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 午後からの実技授業が中止になってしまったので、ソキは一度部屋に戻ってしろうさぎちゃんお出かけ鞄を置き、代わりにアスルをぎゅっとして『学園』を歩きまわることにした。よち、よち、よち、と危なっかしく歩くソキのしろうさぎちゃんリュックには、ロゼアがくくり付けた願い札の他にもう一枚、ぺらりとした木札が追加されている。よち、よち、と歩いて、ソキはとても嫌そうに身をよじり、その木札をじーっと見つめた。勝手に外したりできない呪いが付けられたその木札は、『学園』の生徒としてふさわしくないことをしでかした者に与えられる反省札である。一筆箋程の大きさで、紙のように薄い。本日発行された反省札は、全部で四枚。他の三枚はそれぞれウィッシュと、レディと、リトリアが持っていた。
 これはもしかしなくてもソキはロゼアちゃんに怒られちゃうです、と涙目ですんすん鼻をすすりながら木札を睨んでいると、表面に虹色の揺らめきが現れ、文字を成した。反省中、の文字がちかちか点滅し、ぐにゃりと歪んで別の文字を成す。
「……『私は談話室の破壊を、応援しました』です。……ちぁうもん。ソキはりょうちょをやっつける、おにいちゃんとレディさんを応援しただけです……。りょうちょが逃げたり、避けたりするから、談話室が壊れちゃったです。ソキは悪いことしてないもん……」
 しろうさぎちゃんリュックの耳にくくりつけられた紐を懸命に引っ張ってみるものの、ソキが体勢を崩してころりと廊下に転んでしまっただけで、特別製の呪いは消えてくれそうにもなかった。この札は一週間、本人の反省を促した後、反省文の提出と再度口頭での注意を行った後に外される。くれぐれも焼いたり切ったり試みたりしないように、とうんざりした顔で告げた寮長を思い出し、ソキはじたじたと涙目で足をばたつかせた。
「うやんうゃん……! ソキはいけないことしなかったです。ソキはまきこまれたです……!」
 これはたいへんなことですうう、と訴えるソキに、ああ誰もが一度は通る道反省札にソキちゃんもついに、という視線が向けられる。せわしなく次の授業へ向かって行く先輩たちに、違うんですよソキは巻き込まれたですそうに違いないですりょうちょがぜえぇええんぶ悪いです、と訴え、ソキはふすんっと鼻を鳴らして、よろよろと立ちあがった。ちなみに最も巻き添えを食らったのはリトリアである。すでに楽音へ強制帰還させられているリトリアの反省札に書かれた文字は、『私は談話室の破壊を、止められませんでした』だった。レディの監督不行き届き、というのが反省札の理由であるらしい。あれ、リトリアちゃんを守ったりするのは私の役目の筈なんだけどあれなんでだろう涙が、と頭を抱えてうずくまったレディも、すでに星降に帰らされていた。ウィッシュも同様に、白雪に戻されている。
 もおおぉ、ソキは授業をとぉっても楽しみにしてたのにぃ、と怒りながら、ソキはアスルをぎゅむぎゅむ抱きしめ、『学園』散歩を再開した。歩くのはソキがしたかったらしていいけど、外に出るのだけは駄目絶対駄目、とロゼアに言い聞かせられていたので、寮から渡り廊下を繋いで行ける室内を動き回る。しばらくは修理中の談話室と寮の出入り口をよちよち往復していたのだが、景色も変わり映えがしないし、誰も通りがからないしで、ソキは階段を上ることにした。ロ、ゼ、ア、ちゃ、ん、の、お、部、屋、は、二、階、で、す、と言いながら一段ずつんしょ、んしょっと登り、踊り場でふーっと息を吐いて座り込む。
「ソキは、お昼の前より、も、歩くのが上手になったです……」
 ソキはすごいですと疲れた顔で額の汗を手でごしごし拭い、ソキはうぅんと眉を寄せた。
「上手になったのはいいですけど……汗くさくなっちゃったです。これじゃロゼアちゃんのお迎えに行けないです……」
 服を引っ張ったりして匂いを嗅ぎ、ソキはしょんぼりと肩を落としてうなだれた。実技授業が終わったらソキはロゼアちゃんのお迎えに行くです、とロゼアに言っておいたのに。汗くさかったらぎゅって抱きつけないし、すりすりもできないし、撫でてもらえないかも知れない。アスルをぎゅうぎゅうに抱きつぶしながら考えて、ソキはすっくと立ち上がった。そうだ。お風呂へ行こう。
「お着替えのお服は、ロゼアちゃんがいっとうお好きなのにするです。あと、髪の香油と、おててのクリームと……お体の、まっさーじ、の、バターと……あ、あ! 爪も塗りたいです。そうするです。……あれ? お迎えのお時間に間に合うです……? ……ソキは、ソキはガッツと根性でがんばるです! ソキはぴかぴかにしてロゼアちゃんのお迎えに行くです……そうしたら、もしかしたら、もしかしたら……!」
 かわいい、と言ってくれるかも知れない。いつかのようにぱっと明るく笑ったロゼアが頬を染め、ソキにかわいい、と囁いて抱きあげてぎゅっとしてくれる所まで考えて、ソキはきゃぁんやぁんやぁああんっ、と身をよじった。
「髪の毛は、いっぱい梳かしてさらさらにして……。ふたつ、三つ編み、くらいなら、ソキも頑張れば……」
 それとも、いつもの結ばない髪の方がロゼアは好きなのだろうか。階段をよちよち登り終え、考えながらソキはロゼアの部屋に向かった。ごそごそとリュックから鍵を取り出し、反省札を引っ張って取れなくてガッカリし、かちりと開けて中へ入る。誰もいない部屋はひんやりとしていて、静かだった。アスルを寝台の上に戻し、アスルは今度洗ってあげますからね、と言い聞かせて衣装棚を覗き込む。しばらく、あれでもない、これでもない、と探して、考えて、取り出したのは深い赤のワンピースだった。くらやみの奥で眠りについた上質な紅玉を、そのまま溶かしこんだような色をしている。差し色で使われているのは白で、極細のレース糸がスカートの裾に花園を描いていた。
 これはロゼアの機嫌が良い休みの日に着せてくれる服で、ソキの考えが間違っていなければ、いっとうロゼアのすきすきな服、な筈である。ううん、とソキは服を手に考えた。これがいいと思うのだが。
「お背中の……あみあみ。ソキには難しいかもです……」
 コルセットの紐を編むように。腰から首のすぐ後ろあたりまで、茶色の結び紐が下げられている。これを編んで、腰元か、首の後ろ。どちらかできゅ、と結べば完成であるのだが。つまりこれはソキひとりでは着られない服、なのである。
「でも、でも、でもぉ……冬のお服で、ロゼアちゃんが一番なのは、きっとこれです……」
 これが夜なら、お風呂できゃっきゃ手助けをしてくれる先輩たちに、いくらでも頼めるのだが。何人か候補を巡らせても、全員が授業中で、談話室はしかも修理中であるから様子を見に行くことが出来ない。大多数の避難場所として選ばれた図書館は外へ出なければいけないので駄目だし、だいたい、そこへ行って帰ってきてお風呂、となるとどう考えても準備の時間が足りない。ううぅん、うーん、と考えるソキの耳に、カッ、と硬質な靴音が触れて響いた。
「お困りのようね……!」
「……ロゼアちゃんが、二番目にすきすきなお服なら、がんばれば……着られるかもです」
「え? えええ、無視……? ちょ、ソキちゃん? ソキちゃんったら! こっち向いて? ね? いいこだから、お姉さんとお話しよう……? やだー、ねえちょっとちょっと! ほらほら、怖くない、怖くないわよー? あなたの私の正義の味方! 困った女子限定救世主、エノーラさんですよー! え? なんでここにいるかって? 決まってるじゃない。神が私に囁いたの、合法的にソキちゃんとお風呂を一緒できるチャンスだってね!」
 分かっていたから、ソキは戸口を振り返りもしなかったのだが。いつまで待ってもエノーラがいなくなる気配がしなかったので、もおおお、と眉を寄せながら、ソキはしぶしぶエノーラを見た。
「エノーラさんは、なんで捕まらないですか……?」
「私って現存する錬金術師の中で唯一『扉』を複製できる天才だから? そのあたりわりと大目に見てくれてるっていうか?」
 つまり自分の才能に助けられてるっていうことようふふ私に魔力を与えたもうた世界の意思と神様ありがとうほんとありがとう、と手を組んでまがおで言い放った後、エノーラはさらりと言い添えた。
「あと私を大好きなかわゆい女の子ちゃんたちが、エノーラさまを許してあげて……! って陛下に嘆願書を送ったりしてくれます。権力者のかわいこちゃんに気に入られるって後ろ盾として最高よね」
「エノーラさんは、悲しくなったり……しないです……」
「いえ私もね? その疑問形ですらない断定的なソキちゃんの物言いにね? こう胸が痛くなったりもするんだけどね……? ……でもそれはそれとして美少女に憐れみ呆れられたりする喜びに目覚めそうな気がするからもうちょっとだけよろしくお願いします。さあ……!」
 エノーラはレベルが高すぎてソキだと相手にならないから、半径十メートル以内に近寄らないようにして、目を合わせないで会話したりもしないんだよ、と言い聞かせてくれたウィッシュの言葉の正しさを、ソキは身に染みて理解していた。しかも出入り口を完全に塞がれているので、ソキには逃げ場がないのである。エノーラは戸口にしゃがみこみ、にっこりと笑った。
「さ、ソキちゃん。お風呂に入ってお着替え、しよっか! なんにもしないから。ね?」
「……エノーラさん。ソキになにもしないです? 絶対です? ぜーったいです? ほんとー、に、です?」
「信じて、ソキちゃん。私は同意なく十五歳以下には手を出さないわ! 決してね!」
 つまり、十五を超えたら同意もなく手を出されたりするのである。ソキはよろよろと立ちあがり、ぎゅぅ、と手をにぎりこぶしにして頷いた。
「もししたら、ソキは白雪の陛下に言いつけちゃうです。エノーラさんがソキに無体を働いたです」
「……ソキちゃんて時々物言いが古風というか、難しいこというね? ロゼアくん?」
 ソキは目をぱちくりさせて、くにゃん、と首を傾げてみせた。
「エノーラさんに穢されたです、の方がいいです?」
「ごめんなさいやめてくださいごめんなさいごめんなさい……! ええええっと理由あってソキちゃんの目をまっすぐには見られないけど! ほ、ほんとやましいきもちとかないし! どきそわハプニングとかを期待している訳ではないんだけどねいやほんと! ほんとに! でもほんとなにもしないのでそれはやめてくださいお願いします……!」
 よち、よち、よち、と歩き出したソキに、エノーラが息を吐いて手を差し出す。その手と、エノーラを何度か見比べて。ソキは笑顔で、はい、と持っていた服と、手入れ用品などをつめた袋を手渡した。



 触られなかったですけど、とぉっても一生懸命に見られたです、もうエノーラさんのお世話は嫌です、とくちびるを尖らせながら、ほこほこのソキはよち、よち、と廊下を歩いていた。服はどこの乱れもなくきっちりと整えられ、肌は手の先までどこもかしこもふわふわのつやつやだ。五指の爪は真珠の光沢に塗られていて、左手の薬指だけはほんのわずか赤みを帯びている。ちぐはぐなのは髪だった。大まかに二つに束を分けられ、大きさがちぐはぐな三つ編みにされて、右と左の大きさが合わないちょうちょ結びのリボンでくくられている。よち、よち、と歩いてちょっと休憩しながら、ソキはくちびるをさらに尖らせ、ちょいちょいちょい、と髪を手でつっついた。
「……やっぱり髪もエノーラさんにやってもらうと綺麗だったです。ソキは綺麗な三つ編みが出来ないでした……でこぼこになっちゃったです……。リボンも綺麗に結べなかたです……ロゼアちゃんはいつも綺麗に結んでくれるです。ソキのを見てがっかりしたらどうしよう……でも、でも、ソキはガッツと根性で頑張ったです。頑張ったです……ロゼアちゃぁん……」
 目をうるうるにさせてすんっと鼻をすすりあげ、ソキはまたよち、よち、と不安定に歩き出した。なんだか最近、とっても涙が浮かびやすくなっていて、ソキはとっても困っているのである。ソキは泣かないです、泣かないもん、と深呼吸をしながらよちよち歩き、立ち止まり、往生際悪く背負ったうさちゃんリュックの反省札を引っ張り、ガッカリし、歩き、というのを繰り返して、ようやく訓練室の集まる一角へ辿りつく。ここは寮からは一番離れた授業棟で、本当なら森を抜け、普通だと十分とすこし、ソキの足では大目に見て三十分くらい歩かないと辿りつかない場所にある建物の中なのだが。どの授業棟、部室塔もそうであるように、緊急時に備えてそれらは寮から『扉』で直に接続されている。
 ソキは『扉』の通常使用を例外的に許可されていたから、ロゼアのお迎えだって、言いつけを破らずにちゃんとできるのである。扉の前からちょっと顔を覗かせて室内を覗き込み、チェチェリアに笑顔でおいでおいでと手招きされるのにこくりと頷いてから、ソキは一回頭を引っ込めた。うん、と面白がるチェチェリアの声が響いた気がするが、気に留めず。ソキはじっくりと己の胸元から足元、背中、スカートの裾などを点検した。足元はメグミカがくれた布の靴ではなく。黒いタイツに、編み編みの茶色いブーツである。これは、美少女の足元に跪いて紐を編んであげる喜び、と言って息を荒くした服飾部の女の先輩が、手早くきっちり結んでくれたものだった。
 服飾部の先輩は親切で優しいですけど、ちょっぴりじゃないへんたいさんです、と目をぱちぱちさせて思いながら、ソキはもう一度全身をじっくり点検して、もう一回見直して、そわそわ辺りを伺ってもう一回だけ確認して、三つ編みをくいくいと引っ張った。なんだかちょっと解けかけている気がするのである。髪の毛がちゃんとできてないのは、可愛くないかも知れない。どうしよう、と立ちすくんでいると、足音もなく近付いてきたチェチェリアが、先程とは逆にひょいと顔を覗かせてしゃがみ込み、不思議そうな顔をした。
「ソキ? どうしたんだ。……ああ、髪が緩んでしまったのか」
「チェチェリア先生、授業、終わったです……?」
「うん。今日はもう終わったよ。どれ、直してあげよう。せっかく可愛い格好をしているんだから」
 伸びてきたチェチェリアの手をじっと見つめて、ソキは指先をきゅ、と包み込むように握った。うん、と笑みを深めるチェチェリアに目をぱちぱちさせてから息を吸い込み、ソキはこっそりとちいさな声で、あのね、と言った。
「ソキね、自分でね、結んだです」
「ああ、そうだったのか」
「そうです。だからね……。上手に出来なかったですからね、ロゼアちゃん、呆れちゃうかも、ですけど、ね……ソキ、ロゼアちゃんに、やりかたを、教えてもらう、です。……チェチェせんせ、ソキの髪、ぐちゃぐちゃ? かわいくない? ……あんまりかわいくなかたら、ソキはやりなおしてもらうです。かわいくないのは、だめです……」
 ぎゅぅ、と手を握り。俯いて涙目になるソキの頭を、チェチェリアはそっと撫でてやった。
「そんなことないよ。可愛いよ、ソキ。……顔をあげて、笑っておいで。ロゼアが待っているから」
「はい。です。……あ、あ! ちがうですよ、ソキはこれ、悪くないです。ほんとのほんとです」
 反省札をチェチェリアにぴらりと見せびらかし、ソキは不満いっぱいの顔で訴えた。ああ、と懐かしそうな声をあげて頷き、チェチェリアはすっと立ち上がる。
「うん。一枚目をもらうにしては、ソキは遅い方だ。大丈夫」
「……そうなんです?」
「ロゼアは入学二ヶ月でもらっていただろう?」
 その時のことを思い出したのだろう。笑いを堪えて視線をゆるく彷徨わせるチェチェリアに、ソキはこくりと頷いた。ロゼアちゃん、はんせいちゅ、だったです。ううん、と訝しんで首を傾げ、ソキはほわんほわん響く声でねえねえ、とチェチェリアの服を引っ張った。
「ロゼアちゃんは、あの時、なにを反省中だったです? ソキはそういえば、ないしょにされてたです」
「……なにを、か。……ロゼアからソキを取りあげると、つまり、ストルとツフィアからリトリアをひっぺがした時と同じか、それ以上のことが起きるのか、と。誰もが分かる事件だったな……。ソキが教えてもらっていないなら、それは男の子の秘密、というものだ。尊重しておあげ」
 ソキは不満でいっぱいの顔をしながらも、はぁい、と素直に返事をして頷いた。ん、偉いな、と笑ったチェチェリアを、ソキはじーっと見つめてふにゃりと笑った。
「ソキ、褒められるのだぁいすきです……。ん。ソキはロゼアちゃんのお迎えに行くです。ロゼアちゃんが待ちくたびれちゃったら大変です」
 ちょいちょい、とやっぱり気になる風に三つ編みを指先で突っついてくちびるを尖らせ、ソキはよちよちと部屋の中へ歩いて行く。広い、なにもない砂原めいた部屋の中心に、ロゼアは椅子をおいて座っていた。教本から顔をあげたロゼアが、ぱっと顔をあげて立ち上がる。
「ソキ」
「ろぜあちゃ……! ロゼアちゃん、ソキ、お迎えに来たです……!」
 よちよち、よちっ、て、てちてっ、と懸命に早歩きをして、ソキはロゼアに向かってめいっぱい両腕を伸ばした。椅子から立ち上がって向かって来ていたロゼアが、その体をひょい、とばかり抱きあげる。うやぁああふにゃあぁあんきゃぁあんきゃぁあああんロゼアちゃんロゼアちゃんろぜあちゃっ、とはしゃぎきったふあふあの声で頬や体をくしくしすり付け、ぎゅうぎゅう抱きついた後、ちょっとばかり落ち着いたソキは、はふ、と息を吐き出して顔をあげた。
「……あ!」
「ん? ……んー? どうしたの、ソキ」
 ソキがきゃっきゃ抱きついてすりすりくしくし甘えている間、髪や背をゆったりと撫でていた手をそのままに、ロゼアは柔らかな声で囁くように問いかけた。あぁぅー、と残念な声をあげてロゼアにぺったり体をくっつけながら、ソキはちがうんですぅ、と主張する。
「ソキには計画があったです……。でもロゼアちゃんを見たらすぐにぎゅぅ、ってして、くしくし、ってして、ぎゅーってしたくなって忘れちゃったです……。だって朝ぶりのロゼアちゃんだったです」
「うん。ソキ、計画ってなに?」
 ひょい、とソキを抱き上げたロゼアは体をすりつけている内にずれて落っこちてしまったしろうさぎちゃんリュックを拾い上げ、反省札を見つめて沈黙した。ああぁあああっ、と反省札に向かって手を伸ばしながら、ソキがちがうんですううぅ、と言い張った。
「ソキは壊すの応援したんじゃないですよ。ソキは、おにいちゃんとレディさんがりょうちょをこらしめるのを、がんばれがんばれって言っただけですううぅりょうちょが避けたからいけないです。だから壊れちゃったです」
「うん? ……うん。ソキ、お風呂に入ったの?」
「ふにゃ。えへへ、そうなんですよ。えっと、えっとぉ……」
 期待できらきらした目で、ソキは腕の中からロゼアを見上げた。かわいいとか、服が似合うとか、いい匂いとか、褒めてぎゅぅっとしてもらえるかも、と胸をどきどきさせながら言葉を待つ。けれども、ロゼアは微笑んだままで声をかけてくれることはなく。ソキはだんだんしょんぼりして、殆ど解けてしまった三つ編みを、指で摘んでゆらゆらと揺らした。
「エノーラさんにお手伝いしてもらったです……。でも、でも、髪は、ソキがひとりであみあみしたです……」
「そっか」
「だって……だって、だって、ロゼアちゃんのお出迎えだったです。ソキは髪も、爪も、お服も、きれいでかわいいのにしたかったです。汗くさくて汚れちゃってるのはだめだったです……。かわいくないです……。ソキは、ロゼアちゃんにかわいい、て言ってもらいたかったです……」
 抱く腕に。ぎゅ、と力が込められた気がして、ソキは視線を持ち上げた。ロゼアに、かわいい、と言ってもらいたかっただけなのに。揺らしている内に三つ編みのリボンは解けて、ソキの膝の上に落ちてしまった。
「髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃったです……」
 すん、すん、と鼻をすすって。ソキはロゼアの肩に顔を伏せた。
「ソキ、一生懸命にしたんですよ。ほんとです。頑張ったです……ソキ、ソキはね、ずっとね、ずぅっとですよ。ほんとの、ほんとに、ずーっとね、ロゼアちゃんのお傍にいたいですからね、たくさん頑張ることにしたです。でもちょっとも上手にできないです……髪の毛ぐしゃぐしゃです……」
「……ソキは俺の傍にいたい?」
「いたいです。離れるの、やです。離すのも、離れちゃうのも、ソキはもうやんやんです。ずっと、ずーっと一緒にいるです。……ねえ、ねえねえ、ロゼアちゃん。ねえねえ」
 ロゼアの指が優しく髪をほどいて、ふたつに別れていた束を、ひとつに整え直す。ゆるく編んでまたリボンで先をきゅ、と結ばれるのを見つめて、ソキはロゼアにぺとっとくっつきなおして問いかけた。
「……ソキかわいい?」
「かわいいよ」
 ようやくほっとしたように、ロゼアは笑った。
「かわいいよ。かわいい。……ソキ、そき」
「ほんと? ……ほんとに、ソキ、ロゼアちゃんのかわいい? ほんと?」
「うん。もちろん。かわいい、かわいい……かわいいソキ。ソキ」
 嬉しいのに、なんだか胸が痛くて。ソキがぎゅぅ、とロゼアに抱きついた。服も爪も、靴だって、いつもはとっても褒めてもらえるのに。すん、と鼻をすすって、ソキはしょんぼりとロゼアの肩に頬をくっつけた。やっぱり、ソキがひとりで頑張ったのがいけなかったのだ。拗ねた気持ちで、ソキは弱々しく息を吸い込んだ。
「ロゼアちゃん。……やっぱり、ロゼアちゃんがソキの着るお洋服を選んでくれなきゃだめです。お靴もです。髪の香油も、まっさじの、くりーむも、爪に塗る色も、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶです……。わかったぁ? 分かったです? 髪も、ソキがするとくしゃくしゃになっちゃうです。ロゼアちゃんがしてくれないとだめです」
「うん。うん、分かったよ、ソキ。全部しような」
「ロゼアちゃん、やりなおす、です? ソキ、今日はロゼアちゃんじゃないひとのおていれだたです……。ソキは、これが、ロゼアちゃんのすきすきかな、と思ってがんばったですけど……きっと違ったです……。きっと今のソキは、ロゼアちゃんのかわいいだけど、ロゼアちゃんのすきすきじゃないです。たいへんなことです……。うにゃ……うぅ……」
 ねむいです、と瞬きをして、ソキはふあふあのあくびをした。本当ならいつもお昼寝をしている時間に応援したり、怒られたり、運動したりお風呂に入ったりしていたので、今日のソキは眠っていないのだった。眠いです、と訴えながら、ソキはロゼアにぐりぐり体を擦り付けた。
「ろぜあちゃん。ぎゅぅってして? だっこぉ……。おやすみ、て、して?」
「うん」
「ソキが起きるまで、ずっとだっこですよ。ずぅっとですよ、ぎゅぅですよ。わか、たぁ……? どこへも、いくの、や、ですよ。ソキをずーっと、ぎゅぅしてないといけないですよ……? ロゼアちゃん、ソキね、ソキね、いっぱい頑張るです。だからね、だから……」
 ソキとずっと一緒にいてね。やくそく、ですよ。ふあふあの声で囁いたソキに、ロゼアはうん、と笑って。眠りに落ちるソキの額に、己のそれを重ね。約束だ、と囁いた。

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