前へ / 戻る / 次へ

 月日はゆるやかに、またたく間に過ぎていく。
 妖精はソキの部屋に置かれた暦表を眉を寄せながら見つめ、溜息を吐きそうになる唇を指先で抑えた。十月、である。夏至の日の、二月ほど前。四月の末、ソキとはじめて巡り合ってから、もう半年が経過していた。あっという間の半年で、妖精は改めて確認した暦表を何度か見直すくらいであったのだが。
 それにしても。
「……ようせいちゃ? ねえねえ、どうしたですー? よーうーせーいーちゃぁーん」
『ソキ。あの……あのね、あのね……』
 正直、眩暈がして言葉を繋げることができない。半年。確かにその間、妖精も言い出さなかったし、不自由はなかったのだ。今も、ソキにはそれを不便がる様子もなく、寝台の上に座り込んで目をぱちくりさせている。同情に満ちたまなざしで沈黙している鉱石妖精は、あえて叱るつもりも、助けるつもりもないのだろう。
 慰めるように肩を撫でられて、妖精は羽根をぱたつかせ、鉱石妖精の体を押しやった。触れられることに悪感情はないが、ソキの見ている前ですると、きゃぁっと声を上げて顔を赤らめ、きらきらした目で見つめられ都度誤解が加速していくので、謹んでほしい。
 案の定、妖精が視線を落とした先、ソキは顔に両手を押し当て恥ずかしげに目元を隠している、と思いきや、思い切り指が開いた状態で好奇心に満ちた瞳を妖精たちへと向けている。やっぱりきゃぁんです、ソキには分かっちゃったです、とふんふん興奮した様子で呟かれるのに、眩暈がひどくなった。瞬きをする。
 意識があっちへこっちへ逸れやすい幼子であるから、放置しておけばひとつ前の質問は思い出されないだろう。だからこそ、誤解を今日こそどうにかすべきか、口をついて出た疑問に答えるかをしばし、考えて。妖精は深く、深く息を吐きながら、ソキの目の高さへと舞い降りてやった。
『……なまえ?』
 口に出すと、中々心に来るものがあった。ソキは目をぱちくりさせ、こて、と首を傾げかけて。自分で質問したことを思い出したのだろう。あっ、ああぁーっ、とびっくりしたような声を出して、手をぱちんと打ち合わせた。そうです、そうです、そうなんですううっ、と興奮した蜂蜜色の声が、秋口の空気にほわほわ漂っていく。
「あのねぇ、シークさんに教えて頂いたです! 妖精ちゃんには、じつは、お名前があるです! ソキにぃ、教えてくれなくっちゃいやいやんですうう!」
『……あなた。あの魔術師と、親しいの?』
 定期観察に来るなり、前置きもなく妖精ちゃんのお名前なぁに、と問われたのでなにが起きたのかと思ったのだが。砂漠の国の愉快犯魔術師の仕業であったらしい。城で顔を合わせた時には、まだ反省札がくっつけられたままだったので、『お屋敷』との関係は未知数である。
 ソキが顔を合わせて会話もしたとなると、悪化した、とは考えにくかったのだが。ソキは、あっ、と声をあげて、ぱっと両手で口を塞いでしまった。
「しまったです……。ないしょ、ないしょのお話だたです……シークさんとソキの、ふたりの、ひみつー、というやつなんです……。おしゃべりしちゃたです。どうしようです……!」
『あ、待って。待って。嫌な予感しか? しないわ?』
「ようせいちゃ? よーせいくんもぉ、ないしょ、ないしょ。しーですよ。しーっ!」
 くちびるをつん、と尖らせ、言ったらだめだめっ、とあいらしく求められる。絆されてしまう、抗いがたい魅力に苦笑しながら、妖精たちは寝台を閉ざす天蓋の、垂れ下がる薄布の向こうを見た。そこへ人影を落とすようなうかつなまねは、せず。けれどもひしひしと、ロゼアの不機嫌が伝わってくる。
 しぃーっ、と言い聞かせてくるソキの人差し指をそっと撫でながら、妖精はいっそ哀れむような気持ちで、幼子へ問いかける。
『シークとは、どこで会ってなんの話をしたの……?』
「なぁーいーしょぉー、な、ん、で、すぅー。ソキとぉ、シークさんはぁ、ひみつのなか、なんでぇ、夜に眠るとお会いできるんだもん」
 内緒と秘密という言葉の意味を見失いかけながら、妖精は力なく、そう、と呟き頷いた。夢渡りか、あるいは別の魔術による影響だろう。まったく、いくら安定しているとはいえ、『学園』にも行かない未熟な魔術師に対してなにをしているのか。妖精は息を吐き、額に手を押し当てた。
『その秘密は悪いことよ。いけない子。……ロゼアに怒ってもらわないといけないかしら?』
「ああぁあー! やーっ! やうー! やううううっ! ロゼアちゃんにないしょっ、なぁいしょぉーっ!」
『……じゃあ、私にはそっとお話できるわね? 大丈夫よ。私は、ロゼアには言わないわ』
 ただし、シークには文句を言うし当然のように砂漠の王宮魔術師にも注意するし、王にも報告はするのだが。ソキは疑いというものを知らないような素直さでこっくりと頷き、じゃあ妖精ちゃんにはないしょを言うです、と呟いている。妖精たちは不機嫌が漂ってくるあたりをそろって眺め、目配せをして頷きあった。
 妖精は、ロゼアには言わない。鉱石妖精が伝えるだけである。紙と万年筆さえ借りられれば、書き文字は、魔力なくとも読めるものだ。あとで筆記具を貸してくださいね、と鉱石妖精の求めに不思議そうにしながらも頷き、ソキは好奇心にめいっぱいきらめく瞳で、あのねあのね、とこしょこしょ、妖精たちへ囁いた。
「あのね、眠ったんですけどね。ソキは知らない場所にいてね、とってもとっても困っちゃたです。だからね、ソキはけんめいにロゼアちゃんロゼアちゃんどこどこぉ? って言ったです。知らない場所で動くのいけないです。だからロゼアちゃんを呼んだです。ソキえらいでしょぉ? ほめて?」
『……え? これはもしかして説明がはじまってるの……?』
 そして、褒めないことには続きが聞けない仕様である。寝台の上で褒めてほめてと自慢げにふんぞりかえるソキをなんともいえない気持ちで見つめ、恐々と、妖精はああうんそうね偉いわね、と言ってやった。唖然とする気持ちが強く、全く気持ちがこめられなかったのだが、言葉だけでも向けられたことでよしとしたのだろう。
 ソキは満足げにふすんっと鼻を鳴らすと、それでねえ、と語りだした。
「ソキはけんめー! にぃ、ロゼアちゃんどこどこぉお迎えに来てくださいですソキはここにいるですうロゼアちゃぁああーって呼んでたんですけどぉ、そしたらね、せっかく眠っているものをそう呼んで起こすものじゃないよって」
『……言われたのね? シークに?』
 そうなんですぅ、と説明ができたことにこの上なく自慢げな顔をして、ソキはこっくり頷いた。妖精は額に手を押し当てて沈黙し、半ば絶望的な気持ちで首を振る。シークがどうこう、ではなく。ソキの説明能力の、あまりの低さに。事前に夢の中で対面していた、という情報を持っていて、なお分かることが殆どない。
 なにをどう聞いていけば推理に足る情報を引き出せるのかも分からない妖精の傍らで、鉱石妖精がなるほど、と呟いた。
『やはり、ロゼアは魔術師なんですね。彼の目から見ても』
 その情報だけは知りたくなかった。頭を抱えたまま、やわらかな寝台の上にぼとりと落下した妖精に、ソキのきゃんきゃんはしゃぎきった声が聞こえてくる。そうなんですぅだからねでもねロゼアちゃんにはまだないしょなのっ、とちからいっぱい鉱石妖精に主張するソキに、内緒ごとは声を潜めなくては意味がないという概念は存在していないに違いない。
 おまけに、鉱石妖精の声はロゼアに聞こえていないので、ソキがないしょではしゃいでいるようにしか受け取れないだろう。妖精はそろそろと顔をあげて布の向こうをうかがい、そっと微笑んでなにも感じ取らなかったことにした。拗れている砂漠の魔術師事情にも、ロゼアの不機嫌極まりない感情にも、首なぞ突っ込んでたまるものか。
 心を無にして、妖精はソキを確認することに集中した。鉱石妖精が手を変え品を変え、あらゆる角度からソキの夢を詳しく語らせようとしているので、それを任せることにして。ふわふわ、あっちへこっちへ飛んでいくソキの説明をなんとか繋ぎ合わせると、砂漠の城でシークに会った次の日から、ほぼ毎日、その夢を見るのだという。
 場所は、砂漠の城のどこかであるような、ソキの眠る部屋であるような、全く見知らぬ場所であるような、覚えがあるようなないような所。夢とは往々にしてそういうものであるから、妖精たちは特にそれをおかしいとは思わなかった。問題はそこでソキがシークに会い、いらぬ知識をあれこれ仕入れてはひみつひみつと楽しそうにしていることである。
 話をする、のだという。魔術師についての講義かと思いきや、そういう話題は殆どなく。ソキがまず聞いたのは、わるいひとの、わるいことは、なにがわるいのか、ということであるらしい。あなた相手に分かるようにも質問しなさいよ、と、つい口を挟んでしまった妖精に、頬がぷくっと膨らんだ。
 シークにはそれで伝わったらしい。決められた、いけないと言われていることをするから悪いひと、なのだそうだ。具体的にはなにも告げず。その説明だけをして、シークはくるくる話題を変えて、ソキの興味を他へと移した。つたない説明でもそう感じ、妖精は息を吐き出す。
 交わされる言葉は他愛ないものばかり。それでいて慎重に、魔術師の秘匿とされることは隠され、幼子の好奇心を上手に満たすことばかりだった。魔術師がいつもなにをしているのか、お休みの日はなにをしているのか、どんな本が好きなのか。たくさん教えて頂いたです、ときらきらした目で、こうふんして、ソキはそれを鉱石妖精に語った。
 シークは、ソキが聞くことをなんでも教えてくれるのだという。そのなんでも、が質問の正確な答えでないことは、上手に誤魔化されていて気がついていないに違いない。鉱石妖精が疑いをもってしっかりと問いただしても、砂漠の愉快犯王宮魔術師の言葉は毒にも薬にもならず、ただ幼子を楽しませる以上のものにはなっていなかった。
 夢で会うのも、言葉を交わすのも、秘密。その約束がなければ。
「それでぇ、なんで妖精ちゃんを妖精ちゃんって呼んでるの? って聞かれたです。妖精ちゃんがかわいーから、ちゃんなんですよって言ったです。妖精くんは、妖精くんだもん。それでね、ソキの妖精ちゃんはとっても素敵に飛ぶんですよって自慢をしておいたです。そしたらね、シークさんね、うーんって考えて名前をつけなかったんだねって。あのね、妖精さんには本当の名前、というのがあってね、でもでもお迎えに行く魔術師さんがつけるお名前もほんとうはあるです」
 ソキはそんなの知らなかったです、とぷっと頬を膨らませて拗ねられて、妖精は思わず苦笑した。その習慣を、告げなかったのは事実だが。
『……本当は、というか。だってあなた、わたしをずっとそう呼ぶでしょう? 特別困ったりもしなかったでしょう?』
 そして、妖精本人も。呼び名に対する強い希望があった訳ではなく。結果として呼び名は『妖精ちゃん』という響きで固定され、以後、半年。話題にされるのも今更の気持ちが強かった。やぁあんおなまえつけるうう、とだだっこそのものの声で、ソキはちたちた手足を動かし、妖精をじぃっと見つめた。
「おなまえ……ソキの妖精ちゃんのおなまえ……!」
『あのね? 残念なことだけど、呼び名は『妖精ちゃん』で浸透しているのよ……』
「ぷっ! ぷぷぷぷぷぅっ! 妖精ちゃん、どうしてソキにおなまえつけてていわなかたですか! ゆゆしきことですううぅ! たいだというやつじゃないのですううう!」
 怒られても、なにせそう呼ばれ始めて半年である。妖精にもどうすることもできないのだ。それくらい、案内妖精と魔術師の結びつきは強いものである。それに、考えてみればそんな話題を出す暇もなかった。なにせ案内妖精として魔術師の告知をした数秒後には、ロゼアちゃんソキねえまじちしさんになったです、と報告されたからだ。
 そこからは怒涛だった。なにが起きたのか詳しく思い出せないし、思い出したくもない。主にロゼアが怖かったせいで。入学手配が間違いだったことですこし落ち着いたが、そこから、名前をつけて、なんて言い出せる雰囲気になることは、終ぞなかった。それに、ただの呼び名である。妖精としての名ではないので、こだわりもない。
 だから別に今まで通り『妖精ちゃん』でかまわないのよ、と告げると、ソキからは猛抗議が、鉱石妖精からはやや駄目な子を見守るまなざしを向けられた。いやんいやいやおなまえつけるううっ、とちたちたしているのに、はいはいそうね残念だったわね今からは難しいからもう諦めましょうね、と言い聞かせた。
「んー、んんーっ……! じゃあ、じゃあ、妖精くんのおなまえかんがえるぅ……!」
『考えてくれるのは嬉しいですが、名前をつけて呼んでいただいても、反応できないと思います』
 ソキの案内妖精ではないからである。ぶんむくれたソキは寝台をころころ転がりだし、端から落ちかけた所で、待ち構えていたロゼアが抱き上げた。ソキはふんがいしながらロゼアにぎゅむっと抱きついて、あれこれとなにかを訴えている。その、体力がつきかけて眠そうな声に苦笑しながら、妖精は寝台から浮かび上がった。
 なるべくロゼアの視界を避けてソキに寄り、また明日ね、と耳元へ囁く。こくんと頷いたソキがロゼアにくっついてうとうととするのを見守り、妖精は砂漠の城へと飛んだ。眠っている相手に夢で会う為には、術者もまた、眠らなければならない。けれども今は日中。昼寝の習慣を持たない魔術師は当然起きている筈である。
 どういうことなのかを問いただすには、絶好の機会だった。



 へいかへいかシークがよーじょにちょっかいだしてますへいかへいかあぁああっ、というフィオーレの叫びが砂漠の城に響き渡って、しばし。妖精はなんともいえない顔で、集まった魔術師たちを見下ろしていた。場所は王の執務室である。そうであるから当然のように、砂漠の王そのひとも室内にはいた。
 筆頭に愉快犯と名高いジェイドを、筆頭補佐にこちらも愉快犯そのものであるシークを得ている為に、今日も砂漠の王の顔色は悪かった。お前いい加減にしろよほんっといい加減にしろよって昨日も一昨日もその前だって言ったよなほんと聞いてねぇよなふざけんなよお前さぁ、と胃の痛みで青ざめた顔で、延々と不機嫌に呻いている。
 そんな状態の王を正面に。周囲を陛下ほんとごめん止められなくて、と反省している同僚たちに取り囲まれ、ばーかばーかっときゃんきゃん叫んでかみついてくるフィオーレを横におきながら、ちっともこれっぽっちも反省した様子がなく。ふあぁ、とのんきに欠伸さえしながら、シークは悪戯っぽい微笑みで、主君の顔をのぞき見た。
「胃薬、飲みました?」
「お前誰のせいで俺が毎日毎日胃薬と頭痛薬の世話になってると思ってんだよお前だよお前お前このクソ愉快犯無断進入その他諸々だけでもなんでだよ意味わかんねぇよとは思っていたけど反省しない上に幼女に手を出すとかなんなんだよ相手の同意は得てでのことだろうなそうじゃなかったら斬首すんぞ斬首あああああもおおおおどこの家のなんていう名前の幼女だよ言ってみろシーク!」
「いけませんよ、陛下。ボクが胃痛担当だとしても、頭痛担当はジェイドでしょう? 責任をボクひとりに押し付けないでください」
 コイツなんで俺の国にいるんだろうくじ引きで俺が当たりひいたからだよ知ってる、と過去の運の良さを心底悔やみきったまなざしで、砂漠の王が胃の辺りを手で押さえ、動かなくなった。それを心底幸せそうなゆるんだまなざしで見守り、ほう、と満足しきった息を吐き出して、シークは機嫌よく口元を和ませる。
「ふふ。あ、言っておきますが陛下? 誤解ですよ、誤解。手は出していません」
「……手以外のなにを出したか言ってみろよ」
 へいかへいかこいつはんせいしないわるいやつ、ぜんぜんはんせいしないわるいやつっ、ときゃんきゃん訴えるフィオーレにうるさいと耳を手で塞ぎながら、砂漠の王はうんざりしたまなざしをシークへ向けた。それにシークは、顔色が悪いですね、と心配ではなく嬉しそうな呟きを落として。やんわりと目を細めて、笑った。
「それに、手を出されたのはどちらかといえばボクの方だ」
「わかったもういい。これ以上俺の胃が痛くなる前に斬首だ斬首誰かシークの体押さえてろ」
「はいはい、ちゃんと説明しますよ。もう」
 最近の陛下は気が短くていらっしゃる、と残念がられて、砂漠の王はお前らのせいだよ理解しろよと頭を抱え、えずくように呻いた。
「知ってのとおり、ボクは言葉魔術師だ」
 声は。言葉は。なにか不思議な風合いを持ち、凛として響き渡った。一瞬にして空気を染め替え、室内からざわめきが、音という音が消し去られる。気圧されたように黙り込む魔術師たちの中。知ってる、とつまらなさそうに返す王の声だけが響いた。普段通りの声だった。王の声だった。
 それに、確かに救いを得ているように。機嫌よく、シークはにこりと微笑んだ。
「言葉魔術師に関しての文献は殆どが消失し、そして今を生きるボクは自分の能力、適正、様々な詳細を語らない」
「知ってる。……それが?」
 なんの関係があるんだ、と睨む王に苦笑して。シークは己の首と、呼吸を繰り返す胸の上に、そっと手を押し当て。目を伏せて。くるしく、祈るように囁いた。
「言えるかな。……お願い、頼むよ。すこしだけ」
「……シーク?」
 ふ、ふ、と笑うように。かすかに、くるしく、笑うように。息を繰り返して。一度だけ強く目を閉じ、シークは己の王を見て言った。
「……言えない。話せない、んですよ、陛下。ボクたち言葉魔術師は、その言葉を……語る権利を、奪われている」
 むかしむかし、予知魔術師が。ボクたちを守る為にそうしてしまった。泣きそうな声で呟き、乾いた咳を一度だけ、して。シークは喉を手で押さえて、眉を寄せた。
「駄目か。もう話せない。……まったく。まあ、そういうことなのでね、陛下。ボクがおはなししないのは、拒否しているわけでも、怠惰だからでもないことをご理解ください」
「……魔術的な制約がある、ということか?」
「魔術師の適正としての条件付け、と考えていただくのが一番分かりやすいかと。白魔術師は、星を読み解けない。占星術師のようには、ね。それと同じで、ボクたちはそれについて、語る言葉を己の身に持たない。その権利は譲渡されている。本当なら、これくらいのことも伝えられないくらい」
 禁忌の輪郭をなぞるように。言葉は選ばれ、ゆっくりと紡がれていた。時折、くるしげに息を止めて、眉を寄せて。
「まあ……それを踏まえた上でね、陛下。話を戻しますけど……予知魔術師と言葉魔術師の間には、特別なものがある。魔術師の適正としてもそうだし、対となるような存在としての、予知魔術師というのが存在しています。それがね、陛下。ソキちゃんです」
「……それで、幼女にちょっかいだしたのか?」
「うん、陛下? その疑いからいったん置いといてくださいね。出してないとは言いませんけど」
 まったく君があんなに騒ぐから陛下が疑ったままだよ困ったねぇ、とやや反省しているフィオーレにからかう声を向けて。シークはくすくす笑いながら、つまり彼女は特別なんですよ、と言った。
「言葉魔術師としてのボクにとって、彼女は待ち望んだ……予知魔術師、という存在そのものだ。だからね、陛下。まあ、事故のようなものです」
 引きずり落とされたのだ、とシークは言った。夢渡りの術を持つ占星術師が、時折、意図せぬ所で己の意識を誰かの夢へ繋げてしまうように。恐らくそれは意図したことではなかったのだろう、と。身に宿す魔力故に。ソキは自分の夢の中で迷子になって、そこへシークを呼び込んでしまったのだ。
 魔術師としての、一組。言葉魔術師の為に用意された、予知魔術師であるからこそ。たすけて、という意思がまっさきに届いてしまった。はきと顔を合わせた日の夜に。それから、夜ごと。眠るたび。なにを気に入ったのだか、ソキは無意識に呼ぶのだという。だから、おはなししに行ってあげているだけだよ、とシークは告げた。
 無害さをまるで信じていないまなざしで、やや引き気味に、砂漠の王が呟く。
「シーク、お前……幼女と楽しくお話するような社交性あったのか……」
「ボクほど社交性にあふれる魔術師なんて、たまにしかいませんよ?」
「お前の社交性ってあれじゃねぇか……。わーい知らないひとだ泣き顔見たいな、っていう歪みまくった興味関心じゃねぇか……。泣かすなよ」
 泣かしませんよ、とシークは言った。晴れやかな笑顔だった。今はまだ、という但し書きがつくことを。その場の誰もが知っていた。



 あのこに影響はないの、と妖精は聞いた。秋口の夕暮れ。そっと肌を冷やしていく風の過ぎる、渡り廊下のただなかで。男の周囲に誰もいなくなったことを確認してから、口を開いた。シークはするりと視線を持ち上げて妖精を見て笑み、なにも言わずに歩き出す。ゆっくりと夕暮れの中を歩いていく。その背を追って飛ぶ。
『……ねえ、聞いているの。答えて』
「ない、とは。言ってあげられないよ、残念ながら」
 分かっているはずだろう、とやさしく憐れむように。言葉は響いた。男は立ち止まらず、それでいて早足になることもせず、ゆっくりゆっくりと歩いていく。よちよち歩く赤子を見守りながら、ついて行くような速度だった。のんびりしきっている足取りにも、不審の目は向けられない。
 渡り廊下には誰もいなかった。男と、妖精たちの他に。
「でも、今はああするしかない。彼女が呼び込む魔術師として、ボクが最適なのさ。他ではそれこそ、君が危惧するような影響がでるだろうね」
 未熟な魔術師は、とにかく不安定だ。他に影響されやすい。ソキの現在の安定が、ただの規格外であるだけで。
「……呼び覚まされても困るしね」
 ロゼアのことだろう、と思いながらも、それについて問いを重ねることなく。言葉に迷いながら、妖精たちはシークの後を、とろとろとついて行く。ざわめきに満ちた王の執務室から離れる折に、シークが妖精たちを呼んだ為だった。知りたかったことに答えてあげられると思うよ、と男は言った。響かない声で。
 だから、ついておいで、と言われたので。妖精たちはぬくもりを避けるように、人のいない方へ進んでいくシークを、追いかけている。ひとり、ふたり、すれ違った。それだけだった。長い廊下を渡り終えても、角をいくつ曲がっても、いくつもの鍵を開け、いくつもの扉を開いても。そこには誰もいなかった。
『……ここは?』
 妖精の知覚をもってしても、来た道を辿れるかどうか不安になるくらい、奥まった場所で。ようやく、鉱石妖精がそれを訪ねた。ふ、とシークは笑って、ようやく、ひとつの扉の前で足を止める。ローブの袖口から出した鍵束が、硬質な音を立てて揺れた。
「一応、まだ城の中だ。……心配しないでも、陛下に許可は頂いてる。君たちを連れてくることもね」
『どういった役目を持つ場所なのですか』
「牢屋かな」
 気負わず。あまりにあっさりと、言葉が告げられた。知っている意味と違うのか、と妖精たちが戸惑っている間に、シークは鍵束の中からひとつを摘み上げ、おもしろくなさそうに弄りだす。
「ジェイドがね……。それはもうあまりに反省しなくて……反省しないだけだったら、ボクみたいに、お前またかよいい加減にしないと斬首だぞ斬首分かってんのかはい口先だけでもいいから俺に向かってごめんなさいって言ってみろそれができたらあとは俺がなんとかしてやるいいから謝れって言ってんだよ棒読みでも寛大な心で許してやるって言ってんだよはいごめんなさいって言ってみろ言えって言ってんだろしまいには泣くぞああああぁああお前泣き待ちすんなよふっざけんなてめぇ、とか怒られるくらいで済むんだけどさぁ……」
 妖精たちは無言で顔を見合わせ、親愛なる砂漠の王の安息を祈った。花園へ帰る前に、胃痛や頭痛が軽減するように祝福をかけて行ってもいいかも知れない。かし、とちいさな音を立てて最後の鍵が開かれる。扉に手を置いて、シークはゆるく息を吐きだした。
「……ちょっと殺意をねぇ……隠してくれなくて……」
『は? ……え、えっ……さつ、え、えっ?』
『ちょっと会っていいんですかそれ』
 鉱石妖精はすぐにでも飛び去れる態勢で、妖精を背にかばいシークを睨みつけた。シークは苦笑しながらもしっかりと頷き、ボクたちに対してじゃないからね、と告げる。
「大丈夫大丈夫。陛下に対して『お屋敷』の何人かを引き渡してください斬首するのでって言ってるだけで、反省してないだけで、冷静……ではないけど、うんまあ、特別こちらに攻撃してきたりはしないから。今のところ」
『なにか安心できる要素ありますかそれっ!』
「うちの陛下の可愛い所は、それでもすぐジェイドの真似しちゃう所だよね」
 砂漠の王が斬首だのなんだの言っているのは、つまりやらかした筆頭ジェイドの影響であるらしい。なにをどう言っていいのか分からない顔つきで沈黙する妖精たちの前で、シークは扉を押し開く。
「時間が解決してくれることを祈るよ、ボクはね。……彼はもう保護された。『学園』にいるからいつでも会える。今までとは違って。だから」
「許せって?」
「そうは言ってないよ。他にやり方があるんじゃないかって聞いてるだけだよ、ジェイド」
 開け放たれた扉の向こう。正方形の、がらんとした印象の部屋には、寝台と机と椅子があった。それしか置かれていなかった。男はそのどこにでもなく、窓辺に立って外を見ていた。入るよ、という声にどうぞと告げる言葉はそっけなく、視線は向けられない。扉を開けても、声を向けても、ジェイドはシークたちを振り返らなかった。
 妖精はすっと室内に入り、なにを見ているのかと窓の外へ視線をやり、ぞっとする。『お屋敷』の建物の一部。上空から見下ろせば密に咲く花弁の形をした、その特徴的な建物の尖塔を。ジェイドは、ずっと見ているのだった。言い知れないものを感じて震える妖精に苦笑して、シークは全く、と机に置かれた灯篭に手を伸ばす。
 火を灯しながら、問う。
「陛下にごめんなさいする気になった? 今なら棒読みでも許してくれるよ」
「俺は謝ったろ、シーク。ただ十五人ばかり指名するので斬首させてくださいっておねだりしてるだけで」
「十五人は多すぎるし、おねだりっていう可愛さでもないよ」
 もう、と珍しくも困った声を出すシークに、ジェイドはようやく振り返った。妖精たちにも気が付いたのだろう。
「……こんばんは。この間、会ったね」
 こんな所だけど、いらっしゃい、と。微笑む男は、特別におかしい様子もなく。だからこそ妖精は羽根を震わせて、問う言葉を胸の中で響かせた。あの夜。あの場所で。なにをしていたのか。聞けば後戻りが出来なくなる。そんな気がした。

前へ / 戻る / 次へ