月日というものは早いもので、新しい生活に心身を馴染ませていた間に気が付けば八月が訪れていた。
その初日。星降の夜の祭りに国中がそわそわと落ち着きをなくす日。ロゼアたち新入生には“天体観測”の特別授業あると告知されている、のだが。
「扉の前に集まれって……。一体、どこで授業するんだろうね? ロゼア」
「さぁ……」
メーシャの問いにロゼアは首をひねって扉を見据えた。一本の樹を削りだして作られたと思しきそれは、通った者を学園ではないいずこかへと連れて行く魔法の扉。なかでも、星降の国へつながるものである。
談話室で待機をしていたロゼアたち新入生組は、迎えに現れた寮長に「今すぐ! 星降の国へと続く扉へ! 場所がわからん教えてほしいというお前たちを! 連れて行きたいと思う!」と、例によってきらきらしいポーズで主張され、四人連れだってここまで来たのだ。ちなみに寮長は『あ、ロリエス先生があそこで寮長を手招きしている』というナリアンのささやきに気を取られているうちに置いてきた。
昼まで、学園は賑やかだった。なないろ小路から出店する人々が天幕の設営に勤しみ、上級生たちが忙しなく飾り付けの支度に追われていた。ぱたぱたぱた。階段から廊下から、庭先の木立にそっと隠れる細道まで、人の往来は途切れることなく。彼らの笑い声もまた絶え間なくそこかしこに反響していた。
しかしながら日が傾き始めると、開幕を間近に控えた客席さながらに、ひとり、またひとりと声を潜めるようになった。やがてことりとも音を立ててはならない厳粛な空気に、学園は満たされた。
空の茜色はずいぶんと薄まっていた。もう間もなく完全に日が落ち切るだろう。
庭先の飾り灯篭に入れられた火の光が窓の玻璃に反射して七色に輝く様を眺めていたロゼアは、しゃん、と鈴の鳴る音を聞いて顔を上げた。扉が知らぬ間に開いている。その扉の向こうには、見知らぬ顔の、緑の黒髪を銀のリボンで編み込んだ少女がひとり、立っていた。
王宮魔術師の、少女だ。
「砂漠の国よりソキ、同じくロゼア、そして星降の国より、メーシャ。花舞の国よりナリアン。今年の夏至に我が星降の王より祝福されし、四名に相違ないな?」
彼女は朗々と歌うように四人の名を言った。ロゼアの腕に抱き上げられながら待っていたソキが頷いた。
「そうですよ」
魔術師の少女が納得のしるしに首を振った。微笑に細められる彼女の瞳の色は、星を思わせる銀だった。
「ソキ。今、君の足は歩けない状態か?」
「ソキはあまり歩けません」
口を挟んだロゼアを少女は鋭くたしなめる。
「人から回答の機会を奪ってはならない。君はロゼア?」
「……はい」
「うん。我はソキに訊いている。ソキ。君は今、歩けるか?」
「……ソキ、よくこけますですよ」
「だが怪我はしていない。歩ける」
「……歩けます」
「ならば立て。規則だ。補助の手を借りることは構わない」
ソキは少女を睨んだ。一瞬だけ。そして目を伏せ、表情を殺して、ロゼアから滑り降りた。
少女が身を翻して宣言する。
「では参ろう。今宵の道往きは星降の国が魔術師、我、リコリスが案内する」
もともとたいして良くなかったソキの機嫌はここに来て最悪も最悪だった。その矛先は儀式の案内人――リコリスに向けられていた。ソキはリコリスを睨み続けていた。
リコリスといえば、無視しているのか、それとも気づかぬほど鈍感なのか。ソキの鋭い視線に無頓着を貫いている。メーシャとナリアンが、はらはらとしていた。
一歩一歩を確かめるように歩くソキの隣に並びながら、ロゼアはもどかしい気分に襲われた。こうやってすぐ隣にいるのに、彼女がひとりで歩いていると、危なっかしくてつい抱き上げてしまいたくなる。何より、ソキの機嫌が最悪なのだ。傍付きの習いとして、つい彼女を宥めたくなる。
それでも自分の足で歩いて行くことが規則と言われれば仕方がない。ソキ、ちゃんと、歩けますよ、と自分に言い聞かせるように呟いて、彼女はロゼアたちと扉を潜ったのだ。
先導される細道に窓はない。等間隔に灯された明かりを受けて、五人分の影が煉瓦積みの両壁を踊る。高い位置に連なる円天井では、細部にわたって緻密に描写された天使たちが手と手を取って踊っている――それは入学の式典で祝福を受けたあの教会の、ステンドグラスをロゼアに思い起こさせた。
「星は――我ら魔術師たちの導となる」
長らく沈黙していたリコリスが通路の終わりと思しき扉の前で、足を止めると同時に口を開いた。
「星は我らの友人だ。我らが暗闇に惑ったときに、我らの手を引き導くが役割」
その話は、今朝方聞いた。
座学の講師のひとりが寮長の来る少し前に、天体観測の心構えを説いていったのだ。
『星は魔術師たちにとって、大事な大事な友と思っていただいて結構です』
と、彼は言った。
『時にわたしたちを祝福し、時にわたしたちに危機を告げ、迷ったときは道しるべとなり、わたしたちの手を引いてくれる存在であるのです』
「――……それでも、だ」
リコリスがくるりと振り返る。彼女はソキ、ロゼア、メーシャ、ナリアン、と、順繰りに視線を移動させた。
「星は全ての者にその光を与えるわけではない。自らの足で立ち、歩かんとする者にのみ、その輝きで以て未来(さき)を示すのだ」
びく、とソキが震えた。彼女はロゼアの手を握ったまま、リコリスを注視し続けている。ソキの顔は先ほどまでとうってかわって、今にも泣き出しそうだった。このひと、きらいなんですよ、と、全身で主張していた。
リコリスの言葉は、ロゼアに運ばれることを常とするソキを、非難したものだ。
俄かに苛立ちが募って、ロゼアもまたリコリスを睨みつけた。彼女の言い分がまるで砂漠の宝石たちには星の祝福を与えられないと告げているかのように思えたからだ。
しかしロゼアの反論が声になる前に、リコリスはこちらに背を向けて扉を開けた。開かれたその先にはロゼアも見知った顔の男――星降の国王が立っていた。
「うわぁあああ、会えてうれしいよ四人と、もっ!?」
両腕をこれでもかと広げ、喜色満面に駆け寄ってきた国王は、リコリスがすっと差し出した足に躓いて、びたんっ、とこけた。
数秒間の沈黙ののち、彼はむっくりと起き上がり、潤んだ瞳でリコリスを見上げる。
「リコちゃん! その足は何!?」
「陛下の暴走を食い止めつつ穏便に儀式を進めよ、と我は先輩方から指令を受けておりまして」
「えっ、俺暴走なんてしないのに……!」
「今、暴走の先駆けを見たと判断しました。先輩方からの託をお伝えしてよろしいでしょうか? 陛下」
「ことづけ……?」
「“四人がかわいいからってところ構わず抱きしめて儀式の時間に遅れるようなことがあってみなさいしばらく新入生と会うことを禁止にするわよいいわね陛下”。……以上です。さ、陛下。四人をバルコニーへ」
「うう。俺、信用されてないのな……?」
めそ、と涙に瞬いた国王は、真面目な顔を作り直してロゼアたちに向き直った。
「待っていたよ。ソキ、ロゼア、メーシャ、ナリアン……。君たちを、俺も星も、本当に待っていたんだ!」
まるで、子どものような無垢な笑顔だ。
ロゼアはすっかり毒気を抜かれて、曖昧に頷いていた。
ピクニックへ出かけるかのような軽い足取りの国王に案内されて到着した場所は、夜を模した部屋だった。
天井は黒に近い深みある紺。銀の塗料の点描が、星の河を描いている。敷かれた絨毯は深い碧だ。暁に追いやられる夜が翻す衣の色である。窓という窓を飾る紗幕は群青で、流れるようなきれいな襞が生まれるように中ほどを、銀の組みひもを用いて留められていた。
裾が夜風に翻る紗幕に両端を飾られた硝子の扉は大きく開け放たれている。その先はちょっとした茶会でも開けそうな広い広いバルコニーだった。白黒の石を交互に配したチェス盤を思わせる床は、燈明を受けて象牙色に浮かび上がる欄干によって、ぐるりと取り囲まれている。
その彼方には、しんと静まり返った闇がある。
黒絹を広げたような夜だった。
ロゼアは室内から外を眺めて胸中で呟いた。
(……流星の夜っていうわりには、星がぜんぜんないな)
太陽の退場した空には確かに数多の星が瞬いている。銀のきらめきはうつくしい。それは否定しない。
しかし、だ。
皆が言うほど特筆すべきものではない気がした。星のかがやきは控えめで、どちらかといえば故郷で見る夜空の方が眩しく思える。
「ロゼア、おいで」
国王がロゼアを呼んだ。彼の周りにはメーシャと、ナリアンと、ふたりに支えられて立つソキの姿があった。もとよりご機嫌だった国王だが、ソキたちに囲まれる彼はそこかしこに花をまき散らしそうなほどきらきらしている。
「早く終わらせて俺と城下回ろうな? お小遣いいっぱいあげるから。な? な?」
「陛下。四人は儀式が終わったあと授業です。陛下も仕事です」
番兵よろしく部屋の入口に控えるリコリスが冷やかに突っ込む。国王ははらはらと涙をこぼした。
「俺、このやりとりをずっと繰り返している気がするんだ……?」
「毎年、同じことを言わせないでください少しは学習能力を持たれてください陛下。……先輩からの託その二です。」
「うう。いいもん。いいもん。……じゃぁ、説明しようか」
ようやっと気を取り直した様子で国王は国主らしい威厳のある表情を浮かべ、ロゼアたちを見た。
「ナリアン、メーシャ、ソキ、ロゼア。……四人にはこれから、“夜を降ろして”もらうよ」
『夜を……』
「降ろす……」
「です?」
「うん。一番星のきれいにみえる夜を呼び寄せるんだ。方法はっていうと、星よ! 来い! っていう気分で夜に話しかけてもらうのな? すると夜が挨拶に来る。新しい魔術師のたまごである君たちに。星々の新たな友人たちに。……そうして君たちもまた、惑ったときの導となってくれる星々と、初めましての挨拶をする……それが“夜を降ろす儀式”。天体観測の前に新入生たちにしてもらっていることなんだよ」
「話しかけるって……どんな風にですか?」
ロゼアは疑問を口にした。国王の言う儀式は当然、魔術的なものだろう。ならば然るべき呪文があるはずだ。
ところが国王の回答はロゼアの予想に反していた。
「好きなように話しかけてくれていいんだよ、ロゼア」
「好きなように……?」
「うん。それぞれ、どうすれば夜が来てくれるのかを考えて、それを言葉に出せばいいよ。おいでって、ただ呼ぶのでもいいし、浮かぶ言葉があれば、魔術詠唱のように言葉にしてくれてもいい」
『魔術詠唱じゃないの?』
「違うよ、ナリアン……。ううーん、わかりやすい、例を、出してみようか」
ぴっと人差し指を立てて国王は言った。
「君たちの先輩たちがどんなふうに夜を降ろしたか。……いちばん多いのは、普通に、夜に! なりますように! ってお願いするひとかな。早く夜よ降りなさいじゃないと帰るわって命令した子や、僕に会いたければ来れば? って言った天邪鬼さんもいるけどなー。でも大抵は面白いことをしてくれるかなぁ。夜会でよく歌っていたっていう歌を披露した子もいたし、君たちのすごく知っている先輩なら、星を愛しい想い人に喩えて、さらに美しく輝けおお俺の女神、って十分ぐらい愛を語ったよ」
その、ロゼアたちがすごく知っているという先輩が誰であるかは全員はっきりと理解したのだが、敢えてその名を口にする者はひとりとしていなかった。ただこう思っただけだ。あの無駄に目線を意識したポーズと共に現れる彼ならしそうなことだと。
「少しだけ考える時間をあげる」
国王は微笑んだ。
「五分たったら、バルコニーで呼びかけてあげて。君に会いに来たよって。夜に。星々に」
夜に話しかけろ、と、言われても。
(何をどうすれば)
難しく考えなくともいいと王は言った。けれどその瞳は輝かんばかりの期待に満ちていた。すなわち、今回の新入生は何をしてくれるのかなぁ、わくわく、といった期待で。
ロゼアは同級生たちに視線をさっと走らせた。国王の勧めた椅子にちょこんと腰掛けたソキは、そのうつくしい柳眉をきゅっと寄せて、真剣な面持ちで“夜の降ろし方”を考えている。彼女の隣に並ぶのはナリアンだ。彼もまたリコリスの運んできた椅子に座って、膝の上に揃えた手を握ったり開いたりしていた。そんなふたりとは対照的に、メーシャはとても落ち着いていた。バルコニーの手前から愛おしげとすら呼べる眼差しで空を眺めている。
「メーシャはもう何をするか決めたのか?」
「俺? うん」
もちろん、と首を縦に振ったメーシャは、心臓を押さえるようにてのひらをそっと胸に載せて瞼を伏せた。その口元は柔らかな笑みに綻んでいた。
「星は……これまで俺を助けてくれたから。俺にとって星がどんな存在かを空に伝えるつもり」
「……どんな存在なんだ?」
「バルコニーに立つまで内緒。……かわいいとかきれいとかの大好きとかの思いは、本人に最初に伝えたいよね」
夜にかわいいとかきれいとか大好きとか言うつもりなのか、という突っ込みはともかく、メーシャらしい考え方だった。
メーシャは占星術師だ。星々の配置から未来を読み取る。ロゼアたちよりうんと星になじみが深い術者なのだ。そう考えれば彼が夜や星に伝えたい想いがあって当然だろう。
「……ロゼアたちはまだ思いつかない?」
「うん? ……うん」
ロゼアは首肯した。ナリアンとソキも同様に首を縦に振っている。メーシャはきょとんと瞬いたあと、ちいさく吹き出して言った。
「じゃぁ、ひとつだけ教えてあげる。……夜を、星を、よろこばせる方法」
――……夜との思い出を語ればいい。
どんな気分で星を眺めていたか。どんな風に夜を過ごしていたか。
メーシャがそう告げた瞬間、ソキがぴょこんと席を立ち、べしゃっと盛大にこけた。
「ソキ!」
彼女があまりに急に立ち上がったことと、距離があったせいで、支えるのに間に合わなかった。毛足の長い絨毯が怪我を防いではくれるだろう。けれど安心はできない。彼女は脆いのだ。
おろおろとソキを助け起こすナリアンの傍らに膝を突いて、ロゼアはソキの脇に手を差し入れようとした。けれどその手はほかでもないソキによって押し留められた。
驚きに、目を見開く。
「ソキ?」
「ソキは、ちゃんとできますよ」
ソキが、震える声で宣言した。
「ひとりでだって、歩けます。ソキ、歩けるんですよ。儀式だって、ちゃんと、できるです……」
「ソキ」
ソキが扉口に控えるリコリスを強く意識していることは明白だ。
「ロゼアちゃん……」
彼女のことなら気にするな、と言いかけたロゼアの手をぎゅっと握り、ソキはか細い声でロゼアを呼んだ。
「ソキは星を……ちゃんとは、うまく、できないかも知れません。でも」
彼女はロゼアを見上げたのちに、視線だけでリコリスを見た。彼女の瞳は充血し、潤んでいた。けれど挑むような眼差しだった。
「それは、ソキのひとりですることです。ソキの、ちゃんと、がんばった結果です。ひとりで、歩けます。ひとりでだって、ソキ、大丈夫です。だいじょうぶ……」
ソキが固く目を閉じて、深呼吸を繰り返す。
「……ソキは星を知っているんですよ、だから……だからね……」
整わない呼吸に紛れてしまうような声でソキは言った。
「ソキはひとりでだって、大丈夫なんですよ。ちょっと、まだ、転んじゃうですけど……」
ソキの手は冷えていた。震えていた。何かにおびえているようだった。それでも彼女は小首を傾げて、ロゼアに笑いかけた。ロゼアを安堵させるように。
正直に言えば、だ。
ロゼアはソキの言葉の意味が、半分もわかっていなかった。なぜそれほどまでにひとりで歩きたいと主張するのか。星を知っているとはどういう意味なのか。
かつてない彼女の態度に、困惑する。
ロゼアは視線を落として自らが握りしめたままのソキの手を見た。血の気の失せた手を放すべきなのか。このまま握りしめていていいのか。
――放したくないと、思った。
「……手を、繋いでいくのは、だめか? ソキ」
ソキにぎこちなく笑いかけたあと、リコリスを一瞥する。
「……支えられて歩くのは、いいって、言ってたろ?」
「四人で手を繋いで、バルコニーまで行こうよ」
ロゼアの背後からメーシャが口を挟む。入学式もそうだった、というようなことをナリアンが呟き、ソキがぱっと顔を上げた。
「……て、繋いで歩くのは、いいです?」
本当に? と彼女は問いを重ねる。まなじりに溜まる涙の玉をころがりおちる手前まで膨らませ、浅い呼吸を繰り返しながら、ひとりで歩ける、と、頑なに主張し続ける。
「手を繋いで歩いても、ひとりで歩くことにはなるよ」
星降の国王がソキを諭した。見るに見かねてといった様子だった。
「学園に来るまでの旅と一緒だよ。同じ。ソキは、案内妖精と一緒に、ひとりでここまで歩いてきただろ? それと一緒。案内妖精の導きが、手を繋ぐことになってるだけ。……わかったね?」
じっと国王を見つめていたソキは、緊張を解いてこくりと頷き、一度ロゼアから手を放した。そのままひとりで、立ち上がる。
ゆっくり、慎重に慎重を重ねて。彼女の様子は、生み落されたばかりの動物が脚を震わせ立ち上がる様を連想させた。ロゼアはソキの求めよりも早く手を差し出し、彼女の手を握りしめていた。ソキが満足そうに笑った。彼女のもう片方の手は、メーシャがとった。
「今年も、俺の魔術師たち、ちょーかわいい……! 毎年さー、ほんとさー、皆かっわいいよなぁ……! うん、あのさ、一回だけ。一回だけだから、ぎゅってさせて? 一回だけだからっ、すぐ、すぐ離してあげるからお願いだから俺にちょっと抱き締めさせ」
その場でじたばた両手を振って懇願する陛下をぐいっと押し退けて、歩み寄ってきたリコリスが、時間だ、と告げる。
「四人はバルコニーへ向かうように。……何かおっしゃいましたか? 陛下」
「……俺の癒し……ぎゅぅって、したかった……」
項垂れる国王をひとまず置いて、ロゼアたちはソキの歩調に合わせて歩き始めた。
「ソキ、メーシャくんのお話から、夜をどうやって降ろすか、思いついたです」
ソキが急に立ち上がった原因はそれか。
バルコニーに先に立って、部屋との境界を跨ぐソキを支えていたロゼアは、彼女の発言に納得した。ふふんと得意げな彼女に話の続きを促そうと口を開く。しかし、喉から漏れかけたロゼアの声はバルコニーの欄干の向こうから押し寄せた大音声にかき消された。
『魔術師よ! 夜を降ろせ!』
ロゼアは反射的にソキを抱き寄せ、警戒に息を詰めて音源を探った。メーシャも驚きに瞬き、ナリアンに至っては光を照射された猫のように、指の先まで動きを凍りつかせている。
『魔術師よ! 夜を降ろせ! 魔術師たちよ! 星を落とせ!』
繰り返される合唱は悪意のあるものではない。ロゼアはゆるゆると腕の力を抜き、ソキを放した。バルコニーの縁まで三人に先行する。欄干に手を掛け、そのまま、立ちすくんだ。
バルコニーは広場と、街を一望できる位置にあった。そしてロゼアの眼下では、ひしめく大勢のひとびとがきらきらと瞳を輝かせて、ロゼアたちに叫んでいた。
『魔術師よ! 寿げ! 新たなる出会いを!』