がどこにいらっしゃるのか、知ってるの?」
「日数だけ。それ以上はわからなかった。誰にも言うなよ」
「わかってるわよ……」
メグミカが震えながら了承した。知るべきでないことを知っている。ロゼアの異端をメグミカは非難しなかった。ただそっと、視線を手元に落としていた。
「メグミカ」
ロゼアの呼びかけに、なによ、とメグミカが応じる。
「……ソキが呼んだら、俺は行かないと」
メグミカの目が今度こそロゼアを捉えた。
「ソキが無事で、幸せになれるなら、それでいいよ。けど、もし本当に、辛いなら、ソキはきっと」
ロゼアを呼ぶ。
そう、約束したから。
だがそれは禁忌だ。傍付きは旅行中である己の花嫁花婿の下に向かってはならない。ましてや接触など論外だ。傍付きに引き止められた花嫁は十中八九、嫁ぐ気を失くしてしまう。それでは砂漠の輝石として育てられた意味がない。だからこそ通常の傍付きならば、迎えに行こうなどという発想は持たぬものだ。ロゼアにはそれがある。完成された傍付きとしてどれほど異質かは十二分に理解している。
「……屋敷から……追手がかかるわよ」
禁忌を犯した者を屋敷は許さない。一応は現在も旅行中とされるソキを求めて飛び出せばどうなることか。
ただしそれは。
「俺が傍付きのままなら、そうだな」
辞職者には適応されない。
メグミカが顔から色を失くす。その目は驚愕に見開かれていた。
「ロゼア……!」
「メグ。ソキは国のものだ。そんな真似をすれば追手はかかる。俺はできればお屋敷の皆を敵になんて回したくないし、メグミカに殺されたくもない。少なくとも屋敷を出れば、それを避けられる。屋敷から砂漠の王宮に、相手が変わるだけだ。それなら俺は後者を選ぶよ」
そんな理屈を捏ねなければ、辞職を承服できなかった。
辞めたくない。屋敷を。傍付きを。手放したくない。
生きる意味だったのだ。
めぐみか、とロゼアは泣きそうになりながら呻いた。
「……俺は……屋敷を辞めたくないよ……」
「だったら!」
メグミカが轟然と立ち上がり、ロゼアの肩を蹴り飛ばした。
「っつ、たっ!?」
「辞めなきゃいいじゃないの!」
「……メグミカ!」
「お腹空いた! 食堂に行くわ! ひとりでっ!」
肩口を抑えてうずくまるロゼアを置き去りにして、メグミカがずんずん廊下を進んでいく。
ロゼアが唖然となっていると、ふいにびたりと止まった彼女が、首だけで振り返って叫ぶ。
「殺さないわよ! ふざけたこと言うとぶっ殺すわよ!」
「……言ってること、矛盾してるぞ……」
ロゼアの反駁はメグミカに届かない。
乱暴に閉じられる扉の音が、遠方から大きく反響した。
ソキの安否を報せる馬は期日を過ぎてもとうとう現れなかった。
次期当主が当主の役目を引き継いだ翌月半ば。夏至まで残すところひと月と七日という日の夕刻。
ロゼアは屋敷を離れることにした。
屋敷において辞職や転籍は表立って告知されない。多くはロゼアの離籍を後々に知ることとなるだろう。
当然のことながら見送りの数も限られ、ロゼアの出発はひそやかなものとなった。
「気を付けなさいね、ロゼア」
見送りに立つ人々のなかで、繰り返しロゼアに念を押す者は、やはりというか母だった。準備に立ち会って持ち物から旅の心得の確認まで。正直そこまで、という思いはあったが、邪険にすると後が恐ろしいので黙っている。
「うん、わかってる……」
「他の国と砂漠は色々と勝手が違うから、もしおかしいと思うことがあったら必ず確認なさいね」
「うん」
「母さん、そのあたりにしてやりなさい。ロゼアが出発できない」
見かねた父が苦笑を浮かべて母の腕を引いた。彼は不服そうな顔の母と場所を入れ替わり、ロゼアにひと振りの短剣を差し出した。簡素な拵えだが業物だ。父が使っていたものである。
「持って行きなさい。丸腰というわけにはいかないから」
傍付きを拝命した際に授けられる剣は手放していた。屋敷からの支給品は辞職の折に返却する決まりである。本来であれば替わりの剣を譲渡されるところ、支度が間に合わなかったらしい。
「砂漠の光はいつでもお前と共にあるだろう。祝福を、ロゼア」
「ありがとう、父さん……」
「案内妖精はどこに?」
「上にいる……シディ?」
ロゼアは空の高みに浮かんでいた妖精を呼び寄せた。太陽の斜光の隙間を縫って、ひらりとシディがロゼアの傍に舞い降りる。
『出発しますか?』
「まだ……。シディはここにいるよ、父さん」
ロゼアの示した場所にハドゥルが目を凝らす。しばしのち、彼は諦めの表情で肩をすくめた。
「あぁ……やはり見えないな。触れられる?」
「どうだろ。父さん、手を出して。シディ、父さんの手の上に下りられる?」
『え? えぇ……できますよ。下りるだけなら』
首肯したシディがハドゥルの手に移動する。けれど父は何も感じないようだった。いま手の上だよ、とロゼアが告げても、怪訝そうに眉をひそめたままだ。
「……感じないのに誰かがここにいる、というのは奇妙な感覚だな。初めまして。息子を頼むよ」
シディが頬を紅潮させて目を瞬かせる。ハドゥルから差し出された指を、妖精は両手でそっと握り返した。傍目には奇妙な光景だろう。けれどもそうして礼を尽くす父が、ロゼアは誇らしく、嬉しかった。
続いてライラが握手を求め、シディが喜色を浮かべた。母の手を握るシディの翅がぱたぱた開閉している。
犬の尾みたいだなと感想を抱きつつ、ロゼアはほかの者たちと向き合った。ソキの世話役たちだ。
「どうしても行かなければならないのね」
大仰にため息を吐く娘はウェスカ。アザ、シーラは恨めしげにロゼアを見ていて、ユーラとルゥベオが困ったように微笑んでいる。
「ソキ様を置いていくなんて。戻られたときにどうするの?」
「ウェスカ、いい加減になさい。ロゼアだって行きたいわけではないのだもの」
「ソキ様のことがわかれば、〈安息の家〉宛に手紙を出す。……最終目的地は星降だっけ?」
「どの王都も通ろうと思ってるよ」
わかった、と了承する青年をロゼアは軽く抱擁した。ロゼアが抜ける今となっては、ルゥベオはソキの世話役の中で希少な男手のひとりとなる。ルゥベオの隣で腕を広げたユーラとも軽く抱き合う。
「ユーラ、メグは?」
ロゼアが離れながら尋ねると、ユーラは頬に手を当てた。
「見送らないつもりかしら。私も朝から見てないの」
「そうか……」
落胆しないといえば嘘になる。今生の別れというわけではなし、敢えて見送られる必要もない。しかしメグミカの顔だけが見られない状況は寂しいものがある。
なにせ彼女とは辞職の件で口論してからというもの口を利いていないのだ。
『二週間もあったのに、どうにかならなかったんですか?』
「しかたないだろ。顔をぜんぜん見なかったんだから」
ロゼアの監視から離れる許可はもらったのだろう。ソキの区画どころか寮ですら会えなかった。
裏門に馬車が曳かれてきた。街の外門まで迎えの用事があるらしく、ついでにロゼアを乗せて行ってくれるという。
そろそろ、と促してくる御者に頷いて、しばしの別れにロゼアは全員を振り返る。
その刹那、裏門の木扉が勢いよく開いた。
「出発してたらどうするのよこの馬鹿!」
「俺のせいかよ! メグとローラが長話してっから悪いんだろ……あぁいた、ロゼア!」
「メグミカ。リグ」
飛び出してきたメグミカとリグルーシュにロゼアは軽く目を瞠った。メグミカはともかく、リグは旅行から急遽引き戻された花嫁の傍に付きっきりで、今日も区画から出られる様子ではなかったのだが。
「リグ、大丈夫なのか出てきて。ミルゼ様は?」
「午睡中。ローラが付いてる……。ロゼア、これ持ってけよ。俺とローラとメグとシフィアさん、アルさんと……あー、また教える。とにかく、皆からだ」
リグが押し付けてきたものは、革製の剣帯だった。色は限りなく黒に近い銀。複数本の革を編み込んだかなりの上物だ。まったくの新品ではないようだが、だからこそ革も柔らかく、身体に馴染むだろうと予見させる。
「布だと柄の位置変わって抜きにくいだろ」
リグの指摘通り、いつも使っていた剣帯は支給品の革製。対してシディが来てから用意できたものは布の剣帯だった。砂漠では布製の流通量が圧倒的に多い。
「助かる……。前から用意してくれてたのか? こんないいもの?」
「んなわけあるか。俺は一昨日お前が言うまで辞めなきゃならないなんて知らなかったんだからな……。ラーヴェさんが譲ってくれたんだ」
「ラーヴェさんが?」
「あぁ。……年末にはこっち帰ってくるんだろ。手紙を寄越せよな」
「うん。ローラたちにありがとうって伝えておいてくれよ」
「わかった」
幸運を、と互いに言い合う。リグはもちろん、彼の花嫁に対しても。旅行に連れられたまま安否のわからぬ状態に置かれるといった、ソキのようなことがなければいい。
「メグミカ」
しばらくぶりに会う彼女はリグの隣で何かを考え込むように険しい顔をしていた。呼びかけすら聞こえていないようだった。
見かねたらしいリグから肘で突かれ、ようやっとメグミカがロゼアを見る。
彼女の両手がロゼアに伸び――その頬を、ばちんと挟んだ。
「いっつ!」
さらに顔を引き寄せられ額を頭突きされる。完璧な不意打ち。視界に星が飛んだ。
いったい何がしたいのだ、この女は。
「メグ……」
「ロゼア」
抗議に呻いたロゼアは反射的に口を噤んだ。間近にあるメグミカの双眸が、ひどく凪いでいたからだった。
彼女のそういった目をロゼアはひさしぶりに見た気がした。ソキという持ち主を置き去りに、ぬいぐるみだけが戻った日から、メグミカの瞳は倦怠と焦燥、そして憤怒に満ちていたから。
「私はロゼアに成り替わったりしない」
ロゼアの頬を挟む彼女の手に力が籠った。
もしかしたらロゼアの代わりに花嫁を慈しんでいたかもしれない手。
ロゼアの補佐、ロゼアの影、ロゼアの予備。ロゼアが屋敷への叛意を示した折にその手で討ち取ることを宿命づけられていた手。
そうして新たな傍付きとして立つかもしれなかった手。
「ソキ様は無事にお戻りになる。私たちがこれまで以上にソキ様のお世話をする。屋敷を辞めたってここが実家なんだから、アンタはここに戻ってきてソキ様と会う」
ロゼア、と呼ぶメグミカの声は震えていた。
「この世界の王様も、若様たちも、ロゼアは魔術師になった。屋敷を辞めたと言うでしょう。……それでも、ロゼアはこれまで通り、ソキ様の傍付き」
「メグ」
「私はロゼアの代わりにならない。……ロゼアだけがソキ様の傍付き。ソキ様がずっと、傍にいて欲しいと望んだのは、ロゼア。忘れないで……あなたはまた、ソキ様と会うの」
予言のように、メグミカは繰り返す。
必ずお前は再び花嫁に会うのだと。
ロゼアはメグミカのてのひらの温かさを感じながら瞑目した。
「……ソキを頼む」
彼女はきっと、無事に帰ってくるから。けれどそのときにロゼアは出迎えること叶わないから。
目を開けるとメグミカは微笑んでいた。
「わかってる。……あなたに黄金(きん)の光の祝福を、ロゼア」
「メグミカにも」
祝福の言葉を唱えあって互いから離れる。もういいか、と尋ねてくる御者に頷いて、ロゼアは合切袋を足元から取り上げた。皆に手を振って、旅立ちに駆け出す。
「見送りありがとう。いってくる!」
『いってらっしゃい、ロゼア。よい旅を!』