白雪の女王は、言葉にならない呻きをあげて頭を両手で抱えたまま、ゆっくりゆっくりと執務机に横に倒れて動かなくなった。ソキの報告を聞くにつれ、はじめは微笑んで頷いていてくれたのが額に手を押しあて、天を仰ぎ、もう片方も増えて泣き声と乾いた笑いが溢れ、ついには動きが無くなった末の事である。
女王の夫君はその動きを予想しきっていたのだろう。頭を押さえる手が片方でなくなった時点で、夫君は片手に赤子を抱いてあやしたまま、てきぱきとした動きで机の上を片付けてひとつの小物すらそこから消していた。それから離席していたと思えばいつの間にか戻ってきていて、はいどうぞ、と穏やかな笑みでソキに茶器を差し出してくる。
湯気の立たない、たくさん話し終えた『花嫁』の喉をそっと潤すぬるまった香草茶を恐る恐る受け取るソキに、女王の夫君はあくまで穏やかな顔でごめんね、と囁いた。気を取り直して戻ってくるまで、すこしだけ待っていてあげてね。あれでちゃんと話は聞いていたし、いまもどうするか考えているはずだから。こくこく幾度も頷いていて、ソキはぬるまった香草茶に口をつけた。
はふ、とひと仕事終えた息を吐くと、いまひとつ納得の行かない表情で妖精がよろよろと降りてくる。寄こされる視線が、なんでいつもはああなのに説明っていうものが出来てるのかしら、もしや普段は思考からサボってるだけなのかしら、とソキに不都合な疑いを抱いていたので気にしないことにして、ようやく、すこし落ち着いた気持ちで室内に視線を巡らせる。
『扉』を通ってやって来たソキが通されたのは、女王の執務室ではなかった。もうすこし小規模の、恐らくは私的な客室である。国内外の貴賓を出迎えるのとはまた違う、落ち着いてぼんやりと時を過ごすこともできる一室に、ソキはちょこりと首を傾げて瞬きをした。べつに、花舞のように網を投げられたかった訳では、ほんとのほんとに全然これっぽっちもほんとにないのだが。
白雪の女王は、まるで待ち構えていたかのようにソキを迎え入れてくれたのだ。ソキが妖精と『扉』から来ることも、なにを伝えたがっていたのかも、薄々は分かっていたような気がする。んん、と呟いてぱちくり瞬きをするソキに、女王の夫君は口元に手を添える、品の良い仕草でくすくすと肩を震わせた。
「気が付かなかったことにしてくれると嬉しいな。本来、やってはいけないことだからね」
「……白雪の女王陛下は、いけないさんなの?」
「ふふ。そう、いけないさんなの。……と、いうか、うーん……秘密裏にねぇ、撤去はしようとしていたんだけどね……間に合わなかったことに、こうなってしまうと感謝すればいいのか、という感じかな。まったく、彼女には天災の名がよく似合う」
内緒にして誰にも言わないでいたら『学園』の様子をすこし教えてあげると囁かれて、ソキはいちもにもなく頷いた。妖精の、アンタたちアレでしょそれ間違いなくアレでしょうエノーラが各国各所に仕掛けたってまことしやかに囁かれてた盗聴器のことでしょうアイツほんとにやってたのそしてこの場面で起動してたっていうの、と呻いているが、ソキはなんにも聞こえないことにしたので、ぴかぴかした笑顔で耳を両手で塞いでみせた。
『学園』の情報は大事である。ロゼアちゃんのことがわかったりするかも知れないのだし。ふすふす、期待に鼻息を荒くしながらじぃと見つめてくる『花嫁』に、女王の夫君は微笑みながら囁いた。
「いいこだね、魔術師さん。……『学園』のことは安心してくれて大丈夫。花舞からの白魔術師部隊も、星降、楽音、そして我が女王の白雪からの救援も、『扉』が閉じてしまうまでに間に合っているからね。当面、一番困っていたのはご飯くらいのものかな? リトリアが頑張っているようだけど、なにせ人数が多いから……食堂勤務の魔術師たちも揃っていて本当によかった。いまは臨時の、特別授業をしているよ。災害対応特別実習、といったところだね」
「……ろぜあちゃんは? ロゼアちゃん……ロゼアちゃんは?」
「君の彼なら、もうすこしお休みが必要だね。彼のことは、ナリアンとメーシャが見ているよ。あと……妖精たちも一緒にいる。彼の案内妖精を、その二人の案内妖精たちが見てくれている。回復は早いはずだ」
ナリアンとメーシャの名に、ソキは目を瞬かせた後ふんにゃりと笑み零してそうなの、と言った。二人はね、と相手を落ち着かせる穏やかな声で夫君が続ける。
「砂漠から、『学園』に戻ってきていていたんだよ。怪我もせず、いまは元気でいる。……君のことを心配していたから、用事が終わったら『学園』にお行き。花舞のことは……まあ、彼女の決定次第ではあるけど、任せてくれて構わないからね。君が心を砕いて、苦しく思わないでもいいことだ。……ありがとう、よく頑張ったね。君の情報は金にも勝った」
褒められたことより、ロゼアを君の彼、と表されたことにこそ頬を染めはにかんでこくりと頷き、ソキは胸に両手を押し当てた。そろそろかな、と夫君が倒れたままぴくりとも動かず、呻きすらしなかった女王に視線を向ける。それを合図にしたように、女王は頭を抱えた姿のままよろよろと体を起こし、この世のどこも見ていないような虚ろな目で、えぇ、と言った。
虚無そのものの目だった。
「え、えぇー……そ……いや、ま……まっ……え……ええぇ……? う……あぁ……」
「……お客様がいるからね。もうすこし口だけ閉じてようか」
ため息をついて。すっと歩み寄った夫君が、穏やかに身を屈めて女王に手を伸ばす。するすると、その指先が女王のくちびるをなぞって閉ざすのに、ソキはきゃあと声をあげて赤らんだ顔を手で覆った。とみせかけて、指の間から熱心に凝視した。うんざりした顔で妖精が顔の前に降りてきて邪魔するのを、ソキは右に左にけんめいにぴこぴこ揺れ動きながら、ふんすふんすと息をあらくする。
「リボンちゃ! リボンちゃ! いけないです! いくないです! みえないですうううやややんやややん!」
『はいはい人様の秘め事を見ようとするんじゃないの。ソキ? はしたないことだとは思わないの? 普段よく、はしたないだの淑女だの言ってるのに、これはそうじゃないの? 淑女の行いなのかしら?』
「ソキぃ、まだ、十四歳なんでぇ……!」
時と場合と都合により自己主張を変えている、ように見せかけて、内容そのものは一定であるのが妖精には腹立たしい所である。はー、と心から息を吐きながら、ソキにあわせて右に左に動いていると、くすくす、やたらと楽しげな笑い声が穏やかに空気を震わせた。
「ほら、待たせているよ。もう大丈夫だね?」
「……お待たせしました……ごめんね……」
顔に押し付けた両手をのろのろと外し、白雪の女王は深すぎる息を吐き出した。その目はまだやや虚ろだが、言葉は戻ってきたようで、女王は首を横に振りながら息を吐く。
「そんな……そんな気はしてたんだけどね……でもあの、ほんと……ほんとまさか……そこまでブチ切れてるだなんて……そ、そんな怒ることなくない? とちょっと思わなくもないけど、でもこれそんな怒るとこだね……フィオーレだけならまだしも、ロリエスも、ナリアンくんまで巻き込まれたと来たらね……いやほんと、薄々気がついてはいたんだけど……気がついてたっていうか、聞こえちゃ」
「はい、陛下。そこまでそこまで。秘密裏に撤去できなかったら謝ろうねって決めたろう?」
それはつまり。秘密裏に撤去できたらしらばっくれるということで。そのままにしておくような可能性も、なきにしもあらずな予感を妖精に感じさせた。大問題も大問題である。思い切り白んだ目で睨む妖精に、夫君は妻の口を手で塞ぎながら、それを感じさせない穏やかさでやんわりと微笑んだ。
「今回のことは事故なので。事故は起こさなければいいのでは?」
『良い訳ある訳ないでしょう……?』
事故にせよなににせよ、そんなものが仕掛けられている、ということからすでに問題は発生している。そうだよね、と女王は夫君の手を外して呟いた。その目はまだ淀んでいるし、虚無を見つめ始めている。
「私もね……今度の今度こそはエノーラを叱らなきゃ叱らなきゃとは思ってるんだけどね……! でも今回みたいな緊急事態にすごく便利だって分かってしまったので実用化するしかないと思うんだけどそれには経緯の説明からがどうしても必要でそれってつまり各国王宮執務室に盗聴器あるわけなんだけどっていうところからせつめいをしたくないなんとかこのままごまかしきりたいきもちがあふれている」
「あーあ、言っちゃった。駄目だよって言ったろう」
「……ねえねえリボンちゃん? とう、ちょー、き! って、なぁに?」
じつは分かっていなかったらしい。ねえねえ、なーに、と不思議そうに問われた妖精は、いいかお前らのせいでアタシがそんなことを説明するはめになってんだ分かってるんだろうな、という怒りを込めた苛烈な視線を女王の夫君に向け、ソキには腕組みをして言い聞かせる。
『良くないものよ。知らなくていいの』
「でも? でもでもぉ? 白雪の陛下は、それだから、いけないさんなんでしょう? それで、なにをしたから、いけないさんなの?」
「えっ、すごい……心がごりごり削られていく……ごめんね、いけない統治者でほんとすみませんごめんなさいエノーラに対しての責任を取りきれない……」
涙声で呻く白雪の女王をちらりと見やり、妖精はいいのよ、と再度言い聞かせた。
『知らなくていいのよ。ロゼアだってそう言うに決まってるわ。これだけ分かっていなさい。白雪は、だいぶいけない』
「だいぶ、いけないです。……白雪の陛下は、もしかして、なんですけど……」
ちら、とソキはやや怯えたような視線を女王に向けた。統治者たちの心を無意識にごりごり削りながら、ソキはきゅうっと眉を寄せて甘く呟く。
「……いけないひと、です?」
『そうよ。……そうよ、その調子でもっと言ってやんなさいソキ』
「……ソキ、ソキ……いけないひとと、口をきいたらいけません、て言われているです……どうしよです……。まさか、陛下がいけないひとだなんて思わなかたです……どうしよです……」
うるり、と目に涙を浮かべて怯える『花嫁』に、白雪の女王は頭を抱え、またぱたりと机に倒れてしまった。くすん、すん、すんっと泣きべそをかく『花嫁』の、切なくいとけない響きがふわふわと空気を揺らしていく。やがてよろけながら起き上がった女王は、ふっとなにかを諦めた顔つきで、それでいて憑き物が落ちたかのようにさっぱりとして言った。
「そうだね。いけないことだもんね。やめよう。……止めよう? 今回のことが落ち着いたら、即日撤去。ただ、混乱状態であっても情報を流せるという得難い点は発展させていきたい。これを一方通行ではなく、相互にしてこそ、だと思う……から……謝ろう……なんて言って謝ろう……詳しく言いたくないけどごめんなさいじゃだめだよね……だめだよね……」
「はいはい、陛下の仰せのままに。謝罪については落ち着いたらゆっくり、考えましょうね。……ま、分かってたよ。君は悪いこと、しても最後まではやりきれないもの」
『いい話みたいにしないでちょうだい! 教育に! 悪い!』
主に夫君に対して雷を落とす妖精の背後で、もう終わったと判断したのだろう。ふあふあ、とあくびをして、ソキは眠たげに目をこしこしと手で擦った。もちろん、涙のあともなく。けろっとした表情で顔をあげたソキは、甘くふわふわと響く声で、ソキはおなかがすきました、と言った。おねだりのようだった。口止め料なのかも知れなかった。
さくさくの甘いリーフパイに、果物のこんぺいとう。お砂糖のかかった一口サイズのクッキーに、飾り気のないケーキがひと切れ。ふわふわもちもちのマシュマロは持てるだけ。一回、ソキが喉を潤すには十分な量の、ちいさな水筒がひとつ。それらをリュックに詰めて意気揚々とやって来たソキに、楽音の王は遠足ですね、と言って楽しげに笑った。
たいへんなるかんちがいである、とソキは頬を膨らませた。これはおなかが空いてしまった時のおやつに白雪の女王と夫君が待たせてくれた気遣いで、ソキの頑張りのせいかで、多分口止め料なのである。だからぁ、ソキはおはなししないんですよ、内緒だもん、と義理がたく最初に断ったソキに、楽音の王はふふっとおかしげに笑みを深めてみせた。
まあお座りなさい、と椅子を許可され、ソキは白雪でそうしたように『学園』で起きたことから順番に、いっしょうけんめいに話をした。背を正して、つとめて、『花嫁』らしく。それでいて、『学園』に在籍するいずれ王の魔術師となる者に相応しく。弱い喉は何度も悲鳴をあげて咳き込み、ソキに限界を訴えたが、『花嫁』はそれをあえて無視して王に語りかけた。
砂漠の王の様子を、星降での一幕を、花舞の女王の窮状と白魔法使いと教育たちの救出を、白雪での出来事を。楽音の王は多弁ではなかったが、『花嫁』の話を遮らず、根気よくしっかりと聞く王だった。質問はどうしても気がかりな所を選んで『花嫁』の言葉の区切りに囁かれ、あとは流れを止めぬように頷きが返される。
唯一、個人の感情が乗ったのは白雪の女王のくだりで、楽音の王はくすくすと笑いながら、これまでにない他愛ない質問をいくつも積み重ねた。おかげで、ソキが自覚しないままに白雪の王の頓挫した企みは白日の元に晒され、楽音の王は腹を両手で抱えて動かなくなった。爆笑している。
ソキは目をぱちくりさせながら、筆記役として王の傍らにいた魔術師に視線を向けたが、ごめんね、と言わんばかりの微笑みと頷きがあるだけで解決にはならない。おろおろと妖精を見つめれば、頭を抱えて空でよろけながらも言葉が返される。
『……気にしなくて……いいのよ……。この調子なら国際問題には発展しないでしょうし……ソキが手のひらで転がせる相手じゃなかったってことだから……。相手が悪すぎたのよ……これじゃ不意打ちも、懐柔もできやしない。相手が悪いわ、ソキ。普通になさい』
「はぁい?」
よく分からなくても返事をして従うソキの性質はこの場合のみありがたい。妖精はまだ笑いが収まらない楽音の王を嫌そうに見つめ、さらに盗聴器と聞いてもさして動揺を見せなかった同席の魔術師を一瞥した。
『……知ってたの?』
「ふ、ふふっ……彼女はね、昔からそういう所があるんですが」
涙を指先で拭いながら顔をあげた楽音の王が、おもむろに引き出しを開けて取り出したのは魔術具だった。それは指先で摘めるくらいの大きさの、ちょうどソキが貰ってきたまぁるいクッキーと同じくらいの大きさをした、青く澄んだ宝石のような見かけをしていた。これなぁんだ、と言わんばかりの笑顔を深め、楽音の王は魔術具を手のひらで転がしながら口を開いた。
「昔からそういう詰めが甘いというか、悪巧みをして実行までは行くんですが途中で怖気づくというか、忠言を聞き入れる誠実さを捨てきれないから悪いことには向いてませんよ、とずっと言ってあげているんですけどね。まぁたそんなことしようとしていただなんて……ふ、ふふっ、よ、予想もしていませんでしたよ……?」
「陛下、自重してくださいお願い申し上げます」
「うん? なんのことかな? 私は別に、これをネタにして白雪の彼女をいじめたり遊んだりしませんし、泣かせたり遊んだりしませんよ?」
ああ、それにしても大変なものがあるんてすね盗聴器だなんて、と声だけを憂いた響きで囁く楽音の王が、手のひらで転がして遊んでいるものこそ、恐らくは実物である。ソキは目をぱちくりさせて察しが悪く首を傾げているが、やめてあげてください自重してあげてください普通に怒ったりしてあげてください我が王陛下、と胃を痛そうに顔色を悪くする魔術師を見るに、別に昨日今日発覚発見したものではなさそうである。
手段として使える日を待っていたのだろう。ざまあみろと思いつつも、妖精は白雪の統治者を思って遠い目になった。幼馴染にここまで把握され手のひらで転がされ絶好の機会を待ち構えられていたというそれだけて、なんとなくかわいそうになってくる。しっかり反省してもらわなければ困るので、同情はしないのだが。
不思議そうにするソキに、私はなにも聞かなかったからすなわち王の楽しそうな理由なんて分からない察しが悪い魔術師だから、という顔を笑みに固定した楽音の白魔術師が歩み寄り、そっと喉の治癒をする。繰り返される言葉に、無理を重ねているのはソキも分かっているのだろう。魔術で回復させても、なおけふりと乾いた咳を零すようになった喉に両手を押し当てて、神妙な顔で白魔術師の言葉に頷いている。
妖精はソキのリュックに顔を突っ込み、苦心してこんぺいとうを一粒取り出した。ほら、と差し出すとソキはふにゃふにゃとした甘い笑みを浮かべ、りぼんちゃんだあいすき、と空気を震わせる。
「あむっ。……えへん。でも、ソキ、とっても頑張ってるでしょう? えらーい、でしょう? えへへん」
『そうね。頑張ってるわね、偉いわよ。……さあ、あとはもう無理のないようにしましょうね』
うん、と嬉しそうに頷くソキの努力は、実際たいした効果である。戦争とその火種をいくつか、未然に防いで回っている。思い出し笑いで咳き込む楽音の王も、これがソキ以外からもたらされた情報であれば、また違う顔を見せただろう。一瞬のことだったから、ソキがそれに気がついていたかは分からない。けれども『花嫁』がそれを語った時の楽音の王の目は、冷ややかな色を過ぎらせ己の思考に深く潜りかけていた。
そうさせなかったのが『花嫁』の身振り手振りの説明と、甘くいとけなく響く言葉である。その時だけ、『花嫁』は言葉の響きをうんと甘く、幼くした。相手に甘えるように、ロゼアになにか語りかけるように。いっしょうけんめいに、ふわふわ響く声で説明をした。変化は劇的ではなく、切り替えたと妖精にすら感じさせないものだった。
ただ、地に落ちる木漏れ日が、木の葉の影が、風に揺れて形を変えただけ。意識することではなく。そうして王の冷ややかな意思を甘く、柔らかく解いて消し去ってしまって、『花嫁』は言葉を終えたのだ。仕方がない、と楽音の王が、幼馴染の頓挫した悪巧みに笑い続けるくらいに、感情を移させて。ソキは役目を果たしている。戦わせてなるものか、と己の胸に抱いた意思のその望み通りに。
祝詞を告げ、呪詛を囁くかのように。予知魔術師として、ソキは己の望みを叶え続けている。その代償として喉を痛め。こふこふけふん、と咳をして眉を寄せて、ソキは楽音の王をちらりと伺った。
「それで……それで、王陛下。これから、どうするのがいいでしょうか……?」
「そうですね。……一度、砂漠に戻りなさい、ソキ。砂漠の、にも他国の現状を伝えて……ふ、ふっ、花舞も白雪も、私に任せておきなさいと伝えてくれていいですよ。策はあります。どちらにも、ね。……そして、すこし、砂漠で休みなさい。もう辛いでしょう」
堪えきれない笑いを零しながら、楽音の王は喉を手で押さえたまま、離せないでいるソキに優しく語りかけた。『花嫁』は微笑んで言葉を返さず、椅子に座ったまま、ただ美しく一礼することで王の言葉を肯定し、受け入れた。『花嫁』の喉は妖精の祝福、魔術師の回復を重ねくり返し受けていても、ただ息をするだけで時折、軋んだ音を立てた。
また、いまも。息を吸い込み、それだけでけふこふと乾いた咳を響かせて。それでもソキは言葉を諦めず、やんわりと微笑んで楽音の王に囁いた。
「ありがとうございます、楽音の陛下。では、そのように……仰る、通りに、い、た……します」
「そうなさい。……休んでから行きますか? それとも、すぐに? どちらが楽か教えられますか?」
「……すぐ」
分かりました、と言ってソキを立ち上がらせ、王は魔術師に『扉』へ連れて行くようにと命じた。こくん、と頷いて歩き出すソキに、楽音の王はしっかりとした声で、それでいて今思い出したかのようにつけくわえて言った。砂漠に戻って休んだら、『学園』に行きなさい。
「私の魔術師を……いえ、リトリアを訪ねなさい。君の喉に無理がなければ、彼女には同じ話をしていい。難しければ、全てでなくとも、花舞のことだけは伝えて助けを求めなさい。……現在打てる、それが最大の抑止力です」
「……はい、陛下。仰る通りにいたします」
「よろしい。では、行きなさい。……挨拶の言葉はいらないよ。君はもう、この国での言葉を語り終えた。ありがとう。……確かに」
ソキは深々と一礼をして、王の執務室を後にした。廊下を行く歩みは、普段通りにとてちててちてちと頼りない。そこに、背伸びも無理もしていないソキの姿を見出して、妖精はほっと胸を撫で下ろした。ん、しょ、ん、しょ、と疲れた様子で、それでも歩みを止めず一生懸命に『扉』を目指して歩くソキの、目の高さで妖精は飛んだ。行く先を導くように。決してそれを見失わなくてもいいように。
リボンちゃん、と掠れた甘い声でソキは笑う。
「ソキ、がんばたです」
『ええ、ええ……! そうね、よく頑張ったわね。陛下にも、よく伝わったわ。本当によく頑張ったわね、ソキ』
「……えへへ」
てち、てちっ、とソキは歩いていく。一歩づつ、確かめるようにしながら。はふ、はふ、ひゅう、けほ、けほ、ごほ、と息を乱して咳をして立ち止まっては、そきだいじょうぶだもん、と苦しく息を整えながら繰り返した。まだ砂漠に行かなきゃいけないもん、それでね、『学園』でリトリアちゃんにお話するの、それでね、それで、それでね。ソキは、こんどこそ、ロゼアちゃんをたすけるの。
きめたの。これはもうぜったいなの。だから、だからね、リボンちゃん。一緒にいてね。一緒にきてね。ソキがうんと頑張れるように。ようやく『扉』にたどり着き、ひっきりなしに咳をするようになったソキに寄り添いながら、妖精は強く、ええ、と言った。
『行くわ。必ず、どこへだって行くわ。一緒に』
「……う、ん。うん……」
『……だから、すこし休みましょうね。大丈夫よ。大丈夫だから……』
うん、と相手の言葉を聞いていないぼんやりとした声でソキは返事をした。のたくたと瞬きをしながら『扉』をくぐる。て、と足を下ろしたのは、しんと静まり返る砂漠の王宮、その端だった。武器庫から出てきた時のように、ハレムであったのなら、適当な空き部屋ででもすぐにソキを休ませたのだが。
あぅ、うにゃ、と辛そうに声をあげて、てち、と足を踏み出したソキの体がぐらりと揺れる。びたんっ、と倒れ伏す、直前のことだった。廊下の向こうから疾風のように走り寄ってきた男が、間一髪でソキを抱きとめる。ソキは、それが誰なのかを見ようとして。顔をあげて。ふっ、と吹き消された火のように、意識を手から取り落す。夢より深いくらやみに、落ちて行く間隔。その閉ざされる隙間に。
ソキ、ソキ、と叫ぶ妖精の声と。まずいな、と囁く男の声が遠くで聞こえた。どこかで一度、聞いたことのある響きをしていた。誰のものかまでは、分からなかった。
宵闇が日中の暑さを拭い去り、涼しくきよらかな風を室内に満たさんと木々の葉を揺らす頃。火の揺れる灯籠によって明かりに満たされた部屋の中、ソキはもそもそと寝台に体を起こした。ぺたんと座り込みながら、不思議な気分でふわふわとあくびをする。なんだか、とってもよく眠れた気がする。
目をくしくし擦りながら、まだ夢うつつにロゼアちゃん、と呼ぶと、静かな笑みに満ちた穏やかな声が、おはようございます、と囁く。
「とてもよくお眠りでしたね、ソキさま。お加減はいかがですか?」
心得た動きで、すこし冷たい香草茶に満ちた陶杯が手渡される。んん、と眠たげに呟きながらそれをはっしと受け取り、ぐびーっと飲み干した所で、ソキはそれが誰であるのか気がついた。ぷは、と息をしながら、目をぱちくりさせて呼びかける。
「ハドゥルさん、ですぅ……! ……ふにゃっ、ハドゥルさんですぅっ?」
「はい、ソキさま。……ああ、よかった。もう痛みはありませんね?」
体調を問われて、ソキはこくこくと頷きながらも室内を見回した。よく眠れたと思ったのも当たり前のことで、ここはソキの部屋である。『花嫁』としてのソキの区画。もう、ここに『花嫁』として戻って来ることのないソキには必要のない場所だが。部屋を片付けて誰かにあてがわなければ空きがない、という状況ではないのだからと、当主たるレロクが維持させていることを、ソキは知っていた。
片付けると、年末年始に帰ってこなくなると思われているらしい。ともあれ、慣れ親しんだ部屋があることは嬉しいし、とても落ち着けるので良いことではあるのだが。砂漠の王宮に辿り着いた筈の己が、なぜ『お屋敷』にいるのか分からず、ソキは不安げな顔できょろきょろとあたりを伺った。起き出したことに気がついたのか、ソキの世話役たちが廊下から顔を覗かせてくれる。
おはようございます、ソキさま。まぁ顔色もよくなりましたね、よかった、と見知った顔に口々に囁かれてほっとしながらも、ソキはくちびるを尖らせるのを辞めずにそこかしこを見て探し。やがて、ぷぷっと頬を膨らませてちたちたと手足を振り回した。
「リボンちゃんはぁ……っ? リボンちゃん、どこどこぉですううぅう! ソキ、おきた! 起きたもん!」
「ソキさまの案内妖精でしたら、すこし傍を離れると、先程」
「ふんにゃっ? ……ハドゥルさん、リボンちゃんが分かるの? おはなし、したの?」
びっくりして目を見開くソキに、ハドゥルは珍しい表情をした。すなわち、しまったと言いたげな意思を過ぎらせたあと、視線をすいと反らし、言葉を探して黙り込んだのである。それを不思議に思うより早く、ソキはハドゥルの横顔をじっと見つめた。ロゼアの造作は母親、ライラに似ている。しかし、ハドゥルに似ていない、ということはないのだ。横顔の印象、頬の線が大人びたロゼアを思わせる。
思わず。そっと手を伸ばして顔にぺたりと触れてくるソキの目が、あんまり寂しがっていることに気がついたのだろう。ハドゥルはソキを叱ることなく甘やかに笑い、『傍付き』特有の丁寧な仕草で、『花嫁』の髪を丁寧に撫で下ろした。
「とても……とてもよく頑張られたのだと聞きました。努力されましたね。素晴らしいことです」
「……うん」
「ですが、限界を知りながら動くのも大事なことですよ、ソキさま。……あぁ、本当に顔色がよくなられて……咳も出ませんね。でも、今日はもう、あまり話さないでいましょう。いいですね」
うん、とじわじわ泣きそうな気持ちでソキは頷いた。頑張りを褒めてもらえたことが嬉しい。それを認めてもらえたことが嬉しい。ロゼアに。褒めてもらえないことが。ロゼアでないことが、さびしい。拳をまぶたの上から押し当てて、くすん、と鼻をすするソキの背を、ハドゥルが鼓動と同じ早さでとんとんと撫でる。もう大丈夫ですよ、と囁かれて、ようやく、ソキは己の中の不安を手に乗せて自覚した。自覚することを、許した。
怖かったのだ、ずっと。恐ろしかった。歩けなくなってしまうから、その感情はなかったことにして、遠くに置いて、見ないふりをしていただけで。怖かった。目の前で起きたなにもかもが、いま、起きていくなにもかもが。ソキには到底追いつけない速度で流れていく。でもそれと一緒に走らなければ、なにもかも、間に合わなくなる。
だからこそ、ソキはいっしょうけんめいに話して、歩いて、できることをいっぱいにこなし続けた。立ち止まれば捕まってしまう気がした。怖くて、恐ろしいものは消えてなくなった訳ではなかったからだ。咳をしても、喉が痛くても、目眩がしても、体がいたくても、だからソキはそれをないことにした。『花嫁』として悲鳴をあげているのを知っていて。『魔術師』として、顔を背けて歩き続けた。
休みましょうね、と懇願した妖精の声。悲鳴そのものの響きで、ソキ、と呼んだ妖精の声が、耳の奥にじんとこびりついている。
「ごめんなさいです……。ソキは、ソキをあんまり大事にしなかたです……いけないこと、です。……ロゼアちゃん、怒るかなぁ。ソキのこと、嫌になる、かなぁ……」
「いいえ、そのようなことは決して。ただ……そうですね、心配します。悲しく思います。……そして、誇りにも思うでしょう。ロゼアの『花嫁』、ソキさま。あなたがこんなにも、強くあられたことに」
でも、もうこんなことはいけませんよ。今日はしっかりと休まなくては、と言い聞かされて、ソキはこくんと頷いた。窓の外はもう暗い。ハレムを訪ねていくに相応しい時間でないことは確かだし、寝て起きてすっきりしただけで、ソキの体はもうくたくただった。歩こうとしても、きっとすぐ転んでしまうし、咳も出るだろうし、熱だって出てしまうかも知れない。
間に合わなくなる、という不安はまだくすぶっていたけれど、ソキはそれをぎゅっと我慢して瞬きをする。楽音の陛下は、任せなさい、と言ってくれた。すぐに行きたい、というソキの意思を尊重してくれただけで、休ませようともしてくれた。なら、大丈夫なのだ。いますぐ、ソキが走っていかなければいけないことは、ない。きっと、もう、ないのだ。
「……でも、リボンちゃんと、相談しなくちゃです。ねえねえ、ハドゥルさん。リボンちゃん、どこに行ったの? すこし離れるの、すこしは、まだなの?」
「……申し訳ありません、ソキさま。そう、としか」
どこかぎこちなく返事をすらハドゥルに気が付かず、ソキは落ち着きなく、きょろきょろきょろりと室内を見回した。
「あっもしかして? リボンちゃんたら、おなかがすいたの? 朝にお砂糖を食べたきりだたですから、ご飯を探しに行ったの? あのね、ほんとは、一日一粒なんですけどね、リボンちゃんたらきっとお腹が空いてるの。ソキと一緒に、けんめいに頑張ったからなの。きっと、ニーアちゃんみたいにたくさん必要になったに違いないです!」
『そんな訳! あるかーっ! ニーアと一緒にするんじゃないわよあんなに食べたら気持ち悪くなるでしょうが! ちょっとソキ! なんで起き上がってるよの横になりなさい! 横に! 喉はいたくない? 目眩は? あぁもういいから横になりなさいったら……!』
飛び込むように廊下から戻ってきた妖精に叱責されて、ソキはふにゃふにゃ笑いながらころろんっとばかり横になった。おや、とハドゥルが目を和らげて笑う。
「お眠りになりますか?」
「ちがうの。リボンちゃんたら、ソキに横になりなさいって……あれ?」
ハドゥルの目は妖精を素通りしている。ソキを怒る声も聞き届けた素振りはない。あれ、あれれ、と目をぱちくりさせるソキに、目の前まで滑空してきた妖精が、不機嫌に腕組みをしてなによ、と言った。
『まったく、無理をして! ここまで運び込んでもらえなければ大変なことになってたでしょう? ……もうしないのよ。分かった?』
「あれれ? ねえねえ、リボンちゃん。ソキ、どうして『お屋敷』にいるの? ハドゥルさん、なんでお城にいたの? ハドゥルさんが連れてきてくれたです? ……ハドゥルさんは、どして、起きられてたの? あ、あれっ? なんで、なんで皆起きてるの? 砂漠はもう、みんな、元気なの? あれ?」
あれ、と目をぱちくりさせながら起き上がろうとして怒られて、ソキは頬をぷっくり膨らませて、寝台を右に左にころんころんと転がった。おしーえーてー、くれなーいーですぅー、いけなーいーことーでーうぅうきもちわるくなてきたです転がるのはおしまいにするです、と寝台にへっちょりしていると、戸口からくすくす、聞き覚えの薄い笑い声がした。
ハドゥルが、あからさまに視線を反らして息を吐く。
「まだ居たんですか……? いいんですよ、城にお戻りになられて。後は任せてください。おつかれさまでした。……ありがとうございました」
「うん。そこでちゃんとお礼が言えるのが、ハドゥルの可愛い所だよ。偉い、偉い」
「せめて礼儀正しいとか言えないんですかあなたという人は……!」
ああもう、と言って寝台のすぐ隣に寄せていた椅子から立ち上がったハドゥルは、ソキがあまり見たことのない顔をしている。面倒くさそうというか、気乗りがしないというか、嫌そうというか、それでも無視しきれない好意も確かに見え隠れしている。ふんにゃ、と不思議がる声を零して、ソキも改めて戸口を確認した。立っていたのは、魔術師のローブに身を包む端正な男だった。
ハドゥルよりは年が上、ラーヴェと同い年くらいに感じたが、ふとした瞬間に、まだ二十代くらいにも見える。男はソキと視線を合わせて、にこ、と笑った。
「こんばんは。……入っても構わないかな?」
「うん! ……あ、あの、あの、えっと……えっと……はい、ですよ。はい、どうぞ。おはいりください」
妖精が、名前も知らないような相手をほいほい招き入れるんじゃないわよと言いたげに苦虫を噛み潰した顔をしているのが見えても、ちがうんですよ、と言うこともなく、ソキは男の顔をじぃっと見つめた。ハドゥルが額に手を当ててため息をつく。
「お前……お前、まさか、ミードさまに続いてソキさまにまでも……」
「なにをどう誤解してるのか分からないから、全部否定しておくよ、ハドゥル。それ誤解だから。俺はなにもしてないから。……あぁ、よく眠れたのですね。顔色が良い。……ふふ、こんばんは。俺のことが分かるかな? 前に一度だけ、会ったね」
「は? ソキさまに? お会いした? ……お前まさか」
呻くハドゥルに、男はうんざりしつつも面白がる顔つきで、ぽんぽんと言葉を投げかける。まさかなんだよ。あまり関わらないという話だったと思うのですがなぜ面識がおありなのか説明を頂きたい。ハドゥルの敬語きもちわるい。ちょっと後で廊下に出て頂けますか話がある。やだ。出なさい。やだ。出ろ。やだ、普通に城で会ったというかすれ違っただけだよ特別会いに行った訳じゃない時間がないし。
でもひと目で分かったよ、ミードさまそっくりで本当に可愛らしい方だから。お前だからそれをやめろと何回言わせるんだ。いやだって可愛らしい方には可愛らしいって言うし思うだろ普通。そういうことを言ってるんじゃないああぁおまえまた砂漠のそこかしこで事故起こしてるんだろ知ってるんだぞ報告あがってるんだからな。だから誤解だって、誤解。
放っておけばいつまでも仲良く仲悪くじゃれあっていそうな会話に、ソキは目をぱちぱちさせて。くてん、と首を傾げて、ねえねえ、と男の服を摘んでひっぱった。
「ジェイドさん、でしょう? 砂漠の、筆頭魔術師さん、でしょう? あの、あのね、いちど、おあいしたの。ソキ、ちゃあんと覚えてるです……」
そのあと、『扉』の不具合でロゼアの元に帰れなくなったのが衝撃的すぎて、中々思い出せなかっただけである。ああ、とジェイドは満面の笑みで、うっとりとソキを見つめながら囁いた。
「そう。その通り。覚えててくれたの、偉いね。……嬉しいな、ありがとう」
「お前のその、『花嫁』に対する言葉遣いから物申したい」
「言ってることは分かるけど、魔術師筆頭として、できることできないことがあるんだよ……。ウィッシュにだって同じにしてるし……まぁ、休暇になったらちゃんとするよ。今は魔術師としての仕事中。……カリカリするなよ、ハドゥル。陛下みたいに胃を痛くすると大変だよ?」
陛下の胃痛の原因はお前だろうがいい加減にして差し上げろお前ほんっとそういうところだぞそういうところだぞ、と呻くハドゥルに全力で物珍しさを感じながら、ソキはなんだか照れくさくて、頬を赤らめて手をもじもじとさせた。転がっていたのから起き上がって、んしょんしょ、と髪を手で整える。なにしてんだと妖精がしらんだ目を向けてくるのに、ソキはだってえぇ、と声をあげた。
ん、と視線をソキに戻したジェイドが、蕩けるような優しい顔で笑う。
「横になっていて、よかったんだよ。まだ辛いだろう? ……でも、かわいい顔がよく見えるのは嬉しいな。うん、かわいいね。……ん? なぁに、どうしたの?」
「あの、あのね、あの……そ、ソキを助けてくれたのは、もしかして、ジェイドさんなの? あの、あの、あ、ありがとうです……!」
「はい、どういたしまして。……ちゃんとお礼が言えるの、偉いな」
掛け値なしに、心から褒め称える声だった。はうぅ、と照れてもじもじするソキを見たハドゥルが、だからおまえほんとそういうところすぎてあぁああ、と呻いている。妖精は冷静な目でソキとジェイドを見比べて、はぁん、と極めつけに機嫌の悪い声で言った。
『ソキ。なんで行く先々で好みの顔を引き寄せるの? なんでなの?』
「ちっ、ちがうんですぅ。そういうのじゃないもん。た、だだ、お礼! お礼を言わないといけないです。あとあと、あの、あのね、あの……ハドゥルさんの、お知り合い、なの?」
それだけはどうか聞かないで欲しかった、という顔をしてハドゥルが天を仰ぐ。ジェイドは口を手で押さえ、こらえ切れずに吹き出して笑って。そうだよ、と柔らかく響く声で言った。
「ハドゥルとは、先輩後輩の仲なんだ」
「その縁は切った」
「また、そういう、つれないこと言うんだからお前は」
切れてないから『お屋敷』に入れたに決まってるだろう、と告げるジェイドに、ハドゥルは深々とため息をついた。ジェイドが魔術師であるから、ロゼアとも縁があることを。その事実を、心から消し去りたいと思っている、深すぎる息だった。