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 嵐奔りて、砂塵は踊る 3

 彼らは教会の祭壇の前でロゼアたちを出迎えた五人の王たちのうちのふたりだった。
 男の方は海色の髪と空色の瞳が印象的な、穏やかな微笑を薄い唇に刷いた美丈夫である。彼に同伴する婦人は、パーティー準備を終えたソキが現れるのを待っていた談話室に顔を見せたそのひとだ。
 美丈夫が口論していたチェチェリアの連れに、キムル、と穏やかに呼びかける。
「君が議論に熱心なことは知っていますけれど、このような場所でするのは感心しませんね?」
「エノーラも! あぁっ、もうっ、また人様に迷惑をかけて……っ!」
 男の隣で婦人はいまにも泣き出しそうである。
「すぐにやめなさいもう!」
『陛下』
 口論していたふたりがほぼ同時に踵を揃えて背筋を伸ばす。彼らだけではない。チェチェリアを含め、周囲の者たちが一斉に居住まいを正し、礼をする。
「ソキ、知ってますですよ」
 ロゼアの手をきゅっと握って、ソキが囁く。
「おふたりが、楽音の国の王様と、白雪の国の女王様です……」
「……――ごめんなさいっ」
 白雪の国の女王がアメジストの瞳を潤ませながらキムルと呼ばれた男に謝罪した。
「そのっ、うちのエノーラが……本当にチェチェリアさんに……キムルさんの奥さまにっ……セクハラというか変態行為というか痴漢というか破廉恥というかそういうことばかりしていつもいつも申し訳なくて……!」
 されているんですか、と無言のまま問いかけたロゼアに、訊くな、とチェチェリアが目で訴えてくる。その瞳には得も言われぬ諦めがあった。
 キムルが白雪の国の女王に微笑みかける。
「いいえ、お気になさることはないのです……それだけ僕の妻が魅力的に映っているということですから」
「何かね、お詫びができればって思うのだけれど……っ。今回はね、エノーラのねっ、躾がどこまで行き届いているか確認したくて連れてきたのだけれど……こんな最初からっ変態な発言をしてご迷惑をかけて……。もう、エノーラにはどういう罰を与えればいいの? 踏み方を強くすればいいの……?」
 いやいやソレは罰じゃなくてご褒美ですから、と誰かが言った。白雪の国の女王の傍に控えるエノーラが、えっ、踏んでくださるんですか! と叫んでいることからみても、彼女がとても変態であることは間違いない。
「白雪の陛下」
 その彼女とまともに渡り合っていたキムルがいっそ爽やかと表現できる顔で女王を呼んだ。
「僕はエノーラにとても効果的な罰をひとつだけ知っています」
 エノーラが眉間にしわを刻む一方で、白雪の国の女王がぱっと顔を輝かせる。
「ほ、ほんとう……?」
 キムルが神妙な声で、はい、と肯定する。
「もし、エノーラが、僕の妻、チェチェリアに下着の色を訊いたり胸の大きさを訊いたりその他もろもろの痴漢行為を働いた時には……」
 お前の発言も充分痴漢行為で破廉恥じゃないか、という突っ込みは入らなかった。
 彼はちらと楽音の国の王を見やる。キムルの主君と思しき王は、鷹揚な微笑でもって応えている。
 キムルは満足げに微笑して、白雪の国の女王に提案した。
「僕に、エノーラを、踏ませてください」
 エノーラの表情に、ぴしり、とひびが入った。彼女が、震える声で、女王に縋る。
「へ、へいかっ……それは……」
「アリス」
 それが白雪の女王の呼称らしい。楽音の王が鋭く呼ぶ。
「……君が許可を出すならかまいませんよ。……面白そうですしね?」
「これは決して白雪の国の魔術師の方々を貶める行為ではありません……」
 胸に手を当てたキムルが、不本意、という表情を眉間の皺で表現しながら言い置いた。
「僕としても心苦しいのですが、それでもっ……それがエノーラに対する抑止力になるのなら、それで妻を守れるのなら……! 引き受けるのもやぶさかでないと」
 もちろん、白雪の陛下の許可あってですが。
 白雪の女王は視線をそのように告げるキムルからエノーラへ移した。
 エノーラは、怒っているのか泣きそうなのかあるいはその両方なのか。とにかくあらゆる感情の混在した、ひとことで言い表すなら、請願の表情をしていた。
 へいかおねがいですおねがいですきょかしないでくださいそれだけはそれだけはそれだけは。
 女王はこくりと喉を鳴らし、表情を引き締め、宣言した。
「許可します」
「ぴぎゃああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああっっっ!!!!」
 ――その悲鳴は、エノーラを知る者が、いまだかつて耳にしたことのないものだったという。
「ですがキムルさん、今宵のパーティーに限り、です。……次回までに、ちゃんとっ、躾をしておきますからっ!」
「もちろんです白雪の王陛下。感謝いたします」
「やあぁああああああ陛下お願いです陛下が踏んでください陛下ああぁあああああぁあ!!!! 無視されるのもどきどきするし踏んでいただくのもむしろ踏んでいただきたいんですけどあの男の足蹴はあぁああぁあっ!!」
「何を言ってるのエノーラ。チェチェリアさんに痴漢行為を働かなければいいだけなのよ……?」
「ひいいいいぃいやああぁあああぁドレスの先輩の下着を拝めないなんてああああああああああ!!!!」
 下着を拝む気満々だったのか。
 叫び声が木霊する中、ひとまずの勝利を勝ち取った男は、彼自身の王と共に、チェチェリアと、ロゼアたちの下へ揚々と歩み寄ってきた。
「……紹介しよう、ロゼア、ソキ」
 チェチェリアが溜息を吐いてロゼアに向き直った。
「あちらが、私の王陛下。楽音の国王陛下だ。そしてこっちが……」
「チェチェリアの夫のキムルだ。ロゼア君。君と同じ太陽の属性……ただし、系統は錬金術師だけどね」
 チェチェリアの紹介を遮って、キムルが一歩前に進み出る。
「初めまして。妻から話は聞いているよ」
 彼は微笑みながらロゼアに握手の手を差し出した。
「よろしく、ふたりとも」






 錬金術師とは。
 それぞれの属性に従って魔術具を作りだす魔術師である。学園内に設置されている、日暮れになると自動点灯する灯篭や、外気温に従って室内の温度を調節する冷暖房。調理室の保温冷蔵器具、といった、日常の手助けをするものから、学園と各国の城や国境を繋ぐ扉といった類まで、製作される道具は多岐に渡る。
「――エノーラと僕は同じ錬金術師ながら、製作方針がまったく違っていてね」
 と、キムルは紅茶の入った白い陶器を口元に向かって優雅に傾けながら言った。
「依頼人の希望通りのものを作る、が、僕の基本方針なんだ……。依頼されたものを自分の実験台扱いする彼女の方針とはどうしても合わない」
 錬金術師たちがどのようにして道具を作っているのか、いまだ学んではいない身であるロゼアは、キムルの話す内容は高度すぎて、「はぁ」と生返事することしかできなかった。ソキも、案内妖精にひっしと腕を掴まれたまま、何を話しているかさっぱりなんですよ、という顔をしている。元々エノーラと知り合いであったらしいソキが好奇心に抗えず、「エノーラさんと、仲、悪いんです……?」とキムルに尋ねたことが話題の切っ掛けだ。ソキは自らの過去の行いを後悔している様子だった。
 楽音の国王から「ロゼアに君の属性のことを話しておやりなさい」と命じられたキムルと共にロゼアたちはトリフォリウムに移動していた。常なら単なる通路に過ぎないだろう空間には、ソファーや猫脚の椅子などが、適当な間隔を置いて並べられている。休憩用にどうぞ、ということだ。
 二人掛けのソファがテーブルを挟んで向かい合っていた場所に、ひとり用のソファを二脚引き寄せる。チェチェリアとキムル、ソキと彼女の案内妖精はふたり掛けに、ロゼアとシディは向かい合う形でひとり掛けに、腰を下ろしていた。
 ロゼアは斜め横に座るキムルを改めて観察した。短いオレンジブラウンの髪に健康的に焼けた肌。しっかりとした骨格といいどこか精悍な面差しといい、どちらかというと武闘派な印象を受ける。しかし指先はどこか繊細で、ロゼアのような硬い皮膚をしておらず、その代わりに丁寧にやすりをかけて短く整えられた爪に飾られる荒れた指を持っていた。
 珍しいのはその瞳の色だ。右は雨上がりの空の青。左は金の混じった緑。左目に片眼鏡をかけていて、その奥には、ロゼアを品定める、あるいは、面白がるような光があった。
 キムルは話し続ける。
「幸いなのは互いの属性の性質上、需要が被っていないことかな」
「需要?」
「そう。エノーラは水属性で、液体や……それを媒介に使ったものの細工が得意だ。たとえば、インクとか。あとは水をしみこませた布や木材のような素材に力を持たせる……もっといえば、物質に魔力や属性を付与する。毒も専門分野だ。怖いよね」
 いやアナタはその錬金術師のトラの尾を力いっぱい踏んでいらっしゃいませんでしたかなんと怖いもの知らずな。
「僕の道具はエノーラの道具とまったく違う。僕の道具は植物の生育に役立てられることが多い。ちなみに今の主な仕事は、楽器に適した木材の調達。僕の作った魔術具が、樹木の生育を助けている」
「“動植物の成長の促進”」
 太陽属性の特色のひとつをロゼアは呟いた。キムルが深く頷く。
「そう。……でもそれは単に、成長を早める、というものではないよ。僕が得意としている道具はね、植物の育つ方向性を、決定づけて、育てる。……たとえばバイオリンはカエデ……あぁロゼア君とソキ君は砂漠の国出身らしいね。カエデは見たことあるかい? 知っている?」
「いえ、見たことはないです。名前は聞き知っています」
「秋……もう少ししたら、緑色だった葉が赤や黄色に変わる樹だ。学園の庭にもあるから見てみたらいい。きれいだよ。木目が密で、乾燥させた後の大きさの変化や反りが少ないから、バイオリンのような楽器の材料として重宝される樹なんだけどね。でも木材として使える大きさになるまでは時間がかかるし、幹もかなり曲がって育つ。そこで、どの程度の大きさのどの程度の形のどの程度の硬さの樹木が、いつまでにどれぐらい欲しいのか。それらを予め聞いておき、その期待通りに育てるのが、僕の作った道具の仕事だ」
 それは、成長の促進というよりもむしろ――支配だ。
「樹の元々の特性は大きく変えられないよ? 赤い花の種から白い花を咲かせることはできない。けれど、花の大きさや開花時期、花の咲く順番を変えることはできる……術者の魔力の総量が大きいと、植物だけではない。動物……時に人間さえ影響下に置いてしまうことがある。思う通りに成長させるようなことはできないが、死ぬほど衰弱している人を持ち堪えさせたり、風邪や流感から早く回復させたりといったことはある。術者本人が、そうなってほしいと願っていないと、この効果は表れないし、無意識に魔力が漏れ出ている程度では、相手が魔術師だと互いの魔力が反発するから影響は薄まりもするが」
 それでも、魔力が漏れていると、影響が出る場合も、あるのだ。
 昔から、不思議だったことがある。
 ロゼアが植えた植物は砂漠であっても決まって必ず芽を出すのだ。屋敷の庭師たちにそれを重宝がられて、手伝ったこともあった。
 ロゼアは横目でソキの姿を認めた。
 国許の“花婿”や“花嫁”たちは、皆、脆い存在だ。その中でもソキは群を抜いて脆かった。けれど、彼女は生き抜いた。
『どうやらソキは昔から無意識に、魔術を使って回復していたらしい』
 ロゼアの耳元に蘇った声は、寮長のものだった。
 ソキが、魔力の乱れからひどく体調を崩して、寝込んだ時だ。
『“魔術師として”きちんと目覚めてなかったから、おまじない程度だっただろうが』
 ソキが生存できたのは、おそらく、彼女自身の力もある。
 だが、もしかして――……。
「ロゼア君」
 キムルに呼ばれて、ロゼアは息を呑み、視線を彼に戻した。
「話を続けていいかな?」
「……はい。お願いします」
「うん。……さて、ここまで話せばわかるかな。わかりやすく、成長の促進、と説明することが多いけれど、正しくは、“生命力の強化”。それが熱や光を凌ぐ、太陽属性の大きな特色なんだよ。生命力を強化した部分は大きく立派で頑強に、逆に強化をしなかった部位は細く、脆くなる。そういった作用を動植物の成長の調節に転用している。この生命力の強化という特色は、白魔術によく現れる。太陽属性の白魔術は怪我の治りをとても早める。病気に対しては治療効果が薄いけれどね」
 ちなみに、と彼は言い添えた。
「この特性を示す黒魔術もある。術者は魔法使いに近いほどの魔力量を要求されるせいか、大戦中の文献に残るのみの術だけれど。栄養や水を与えすぎて、枯れてしまう植物があるだろう。あのような形で、生命力を過度に強化させ、動植物を一瞬のうちに腐敗させる。……太陽の黒魔術師はその前に、熱量を上げて動植物を蒸発させることができるから、学ぶ必要もないかもしれないが、文献だけは図書館にあるはずだから、見てみるといい」
 一呼吸おいて、ロゼア君、とキムルが呼ぶ。
 金緑と青。左右で異なる色彩を宿す双眸が、怖いほどに真剣な眼差しでロゼアを射抜いた。
「わかったろう? 太陽の属性は、ことさら、強力なんだ。たとえば植物育成……キュリー先生は知っているね? 先生は地属性の錬金術師で、植物育成関連の道具に掛けては第一人者でいらっしゃる。それでも、僕と同じことはできない。……エノーラなら出来るだろうが、あれは規格外だ」
「ロゼア」
 これまで沈黙していたチェチェリアが初めて口を開いた。
「……これが、お前に厳しくする理由のひとつだ。属性からもたらされる力に振り回されないためには、訓練が必要だ。……わかるな?」
「わかっています。……厳しくしてください」
「うん。まかせておけ」
 ロゼアの返答に、チェチェリアは満足そうに笑った。
 実際、彼女の訓練は予断を許さぬものだ。けれど元々ロゼアは厳しく修行を課せられることに慣れた身である。傍付きであるのだから。
(いや)
 ロゼアは胸中で頭を振った。
(傍付き、だった、か)
「さて、と。……ロゼア君に対しての話はこれぐらいかな」
 キムルがにこりと笑って上半身を起こした。場の空気が和らいで、皆それぞれに息を吐く。
「質問があったらまたチェチェに言ってくれ。返事をするよ。……次に、ソキちゃん」
「えっ、ソキですか?」
 珍しく懸命に話を聞く姿勢を示していたソキが、驚きにだろう、身体を跳ねさせた。彼女の横でリボンがキムルを睨む。
「なんなのソキが疲れるでしょ話があるなら手短にしなさいよ」
「それは悪かったね。すぐ終わる……ひとつ、お願いがあるんだけれど、いいかな?」
「……なんですか?」
「うん。……僕にね、君の、その」
 言葉を区切ったキムルは、膝の上で重ねられたソキの手元を指差した。
「指輪を見せて欲しい」

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