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 熱砂の記憶 08

 ――ひつじ、ひつじ。わたしのひつじ。ひつじかいのさけびはきんのすなのおかをわたり、とおくとおく、はるかにとおく。



 彼女は王の妾妃のひとりだ。常ならばハレムの一室で王の訪れを待つ身分の彼女は今日、本殿の一角にある吹き抜けの三階から欄干にもたれ掛かり、階下の広間を見下ろしていた。
 奥へ立ち入るための許可を待つ待合の空間。四階までふきぬけた天井には見事な装飾が施されている。高い位置の窓から差し込む陽光を受け、大理石の美女が艶やかに微笑んでいる。磨き抜かれた床石には白と黒の迷路紋。壁際にひっそりと生けられた花々は、甘い香りを濃厚に放っていることだろう。
 広間には留め置かれる者たちがくつろげるよう、猫脚の円卓と絹張りの長椅子が並べ置かれている。
 そのひとつに、青年と少女が腰掛けていた。
 共に年の頃は十代の中ほど。少女は光を紡いだかのごとき金の髪を持っている。身体は華奢で、ときおり覗く横顔には、ほう、と感嘆の吐息が漏れた。この距離ではわからないが、肌も極上のものなのだという。彼女はそっと目を伏せた――自身の住まうハレムに用意された主不在の部屋を思うと、かすかに胸が痛んだ。
 ちくりと刺すようなその痛みを払うように、彼女は勢いよく視線を青年の上へと移動させた。少女の隣に座る彼もまた端整なつくりをしている。あどけなさを残しつつも精悍で、このまま成長すればたいそうな美丈夫になると感じさせた。髪色は赤褐色。肌は砂漠の民の多くが持つ、つややかに輝く、煮詰めた飴の色。
 彼女は欄干から離れて隣に立つ男を仰ぎ見た。彼の肌は青年と同じ。髪は黒。瞳は金。年はこの男のほうが、十ほど年上である。
 彼女は階下の青年と、横の男を交互に見て、ううん、と首を捻った。
「……思ったより、似てないわね……?」
「……そうか?」
「似ていないって思っているのでしょう?」
「……まぁ、な」
 言葉を濁しながら目を泳がせる男と階下で少女と腰掛ける青年を彼女は改めて見比べた。
 男と青年の造作が非常に似ていると話題に上ったのは秋も半ばの頃である。実は兄弟なのではと噂されるほどで、以来、彼女はこの男に似ているという件の青年をひとめ見てみたいと切望していた。彼が城を訪ねてきたというので、どれほど男と似ているのか真偽のほどを確認すべく、わがままを言ってハレムから出してもらったのだ。
「三階(ここ)からでははっきりとは言えないけれど、そうね。髪質とか、体格とか、似ているかしら……。でも、皆が大騒ぎするほどのものでもないような気がするわ――……あなたのほうが男前よ」
 王、と、彼女は男を仰ぎ見て囁いた。
 彼は国の王。この砂漠を統べる者。
 青年と王とでは、纏う空気が対極すぎる。
 青年が将来有望そうであることは認める。あと五年もすれば甘くひとこと囁くだけで、ぞろぞろ女が付いて歩くようになるだろう。
 彼女はふと視線を感じて王を仰ぎ見た。
「……王?」
 ものすごく、しみじみと見られている。
 彼は、ほぅ、と吐息して彼女に言った。
「俺、お前のそういうトコ、すごく好きだなぁ」
「あらありがとうございます」
 王が彼女に対して好意を口にすることはめずらしかった。機嫌がよいのだろう。他の愛妾たちには散々甘い言葉を垂れ流す王である。たまには自分にもやさしい言葉をかけたくなるのかもしれないと、彼女は思った。
 さてと、と肩にかけていた紗のショールをひるがえす。
「満足した……。許可をくださりありがとうございました。お仕事、がんばってね」
「おい待て……アイシェ!」
 名を呼ばれた彼女は足を止めて王を振り返った。
「……どうかしたの?」
 王は何故か苦虫を噛み潰した顔をしている。
「ハレムに戻るのか?」
「えぇ。用事はすんだもの」
 付き添ってくれている侍女が小間物を物色するようなら、商人たちが荷を広げている中庭に立ち寄ってもいい。
 王は沈黙している。
 質問はもうないようだった。
「それでは、失礼いたします」
 アイシェは衣装の裾を優雅に裁いて腰を屈め、王に低く頭を垂れた。



 ロゼアは会話を止め、周囲を一瞥した。
(視線を感じる)
 殺気ではない。けれど、観察されているような気分だ。
 ロゼアとソキが待たされている広間は王城の中ほどにあった。四階部分までの吹き抜けを各階の通路が取り巻いている。欄干には繊細な意匠の彫刻。高い位置の円天井には瑠璃と金と朱でアラベスク。広間は静かだった。ときおり移動する者たちの衣擦れの音や靴音が遠くで反響する以外は。
 再び視線を感じて背後を振り仰いだロゼアは、欄干からはみ出て宙をそよぐ紗のヴェールに目を留めた。濃い紫の薄絹の向こうから、つややかな黒髪の女がこちらを見下ろしていた。
 距離もある。顔がしっかり見えたわけでもない。それでも、わかった。
 うつくしい女だと。
 紗幕越しに目が合う。
 彼女は通路を往く足を止めるとその繊手をロゼアにひらひらと振った。
「ろぜあちゃん……?」
「え? あぁ。ごめん、ソキ」
 袖を引かれてロゼアはソキを見た。彼女はロゼアの腕の中で訝しげに眉をひそめていた。
「おむかえのひと、きたぁ、です?」
「ん? ううん……」
 ソキの髪を梳きながら気配を探ってみたものの、城の奥から人が来る様子は見られない。
 ついでに上の回廊を仰ぎ見たが、女の姿はどこにもなかった。
「まだみたいだ。ねてていいよ、ソキ」
 ふわ、と欠伸をするソキにロゼアは囁きかけた。先ほどから眠たそうに、のた、のた、と瞬きを繰り返している。いつもの昼寝の時刻をとうに過ぎているのだ。
 朝方に屋敷に到着してからというものソキは転寝すらしていない。ゆっくりと過ごしていてさえ身体を休める必要な彼女が、今日はずっとはしゃいでレロクやメグミカたちを相手に話し続けていたのである。もっと早くに疲れ切って寝台に崩れていてもおかしくない。
 メグミカたち世話役もいることだし、ロゼアはソキの体調さえよければ彼女を眠らせたままひとりで王城に挨拶に来るつもりだったのだ。
 だがそれを他でもないソキが突っ撥ねた。
「やぁんやぁん、ソキぃ、へーかにぃ……ごあいさ……んとぉ、おれいもぉ、いうです。そきろぜあちゃんといっしょにいるぅ……」
 ひとりで城に向かおうとしたロゼアに一緒にいくと彼女は主張して聞かなかった。登城を明日に回すことも駄目なのだと言う。城にいく、ロゼアと一緒にいる、とだけ繰り返すソキに押し切られるかたちで、ロゼアは今、城で王の下への案内役を待っていた。
 ソキの肩の縁をやさしく叩いてやりながら、ロゼアも目を閉じる。故郷に到着して気が抜けたのだろう。睡魔に襲われているのは何もソキだけではなかった。
 同僚たちに親友、先達、そして両親――……。
 皆との半年ぶりの再会は、ロゼアを興奮させていた。
(そういえば、父さんたちにラーヴェさんのこと、聞いてなかったな)
 辞職の理由は詮索すまい。詳細は知らずとも察することのできる部分は多くある。
 ただ連絡はつくのか、その後の行く先を知ることはできるのか、ソキの為に訊いておきたかった。
 父は、かなしいだろう。
 亡きソキの母の傍付きとロゼアの父は、シフィアとロゼアのような間柄である。シフィアが辞職するつもりなのだと聞いたとき、ロゼアはやはり、かなしかった。
 迎えが申し訳なさそうに現れたのは待ち始めてから小一時間ほど経った頃だった。
「お待たせロゼアくん! ……あら、ソキちゃん寝ちゃいました?」
 ごめんなさいねぇ、またせましたねぇ、ちょっとひと悶着あったんです、とラティは言った。彼女は王宮魔術師のひとりだ。ロゼアが魔術師として目覚める前にも世話になった、顔見知りである。
「ひと悶着、ですか?」
「うんうん。や、たいしたことないんですよ。ちょっとお祭りがですね?」
「おまつり……?」
「とりあえず、行きましょうか。ソキちゃんは」
「あぁ、このまま連れて行きます。起こさなきゃいけなくなったら教えてください」
 ロゼアはソキを抱き上げて立ち上がり、ではどうぞ、と微笑むラティに続いて歩いた。
 光と影が交錯して縞模様を描く廊下には薔薇と睡蓮の植物文が複雑に絡みあって刻まれる。密に嵌めこまれた瑠璃のタイルと金の装飾が水底であるかの如き陰影を方々へ投げかける。装飾に用いられている宝玉が、積み重なった歳月による独特の光沢を放っている。
 その壮麗で重厚な空気のある廊下に、紙の輪を連ねたものが丸まって落ちていた。細長く切った折紙の端をノリでくっつけて繋げていく、あの。
(……なんで、色紙……)
 さらには騎士の装いをした青年が床石に散らばった紙ふぶきを箒とちりとりで掃き集めている。そういった光景はいたるところで見られ、なぜに紙ふぶき、なぜに紙の輪、と疑問符を浮かべること十数回。
 階の上り下りを繰り返しては廊下をいくことを幾度か繰り返したところで、先導していたラティが不意に立ち止った。
「ロゼアくん、ソキちゃんを起こしてくださいね」
 ふたりを連れて参りましたよー! と叫びながらラティが踏み込んでいった部屋は、吹きさらしのバルコニーからきらめく湖面を一望できる広い部屋だった。
 彫刻の施された円柱。白と黒の千鳥格子の床。部屋の中央には大判の絨毯が敷かれている。その一角を囲う淡水色の紗幕の向こうでは、数人分の人影が陽炎のように揺らめいていた。
 そのうちひとりがラティの呼びかけに応じて姿を現し、部屋の入口で留まったままのロゼアたちに笑顔を向けた。
「ロゼア、ソキ!」
 学園で別れたきりの、メーシャだった。
「メーシャ!」
 ロゼアは思わず声を上げて大股で友人との距離を詰めていた。予想外の再会が嬉しかったのだ。
 長期休暇の過ごし方に帰省を選んだロゼアやナリアンと違って、メーシャは学園に残留する方を選んでいた。時々は出かけたりもするよ、と学園で彼は笑っていたけれども、まさか砂漠で会えるとは思っていなかった。
「いつから来てたんだ?」
「昨日から。先生の手伝いに付いてきたんだ」
「先生?」
「ストル先生」
 メーシャが振り返った視線の先で、男が面を上げてロゼアたちを見た。
 晴れた空の色の髪と漆黒の瞳を持つ、ひどく端整な顔立ちをした男だった。体つきも均整がとれており、メーシャと並ぶとたいそう絵になる。花嫁花婿という美男美女を見慣れきったロゼアの目を通してさえ、目の保養になるふたりだ。男の名はストル。星降の王宮魔術師であり、メーシャの担当教官である。
 彼は手に持っていた盆を絨毯の上に置くと、微笑んで歩み寄ってきた。
「おかえり。観光は楽しかったか?」
「はい」
「……そうか」
 感慨深げにストルが頷く。初めての観光旅行だったんだろう? と彼はやさしい声音で問いかけてきた。
 彼は砂漠の出身であるという。ロゼアと同郷人たちがおしなべてそうであるが、ストルもまた魔術師たちの中でもロゼアとソキの関係に理解を示すひとりだった。火の魔法使いであるレディのように、ソキやウィッシュへの敬意を表明するわけではないが、ソキに接する態度はとても丁寧で、ロゼアという“傍付き”の扱いをその担当教官であるチェチェリアにそれとなく助言しているのも彼のようだ。身のこなし方が訓練を受けた者のそれなので、屋敷の人間が親類縁者にいるのかもしれないとロゼアは密かに思っている。
「オイ……お前らいつまでそこにいるんだ?」
 紗幕の中に響いた気だるげな声の主をロゼアはメーシャの肩越しに見出した。傍にいたストルも紗幕の奥を振り返っている。視線の集まる先には男がいた。黒髪に黄金の瞳、この国の民によく見られる褐色の肌――砂漠の国の王、シアだ。
 彼は巨大なクッションに頬杖を突いて、己の右半身を埋めるように横たわっていた。手元に伏せた本がある。遠目に見えた題はひと昔前に城下で流行った歌劇であるから、仕事中というわけではないのだろう。雰囲気もどことなく疲れていて、こちらを眺める目はどこか眠たそうだった。
「んん……ろぜあちゃ?」
 周囲が賑やかになったことで目が覚めたらしい。ソキがロゼアの肩口に目元を擦りつけながら身じろぎした。起こそうと思っていたところであったから丁度よかった。
「やうー……そきねむぅい……」
「おはようソキ」
 メーシャが苦笑しつつロゼアの脇からソキを覗き込んだ。その友人の顔を見上げた彼女は、のたのた瞬きを繰り返しながら、こてん、と首をかしげる。
「めーしゃくん、ですぅ……?」
「うん」
「ごめん、ソキ。疲れてるよな。でも起きよう……王陛下だ」
 ロゼアの一言に、ソキはんん、と思考を巡らせる。
 一瞬ののち、彼女は大きく目を見開いた。
「えっ、えっ……! やぁんロゼアちゃん起こしてくださいですよおおおぉ!!」
 ちゃんと起きれたのに! ソキ起きれたのに! と繰り返し主張しながら、ソキがわたわたと上半身を起こす。ロゼアの首に両腕を回し、もぞもぞと身じろぎして姿勢を正した彼女は、これでいいです、と、ふすんと胸を張った。ロゼアはうん、と頷いた。そのまま足を踏みだす。
「おまえら……これでよし、みたいな顔してくんなよ……」
 絨毯の前で靴を脱ごうとしたロゼアに、王がクッションに突っ伏して呻いた。
「せめて俺んとこには歩いてこいよ……な?」
「え? 自分、歩いていますよね?」
「お前の話じゃねぇよソキのことだってオイこらソキを歩かせるなんて意味がわからないって顔をするな! ソキは聞こえないふりをするんじゃねぇよ……!!」
「あれ、ソキ、具合でも悪いの?」
 ソキの顔を覗き込んでメーシャが首をかしげる。ソキが起きていながらロゼアに抱かれたままだからだろう。そういった状況はここしばらく体調が悪いときに限られていたから、彼は心配したに違いない。
 ソキの身体を引き寄せつつ、その額に頬を付けて、ロゼアはメーシャに告げた。
「大丈夫。悪くないよ」
 しばしロゼアとソキを見つめた後、メーシャはにこっと笑った。
「よかった」
 彼はそれ以上を追求しなかった。



「それで、いつまでこっちにいるつもりなんだ?」
 と、王が切り出したのは、ロゼアがメーシャたちと絨毯の上でくつろぎ始めてしばらく経ってからのことだ。
 ロゼアは勧められたレーズンを皿から取り上げているところだった。絨毯の上には菓子や果物の盛られた真鍮の皿が所せましと並んでいる。王の心遣いかと思ったがそうでもないらしい。ちょっと陛下機嫌が悪いからやけ食いしたかったみたいなんだよ、と耳打ちしていった白の魔法使いは、王によって蹴り出されている。なんでも、祭りの片づけをするとかしないとか。
 レーズンを口の中に放り入れる寸前で手を止め、黙考してロゼアは答えた。
「年はこっちで越そうって思っていますけれど……あとはソキの体調を見て決めるつもりです」
「滞在中、どこかへ出かけたりは? 白雪にも行くのか?」
「それもソキ次第ですね……」
 帰省をするという第一目標は達成しているし、砂漠までの道程で観光も充分に満喫した。白雪まで踏破してみてもいいとは思うが、無理をせず次回のお楽しみにとっておいても問題はない。
「だいたいは屋敷にいると思います」
 片づけを初めとしてするべきことがいくつかある。加えて、傍付きの訓練。学園でも身体を動かすようにはしているものの、体術や剣術は相手をしてくれる者がいない為にどうしても勘が鈍る。訓練に参加できると聞いてきたので、実は楽しみにしていた。
 自分から訊いたわりに、ふうん、と王は生返事をした。
「まあ、のんびりしろ。部屋はあとでラティに案内してもらえよ」
 もぐもぐレーズンを咀嚼したのちに、ロゼアは訝しさから眉をひそめた。
「……部屋?」
 何の話だ。
 王がふと気づいたと言わんばかりに瞬く。
「そういえばお前たち荷物を持ってないな。どこに置いてきた?」
「屋敷に置いてきましたけど」
「……うん?」
「……え?」
 王とロゼアは目を合わせて同時に首を捻った。
 何かが、確実に噛みあっていない。
「ちょっとまて。お前ら、城に滞在するんだよな?」
「え? 屋敷に泊まるつもりですけど」
 ロゼアの説明に王は戸惑ったようだった。
「は? けどソキからの手紙には……」
 王が言葉を中途半端に止めてソキへ視線を移し、その場に介していた一同がつられて彼女を見た。王とロゼアの話を聞き流していたらしいソキは、部屋に漂う沈黙から会話が終了したと感じたのだろう。ハーブティーから唇を離し、おはなし、おわったですか、とふんわり笑って、カップを盆の上に置いた。
「陛下、お部屋をご用意くださり、ありがとうございました……。ロゼアちゃん! ソキ、ちゃぁんと! ソキとロゼアちゃんがお泊りするところ、陛下にお願いしていたですよ!」
 すごい? えらい? ほめてほめて? と得意げに笑うソキに、ロゼアは思わず天井を仰いだ。背中に王からのぬるい視線が刺さる。
「……ロゼアからの指示じゃなかったのか……」
「俺には陛下を頼ろうっていう発想がそもそもないです。……ソキ、どうして陛下に?」
「えっ……し、したら駄目、だった……です?」
『そうじゃない』
 重なった王の声と自分のそれの響きが自分でも驚くほどに似ていた点についてはひとまず無視を決め、ロゼアは彼女の髪をゆっくりと梳いて微笑みかける。
「いや……誰かに陛下に頼んだらいいよ、とか、言われた?」
 ソキはふるりと首を横に振った。
「おやすみちゅう、ソキはぁ、ロゼアちゃんのお手伝いをするって、決めてたですよぉ」
 ソキのロゼアを手伝う運動はこの頃から始まっていたらしい。
「だからソキ、陛下に、お手紙書いたです」
 砂漠にいるあいだ、お泊りさせてください、と。
 ソキが王に手紙を書いたことは知っていた。長期休暇が始まる少し前に彼女はハリアスとメーシャをお供にして、品質のよい便箋と封筒とインクを買いになないろ小路へわざわざ出かけたからだ。ロゼアはどうしても彼女と行くことができない日だった。
 ロゼア不在の外出はソキにとっても初めての事で、帰宅した彼女は頬を上気させて買い物の様子を三十分ぐらい話し、彼女が手紙を書き終えて投函した後も、ハリアスが選んでくれた便箋のうつくしさやナリアンから予め助言を受けて買った万年筆の書き味の良さを、ごきげんで語ってくれはした。けれど手紙の内容までをロゼアは耳にしていなかった。もっとしっかり確認しておくべきだった。
「で? 結局どうするんだ?」
「えぇっと……じゃあ、お世話になりたいと思います……」
 王に部屋を用意させておいて無碍にするわけにもいくまい。ソキの世話をする人員だって揃えているはずだ。
「もちろん。こっちはもとよりそのつもりだからな。……屋敷にはこちらから断りを入れるか?」
「いえ。部屋はソキと屋敷に行ったとき使えばいいのでそのままにしてもらいます。けど……」
「けど?」
「問題は、屋敷の使用人たちの方、というか……」
 この帰省のためだけに再収集された、メグミカを筆頭とするソキの元担当たち。彼女たちはおそらくソキの世話を楽しみにしていた。そして十中八九、昼夜そばにいることを前提に予定を立てていたはずだ。
 ロゼアとしても彼女たちからソキの傍にいられる希少な時間を奪いたくない。それがロゼアの怠慢による行き違いに端を発するなど、もってのほかだ。
「あの、ですね。屋敷からソキの担当、何人か呼んだら駄目ですか?」
 ロゼアの請願に王が不愉快そうな光を過ぎらせる。世話役ぐらいいるぞ、といわんばかりの。
 いや、それはわかっています、と、ロゼアは目で訴えた。屋敷でソキを待つ仲間たちに少しでも彼女と触れ合う時間を――ロゼアが半殺しにされる前に。
 王はしばらく黙したあと、どうでもよさそうな生温い微笑みを浮かべて、好きにしろよ、と許可を出した。

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