目覚めたロゼアはぼんやりとしながらも、突進してきたソキを慣れきった仕草でふんわり受け止めた。ふにゃっ、うにゃっ、ぐずっとなきながら擦り寄られるのにも、頭を抱き寄せて額に頬をくっつけて目を閉じる。重みと、香りと、ぬくもりを腕いっぱいに閉じ込めて堪能したあと、ロゼアは緩やかに満ち足りた息を吐き、ソキその服はどうしたんだ、と言った。
真っ先に問いたださなければいけないところはそこなのか、と妖精は隠さず天を仰いでため息をついた。もしかしたら、ソキが無体を働かされた可能性を潰すためなのかも知れないが、別にそれは他の状況確認が終わって落ち着いてからでも十分間に合う筈のことである。ソキはロゼアにぴったり体をくっつけたまま、メグミカちゃんがねぇ、と自慢げな声でこしょこしょと囁く。
お風呂に入っただのお手入れをしただの、妖精にしてみれば必要のない報告を囁くソキの声を、暫くじっとして聞いて。ロゼアは、そっか、と呟いて体から力を抜いた。じゃあ、一眠りしたらお着替えしような、と告げるロゼアに、なにがじゃあなのか説明してみせろこの独占欲の化身がと怒鳴りつけたい妖精とは違い、ナリアンとメーシャは心から安心したようである。
よかったロゼアだね、いつものロゼアだね、と視線を交わし合って涙ぐんでいるので、どこもかしこも重症である。妖精がため息をついている間に、ロゼアは体力が尽きたのだろう。眠ろうな、とソキを抱いたまま囁き、ぽんぽん、と背を幾度か叩くうちに意識を落としてしまった。ソキはロゼアにもにゃもにゃとなにかを、恐らくは起きているだのなんだのと訴えていたものの、ロゼアにくっついているのと、がっちり抱かれていて離れられないので、無理だったのだろう。
程なくして、くぴっ、くぴぴっ、すぴいいぃっ、と健やかにも程がある寝息が響いてきて、妖精はよろよろとした動きで寝台へと降り立った。これは、疑いようもなくロゼアである。間違いなくロゼアであると確信していたが、念の為に魔力に目を走らせる。魔術師のたまごの、身の内の魔力は穏やかだった。多少は波打つように感じられるも、一息ごと、鼓動ごと、ゆるゆると穏やかに落ち着いて行っている。
さすがはソキさん、とシディが感心しきった声で頷いた。目覚めた瞬間こそ危惧する程であったものが、ソキがびとんっ、とくっついてからは呆れるくらいに落ち着いてしまっている。失われたもの、傍にあるはずのものが、欠けたものを取り戻し、ひとつになった安堵で満ちるがごとく。これならもう大丈夫でしょう、と微笑むシディに、個人的な感情でのみ同意しにくいものを感じながら。そうね、と妖精はうっとおしげに頷いた。
つまりこれは本当に、ただのロゼアである。くぴくぴっ、ふにゃあにゃっ、とだらしのない笑顔で鳴き声めいた寝言を零すソキを見ているだけでも、間違いのないことだった。さりげなく寮長を庇いながら見守っていた白魔術師たちも、やれやれと顔を見合わせてすっかり警戒を解いてしまっていた。
とりあえず珍しいから眺めておこっかー、とほのぼのとロゼアの寝顔を眺めるナリアンとメーシャに、妖精は呆れた顔で問いかける。
『アンタたち、やらなきゃいけないこととか、やってたこと、ない訳なの? ……というか、『学園』の魔術師たちがゆかいな大惨事を起こしてたのはなんだったの? アンタたちは関与してないってこと?』
「先輩たちと、レディさんのこと、ですか?」
『メーシャ……ふりでもいいから、すこし悩んで、もしかして感を出してあげような……』
結果が同じなら、救いにもフォローにもならない、ただの時間の無駄である。しかし、それでもと苦笑するルノンに、メーシャは華やかな笑みで言い直した。
「うーん……あ、もしかして……? 先輩やレディさんのこと、ですか?」
『なにこの無駄に満ちた無駄なやり取り。アタシの時間を浪費させないでちょうだい』
だいたい、本人たちがいまいないんだから問題ないだろうがと腕組みして羽根をぱたつかせながら、妖精は嫌な顔をして部屋の扉を振り返った。幸い、そこには誰の気配もないのだが。あの振り切れた偶像崇拝もどきのまま、あの場所に居続けられるのも想像したいことではなかった。
なんでたかだか数日であんなに精神が摩耗するのよソキでもあるまいに、と眉を寄せる妖精に、メーシャは突然だったからかな、と静かな声で囁いた。
「ほんとに急、だったんですよ。『扉』が使えなくなって……誰も、どこにも行けなくなって、この状況で、どこからも情報が手に入らなくなって。寮長では復旧が叶わないというし、できるひとは皆、砂漠で倒れたままだし……リトリアさんがなんとかしようとはしてくれたけど、魔力切れで倒れてしまうし……」
「あっ、だめっ! 言っちゃだめ……!」
ソキを医務室の前まで送り届けた時点で、他に用があると離れていたリトリアが、腕いっぱいにシーツや薬を持って部屋へ入って来た所だった。アンタどうしてそういうトコどんくさいのかしら、と呆れた視線を向け、妖精は気が付きたくない事実に気が付きかけて額に手を押し当てた。もしかして、どんくさいのが予知魔術師の特徴なのではないだろうか。
リトリアは身体的にそこそこ健全に育った筈だが、ソキとは違う理由で運動性能がややどんくさい。そしてここぞというタイミングで、やはりとろくさくてあれこれ逃すのである。頭を振って息を吐き、妖精は室内をちょこまか動き回るリトリアに、保護者どうしたのよと問いかけた。
えっと、とリトリアは立ち止まり、頬を染めて手をもじもじとこすり合わせる。
「ツフィアね、いま忙しいのですって。談話室にいるわ。呼んでくる?」
『……大人しくしてなさいとか言われないの? アンタはなにをちょこまか動き回ってるのよ……魔力枯渇したんですって? なにしたの?』
かつてはリトリアの案内妖精でもあったので、心配なことは心配なのである。ソキのようにくっついて回らないのは、リトリアが一応、『学園』を卒業した一人前の魔術師だからであり、年齢的にも大人と呼んで差し支えないものだからであり。在学中から、思えばロゼアのようにべたべたとひっついて離れなかった、ストルとツフィアがうっとおしかった為である。
ロゼアのようになにを言っても余裕の表情で笑うのも腹立たしいが、あからさまに嫉妬だの独占欲だのを出してくるストルも、同じくらいに面倒くさい。アタシこれから砂漠の男には関わるのやめようかしらとうんざりする妖精に、リトリアは、えっと、と口ごもって視線をふよふよと漂わせた。
「ツフィアはね、あの……大人しくしていないと駄目よって。なるべく、医務室に居なさいって。だからね、あの、なるべく医務室の……医務室にいる時間が長い……お仕事を……」
『アンタね、それ安静にしてなさいっていう意味でしょう? 室内にいれば起きて動き回っていても良いとかいう意味じゃないんでしょう?』
「だっ、だってぇ……! 私だけなにもしないでいるの……落ち着かなくて……。ちょっとだけ! ちょっとだけなの! それにほら、いまは、備品の補充しかしていないから……!」
でもツフィアには言っちゃだめっ、あっ、お部屋から出てソキちゃんをお迎えに行ったのもなるべくなら内緒にしてっ、と頼み込んでくるリトリアに、妖精はふんと鼻を鳴らして言い放った。
『言いつけるに決まってるでしょう馬鹿なの?』
「だ、だめだめ! 内緒にして……! えっと……えっと、じゃあ、ほら、寝間着に着替えて、寝台の上に戻るから……!」
『ねえ、リトリア? アンタ、ソキよりは多少マシだけど、ソキよりは多少マシでしかないんだから、考えてから発言なさい? なんでそのドジでうかつで粗忽なとこ直らなかったのかし……ら……。……ストルの趣味かツフィアの趣味だわ。ああぁああやだやだ! これだから砂漠出身者は!』
どちらと言えば恐らく、ストルの趣味である筈である。アタシの魔術師の周りにはそういうのしかいないのかしら、あぁあああやだやだ、ほんとやだ、と呻いて息を吐く妖精を横目に、リトリアはそそくさと、ロゼアの隣の寝台へ戻って行く。それを白んだ目で睨むように確認し、妖精はそれで、と腕組みをしながらリトリアに問いかけた。
『アンタ、なにをして魔力を枯渇させたの? 今はもう大丈夫そうだけど……』
リトリアの魔力は安定して、満ちていた。ソキを迎えに来た時も顔色は良く、元気に見えたので、本人の自白がなければ分からなかった程である。そんなに心配する程じゃないのよ、ツフィアったら過保護なの、と幸せそうにはにかんで、とろける声でくすくすと囁いて。リトリアは、だから内緒にしてね、とナリアンとメーシャに重ねて頼んでから、えっと、と視線をさ迷わせた。
「その……いきなり、『扉』が使えなくなったでしょう? でもわたし、ソキちゃんみたいな発想ができなくて……わたし一人でも動けるようにってすれば、なんとかなったのかも知れないけど……あの、どうにか、安定状態に戻せないかしらとか、一時的にでも複製するだとか、できないかなって……思って……」
『思って? 上手く行かなかったってこと?』
「だ、だって……フィオーレがあんな状態でしょう? せめてね、花舞にだけでも繋げておかなくちゃって、思ったのよ。そうしないと、きっと、大変なことになるだろうし……もうなってる気しかしないけど……」
つん、つん、と人差し指を突き合わせていじいじと呟くリトリアに、妖精は目を細めてゆっくりと首を傾げてみせた。少女の予想はひどく正しい。そしてリトリアの言葉が言い訳めいていることから、単に上手く行かなかった、失敗した、とは別の事故が起こった可能性が高い。リトリア、本当になにをしたの、と重ねて問う妖精に、予知魔術師はもごもごと口を動かして。
観念したように、えっと、としょぼくれた声を押し出した。
「つまりね、あの……エノーラさんか、キムルさんが、いれば、いいんでしょう……?」
どちらも、稀代の錬金術師である。複製が可能なのはエノーラのみであるが、『扉』の不調の調整、復旧作業などは、キムルの方が得意とされている。エノーラは感覚で直すからである。直せるタイミングで叩いたらいけた、と言い出すエノーラより、これがこうなったらこういう風にしてこう、とある程度筋道を立てて説明できるキムルの方が信頼性の高い、という話ではあるのだが。
なんとなく嫌な予感を感じながら、そうね、と促してやった妖精に。リトリアはちょんとくちびるを尖らせて、つん、つん、と人差し指を突き合わせながら、だからね、と言った。
「召喚できないかなって、思って……。召喚っていうか、だから、その……エノーラさんか、キムルさんが、偶然、『学園』に戻って来ていただとか、そういう仮定を過去に書き込んで、それであの……行けたり……しないかしらって……」
『……思いついたから、やってみようとしたのね?』
なるべく、優しく、穏やかに、を心がけて問いかけた妖精に、リトリアはうんと言って素直に頷いた。それは軽度の過去改変であり、禁呪だの禁忌だの呼ばれる類のものである。思い付きでほいほい実行していいものではないし、実行できるものでもない。ねえなんでそういう発想に至っちゃったのどうしてなの、と問う妖精に、リトリアはだってぇ、としょぼくれた声を出しながら、手で顔を覆った。
「なんか……あの時は……できる気がしたの……。今はしないの……」
『ツフィアが、アンタを医務室に閉じ込めて、大人しくしていなさいって言った理由がよぉーく! 分かったわ! 馬鹿っ!』
「だってぇえ……! なんだか、何回かそんなことをした気がするような、気が、しちゃったんだもの……!」
恐ろしいことを言うんじゃないっ、と叱り飛ばして、妖精は額に手を押し当てた。ツフィアがリトリアを寝かせておきたかった理由は、その発想の飛躍から、重度の精神疲労を危惧した為に違いない。妖精でもそう思う。『扉』の不通という現象が、予知魔術師になんらかの影響を与えているのかも知れなかった。万能たる魔術師。奇跡の申し子たちに。なにかを。
過去や未来や繰り返し朽ち果て消え続いていく、数多の世界の欠片が、そっとなにかを囁いたのか。あるいは、流星のように目の前を掠めて行って。それに手を伸ばしてしまっただけなのかも知れず。
『……まあ、アンタも昼寝でもしなさいよ。ソキが起きたら話があるから』
「はなし? わたしに?」
『アンタによ。『学園』の魔術師たちに、ソキから報告がいくつもある。でも、その中でも、アンタにはとびきりの話と、役目がある』
詳しくは、そこで寝てるソキが忘れて服の中でくしゃんくしゃんになってるであろう書状に書かれているから、起きるまで待って、と息を吐く妖精に。リトリアはくすくす笑い、はぁい、と言って寝台に横になった。予知魔術師はそうして、ゆっくり、安心した息を吐く。よかった、と言って。リトリアは、戻って来たソキを、とろけるような目で見つめて。
よかった、よかった、よかったね、と囁いて、笑って。ことり、と重りを一つ外したように、やさしい眠りに転がり落ちた。
湯上がりの匂いが寮に漂い、心地よいざわめきが落ち着いた頃。そろそろ寝る準備しないとね、明日はどうしようね、と白魔術師たちが顔を突きつけて悩んでいる最中に、ロゼアはむくりと身を起こした。はっと気がついた一人が即座に警戒するも、ロゼアは不可解そうな顔をして謎の眠気にあくびをした。なんでこんなに眠いんだろう、と言わんばかりである。
眠くて考えがまとまらなかったのだろう、まあいいか、と呟いたロゼアは布団をずり落としていたソキをいそいそと抱き寄せ、頬をくっつけて、またあくびをした。あ、ロゼアだ、という顔を医務室の誰もがする。ロゼアだな、となんとも言えない顔をする寮長に、いいことでしょう、と首を傾げて。リトリアは、またすぐにうとうとしだすロゼアに、隣の寝台からそっと声をかけた。
「ロゼアさん、あの……おはよう……? 起きられる? また、寝る……?」
「あれ……? リトリアさん? どうなさったんですか? ……いや、うん? ここは……」
ようやく、すこし目が覚めた声をして。ロゼアが目を擦りながらあたりを見回して不思議がる。じわじわと己の記憶を探って眉を寄せ始めるロゼアに、リトリアは慌てて医務室なのよ、と言った。
「緊急で部屋をひとつ作ったの。『学園』の中よ。えぇと……えっと、ロゼアくん……どこまで……」
覚えているのか、リトリアが問うより早く。ざぁっと音成すほど顔色を青くしたロゼアは、ぷにゃぷにゃしあわせそうな寝ぼけ声を発しながら眠るソキを抱き寄せ、その首に手を押しあてる。うにゃあむ、とのんびりした声をあげてとろとろと瞼を待ちあげたソキに、声をかけることもなく。ロゼアの手がそろそろと、怯えながら、幾度も、幾度も、ソキの肌をなぞった。
ナイフが押しあてられたその肌を。傷ひとつなく、赤い痕さえ残っていないその滑らかさを。見つめて、声もなく、手で触れて、それでも息を止めてしまいそうな顔色で確かめるロゼアに、察知して戻って来た妖精はため息をつく。羽根を掴まれたシディは諦めた顔でぶら下がりながら、リボンさん、と妖精のことを呼ぶ。
『せめて……ロゼアが起きたから戻るとか……言って欲しかったです……そうしたらボクだって自力で全力で飛びましたよ……?』
『言ったじゃない。行くわよシディ、って』
『……ソキさんの説明が足りないのはもしや……あっ、嘘ですなんでもありません……そうですね……』
分かればいいのだ、と妖精は頷いた。そのまま天井近くから見つめていれば、じっとして動かなくなったロゼアの腕の中で、ソキがようやく目を覚ます。ぷわわわ、と泡が浮かんで弾けるようなあくびをして、ソキはとろくさい仕草で、のたのたと何度も瞬きをした。眠たくて仕方がない声がふんわりと漂っていく。
「なんだかぁ……きもちぃく、ねむった、ですぅ……。うんにゃ……? ロゼアちゃん? ろ、ぜ、あ、ちゃぁーん……? どうしたんですぅー? ねむねむ、なのぉ……? くすぐたい、ですよぉ……うにゃんや」
「ソキ……もう、二度と、あんなこと、しないでくれ……ソキ、ソキ……」
「はぁーい、ですー……。ですぅ……? ロゼアちゃん、あんなこと、って、なぁ、にぃー……?」
ぽやんぽやん話すソキは、寝起きの眠たさに負けすぎていて、全く分かっていないようだった。それでいて、絞り出すような言葉の苦しさは受け止めたのだろう。おろおろとした顔で、ソキはロゼアの頭をぎゅっと胸に、押し付けるように抱きしめた。
「ロゼアちゃん、どこか痛いの……? くるしいの……? ソキ、もう帰ってきたです。ロゼアちゃんのお傍にいるんですよ。もう大丈夫なんですよ。ね。ね?」
「ああ……うん。そうだな、ソキ。ソキ……」
うふん、なんだかよく分からないけど、元気のないロゼアちゃんはきちょうですかわいいです、とばかりご機嫌な笑顔で頬をくしくし擦り付けるソキは、ふと妖精の気配に気がついたらしい。視線を持ち上げ、天に祈る妖精と、ぶら下がって項垂れるシディの姿を見つけ出すと、どうしたの、とあどけない声でぱちくり瞬きをする。
「リボンちゃん、シディくん、なにしてるの? ニーアちゃんと、ルノンくんは? ナリアンくんと、メーシャくんと、一緒?」
『……食堂にいたもので……片付けをしたら、すぐにこちらへ来てくれると思いますよ……ところで、ソキさん。この状態について、なにかリボンさんに言ってくださったり……しませんよね……』
妖精の手に羽根を掴まれ、シディはぷらんとぶら下がって揺れているのである。ソキは難しそうな顔をして妖精たちをじっと見つめたのち、こくっ、と納得の頷きをみせて言い放った。
「リボンちゃんとシディくん、時計の振り子みたいですぅ!」
『ソウデスネ……』
「あっ、ロゼアちゃん? シディくんねぇ、頑張ってくれたんですよぉ。だから、ソキ、あとでちゃあんとシディくんを褒めてあげなくちゃいけないと思うです。シディくん、なにがお好き? お砂糖? みるく? はちみーつぅー?」
体を起こし直したロゼアの膝に座らされて、ソキは機嫌よくはしゃいでいる。ソキさんのその気持ちは嬉しいです、と項垂れるシディに、ようやく、ロゼアからも不安げな目が向けられた。しかし、なにを言うよりも早く、妖精が合意の上よ文句ないわね、とぴしゃりと告げた。
ロゼアはなにか察した顔つきで、シディごめんな、ありがとう、あとでなにか薬を貰ってくるから、と囁いた。シディが無言で、力なく頷いたのを確認してから、ロゼアの目がゆっくりと室内を見回した。病床として用意され、整えられた部屋に置かれた寝台の数は四つ。部屋の一番奥に寮長、その隣は今は空いているが、使われている気配があった。
一番扉に近い位置で眠っていたのがロゼア。その隣がリトリアである。部屋の奥には寮長と、四人の、知った顔知らない顔入り交じる白魔術師たち。彼らはすでに警戒を解いて苦笑していたが、ロゼアはきゅうと眉を寄せ、ソキを庇うように深く、抱き寄せ直す。
「あの後……なにが……?」
「わたしからも話せるけど……。もしかしたら、一番詳しいのは、ソキちゃんかも……? あっ、でも他国からのことなら、わたしでも、ナリアンさんでもメーシャさんでも、お話しできると思うわ」
「……ソキが?」
見れば、ソキはあわあわしながら、隠し持っていた書状を、思い出して取り出している所だった。なくしてはいけないし、万一、取られてもいけないので、ふわふわスカートの中に挟んでしまいこんでいたのだ。砂漠の王から託された正式な書状は、憐れな程しわしわの、くしゃんくしゃんの、よれよれになっている。
ソキはぴぴゃっ、と声を上げるとおろおろおろとあたりを見回して、ロゼアならどうにかしてくれる、と信じ切った涙目で、それをそろそろと差し出してきた。さすがに、しょんぼりしきっている。そ、そんなところに、と戦慄した声で呟くリトリアに、ソキはだってえぇ、と身をよじった。
「持ってたら落としちゃうですぅう……。リュックはアスルでいっぱいだったですし……どうしよと思ってたら、ジェイドさんと、アイシェさんが、スカートに紐を縫ってくれたんだもん……かんぺきな隠し場所だったですぅ……」
『そうよね。ソキのスカートめくるような命知らずなんていないでしょうし、忘れて寝なければ完璧だったわよね。……アタシもうっかりしてたわ。そんなに落ち込むんじゃないのよ、ソキ。読めればいいのよ、読めれば。……そうよね?』
頷け、そして読め、という圧力をソキ以外の全員が感じ取る。受け取ったロゼアが、さすがに引きつった表情でしわだけでも、と手で伸ばしにかかるのを見つめ、ソキはすすんと鼻を啜って訴える。
「へ、陛下だって、しまって行っても良いって言ったもん……。届くのが最優先で、この際だから、もう他のことは考えないって言ってたもん……ほんとだもん……」
『そうよ。陛下なんか、最初から届く以外のことは諦めてたわよ』
「……ソキ、よくお届けできたな。偉いな、頑張ったんだな」
一瞬だけ、申し訳なさそうな、達観した目をして。ロゼアはしょんぼりしおしおしたソキに向かって、心からの声で囁きかけた。ちら、と視線をあげたソキが、くちびるを尖らせながらもこくりと頷く。
「そうなんですよ。ソキ、ソキね、頑張ったの……くしゃくしゃにするつもりじゃなかったです……ほんとだもん。ソキ、言われたお仕事、ちゃあんとできたもん。……ロゼアちゃん、くしゃくしゃ、なおる?」
「大丈夫だよ、ソキ。寮長が読んでくださるからね」
「お前、この流れで俺に投げるなよ……。まあ、水に落とした訳でもないし、大丈夫だろ。多分な」
幸い、往復を前提とした書簡でもなく、王も最初から予想して諦めてくれていたとも聞くし。寝台から動かないでいる寮長に代わり、歩み寄った白魔術師が笑いながら書状を運んでいく。悪いんですか、と問うロゼアに、寮長はけろっとした顔でよくはないな、と言った。
「正直、立つと目眩がする。まあ、あと何日か寝てれば治るだろ」
「……寮長、ソキのおはなし聞けるです? もうおやすみの時間? ソキ、なら、レディさんにおはなし……ねえねえ、リトリアちゃん。今の、責任者さんって、だーれ?」
ソキねぇ、責任者さんとおはなしして、リトリアちゃんを連れて行かないといけないんですよ、お仕事なの、と告げるソキに、リトリアはえっ、と言った。
「責任者は……寮長と、レディさんと、ツフィアだけど……。わ、わたし? なんで? え、えっ、その、私、あの、まだなにもしてな……い……いいこにしてるわねって昨日もツフィアが褒めてくれたし……」
褒めたのではなく、念押しだったのではないだろうか、と疑惑に満ちた眼差しで妖精は息を吐く。別に連行してこい、という意味ではないのだが、ソキの言い方が悪かったのだろう。だって砂漠の陛下も楽音の陛下もリトリアちゃんねって言ったですぅ、とごねる口調で言うソキに、話がややこしくなるから筋道立てて説明できるようになるまで黙っていなさい、と言い聞かせて。
妖精は戸惑うリトリアに、大丈夫よ、と囁いた。
『誰が叱れば一番効果あるのって話だから』
「……もしかして、花舞?」
『そうよ。アンタがやらかしたことは置いておいて、アンタの危惧そのものはすこぶる正しかったってこと。……まあ、ソキが一旦はなんとかしてきたから。そう慌てなくても大丈夫よ』
ソキちゃんが、と不思議そうにリトリアは瞬きをした。なにしてきたんだろう、と言わんばかりの目を室内からいくつも向けられて、ソキはロゼアの腕の中から、はりきって、ものすごくじまんげに、それはもう調子にのった様子でえへんえへへんと胸をはった。
「ソキぃ、とぉってもぉ、頑張ってきたんでぇ、リボンちゃんだって陛下だって、頑張ったって褒めてくれたですしぃ、メグミカちゃんだってさすがソキですうっていっぱいいっぱい褒めてくれたですしぃ、な、なんと! お兄様だってお前限度を見極めろとか褒めてくれたんですよぉ?」
レロクに関しては、褒めたというより窘めたのだが。ソキの中では褒められた、ということで処理されているらしい。あ、そうだメグミカだ、と眉を寄せてソキの服装を見下ろし、『花嫁』がきょとんとして見上げた時には、いつものような柔らかな笑みを浮かべて。ロゼアはソキの頬をやんわり撫でながら、優しい声で囁いた。
「ソキ、『お屋敷』にいたんだな。誰に会ったの?」
「メグちゃんとぉ、ユーラとぉ、ルゥベオとぉ……」
指折り数えて教えるソキに、ロゼアの笑みがふっと深くなる。ソキの世話役に、一人の漏れもなかった。当主とラギの名、両親の名まで出てくるに至っては、ロゼアはソキの前では珍しく、額に手を押し当てて首を振る。あとねぇ、じぇいどさんっ、きらきらなのっ、それでねあのね、とソキは、『花嫁』が、と続けようとしたのだが。
誰だよそれ、というのを隠しきれていないロゼアが問うよりも早く、書状を読み終わった寮長が、質問と確認がある、と言ったので。ソキは礼儀正しく、はぁい、と返事を響かせた。かしこくかわいいソキなので、お仕事を思い出したことだし、ちゃあんと、しっかり、できるのである。ふんすふんふとやる気に溢れた様子のソキに、ロゼアはそっと息を吐いて。ソキ、あとで俺ともおはなししような、と囁いた。
ロゼアだねぇ、ロゼアだな、よかったよかった、とほのぼのとした視線が、白魔術師たちから向けられている。そんな所で事実確認を深めないで欲しい。妖精の見下ろす先、ソキはご機嫌な笑顔で、はーいっ、と返事をしていた。寮長に対するものより、百倍は甘い声だった。
まず、なぜ『学園』を離れたのか。どこへ向かおうとしていたのか。誰と共にあったのか。寮長の確認を重ねるような、慎重な尋問めいた言葉たちに、ソキは、おしごとをできるかしこくかわいいソキなんでぇ、というじまんげな態度のまま、次々と順に答えて行った。助けてをしに行ったです。星降かね、花舞に行こうとしてたんですよ。でも『武器庫』だったです。
この間違いはソキのせいではないです。それでね、リボンちゃんと一緒に行ったんですよ。リボンちゃんはずぅっと一緒にいてくれたです。あっ、アスルも一緒に頑張ったんですよ。ソキに時々もふもふされる係だったです。けんめいにやくめをはたしてくれたです。さすがはアスルですぅ、と自慢するソキにはいはいそうねと頷いて同意してやりながら、妖精は密かに感心していた。
まず、ソキが相手の質問にちゃんと答えている。ソキが答えていると言い張っているのではなく、質問に対する回答として、適切な言葉を選べている。進歩である。同時に、やはりやればできるということなのだ。目頭を押さえればいいのか、頭痛を堪えて額に手を押し当てればいいのか感情に迷う妖精に、寮長は全面的に同意する顔つきで、ただ息を吐いた。
言いたいことは多々あるようだったが、ソキの機嫌とやる気と集中と、その他諸々を折ってしまいそうだと堪えてくれたのだろう。ロゼアだけがなにも堪えず、膝でもそもそ座り心地を調整するソキを抱きなおし、偉いだのかわいいだの口にしている。覚えてろよこのやろう、と理不尽な怒りをまたひとつ生み出し、妖精は腕組みをして寮長に視線を投げかけた。
責任者の一人たる男は視線の意味を違えず、ソキをひたと見つめながら言葉を重ねていく。それから、どこへ行ったのか。誰と会い、なにを話したのか。なぜ次々に国を巡っていったのか。移動手段について。『扉』が起動したのはなぜか。なぜ、それが可能だと思ったのか。予知魔術師として、魔力を枯渇させてしまうことはなかったのか。
ソキは、質問はいちどにひとつまでにしてほしいですぅ、と頬をぷっくり膨らませながら、察していたロゼアにひとつひとつ質問を繰り返されて、にこにこと回答していく。視線はすでにロゼアに固定されていたが、寮長は些細なことだとそれを放置してやった。重要なのは、ソキから正確な答えが返ってくることである。必要なのは広い心と妥協の気持ちだった。
いつの間にやら戻って来たナリアンとメーシャ、ニーアとルノンに見守られながら、ソキはあのねあのねと囁いていく。『花嫁』の声は甘くふわりと響き、けれども不思議に、聞き取りにくいと誰にも思わせることなく奏でられていく。医務室の扉は全開にされ、戸口には魔術師たちが鈴なりに、ソキの無事を確かめ、何があったのかを知ろうとじっと耳を傾けている。
そこから新たに室内に入ってきたのは、なんとか復活したレディと作業に区切りをつけてきたツフィアくらいのもので、魔術師たちはあとは礼儀正しく、廊下の人口密度を増やして行った。場所を奪い合うことはなく、大きな声ひとつ響くことはない。ひしめき合い、ぎゅうぎゅうと身を寄せ合って。それなのに、奇妙なまでにしんとする中、静寂の中。ソキは言葉を語っていく。
『扉』が使えた理由。予知魔術師であるからこそ、可能だったこと。王たちの動向。戦わせてなるものか、とその思いだけで国を巡って行ったこと。砂漠に帰り着いて倒れたことはふんにゃふんにゃと鳴いてごまかし、『お屋敷』に行ったこと、ジェイドに会ったことを話していく。ふたたび、砂漠の王に会い、命じられたことを聞いて、リトリアはようやく安心した表情で胸を撫で下ろした。
そういうことなら、ソキちゃんの準備ができたら、いつでも私は大丈夫よ、と囁くリトリアに、ソキは満足そうにこっくりと頷いた。だからぁ、そういうことなんでぇ、と質問に対するなにもかもを語り終えたソキは、疲れた顔になりながらも、ふんすふんすと鼻息あらく、腰に手をあててふんぞりかえった。
「ソキ、とっても、とっても、とおぉっても! 頑張ったんですよ。すごいでしょう? ほめて?」
「うん。本当に、よく頑張ったな、ソキ。偉いな。頑張ったんだな、ソキ。……リボンさん、ありがとうございました。本当に……!」
なぜ『お屋敷』に行ったのか。誤魔化しきったです、と思っているのはソキだけである。メーシャもナリアンもよかったと目頭を押さえているし、リトリアですら察した顔をしているし、ロゼアが分からない筈もない。改めてソキの頬に手をやり、首筋に滑らせ、と確認しながら祈りを込めるように告げてくるロゼアに、妖精はどうも、と腕組みをして頷いた。
そこまで止めきれなかったことを、妖精は己の未熟だとも思っているので、あまり感謝を、特にロゼアにはされたくないのだが。否定して受け取らないでいる程でもないのである。複雑そうな妖精に、でもあなたが居なければ、と恐ろしい可能性を口に出しかけてつぐみ、ロゼアはきゃっきゃとはしゃぐソキを、閉じ込めるようにぎゅうと抱き寄せた。
ふっ、ふにゃあんきゃああぁあんっ、と蜂蜜色のとろけた声が、ちたちたぱたたと室内に響き渡る。ロゼアに褒めてもらえて嬉しくて、さらにぎゅっとされてしあわせいっぱいになっているのはソキだけで、室内も廊下も、語られた言葉の衝撃から逃れられていなかった。ソキは、つまり。戦争を回避させてきた、と言ったのだ。その火種を、不安を、ひとつひとつ拾い上げて。
丁寧に丁寧に言い聞かせて、誤魔化して、目隠しをして、尖った感情には丹念にやすりをかけて、それでも届かないところには次の手を用意して。帰ってきた、と言ったのだ。たったひとり、助けを求めて。たったひとり、戦いの意志を知り。たったひとり、それと戦い抜いてきた。膨大な戦果である。ひとりで、よく、と呟いたツフィアに、ソキはちがうもん、と即座に否定した。
リボンちゃんとずっと一緒だったって、ソキちゃんと言ったでしょう。それにね、アスルだっていたですし、みんな、みんな、たくさん、ソキをたすけてくれたです。えへん、とするソキに、ツフィアは笑ってそうね、と囁く。響いた言葉はそれだけで、あとは祈りのような、信仰のような静寂が降りてきていた。それは途方もない願いを、叶え切った旅路の物語だった。
それでいて、まだ途中の。これから先のある、未来へ向かう、物語だ。はー、と感心と呆れが混ざった息を吐き、寮長がよくぞ、と口を開く。
「よくぞ、そこまで……頑張ったな。ソキ、本当に、よく、頑張った。よく、やりきって、戻ってきてくれた。偉いぞ……」
「うふん。うふふん! でぇえっ、しょおおおぉお……! あ。それでね? だからね? りようちょ? リトリアさんと、ソキね、花舞に行かないといけないです。いーい? はいって言ってぇ?」
「許可はする。明日、明後日には動けるようにすぐ調整しよう。……今日はゆっくりしてろ、もう夜遅いからな。いいな?」
はぁーい、と返事をしたのはソキだったが、寮長が問いかけたのはロゼアである。ロゼアはなんとも言い難い表情で沈黙したのち、ソキをやんわりと抱き寄せて告げる。
「俺も一緒に行きます」
きゃあんきゃあぁんロゼアちゃんいっしょおっ、とはしゃぐソキの声が響くのに被せるように。寮長は首を横に振り、きっぱりと言い放った。
「駄目に決まってんだろ。不許可」
「いやぁああぁん! ソキ! ロゼアちゃんと! いっしょおおおぉ!」
ちたぱたたたたっ、と暴れてやんやん主張するソキに、決して譲らない態度で駄目だと言い聞かせ、寮長はロゼアを睨みつけるようにして口を開く。
「ロゼアとフィオーレの身柄は、安全が確認され、確保されるまで『学園』預かりとなる。寮の中なら自由にしていいが、白魔術師がひとり、常時監視につく。決定事項だ。覆らない。……大体、ソキと一緒に行く理由はなんだ? 体調面に不安があるのは理解できるが、ソキはひとりでも立派にやり遂げることのできる魔術師だ。なぜか今それが証明された。なぜか。いや俺にも不思議だが」
「そきぃ、ロゼアちゃんがいないとぉ、なぁんにもできないきがぁ、してきたんでぇ」
だから一緒がいい、一緒に行く、というソキの主張は完全に無視された。ツフィアも厳しい顔をして沈黙している。いやだ、と語る態度でやんやん暴れるソキを抱きしめているロゼアに、ナリアンとメーシャがそっと寄り添った。
「ロゼア……。また、同じことになると大変だよねってこと、だよ。体調だってよくないよね。今はゆっくりしていようよ。ね?」
「メーシャくんの言うとおりだよ、ロゼア。……大丈夫。ソキちゃん、すぐ帰ってくるよ。ね?」
「あっ、なんだかロゼアちゃんなしで、ソキが頑張らなくてはいけない流れです……! これは、よくないです。よくないですううう!」
いやぁあん、ソキはもうロゼアちゃんなしを十分頑張ったですぅ、だからロゼアちゃんありで頑張りたいですぅやんやんややん、とぐずって騒ぐソキに、心からの息を吐いて。寮長は半分以上信じられなくなって来た眼差しで、疑惑も強くソキを見た。
「お前……本当に五王に交渉してきたんだろうな……?」
「したもんしたもん! だからぁ、ソキ、リトリアちゃんと花舞に行ってぇ、レディさんと砂漠にだって行かないといけないです! いそがしです! ロゼアちゃんをよーきゅーするですうううーっ!」
『上手く行ったらよ、ソキ。リトリアの件が上手く行ったら、魔法使いを連れて砂漠に行くの。駄目だったら楽音に行くのよ』
癇癪を起こした裏返った声で、そきわかってるもんっ、と叫ばれる。すっかり機嫌を損ねきったソキを、見るに見かねたのだろう。それぞれの持ち場に戻っていく魔術師たちを見送っていたリトリアが、あの、とそろそろと手をあげた。
「ロゼアくんは……難しいだろうなって私にも分かるんだけど……。寮長、あの、ナリアンくんか、メーシャくんなら……?」
「……はぁ?」
「だから、あの、ロゼアくんの代わりに、ナリアンくんか、メーシャくんについてきてもらうの。それなら、ソキちゃん、頑張れるんじゃないかしらって。……どうかな? だめ? ねえねえ、ツフィア。だめ? ねえ、いいでしょう? ね? 私、いいこにしてるし、うんと頑張るから……!」
役目は分かってるの、花舞の陛下を怒ればいいの、そんなことする陛下なんてだいっきらいって言ってくるから安心して。まかせてっ、と自信に満ちた顔をするリトリアに、もの言いたげなため息をつき。けれども言葉にはせず頬を突いて。ツフィアは室内の注目を集めながらしばし考えて、すっ、と寮長に視線を流した。
寮長には悪いことに、ツフィアはリトリアを甘やかすことに決めた顔をしている。
「どちらか、なら、問題はないと思うわ。どうかしら?」
「……ソキにリトリアに、ナリアンかメーシャ? ……なにか起こった時に不安がある」
「あら、予知魔術師を監督役もなく出歩かせる方が不安ではないの? 心配なら私も行くわよ。短時間なら離れてもかまわないでしょう? 今の状態なら、問題はない筈よ。そうよね?」
おまえ、それが、いいたかっただけだろ、と頭を抱えて灰色の声で呻く寮長に、白魔術師たちからは同情に満ちた視線が向けられる。寮長はしばらく悩み、やがて、ふくれっつらのソキを見て苦笑した。
「まあ、いいだろ。……ソキ」
「なぁあんですかー……」
「選んでいいぞ。ナリアンか、メーシャか」
どっちを連れていきたい、と尋ねられて、ソキはぱちくり瞬きをした。ロゼアちゃんですぅー、と言うと、ナリアンかメーシャな、と繰り返される。ぷぷっと頬を膨らませて、ソキはきゅうっと眉を寄せた。どちらか、と言われても。どっちもロゼアではないし。どっちのことだって、ソキは大好きなのである。
ええ、ええぇ、と声をあげて、ソキははっと気がついた顔でこれはまさかですぅっ、と拳を握る。
「二人共好きなんでぇ、ソキには選べないですぅ、をすると二人共来てくれたり、正直者のご褒美にロゼアちゃんもついてきてくれるやつなのではっ? ソキくわしいです!」
『そんなこと言ってると、リトリアと二人旅に出されるわよ。なにその予知魔術師の珍道中。絶対に関わりたくないけど絶対に野放しにはできない……』
うやぁあああ、とまだ納得していない声をあげてちたちたと抵抗し、ソキは困りきった顔でロゼアと、ナリアンと、メーシャを見た。ナリアンは頑張るね、という決意の顔で、メーシャはどっちでもいいよ、と楽しげな笑顔で、ソキの答えを待っている。ソキが決めないことには、もうこれ以上話が進まないことを理解して、『花嫁』はたいへんなことになってしまたです、と鼻をすすった。
選択肢の難易度が高すぎる。結局、妖精が助け舟を出すまで延々と悩んでいたソキが、くじびきしてもらうぅ、としょぼくれた声を出すまで。一時間はそのままだった。