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 舌打ちをして、エノーラは即座に周囲に魔術具を投擲した。うつくしい真円を描いて散らばった鉱石たちが、まろやかな光を放ちながらそこで世界を隔絶する。その場の誰にも断ることなく全てを封じ込めたエノーラに、しかしシークはゆったりとした態度を崩さず、微笑んでいるばかりだった。言葉はない。
 エノーラは怒りに息を乱し、指先を震わせながらシーク、リトリア、ソキ、ロゼアの順番に状態を確認した。ジェイドから受けた報告によると、言葉魔術師は予知魔術師の呪いを受けて動けないでいる筈だった。しかし錬金術師の精緻な目でいくら確認しても、その残滓すら見つけることはできなかった。完全に影響から脱している。それどころか、男の状態は万全に見えた。
 悠然と佇んでいるように見えて、張り詰めた意思がそこにある。満たされた魔力はすでに引き絞られたままで保たれ、即時の発動が可能だと、錬金術師に知らしめた。準備が終わっているのだ。なにも無計画に、ソキを放った訳でもないらしい。全て整ったからこそ、ソキは見かけだけ自由にされて、ロゼアにたどり着いたのだった。
 リトリアとロゼアに気が付かれないよう、彼らのやりとりを罠として、ソキが現れるのを待ったのはエノーラの判断だった。『扉』から感じた妨害の魔力はあまりに近く、すぐ側でなくとももう地下牢から脱して、城内にいることが察せられたからだった。エノーラがなにも言わずとも、動きと目線で感じ取り、ジェイドもラティもレディも、最大限の警戒をして魔力の揺れ、ほんのかすかな違和感すら受け止めて反応できるようにしていたのに。
 予知魔術師の魔術は、四人の予想を遥かに凌駕してそこにあった。どうすればいいのだろう、と途方に暮れかける意識を殴り倒して、エノーラは呼吸をする。どうすればいいのか、なんて決まっている。リトリアを助けて、ソキを取り戻して、ロゼアを解放させて、そして。シークをぼこぼこのめこめこにするのだ。
 物理的にへこみを作ってやるから覚悟しなさいと怨念を込めて吐き捨て、エノーラはリトリアに視線を移した。少女は、青褪めている。失敗した、とばかり己を責める表情に、エノーラは首を横に振る。リトリアが捉えられたのは、エノーラたちの油断だ。無断で罠にされたリトリアのせいではない。はく、と少女は声もなく口を動かして、眉を寄せた。
 力の抜け落ちた四肢に、震えるような力が込められる。溺れるように、もがくように。リトリアは首に指先を押しあてて、苦しげに喉を引っ掻いた。あえかな声がこぼれていく。
「いや……いや、やめて、シークさん。おねがい、おねがい……! いや、いやぁっ……やめ、やだ、やだぁっ……! ツフィア、ツフィアっ……! ストルさん……! いや、いや、っ……!」
 それは凌辱に等しかった。シークの魔力がリトリアを侵食し、己の意のままに書き換えようとしている。ソキと同じように。リトリアも武器として扱おうとしている。いや、ともがいてリトリアは手を虚空に伸ばす。そのすがる手を見ながら、誰もその場を動けないでいる。ロゼアに抱かれながらふわふわとあくびをするソキの魔力が、魔術師たちの足を縫い止めていたからだ。
 床に落ちた影の形のまま、体がどこも動かせない。視線と瞬き、呼吸、思考だけが影響を免れている。エノーラの術式が、空間を固定してすぐのことだった。これ以上の抵抗を煩わしく思うような魔術だった。リトリアは全力で抵抗しているが、拒絶しきれないのは、少女が予知魔術師であるからだった。魔術師としての性質が、言葉魔術師の望みを受け入れようとしてしまう。
 リトリアの対はツフィアである。武器として扱い切れるのはツフィアだけだが、やってできないことではない、程度の精度で、他者の予知魔術師を操るのは決して不可能なことではないのだった。燃え広がる炎に、それでも水をかけるように。いや、とうわ言めいた声で否定し続けるリトリアに、ふわわわ、とあくびをしたソキが、ぱちくり瞬きをする。
「シークさん、リトリアちゃんをいじめてるぅ……! いくない! いくないですぅ……? うん。いくないです! えいえいえい!」
 ぱちん、と糸を切るような乱暴さではなく。しゅる、と繊維を解いてしまうような穏やかな、守護だった。はっ、と大きく息を零して脱力したリトリアは、まだシークの腕に抱きとめられながらも、支配を逃れて息を整えようとしている。あーあ、と呆れ混じりに苦笑した言葉魔術師が、咎めるように己の武器を見た。
「ソキちゃん? キミに、ソコまで自由にシていいトは言ってナいヨ?」
「しーらーなーいーでーすーうぅー! リトリアちゃんをいじめるの、いくないもん! ソキでじゅうぶん、というやつなんですよ。にとを、おうものは、いっとも、えず、というやつです。よくばりさんはいけないです」
 なんといっても、ソキが、ソキがいるのに、リトリアちゃんもだなんて、なんというよくばりさんです、と憤慨して。ソキはふんわふんわした発音のまま、ロゼアの名を呼び、ぴっとりと体をくっつけて抱きつき直した。エノーラは慎重にロゼアを見る。シークがエノーラに成そうとした支配とはまた違う、ソキの魔力が、ロゼアのことを包み込んでいた。
 恐らく、と錬金術師は分析する。状態として、本人の意識はある筈だ。夢を見ているように。感覚は鋭利にも鈍くもなっているだろうが、言うことを聞かないともどかしく思うより、ぼんやりとして眼前を流れていくものを見つめている。反応はするが、反射であって意思ではない。そういう状態だろう。
 ソキを抱き直すのも、髪を撫でるのも、その動きに慣れ親しんだ体が、ほんの僅かな意識の揺れに反応して仕草として出しているだけで。そうしているのはロゼアではない。その、残り香だった。眠っている。夢を見ている。そうして、守られている。ソキ以外の、なにもかもから。
 ソキはロゼアちゃんロゼアちゃんとすりすりぐりりと体を擦りつけたあと、ふんすっ、と満足げに鼻を鳴らしてシークへ顔を向けた。そこに怯えも恐怖もなく。瞳にきらきらと輝く意思はなく。硬質な、人形めいた冬薔薇の瞳で、ソキはいつものようにぱちくり瞬きをしている。
「もくてきは、たっせーした、でしょう? だからぁ、リトリアちゃんはおいてくです。ソキ、ロゼアちゃんがいれば、だいじょうぶだもん。ね? ね?」
「ふぅん? イヤなのカい? リトリアちゃんが一緒ナの」
「そういうんじゃあー、ないんで、す、け、どぉー」
 ぷっぷり頬を膨らませて、ソキはすいっと視線を動かしてエノーラたちを見た。すぐに視線がそらされ、甘くいとけない声が告げていく。
「だって、みんな、おこってるです。リトリアちゃんは、だめ。……ロゼアちゃんだけにするです」
 ぜいたくはいけないです、ソキだけでもじゅうぶんに、ぜいたくがすぎる、というやつなのに、な、なんとっ、ロゼアちゃんまでいるんですよ、と言い聞かせるソキの姿は、ナリアンもメーシャもよく知るものだった。その魔力が、声すら出せぬほど縛り付けて来ていなければ。ふぅん、と面白がる響きで笑うシークに、ソキは調子に乗った様子でふんすふんすと話していく。
「もちろん、ナリアンく、もぉ、メーシャくん、もぉ、だめ、ですよ。ソキだけ、ソキだけです。あっ、ラティさんと、ジェイドさん、レディさんもぉ、だぁめ。わかったぁ?」
「……分かったよ、キミ。ソキちゃん?」
 すっ、と目を細めたシークが、ご機嫌にさえ見えるソキに顔を寄せる。
「意識がアるネ……? ……ふむ、抵抗はしなくなっタにせよ、コれは困ったナあ……どうシようネ?」
 ロゼアが一歩後退する。腕の中で微かに震えたソキを、原因から遠ざけて庇う、ごく自然な『傍付き』の仕草。ソキは硬質な瞳をぱちくりさせながら、あわあわとロゼアに抱きつきなおした。大切なものを腕いっぱいに抱きしめて、隠して庇おうとする、幼子の仕草。
 だいじょうぶです、ロゼアちゃん、ソキはだいじょうぶ、だからうごいちゃだめ、いいこにするです、ソキだいじょうぶ、ね、ね、とこしょこしょ言い聞かせるソキに、ロゼアからの返事はないままだ。それでも、緊張したように、空気がぴんと張り詰める。だめ、だめぇっとぐずりながら、ソキがぺちぺちとロゼアの背を叩いた。
 ナリアンとメーシャには理解ができる。あれは痛くないし、なんというか、逆効果である。ほとり、太陽の魔力が零れ落ちる。ぴぎゃああぁんっ、と声をあげて、大慌てで、ソキがロゼアに抱きつきなおした。
「ロゼアちゃん、めっ! めっですよ! やぁんやんやんなんでですううううっ! ふんにゃっ、やううぅ……あ、えっと、えっと! や、やめてくれないと、ソキ、ロゼアちゃんと、くちきーてあげなぁです!」
 ぴた、となにかを食い破ろうとする魔力の気配が止まる。ほーっと胸を撫で下ろして、ソキはロゼアにぺとんとくっついたまま、くちびるを尖らせてシークを見た。硬質な瞳の裏に。きらめく、決意する、強い意識がまだ隠れている。
「いーい? ロゼアちゃんは、ソキの。ロゼアちゃんはぁ、ソキのなんでぇ、シークさんのじゃないんでぇ。だめなんですよ?」
「ふぅん……? 言うコと、キかせラれるね?」
「もちろんですぅ! ロゼアちゃんたらぁ、ソキのいうことなら、なーんでも! きいてくれるんでぇ、いつもそうなんでぇ」
 ほんとお願いだから本当に心底お願いだから時と場合と相手を選んで自慢してほしい、と地に伏せながら妖精は思う。魔術師を縛る魔力にやられて、妖精たちは次々と着地し、立っていることもできずに座り込み、あるいは伏せてしまっていた。だからソキの、ふわふわした声だけが聞こえてくる。ソキの表情が見えない。どんな顔でそれを言っているのかも分からない。
 ぎりっと歯を噛み締める妖精の頭上を、言葉魔術師の声が通っていく。
「そレなら、まぁ……いイか。ボクのお人形サんにも、困っタもノだヨ」
「うふん。さ、ロゼアちゃん、いくですよ。あのね、『とびら』にいくの。それでね、あとは、ソキにまかせてほしです」
「……通さないわよ」
 業火のような声で告げるエノーラに、ソキがぱっと顔を向けた。だめ、と声が必死に囁く。
「だめ、だめですよ、エノーラさん。なにもしないでくださいです。なにも……もう、ソキも、シークさんもなにもしないから。エノーラさんにも、さばくにも、なんにもしないですから……! ね、ねっ! そういったです! ねっ?」
「そウだよ、そノ通りダ。抵抗しなければ……キミが抵抗さセなけレば、ボクはもう、なぁんニもシなイよ」
「ね、ねっ、いったです。ねっ! あのね、『とびら』にいかせてほしです。それでね、しらゆきにいくです。それでね、それでね……ソキ、ソキ、けんめいにがんばる、がんばるですから……! だ、だから、リトリアちゃんは、つれていっちゃだめ、ですよ。ソキ、ひとりで、じゅうぶんだもん! ほんと! ほんとだもん……!」
 あぁ、と妖精は吐息した。妖精が気がつくのだから、場の誰にも、シークにも、分かられてしまっているだろう。ソキは己以外の全てを守ろうとしている。そうしようと決めて、そうするために、恐らくはあえて支配を受け入れたのだ。あえて、支配したのだ。ロゼアのことを。どんなことをしても、取り戻してくれると知っているから。
 なんてこと、と妖精は目が眩む怒りに、四肢に力を込めた。ソキの、守らなけらばいけないものなんかに、どうして含まれなければいけないのか。リボンさん、と掠れた声で囁くシディに、アンタはそこで倒れて待ってなさい、と告げて。妖精は立ち上がった。力いっぱい地を蹴り、疾風のように舞い上がる。
『ソキ!』
「り、りぼんちゃ、だ、だめ、だめ……!」
『なにが駄目なの言ってみろっ! この強情分からずやすっとこどっこい! 努力の方向を! 間違えるんじゃない! 何回言わせるんだっ!』
 あう、と怯えた声で震えるソキの、魔力がほんの僅かに緩む。その機を逃さず全力で抵抗する魔術師たちの気配を感じながら、妖精はシークを無視してソキだけを見ていた。冬薔薇の瞳に、じわじわと感情と、ひかりが滲むのを。蘇っていくのを。息をするその様を、見ていた。だって、だって、と言い募るのに、妖精は許さず言葉を叩きつける。
 聞きたいのは、そんなことじゃない。
『しなければいけないことなんて、たった一つよ! この言葉魔術師のことなんて無視しなさい、無視! アタシの声だけ聞きなさい! 分かったっ?』
「は、はぅにゃ……あぅ……リボンちゃんがおいかりです……どうしよです……」
『アタシの! 言うことを! きけって言ってるのよーっ! 返事はっ?』
 ぴるぴるぷるる、と震えながら、ソキはわかったですうううっ、と泣きぐずった。予知魔術師の宣言に、言葉魔術師の支配が僅かに緩むのを感じ取る。しかし、僅かだ。数分もすればあっけなく復元してしまうだろう。けれども、それで、もう十分だった。妖精は告げるべき言葉を知っている。ソキが必ず、それに応えると信じていられる。いい、とソキと目を合わせて妖精は言った。
『必ずアタシが助けてあげる。必ずよ! だから、アタシの言う通りなさい』
「……案内妖精ごときガ、つヨく出たモのだネ?」
 はん、と妖精は言葉魔術師の挑発を笑い飛ばした。確かに、たかが、案内妖精だ。大したことはできやしない。ただの案内妖精であるならば。ソキ、と妖精は己の魔術師と視線を合わせ、息を吸い込んだ。覚悟は決まっていた。このいとけない少女を、『学園』に歩んでいくその背を、くらやみから見送ったあの日。あの旅の終わり。あの夜から、ずっと、ずっと。
 決めていた。ずっと一緒に行くことを。ずっと、一緒にいることを。
『この場にいる魔術師が証人となる。……さあ、ソキ、聞きなさい。アタシは妖精、花妖精。花としての名を、まことの名を、アタシの魔術師、ソキへと受け渡す!』
『承認する!』
『承認します!』
 シディの、ニーアの、ルノンの悲鳴じみた声が妖精の背を押した。妖精たちは知っている。名を差し出すその意味を。魔術師と契約を成す、ということを。彼らは妖精の同胞。そうであるが故に。なによりも強いちからで結びつき、魔力そのものが祝福となり、守護となり。この世の悪意、なにものからをも、魔術師を守るちからとなる。
『アタシの花は、アタシの名は――セルリア。セルリア・ブラッシング・ブライド! さあ、ソキ! アタシになんて言えばいいのか、分かっている筈でしょうっ? 言えっ!』
 喉に、ひっかかっているような音を、零して。ソキはぎこちない動きで、意思の乗った動きで、妖精に向かって両腕を伸ばした。震えながら。涙を浮かべて瞬く、その瞳は目覚めた翠。うつくしい、森の木々のいろ。
「った……たす、けて……! たす、けて! たすけて、たすけて助けてっ、リボンちゃん!」
 その言葉を、千年。待ったような気持ちで、妖精は任せなさいっ、と言い放った。



 妖精の魔力は、驚くほど素早くソキに馴染んだ。繰り返す鼓動と同じ速さで、親しさで。生まれ落ちた命より長く、ずっとその傍らにあったような自然さで、予知魔術師の体が妖精の魔力を受け入れていく。とくん、とソキの心臓がひとつ脈打つだけの間に、妖精は躊躇いなく、己の魔術師となったいとしい存在の為に力をふるった。
 混ざりものの支配を全て流れ落とし、ソキだけの魔力で全身を満たし直す。いまや、ソキと妖精の魔力は同一のものだった。妖精と魔術師が契約する、というのはそういうことであり、ふたつの存在の根源が瞬く間にひとつになる。変質ではなく、それぞれが一歩ずつ足を踏み出して距離を近くして、手を繋いだような変化。穏やかであるからこそ、本質的な防衛にはならず。
 予知魔術師はその性質により、言葉魔術師の支配を跳ね除けきることができない。保って数分、あるいはそれ以下の自由。分かっているからこそ、シークは過度に慌てていないのだろう。舌打ちしたい気持ちになりながらも、妖精もまた、落ち着いていた。ソキの瞳は輝いている。己の胸の希望を乱反射させて。諦めず、すべきことを、知っている。
 ソキは妖精に促されるより早く、きっと前を見据えて手を伸ばした。その手が握られないことを、考えもしない、信じ切った姿。
「助けて……!」
 息を、吸う。かつての約束を思い出して。ソキは今度こそ、それを果たしてみせた。
「――助けて、ナリアンくん! メーシャくんっ、ロゼアちゃんを、たすけて!」
「ソキちゃん……!」
 風が逆巻く。暴風が、嵐がそこに顕現する。ソキと妖精、ロゼアを守り、正確にシークだけを押しのけ切り離す。ナリアン、メーシャっ、とソキの影響から脱したジェイドが声を張り上げる。無理するな、と半ば窘められても、します、と即座にふたりは声を重ねて言い切った。精密に過ぎるナリアンの魔術発動は、傍らでその腕に手を添えるメーシャが助けるものだった。
 魔術師のたまごの、まだ未熟な器を酷使する精密な発動。舌打ちをして、ああもうっ、と苛立たしくレディが声を荒げる。
「ソキさま申し訳ありません……! 手荒な解呪をお許しください……!」
「待ってあなたこの状況で? まだそんなことで悩む余裕が? 魔法使いどうしたのって思ってたらどうかしてただけだった?」
「言っておくとね、ラティ? 私は、私以外の全員がどうかしてると思ってるから別になんとも思わないわよ? 病める時も健やかなる時も払ってこその敬意だもの!」
 その通り、とばかり頷く筆頭の姿を見なかったことにして、ラティは左右に首を振った。つける薬もないので、諦めるしかないことだ。ごめんなさい申し訳ありませんと繰り返しながら影響から脱した火の魔法使いが、エノーラとラティをも救い出して、ナリアンの風に魔力を乗せるまでは滑らかだった。火炎を伴う防壁が、ソキたちと言葉魔術師を完全に隔離する。
 ナリアンとメーシャの腕を引いて後退させ、ソキとロゼアを保護しながら、砂漠の筆頭はため息をつく。
「いくらエノーラの隔離結界が壊されていないとはいえ……城に放火しないでください、と筆頭として注意はさせてくださいね、レディ? エノーラ、絶対に結界を壊されず維持していてください。城が炎上します。歴史に残りたくなかったら隔離し続けるように」
「冷静に考えて、今の状況って十分教科書案件じゃない? のちの参考になっちゃわない?」
『ねえ、アンタたちはどうしてそう、緊張感というものを保ち続けられないの? 集中力がないの? 飽きっぽいの? 馬鹿なの?』
 呆れ果てる妖精は、ため息を付きながらソキたちに視線を向けた。魔術師のたまごたちは、誰も彼もが床に座り込んでいる。ナリアンはまだ風を発動させたままだが、大部分の制御をレディが請け負っているのだろう。ほっとした様子でメーシャと視線を交わし合い、うん、と無言で頷き合っていた。そして、ロゼア。こちらも、ソキの支配から逃れたのだろう。
 身動きが出来ないくらいの力で抱きしめてくるロゼアの腕の中で、ソキがぷきゅりと潰れている。ロゼアは珍しく、ソキの息苦しさに配慮出来ていないのだろう。ぴきゅ、はぅ、とソキがもちゃっと動くたび、腕にぎゅうっと力がこめられて、一向に緩められる気配がない。このままだとソキが幸せ死、もとい窒息しかねない。
 気が付きなさいと妖精が怒鳴るより早く、あっと声をあげたメーシャが、ぽんぽんとロゼアの肩を叩いた。
「ロゼア、ロゼア。すこし抱き直してあげて。ソキが息できていないよ」
「……ぷふっ。は、はうー、はうー……はぅうにゃっ! メーシャく、ありがと、ですぅ。ナリアンくん、ありがと、です」
「うん、ソキちゃん。……うん、ううん……!」
 俺に、君を。助けさせてくれてありがとう。助けを、求めてくれてありがとう。半泣きになりながら告げるナリアンに、ソキはやや緩んだロゼアの腕の中でもぞもぞとしながら、満面の笑みで頷いた。ロゼアからは言葉がない。ソキを抱き留めて存在を確認するだけで精一杯で、意識の余裕がないようだった。
 それを良いことに、好き勝手もぞもぞくしくしはうーはううーっ、とロゼアを堪能するソキには、反省というものが欠片も見いだせない。はー、と深くため息をついて、ソキ、と妖精は己の魔術師を呼んだ。
『帰ったら事情説明のあと、お説教だからね。まっ……たく! 自分ひとりで解決しようとなんてして! どうしてそこで努力の姿勢を見せちゃうのよ……!』
「ちぁうもん。解決、しようとしたんじゃないもん。できたんだもん」
『はぁあん?』
 この大惨事を前にして、まだそんなことを言うのか、と妖精は眉をつりあげた。状況はすでに詰みである。リトリアはまだ解放されていないが、シークは先のように、予知魔術師を無理に操ろうとする素振りは見せていない。ソキもすっかり自由のようで、ロゼアちゃーんロゼアちゃーんソキーのーろぜあちゃーっ、とふんわふんわしたご機嫌な歌を響かせてにこにこしている。
 アンタたちもしかして緊張感っていう言葉の存在から知らないの、そうなの、と息を吐く妖精に、ジェイドから苦笑の眼差しが送られた。
「ごめんね、そのままにさせてあげてくれるかな。こちらはもう、任せてくれて大丈夫だから。ソキも怖かったから、安心したいんだよね。……ロゼアも」
「……大丈夫、なんですか? リトリアさんが、まだ」
 業火の壁の向こう。揺らぐ景色の向こう側で、リトリアがシークに囚われたままでいるのが見える。不安に訝しく問うナリアンに、ジェイドは頷き、ラティもレディもエノーラも、ごく普通の顔をしてあっさりと頷いた。
「大丈夫。そもそも言葉魔術師なんて、予知魔術師さえいなければ、魔法使いひとりで十分制圧できるのよ。リトリアちゃんは、まぁ……えっと……なんとかするわね……?」
「レディ。なんとかなってないのがバレて後輩が不安になりますから、そこはもうすこし隠して」
「筆頭。言葉を選んでください。筆頭のせいでバレたと言っても過言ではないのでは?」
 レディ、ジェイド、ラティの順番に視線を巡らせたエノーラが、うんざりとした顔で息を吐く。できれば一緒にされたくないんだけど、も顔にも声にも出して告げ、錬金術師はまぁでも大丈夫だから、と不安げな『学園』の後輩たちに告げた。
「唯一にして最大の問題は、リトリアちゃんが囚われてることを、どうやって事が終わった後も保護者どもに隠しておくか、ってくらいだから。本当に大丈夫。……よね? レディ?」
「もちろん。言葉魔術師の魔術は、射程距離がごく短い。接触が八割、音声の届く範囲が二割。これを守れば無略化は容易いし……その他の隠し玉が合っても、ソキさまが下さった守護が、これ以上の影響から、守ってくれる!」
『そんなことまでしてたの? ソキ』
 珍しいことに、ロゼアにきゃっきゃしながらも、ソキは周囲の会話をちゃんと耳にしていたらしい。えへんえへへん、とふんぞり返って、また強くロゼアに抱き寄せられながら、ソキはご機嫌この上ない笑顔でそうなんですぅ、と頷いた。
「あのね、なにもしないようにしたらね、なにもしないのお約束だったの。でもね、うゃんや、な気持ちだったの。だからね、保険、というやつなの。ソキはかしこいの。えへへん!」
『……影響が残ってないようでなによりだと、思いなさいアタシ。思うのよ……!』
 純度百パーセントのソキである。言動からも、己の魔術師となった今であるからこそ分かる魔力も、この上なくソキだけである。心底残念な気持ちになりながら、妖精はため息をついて魔術師たちを眺めやった。シークは先程から動かないでいる。声を発しもしない。息を整え、自由を取り戻したリトリアが、顔を伺いながらそろそろと腕を外して逃れても、引き止めもせずに好きにさせている。
 戸惑いながらも慌てた様子で、リトリアがととっ、と炎の壁に向かって足を踏み出した。いや待ってちょっと待ってお願い待って引火する引火する万一のことがあったら私の死因がリトリアちゃんになるっ、と騒ぎながら、レディが渦巻かせていた魔力の流れを停止させる。ふっ、と空間の圧が消えた。
 ととととっ、と無警戒に走って戻ってきたリトリアは、えっと、とすこし考えたあと、ぴょんとばかりにジェイドの背に隠れた。それから、そろそろと顔だけを出して、不安げにシークに視線を向ける。よしよし、無事に戻ってきて偉いですね、と頭を撫でてくるジェイドに、うん、とはにかんでから。リトリアは声を潜め、砂漠の筆頭に、あの、と囁いた。
「動かなくなっちゃったの……ど、どうしよう……?」
「決まってるわ。物理的に凹ませてから地下牢だか独房だかにぶち込んで、砂漠の陛下に報告して、『扉』を復旧させて全員撤収して! 私は白雪の陛下の! 靴底に! なる!」
「……まあ、エノーラの個人的な願望はさておき。やることは明確で、今述べた通りですよ。……リトリア、あちらでソキたちと一緒にいなさい。あとはもう、任せてくれていいからね」
 ラティ、長物貸して、ええぇいま長剣しか持ってないんだけど、それでいいわ貸して、素人が殴ると剣が折れるからエノーラの指示で私が殴ったり刺したりするのでひとつ、よし分かったわそれで、と交渉をまとめるふたりに、はいはい指示に従ってくださいひとまず却下、と両手を打ち合わせながら告げて。ジェイドは深い、深い息を吐き出して、ようやく、真正面からシークに向き直った。
 名を、呼ぶために。息を吸い込んで。それから長く、ためらいがあった。
「……シーク」
「……ウん? なに、ジェイド」
「諦めろよ。抵抗しなければ、酷くはしない」
 言葉の途中で、ジェイドの視線は地に伏せられていた。正面から直視し続けることが辛くてならない、という顔をしていた。はぁっ、と女性三人から渾身の不満声があがる。なにそれなにそれ馬鹿言ってるんじゃないわよ、分かったわ灰にして証拠を残さないから、筆頭この場面転換乱心とかほんとやめてくださいます、とかけられる声に。ふふ、と笑ったのはシークだった。
「……諦めル?」
「そう。……そうだよ、そう言ってる」
「ボクが、ボクをこの世界かラ消しタがるノは、キミにとっテそんナに不都合なコとなノ?」
 数秒の空白。は、と息が漏れるように声を落としたのはエノーラだった。理解不能の顔をして、錬金術師が瞬きをする。
「……え? 私、疲れすぎて何か聞き間違えた? アイツ、死にたいとかほざいてない? もしかしてこれ、手の込んだ自殺? よし殺そう! やったー! 本人から許可が出たー! これはもう殺害許可に他ならないのでは!」
「エノーラ、やめなさい。……シークが死ぬと、ロゼアくんの自我が消えて制圧される。そうだね? ソキ」
「ぜえええええったいだめですうううううう!」
 全員の耳をつんざく叫び声に、妖精が顔をしかめながら静かになさいと己の魔術師を窘める。ソキは興奮しきった様子でちたちたぱたたともがきながら、ロゼアにびとんっ、とくっつきなおして主張した。
「だからぁ、おんびんに、なんとかするんでぇ、ソキががんばるんでぇ!」
『ソキ、事態をややこしくしない為にも黙っていましょうね。……というか、もうすこし具体的に言えない? なにを、どう、頑張るつもりだったの? というか、アイツの目的はなに?』
 ここに至って、砂漠の虜囚の目的を知らないでいることに妖精は気が付く。興味関心好奇心がなかったから聞かないでいたけど、とエノーラは吐き捨て、そういえば、とラティとレディが視線を交わし合う。ジェイドは口唇に力を込めて視線を伏せていた。彼は、と砂漠の筆頭が苦しげに吐き出すより早く。ソキはふんすっ、と鼻を鳴らして言い放った。
「おうちにかえるの!」
『……なんですって?』
「だから、ソキ、道をつくるの! あっちの、別たれた世界まで!」
 その為に、一番距離が近い、白雪の国まで行かなければいけない。馬鹿なことを、と茫然と呟いたのは稀代の錬金術師だった。そんなこと、できる筈がない。それを可能としない為に、この世界は欠片として分断されたのだから。告げるエノーラに、シークは視線をあげて微笑む。ぐしゃぐしゃに踏み荒らされた、いびつな勿忘草の色を宿した瞳が、笑う。



 その為になら、その願いひとつ叶える為になら。
 どんなことだってすると、決めた。



 言葉は、その場の全ての意識に書き記されて染み込んで行く。言葉魔術師の影響下にあるのだ、と妖精は気が付いたが、すでに遅かった。妖精たちは一様に羽根を震わせて混乱し、己の導いた魔術師の元へ急行しては、悪しき影響がないものかと探り、確かめた。おぞましさに眉を寄せながら、錬金術師は前を睨みつけて言い放つ。お前の事情は知っている。異郷より来た言葉魔術師。
「けどね、そんな理由? たったそれだけの理由で、アンタ、ソキちゃんを誘拐して、魔術師の器を破壊し、今日に至るまで……諦めないでいたってこと? ……で、アンタはそれを知ってたって訳、砂漠の筆頭!」
 言葉魔術師の目的、理由は黙秘し続けられていた筈だった。砂漠の『花嫁』が誘拐された、五国の魔術師を震撼させたあの事件から、ずっと告げられずにいたからだ。折を見て会話は試みられていた。けれど言葉魔術師はのらりくらりと追及を交わし、無為に日々を消化していた。その筈だった。ジェイドは刃のような糾弾に顔をあげ、そうだよ、と言って息を吐く。
「知ってた。……シークが自分で教えてくれたからね」
「報告は……王に、陛下に報告はっ?」
 縋るようなラティの悲鳴に、ジェイドは口を閉ざしたままでいた。裏切者を見る、愕然とした眼差しが砂漠の筆頭に向けられる。くすくすくす、と笑い声。嘲笑う響きで、言葉魔術師は目を細めている。
「シてなイよねぇ、ジェイド? 出来る筈ガなイのさ。ボクを帰すダなんてイう試みハ、もうトウに試さレ尽くシた。もチろん、王サマたチの命令デね? 『学園』にイた頃から、何度も、何度モ、試行サれ、失敗シて、そして、ボクはもうコう告げらレてイるノさ……。諦めテ、砂漠ノ王に仕えヨ、とネ」
 ここで死ね、ということだよ、と。歪まず響く滑らかな声で、言葉魔術師は笑ってみせた。摩耗して、なお、その表情だけが残ったような、荒廃した笑み。
「諦めきれない」
「……それでも、その為に、お前がしたことは許されない。許されないんだよ……!」
「どんな手を使っても、なにをしてでも。誰を犠牲にしても、なにが犠牲となっても。諦めたくない、と思う。諦めてなるものか、と思う。……その気持ちを知っている筈だね? ジェイド」
 知ってるよ、とジェイドは言った。突然、家に帰れなくなる、これからもずっと戻れなくなる。突然奪われるその空虚さと、悲しみも、苦しみも。俺はきっと誰より共感して、理解してしまうことができる、とジェイドは言った。でも、と告げる言葉はふたつ、重なって響いた。ジェイドとシークは、鏡合わせのように立ちながら、向き合って微笑んで首を横に振った。
「俺には『花嫁』がいた」
「ボクにハ、誰もイなかった……」
「だから……『花嫁』がいれば、いいと思った。そうでなくとも、愛する者が……お前を愛して、お前が愛せる者がいれば、よかった。そうなればいいと思ったから、俺は……!」
 王に。『お屋敷』との縁組を進言して、シークを招いたのは俺だよ、とジェイドは言った。愕然とするロゼアと、よく分からないとするように、きょとんとした顔のソキを振り返って。俺がシークを『お屋敷』に入れた、と砂漠の筆頭は囁いた。それは数年越しの懺悔だった。
「その侵入で、シークはソキを……言葉魔術師の武器たる、予知魔術師を見つけ出してしまった」
「そウだヨ。……ああ、そうさ。ひとめで、わかった。彼女ならボクの願いを叶えてくれる」
「帰って来たシークの様子が違うのは分かってた。見たこともないくらい、嬉しそうで、興奮してて……俺はその理由を見誤った。シークにも『花嫁』がいればいいのにと、ずっと思っていた。だから……!」
 ほんのすこしの時間を見つけては『お屋敷』へ通う、シークの真意を見落とした。それはただ、準備の為でしかなかったのに。『お屋敷』の人々を操り、ソキを連れ去り壊してしまう為の準備。だって待てなかったんだ、と懐かしそうに、くすくす、シークは肩を震わせて笑う。
「魔術師として目覚めて、完成する時を待てばいい。そう思うだろう? そうだね、それが正しい。事情を話して、理解してもらって、もう一度王たちを説得して? そうして世界を渡ればいい? いま、稀代の錬金術師たる彼女が、馬鹿なことをと切り捨てるくらいの可能性なのに? その為に、ボクは何年待てばよかった? また否定される未来が分かっていて? ……目の前にあるその幸運を! どうしても今すぐ欲しかったんだよっ! 逃すことなんて……どうしてできる?」
「……ソキちゃんなら、できるの? 予知魔術師なら……?」
 絶望の中に、切望がある。逃れられない苦しさを、その呪いを、リトリアはうっすらと感じ取る。気圧されて誰もが声を発せない静寂の中で、リトリアはそっと、透明な響きで問いを響かせた。ふ、と言葉魔術師は柔らかく笑う。笑う、笑う。もう、そうすることしかできないように。
「できるよ。彼女は実際、もう、そうしてみせただろう……? 道なき所へ道を作り、転移してみせた」
 それが今回の『扉』の移動でないことを察して、リトリアは息を飲んだ。そう、ソキはその前にも一度、同じことをしている。世界をつらぬく力で、願いで、ロゼアの所へ帰って来た。あれは予行演習だったのだ、とリトリアは悟る。そして確かに、シークの望みは叶えられるのだという、証明であったのだ。世界を貫いてでも、この欠片の均衡を突き崩してでも、なお、望むなら。
 ソキは確かに、それを叶えられる。この世界のなにもかもと引き換えに。シークは望みを叶えるだろう。
「……駄目よ。いくらなんでも、そんなことは許されない」
 短い思考で、どれ程の犠牲があるか錬金術師は計算したのだろう。強張った顔で首を横に振られて、シークは穏やかに笑みを深めてみせた。ほら、と言葉魔術師は優しくさえ響く声で言う。キミたちはそうやって、否定しかしないだろう。
「どうして言ってくれなかったんだ、とか? 相談してくれれば、とか? よく言うよね。どの口が。誰になにを言っても、結論は同じさ。ボクの願いは叶わない。ボクの祈りは否定され続ける。諦めて欲しい。諦めるべきだ。帰せないことを申し訳なく思う? この世界で、生きて……死んでくれ? は、はは……あはははは! 言うのは簡単だよね! 諦めろってさ! どうしてボクだけが諦めなくてはいけない! どうして! こんな願いひとつさえ叶えることが出来ない!」
「……願いが叶わないのなんて、祈りが報われないのなんて。お前だけじゃない」
 苦しげな顔で、それでも胸を張って。レディが、火の魔法使いが、片腕を前に掲げてみせた。突風さえ発生させる勢いで火が舞い踊り、そこにはうつくしい鳥が顕現する。魔法使いはその鳥を愛おしそうにも、憎らしげにも見える表情で、目を細めて眺めて。誰にでもあることよ、と魔法使いは言った。
「その望みを叶える為の努力は、なにひとつ報われることがないかも知れない。誰でも知っているでしょう、そんなことは! なりふり構わず、手段を選ばず邁進することは、時に称賛されるかも知れない! でもだからって、誰かを、なにかを傷つける免罪符には絶対にならない! しちゃいけないの! だからっ……だから、私はアンタを許さない。ここで捕らえる!」
「……いいよ、やればいい。機会はまた、いくらでもある。何度でも作るさ……」
 キミたちにはボクを殺すことができない。そうだろう、と笑うシークの目はロゼアに向けられていた。言葉魔術師の命を断てば、男はその望みを保ったままでロゼアの体を乗っ取るだろう。そうすれば今度こそ、ソキを止めることはできなくなる。例えその命の何割かと引き換え、この世界を残り何割かにしてでも。ソキはシークの望みを叶えてしまうだろう。
 シークは追い詰められて、諦めて、動かないでいたのではない。もう、シークは待てばいいだけなのだ。次の機会を。確実に己の願いを叶えられるであろう、その、次を。
「……あ?」
 ぽつ、と声を零したのはラティだった。砂漠の国の占星術師。女は己のなにかを疑うような瞬きを何度かした後、胸を強く手で押さえて深呼吸をする。
「……ソキちゃん」
「にゃっ? な、なん、です?」
「ちょっと、あの……私ならできるって、言ってくれない……?」
 できれば、予知魔術で。胸の高鳴りを抑えるようなうわずった声に、ソキはぱちくり瞬きをする。場に立つどの魔術師からも訝しげな視線を向けられて、ラティは誰とも目を合わせず、何度か首を横に振った。迷いを。振り払うような仕草だった。
「分からない。できるかも知れないし、できないかも……でも、だから、予知魔術で確定させて、後押しして欲しいの」
 ソキは不安げな顔できょときょとあたりを見回した。大丈夫殺したりはしないから、と告げられるのに、妖精がやってあげなさい、と声をかける。うん、とくちびるを尖らせて、ソキは頷いた。
「……ラティさんなら、できるです。『絶対に、できるですよ……!』」
「ありがとう。……エノーラ、レディ、下がって。筆頭、私がやります。いいですね?」
「……ああ」
 訝しげにしながらも許可を出したジェイドに頷いて、ラティは一歩を踏み出した。シークはうっすらと笑ったままでいる。物理的な攻撃をすることができないラティなど、ものの数にも入っていないのだろう。ラティが魔術を使えるのは、一種類。ほぼ一回きり。けれど、それで十分だった。ラティは胸を張ってシークを指さし、ただ、ただ祈りながら魔術を起動させた。
「喜べ、シーク! お前の願いは今、叶う。私が叶える……!」
「……ラティ?」
「強い願い、深い祈り、それによって導かれる意思を、ひとは夢とも呼ぶでしょう! 夢を……夢をみなさい、シーク! 『醒めない夢、永遠のゆりかご。永久の眠りの中で夢が叶う! 私はあなたに夢を贈る! あなたが切望した願いを、夢を! いま!』」
 何者も逃れられない。ラティの魔術は、そういう特質を持っていた。相手が誰であっても、どんな状況であっても。例え、世界からの祝福と守護を持った王であっても、その魔術は染み込み眠らせることができるのだ。だからこそ、ラティは砂漠へ招かれた。眠れぬ王に夢を贈る為に。だからこそ、ラティは、たった一つの魔術を世界から受け渡された。
 は、と息を零してシークの体がぐらりと傾ぐ。言葉魔術師の瞳が歯を食いしばるラティを見つめて、甘い、だとか、優しい、だとか、そんな皮肉を響かせかけて。途絶える。廊下へ倒れ込んだシークを、ぜいぜい、と肩を大きく上下させながら、ラティは睨みつけた。眠っている。永遠の夢を見ながら。その命の終わりまで、もう、目を覚ますことはなく。
 これで、もう、大丈夫。さあ、あとは、と告げようとして。そう、息を吸い込みかけて。ラティもまた、立っていられずに、その場で意識を失った。目覚めぬ眠りは、本来の魔術ではない。けれどもそれを成さねばいけなかった。それ故に。限界を超えた魔術師の、器にひびが入る音を聞きながら。ラティもまた意識を途絶えさせたのだ。
 それが。騒ぎの、終焉。幕引きだった。

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