頭隠して尻隠さず、というのは、まさしく今のソキの為にあるような言葉である。隠れているわけではなく、探しものをしているだけなのだが。妖精は腕組みをして、ソキを見下ろした。大きな棚の一番下に頭を突っ込み、もぞもぞごそごそ探っては、お尻をぴこぴこ振りながらうにゃうにゃと不満げな声をあげている。満足な成果は出ていないらしい。ため息をつきながら室内を見回す。
朝からあっちこっち掘り返しているソキのせいで、室内は散々なありさまだった。本は無秩序に積み上げられて一部が倒壊しているし、服はくしゃんくしゃんの山になっているし、靴を納められた箱は横に倒れたり逆さまになっていたり、片足ずつ中身が入れ替わったりしていて到底そのまま棚には戻せない状態だ。ついでとばかり立て掛けられた絨毯も倒れ込んできていて、嵐の通り過ぎた後を思わせる。
嵐本人は未だ納得せず、お尻をぷりぷり振りながら不機嫌な声で唸っている。獲物を狙う猫のようだった。例えソキが猫だとしても、狙っている時点で鳴き声を出すしどんくさいしで、獲物を狩れるとは到底思えない。はぁ、とため息をついて、妖精は額に手を押しあてた。
『ソキ。部屋をすこし片付けてから探しなさい』
「ソキ、いま探す係なんですぅ! お片付けはロゼアちゃんに頼んだんだもん! ソキないもん!」
そのロゼアが、所用で席を外しているので言ったのだが。大体、ロゼアもロゼアである。ソキを甘やかし過ぎなのだ。今日は朝から、ソキは探しものをするです、と宣言した。先日から続く、なにがどうして分からないのか分からないけど、なにか思い出せていないのを思い出せたので、つまりよく分からないけどなにかが分からないのである、の件である。
ソキがそれを説明しようとすればするほど、内容は混迷を極めたが、つまりはなにか忘れていて、それがなんだか特定できていない。そういうことであるらしかった。そこで、ソキは探しものをすることにしたのである、というのが今日からの主張である。考えても答えに辿り着けなさ過ぎて、失せ物だと思い込んだに違いない、と妖精は額に手をあてて首を横に振った。
かくして四階にやってきたソキは、ソキは探す係をするですからぁ、ロゼアちゃんお片付けの係ね、と調子に乗った宣言をしたのである。ロゼアは妖精の目から見て、たいそうでれでれした様子で、うんいいよ、と言った。『花嫁』のわがままに困らされるのを、心底喜んでいる、ようにしか妖精には見えなかった。末期である。しかしロゼアが末期ではないことなど、これまで一度もなかったのだった。
ついでとばかり、でもじゃあお昼はお膝でたくさん食べような、お昼寝も抱っこでしような、お昼寝の時はお着替えもしてお手入れもしような、そのあとはずっと抱っこしていような、ソキ抱っこ好きだろ、はいってお返事できるよな、といういくつかの約束というか言質を取り付けるロゼアに、ソキは大変調子よくはーいはぁーいと返事をしていた。賭けてもいい。ソキは内容など聞いていない。
そうしてソキは、ロゼアの私利私欲にまみれた取引を完了させ、部屋をぐちゃぐちゃにひっくり返す、なんら実りのない作業に従事しているのだった。ロゼアが席を外したのは、ソキの宣言を聞いてから朝一番に、速達で調達を頼んだ荷物の受け取りの為である。なんでも『お屋敷』に手配したらしい。現在時刻は昼の前。ロゼアからの目録を開封してすぐ用意したにせよ、随分と早い到着だった。
いったいなにを頼んだのだか、と息を吐く妖精に、ふにゃあぁあああっ、と拗ね怒った声が、頭を突っ込んでいる戸棚の中からほわんふわんと響いていく。
「みぃーつからない、でぇー! すぅーっ!」
『……それはそうでしょうよ……。なにを探してるか分かってないんだから……』
「ちがうもん!」
ずぼっ、と頭を引っこ抜いて、ソキはぷくぷく頬をふくらませた。朝からロゼアが丹念に梳かしてさらんさらんにした髪はくしゃくしゃで、あちこち埃もついている。はいはい、と頷きながら、妖精はひらりと飛んで、綿ぼこりをつまんでぽいと投げ捨ててやった。
『なにが違うって言うの? なにを探してるか分かったの? なに?』
「うー、ううぅんにゃあ……見れば分かるんですぅ」
それは、なにも判明していないのと同じことである。ロゼアは分かっていて、いっしょうけんめい探すソキのあいらしさを愛でていた。本を積み上げようとせっせと戻し、服を積み上げればたたみ直し、靴をぽいぽいと出しては時にはかせて、可愛いな可愛いなよく似合ってると心から褒めていた。ロゼアがいる間は、だからまだ部屋の秩序は保たれていたのだ。
いなくなった隙に、あっやっぱりあっちだたかもですぅ、と言い出したソキが、一度探した所をまた掘り返しただけで。棚の一番下に頭を突っ込んでお尻をふりふり、うんにゃふんにゃしだした時でさえ、ロゼアはかわいいなかわいいな、というでれでれした笑みでソキを甘やかしていた。なにを探してるの、という問いは一度だけ響いたのち、ソキの見れば分かるという主張だけでしまい込まれている。
もっと追求して欲しい、と妖精は心底うんざりしながら室内の大惨事を見回した。ロゼアが戻ってきたらさすがに呆れたり怒ったりして欲しいが、その望みが叶わない希望であることも、ここ数日で妖精は理解していた。質が悪いのは、そのロゼアの過度の甘やかしを周囲が容認していることである。ナリアンとメーシャは言わずもがな、『学園』の白魔術師まで、ロゼアのそれを仕方がないと苦笑したのである。
数値に出てこない心痛の改善が顕著であるらしい。唯一、寮長だけが苦虫を噛み潰した顔でもの言いたげであったのだが、ソキの呪いによって食事と睡眠の日々から戻ってこれないままである。文句があるなら回復してからにしてください、というのが冷ややかな目をしたナリアンからの言葉である。正論であるが故に、反論はないまま今に至る。
ソキが再び、棚にずぼっと頭を突っ込んでしばらくした頃だった。遅くなってごめんな、とやや慌てた声でロゼアが戻ってきて、戸口でぴたりと足を止める。さあ怒れ、と妖精が見守る中、ロゼアはふっと笑みを深めて。とことことソキに歩み寄り、すぽっと棚からその体を引き抜くと、ロゼアは『花嫁』を腕に馴染ませるように抱き上げた。
「ソキ。ただいま。探しものはあったの?」
「おかえりなさい! ロゼアちゃん! あのね。ないの。ゆゆしきことでは?」
「そうだな、困ったな。……さ、すこし片付けをするから、いいこにしてるんだぞ」
はぁーい、と機嫌よくソキは返事をする。片腕でソキを抱き上げたそのまま、ロゼアは整理整頓を開始した。もちろん、待てど暮せど、妖精の望んだ叱責などないままだ。ソキはロゼアにぴっとりくっついて、ぬくぬくとその体温を味わっている。ロゼアは片手で器用に服を畳み、本を戻し、靴を正しくしまい直して箱の蓋を閉めた。絨毯の巻き直しだけは、足元にソキを一旦下ろして手早く済ませる。
見ていると、当然の動作として、ロゼアは再びソキをひょいと抱き上げた。埃っぽいから換気しような、と窓を開ける時でさえ、ロゼアはソキを手放さないままだった。ソキは当然の顔をして抱き上げられたままでいる。そういえば、と恐ろしい事実に思い至り、妖精はしぶい顔をした。事件が終わってからというものの、ソキが歩いた所を見ていない気がする。
ずっとロゼアの膝に乗っているか抱き上げられているか、である。てちてちとしているのは風呂とトイレの行き帰りくらいのもので、果たしてそれを歩行に含んでいいのかは、意見の分かれることだった。
『……はやく、はやくロゼアを回復させないと……!』
またソキが歩くのがどへたくそになったり、歩く、という動作を忘れかねない。ロゼアから無理にソキを取り上げるのは得策ではない、と妖精にも分かっているから、今すぐにとは言わないが。自然に任せて待っていると、ソキが移動のたびにだっこぉだっこぉ、と甘えるのが癖になってしまう。すでになりかけているが。ソキが言う前にロゼアがひょいひょい抱き上げているので、まだそうなっていないと信じていたかった。
「そういえば、ロゼアちゃん? なにを持ってきたですか? ソキのもの? ソキのもの?」
「そうだよ、ソキのもの」
「きゃぁあぁあーん! なぁに? なぁに? おふく? おくつ? おいしぃー、ものぉー?」
期待に目をきらきら輝かせて問うソキに、ロゼアは満たされきった微笑みで、もうすこししたら食堂に行こうな、と言いながら飴を食ませた。朝から活動的にひっくり返していたせいで、ソキはお腹が空いているらしい。ぽん、ぽん、とお腹を撫でるロゼアに、ソキはきゃあぁんきゃあんとはしゃいで笑ってくすぐったがる。あー、と妖精は低い声で呻いた。慣れたくないのだが、毎日これだとすると慣れるしかない。
契約したからと言って、妖精は別にソキの傍を離れられなくなった訳でも、ずっと傍にいなくてはいけない訳でもないのだが。きちんと結びついてからというものの、ソキはすこしでも妖精が見あたらないと、いやいやだめぇとすぐにぐずるのである。甘えたがりは、そのうち落ち着く、と妖精は思っているのだが。ロゼアに関してのソキが、落ち着いたところなど見たことがない。つまりはこれに慣れるしかない。
あぁあー、と呻いて空を漂う妖精に、ソキがきょとん、としたのち、首を傾げて角砂糖を差し出してくる。無視をするのもなんなので、滑空してぱっと受け取り、またすぐに天井近くへ登ってしまう。ふにゃあぁあん、と不満げにソキが鳴いた。
「リボンちゃあぁーん。ソキの近くで食べてほしですぅー! りぃぼんちゃあぁーん!」
『はいはい、また今度ね。そんなことより、ロゼアがなに持ってきたか聞いたの?』
「あっ、そうでした!」
ロゼアちゃん、なぁになぁに、と頬をもにもにくっつけながら問うソキに、差し出されたのは数冊のスケッチブックだった。どれも使い込まれたことが分かる、古いものである。あれ、とぱちくり瞬きをして受け取って、ソキがぺらりと紙をめくる。
「ソキの? あ! ソキのスケッチブックですー! ロゼアちゃん? どうしたの? これなぁに?」
「なにか、描いたものを探してるんじゃないの? ソキ」
ソキの様子がおかしくなったのは、エノーラからの依頼を受けた後である。魔術式を書きながら、さらに不思議さが深まっていくのを見て、『傍付き』はそう判断したらしい。とりあえずこれだけ、あとは今メグミカがしまったのを出してくれてるから夕方かな、と囁やかれて、ソキはきょとんとした顔でスケッチブックを胸に押し抱いた。違うんじゃないの、と妖精は角砂糖をがりがり噛りながら伺っていたのだが。
意外なことに、ソキにはなにか、しっくりと来るものがあったらしい。さすがはロゼアちゃん、さすがはロゼアちゃんですうぅ、と感心しきった声で頷き、ソキは古びたスケッチブックをじぃーっと見つめた。
「ソキは、ソキはね……。きっと、なにかを描いたんですよ。それでね、それで……きっと、見れば分かるの」
「うん。じゃあ、一緒に探そうな。大丈夫、見つかるよ」
うん、とソキは甘えた態度で頷いた。それで、いったん落ち着いたのだろう。ソキはすっかり綺麗になった室内を見回し、満足げにこくん、と頷いた。
「お部屋の探しものは、これくらいにしておいてあげるです」
「じゃあ、すこし早いけど食堂に行こうな。なにが食べたいの?」
「ロゼアちゃんがぁ、ソキを、もーっと好き好きになるご飯ですううぅー!」
そんなものは、ない。思わず真顔になる妖精に、そっか、と幸せに緩みきったロゼアの声が響いてくる。
「それじゃあ、ひさしぶりに俺がご飯作るよ。メグミカが林檎の蜜漬けもくれたから、パイにしようか」
「ロゼアちゃんの! ごはーんっ! ソキのっ、そきのですよロゼアちゃん! ソキのごはん! ロゼアちゃんのっ、そっそきのっ!」
なにがそんなに嬉しいのか、ソキは顔を真っ赤にして興奮し、ちたちたとけんめいにロゼアのご飯の所有権を主張している。もちろん、とロゼアは、蜂蜜に角砂糖をぶちこんで煮詰めた液体に、黒砂糖をざらざらと振りかけたような声で囁いた。
「ソキのだよ。ソキの為に作る、ソキのご飯だよ」
「はぅっ、はうううふんにゃにゃあああぁああきゃあぁんきゃあんきゃあうーっ!」
ここ数ヶ月で一番の大盛り上がりである。ソキもっ、そきもおてつだいするっ、うんソキは見て応援したり味見する係を頼むな、ソキけんめいにするぅううーっ、とロゼアの手にころころ転がされているソキを、妖精は溜息をつきながら追いかけた。授業のない日を、再開する見込みさえ立たない毎日を。生徒たちは思い思いに、わりと好き勝手に過ごしている。そんな日の、午前のことだった。
それでソキさんがこんなに幸せそうなんですね、とシディが微笑しく囁くのに、妖精はいまひとつ納得できない気持ちで頷いた。ロゼアに引っ付いたソキが、幸せいっぱいに見えなかったことがないからである。今日は多少、溶けているような気もするが。午後の談話室。お昼寝にもまだすこし早い、食事後のまったりとした時間であるのに、すでにソキの寝息が響いている。
おなかいーっぱいロゼアのご飯を食べたので、消化の為の力が必要で、起きていられなくなったのだ。か弱いというか、ひ弱というか、いじきたない食欲の末である。あまり心配したりする気にはならなかった。ぐっぴいいいい、ぴぴっ、ぴすうううくぴいいい、といびきと寝言と鳴き声を混ぜて等分にしたような響きを発しながら、ソキはロゼアの膝をまくらにお腹に腕を回してくっついて、ものすごく健やかにねむっている。
ぽむんっ、と丸くなったおなかを、ロゼアが愛しげに目を細めて撫でる。起きている間も、ソキは撫でを要求していた。食べすぎたので、撫でてもらって消化をよくしなければいけないらしい。人体にそんな機能はなかった筈なのだが、ソキがいうともしかして、くらいの可能性と信憑性が出てくるから不思議だった。ソキは本当によく食べた。
そうはいっても、普通の一人前をもうすこし、くらいの総量ではあるのだが、いつもの食事を考えると、ソキふたりぶんくらいは食べていた。ロゼアのご飯はひさしぶりで、貴重であるらしい。ソキは頬いっぱいにご飯を詰め込んで、もっきゅもっきゅと食べながら説明してくれた。コイツはおやつだけじゃなくて食事まで作れるのか、と妖精は呆れたが、よく考えれば授業がある日の昼間だって、よほどのことがなければ、ソキはロゼアの手製弁当を持ち歩いているのである。今更のような気もした。
ソキのおなかや髪を撫でながら、ロゼアは片手に本を持って読書をしている。黒魔術師の教科書だった。見ればソファの傍らには教本が数冊積まれ、水筒や菓子も用意されている。動く気がないらしい。ソキも寝ているのでしばらく放置することにして、妖精は溜息をつきながらシディに向き直った。
『それで? なんの用事なんですって?』
『いえ、あまりにこちらに戻ってこないもので。すこし、顔を見に。……体調に変化はありませんか? 君の花は元気に咲いていましたが』
ソキが眠っていてほんとうによかった、と心底思いながら、妖精は頬に触れるシディの手を、わずかばかり好きにさせてから叩き払った。無断で触れたのを数秒許してやったのは、心配をかけているのが分かっていたからだ。本体である花の様子を、わざわざ見に行ったのがその証拠だ。大丈夫よ、と言っても信じられない顔をしていたので、妖精はニーアはなんて言ってるの、と問いかけた。
同じ花妖精の評価ならば、シディだって参考にはする筈である。叩かれれた手を苦笑いでさすりながら、シディは首を横に振った。なにも言わなかったか、あるいは、聞くことができなかったのか。妖精は心配しすぎなのよ、と重ねて強く言い聞かせた。本体である花に異変が起きたという感覚はない。ないのだから、特別、問題が起きている筈もなかった。
『鉱石妖精。アンタなんか、全然本体の傍にいないじゃない。でもなんともないでしょ? 安心なさい』
『いえ、ボクたちは花妖精とは違って、ボクたちがもう本体というか……。別に、鉱石を安置している場所がある訳ではなくて……』
「……戻られなくて、平気なんですか?」
口を挟んでこないでちょうだい、と妖精は腕組みをしてロゼアを見下ろした。ロゼアの声でうっかりソキが目を覚ましたら、あれこれ言ってきて面倒くさくなるからである。妖精の危惧を苦笑と共に受け止めて、ロゼアは大丈夫ですよ、と囁いた。くぴぴぴぴぴっすうううぅうっ、とソキは幸せそうに眠り込んでいる。いつもならあと二時間は起きませんから、と告げられて、妖精は腕組みをしたまま羽根をぱたつかせた。
二時間で足が痺れて立てなくなったりすれば、ロゼアにもまだ可愛げがあるのだが。そういうことをしないのが、ロゼアという男である。かわいくない。
『……別に、近くにあった方がいいっていうだけで、定期的に傍に戻らなくちゃいけないものでもないのよ。アタシはソキの妖精なんだから。魔力の供給をソキから受けてる以上、本体が多少アレしても問題が起きることなんてないわ』
『……毛虫が付いたりしたらどうするんですか』
『アタシの花にたかる虫なんて命知らずが、花園にいる訳? 駆除しなさいよ? シディ』
気持ちの上で嫌なだけで、たかられたくらいではなんともないのが本当である。それこそ、嵐で茎が折れたり病気で花が枯れたりすれば妖精も弱るが、契約妖精となった今、いざとなればどうとでもなることでもあった。最悪、花弁一枚残っていればなんとかなるのである。分かっていてなんで心配するのよと訝しめば、シディは珍しく目を怒らせて、妖精の腕を強く掴んだ。
『もっと大事にしてください。いくらソキさんの契約妖精になったとはいえ……本体ですよ?』
『粗末にするって話をしたんじゃないでしょう。最悪の想定としてそうなっても、アタシはソキがいれば平気っていう話を……ちょっと離しなさいよ。なに触ってるのよ……!』
「一度戻られては……? ソキには俺から言っておきますし、ソキからあまり離れるのが躊躇われるようでしたら、一緒に行けばいいのでは……?」
いいからほんと口を挟まないでちょうだい、とロゼアを睨み、妖精は掴まれた腕を大きく振った。しかし、シディは手を離そうとしない。苛立ったようにすぅと目を細くして、ロゼアもこう言っているでしょう、と妖精が聞き分けないとでも思っているようなことを言う。ロゼアは、シディの態度が頑なだから味方をしているだけである。決して妖精の事情に通じている訳ではない。
どうして戻りたがらないんですか、と叱られて、妖精は全力で舌打ちをした。逆に聞きたい。どうしてそんなに戻らせたがっているのか。
『ソキがぐずらなくなったら、一回くらいは様子を見に戻るわよ。それでいいでしょ? 離しなさいったら! シディ!』
『分かりました。ロゼア、申し訳ありませんが、ソキさんを連れて一緒に来てください。花園に戻ります』
「いいけど……シディ? なにかあったのか? それとも、なにかあるのか?」
すでにあったか、これからあるか、の違いではなく。なにもないし、シディはただ不機嫌なだけである、と妖精は思う。というか妖精に無断で決めるとは何事なのか。離しなさいよ蹴るわよ羽根ももぐわよ、と本気で告げる妖精に、シディはやんわりと微笑んで言い放った。
『はい、それでは行きましょうね』
『……ちょっとコイツなんなのーっ! なにっ? もしかして体調が悪いのっ? だから日光浴とか月光浴しなさいって言ったじゃないの! ちょっとロゼア! ロゼア! なんかこう、ふかふかした台座を作ってコイツを置いて日当たりのいい場所とかに放置しなさいよ! お前の案内妖精だろうがっ! 面倒を見ろーっ!』
花に日光と水が必要なように、鉱石にもひかりが不可欠だ。だから休めって言ったのにアンタどうせあのあとも飛び回ってたんでしょうちょっとロゼアはやくなさいよなんなのよその目は呪うわよシディはいい加減に手を離しなさいよ離せって言ってるのよアンタが休むのがまず先よあと手を離しなさいよちょっとーっ、とじたばたしながら絶叫する妖精に、シディは聞き分けのない幼子に対する微笑みで、はいはいそうですね、と言った。
『それでは、休むことにします。君と一緒に、本体の様子を見に戻ったら』
『ひとりで! 行けるわよ! 大体なんでアタシの本体がどこにあるか知ってんのよ! 教えた覚えとかないんだけどっ?』
『君があまりに戻らないから、と心配したニーアさんが教えてくれました。うつくしい花ですね』
ニーア、テメェ、覚えてろ、と妖精は目眩と共に羽根をぞわぞわさせた。妖精の花がうつくしいのなんて、当たり前のことである。いちいち口に出すことではない。というか、そんなことを言ってこないで欲しい。落ち着かない。そうこうしているうちに、妖精の怒鳴り声が意識を刺激してしまったのだろう。ぽややん、と寝ぼけた顔で口をちいさな三角に開いたソキが、りおんちゃ、と発音しきれていない声で妖精を呼ぶ。
「お怒り、なのぉ……? どえしたんで、すぅ……? だれが、りぼんちゃをぉ、いじめぅ、のぉ……?」
「ソキ、大丈夫だよ。リボンさんは誰にもいじめられてないよ。まだ眠いな。寝てていいんだよ」
「うぅ、うにゃぅ……りぼんちゃ、りぼんちゃあん……」
ロゼアが言っても、くしくし目を擦ってなんとか起きようとするソキに、妖精はシディを睨みつけて手を離させた。さっと舞い降りて、眠くて眠くて閉じたきりのまぶたを、なんとか開こうとして擦るソキの指に触れる。
『ソキ。アタシは大丈夫よ。起こしてごめんなさいね。眠っていいのよ』
「りぼんちゃ……。いじめられれな……? ほんとぉ……?」
『本当よ』
しっかりと告げてやると、ソキは安心したらしい。くふくふと笑って、いつものおこりんぼさんだったぁ、と甘く蕩けるように囁き、くてん、と体から力が抜け落ちる。いつも怒らせてるのはソキであって、妖精だってなんの理由もなく苛立ったりはしないのだが。まあ、よしとしてやろう、と妖精はくぴくぴすぴぴ、と安心しきった顔で眠るソキに頷いた。
『……アンタたちがそのつもりなら、アタシの花の咲く場所まで来るといいわ。ソキにも一度見せたいとは思っていたことだし』
ただし移動はソキが起きたらよ、と妖精は要求した。下手に起こしてしまって、それが理由で体調を崩す可能性があるのが、ソキの脆さである。ロゼアもほっとした様子で頷いたのを確認してから、妖精はシディを見上げて睨みつけた。そんな顔しないでください、と同じ高さまで降りてきたシディが苦笑する。行くと決めたので、再び掴まれはしなかった。
ため息をついて、妖精はそれにしても、と首を傾げる。
『本当に、特別なんともなってないでしょ? なにをそんなに心配してるのよ、シディも、ニーアも。ルノンなんてそれこそ、メーシャと一緒に外に住んでた時期なんて、年に一度戻ればいい方だったじゃない?』
それともまさか本当に、虫でも付いたのだろうか。殺虫剤を持っていくべきかしら、と悩む妖精に、いえいくらリボンさんでもそんなもの散布したら枯れますよ、と呟き。数秒、沈黙して、シディは恐る恐る確認した。
『いえ……枯れますよね? いくら花妖精の本体とはいえ、殺虫剤には負けますよね……?』
『ちゃんと園芸用の、アタシたちには影響の薄いのを選ぶに決まってるじゃない馬鹿なの? 除草剤と殺虫剤の区別もつけられないの? いいこと? 毛虫は! アタシたちの! 敵! 発見、即駆除が鉄則なのよ。分かった?』
たかられるくらいなら、気持ち悪いで終わるのだが。中にはかじったり食べたり卵を産んだりしてくる命知らずがいるのである。妖精の花は、自然にあるそれと違って彼らの成長には適さない。時には毒にもなるので、基本的には避けられるものである。しかし、中にはいるのだ。ソキのようにどんくさかったり、ソキのようにいらん方向にやる気を出してしまったり、ソキのようにそそっかしくて注意力散漫な個体が。
どうなのよ、と睨む妖精に違いますよと息を吐き、シディはただ、と眉を寄せて言葉を切った。
『……蕾が、ひとつ。咲かないままで落ちていました』
『……はぁ? アタシの?』
『そうですよ。だからこそ、ニーアさんは不安がって、今日だって近くで見守っていて……おおごと、でしょう? ……どうして変調を感じないんですか』
なぜ、と言われても。感じないものは、分からないからだった。それは確かに、滅多にあることではない。おおごとである。しかし、今すぐ枯れるだとか、しおれるだとか、病気ともまた、違うのである。例えばソキなら、ストレスで一部の髪が抜けた、と同じくらいの出来事になるだろうか。説明した妖精に、ロゼアは強張った表情で大変なことじゃないですか、と言ったので、妖精は隠さず天を仰いだ。
人選を間違えたにも程がある。そうですよね、ロゼアもそう思いますよね、と意気込むシディに迷惑そうな顔をして、妖精は眠るソキの頭に乗っかった。ぷすー、ぷすすっ、ぴっぴすー、と寝息が響いているのを聞いていると、殆どのことがだんだんどうでも良くなってくる。起きたら出発してあげるって言ってるじゃない、と頭上を飛び交う騒がしさに告げれば、シディが絶対にですよ、と念押ししてくる。
妖精は無造作に手を伸ばして、シディの羽根を引っ張った。全力で。ためらいなく。心からの苛立ちを込めで。ひぐっ、と声をあげて力を失い、妖精が掴むままぶら下がって呻くシディに、あくびを一つして。妖精はようやく静かになったわ最初からこうすればよかった、と言って、掴んだ羽根を左右に振り回した。振り子のように。シディは、よく揺れた。
午後三時になると同時にふわふわぷわわとあくびをして起きたソキは、ふにゃふにゃに甘えた声でロゼアちゃんぎゅうはぁ、ロゼアちゃんおやつの時間ですよぉ、と言った。食べすぎで寝ていたにも関わらず。食い意地が張っている、と天を仰ぐ妖精に対して、ロゼアはおはようソキぎゅうしようなかわいいな偉いな、おやつ食べような偉いなかわいいな、とでれでれした声で褒め、ささっとおやつを用意した。
蜂蜜をかけたヨーグルトをご機嫌に頬張りながら、ソキは妖精たちと共に花園に出掛けることを聞き、遠足ですぅ、と楽しそうに頷いた。ロゼアはそうだな遠足だな、とやはりでれでれした声でソキを甘やかし、うさぎのリュックに水筒やら飴やらを楽しそうに詰めた。己の教本とソキの武器も詰めたリュックを、きゅむっと持つ『花嫁』ごと抱き上げたロゼアを連れて、妖精はしぶしぶ花園へと飛んでいく。
セルリア、というのが世界がつけた妖精の花の名だ。セルリア・ブラッシング・ブライドという。道行きに改めてその名を聞いたソキは、頬を赤らめて『花嫁』ですぅお揃いですぅこれはうんめーなのではないのですっ、と喜んで多少ロゼアの機嫌を斜めにしたが、それ以外は順調に進み、花の前までたどり着く。元々、へんぴな所に咲いている訳でもない。
妖精たちの花園は、『学園』からソキの足でも三十分前後。ロゼアなら十分もしないでたどり着く近くにある。その、花の群生地のやや奥まった平原。やや大振りの白い、優美な線を描く花弁。先端はうっすらと、夕陽を溶かし込んだかのように朱く染まっている。密に絡み合うように花弁が重なり、一輪でも華やかに風に揺れる花が、妖精の本体である。
見れば確かに、蕾のままぼたぼたと地に花が落ちている。自然に落ちたものではない。その証拠に、花だけではなく、それを支えるがくごと、なんというか、もげている。ふむ、と首を傾げながら、妖精は顔を手で覆って青ざめるニーアの元へ降り立った。先輩、と力なく声がかけられるのに、なんて顔をしているの、と腕組みをする。
『シディの様子がおかしいから、いったいなにかと思ったじゃない。ニーア、大丈夫よ。ちょっと花もげてるだけじゃない』
『ちょっと……? ちょっとってなんですか……? え? え、ええ……?』
「ふにゃんにゃ? ……ねえねえ、リボンちゃん? これ、ソキにくれるです? ソキ、押し花にしたり、しおりにしたり、ぽぷりにしたり、したいですぅー!」
強張った顔で滞空するシディと立ち止まるロゼアの腕の中から、ソキがほけほけした、暢気極まりない申し出をする。ええぇ、とさらに呻くニーアを無視して振り返り、妖精は好きにしなさい、と言った。ふわ、と穏やかに浮かび上がり、妖精が触れたのは、群生の中でもひときわ大きく、うつくしく咲く一輪だった。陽のひかりとは違う、淡く甘いきらめきが、花を取り巻いている。
ちいさく砕いた宝石のようなきらめき。風と水に洗われた、もっとも清らかな砂漠の砂粒のようなひかり。近寄ろうとしないロゼアの腕からちたぱたと手を伸ばし、ソキはリボンちゃんたら美人さんですきれいです素敵ですきゃあぁんきゃあんと声をあげた。妖精は花の隅々まで確認して、けろっとした顔でやっぱり大丈夫じゃないの、と頷く。
『心配かけたわね、ニーア。なんともないわ。まだ多少はもげたりするでしょうけど、アタシに悪影響があることじゃないから、ほっといていいのよ』
『まだ多少はもげたりするでしょうけどっ? え? 先輩? なにを仰って?』
『アタシが乱心したみたいな不安顔しないでちょうだい。……そうね、換毛期よ、換毛期。たいしたことじゃないわ』
先輩、花妖精に換毛期はありませんおひとりで進化しないでください、とニーアは顔を両手で覆ってさめざめと泣いた。よほど心配をかけているらしい。ほら、と怒った顔をしてシディが舞い降りてくるのに嫌そうな顔をして避け、妖精は深く面倒くさそうに息を吐き出した。
『よく見なさいよ。落ちてるのは群生で、アタシ本体じゃないでしょうが』
『群生を含めて花妖精です先輩……!』
「んん? これ全部リボンちゃんなの? あっちも、こっちも、このこも、リボンちゃんなの?」
つむつむん、とソキの指先が花なき茎を興味深そうに突っついた。やめような、と穏やかにロゼアが手を包んで握り込む。いいわよ好きにさせなさい、と振り返り、妖精はソキに頷いた。
『そうでもあるし、違うとも言えるわ。あれがアタシ。こっちは、そうね……ソキにしてみれば、服だの靴だの、髪飾りだの、そんなところよ』
『そう……そうなんですけど……な、なんでもげちゃうんですか……? 先輩、もしや不治の病に……? ニーアが、ニーアがきっと助けてみせますから……!』
ぐずぐず泣きながらしなくていい決意をかためるニーアを、妖精は息を吐きながらひっぱたいた。
『だから、落ち着きなさいってば……。シディがあんまり騒ぐから、アタシもなにかと思って見に来たけど……いい? 落ち着きなさい。ニーアも、シディもよ? アンタたち、アタシがソキの契約妖精になったの見てたでしょう? その場にいたから知ってるでしょう? 記憶飛んだ?』
『それと、これとは、関係が?』
『あるわよ。アタシも、見るまでなによと思って説明もできなくて、それは申し訳なかったと思うし……群生する種の花妖精が、魔術師との契約妖精になったっていう前例が乏しいから、こんなことになったんでしょうけど』
ソキ、帰ったら日記でも寮の日誌にでもいいから書いて、資料として残しておきなさい、と告げて。妖精は堂々とした態度で、だからつまり換毛期よ、と言い放った。
『契約妖精になったことで、アタシの魔力の質、構成要素が書き換わったから、群生が変化してるのよ。服を着替えるのには、今まで着ていたものを脱がなきゃいけないでしょう? そういうことよ、そういうこと』
『……君に、痛みや……変調はなく、これはただ、単純な変化によるものだと?』
『だからそう言って』
いるでしょう、と続く筈だった言葉が喉の中で途切れる。きゃっ、きゃあああぁっ、とソキとニーアの黄色い声が重なって響き、妖精は、つい先日も似たようなことがあった、と逃避まぎれに思っていた。抱きしめられた体が痛い。妖精の肩口に顔を埋めて、シディは目を閉じていた。泣いているような呼吸。は、と溢れるように、笑い声が落ちた。
『よかった……』
『そ、そうね……? え? ちょっと、待って……? 待って? いまなにがどうなって? シディ?』
『すみません。……すみません、もうすこし。……君を、失うかと……思って』
よかった、と繰り返される。ああうん心配をかけたわね、と呆然とする妖精の視線の先で、ニーアがはっと気がついたように、そそくさとソキの方へ飛んでいくのが見えた。お邪魔しませんからっ、と言い残していく。意味が分からない。ニーアはなにを言っているのか。ぎゅう、と抱きしめられた腕の中は熱い。なんでこんなものを心地いい、とソキは思うのか理解できない。
くらくらするばかりだ。落ち着かないだけだ。もういいでしょう、とシディを押し退ければ、予想外の素直さで体は離される。ほ、と妖精は息をした。
『ちょっと、シディ? 調子に乗らないでちょうだい。この間から、なんなの? 無断で触ってこないで。羽根もぐわよ?』
『……嫌でしたか?』
そういう問題ではない。突然するな、という話である。しかし捨てられた子犬のような目で尋ねられると、なぜか言葉が引っかかって出ていかない。嫌、とあえて告げなければいけない程には、嫌とは思わないような気がした。なぜか。理由など分からないのだが。妖精は舌打ちをして、シディから視線を反らして言い放つ。
『突然しないでと言っているの。というか、アタシに無断でアタシに触ってこないで。驚くし、落ち着かないし、それになんだか目眩がするし……』
『……分かりました。では次は聞いてからにしますね』
聞くもなにも、そもそも、しなくていいし、しなければいいだけの話なのだが。にっこり笑うシディを見る分に説得が難航しそうだったので、妖精は深く息を吐き、今日の所は問題を先送りすることにした。聞かれたら嫌だと言えばいいし、突然されたら避ければいいのだ。鉱石妖精より、花妖精の方が軽やかな機動力を誇る。やってできないとは思わなかった。
アンタほんとなんなの、調子乗ってるのなにを企んでるの、と睨みながらじりじりと距離を取り、妖精はぱっと飛び上がってソキの元まで戻る。ニーアとくっつけておくと、しなくていい誤解を山ほど量産しかねない。案の定、ソキは真っ赤な興奮した顔できゃんきゃんやぁんと身をよじりながら、飛んできた妖精にきらきらしきった目を向けてくる。
妖精がなにを言うより早く、そわそわはしゃぎきったソキの、わかっちゃたですううううっ、という声が群生地にほわふわ響き渡った。
「これは、ときめきろまんすー! というやつです……! きっとやっぱり、あの時に告白をしていたに違いないです……でもリボンちゃんはお返事をしなかたです……じらしぷれいというやつです……ソキはくわしいです。それで、それで、シディくんはじりじりしていたです……すれ違うふたり……もえあがるきもち……! そっ、そして、ついにー!」
『なにもかも違うわよー! なにも! かもねっ!』
「やぁん、もうー、リボンちゃんったらぁー。また、そうやって、照れ隠しさんしてぇー。もぅー、ソキにはわかっちゃったですぅ。おみとおしーというやつなんでぇ」
ありもしないものを捏造して見通すのは辞めて欲しい。違う、といくら否定しても、ソキはふんふん鼻を鳴らして、それじゃあそういうことにぃ、しておいてあげるんですけどぉ、あとでこっそり教えてほしです、と言うばかりで、妖精の主張を真に理解しているとは思えなかった。ロゼアは苦笑いをしているが、特にソキの勘違いを正そうともしていないので罪が深い。
呪われろこのむっつりが、と心から言い放ち、だいたいねぇっ、と妖精はロゼアを指さした。
『シディはアンタの案内妖精でしょうが! どうにかなさい!』
「……シディ、あまり困らせないようにな」
『はい。それはもちろん』
にこっと笑うシディが、妖精がすぐに羽根を掴めない距離に滞空しているのすら忌々しい。飛びかかってもいでもよかったのだが、気配を察したソキが目をきらんと光らせ、これはもしや捕まえてごらーん、というやつではっ、と言い出したので辞めにしてやった。代わりにソキのもちもちほっぺをつつき倒して折檻し、妖精はさぁもういいでしょう、と苛々しながら腕組みをした。
『帰るわよ。シディはもういいでしょう? ついてこないで』
『はい。それでは、また』
「きゃふふふふふん! リボンちゃ? あとでぇ、いーっぱい、内緒のおはなしぃ、してくださいですよー! ね? ねっ?」
ソキが期待しているようなことなどなにもないのだが。分かったわよ、と言ってやると、ソキはきゃんきゃんやぁんと身をよじって喜んだ。よかったな、ソキ、と笑いを堪えるロゼアが心底忌々しい。アンタたち覚えていなさいよ、逆にニーアはなにもかも忘れなさいよ良いわね、と胸ぐらを掴んで優しく微笑みながら言い聞かせ、妖精は怯える同胞をぽいっとばかり解放してやった。
ソキはその後、せっかくだから、と妖精の花をじいっと見つめてあれこれと質問をした。リボンちゃんはどうやって妖精さんになったの、リボンちゃんはいつから妖精さんなの、お花の落ちたのはほんとに持ってっていいの。魔術師としての知識が足りないが故の言葉や、他愛もない疑問まで並べられて、妖精は苦笑しながらひとつひとつ答えてやった。
まず、花妖精に限って言えば、妖精は生まれながらにして妖精である。その種子が芽を出したその時から意識はあり、花の成長と共にだんだんと、意識がはっきりしていき形を成すことができるようになってくる。魔術師とて、本当は同じこと。彼らはみな等しく、生まれついての魔術師である。突然変異とされているのは、魔力が体に馴染みきり、瞳が妖精を見つけ出すまでの時間があまりにまちまちで、そして唐突なものだからだ。
ふんふん、と分かっているのかいないのか、仕草だけは元気いっぱいに頷くソキに、妖精は苦笑しながら、花は好きに持っていきなさいな、と言った。本体となる一本にさえ手を出さなければ、落ちたものはもう抜けた毛と一緒である。どうということはない。換毛期に例えるの辞めませんか、と控えめに言ってくるシディを頭から無視して、妖精はせっせせっせと花を拾い集めるソキを眺めていた。
気に入られると、やはり嬉しいものだ。お水に浮かべて飾ったり、乾かしてぽぷりにしたり、あとあと押し花のしおりと、あと、あとっ、とソキは楽しく計画を立てていく。寮に帰ったソキは、きゃあきゃあはしゃぎながら、妖精の花をまずは水盆に浮かべていく。きれーいですー、かわいいですー、すてきーですー、とうっとりした声は、ぱちくり、瞬きと共に一度途絶えた。
あれ、とソキは呟く。なにか、思い出しかけたように。ソキ、と呼ぶロゼアの声にも、妖精の声にも、ソキはしばらくなにも答えずに。花の浮かぶ水面を、ただじっと、見つめていた。その胸に両手を押しあてて。失われたものの形を、探るように。そのまなうらに、輪郭を。取り戻したかのように。