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 傍にいるよ、じゃなくて。傍にいたい、だとか。一緒にいるよ、じゃなくて、一緒にいたいと求める言葉を、ソキはロゼアから聞いたことがなかった。『花嫁』は知っている。『傍付き』は『花嫁』にそういう感情を抱かないし、持つこともないのだと。求めれば応えてくれる。求めれば、求めるだけ、それをくれる。求めた以上に与えられることはないし、同じようにそれを、求められることは、ない。『傍付き』にとって『花嫁』はいつか手放すものだ。手を離して送り出すものだ。だから求めないし、それを決してしてはくれないのだと。ソキはもう何年も、分かっていたのだけれど。ほしいほしい、とわがままのように。日ごと、夜ごとに降り積もって行く感情がどんどん息をくるしくしていく。
 応えるのではなくて。ただ返すのではなくて。ロゼアから、ソキを、求めて欲しいと。その感情がどうしようもなく溢れそうになってしまったのは、砂漠に帰って来てからのことだった。それまでも、そう思っていても、ソキはちゃんと我慢できていたのに。その腕の中に抱きあげることを求めて、その場所で眠っても、甘えても、それだけはちゃんと我慢できていたのに。夜。中途半端に目覚めてしまったしんと静まり返る夜の中でまばたきをしながら、ソキはもそり、ロゼアの腕の中で体を起こし、熱っぽい息を吐き出した。ざわめき、熱を宿し、じんじんとしびれるような、ちくちくと突き刺し貫くような胸の痛みが、全身に広がって、痛くて苦しくてせつなくてどうすることもできない。
 砂漠の多くがそうであるように、年明けと共にソキは年齢をひとつ重ねて十四になる。ロゼアも、十七になるのだった。くらやみの中で見つめるロゼアの面差しは、ソキの知る幼さをいまや完全に消し去ろうとしていた。笑うとあまく、おさなく、愛らしくもなる母親似の顔立ちは、けれども男性的な精悍さを増していて。ロゼアは、とてもかっこいい、おとこのこになろうとしている。じわ、と浮かんだ涙をこしこしと手で拭って、ソキは浮かび上がってきた、いや、という気持ちを押し殺した。いつかこのひとは、だれかのものになってしまう。ソキではないだれかをそのうでにだきしめて。それがしあわせだとわらう。ソキを、しあわせになれるよ、ともう会えない永遠の先に送り出したあとに。
 いや、だと思った。『花嫁』でしかなかった時に、何度も、何度も思って、考えて、でもそのたびがまんして、耐えきって。ロゼアがいうのなら、その腕の中ではない場所にソキのしあわせが、いちばんしあわせになれる場所があるのだと囁いて、送り出される、そのことが。そのあとに巡り合うのであろうロゼアの恋を、しあわせを。いやだと思った。しあわせになってほしいのに。ソキはロゼアにしあわせになってほしいのに。それは本当のことなのに。どうしてソキじゃだめなんだろう、と思って、『花嫁』は淡く笑った。それは、ソキが『花嫁』だからで。ロゼアが『傍付き』だからなのだ。ロゼアは、もうソキを『花嫁』じゃないよ、と言ったのに。一度も求めてはくれないから。
 涙が滲んだ目をこしこしと擦って、ソキはくてんと首を傾げた。それともロゼアが言ったのは、『花嫁』だった、だろうか。でもどちらでも同じような気がした。だって今もソキばかりなので。ロゼアはソキを求めてはくれないので。
「……ろぜあちゃん」
 こわい。いつか。もしかしたら。ソキが十五になったら、嫁がなければいけない年齢を超えてしまったら。ソキが手を離す前に、ロゼアが。ここではないどこかでしあわせになっておいで、と告げるような気がして。だってソキの知る『傍付き』は、誰もそれを嫌がらないのだ。『花嫁』を、『花婿』を嫁がせることに。その先にしあわせがあるよ、と囁いて微笑んで。送り出して、数年後に、誰かと結婚してしまう。皆そうだった。ウィッシュの『傍付き』だったシフィアだけは、どうしてか、今も未婚のままでいるのだけれど。その他はもうみんな、結婚してしまっている。ソキはちゃんと知っていた。『傍付き』はしあわせになる。『花嫁』を送り出した、そのあとに。
 彼らのしあわせは、そのあとにある。だからロゼアがしあわせになる為に、ソキは早く、傍を、離れなければ、いけないのに。ぐずぐず、浮かんで来た涙と鼻をすすりあげ、ソキは眠るロゼアに手を伸ばした。一度でいい。たった一度でいいから、もし、ロゼアが。ソキの傍にいたい、だとか。一緒にいよう、ではなくて、一緒にいたい、だとか。言ってくれれば。俺の『花嫁』じゃなくて。俺の、ソキ、って。言って欲しい。一度だけでいいから。ソキがそれを求めて言ってもらうのではなくて。ロゼアが言いたくて言って欲しい。ソキを求めて欲しい。好きになってほしい。それをどうしても諦められない。
 眠るロゼアの頬にぺたりと手をくっつける。それだけで胸がいっぱいだった。しあわせで、しあわせで、胸がいっぱいで、悲しくて苦しい。こんなに好きなのに。こんな風になるのはソキだけで。この世界のどこかには、こんなふうに触るだけで、ロゼアが胸をざわめかせる誰かが。ロゼアをしあわせで満たすおんなのこが、いるのに。それはソキではなくて。ロゼアは、ソキに、そういう風に満たされてはくれないのだ。
「すき……。すきなの、すき、すき。ロゼアちゃん、すき……すき、な、ですぅ……!」
 だから、離れたくない。なのに、離れなければ。ロゼアはしあわせになれない。誰よりしあわせになって欲しいのに。ロゼアを好きなソキの気持ちが、それをどうしても邪魔してしまう。ロゼアの傍にいるだけでしあわせだった。その腕に抱きあげられることがなによりの。その腕の中でしか今も、安心して眠ることが出来ないくらいに。好きで、恋しくて、触りたくて。触って欲しくて。ロゼアちゃん、と囁いて、ソキは頬に触れさせていた手を、おずおずと撫で下ろし、首筋に押し当てた。ロゼアがそうしてソキの体調を確かめるように。触れる、だけで。指先がいたいくらいしびれた。
「……そき?」
 眠たげに崩れた声にそっと名を呼ばれ、ソキは火に触れてしまったかのようにロゼアから指先を離した。ぎゅぅ、とてのひらを握りこんで胸元に押しつける。全身が、まだじんじんとしびれて、あまく、いたい。や、となにも考えずに、ソキはロゼアの腕の中から離れようとした。ソキがそんな風に触っていたのが知られてしまったら。きっとロゼアはすごく困る。嫌われてしまったら。たえられない。
「ソキ? ……ソキ、そき。どうしたんだよ。どうしたの? 怖い夢でもみた……?」
 座りこんでいた姿から立ち上がろうとしたソキを、ロゼアの腕がやわらかく捕らえて抱き寄せる。ぽん、ぽん、と落ち着かせる為に撫でられる背が、ぞわぞわと震えた。
「ろぜあちゃ……!」
「うん? ……うん、なに。ソキ」
「そき、そき……ひとり、で、ねる。ひとりでねるです……!」
 さわってさわって、と。全身が訴えている。さわって、ねえねえ、ロゼアちゃん。さわって。もっと。ぎゅってして。なでて。それがどれくらいきもちいいことなのか。閨教育が。『傍付き』ではない者が『花嫁』に教育する、数少ない特例であるそれが。『花嫁』にそれを教えるので。ソキはもう知っている。どうすればいいのか。なにを言えばいいのか。どうねだればいいのか。ぜんぶぜんぶ、知っている。けれど。
「ひとりでねるぅ……!」
 ソキに。『花嫁』に性欲を抱かない『傍付き』に、決してそれを求めてはいけないよ、と。それはなによりの、彼らから与えられる献身の、親愛の、裏切りであると教わるので、教えこまれるので、刻みつけられるので。そんなにひどいことは、ソキにはできない。それなのに、ロゼアの腕の中はあたたかくて、気持ち良くて、しあわせで。背を撫でる手が、頬に触れる指先が。いままでずっと我慢してきた筈のそれを、いままでずっと、ずっと我慢できていた筈のそれを。出来なくさせてしまいそうなので。半泣きでぐずって訴えるソキの頬を、ロゼアの両手が包み込むように触れた。ソキ、ソキ。囁きながら、零れ落ちそうな涙を確かめるように、ロゼアの指先がソキの目尻を幾度も撫でる。
「なんで? 一緒に寝ればいいだろ。……どうしたんだよ。誰かになにか言われた? 誰? 教えて、ソキ」
「ちがうです、ちがうです……! ソキ、ロゼアちゃん、困らせちゃうです……ろぜあちゃん、ソキのこと、きらいになるぅ……!」
「ならないよ。なんだよそれ」
 恐ろしい鈍く暗い光を一瞬だけ瞳によぎらせ、ロゼアはむずがるソキに腕を回し直し、柔らかく抱きしめる。決して『花嫁』の弱く、脆い体を痛くしない力加減に。ソキは、息ができないくらい胸を痛くした。もっと。ぎゅってして。ほしいのに。ロゼアは絶対にそれをしてくれない。
「ソキを嫌いになんて、なる筈ないだろ」
 わかっている。ソキがロゼアの『花嫁』、だった、から。ロゼアがそう言うに違いないことを、ソキは。
「困ることも、ないよ。何回も言っただろ……? ソキ、ソキ。どうしたんだよ……」
「……ろぜあちゃん」
 すきだよ、って。いって。きらいにならないとか、こまらないとかじゃなくて。ソキのことが好きだから、だから、だいじょうぶだよって。いって、と、思いながら。それをどうしても諦めることができずに。涙ぐんで見上げるソキに、ロゼアはふわ、とやさしく微笑みかけてくれた。
「おいで、ソキ。ねよう」
 てのひらが。ソキの背をやさしく撫で、髪を幾度も梳いて行く。ロゼアの指先に絡みつきながら、するすると絹のように滑らかに零れ落ちていく髪が。シーツに散らばって冷えていく。頭を胸に抱き寄せた手が、世界の雑音を遮断するように、ソキの耳を包み込んだ。
「ソキ」
 こつ、と額が重ねられて。ソキの世界はロゼアだけになる。
「ソキ、ソキ。……教えて、ソキ。ソキはもう、俺と一緒に寝るの、いや?」
「……ちぁうです。ちがぁう、です。ソキ、ソキはね、ロゼアちゃんといっしょがいいんですけどね、でもね。……でもね」
 さわって、と。吐息に乗せて、ソキは泣き声交じりに囁いた。さわって、ロゼアちゃん。ソキにさわって。失望を呼び起こす裏切りに怯えながら、それでも触れて欲しくて。もっと、熱が、ほしくて。震えながら囁いたソキに、ロゼアはすこしばかり考える顔つきで沈黙し。やがて、ふ、と笑みを深め、ソキの背をぽんぽんぽん、と手で撫でた。
「触ってるだろ? ……もう寝ような、ソキ。やじゃないなら、俺と一緒でいいだろ」
「……はい、ロゼアちゃん」
「うん。偉いな、ソキ。いいこだな……。……大丈夫、大丈夫だよ、ソキ。ソキ。俺はずっと傍にいるよ」
 頬に、首筋に触れ、髪を梳いて額をくすぐるように指先が辿って行く。いつも通りの仕草で。
「俺は……ずっと、ソキの傍に、いるよ」
 いつも通りに。おやすみ、いい夢を、と囁いたロゼアに、ソキはぎゅぅっと目を閉じて頷いた。やはりロゼアは、傍にいたい、とは言ってくれなかったので。ソキが求めるから、きっと、傍にいてくれるので。もういいですよ、大丈夫ですよ、と告げればきっと、ロゼアは。傍にいたい誰かのところへ行ってしまう気がして。ソキはぎゅっと体に力をこめて、まぁるくなって目を閉じた。撫でられて、全身を熱にくるまれて、それはすぐ、ぐずぐずと溶けてしまったのだけれど。しあわせで、しあわせで。零れた涙をぬぐった指先があったような気がするのだけれど。うとうととして、眠ってしまったソキは、すぐそれを忘れてしまった。



 ぱらぱらぱら。どこかで。白い本が、言葉の書かれていないページが、風にめくられていく。必死に、純白を守るように。祈りのように。言葉が。黒い染みのように落ちてしまわないように。インクの汚れをはねのけるように。ぱらぱらぱら。本がめくられて行く。
『……だ。……め、だよ……ちゃん』
 泣き声混じりの、願いのように。どこかで。
『ソキちゃん……!』
 誰かが。
『ロゼアを離さないで、いいんだ……! だって、ロゼアは……!』
『ナリアンさん』
 大丈夫、と。聞き覚えのある声がやんわりと響く。響く、それは花の香のように。
『わたしが行きます』
 遠い世界の果てから。遠い世界の、果てまで。つらぬく願い、祈りのような、声が。



 年が変わるまで、もうほんの数日となった、ある日のことだった。朝からソキはひとり、赤いはなびらが覆い尽くす湯の中で女たちに世話をされていた。女たちは、ソキの慣れ親しんだ屋敷の世話役ではない。王に命ぜられた城勤めの侍女たちだった。きよらかな花とハーブのかおりに満ちた湯の空気を吸い込みながら、ソキはふぅ、と気乗りのしない息を吐きだした。髪は女たちの手によって丁寧に洗い清められ、湯の中を漂っている。今は肌を磨かれている段階だった。半身だけを湯に付け、浴室の中につくられた段に腰かけたソキの背や腕を、女たちが洗い、拭い、香油を刷り込んで整えて行く。体調はそれなりに良いが、なんとなく屋敷に行く気にならず、ロゼアを見送って部屋でメグミカと話をしていたソキの元に、王が訪れた為だった。
 王は、ちょっと身綺麗に整えてこいお前に見せるものがある、と告げ、ソキを城の女たちに預けてしまった。『お屋敷』から来ているソキ世話役たちは、別室で待機し、ソキの仕上がりを待っていることに、されていた。ソキは別に身綺麗にすることも、整えられることも、嫌いではないのだが。それでもうんざりと息を吐きだしたのは、ソキに触れ整える女たちの様子が、すこしばかり変わったのを感じ取った為だった。だからソキは、屋敷の世話役たちがいい、と言ったのに。たまには城の女にも仕事をさせろと退けた王をすこしばかり恨みつつ、ソキはや、と身をよじり、肌に触れてくる女の手を遠ざけた。いくつもの手や腕から逃れ、湯に身を沈めてしまいながら、ソキは息を吸い込んだ。
 不安はない。信頼だけがあった。
「――メグミカちゃん! シーラ! ウェスカ! アザ! ユーラ!」
 がつんっ、と扉が苛立ちと共に蹴られたような音を立てて開き、少女たちがかけ込んでくる。ソキが名を呼んだ、屋敷の世話役たちだった。濡れるのもためらわず湯に入ったメグミカがソキの体を抱き寄せ、四人の女たちがふたりを背に庇うようにして立つ。はー、と安心した息を吐き出し、ソキはメグミカにぴったりと体をくっつけ、瞼を下ろした。ほの暗い欲に輝き、『花嫁』の肌に溺れる者の目など、あまり長く見ていたいものでは、なかった。
「あとは、わたくしたちが」
「王にはこうお伝えください。城仕えの皆さまからお仕事を奪ってしまい、申し訳ございません。ですが、どうかご理解頂きたく思っております、と。……さあ、どうぞお下がりください。ソキさまを、さらにうつくしく、あいらしく整えるのは、わたくしたちの役目」
「いましばらくのお時間を頂きます、と陛下にお伝えください」
 さあ、はやくこの場から消えなさい。無言で告げる女たちに侍女たちは悲鳴のように息を飲み、ばたばたと部屋から走り出して行く。その背をゆったりと追うように湯からあがったひとりが、開け放たれたままの扉を閉じ、息を吐く。
「城の者たちにも仕事をさせろ、と仰る王のお気持ちが分からないでもないのだけれど……」
「シーラ。そんなことはあとになさい。ソキさまを洗った石鹸と、香油を確認して。城のものだから、そうおかしなものは使われてはいないと思うけれど……薬湯はなにかしら、カミツレとローズマリー、セージ、レモン、トウキ、シャクヤク……花は、これ、薔薇と……百合? 花舞からの輸入かしら……」
 女たちの中でも年長の一人がぴしゃりとたしなめつつ、薬湯を両手にすくい、ソキの体質に合わないものがなかったかをいま一度確かめる。湯も、石鹸も、香油も、事前に世話役が確認した上で入浴を託したのだが、これを使う、という書面上での許可だった。実物を目にした訳ではない。慌ただしく動く四人の少女らに確認をまかせ、メグミカはゆるくソキを抱き寄せ、その裸身が冷えてしまわないように湯を肩にかけてやった。
「ソキさま、ソキさま……もう、大丈夫ですよ。もう大丈夫。よく、メグミカたちを呼んでくださいました」
「めぐちゃん……めぐちゃん、ありがとうですよ。シーラ、ウェスカも、アザも、ユーラも……」
 ぜったい、ソキの声が聞こえる所にいてくれるって、分かってたですよ、と。安心しきった様子でメグミカに身をまかせ、瞼を持ち上げながらソキは囁いた。目をうるませて、メグミカがはい、と頷く。少女たちも胸元に手を押し当て、息の詰まった様子で、それぞれしっかりと頷いた。ひとりひとりに視線を向け、うれしそうに目を細めてうふふ、と笑い、ソキはんーっと湯の中で伸びをした。薬湯はどこかとろりとした肌触りで気持ち良く、あたたかくて、香りもいい。髪を撫でてくるメグミカの手に甘えながら、ソキはそれでもすこしだけ、落ち込んだ息を吐きだした。
「ソキ、もしかして体調よくないです……? やぁん、そんなつもりじゃなかったですよぉ……」
 魅了し、惑わし、誘惑する。『花嫁』の肌は男女を問わずとしてそうできるように整えられるが、それでも、無差別に触れた者、全てを虜にする訳ではない。ぞくぞくとした征服欲と独占欲を呼び起こさせながらも、溺れさせるか否かは、ある程度まで『花嫁』本人が決められることだった。ソキは特に、その加減を念入りに教え込まれている。普段ならば裸身に触れさせた程度で、肌に溺れさせてしまうことはなかった。寮の風呂でソキの世話をあれこれと焼いてくれる先輩たちが、うらやましいとはしゃいでも、その肌に情欲を覚えないのはその為である。やぁんめぐみかちゃんちがうですソキうっかりしてたとかでもないですぅ、としょんぼりするソキの背に触れ、撫で、メグミカは分かっておりますよ、と微笑んだ。
「さあ、あとはメグミカとウェスカにお任せくださいね」
 メグミカの手がやさしく、ソキの首筋に触れる。頬を撫で、濡れ髪を指先で梳き、微笑みながら額が重ねられた。体調を確かめてふふ、と笑い、メグミカは嬉しそうに一度、きゅ、とソキを抱きしめてくれた。
「ソキさま、大丈夫。元気でらっしゃいますよ。でも、もし、気持ちが悪くなったりしたら、すぐこのメグミカに教えてくださいね。午後からはロゼアも戻ります。……どうにか陛下のアレなんとかならないかしら」
「メグミカちゃん。だいじょうぶですよー。ソキ、ちゃんと、陛下の御用を済ませてくるです」
 でも、ソキが着る服はメグミカちゃんたちが選んでくださいですよ。あのひとたちのはやです。アザとユーラが着せてね。じゃないとやですよ、と頬をぷぅっと膨らませてねだるソキに、少女たちはうっとりと、喜びに溢れた微笑みを浮かべ、もちろんです、と頷いてくれた。



 事の顛末を聞いた王は、悪かったな怖かっただろうと心から謝罪し案じてくれたが、ソキはそれに胸を張って自慢げに言い放った。
「メグミカちゃんたち、すぐ来てくれたですよ!」
「ああ。警備と、侍女からも聞いた」
「えへん。さすがはメグミカちゃんです。シーラもねぇ、ウェスカも、アザもー、ユーラもすごぉいんですよぉ! みんなねぇ、やさしくってぇ、ふわふわでぇ、つおくってぇ、かわいくってぇ、すごぉいんですぅー!」
 きゃあぁっ、とこころゆくまで嬉しそうにはしゃいで告げるソキの褒め言葉は、なにひとつとして具体例がない為にものすごくよく分からない。半眼で、へぇそうなのかよかったな、と告げてくれる王に、ソキはそうなんですよそうなんですよぉ、と自慢げにふんぞりかえった。
「ロゼアちゃんもねえ、ロゼアちゃんもー。すごいんですよー! かっこよくってー、すてきでー、もちろんやさしいですしぃ、つおいですしぃ、すごぉいんですよー!」
「へー、そうなのかよかったなー。足元見て歩けよー……?」
 その場にロゼアいなかったよな、と砂漠の王は言わなかった。たぶん今のソキには聞こえないだろう、と判断した為である。ちらりと背後を振り返ると、ソキはいまにも転んでしまいそうな危なっかしい足取りで、ふらふらてちてち、ぜいぜい、息を切らしながら歩いていた。砂漠の王が知る限り、帰省してこの方、ソキはあまり出歩いていないらしい。生活そのものが砂漠の城と『お屋敷』の往復で終わっているし、短い距離を繋ぐ馬車を降り、ロゼアの腕に抱きあげられて居室へ戻る姿を何度か遠目にみていた。一回だけ、世話役の女性と手を繋いで部屋の前を歩いていた、という報告を受けたが、それだけで城の中を散歩した様子は見られなかった。ある程度までは自由に歩いていい、と許可は出していたのだが。あまりにやることがないソキの為に、絵日記的な宿題を提出させているのを見る分にも、あまり歩いているような情報は得られなかった。
 てちてちついて歩くソキを導きながら、溜息をつきつつ、砂漠の王は溜息をついた。歩けなくなっている、というほどではないのだが。新入生歓迎パーティーで会った時の方がずっと、足元がしっかりとしていたのは気のせいではないだろう。もうすこし普段から歩けよ、な、と注意を促しながら、王はソキに手を差し伸べるでもなく、ゆったりとその先を見て歩いて行く。長い廊下を行くのは、王とソキふたりきりである。光溢れる渡り廊下を、王はソキを先導する形でゆっくりと歩いて行く。本当は橋を渡っていくのが近道とのことだったが、こちらの方が遠回りであっても人目につかないので廊下使うぞ、と王はソキに言っていた。
 その先になにがあるのか、ソキに教えることはなく。警備兵も魔術師も遠くに遠ざけ、ソキの世話役を部屋に戻して待機させ、ふたりで、城の中を歩いて行く。見せたいものがある、と言いだしたのは王そのひとであるのに、その歩みはどこか気乗りせず、横顔もやや強張っていた。ソキははしゃいでいた気持ちをだんだんと落ち着かせて、首を傾げながらてちてちと、王のあとをついて歩いた。やがて、ひかりふる美しい渡り廊下が終わりを迎えた。そこにあるのは、大きな門。両側に立つ兵たちが、王の姿に恭しく頭を下げた。彼らに、無造作に、ひらけ、と命じ、王は振り返ってソキに手を差し出す。自由なその手を捕まえるように。捕らえ、逃がさず、歩ませるように。
「ソキ、来い。……お前に見せたいものは、この、中にある」
「……このなか?」
「そう」
 ぎぃ、と軋んだ音を立て、古めかしい扉が内側に開かれる。ぐ、とソキの指先を握って歩み出しながら、王は金の瞳をあでやかに細めて囁いた。その、砂漠に降る黄金のひかりを宿した瞳。民の献身と親愛、忠誠を誓わせる瞳で、まっすぐ、ソキのことを見つめながら。
「ハレムの中の……お前の部屋だ」
 告げて。手を引き、歩き出した。

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