ソキはひとしきり寮長に、ソキは帰れないって言われたですソキはとってもいじめられたですこれはたいへんなことですとってもとってもひどいことですソキはがまんしたですえらいでしょえらいでしょおおおおそきりょうちょとおうちかえるです、りょうちょはきっとソキのおむかえにきたですそうにちがいないですうううやぁあああっ、と不満と不安を爆発させた訴えを、腹あたりに頬をすりつけて抱きつきながら繰り返した。それじゃあソキはもう帰るです今帰るですすぐに帰るですはやくはやくぅはやくううぅうっ、と唇を尖らせ、視線を持ち上げた。八割なに言ってんのか分からん、という表情で沈黙していた寮長は、それでようやくぎこちなく腕を動かし、ぽんぽんとソキの背を撫でて告げた。
「いや、あのな? 俺は別に『扉』が使えたから来れた訳じゃないんだが……」
「……え。え、えっ……びゃっ?」
「びゃってなんだよ……。あのな、ソキ。俺は空間を渡れる適性持ってるから、こういう時は『学園』と各国の連絡役で動かないといけない。俺の言ってること分かるな? だから、通常の手段で来た訳じゃない。……迎えじゃないんだよ。分かるな?」
ぶわっ、と瞬く間に瞳に涙を浮かばせて、それを必死に手で押さえ、ソキはぷるぷると頭を振った。
「や、やぁ……やぅ……! や、や……! りょうちょ、お迎えです。そき、かえる、帰るぅ……!」
「勘違いさせたのは悪かったよ……。でもな、ソキ。今日も泊まりだ」
ほら、と寮長が涙を堪えるソキに握らせたのは外泊届けだった。『学園』の生徒が寮以外に滞在する際、必ず必要になるもの。ここへ来る前に訪れたのか、星降の国王の印が押してある。ちいさな紙片に赤いインクがまだ染み込みきっておらず、指を触れさせれば汚れてしまうくらい、出来立ての許可証だった。そこに期限は書かれていない。開始の日付けは昨日のものなのに、いつ戻る、という期間が書かれていない外泊許可証。ソキは寮長の手首をぺちんぺちん指先で叩いて、やんやんっ、と裏返りひきつった声で抵抗した。
「ソキは今日は一度だってロゼアちゃんに、だっこも、ぎゅぅも、なでなでもしてもらってないんですぅ……! お膝にだっこでお昼寝もなしですし、昨日だってソキはロゼアちゃんのぎゅぅもなでなでもなくて眠ったですよ。お手紙でおやすみはしてもらったですけど、でもでもロゼアちゃんのぎゅぅじゃなかったです。たいへんな、たいへんなことです……!」
「……俺が抱きしめてやろうか?」
「びゃああああああああ! 寮長がソキにむたいをはたらこうと! するですううぅう!」
お前せめてそれは発音をハッキリさせてから主張と抵抗をしろよ、と呆れて微笑みながら見守る寮長の視線の先で、ソキはちたぱたと手足を振りまわし、ぜい、ぜい、と息切れをして廊下にへたりこんだ。
「きもちわるくなっちゃったです……。ソキはもう元気がなくなっちゃったです……」
「よしよし、今日はもう寝ろ。明日になったらまた顔見に来てやるから」
ほら、と寮長が差し出した手紙を、ソキはなにを考えるより早く両手ではしっと受け取った。三通目の、ロゼアからの手紙だった。封筒の色ですぐに分かる。昼間より封筒が重たいのは、ナリアンとメーシャからの便りも入っているからだという。しょんぼりして、ソキは封を開けないまま、手紙を胸に抱き寄せた。
「寮長……」
「ん?」
「ロゼアちゃんは、どうしていたか、ソキに教えてくださいです。ロゼアちゃんは、元気です……? ナリアンくんと、メーシャくんは、お変わりなく過ごしていたですか……? ねえ、ねえ、ロゼアちゃんは……ロゼアちゃんは、今日はどうしてたです……?」
すん、すん、と鼻をすすってくちびるを尖らせるソキの前に、寮長は溜息をついてしゃがみこんだ。俺もこの後各国回って『学園』に戻って報告して相談して対応して書類まとめて今日はたぶん寝る暇とかなくてまた明日五ヶ国巡って、で中々忙しいんだけどなと苦笑してから、寮長はぽんぽんとソキの頭をてのひらで撫でた。
「担当教員が残されてることもあって、今日は通常授業だ。実技もチェチェリアが帰らなくて良い分、みっちり組まれる。あのな、ソキ。これは別に異変じゃないんだよ。『扉』が使えなくなるのは、よくある。ただ今回はちょっと、五ヶ国全部が使えない……規模が多くて時期が定まらないだけだ。ままあることだ。年に一回くらいはな。だから、そういう時にどう対応したらいいか、全員分かってる。初めてで、相当びっくりしてるだろうけど、怖いことじゃない。すぐ、とか。いつ、とか言ってやれないのは悪いと思うが、でもこの分断は永遠じゃない。絶対に。……分かるな?」
「でも、でも、でもぉ……ソキはもう、いまだってロゼアちゃんに会いたいです……。いまですよ。昨日から、ずっと、ずぅーっと、ソキはいますぐロゼアちゃんに会いたいです。わがままじゃないもん……。ソキ、がまんしてるんですよ。でも、みぃんな、いまはできない、てソキにいうです。だから寮長は、ソキに、ちゃぁんと! 今日のロゼアちゃんを教えてくれなくっちゃだめです。かっこよくって素敵なのは知ってるですのでそれ以外のロゼアちゃんを教えてくれなくちゃいけないです」
「……努めて普段通りにしようとはしてたけど、めちゃめちゃヘコんで落ち込んで苛々してたぞ」
コイツ一定の格好良さは理解できてる筈なのになんで俺の魅力には目覚めないんだ心底解せん、という顔でソキを眺めたのち、寮長は眉を寄せてぼそりと呟いた。ソキは目をぱちくり瞬かせ、首を傾げた。
「……ソキはロゼアちゃんのことを聞いたですよ?」
「あぁ?」
「ロゼアちゃんですよ、ロゼアちゃん。ナリアンくんでも、メーシャくんでもないです。ろぜあちゃん!」
ソキの大好きで大好きですきすきで世界で一番格好よくって素敵で優しくて強くてやぁんやぁんはううぅうろぜあちゃろぜあちゃっ、あっ、だからソキはロゼアちゃんのことを聞いたですよロゼアちゃん、とやんやん身をよじって照れながら力説するソキに、寮長はなに言ってんだコイツ、と思っているのを隠そうともしない目を向けた。
「ソキ。俺は今ロゼアのことを話しただろ?」
「……んと、チェチェリア先生の授業がいっぱいあるところです?」
「いや、だから。そこもロゼアだけど、その後もロゼアだっつーの。ロゼアは今日一日、落ち着きなくてヘコみまくって、超苛々してたって言ってんだろうが」
んん、と今ひとつ理解しきれない顔でぱちぱちっと瞬きをして、ソキはろぜあちゃんがぁ、とのんびり口を開いた。
「落ち込んだり、落ち着きなかったり、ヘコんだり、苛々してた、です? ロゼアちゃんが? ……りょうちょ? ソキは、ソキのすきすききゃぁん! な、ろぜあちゃんのことを聞いたですよ……?」
「お前、その、寮長がご覧になったのは妄想の中のなにかなのではないでしょうか、みたいな実在から疑ってる顔すんのやめろよ……。だから、ロゼアだよロゼア。お前の言ってるロゼアと、俺の言ってるロゼアは、一緒。おんなじ! お前のロゼアが、今日一日落ち込んだり落ち着きなかったり、べっこべこにヘコんでたり、苛々しまくってたり、要するに超絶情緒不安定な感じだったって教えてやってんだよ」
「……ロゼアちゃん、が……です……?」
お互いに、コイツなに言ってんだ、寮長はやっぱりちょっとどうにかしてるです、と言わんばかりの視線を交わし合った二人の間に、沈黙がふよふよと漂って行った。え、え、とぎこちなく戸惑った声をあげ、ソキは寮長を一心に見上げた。
「ロゼアちゃん、落ち込んだり、苛々したり、するです……? ソキ、見たことないですよ……」
「俺は今まさに今日一番の、お前なに言ってんだ感を覚えてマジ頭が痛いんだけどな……?」
「だって、だって。ロゼアちゃんは、いっつも穏やかで、優しくって、それでそれで、それで……!」
よく考えれば、ソキにだけは分かるですロゼアちゃんはいま落ち込んでるですえへへんソキが慰めてあげるですぅーっ、ということならこれまでにもあった。同じように、あっソキには分かっちゃうですけどロゼアちゃんは今いらいらさんですソキがぎゅってして、ぎゅってしてなでなでしてあげなくっちゃですぅーっ、ということも、時々ならあったのだが。そんな風に『花嫁』以外がわざわざ言うくらい、落ち込んだり、苛々しているロゼアというのを、ソキは今まで見たことも聞いたこともなかったのである。ろぜあちゃんにいったいぜんたいなにがあったですかっ、とこの日一番の衝撃に固まるソキを、コイツらほんとマジ、という目で眺め、寮長は首を左右に振った。
「じゃあ、俺はもう行くから。また明日な、ソキ。いいこでいろよ」
「え、えっ、えっ……! え、え、ろぜあちゃ、ろぜあちゃ……!」
「そのロゼアからの手紙があるだろ? そこになんか書いてあるかも知れないな? 読め」
返事は特別に、白雪まで行った後『学園』に帰る前に拾いに来てやるから書いて誰かに託しとけと言い残し、寮長は小走りにソキから離れて行く。助走をつけて、幅跳びでもするように。だんっ、と廊下を蹴って浮かびあがり、寮長はその場からかき消えた。眩いくらいの魔力の残滓が、空間に煌めく。万華鏡を覗き込んだような気持ちで瞬きをしながら、ソキはけんめいに考え、ちょこんと首を傾げた。やっぱりどうしても、想い浮かべることができない。苛々するのも、落ち込んだりしているのも。
「ロゼアちゃんが……?」
寮長はきっとへんなものを食べたです、ということにして頷き、ソキは眠たい気持ちであくびをした。寝台でころころしながら読んだ手紙からは、やっぱり、ロゼアが落ち込んでいたり、苛々していたりする様子は感じ取れなかったので。ソキは寮長ったらやっぱり間違いだったです、と頬を膨らませ、折りたたんだ手紙にぺとりと頬をくっつけて瞼を下ろす。おやすみ、と今日もロゼアは書いてくれたのに。いつまでも眠気は訪れず。眠ることができずに。ソキは白んで行く空をぼんやりと眺め、なんだか気持ちが悪くてぐるぐるするです、としょんぼりしながら呟いた。
朝食をもそもそと食べている最中に戻してしまったソキの為、白魔術師と医師が食堂の片隅に呼ばれた。ソキが気持ち悪くて動くことができなかった為である。動かそうにも抱き上げようとするといやぁいやぁとちたぱた抵抗するので、呼んで来るのが一番早くて安全、と判断された為だった。いつも通りになったら今後の為にも、お医者様の所へ連れて行くのにだっこするくらいは受け入れてねってロゼアくん経由で頼んでおかねばと決意するリトリアの隣で、ソキはお医者様もお薬もやんやん、ともぞもぞ椅子に座りなおしていた。楽音では知っている者がいないだけで、緊急時や特にお医者様の診療の為のだっこくらいは、『花嫁』だって受け入れるように教育されているのである。
ただ単にソキが極端にロゼア以外を嫌がり、かつ、お医者さまというものが好きではないだけで。
「終わったら、お風呂にも入りましょうね、ソキちゃん。さっき確認したら、夜番の人の為のお湯が、まだ残っていたから、使えるように頼んでおきました。……それで、ええと。風邪ですか……?」
基本的にはひとみしりのリトリアが自分でお医者さまに話しかけてるっ、と見守る同僚たちの目がしらを潤ませながら、リトリアはぷぷーっと頬を膨らませて不機嫌なソキの代わり、医師と白魔術師に問いかけた。苦笑いをする医師の隣で、眠たそうな白魔術師が、目を擦りながらあくびをする。
「風邪っていうか。昨日だってあまり食事を取らず、今日だって夜眠れなかったんだって? そりゃ体調も悪くなるよ。ちまこい後輩は、睡眠薬と眠りの魔術とどっちが好きかな? 寝ればある程度回復すると思う。特別な病気でない限り」
「ソキはロゼアちゃんがいいです。ロゼアちゃんでないなら、アスルがいい……あするぅ……」
「アスル?」
そんな名前の睡眠薬があっただろうか、と眉を寄せる医者に、ソキは慌てた仕草でアスルはねっ、と説明した。
「こんなで、こんなで、こういうので、ほわほわで、ぷわぷわで、かわいくって、ふにゃふにゃで、ぎゅっとするといい匂いがするですよ!」
「ソキちゃんの抱き枕です」
なにひとつ分からん、という顔をする二人の為に、リトリアがそっと口添えする。なるほど、と頷き、医師は立ち上がりながらソキに向かって苦笑した。
「抱き枕があれば眠れるかな?」
「アスルじゃなきゃだめです……。他のをぎゅっとしてもあんまり気持ちくないです……。もしかして、ソキはわがままさんです? ごめんなさい……。ソキはご迷惑をかけたり、したいんじゃ、ないですよ。ほんとです、ほんとうですよ……」
「分かってるよ。でも、そうか。困ったね」
世界を繋ぐ『扉』が繋ぎ直されるまで、もうしばらくの時間が必要なようだった。今日も慌ただしく食堂を出て行く魔術師たちを眺め、医師は緊張を解すお香をリトリアに手渡した。風呂から出たらこれを焚きしめてあげなさい、と告げられ、リトリアはしっかりと頷きを返す。さあ、じゃあお風呂へ行きましょうね、と差し出された手をぎゅっと握り、ソキは不安でいっぱいの顔で、医師と白魔術師を見比べた。ぺこん、と頭を下げる。
「ありがとうございましたです。……ごめんなさいです」
「眠れないと疲れちゃうよね。そういう日もあるよ。これで駄目だったら占星術師呼ぶから、気にしないでお行き」
「消化に良い、食べやすいものを頼んでおくから。眠って、起きたら、ゆっくり食べようね」
二人の言葉の、どちらにもこくん、と頷き。ソキはふらつきながらもリトリアに手を引かれ、よち、よち、と食堂を後にした。
眠る髪の毛に指先が差し入れられ、うっとりするような心地よさで撫で梳かれる。ほぅ、と満ちた息を吐き出して、ソキはゆるゆると瞼を持ち上げた。眠たげに瞬きをする視線の先、微笑むロゼアがソキに額を重ねてくる。重なった額を擦りあわされ、ソキはきゃぅ、と声をあげて笑った。
「ろぜあちゃ……! ろぜあちゃん、ソキね、ソキね……!」
「うん。うん、なぁに、ソキ。なぁに?」
「だぁいすき。大好きです。ロゼアちゃん、大好き。ソキね、ソキね、ずーっとお傍にいたいです」
微笑んだロゼアが、ソキを膝上に抱き寄せる。甘えて体をぴっとりくっつけ、ソキはしあわせに目をうるませた。ぽん、ぽん、と背を叩かれて眠りに導かれながら、ソキはずっとですよ、とロゼアに言った。返事を聞かないまま、眠りに落ちた筈なのに目をさまして、ソキはぎゅぅっと体を丸くした。来る時に背負っていたしろうさぎちゃんリュックをぎゅうぎゅう抱きつぶしてはいるものの、ある程度しっかりとしたつくりのそれは、アスルのような柔らかさを持っていない。うゆぅ、と悲しげに頬をすりつけて、ソキは短い昼寝から身を起こした。
ちいさな器に入ったヨーグルトを、ちまちまと三十分もかけて口に運び、ソキはお昼を食べておなかいっぱいになったです、と主張した。いやそれどちらかっていうと食後のデザートもしくはおやつ扱いだから、というかそれでおなかいっぱいにはならない筈だよね、という周囲の視線は全て無視である。ソキとしては頑張って食べたのだ。普通のひとなら、ほんの数口で食べ終えてしまう量だって、おなかがぐるぐるして、うっすらと気持ち悪くなりそうなのを宥めているくらいである。ソキはもうむりです、もうひとくちだって食べたらまた戻してしまうですそれはとってもとってもいけないです、すごくすごくたいへんなことです、と弱々しく主張すると、リトリアは頬に手をあてて、溜息をつきながらも頷いてくれた。
「それじゃあ、午後は寝台の上でゆっくりしていましょうね……? ね?」
「リトリアさん? ソキはぁ、『扉』の前でじーっとしてるです」
言い聞かせる口調でえへんと胸を張って、ソキはさっそく椅子をすべり降り、ちょこちょこと歩いて行こうとした。しかしすぐにリトリアに捕まえられて、ソキはやぁんやぁん、と身じろぎをする。
「ソキは見てると早く終わると思うですぅ……! だから、ソキは『扉』の前でじーっとして、それで『扉』をじぃーっと見てることにしたですううううやぁんリトリアさんがソキをぎゅってして離してくれないですううう」
「見てても終わりません……! ソキちゃん? 午後もお昼寝しましょうね」
「うやぁあああんうやぁんやぁああぁあっ……うゅ、うやぁぅ……きもちわるくなてきたです」
青ざめた顔でくてんっ、としてしまったソキを腕の中に引き寄せて。ぽん、と背を撫でて宥めながら、リトリアは占星術師をお呼びしましょうね、と告げた。すん、すん、と鼻をすすってソキはもういやですー、と訴える。眠るよりも帰りたいのだが。その日もソキは、迎えの腕に抱きあげられることはなく。楽音から『学園』に戻れないまま、夜をひとつ巡らせた。
りょうちょはきのうソキのおてぁみをもっていかなかたです、これはほんとうにたいへんなことです、と半泣きでぐずりながら訴えられて、寮長は朝の清涼な光が降り注ぐ廊下に、生ぬるい笑みでしゃがみ込んだ。
「体調悪いなら寝てろよ……。ふあふあふあふあ話しやがって。半分くらいしか解読できねぇだろうが……」
「うにゃぁあうやんうやんふにゃぁん! ソキはロゼアちゃ、にぃ! おてぁみをかいてあた、ですううりょうちょもてかなかたですううう! ろぜあちゃんは、きっと、ソキのおてがみがなくてがっかりしたにちぁいないですううううそきちゃぁんと書いてあったあぁああああったですううう!」
「……あぁ。昨日な? 手紙を書いてあったのに俺が持ってかなかったって怒ってんのか?」
ふぎゃあぁあああんっ、と怒りの声をあげてじたばたじたばたばたくてんっ、ぜいはぁぜいはあ、としながら、ソキはくちびるを尖らせ、頬をぷぷーっと膨らませて頷いた。熱で赤く染まった顔をふらふらとさせながら、寮長に向かって手紙を押しつける。
「ちゃぁんとロゼアちゃんに届けてくれなくちゃだめなんですよ……。昨日と今日のロゼアちゃんも教えてくれなくっちゃだめです。ソキは昨日も、今日も、いいぃっぱぁい、ロゼアちゃんがすきすきだいすきですけど、明日もいっぱい大好きですでもソキはもうきょうはおうちかえるです……」
「前から思ってたんだが、お前の『おうち』ってロゼアか? ロゼアだろ?」
「ねえ、ねえ、りょうちょ。ロゼアちゃんは? 昨日と、今日のロゼアちゃんは……?」
廊下の端から、リトリアが腕いっぱいに毛布や薬を持って走ってくるのが見えた。過度に慌てたり咎める表情はしていないので、別に無断で抜けだして来た、という訳ではないのだろう。完全な同意を得て来ていると見るには、寮長の目からでさえ、ソキはちょっと体調が悪すぎた。けふ、こふん、と咳き込みながら、熱でだるそうにぱしぱしと瞬きをする。
「ロゼアちゃんは、今日も授業を頑張ってるです……? ロゼアちゃんたら、頑張りやさんです……すてきです……。ロゼアちゃんが、あんまりすてきで、ロゼアちゃんにきゃぁんってなるひとが増えたらどうしようです……」
「授業はしてるだろうが、絶対それどころじゃねぇよ……」
なんでお前の心配はそうありえない方向にありえない方向に斜め上に過ぎるんだと呻かれ、ソキは心の底から正直にまっすぐに、寮長にだけは言われたくないですとすこし傷ついた表情で指先を突き合わせた。リトリアが着せかけてくれる毛布にもこもことくるまりながら、溜息をつく。
「寮長には分からないですけど……ソキのロゼアちゃんはたいへんとっても人気があるですよ」
「ソキ、テメェ。その言い方だと俺に人気が無いようにしか聞こえないだろうふざけんな。……寮長の考える人気というのは、本当にこの世に存在しているものなのでしょうかソキにはちっともそんな風に思えません、みたいな顔すんのもやめろ……!」
「やぁああんやぁああああん! りょうちょがソキのほっぺを押しつぶすですううううう! ソキはりょうちょにいじめられてるうううう!」
ちたぱた暴れるソキの頬をもにもに両手で潰しながら、寮長が呆れ顔でお前いまほんとに体調悪いんだな、と呟いた。指先に感じるじわりとした発熱した体温と、かさつく荒れた肌は、すくなくとも『学園』にいる間は覚えのないものだ。そう毎日頬を潰してはいないので、確実とは言えないのだが。ここ数日で、ソキの体調が直角に近い勢いで悪化しているのは確かなことだった。けふ、けふ、とすぐに辛そうな咳をするソキから手を離し、シルはリトリアになるべく寝かせておくように、と言って立ち上がった。
「昨日も今日も、ロゼアはお前の案内妖精の対応で忙しそうだったぞ」
「う? ……リボンちゃん? リボンちゃんが来てるです?」
「魔術的な空間の接続が途絶えて、お前が『学園』に戻って来られないって聞いたらしくてな。シディ、だったか。ロゼアの案内妖精と連れだって、来たっていうか怒鳴りこんで来たっていうか……」
なんでよりにもよってロゼアとかナリアンとかメーシャじゃなくてソキなのよどうしてソキがひとりの時にそんなことになってんのよもっと生命力が強そうというかひとりでほっといて転がしておいてもどうにかできるのを選んでしなさいよソキがひとりで戻って来られないとかそんなの絶対にさびしがってぴいぴい騒いでしょんぼりしてしょんぼりしてしょんぼりしきって体調崩すに決まってんだろうがいったい誰の許可を得て空間の接続を途絶えさせたんだ言ってみろ、リボンさんよく息が続きましたね、シディうるさいくちをはさむなっ、と大変な騒ぎであったらしい。顛末の一欠片を聞いて、ソキはしみじみと頷いた。
「さすがは、リボンちゃんです……。怒ると、とっても、怖いです」
「……アイツ、昔はもうすこし温厚だったんだぞ?」
魔術師として目覚め、同じ妖精に導かれて『学園』へ迎えられたシルだからこその言葉に、ソキは目をぱちくりさせ、くてんと首を傾げてみせた。案内妖精が温厚だったことなど、はじめて会った時から、一回も覚えがないのだが。それともソキの基準がちょっぴり違うだけで、中には温厚、としていいこともあったのだろうか。ううん、と悩み出すソキに、考えごとするなら体調が良い時にしろよ、悪化するぞ、と言って。寮長はソキの頭をぽんと撫で、預かった手紙をひらつかせて数歩距離を広げた。
「じゃあ、俺は行くから。次は早くて今日の夜か、また明日な」
「やんやん。ソキはりょうちょより早く、おうちにかえるぅ……」
「はいはい、ぐずらないでいいこで眠ってろよ? ……まあ、手紙の他にあれ持ってけこれ持ってけとか言わない分、ロゼアよりは大人しくて助かるけどな」
魔力のきらめき。光の粒子を空気にじわじわと滲ませ零しながら苦笑するシルに、ソキはどういうことですか、とばかり瞬きをした。次の国へ跳躍する為に集中しながら、寮長はそのままだよ、と苦笑する。
「ソキが体調悪くしてるだろうから、これなら食べられそうだから、とか。寝心地の良い夜着だとか、まくらだとか。お香だとか……薬くらいなら、なんとか持って来られないこともないんだろうが。こうも連続して、連日あっちこっち行くとなると、どうしても自分以外は運べない」
「……そうなんです?」
「手紙くらいならな。服にいれて、自分の一部とみなせるくらい軽量だから、そう負担でもないんだが……」
昨日も今日も、相当ごねられた、と寮長は言った。ソキは、ロゼアちゃん、とごねる、という単語がどうしても結び付けられず、ぱちぱちぱちと瞬きをして、不思議そうにへー、そうなんですか、と頷いた。八割以上を、どうでもいいこと、として聞き流した時の声だった。寮長は、ふっと笑みを深めてソキの額を指で突いた。
「まあいい。寝てろよ」
「……ソキ、アスルないと眠れないです……占星術師さんのも、夜に起きちゃったです」
「羊でも数えてろ。羊に飽きたら兎、兎に飽きたら妖精な」
妖精など数えたら、リボンちゃんでいっぱいでなんだかとっても眠れなくなりそうである。戦慄するソキと同じものを想像したのか、寮長は悪かった妖精は止めにしようと早口で呟き、代替えを告げることなく姿をかき消した。消える寸前の寮長の面差しは、寮で見るどんな時より疲れていた。廊下を行きかう魔術師たちの顔にも、疲労は現れ始めている。さ、今日こそ本当にずっとお部屋にいましょうね、と言ってくるリトリアに頷きながら、ソキは手を繋いでよち、よち、と歩き出した。誰もが解決の為、それぞれの力を惜しみなく発揮して、ずっと努力してくれている。そのことは、ソキにだってちゃんと分かるのだ。
それでも、どうしても。今日こそソキは帰るです、と零れてしまった言葉に。響く返事はなかった。