寮長はどこへ行ったのだろうか。再びロゼアの腕に抱きあげられたソキが持った疑問は、当然のごとく他の三人も感じたらしい。どことなく聞きたいような、それでいて聞かないままで終わりにしたいような微妙な空気が流れ、新入生たちが無言で視線を交わす中、副寮長はにこりと明るい笑みを浮かべる。
「おかえりなさい、四人とも。寮長ですが、とある事情により場を離れられましたので、代わりに俺がお役目を引き継ぎました。……寮長がよかったかな? ごめんね。俺で我慢してくださいね」
くすくす、くす、といたって楽しげに静かな笑みを響かせた副寮長は、いえ絶対にそんなことないですあなたでよかったありがとうございます、と心の底から言いたげなナリアンに視線を向けた。ナリアンが手に持っていたのは、白く優美な線を描く長い杖。先端には紫水晶が埋め込まれている。魔術師が持つ、彼らを『選ぶ』武器には必ず宝石が付いているのだった。埋め込まれているものもあり、飾りのように付けられているものもある。千差万別、武器によっても全く違うものであるが、その杖を今朝までのナリアンは持っていなかった筈だ。ならば、それがナリアンの武器で間違いないだろう。無事に武器を持って帰ってきた新入生に安堵しながら、副寮長は無言で視線を動かし、次にロゼアとソキを見た。ロゼアは見た所手になにも持っていなかったが、腰に短剣がくくりつけられている。こちらも、ナリアンと同じ紫水晶が飾られていた。
あとで卒業生が置いて行った剣帯をみつくろって、ロゼアに贈ってやるのが良いだろう。もちろん本人が拒否せず、使い慣れたものを持っていなければ、の話だが。傍付きの中には、その役目や実力により佩剣を許されていた者もいる、とかつて学園に在籍していた『花婿』が教えてくれたことがある。ロゼアがもしそれに該当するのであれば、使い慣れたものを使用するのが一番のことだった。後で佩剣を許されていたかと、もし許されていたのであれば剣帯を持ってきているか、置いてきたのならそれは実家にあるのか、を聞かなければ。寮長とそのあたり相談しようと思いつつ、ガレンの視線が空を泳ぎ、ソキに止まる。体力が貧弱、というかないに近い『花嫁』は、ひとりで武器を取りに行って帰るだけでも大変疲れたのだろう。眠たげ、というよりはだるそうにロゼアの腕の中に収まり、のたのたと瞬きをして、白い本をぎゅぅと抱き締めている。
「……君も、やはり『本』なのか」
「……ふえ?」
「すこし前まで学園に居た予知魔術師。リトリアの武器も、やはり本だったから……予知魔術師だけがその武器を手にする訳ではないんですが、歴史に残されている分だけでも、予知魔術師を選ぶ武器はなぜか全てが『本』なんですよ。彼女の本は雲を透かした乳白色の、空の色をしていました。ソキのものは、白いのですね」
言いながら、副寮長はじっとソキのことを見つめていた。ロゼアがやや心配そうにソキの額に手を押し当て、熱を計っている。気が付いたメーシャもソキの顔を覗きこんでいるが、副寮長は近寄ることをせず、意識を集中させてそれが発動する瞬間を待っていた。やがて、ふわり、魔力が流れるのを感じる。それは甘い花の香に似ていた。ソキの浅く、早めだった呼吸が徐々に深くなり、平常のものになっていく。顔色もよくなり、辛そうな表情もロゼアの腕の中で溶けてしまった。報告にあった、恒常魔術が発動したのだろう。ふむ、と気がつかれないようにガレンは目を細め、どうしたものかと思案する。まあ、彼女はかの白魔法使いと懇意にしていることだし、なにかあればそちらから意見のひとつでも来るだろう。たぶん。三ヶ月以内になんの音沙汰もなければ、そこで初めて問題として提出すればいいだけのことだった。今必要なことではない。
意識を切り替え、ガレンはソキの顔色が戻ったことで嬉しそうにはにかむ、メーシャの武器を視線で探した。剣ではなさそうだ。槍や、杖でもない。弓でもなさそうだ。指輪や、装飾品の類がこの華やかな新入生には似合いそうだが、その身を飾る品が増えた形跡もない。悩む副寮長の視線が、どこか戸惑ったように、どうしていいのか分からないように、体に隠すようにして手に持っていたそれを見つけ出す。夥しい程の魔力に、一瞬息がつまり、鳥肌が立つ。それは、天才と呼ばれるとある錬金術師がひとつだけ作りあげ、設計図を焼き捨てた曰くつきの武器だった。世界にひとつ。本当にたったひとつしかないそれを、その錬金術師は『扉』の向こう、武器庫へと安置した。
いつかその力が必要になる時が来る。その時まで眠らせておかなければいけない。錬金術師はそう言って、誰にも設計や製法を明かすことなく、この世を去って行った。その武器はかつて一度、とある魔術師を『選び』、共に旅だった筈だった。その魔術師の手の中でふたつに別れ、移し身を彼の元へ残し、我が身を再び武器庫の中へ戻してしまうまで。あまりに殺傷力の強い武器だから、王宮魔術師、王の守り手たる彼には相応しくないと、『武器』が判断したのかも知れない。すくなくとも、周囲にはそう思われていた。ひとの命を、あまりに容易く奪うことのできる武器。失われた設計図によりつくられた、その武器の名を、銃という。
「ストルの……銃?」
「え」
聞き取れなかったのだろう。きょとんとした目で振り返るメーシャに、ガレンはなんでもないと首を振りながら、慎重にその武器を観察した。何度確認しようが、その武器はこの世界にひとつしか存在しない。けれども、藍玉のあしらわれた位置が記憶と一致するので、それは紛れもなく星降の王宮魔術師、ストルの手にかつて持たれていたものと同一だろう。なぜ再び『選んだ』のかを考えかけ、ガレンは胸中で溜息をつき、未熟な予知魔術師に視線を走らせた。思えば、リトリアが己の『守り手』と『殺し手』の存在を放棄した時期と、ストルの手からそれが消えた時期が恐ろしいことに一致していた。怖いので、世の中にはすごい偶然もあるのだということで思考を切り上げ、副寮長はなにか物言いたげな視線を向けてくる新入生たちに、穏やかな笑みを浮かべて対峙した。彼らの不安、聞きたいことはなんとなくわかるが、告げるのは己の役目ではない。
「皆さん、武器を手に入れられたようですね。では、あなた方の担当教官が来ていますので、案内します」
ついてきてくださいね、と言い、ガレンは身を翻して歩き出す。その背にかける言葉を持たず、どこかとぼとぼとした足取りで、新入生たちは後を追いかけた。まあ、そう長くない道のりであるので、元気がなくとも歩けるだろう。なにせ武器庫へ繋がる『扉』があるのは寮の一階の片隅であり、副寮長が彼らを連れて行くのは同じ階にある談話室なのだから。昨夜と同じく、多少の興奮にさわがしく空気が揺れている部屋の前で立ち止まり、ガレンはにこやかな、心からの笑顔を浮かべてひとつだけ、忠告をした。先に言っておきますが、と。
「訓練された寮長派以外は直視することをお勧め致しません。薄目で見るか、鏡で反射させて見るか、そういった各自の対処をお願い致します。耳栓が必要だと思われた場合、以後は各自で用意しておいてくださいね」
「寮長、なにしているんです?」
純粋に不思議がるソキに、副寮長は悪戯っぽく笑みを深め、こう言った。彼の女神に、日課となるであろう愛の告白を、すこし。扉の向こうに、混沌がある。その予感でいっぱいになる新入生たちに、さあ担当教官が待っていますよと笑って、副寮長は談話室の扉を押し開いた。
窓辺の椅子に座る女性にナリアンが呼びつけられ、担当教員の名乗りを受けている。その足元で、寮長が女性の靴を恭しく持ち上げ、柔らかな布で磨きあげていた。寮長なにしているんです、と談話室に入ってから五回目くらいの呟きをくちびるで転がし、ソキはううん、とふかふかソファの上で首を傾げた。ロゼアが体ごと反転させてソキの視界からそれを排除した為、声くらいしか聞こえなかったので、よく分からないのである。入室前に副寮長が言っていた通り、確かに寮長は愛の告白をしているようだった。ちらりと、一瞬だけ見えた姿が確かであるのなら、ものすごく眠たくて限界を突破しているのも関わらず寝ることだけが許されていないので仕方なく起きている女性の、恐らくはナリアンの担当教官の前に片膝をつき、うっとりとした微笑で女神とか天使とか妖精とか俺の光とか、そういう単語を口走っていた筈だった。
そしてその囁きは、今も切々と捧げ続けられているらしい。なぜかやや怯えた表情で女性の前に立っていたナリアンが、ちらりと寮長に視線を落とすなり、非常にうっとおしそうな顔つきになった。なんなのこのひと、ほんとうなんなの。意志として響いてくるでもなく、声が聞こえた訳でもないが、ナリアンの横顔からその気持ちを読みとって、ソキはのんびりとあくびをする。傍に行ってナリアンのことを宥めてあげたい気持ちもあるのだが、ロゼアの抱っこからソファの上に降ろされた今、ソキには移動手段というものが存在していないのである。数秒後、そういえば自分の脚でも歩くことができるのだと思いだしたソキは、けれどもごく僅かに眉を寄せ、服の上から足に手を触れさせた。武器庫で、約半日ぶりに立ったからだろうか。痛みはないものの、なんとなく、違和感が付き纏っている。旅の間には、こういうことはなかった筈なのだが。
白雪の国から『学園』へ来る間は無意識が緊急事態だと判断し、有事にのみ発動する回復魔術を、ある時からそれこそ文字通り恒常的に発動させっぱなしであった事実を知らず、ソキは溜息をついて足から手を離した。痛くはないし、ひねったりした訳でもないので、そのうち違和感は消えるだろう。ソキ丈夫なんですよ、と口癖のような言葉をぽつりと呟けば、違和感がすうと消えた気がしてそっと安堵の息を吐く。うん、ほら、大丈夫だ。よかったと胸を撫で下ろしながら、ソキは傍らに立つロゼアにちらりと視線を向け、眼差しでその存在を確認すると、改めて手の中の本を見つめた。帆布の張られた、真っ白な本である。この本を落ち着いて読みたいから、ソキはロゼアの腕の中ではなく、ソファの上に降ろしてもらったのだ。なにも書かれていない、ちいさな蛍石が表紙の端できらめくばかりの本をひとなでし、武器庫でのことを思い出す。
声と呼んでいいのか定かではないあの妙なる響きは、恐らくこの本が奏でたもので間違いはないだろう。本は己を、写本と言った。ソキの武器なのだと。どきどきしながら表紙を開き、中身に目を落としたソキは、無言で瞬きを繰り返す。そこに閉じられていたのは、白い紙だった。罫線も引かれず、ただ白いばかりの紙だった。一枚目も、二枚目も。閉じられている全ての紙は白いばかりで、なにも書かれていない。書きこむ為の、本のようだった。日記帳、あるいは物事を記す帳面を思わせる本だ。これを、どう武器として活用すればいいのか、ソキにはちっとも分からない。表紙を閉じて、ソキはゆるく息を吐いた。やっぱり、これは角で殴るとかそういう方法でアレするものなのだろうか。そういえば副寮長が、楽音の国の予知魔術師、リトリアも同じ武器だと言っていたから手紙を出すことが許されれば、聞いてみるのもひとつの方法かも知れない。
念のために砂漠の国の物理系魔術師、ラティにも尋ねてみることにして、ソキはふっと手元に落としていた視線を持ち上げた。そういえば、ソキの担当教員はどこでなにをしているのだろう。窓辺では変わらず寮長が女性に愛を囁き、ナリアンが道端に落ちた蝉の抜け殻を眺めるのと同じ目をして男を見つめている。室内を探すと、メーシャが背筋をまっすぐに伸ばした、きれいな印象の男と会話をしているのが見えた。寮生と王宮魔術師の区別をつける方法がソキにはまだ分からないが、なんとなく、彼がメーシャの担当教官だと思った。男と、ナリアンの担当教官に共通するものがあるとすれば、それはなぜか、非常に眠たそうだという一点だろう。担当教員というのはまさか、寝不足の魔術師の中から選出されてくるものなのだろうか。いえそんな訳ないとは思ってるですけどね、とひとりごち、ソキはふと傍らにあった筈のロゼアが、すこしばかりソファから離れた位置に立っているのを見つけた。距離にして、ソキの歩幅で三歩くらい。離れた、とも言い難い、ほんの僅かな距離の先で。
ロゼアが、うるわしい女性と、なにか話しているのが見えた。ソキの目は、彼女をロゼアの担当教員だと判断した。旅の間に出会った王宮魔術師たちと、なにか共通する雰囲気を女性が持っていたからだ。担当教員と顔を合わせているだけ。そうと分かっていながら、ソキは息ができない気持ちで立ち上がった。ロゼアの表情には驚きと、喜び、親しさがあった。どうして、と思う。どうして、どうして、ロゼアちゃん。そのひとのことを、ソキは知らないのに。なのに。なのに、なんで、ソキの知らない間に。誰かと出会って。誰かと笑って。誰かと。
『――ロゼアクンがいいの?』
そきをおいていこうとするの。
「……ソキ?」
一瞬、意識に忍び込んでかき消えたその声を記憶にとどめることなく、ソキは無言でロゼアの袖口を引っ張った。体を、ロゼアの背に隠すようにしながら顔だけを出して、目の前の女性を見上げた。身長が、ソキよりも高い。均整の取れた体つきを持つ、女性の目から見てもうつくしい、麗しい印象を受ける美女だった。女性は、その足でしっかりと立ちながら、どこか驚いたようにソキを注視している。ロゼアちゃん、とソキはなんとか息を吸い込み、言葉を探しだして告げた。
「前から、お知り合い、だった、です……?」
「ソキ」
ロゼアが苦笑して、柔らかな声でソキを宥めるように囁く。
「こっちに来る途中に世話になったんだ。チェチェリアさん……先生、だよ」
ぎゅぅ、とちからをこめて、ソキはロゼアの服を握り締めた。なにを言えばいいのか分からない。ちゃんと、挨拶をしなければいけないのに。そんな簡単なことくらい、ソキにだって分かっているのに。昨夜、メーシャに手を離されてしまった時よりずっと強い恐怖が、ソキの内側からせりあがってくる。おいていかないで、ろぜあちゃん。おいていかないで。ろぜあちゃんを。とらないで。
「君がソキか」
ふと近くから、冷えた氷のような声がした。不思議と柔らかく、温かく響く声だった。ふと視線を持ち上げたソキと同じ目の高さに、女性がしゃがみこんでくれている。嫌な音を立てていた心臓が、穏やかに静まって行くのを感じて、ソキは息を吸い込んだ。今、なにを考えていたのか分からなくなる。なにを、考えさせられて、いたのか。分からなくて、息を吸い込んで、目の前の女性を見て、ソキは素直にしょんぼりした。女性はチェチェリアと名乗り、ソキにやさしい声で挨拶をしてくれている。頷いて、ソキも離そうとした時、やや強引に握手を求められ、そのまま腕を手繰るように引き寄せられる。胸元に抱き寄せられると、ふわりとした熱と、いい匂いを感じた。ソキは、まだ声がでない。その耳元に、ひっそりとした笑い声が、内緒話を囁いた。
「大丈夫、わたしはロゼアを取らないよ」
「……ん、と?」
「本当。だから、そんな不安そうな顔をしてひとを見るものではないよ、ソキ。笑っていた方が可愛いよ」
ぽんとソキの頭を撫でてから離れたチェチェリアが、立ち上がってロゼアと会話を交わしている。それを、今度こそ落ち着いて耳にすることができながら、ソキはようやく、体から力を抜いた。
「えっと、チェチェリア、せんせい?」
「うん?」
呼んだか、と言わんばかり、チェチェリアがソキに顔を向けて微笑んだ。それに思わず笑い返して、ソキはしっかりと頭を下げた。
「ご挨拶が遅れました。はじめまして、ソキと申します。よろしくお願いいたします。……ロゼアちゃん! ソキ、ご挨拶できましたですよ」
「うん」
ちゃんと見ていたよ、とばかり頷き、ロゼアが微笑む。そんなロゼアに手を伸ばして抱きあげてもらおうとしながら、ソキはふと気が付き、腕を下げてきょろきょろと辺りを見回した。抱きあげてもらった方が視線が高くなるので分かりやすくなるかもと思いつつ、ソキは再び、ロゼアの服をひっぱる。
「ねえねえ、ねえねえ。ロゼアちゃん?」
ソキの担当の先生、どこかで見ませんでしたですか、と。ソキがそう問おうとした瞬間だった。彼方から、がたんばたんっ、ずるっべしゃごんっ、と想像しい音が連続して響き、いたああああっ、と苦痛に満ちた涙声が続いて奏でられる。思わず音のした方、談話室から離れた、どこかへと続いて行く廊下の方を注視して沈黙してしまうソキの耳に、呆れた声が届いたのはその時だ。それは、恐らく騒音の発生源の傍らで紡がれた声だというのに、いやに通りよく、談話室まで響いてくる。
『だーかーらー、足元を見て歩きなさいって言ったじゃない? 歩けって。走れとは誰も言わなかったでしょう? 転ぶんだから』
『だって、だって遅刻っ、遅刻しちゃ……しちゃった! う、うわああああ、遅刻! 遅刻しちゃったじゃんかよおおおおおばかああああっ!』
呆れかえった女性の声と、半泣きの、どこか聞き覚えのある青年の声だった。恐らく、転んだ所から立ち上がり、こちらへ向かって来ているのだろう。じりじりと声が近くなって行く。
『だいたい! なんで起こしてくれなかったんだよ!』
『はああああぁっ? ちょっと言っておきますけど! 私は! 兎ちゃんを! 四回も! 起こしたっ! 起こしたのよ私はーっ!』
『うるさいばかエノーラのばかぁーっ! 兎ちゃんって呼ぶなーっ!』
談話室にいる寮生の殆どが、生温い笑みを浮かべながらなにやら頷いている。王宮魔術師は、当たり前の事実であるが全員が『学園』の元生徒で、寮生である。誰が来たか、彼らにはすぐ分かったに違いなかった。
『いい? 私は起こしたの。ちゃーんとね! でも四回の、その四回とも! 四回ともよっ? 寝ぼけて、ふにゃふにゃふにゃふにゃした声で、ねむいもうだめ俺もうすこしだけねるね……とかなんとか! 言って! 起きなかったのはそっちでしょうが!』
『そっ、そこで諦めんなよ! たった四回で諦めんなよ! どうしてそこで諦めたんだよ! お前の意志はもっと強い筈だろっ!』
『決まってるでしょう! 兎ちゃんのお守を言い渡されていたのに遅刻させちゃった罰として! 陛下に踏んで頂くためよっ!』
私がこの機会を逃すと思うアンタがいけないっ、と言い放ったのち、悦に入った高笑いを響かせてむせてひとしきり咳き込んで落ち着いた所で、女性は談話室の前に辿りついたらしい。それまでとは違う達成感の滲む声で、ほら背を伸ばしてちゃんとして、と青年に言い聞かせながら、女性はそれじゃあね、と帰ろうとしている。
『陛下が、なんでか扉の前まで送り届けたら決して中を覗いたりせずに帰って来なさいねって言うのよね? うーん、なんでだろう。言うことちゃんと聞けたら、踏んでくださるって珍しく約束してくださったから、私はもう帰るけど。気になるなぁ……理由知ってる?』
『ああ、うん……他国の王宮魔術師に迷惑をかけたくない、我らが女王陛下のやさしさかなぁ』
『なぁに、それ』
分かんないの、と呟く女性の声に、なぜか談話室内の寮生の視線が、チェチェリアに向けられた。いたわりと同情に満ちた視線に、チェチェリアはげっそりとした息を吐きながら、白雪の女王に向けて感謝の言葉を口にしている。まったくもってよく分からない、と首を傾げながら、ソキはロゼアを見てあ、と声をあげた。ロゼアはなにか信じられないものを目の当たりにした顔つきで、談話室の扉を見つめ、しきりとなにか思いだそうとしている。それを見て、ソキも思い出した。そう、朝食の時に、ソキはこれを聞こうと思っていたのだ。あのね、ロゼアちゃん、とソキが声をかけたのと同時、談話室の扉が慌ただしく開かれ、女性に背を突き飛ばされるように、青年が不安定な足取りで入ってくる。
振り返り、ソキは満面の笑みで、青年のことを呼んだ。
「あ、やっぱり!」
「……ソキ?」
「おにいちゃんです!」
問いかけるロゼアに嬉しげに頷きながら、ソキは入ってきた青年を指差した。立っていたのは、白雪の国の王宮魔術師。前歴に『花婿』として他国に嫁いだ経歴のある、ソキの兄。ウィッシュがそこに立って、はにかむ笑みでソキたちを見ていた。