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 九月の末には夜会が開かれる。それは新入生歓迎会であり、五王に対するお披露目会であり。妖精たちがひとと同じ大きさに変化する、またとない夜。リボンちゃん、今年は何日くらいソキとおんなじ大きさになれるのかなぁ、手を繋いで一緒にお出かけしたりお服を選んでもらったりできるかなぁ、と楽しく想像をめぐらせながら、ソキは去年のロゼアの姿を思い出し、頬に両手を押し当てて身をよじった。去年のロゼアの正装はそれはもうとてもすばらしく格好良くて、たいへんにドキドキしたのだった。今年の夜会は、自由参加であるという。新入生が『学園』に来なかったからだ。だから騒ぎたい者だけが準備をするし、正装をしたい者だけが準備をするし、当日も、顔を出したい者だけが世界を渡って覗きに来る。
 式典ではないから、五王もそれぞれ好きな時間に、好きな格好で顔を見せにくる。つまり最初から最後まで参加した者だけが高確率で全陛下の、ときめき私生活が垣間見えるかも知れないし、正装かも知れないし私服かも知れない各々の好みでお選びになった衣装のお姿を見ることができる、というのが、説明部の熱い主張だった。魔術師はもれなく、五王に好意を持っている。それは出身国の王に対する親しみであり、魔術師として目覚めた者の、本能に付随する刷り込みにすら似た好意だ。すきなひと、だと、心が告げる。魔術師は王を嫌いきれない。なにがあっても。忠誠を誓わせる、変異した存在に刻まれる、呪いじみた好意によって。それは一目で落ちる恋にすら似ている。恋をする者もあるのだという。王に対して。
 その話をなんとなく思い出し、ソキはこてりと首を傾げて手を止めた。膝の上に刺繍の枠をおき、布に針を刺してうぅんと伸びをする。ソキちゃん、と穏やかな声がすぐさま向けられた。休憩しようか、と椅子から立ち上がるナリアンに、ソキはふるふると首を横に振った。
「今日はソキがお茶をいれるですよ。ナリアンくんは座っていなくちゃいけないです」
 九月はじめの水曜日、昼下がり。部活棟はにぎやかだった。廊下をひっきりなしに人が行き来する。来るべき月末の夜会の準備に、誰も彼もがはしゃいでいた。新入生に隠し立てしておく必要がない為、交わされる言葉もそればかりだ。手に手を取り合って踊りの練習をする者や、楽器の手入れをする者もある。授業のない部活日であるのに、真面目に活動をしているのはソキの茶会部と、寮長引き入る狂宴部くらいのものだろう。今日のロゼアは部活動として、廟の掃除をしている筈である。本日の狂宴部の標語、いかなる汚れも許すな、というものが発表されていたので、いつ戻ってくるかは分からないとのことだった。もうちょっとしたらおやつの時間になるから、ナリアンと一緒に様子を見に行くのもいいかも知れない。お茶と、甘いものを持って。
 そうするです、とこくりと頷き、ソキはぽてぽてと部屋の片隅に歩み寄った。そこは簡易給湯設備があって、ソキでも使いやすいよう、幅広の台が置かれている。よいしょ、と台へのぼってお茶の準備をするソキに、ナリアンからはらはらした視線が向けられた。先の週末、ディタからお土産にもらった香草茶のティーバックを茶器の中にぽんといれて、ソキ用のちいさな薬缶から慎重にお湯を注ぎこむ。ふう、と一仕事終えた自慢げな息を吐き、振り返ると、見守る視線が増えていた。きょと、と目を瞬かせ、ソキは戸口に向かって呼びかける。
「ハリアスちゃん。どうしたです? あ! お時間があったら、茶会部へいらっしゃいませんか。いまねえ、お茶をいれてる所なんですよ。はーぶてぃ、なんですけどね。とってもおいしいです。ナリアンくんのクッキーと、あとあと、色々お菓子があるです」
「よかったら、遠慮しないで。いらしてください、先輩」
 机に積み上げていた課題を整理しながら笑うナリアンに、ハリアスはそれじゃあ、と室内に足を踏み入れてくれた。来客用の茶器を取り出して、ソキはあれ、ともう一度戸口を振りかえった。扉は基本的に、開かれたままである。来客を待つ時や、ナリアンが特に集中したい時には閉めてあるが、扉を閉めた部屋にいる、ということがソキにはなんだかそわそわして落ち着かないことが多い為に、室内からは常に廊下が見えるようにしてあった。廊下を、先輩たちがひっきりなしに通っていく。それだけで、待てど暮らせと、ひょい、と室内を覗き込む者の姿が増えることはなかった。あれ、あれ、と不思議に思いながら、ソキはハリアスの元まで茶器を運び、素直に聞いてしまうことにした。
「メーシャくんとは一緒じゃないの? なんで?」
「いつも、ずっと一緒、っていう訳ではないのよ……それとも、待ち合わせでもしていた?」
 これから来るの、と問いかけられて、ソキは違うですと首を横に振った。すこし恥ずかしそうに、朝に会った時には寮長の手伝いをしようかな、と言っていたから狂宴部かもと教えられて、ソキは不思議さに首を傾げる。メーシャとハリアスは、いつから、とは分からないが恋人同士の筈である。それなのに、いつも一緒じゃない、というのは、どういうことなのだろう。いつも一緒にいたいから、恋人同士になるのではないのだろうか。んー、と不安げに眉を寄せて声を漏らすソキに、ハリアスはソキちゃんはずっとロゼアくんと一緒だものね、と笑った。
「でも、私とメーシャはこれでいいんです。メーシャは私のやりたいことを尊重してくれるし……私も、メーシャには好きなことをしていて欲しい。もちろん、一緒にいたいな、と思うこともあります。だから、そういう時は一緒にいるでしょう?」
「しなきゃいけない、じゃない時に……一緒じゃなくなるのは、さびしくないです?」
「私はずっとひとりだったから」
 この『学園』に招かれる前も、来てからメーシャに絆されてしまうまでのしばらくも。ハリアスはそう言って目を伏せ、なにか冷たいものに指先を触れさせるように唇を噛んで。ゆっくり息を吐き出し、やがて、春の暖かさに触れた花のように、微笑んだ。
「ひとりでいることを、さびしい、とは思いません。それに、ひとりの方が集中できることもありますし、楽なこともありますし……ひとりが嫌いな訳でもありませんから。ひとりでいることも、私は好きなの。ソキちゃんだって、ひとりで……ううん、ロゼアくんがいない時に、したいこともあるでしょう?」
「ロゼアちゃんがいない時に、したいこと……!」
 特にない。えっ、えっ、と右を見て左を見て、えっ、と声をあげてハリアスを見て、もももももしかしてなんですけどっ、とソキは震えながら問いかけた。
「ロゼアちゃんはっ、そ、そきがいない時にしたいことがあるからそきをおいていくです……! これが、これがもしかして噂に聞く、うわきー! ということなんですっ? たたたたたたいへんなことです」
「違うからね。違うからね、ソキちゃん。……本当にないの? ロゼアくんがいない間に、したいこと」
「ちがう? ちがうです? よかったです……」
 ほっと胸をなで下ろして、ソキは拗ねた気持ちでもう一度考えてみた。だいたい、ロゼアがソキの傍にいないというのは、『お屋敷』では職務怠慢にも繋がる重大事件である。もちろん、ロゼアが『傍付き』として学ばなければいけないことが多かった為、やれ勉強会だの、研修会だのという理由で離れていたことは多いし、『運営』に呼び出されてねちっこく説教を受けていたことも多い。離れている間にソキがしていたのは、ロゼアを待っていることである。ソキにも学ばなければいけないことがあったので、勉強もしていたし、時間をつぶす方法ならたくさんあった。でもそれは、全て、ロゼアを待つから仕方なくしていたことで。あるいは、しなければいけないから、今のうちに終わらせてしまおう、ということばかりなのである。
 一緒にしたいことなら、たくさんあった。昔も、今も。
「……ひとりで、ソキがしたいことがないのは、だめなの?」
『アンタねぇ……』
 ほとほと呆れかえった声が降ってくる。
『アタシのトコにこっそり来てあれこれ話したりするのは、十分! アンタがひとりでしたいこと、でしょうが! 一回だってロゼアに言って出てきたコト、あった? いつもいつもこっそり抜け出してきて!』
 飛び散る火の粉のような。ソキのくらやみを打ち払う、強い声。ぱっと顔をあげ、ソキは満面の笑みできゃぁっと歓声をあげる。
「リボンちゃーん! いらっしゃいませですー!」
『ハリアス、安心なさい。コイツ思考回路までどんくさいから、ひとりでしたいことがどんなのかっていうのさえ、なんかよく分かってないだけなのよ。ソキは、ソキで、ちゃんとあるから。どんくさくて分かってないだけで』
「ねえねえリボンちゃん? どうしたの? お出かけの途中? ソキに会いに来てくれたです? ねえねえ、ねえねえ?」
 アンタはアタシが話してる間にじっとして待ってるってことさえできないのーっ、と即座に特大の雷を落とされて、ソキはきゅっと目を閉じた。
「もぅー、おこりんぼさんですぅー……や、や! いやんや! ぺちぺち叩くのいやんやぁー!」
『アンタちょっとくらいアタシを怒らせないよう努力しなさいよ! むしろアタシの機嫌を取りなさいよっ!』
「リボンちゃんすきすきすきすきだぁいすきぃーっ!」
 頭の上に着地して平手でべっしべし叩かれながら怒られて、求められた、ソキの返事がそれである。すきすき言っとけば相手が絆されると思ってっ、と怒りかけ、事実、蜂蜜みたいな声でまっすぐに好意を告げられるこそばゆさと幸福で荒らんだ気持ちが消えかけていたので。妖精は素直な感情の現れとして、遠い目をしながら頭を抱えた。
『……いい? 誰にでも、そんな簡単に好きだのなんだの言うんじゃないわよ……?』
「ソキ、好きなひとにしか、好きって言わないです。すきー、すきすきー、リボンちゃーん!」
『腹立ってきた』
 なんでですかぁっ、とぴいぴいわめくソキの頭をぺしっと叩いてから飛び立って、妖精はそれで、と腕組みをして尊大に問いかけた。
『アタシのお茶もあるんでしょうね?』
 あっそうですお茶ですっ、ですぎちゃたかもですっ、と慌ててとてちて給湯設備へ戻っていくソキに、妖精は息を吐き。ナリアンが恭しく差し出した道具箱の上に降り立ち、びたんっ、と転んだソキを眺めて頷いた。転ぶって知ってた、という仕草だった。



 丁寧な仕草で、布に糸が置かれていく。ちいさな手が優雅にすら動くのを感心して見つめながら、妖精は角砂糖にさくりと歯を立てた。ロゼアの夜会服なのだという。ソキがすきすきの刺繍をするので貸してください、とねだって預けてもらったものであるのだという。物も言えずに呆れた気持ちで角砂糖を平らげ、専用のちいさなカップをぐびーっとばかり仰いで飲んで。妖精はハリアスに視線を流しながら、ソキに向かって呟いた。
「アンタそれが、ひとりでしたいこと、なんじゃないの……」
「ソキはぁ、ロゼアちゃんのお膝の上で刺繍をするのがいっとう好きなんですぅー」
 ふんすと不満げに鼻を鳴らして主張され、妖精は一応の礼儀として頷いてやった。聞くんじゃなかった、という横顔を気にせず、ソキはちまちまと刺繍を刺していく。『花嫁』に対する教育は多岐に及ぶが、その中でも特にソキが真面目に取り組み、また今でもこのんですることが、この刺繍である。冬場になれば編み物もする。去年だって、ロゼアちゃんのお冬のまふら、と、手袋はソキが作ったんですよ、と自慢され、ハリアスは笑みを深めて肩を震わせた。
「そういえば、ロゼアくんが授業から戻ってくるまでに、こっそり完成させておくです、って頑張ってましたね。……そっか。よかった」
『アンタね、教えておいてあげるけど。ソキのそういう所は心配するだけ無駄よ? なんか最終的に全部ロゼアだから。腹立つ』
「んん? ……あ! リボンちゃんの、ぱてぃーのお服にも、よかったらソキが刺繍をしてあげるんですよ?」
 ねえねえ今年もソキと一緒にいてくれるですよね、とうきうきと求められて、妖精は当たり前でしょうと頷いてやった。エスコート役は一年目の特権であるが、二年目以降も、やりたければしていいのである。きゃっきゃと喜んで、ソキは香草茶を口にした。ちょっぴり放置してしまったのだが、嫌な苦みを感じさせることなく、ほんのりと甘い花の味が溶け込んでいる。おいしいです、とほわりと息を吐き、ソキはちらっとナリアンを見た。
「ナリアンくんも、今年もニーアちゃんと一緒です?」
「うん。もちろん」
「ハリアスちゃんは、メーシャくんと一緒?」
 そのつもりです、と頷くハリアスに、ソキは満足そうにふにゃふにゃと笑った。なぁに、嬉しそうな顔して、と目を和ませる妖精に、ソキはだってぇ、と甘えた声で言う。
「一緒なのは嬉しいです。ロゼアちゃんは……聞いてなかたですけど、シディくんが来るです? ルノンくんは?」
『さぁ……。シディもルノンも、ほっといても顔は出しに来ると思うけど。っていうか、アタシはそれでいいけど。アンタ、ロゼアと一緒じゃなくていいの?』
 それこそ、ロゼアちゃんにえすことしてもらうですうぅきゃぁんやぁんはううぅっ、と大騒ぎするものだとばかり、思っていたのだが。訝しげに見つめる妖精のまなざしに、ソキはなにを言われているのか分からない、という風に首を傾げて見せた。
「ロゼアちゃんとは、一緒にいるですよ? もちろんです」
『そうじゃなくて。ロゼアにエスコートしてもらったり、ロゼアにダンス頼んだりしなくていいのかってことよ』
「ろぜあちゃんに?」
 えっと、えっと、と。告げられた言葉の意味をゆっくり、ひとつひとつ考えて、拾い上げる呟きが零れて行く。ああ、これは分かってなかったのね、と見守っていると、ぽんっ、とばかりソキの顔が主に染まる。ぺちっ、と音をたてて頬に両手が押しつけられた。え、え、と言葉と共に瞬きが繰り返される。
「し……」
『し? しんじゃうかもしれないです? 安心なさいそうなる前にアタシがアイツをぶちころすわ』
「リボンちゃんはすぐそういうことしようとするです! いけないと思うです! 違うです!」
 そうじゃなくて、そうじゃなくて、ともつれる舌をなんとか動かして。ソキは不安げに、ハリアスとナリアン、妖精の顔を、そろそろと伺って呟いた。してもらってもいいの、と。あぁ、と語尾を跳ね上げ脅すような声で問う妖精に、ソキはだってだって、と訴えた。
「そんなの、考えたこともなかった、です……。リボンちゃんが来てくれると思ってたですから、ソキはリボンちゃん……え、え? えっ? ロゼアちゃんでも、いいです? ロゼアちゃん、ソキのえすこと、してくれるです?」
『気が変わった。アンタはア・タ・シ・が! エスコートするんだから! あんなのに頼むな!』
「うん……! そうするです。リボンちゃん、お願いするです……」
 なんで素直に頷いたんだろう、と訝しんで妖精はソキを睨みつけた。てっきり、やんやんソキはロゼアちゃんに頼むですうー、だの、リボンちゃんはすぐそうやってロゼアちゃんをいじめるです、だの、大騒ぎすると思ったのだが。頷かれるのは良いこととして。今日は予想外の反応ばかりをする。ソキ、と妖精の呼びかけに、碧の目が向けられる。うっとりと。とろけそうな色をしていた。あのね、と囁かれる声は甘く。期待に満ちてふわふわしていた。
「考えたですけど……」
『なによ』
「これはもしかして、ちゃんすなのではないですか……!」
 ソキはリボンちゃんにえすことしてもらう、というのをロゼアちゃんに言うです、とソキのうきうき計画が発表されていく。
「ロゼアちゃんは、なんで俺じゃないの? って言うです。ソキは、ロゼアちゃん、ソキのえすこーとしたい? って聞くです。ロゼアちゃんは、したい、て言うです。したい、です。これが大事です。ソキがしてして、なんじゃなくて、ロゼアちゃんが! ロゼアちゃんが! ソキのえすことをしたい! これです! これですうううはうううはううぅふにゃぁんきゃううぅーっ!」
『ちょっと待ちなさい! アタシを! あて馬に! 使うなっ!』
「もしかしてー! 壁どんー! をされてー! 俺がするんだろ? って迫られちゃうかもですうううっ」
 一瞬でしんだめになった妖精が、額に手をあてて沈黙するハリアスに、重々しい声で問う。
『コイツなんの本読んだの』
「……いま、その……ちょっと強引な感じに求められる恋愛小説が流行していて……ですね……?」
『ソキは閲覧禁止処置にしなさいよ。悪影響しか出てないわ』
 今日中に、いえ、いますぐに女子長に回覧板の申請をします、と言って立ち上がったハリアスの隣で、はぅ、はう、とソキは幸せな妄想で呼吸困難になりかけている。それじゃあね、ソキちゃん。お茶をどうもありがとう、と囁いて退室しようとするハリアスに、ソキはぱちくり目を瞬かせた。
「ハリアスちゃん、もう行っちゃうの? ソキかナリアンくんに御用があったんじゃないです?」
「用ができたの。それに……」
 ソキちゃんの声がして。なにかな、と思って覗きこんでしまっただけだったんです、と笑うハリアスに、ソキはにこにこと頷いた。気にしてもらえるのは、とっても嬉しいことである。ハリアスちゃんまたね、と手を振って見送り、ソキはうきうきと香草茶を口にした。ロゼアが今日の部活から帰ってきたら、きっと言おう、と思う。かんぺきなけいかくである。こくんこくんとお茶を飲み、ソキはこてん、と首を傾げた。
「……あれ? ナリアンくん、どうしたです? 頭が痛いの?」
『そっとしといてやりなさい。刺繍の続きはしなくていいの?』
「あ! 続き、するです。んしょ、んしょ……リボンちゃんの刺繍はどんなのにしようかなぁ。あんまりお時間がないですから、とっても複雑なのは、ちょっぴり難しいかもです……リボンちゃん。今年は、どんなおふくを着てくるの? 去年みたいな格好いいリボンちゃん? それとも、今年はかわいいリボンちゃんです?」
 どっちの、どういうお色の、どういう生地のお服かで刺繍の図案を決めるです、と楽しそうなソキに、妖精は思案した。去年男装していたのは、ソキのエスコートを完璧にやりこなし、かつ惹き立て、こころゆくまで自慢する為に他ならない。一回見せびらかしたので、別に今年はしなくても良いのである。さりとて、ソキをエスコートするのであるから、相応の服ではあるべきだ。アンタなにを着る予定なの、と尋ねられて、ソキはんっとぉ、と自慢する口調で言った。
「ロゼアちゃんが準備してくれるですから、ソキは着せてもらうの待ってるです!」
『あーああぁあああー! そうよねそうに決まってたわよね! ちくしょうロゼア! ほんと腹立つ!』
 アンタたまには自分で着る服くらい自分で選びなさいよっ、と怒られて、ソキは不満に頬をふくらませた。ソキのお服を選ぶのはロゼアちゃんの大切で大事なおしごとなんです、しないのは職務怠慢というやつです、と言い聞かせる。妖精は無言で浮き上がり、ソキの頬にひざ蹴りを叩きこんだ。



 リボンちゃんがソキのえすことをするんですよ、と言ったら、そっかよかったなソキ、リボンさん好きだもんな、うんっ、あれ、で会話が終わって計画が頓挫したので、ソキは談話室のソファの上でぺっしょりしょげていた。こんな筈ではなかったのである。もちろん、ソキは自分の案内妖精のことがとってもとっても大好きである。妖精が怒ったように、あて馬にしようとしたことは、ちょっぴり申し訳ないとも思うのだが。しかしこんな筈ではなかったのである。ロゼアは妖精への嫉妬にめらめらして、エスコートは俺がするんだろ、とソキを求めてくれる筈だったのである。読んだ小説はだいたいそんな風だった。
 参考にしていた小説は、なぜか昨日からソキだけ閲覧禁止になり、ぴょこぴょこのびいいいっとしても手の届かない、棚の高い位置に一式移し返されていた。げせぬ。
「うまくいかないです……。昨日の夜だってだめだったです……」
 スピカにうまく行く方法を聞いたので、翌日から、ソキはちゃんと実行してみせたのである。お風呂で隅々まで体を磨き、肌はしっとりなめらかに、髪の毛はさらさらのツヤツヤに、ぎゅっと抱きしめると良いにおいがするように、さらには夜着は脱がせやすいようなのを選んで着せてもらって、よし寝るよ、と声をかけられたので、準備万端言ったのである。
「ソキはロゼアちゃんのなんですよ?」
「……うん?」
「ソキはロゼアちゃんのになるです。わかったぁ?」
 よしこれで大丈夫です、と思ったのに。ロゼアは幸せそうに笑みを深めて、うんそうだな、と言ってソキを抱き寄せ。ぎゅ、と抱きしめて。手際良く寝かしつけた。気がついたら朝である。とっても気持ちよく、ゆっくり、たくさん寝てしまった。ロゼアがぎゅっとしてくれると、気持ちよくて、ソキはすぐ眠ってしまうのである。大失敗だった。しかしソキは諦めなかった。次の日も、その次の日も、昨日だって、いいですかソキはろぜあちゃんの、ろぜあちゃんのなんですよぉ、と言い聞かせたのに。ロゼアはなんだかとても幸せそうに笑うだけで、ソキが望むように触ってくれたり気持ちいいのをしようとはしてくれないのだった。
 あれはもしかしたら、スピカがディタに言うから効果があったのであって。ロゼアにはうまくいかないのかも知れない。がっかりですぅー、としょげかえった声でソファでころころしていると、あれ、と不思議がる声がかけられる。
「ソキ、ソキ。なにしてるの? 授業じゃないの?」
「あ、おにいちゃんです! ……間違えちゃったです。せんせい、です。ウィッシュせんせい、こんにちは、ですよ」
 一時間目は先生が振られて傷心の為に自習になったです、とソキが示すお知らせのコルクボードには、言った通りの理由が書いてある。ウィッシュはなんとも言えない表情でその文面を眺めた後、それでなんか人が多いと思った、と言って対面に腰を下ろす。ソキはきょときょとしながら身を起こし、どうしたの、と呟いた。
「今日、実技授業だったです? ソキはすっかり忘れていたです……?」
「ううん、違うよ。ストルが『学園』に戻って来ただろ。俺はね、ストルの顔見に来たの。元気かなって」
 新入生から遅れること、約二ヶ月。ようやく謹慎処分を終えたストルは、今週から教員として『学園』に姿を現していた。遅れた分も頑張らないと、と告げるメーシャは喜びを隠せない様子で、自習が分かるや否や、ストルの元へ走っている。ナリアンとロゼアは受けている授業自体が異なった為に影響はなく、今は黒魔術に関する講義の最中である筈だった。今はメーシャくんが一緒にいる筈ですよ、とソキが教えると、だよなぁ、とウィッシュは、なぜか困ったように頷いた。
「なるべくひとりきりの所を狙いたいんだけど……。ソキ、協力してくれない? メーシャ連れ出して?」
「いやなよかんがするです。ソキは聞こえないふりをします」
 悪事に加担してはいけないのである。こっくりと頷いたソキに、ウィッシュはそこをなんとか、と手を合わせてきた。
「ソキー、おにいちゃんのお願い聞いてよー! リトリアから手紙託されてるんだよー……! お兄ちゃんのお願い、聞いてくれたら、一緒にマシュマロ買いに行ってあげるから……!」
「ましゅまーろーっ!」
 マシュマロ。それはもちもちのふんにゃりで甘くってとっても素敵な『花嫁』『花婿』の大好物である。ただし、なぜか、『傍付き』が与えてくれないお菓子、不動の第一位を飾り続けているものだった。食べて、どうなる、という訳ではないのに。ちたたたたっ、と大慌てでソファに座り直し、ソキは忙しなくあたりを見回した。ロゼアは授業中である。聞かれていない。よし、と頷き、ソキは真剣な顔でウィッシュを見た。
「ましゅまろー……! どこへ買いにいくです……?」
「星降の場内売店で売ってるんだって。リトリアが教えてくれた。リトリアが教えてくれるものだから、味は保証されてるよ。俺ね、ストルに手紙を届けたあとに、星降にも行かないといけないんだ。手紙配達係だから。ソキが手伝ってくれたら、課外授業って言って、一緒にお城まで行けるんだけどな……?」
「ソキはなんだか急にメーシャくんに会いたくなったです」
 すっくとソファから立ち上がり、ソキはウィッシュと一緒に教員棟へ向かう。ストルの部屋を覗き込み、メーシャを呼びだしてあたりをてちてち散歩して帰れば、それでウィッシュの用事は終わっていた。ふたりきりで渡してね、お願いね、という指定つきの手紙であったらしい。差出人の名は、リトリア。現在は白雪の国で身柄預かりになっている、ストルの愛しい少女である。なにやら顔を赤くして壁にもたれているストルの手には、開封された手紙があった。よかったですね、先生、と師の幸福を喜ぶメーシャをあとに残し、ウィッシュはよし次ー、とほのぼのとした声で言う。
「ついでだから、ソキも来る? こっちは、別にふたりっきりで渡してね、とは言われてないから。一緒においでー」
「ストル先生のは、どうしてふたりきりでー、だったんです?」
「ストルは謹慎も監視も終わってるからね。もうひとりは、監視が解けてないから。ふたりきりで、っていうのが無理だから、あえて言われなかっただけじゃないかなぁ……? どっちも内容が検閲済みとはいえ……人がいる所で渡したくないし、読んで欲しくないし、だと思うよ。俺はただの運び屋さんで代理人だもん」
 ほんとは自分で渡したかったと思うよ、と告げるウィッシュに、ソキはこくりと頷いた。どんな内容であるかは分からないが。リトリアの気持ちは、なんだか、分かるような気がした。そこに込めたのが想いなら。そっと、ひとりだけに届けたい。
「……あ、そうだ。だから、パーティーの時にリトリアに会えるよ、ソキ」
 気晴らしに。白雪の女王陛下が苦心して、リトリアの特別外出をもぎ取って来たのだそうだ。差し出された手紙は夜会での、踊りの誘い。一緒に踊って下さい、っていうお願いなんだよ、とストルの様子を思い出して笑い、ウィッシュはソキの手を取って『扉』へと歩いた。星降の城へ続いて行く『扉』。ついて歩きながら、ふと、なぜか聞いておきたくて。ソキはもうひとつは、と息を吸い込んだ。
「誰に、なんの……お手紙です?」
「ツフィアに。エスコート頼むんだって」
「……ツフィアさん?」
 言葉魔術師。未だ軟禁されるそのひとへ。外に出してあげて、という嘆願書も兼ねた手紙を携えて。ふたりは『扉』をくぐり、星降の城へ足を踏み出した。

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