夜を降ろす儀式が終わったのち、新入生は『学園』に戻って天体観測の授業を受けなければならない。城下の屋台を巡るにしても、中間区の出店を見るにしても、遊ぶにしても、全てはそれが終わった後のことである。授業が終わったら俺のところに顔を出してくれてもいいんだからなっ、と涙目で訴える星降の国王が見送る部屋を後にして、ソキは学園へ戻る『扉』を目指し、ちまちまと廊下を歩いていた。手を繋ぐ相手もなく、振り返って心配そうに見つめる視線もない。ひとりきりである。別に置いて行かれたのでも、はぐれたのでもない。ソキねえひとりでちゃぁんと帰れるんですよ、と言い張って、とりあえず『扉』の前で待ちあわせることにして、一足先に部屋を出たのである。
『扉』から夜を降ろした部屋までは、そう距離もない。ただひたすらまっすぐ歩んで来た訳ではなかったが、曲がった廊下も二つ。それも特徴がある角であったから、大丈夫だろうと誰もが、ソキ自身も含めてそう思ったのだが。歩む足を止め、ソキは難しげな顔をしてあたりを見回した。ええと、と振り返る。考えながらもう一度進行方向を向いて、右を見て、左を見て、もう一度右を見て、さらにはまた振り返って。ソキはぎゅっ、と手を握り締め、重々しく頷いた。
「帰りみちが……迷子に、なっちゃいましたですよ……!」
自分が迷子だと思えないのはお前の故郷の風習かなにかだったりすんの、と呆れ顔で浮かんだ寮長の幻を振り払い、ソキはものすごく困ってううん、と首を傾げた。そもそも、ソキは道を覚える、という行為が不得意である。地図も読めない。入学式へ向かう旅の途中、ソキが地図を広げて眺めたり考えたりしていたのは、今どこにいて、あとどれくらいの距離なのか、を確認する、ただそれの為だけだ。進行方向をひかり指し示す矢印があったからこそ、地図はソキの導きたりえたのである。『花嫁』は地図を読む教育をされない。同じ理由で、星の見方を教わることもなかった。星は方角を示す道具となる。己の位置を正しく知り、望む方向へ行けることは、『花嫁』に必要とされる知識から外されていたのだ。
決して故郷へ帰れないように。辿りつけないように。その方法を知らされることはない。馬や駱駝に一人で乗れないのも、同じ理由があってのこと。方法を教わったとて、脆くつくられた『花嫁』の体が、それに耐えられることはないのだが。一人で歩くのにも疲れ、ソキはその場にぺたんと座りこんで、背後を振り返った。来た道を戻れば、とりあえず、出てきた部屋まで戻れる筈、である。歩いてきた道を一生懸命思い出しながら、ソキは浅くはやく、もどかしげな呼吸を繰り返した。すこしだけ頭が痛い。眠くなってきた気持ちを持て余しながら、ソキはふらふら、もう一度立ち上がった。よし、と手を握って息を吐き、右を見て、左を見て、首を傾げる。ソキが座りこんでしまっていたのは、ちょうど廊下の中ほどだった。
星を輝かせる夜闇が、かすかな記憶の手掛かりを塗りつぶして行く。
「ど……どっち、です? えっ、あれ……あれ、あれ? ソキ、どっちから、来た……」
きょときょと、きょときょと見回して、ソキは今度こそ、その場から動けなくなってしまった。ふえ、と半泣きで声をあげる。その時だった。ソキの腕に、そっと指先が触れる。そのまま、片腕でやんわりと抱き寄せられた。
「……ふえ?」
抱き寄せられた腕の中で不思議がるソキの背を、ぽん、ぽん、と手が叩いて離れて行く。すこしだけ体を離し、額を重ねるようにソキを覗き込んで来たのは、少女だった。あ、とソキは目を見開く。
「リトリアさん! です……!」
楽音の国の予知魔術師の少女。リトリアは、藤花色をした瞳をやんわりと和ませ、うん、と告げるように一度だけ頷いた。わあぁっ、と満面の笑みを浮かべながら、ソキはぴょこぴょこ、飛び跳ねて再会を喜ぶ。
「リトリアさんです! おひさしぶりですっ、こんなところでどうし……どうしたんです?」
不審に思ったのは、リトリアが微笑むばかりで、なにも話そうとはしてくれなかった為だ。訝しげに問うソキに、リトリアは手に持っていたノートを広げ、万年筆の先を紙の上へ置いた。筆先から、虹色のひかりが一瞬だけ立ち上る。誰の手も触れないのにひとりでに動きだした万年筆が、紙面に文字を書きだした。
『こんばんは、ソキちゃん。おひさしぶりでした。すこし用事があったので、学園に行っていて、今はその帰りなの。……あのね、声を出してはいけないの。私は。能力の制御は出来ているのだけれど、私は、あくまで、王宮預かりの予知魔術師ですから……国の外へ出る時には、言葉を話してはいけないのよ』
「……おしゃべりできないですか?」
『そう。私も声を出そうとは思いませんし、これが……』
意志を読みとって文字を書き表す魔術にて紡がれる『言葉』に合わせ、リトリアは己の首元を指先で示した。そこには、愛らしい印象のチョーカーがつけられている。幅二センチほどのリボン状に編まれた繊細なレースは、首の太さにぴったり合うように作られたのだろう。ほんの僅かな隙間もなく、それでいて苦しくはならない程度の調整を成されていた。中央には硝子細工の藤の花飾りが下がっており、それは淡いひかりを発している。なにかを押しこめるような息苦しい魔力を感じて、ソキは思わず息を飲む。魔術具だ。詳しい知識はなくとも、本能的に、ソキはそれを悟った。じっと見つめてくるソキの視線から隠すように花飾りの前に手をかざし、リトリアは仕方がなさそうな笑みを浮かべる。
『これが、私の声を出ないようにしてくれています。頼んで、作って頂いたの。だから、声でお話することができません。すこし、不便ですよね。ごめんなさい』
「……予知魔術師は、みんな、そうなるですか?」
『その国からでなければ、別に普通に話していても大丈夫なんですよ。これは、あくまで、念のために。……今日は特に、流星の夜で、私にはすこし、星の声がうるさくて……ざわざわ、してしまうから、仕方のないことなんです。そんな顔をしないで……?』
怪我をしたみたいな顔をしているわ、と紙面に書かれた言葉が告げ、ソキはそっと胸元に手を押し当てた。息を吸い込んで、顔をあげる。額を重ねるように、近くから親しく覗き込んでくれるリトリアの、やさしげに笑う瞳がすぐそこにあった。そっと口元までノートを引きあげてかかげながら、リトリアはそっと首を傾げる。その仕草に、髪飾りが揺れた。髪の一部を編み込み、そこに挿されているかんざしは、チョーカーと同じ、硝子で作られた藤の花のかたちをしていた。
『ソキちゃんは、こんなところで、なにをしていたの? 迷子さんかしら』
「そうです! 学園に帰る道とね、『扉』がですね、迷子になっちゃったですよ!」
『……うん』
迷子になっちゃったのね、と優しい目でソキに頷き、リトリアは屈んでいた姿勢から立ちなおし、ソキのことをちいさく手招いた。
『案内しますね。『扉』は、こっちよ』
「わぁ、ありがとうございますですよ! リトリアさん、帰ってきたところだったです?」
その問いに、歩み出そうとしていたリトリアの足が、ぴたりと止まった。ふるふる、どこか幼い仕草で首が左右に揺れ動く。ソキを振り返ったリトリアは、なんだか泣きそうな顔つきをしていた。きゅうぅ、とノートの端を掴んだ指先に、力が込められている。
『……さがしていたの。どこかに、この近くに、いる気がして。あいたくて、わたし、さがしたのに……』
ふるふるとちいさく震え、見る間にリトリアの瞳に涙がたまって行く。悲しげにしゃくりあげるリトリアの、意志を読みとって言葉がおどる。
『みつからないの。あえないの。あいたいのに。わたしは、ずっと、あいたいのに……!』
ぎゅぅう、と目を閉じた瞬間、涙が零れ落ちた。
『ツフィア、どこ……? ツフィア、つふぃあ、会いたいよ。会いたいの。つふぃあ……! わ、わたしのこときらいなの? やっぱりきらいなの? だから避けてるの……?』
「え、えっ……えっ……! ど、どなたのこと、なんです……?」
人が目の前で泣きだす、というのは、ソキにとって未経験の事件にひとしい。ひたすらオロオロしながらもなんとかそれだけを問うたソキに、リトリアは泣き濡れた花の瞳に、うっとりとした甘い輝きを宿しながら告げた。
『ツフィアはね』
踊るように動く万年筆が、告げる。
『言葉魔術師なの。学園の卒業生で、どこの王宮にも所属していないわ……』
「……ことば、まじゅつし?」
『大好きなの。わたし、ツフィアのこと大好きで、だから会いたいのに、ツフィアは、私のことを避けているの……卒業してから一度も、会ってくれないの。……今日は、近くにいる気がするの。いつもより、ずっと近く。会いたいの。会いたい。会いたいよ、ツフィア……どこ……?』
悲しげにしゃくりあげ、リトリアは手でごしごしと涙の伝う頬と、目元を擦った。大きく息を吸い込み、吐き出す。勤めて落ち着こうとしているリトリアを茫然と見つめながら、ソキは全く理解できない感情を持て余していた。言葉魔術師。それに、そんなものに、会いたい、と思う気持ちがもうすでに分からない。半分停止した思考で、ソキはぎこちなく問いかける。
「どん……な、ひと、なんです……」
『夜みたい』
ふわり、リトリアは幸せそうな笑みを浮かべた。
『ツフィアは、夜とか、夜明けとか。そういう印象の、とてもきれいな女のひとよ』
「おんなの……ひと……?」
『うん。それでね、つれない? のだけれど、本当はとてもやさしいの。ぎゅぅってしてくれるし、撫でてくれるし、私が困っていると助けてくれるの。時々、すごく怒ったりも、する、けど……。新しいね、服をね、買ってもらってね、見せにいくと、かわいいって言ってくれるのよ。ストルさんにもらったものだと、どうしてか、笑顔で、よし今すぐ脱げ私が新しいのを買ってやるからそれを着ろというかアイツに貢がれたものに袖を通すなとか、なんとか、すごぉーく、怒られたりもしたのだけれど。なんでかなぁ……?』
別にストルさんもツフィアも仲が悪い訳ではないのよ、と続けられる文字を凝視して、ソキはうんうん、と頷いた。なるほど、ちっともよく分からない。『扉』に向かって案内されながら、ソキは不思議な気持ちのままで問いかけて行く。
「ストルさん、は……ストル先生のことです?」
意志を宿して動く万年筆が、紙にひっかかってがりりと嫌な音を立てた。えっと見上げた先、リトリアの顔が赤く染まっている。耳まで、指の先まで恥ずかしげに朱に染めて。リトリアは頬を両手で包み、こくん、と一度だけ頷いた。
『そう、そうなの。ストル……せんせい、の、こと。せんせい。そっか、いま、ストルさん、せんせいなんだ……』
「はい。メーシャくんの、担当教員さんなんですよ」
『……おねがい。私と会ったこと、ストルさんには、ぜったい、いわないでいて……?』
どうしてですか、と問うより、書かれる文字が言葉を告げる方が早かった。ソキが解読に集中しすぎて転んだりしないよう、絶妙の間で書きだされて行く文字が、弱々しい筆跡で告げる。
『これ以上、嫌われたくないの……』
「……きらい? ストル先生、リトリアさんのこと、きらいなんです?」
『……うん』
ツフィアに会いたい、と泣いた先程より、痛みを堪えるような顔つきで。リトリアはきゅぅと唇に力を込め、一度強く、目を閉じて息を吐きだした。
『きらわれちゃったの……。もう、これ以上は、嫌いになってほしく、ないの』
「……なんで?」
それは、嫌われてしまった理由を問う言葉であったのだが。リトリアは切なげに微笑んで、文字がおどるノートに言葉を吐きだした。
『すきなの。……ないしょにしていてね、ソキちゃん。ぜったい、ぜったい、いわないでね……』
好きなの。好き。大好きなの、と文字が告げ、リトリアは一度だけくるしげに、涙を零して。ごめんね、行こうね、とソキを促して歩き出した。リトリアの声が出ない為、交わされる言葉はそう多いものではない。それでも、紙面に書きだされる文字を読み、ぽつり、ぽつりとソキがそれに答えるたび、リトリアはふんわりと幸せそうな表情で笑った。元気そうでよかった、それなりに過ごせているようでよかった、と安心して。学園へ向かう『扉』へ行きつく最後の廊下を曲がったリトリアの足が、ぴたっと止まる。視線は廊下の一番奥、『扉』の傍に向けられていた。そこにはロゼア、ナリアン、メーシャの姿がある。けれどもソキを待っているであろう彼らと共に、もう何人かの姿があった。
恐らく、なんらかの用事のついでに教え子の顔を見に来たのだろう。ロゼアの傍らにはチェチェリアが佇み、ナリアンの隣にはロリエスが立ち、教え子に薄く微笑みかけている。ナリアンがものすごく視線を反らしているところをみると、出がけに寮長を置いてくるさい、ロリエスをエサに使ったことがバレたのだろう。実際、そこにロリエスはいなかったのだが、淑女の笑みはお前私になにか言うべきことがないのかあるだろう謝罪とか、謝罪とかああ例えば謝罪とかそういう方面で告げるべき言葉があるだろうナリアン、としきりに告げていたので、情報は流れた後のようである。そんな師弟を呆れた笑みで眺めながら、ウィッシュは『扉』に背を預けてあくびをしていた。あんまりソキが戻って来ないので、探しに行くべきか悩んだあげく、転ぶからとか迷うからとかいう理由で止められたに違いない。どこかふてくされた様子で目を細め、つまらなさそうに窓から輝く星を眺めている。
ストルは、メーシャの顔を覗き込むようにして笑い、なにかを話していた。夜を降ろした時のことを聞いているのだろう。やや興奮した様子で言葉を告げて行くメーシャに、頷くストルはやんわりとした笑みを浮かべていて、立ち止まったままのソキとリトリアに気がつく様子は見られなかった。えっと、とソキは視線をリトリアに戻した。リトリアが告げた通りであるなら、ストルと顔を合わせるのはあまり良くないことに思えたからだ。もう目に見える距離である。まだ誰も二人に気が付いていないが、いつ誰が視線を向けてくるとも限らない。だからソキは、一人で『扉』まで行けますよ、ありがとうございましたです、とお礼を言おうとしたのだが。言葉が失われたのは、リトリアの表情を見てしまったからだ。声はなく、言葉もなく。リトリアはただひたすら、ストルを見つめていた。震える指先が口元を押さえ、感情の全てをそこへ押し留めている。
瞳が。花の蜜のように甘く緩んだ瞳が、その想いを告げていた。眠るようにゆったりと閉じられた瞼の奥から、涙が頬を伝って零れて行く。一度だけ喉を震わせてしゃくりあげ、リトリアはごしごしと乱暴に、拳で目元と頬を擦った。赤く泣き張らした目がソキを見る。花、とソキは思った。朱を刷いたがくに縁取られた、艶めかしい藤花。雨上がりのように瑞々しく濡れながら、今もまだ、恋の熱に揺れている。
「……あの、ね。ソキ、ひとりで」
いけますよ、までをソキがリトリアに告げるよりも。響いたソキの声にロゼアが気がつき、視線を向ける方が早かった。ソキが見つめる先で、リトリアは、まるで名を呼ばれたように顔をあげる。唇が音もなく、男の名を綴った。リトリアの表情が怯えたそれになり、一歩、足が後ろへ踏み出す。次の瞬間。弾かれたように走り出し、逃げ去るその背をソキは声をかけることもできず、見送った。
「……ソキ」
「え、あっ! はい!」
ぴょいっとその場で飛び跳ねて驚きながら返事をしたソキに、ウィッシュはなにかを諦めたような、優しい笑みでうん、と頷いた。
「危ないから、廊下の端に寄ってて」
「……あぶない、です?」
「うん」
それ以上を説明する気もないのだろう。手をひらひら動かしてソキに指示を送りつつ、ウィッシュはちら、と視線をストルへ投げかけた。リトリアが走り去った方角を、ああもうあの馬鹿、と言わんばかりの顔つきで見つめていたチェチェリアも、同じようにストルへ視線を向け、なんだか優しい顔つきになる。手遅れだった、と言わんばかりの表情だった。同僚たちの視線を半ば無視する形で、ストルはすぅと目を細め。
「メーシャ」
ぽん、と教え子の肩を叩き、微笑んだ。
「すまない。用事が出来た。俺は、これで」
「あ、あの……ストル……? あの、お手柔らかにしてあげてねリトリア泣いちゃうからね? ね、ね?」
「うん? なにを言ってるんだ、お前は」
だめだこれだけは言っておかないと、という決死の表情で話しかけたウィッシュに、ストルはしっとりとした微笑みを浮かべた。年頃の少女であるなら誰もが心をときめかせ、見惚れてしまう微笑だった。その瞳の、猟犬のような鋭さに気がつかなければ。
「泣かせるような真似を、する訳がないだろう」
「……いってらっしゃい」
見送りの言葉は、果たして届いていたのか。ウィッシュが言い終わるより早く走り出したストルは、なんだか怖いものを見てしまったです、と言わんばかり怯えるソキの隣をすり抜け、まっすぐにリトリアの後を追った。リトリアは、残念なことにあまり足が速くないのだろう。ぎりぎり、まだ見える範囲に居たので、ほどなく捕まるであろうことはソキにも予想がつけられた。ソキはてててて、とロゼアに早足で近寄ると、ローブを掴み、そこへ体を隠すようにしながらウィッシュを見上げる。抱き上げようとするロゼアに、いいです一人でソキ大丈夫です、と言い張り、ソキはなに、とばかりしゃがみこんでくるウィッシュに、こっそり問いかけた。
「……ストル先生、リトリアさんのこと嫌いなんです?」
「嫌いという言葉の概念が俺の知らない間に変更になってない限りそれはない。なんで?」
「リトリアさん、そう言ってたです。ソキねえ、ちゃぁんと聞い……教えてもらった、ですよ?」
ウィッシュはなんとも言えない視線を二人が走り去り、未だ戻る気配のない廊下の先へ向けたあと、深々と息を吐き出しながら立ち上がった。
「ソキは知らないと思うけど、リトリア、喉が弱いんだよね」
「のど? です?」
「うん。けっこうすぐ、咳き込んだりとかしてたんだ。学園いた頃。……でね、ソキ」
なんの話がはじまったのか、分からないのだろう。きょとん、として首を傾げるソキに、ウィッシュは苦笑した。
「リトリア、基本的に国から出られない筈じゃん? ……今日、なんでここにいたのかは知らないけど」
「あのですね、学園にご用事だったって言ってましたですよ」
「あ、そうなんだ。……まあ、ともあれ、リトリアは基本的に楽音の国、王宮から外の範囲に出られることはない。これが基本認識で間違ってない訳なんだけど」
ストル、それなのに毎日飴持ってるんだよね、と。重々しく告げた後、恥ずかしがるように首を振るウィッシュに、ソキはちょこりと首を傾げた。ストル先生と、飴。なんだか覚えがあるような、ないような気がして考え込むソキに、ウィッシュはまあそういうことだから、と息を吐きだした。
「ストルは、別に、リトリアのこと嫌いじゃないんだよ……ていうかリトリアとストルが二人とも学園に居た時期、在籍してた生徒に聞いてみればいいよ。ソキの知り合いだと、ユーニャとか、ルルクとか、スタンとか、あのへんに。色々教えてくれると思うから」
「ウィッシュ先生は、あんまり知らないです?」
「詳しくはないかな。俺、寮長に構ってもらうので忙しかったから」
今このひとなんて言ったの、と信じられない目を向けてくるナリアンに柔らかく笑って、ウィッシュはさてと、とソキの肩に手を置いた。
「ソキ、これからまだ授業だろう? もう行きな」
「はぁい」
「終わったらお祭りに遊びに行くといいよ。夜店も出るし、楽しいと思う」
ソキは、それに無言で首を振った。どこか頑なな仕草に、ウィッシュは不思議そうに目を瞬かせながらも、深く理由を聞くことはせず学園へ繋がる『扉』を開く。ソキは振り返らず、『扉』をくぐった。