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 ウィッシュが、ひょいと『学園』に顔を出したのは、事件の終わりからちょうど一月が経過した日のことだった。授業の再開はまだ未定である。しかしながら、目処が立たない、というところから未定に切り替わったのだから、まだ前進はしている、というのが騒ぎに慣れ親しんだ生徒たちの意見だった。授業のことを考えることすら出来ない、という状態から、今はなんともならない、という所までは改善してきているのである。
 そろそろ、すこしは落ち着いたりしたのかな、先生の顔だけでも見たいよね、難しいだろうからお手紙とかでもいいけど、と生徒たちが談話室で囁き合う、そんな最中のことだった。とて、とて、とて、といつもの歩調で現れたウィッシュは、ソキそっくりな仕草でぴょこんと室内を覗き込むと、ソキー、ロゼアー、とほわほわした口調で馴染みの名を響かせた。
「ひさしぶりー、元気にして静かにしていい子にしてるー? 俺とちょっと、おはなし、できるー?」
「あっ、おにいちゃんですぅー! ロゼアちゃんロゼアちゃん、おにいちゃ、ん、ん、んと……んっとぉ、ウィッシュせんせい、ですー」
 ねえねえ、ソキはとっても元気で可愛くって静かにしていて、可愛くていい子でしょう、おはなし、できるでしょう、とロゼアに甘く強請るソキを見下ろして、妖精は腕組みをして溜息をついた。もうどこから改善させなければいけないのかが分からないが、会話にロゼアの許可が必要だとソキが認識している所から改めさせたいし、それを当然として待つ顔で、ウィッシュがとてとて歩み寄ってくるのも気にくわない。
 よって己に正直に、腕組みをしたしかめ面で盛大に舌打ちをした妖精に、ウィッシュはちょっと感心したような、しみじみとした視線を向けて立ち止まった。
「わー。ソキの妖精さんになったって聞いたけど、ほんとだったんだー。ねえねえ、おはなし、していい? あとね、俺とも、おはなし、して?」
『……別に許可なんてなくても、会話くらいしてやるわよ。アタシはね!』
 なにをぐだぐた悩んでいるのだか、ロゼアはソキの頬を撫でたり額に手をあててきゃっきゃとはしゃがせていた。ウィッシュがとてとてぽすんとふたりの前のソファに腰を下ろし、ソキとはまた違う甘やかな声で、妖精にあのねあのね、と要領を得ない言葉で話しかけて、しばし。きゃぁあうにゃああぁんはうーはうーふにゃんにゃっ、とするソキの喉が、一度も軋まず、こふんと咳を吐き出しもしないことを確認して。
 ロゼアはほう、と満たされた、安心しきった息を吐き出し、ソキをきゅむりと抱き寄せながら『花婿』に告げた。
「いいよ、ソキ。おはなし、しような。……こんにちは、ウィッシュさま。お待たせしてしまって……おはなし、されて大丈夫です。どのような?」
「はぅ、はぅっ、はうううぅ……!」
『……アンタその前にソキをちょっと離しなさいよ。ソキ! こら! 幸せの国に旅立つんじゃない! 意識を! しっかり! 保てーっ!』
 抱き寄せられた腕の中、幸せに顔を赤らめて今にもかくりと旅立ちそうになっているソキを怒鳴りつける。ソキはにゃあぁあうはうはぅうにゃああぁ、と言語として判別不可能な鳴き声を上げながら、やんやんやぁんと身を捩って妖精に訴えた。
「これは! これは! もしや! もっもしやー! ロゼアちゃんったら、ソキにめろめろばきゅんなのですうううっ?」
『はいはい、そうね。前からそうね。いいから人様と会話をするのに適切な姿勢になりなさいアンタたちは適切だよみたいな顔をするんじゃないわよ話がややこしくなるから!』
 まったくソキの周りの男どもときたら、ろくなのがいない。ソキはロゼアの膝の上で、リボンちゃんたらぁ、そんなに嫉妬しなくってもぉ、ソキはリボンちゃんのまじちしなんでぇ、と自慢げな顔をしていた。そうじゃない。ぎろりと睨むと、妖精の機嫌があまりよろしくない方向を向いている、とすぐ分かったのだろう。
 のたくたとした、本人としては大慌てな仕草でもぞもぞちたたと膝上に座り直し、ソキはすました顔で背を正してみせた。
「うふん。かんぺきなソキ、というやつです……! ウィッシュせんせ? おはなし、なぁに?」
「んー? 報告書とか読んでね、ソキは元気かなー、と思って。ロゼアも、大丈夫かなーって。あと、ちょっとねー、確認することとか、聞きたいこととか、色々あって。『白雪も落ち着い……たことにしよう! 落ち着きは! 思い込みから!』って、今日の朝、陛下が仰ったから」
 まず白雪は、女王の精神などを落ち着かせた方がいいのではないだろうか。アンタほんとにそれ大丈夫なの、と問う妖精に、ウィッシュはすこしばかり困った微笑みで、曖昧に首を傾げてみせた。
「『そうです陛下その通りですー! 素晴らしいです陛下踏んでくださいっ!』っていうエノーラがしあわせな床になってたから、大丈夫だと思う」
『なにも大丈夫に思えないしなにもかも駄目だと思うわ!』
「うーん? でもさぁ、ほんとに駄目だと踏まれないんだよ。陛下がエノーラ踏むってことは、そこそこ余裕ができて落ち着く目処が立ったってことだよ」
 ソキを白雪にだけは就職させてなるものか、という決意を持って、妖精はそうなの、と頷いてやった。
不本意なことに、ロゼアも妖精と同意見なのだろう。ソキも寒いのいやだよな、と遠回しに白雪を拒否させようとしているのを白んだ目で睨み、妖精は腕組みをしてウィッシュを眺めやった。『花婿』は、顔色が良いように見えた。ソキのようにうるうるつやつやぴかーっとしていないだけで、仄かな瑞々しさとたおやかな雰囲気に満ち、柔らかく甘い良い匂いがする。
 ふわ、と笑みを深める仕草はまさしく『花婿』のそれだった。きょとん、とするソキと違和感を覚えて瞬きするロゼアに、『花婿』はふふ、と笑みを零しさえしながら言った。
「報告書は読んでるから、なにが起こってなにがどうなって、どう終わってどうなったかは知ってるんだけどさ。……ねえ、ソキ? ロゼア? きーていい?」
「……んん? なぁに?」
「砂漠に、いま、あのひとがいるってほんと? 砂漠の、城に」
 それで、ソキもロゼアも会ったってきいたんだけど、ほんと、とにこにこ問うてくるウィッシュに、ソキは無言でロゼアにひっついた。ソキが分かった不機嫌を、ロゼアが察せぬ訳もない。あの、と困惑に満ちたロゼアの問いに、ウィッシュはふふふ、と機嫌が良さそうにさえ見える可憐な仕草で笑み零した。
「それで、いまも、砂漠の城にいるって、ほんとー? ねーねー、ソキー。俺、砂漠でのこと、詳しく知りたいなー。会ったって書いてあったよ。保護されたって。ねー、ソキー。そのはなし、俺、くわしーく、知りたいなー。教えてほしいなー」
「ウィッシュさま……。その……どなたの件、でしょうか……?」
「砂漠の筆頭魔術師。……あのひとに、会ったって、聞いたよ、ロゼア? ねー、ほんとー? 陛下への報告書にあったからほんとなんだろうけどさー。なに? なんで? どうして会ってるの? なに? なんのはなししたの? どーゆーことなの? ねえねえロゼア? ねえねえねえねえ?」
 ねえねえ、と言いながら立ち上がったウィッシュが、ソファで硬直するロゼアとソキに歩み寄り、背もたれに両手をついて身を屈める。ソファに手をついたウィッシュの腕の間にロゼアとソキがいるから、そこから逃れるには、どうしても『花婿』を押し退ける必要があった。ロゼアに『花婿』に対する手荒な真似は難しい、と知っている笑みで、ウィッシュはぴるぴるぷるると怯えるソキに、満面の笑みで首を傾げてみせた。
「で、なんのはなし、したの? 俺に教えて? ロゼアもだよ。いつ、どこで、なんのはなし、したの? というかなんではなししたの? ずるくない? ずるいよね? え? もしかして手を繋いで歩いたり、とか、した? ねえねえ、した? したよね? なんで? ソキー、ねー、なんでー? ひとりで歩けるだろー? それなのに、あのひとと手を繋ぐのだめだろー?」
「ち、ちぁうもんちぁうも! ちぁうもーっ!」
「ソキ、ソキ。大丈夫。大丈夫だからな。……ウィッシュさま、あの……あの、砂漠の筆頭が、ウィッシュさまに、なにか……?」
 その問いが、さらにウィッシュの笑みをうつくしく深めさせた。そきなぁんにもしらないですうううちぁうもんちぁうもんごかいだもんしらなぁーっろぜあちゃああああぁあああっ、と半泣きで怯えてびととんっとロゼアに引っ付いて震えるソキを見下ろして。ウィッシュは溜息をつくと、ぷっと頬を膨らませ唇を尖らせた。
「べぇ、つぅ、にぃー? なぁーんでもないんだけど? なん、でも、ない、ん、だけ、どー。……で、手は繋いだの? ソキ?」
「……ちょっと。ちょっとですぅ」
 ハレムから戻る時、脱走防止に抱き留められたことは一生の秘密にするです、という顔でソキはしぶしぶそう返事をした。あと、意識がない時に抱っこして運ばれたとも聞くが、それはロゼアにも内緒なので、もちろんウィッシュにだってしー、なのである。ソキにも言ったら駄目なことくらいわかるし、本能が危険を警告してきたりもするのである。
 ウィッシュは麗しき『花婿』の笑みでふぅんと呟き、真偽を確かめる視線を妖精に向けた。妖精は、アタシはそんなこと覚えてないわと堂々とした態度で言い切り、ウィッシュとソキの間に体をねじ込むように、ぱっと滑空して腕組みをした。
『アンタ、なんなの? ソキが怯えてるでしょう。帰ってちょうだい。教員としての要件でもなんでもないんてしょう?』
「……ふーんだ。知らないんだからな。いけないのは俺じゃないもん。砂漠の筆頭がいけないひとなんだからな。俺じゃなくて」
『はぁ?』
 拗ねきった顔で俺は悪くないもんとソキそっくりに唇を尖らせて言い放ち、ウィッシュは溜息をついてソファから手を退かした。怯えている、ように見せかけて、すっかりロゼアにびとっとくっついてごろごろふにゃふにゃしているソキを眺め、ウィッシュは強張った顔をしているロゼアに、『花婿』の声でふーんだ、と言った。
「じゃあ、もう、行くから。ロゼアはー、ソキをー、安静にじっとさせてることー。ソキはまた課題とか出しておくから、やっておくことー」
「……ウィッシュさま。どちらへ?」
 態度を叱るかシフィアに手紙を送るか考えている渋い顔つきで問うロゼアに、ウィッシュはぷーっと頬を膨らませて砂漠、と言った。拗ねに拗ねきったソキと同じ膨らませ方だった。
「あのいけないひとのとこ、行く。まだ城に居るっていうし。……砂漠の城にいるのにさー、ふーん、仕事の書状とかは来るのにさー、エノーラは会ったっていうのにー? ふーん? 俺にはなんにもないんだー、ふううううん?」
 まあ筆頭だから忙しいよね俺にだってそれくらい分かるよでもロゼアもソキも会ってて手を繋いだりしたとかなにそれなにそれ、ぜったい、だめ、俺もうおこった、ほんとーにおこった、と『花婿』はたしたしと、兎じみた動きで幾度か足を打ち鳴らして。それじゃあね、と唖然とするロゼアとソキを置いて、とてとてと談話室を出て行ってしまった。
 妖精はしばらく警戒した目で『扉』の方角を睨みつけていたが、ふわふわ響いてくる、ロゼアちゃんねえねえなでなでしてなでなで、あとぎゅっとしてぎゅぎゅっとしてなでなでなの、それでね、だっこぉだっこぉ、とこれ幸いとばかりふわふわした声で強請っているソキの声に毒気を抜かれて。心の底から、アンタたちいい加減にしなさいよ、と砂漠の宝石たちをひとまとめにして唸った。
 しばらくロゼアを堪能して、ふーっと落ち着いた息を吐き出したソキの。それで、おにいちゃんなにしにきたんですぅ、という疑問に。答えられるものは、ひとりもいないままだった。




 時を重ねるごと泣きついてくる者が増えたのに、折れたのはジェイドより砂漠の王が先だった。お前なんとかできるだろ、してこい、と半ば睨まれながら告げられて、ジェイドは苦笑しながら執務室を後に、『扉』へと足を向けた。『学園』からひとり、魔術師が訪ねてきているらしい。しかし用事を告げるでもなく、その場から動こうともせず、名も名乗らずに、不機嫌を振りまいているのだとか。
 ジェイドー、筆頭ー、どうにかしてくださいよ、お願いお願いします、美人さんが怒ってるの怖いよー、綺麗で可愛くて怖いよー、なに話しかけても無視されるよー、舌打ちされたけどちちちってなって可愛くってなにあれー、というのが、魔術師や警備たちの訴えだった。真剣な脅威として捉えられているのではなく、しかし、心底困ってはいるのだった。
 さて、どうしたものか、と思いながらジェイドは『扉』へ続く最後の廊下を曲がり、そこへ立っていた予想通りの姿を見て、愛しく甘く笑みを深めた。名を、呼びかけようとして開いた唇は、溜息で誤魔化す。かつ、と足音を響かせながら歩み寄ると、腕組みをして頬ぷーっと膨らませ、てしてしてししと足先で床を叩いていた青年の目が、ジェイドに向く。瞬間。
 ぱぁあっ、と喜びにきらめき。すぐに、不機嫌を思い出してむっつりとする顔が、シュニーにとてもよく似ている。かわいい。かわいい、かわいい、ジェイドの、世界でたったひとりの。息を、吐いて。立ち止まり、ジェイドは妻の瞳の色を生き写しにした青年の、柘榴色の瞳を柔らかく覗き込んで囁いた。
「どうしたの? ……ここは砂漠だよ。白雪と間違えてしまった?」
「……っ! ち……ち、ち、ちがうでしょっ!」
 ついうっかり抱きしめそうになったので、その言い方は勘弁して欲しい。うん、とぎこちない動きで腕に力を込め、強張った笑みで問うジェイドに、ウィッシュはさらに苛立ったように、てちてちてちちと兎めいた動きで足先を打ち鳴らしてみせた。かわいい。
「もう! いっつも、そーやって! いっけないひとだなぁ……!」
「ご……ごめんね? なぁにどうしたの?」
「なんか俺にいうことあるだろっ! なんか! もっと! ほかにっ!」
 すこしも考えることなく。殆ど反射で、けれども心から今日もかわいいね綺麗だね、と褒めたジェイドに、ウィッシュは頬を赤らめてふふっと微笑み。しかしすぐに、そーじゃないだろーっ、と怒りきった叫びをあげた。
「そうじゃなくて! その他に!」
「うん? ……うーん、顔色がいいね。体調がいいんだね。白雪の方々が大事にしてくださってるんだね。白雪は、すこし落ち着いたと聞いたよ。それで、なにかの連絡に来たの? お仕事できるの、偉いな。……ほんとうに偉いな、かわいいな」
 ふふん、そうでしょう、とばかり、嬉しそうに顔を綻ばせて胸をはり、かけ。ウィッシュは、もおおぉおっ、と声をあげ、涙目でジェイドを睨みつけた。かわいい。
「なんでいつもそうなの! ねえ、なんでっ?」
「えーっと……うん、すこし落ち着こうな。どうしたの……? ほら、ここにいるから。そんなに叫ばなくても、聞こえてるよ。ね?」
 求めているものを。求めていることを。知っている、とジェイドは思う。なにを言って欲しいのか。ジェイドに、どうして欲しいのか。けれどもそうするには、その言葉を告げるには、ジェイドはあまりに長く傍にいなかった。離れすぎていた。許されるとは思えなかった。誰が、ウィッシュが、それを許して望んでいてくれるのだとしても。ジェイドが、己を、許せないでいる。
 悔しそうにうつむくウィッシュに、ごめんな、と囁く。その言葉も、なにもかもを、心ごと差し出すようにして告げる。ごめんな、ウィッシュ。かわいいこ。いとしい、たったひとりの、シュニーとの。
「……いじわる」
「うん。……うん、うん。そうだね、ごめんね」
「いじわる、いじわる! ソキには優しくしたくせにっ! 俺知ってるんだからな! ばかばか! いじわる! ばかーっ!」
 拗ねて甘えて泣きそうな、『花婿』が『傍付き』をなじる声だった。それだけで意識がぐらりと傾ぐ。『傍付き』としての本能が、ジェイドにつよく命じてくる。慰めて、あまく、優しくして、なにもかも。この世界のなにもかもから、今度こそ。今度こそ、お前が、このいとしさを守り抜くのだと。無理だ、と切り離した魔術師としての声がジェイドに告げる。嘲笑う。
 調べようとすれば手はあった筈。それなのに何年、この存在から目を背けていたのかと。幸せになれるだなんて、甘い言葉で目隠しをして。その悲鳴に気がつくことさえできずに。崩壊してようやく、その怨嗟を知ったくせに。今更、なにを、と『魔術師』が『傍付き』に告げる。それに、この『花婿』にはもう『傍付き』がいる。再会したとも、聞いている。だから。今更。
 父親だと名乗り出て、どんな顔で、なにを。
「……もしかして。も、もしかして……! 俺より、ソキの方がかわいいんだ……!」
 沈み込む思考を強制的に引きずりあげて殴ったのは、ウィッシュが発したそのひとことだった。えっ、と声を零して顔をあげれば、ウィッシュは怒りと悲しみで顔を赤くしながら、必死に泣くのを堪えてジェイドのことを睨みつけている。『傍付き』の浮気を疑ってなじる、『花婿』の眼差し。そーっと出てきたましろいひかりが、ジェイドを嗜めるよう、あるいは、諦めることを勧めるよう、もふもふまふふと頬にすり寄った。
 え、ええと、と言葉を探しながら、ジェイドはましろいひかりを隠すように、片手で覆い隠しながら告げる。
「そんなこと、ないよ」
「だってソキと手を繋いだってきいたもん! ロゼアにだって! 会ったって! おれにはあいにもきてくれないのになんでなんでっ? だめでしょっ! いけないでしょっ! ばかばか!」
「い、いや、それはあの……仕事で……?」
 ばかあぁああっ、とウィッシュの癇癪が爆破する。ばかばかばかばかっ、と怒りながらジェイドの胸を拳でぽこぽこ叩いてくるウィッシュに、男は隠さず天を仰いで呻いた。かわいい。むり。かわいい。いとしい。指の隙間からずぼっと抜け出したましろいひかりが、呆れたように明滅する。その、ちかちかぺかかとしたまたたきに涙目を向けて。
 とうとう、ウィッシュは、その言葉を言い放った。
「ママだってそう思うだろっ? もー、やだーっ! パパは俺よりソキの方がかわいいんだーっ!」
「っ……ごふっ」
「ちょっと! なんで咳き込むのっ! 図星っ? 図星だからでしょ! そうでしょ! ばか! パパのばか! うわきもの!」
 なんだただの修羅場か、という顔で、遠巻きに見守っていた魔術師たちが解散しかけ、いやいまなんて、という表情で立ち止まる。いくつもの視線がジェイドとウィッシュを見比べるのにも構わず、『花婿』は男の胸をぽこぽこ拳で叩きながら怒り続けた。ま、まって、待って、待ちなさい、とその手首を捕まえて。ジェイドは涙目でじたじたとするウィッシュに、動揺を収めきれないままで問うた。
 その望みを、知っていた。知っていたが、しかし。
「いつから……気が付いて……っ?」
「一年目のパーティーでっ! 目が合った!」
「えええぇええ……」
 つまり、ほぼほぼ魔術師になって最初から、ということである。わざわざ言わなかったのはジェイドであるのだが。ウィッシュも、今までそうとは問いかけてこなかった筈だった。なんで今、という疑問を抱いたのに、敏感に気がついたのだろう。ウィッシュはシュニーそっくりの目に涙をたくさん滲ませて、ばかーっ、と叫んで怒った。
「だって! おれにはあいにもきてくれないのに! ソキには会ったっていうしロゼアとも会ったっていうし、ソキにはなんか優しくしたって聞いたし! 飴貰ったとか! なに! 俺だってパパから飴とか貰ったことないし手だって繋いであるいたことないし、でもいっしょうけんめいしながら我慢して待ってたのに! 会いに来てくれないし! なのに! ソキには! ソキばっかり! 俺よりソキのがかわいいんだうわきものーっ! いけないひとなんだからなーっ!」
「まっ……あ……会ったことは、ある、だろう……? ほら、仕事とか、授業とか」
 その回答はなんていうか、筆頭ほんとそういうとこです、駄目です、と魔術師一堂が固唾を飲んで見守る中、ウィッシュはもおおおおっ、と癇癪を起こしたソキそっくりにじたばたした。
「ちがうでしょっ!」
「あっ、はい。うん。……うん、ごめん……?」
「俺は! パパに! パパに会いに来てほしかったの! なんでわかんないの! ばかっ! も、もしかして、俺が大きくなったから分かんないのかなって思ったけど、でも、でも、そうじゃないみたいだし……!」
 いつでも。遠くからそっと、見守る視線があった。『学園』にいた頃。それは決まって視線が重なることなく、見ればすぐ逸らされてしまうものだったけれど。分かった。ずっと昔に、ウィッシュのものだった眼差しだと。いとしいと、囁く。愛を歌う瞳。失ってしまった筈の。取り上げられてしまった筈の。父母の視線。
「俺が……俺が、ちゃんと嫁げた『花婿』じゃないから……? それとも、魔術師に、なった時に、いっぱい殺したり呪ったりしたから、あ、呆れて、嫌になったのかな、だから声かけてくれないのかな、とか。色々、考えて、た、他人みたいにしてた方がいいのかなとか、でも! それなのに! 見てくるし! それなのに声かけてくれないし! 迎えに来てくれないし! なのに、なのに、ソキには会ったって! なにそれ! ばか! 俺よりソキのがかわいいんだうわきものーっ!」
「違う。違うよ。……違うよ、ごめん。……ずっと、会えなくて、助けられなかっただろう? それをね、俺が……自分が、許せなかっただけなんだ。ごめんね」
「そんなの俺かんけーないもん! 俺は、俺は嬉しかったのに……魔術師、なって、パパ、と、ママに、また会えたの、嬉しかったのに……! ママが、もうすこし待ってあげてねってずっと言うから、ずっと、ずっと、待ってたのに……待ってたのに!」
 えっ、と呟いて見るジェイドの視線の先で、ましろいひかりは自慢げにふこふこと収縮した。まるくてかわいい。ではない、いやかわいいけど、えっと、と首を傾げ、ジェイドはシュニーを、つん、と指先でつついて言った。
「シュニーのこと、分かるの……? 言ってること、とか……というか、いつの間に……?」
「言葉は聞こえないけど……。なんとなく、分かるもん。ふーんだ。ひみつ! パパには教えてあげないんだからなっ!」
 俺の息子が反抗期で最高にかわいい、という微笑みで、ジェイドは胸を押さえて深呼吸をした。恐らく、『花嫁』であったものと『花婿』であるから、言葉にならずとも通じ合うものがあるのだろう。ウィッシュとジェイドが王宮魔術師という立場上、同じ場所に滞在していたことはこれまでにもあり。ジェイドの目を盗んでシュニーがせっせと息子のもとに通うことも、別に不可能なことではないのだった。
 ウィッシュはぷーーーっと頬を膨らませてから、涙ぐみ、くずっと鼻をすすって上目遣いにジェイドを見た。
「ソキのほうがかわいいんだ……」
「違うよ。そんなことない。そんなことないよ」
「ロゼアの方がこのみなんだ……!」
 ソキはともかく、ロゼアは完全なもらい事故である。いやそれはないから、と真剣な声で否定したジェイドに、ウィッシュは腑に落ちない顔をして瞬きをした。
「……じゃあ聞くけど、ロゼアより俺の方がこのみ? ソキよりかわいい?」
「そうだよ。もちろん」
「じゃあ、じゃあ……!」
 唐突に、ジェイドは思い出していた。シュニーのことがあんまり可愛くて、挙動不審になって、怒らせて。その時のシュニーのことを。好きなら、ぎゅっとしてなでなでてしょぅっ、とかんかんに怒ったシュニーが、甘い声で要求してきたこと。ジェイドは恐る恐るウィッシュの前で両手を広げ、おいで、とかすかな声で囁いた。
「おいで、ウィッシュ」
「……っ!」
 ぼたっ、と大粒の涙を零して。飛び込んできた青年の体を危なげなく抱き留め、ジェイドは満たされた気持ちで、声をあげて笑った。なんで笑ってるんだよーっ、と怒るのに嬉しいからだよ、と囁いて、魔術を柔らかに編み上げる。花を。その腕に抱き上げるためにどうすればいいのかを。まだ体が覚えている。魔術で補助しながらふわりと抱き上げ、ジェイドはいとしい我が子に心から笑いかけた。
「よい、しょっと……ああ。重くなったね、ウィッシュ」
「パパ……」
「うん。そうだよ、パパだよ。ごめんね。ずっと……ずっと会いに行かないでごめんね、ウィッシュ。許してくれる?」
 シュニーそっくりに頬を膨らませて、ウィッシュはやだ、と言った。俺、怒ってるもん。まだ許さないもん。パパは俺のご機嫌とらないといけないんだからな、と詰られて、ジェイドは幸せに溶けた微笑みで、うん、じゃあそうしような、と言った。なんでもしてほしいこと、しような。なんでもいいよ、どんなことでもいいよ、と囁かれて、そのことにもすこし機嫌を上向かせながら。
 ウィッシュは、でもその前に、と言ってジェイドの頬を両手でぱちんと包み込んだ。
「会ったら言おうと思ってたこと、あるから、ちゃんと聞いて」
「うん。……うん、なぁに、ウィッシュ」
「あのね。俺、いま幸せだよ」
 ほら、よく俺を見て、と満ち足りて咲き誇る、『花婿』が『傍付き』に告げる。
「いまの、俺が、幸せだよ。しあわせに、なったよ。……ね、だから、大丈夫。許してあげるから、許してあげてね、パパ」
 辛いこともあったし、あるよ。大変なことも、苦しいことも。あったよ、あるよ。今もたくさん、思い出すよ。でも。でも、今。今、これから、生きて行くことが。幸せだよ、と告げられて。ジェイドはウィッシュを強く抱き寄せ、暫く言葉を発さなかった。ましろいひかりは、ふたりの間をふよふよ、くるくる飛び回り。ふふ、と笑うように、ちかちかぺかかと明滅した。



 陛下へいか大変です修羅場です事案です援助交際です、と混乱しきった報告を次々と受けたせいで頭痛に倒れていた砂漠の王は、元凶たるジェイドが執務室に戻ってきたので、お前ついに魔術師までアレしたのか国内までにしとけって言っただろ、と小言を告げようとしたのだが。ジェイドと一緒に隣国の王宮魔術師、ウィッシュが入ってきたので、意外さと納得を等分にして、言葉を探して瞬きをした。
 一瞬頭にちらついたのは、いやこれが事案なら『お屋敷』との関係が悪化するしかないだろロゼア呼ぼ、であったのだが。直後、砂漠の王は、王であるからこそ継承しているとある事実を思い出し、混乱する魔術師と警備たちを後目に、あっさりとした顔で頷いた。
「そうだな。お前ら親子だったもんな」
「だったじゃないんだからな! パパは俺のパパだもん! いまも! 俺の!」
「うん。そうだな、ウィッシュ。そうだよな」
 ジェイドが、ソキに甘えられたロゼアよろしく、でれでれしきっている。渋いものを口に突っ込まれた顔つきで、砂漠の王は押し黙った。普段ならば、真っ先に王に噛み付いたことをたしなめただろうに。ジェイドはぷんすか怒るウィッシュをでれでれしながら宥めると、陛下にご挨拶しような、と囁いている。ウィッシュはいいこだもんな。ちゃんとご挨拶だってできるよな。いいこだな、かわいいな。
 はぁい、と気乗りしない返事を響かせて。王宮魔術師の規律に従い、しかし心から嫌そうにウィッシュが王に挨拶をすると、ジェイドはとろけるような微笑みと声でウィッシュは偉いなかわいいな偉いな、いいこだな、と囁いた。ふふん、と満足げな顔をしてウィッシュが口元を綻ばせる。ソキにそっくり、というか。ソキである。ソキの反応である。見覚えのありすぎるソキの反応そのものである。
 いや待てちょっと待てなにが起きてるんだ、お前はもうすこし落ち着いて慎みのある白雪の魔術師だっただろう、と額に片手を押し当てて呻く砂漠の王に、ウィッシュが向けたのは勝ち誇った視線だった。やはり反応がソキである。一応聞いてやるがなんだそれ、と呻きながら問う砂漠の王に、ジェイドよりはやくウィッシュが言った。
「俺のパパだもん」
「……いや、うん、知ってるけどな……? だから……?」
 諸々の事情が極めてめんどくさく、かつ、養い親を取られる気がしていた為に、特に首を突っ込んだりせず放置し続けていただけで。さすがに王たちは、その事実を把握しているのである。ウィッシュは王の言葉に、でしょう、と言って頷いた。なぜか自慢げな態度だった。
「だからね、いーい? 陛下? ほんとはこれまでも我慢してたんだけど、ちゃんと言っておくことにするな。あのね、仕事であんまり忙しいのは、浮気なんだからな! パパは俺の、俺のパパなんだから、仕事のじゃないんだからな!」
 ママだってそう言ってるし、俺には分かるんだからなっ、と胸を張るウィッシュに、ジェイドは発言内容を半分も聞いていないであろうでれでれとした微笑みで、うんうんそうだよなウィッシュはかわいいな、と言っている。どう見ても頭がぱぁんしていて、使いものにならない。早々に己の筆頭に見切りをつけた砂漠の王は、隠すことなく頭を抱えて天を仰いだ。
 ソキを相手にしているつもりで、思考を切り替えて考える。主張したいことは、つまり。
「……あまり城を留守にさせるなって言いたいのか?」
「そうだよ。俺が会いたい時にはいてくれないとだめだもん」
「……っ、ウィッシュ……!」
 目頭を押さえる筆頭を、砂漠の王は白んだ目で睨みつけた。お前の発言は内政干渉に値するんだが、と告げても、ウィッシュは『花婿』らしく尊大な、それでいてその非礼もなにもかもを愛らしさで押し流す力技でしかない仕草で胸をはり、そうじゃないんだからな、と言い切った。
「陛下はもう十分パパを堪能しただろ。俺のかんよーな行いで、貸してあげてたんだからな」
「……あぁん?」
「でも、もーだめ。パパは、俺の。俺のパパなの! 陛下のじゃないの!」
 見守っていた古参の臣下たちが、ああ、と納得してしまった顔をしてウィッシュと王を見比べて、ぞろぞろと執務室を後にしようとする。つまりこれは修羅場である、と古参である程そう思っていた。普段はその若い見かけと気さくさから忘れているものの、ジェイドは砂漠の王の養い親である。そしてウィッシュは、手元で育てられなかった、ジェイドの実子である。
 そうであるので、これは単に所有権を争う修羅場なのだった。いや待てお前なに言って、待たないっ、とやり合い始めるふたりの間で、ジェイドはでれでれしていてちっとも役に立たないままだった。筆頭、戻ってきてー、と魔術師たちから控えめな王への援護が飛ぶが、恐らくは聞こえていないだろう。ウィッシュはジェイドの片腕をぎゅっと抱き抱えたまま、威嚇するように砂漠の王と対峙していた。
「だって陛下ばっかりずるいだろ! 俺の! 俺のパパなのに! ねー、パパ!」
「うんうん。そうだな、かわいいな、ウィッシュ」
「ジェイド、お前……! おまえっ! 誰の魔術師なんだ言ってみろ!」
 砂漠の王陛下、あなたの、と落ち着いた穏やかな声が即座に応じる。分かってるなら、いい、と告げる砂漠の王に、見守る魔術師一同からはあたたかい目が向けられた。そこでなんで対抗してしまうのか。なんで譲ったりできないのか。陛下はジェイドだいすきですもんね、しってた、と遠い目をする魔術師たちを、古参の臣下たちが廊下からそっと手招く。
 避難しておいで、大丈夫だから、これただの修羅場だから、という彼らの救いに心底甘えたい気持ちになりながら。魔術師たちは一様に、手を祈りの形に組んで両膝をついた。なんだって、王のお気に入りのフィオーレが花舞に拉致され戻っては来ず、ラティが目覚めないでいる時にこんなことになっているのかおお神よ、と逃避しながらも。
 魔術師たちは王の所有物である義務感でもって、気を取り直して顔をあげた。
「陛下……。良い機会ですからね、親離れ、しましょう? それで寂しかったらハレムに! アイシェさまが! いらっしゃるじゃないですか! アイシェさまが! アイシェさまが!」
「そうですよ陛下、これはご結婚のチャンス! ご結婚の! とても良い! 機会では! そう思いますよね!」
「やったー! 結婚! 結婚! 陛下ー! 勢いで頷いて下さいこういうのは勢いが大事です! あとは俺たちがなんとかしますというか! とりあえず宴を開いたりなんだりしますのでさあ! はいって! 言いましょう!」
 うるせぇよお前らも出てけよ、とうんざりしきった王の言葉に、しかし魔術師たちはめげなかった。大事なのは諦めない心、前向きな意識、そして未来への希望だからである。だってすこし落ち着いたけどまだなんとなく不安じゃないですか、砂漠には明るい話題が必要だと思うんですよ、と言い募る魔術師に、砂漠の王は心底嫌そうに言った。
「つーか、なんでアイシェとのことを、そんな国内の空気回復に使わないといけないんだよ。却下に決まってんだろ考えろ」
「えっ、どうしようニヤニヤしてきちゃう……。陛下ったら……そうですよね嫌ですよね……もっと利用とかしないでちゃんとしたいんですよね……やったー! 結婚だー! 未来があかるーい!」
「宴だー! 者共宴の準備だー! 陛下が! しないとか! 嫌だとか! 言わなかったー! これは言質を取れたということだ宴を開け盛大なやつなーっ!」
 やったああぁああ陛下それでいつするんですか今日ですか明日ですか、とはしゃぎだす魔術師と、一瞬だけどよめき、即座に全力で走り去る臣下たちの、情報連絡連携が取れすぎている。頭を抱えてクッションに身を沈め、なにも言わず動かなくなった砂漠の王をつんとくちびるを尖らせて眺め。ウィッシュはちょこり、と首を傾げて不満げに言った。
「陛下、だめだよ。奥さんを貰うなら、パパは俺のだからね」
「……ウィッシュ、覚えてろよテメェ……。白雪のに厳重注意してやるからな……!」
「もー、陛下、親離れしてよー。俺のパパなんだからなー! あと言い付けるのはよくないと思う」
 今この世界でお前にだけは言われたくなかったというかどの面下げて言ってんだお前は、と呻く砂漠の王に、ウィッシュはソキそっくりに、えへん、と胸を張って言い放った。
「俺はいいの。ひさしぶりだから。ね、パパ?」
「うん? そうだね。陛下、俺の為に無い火種に着火して白雪にぶち込まれたりなさいませんように。白雪の陛下もようやく諸々落ち着いた所だと聞きますし、また前のようにいきなり殴りかかってこられるのも嫌でしょう?」
 俺の為に争わないでくださいね、を穏便な言葉でやんわりと言い放ち、ジェイドは勝ち誇った顔をするウィッシュの頬を、もにっ、と潰して言い聞かせた。
「ウィッシュも。これ以上、陛下に失礼なことをしない。いいね? 分かった? お返事は?」
「うー、うー……! 違うんだからな。俺のパパだもん。陛下のじゃないもん」
 俺の魔術師で俺の筆頭だけどな、とぼそりと呟く砂漠の王に、俺のパパなんだからなーっ、とウィッシュが怒りきった声をあげる。そこで対抗しちゃうのがほんとまじうちの陛下、という微笑みで魔術師一同が沈黙する中、ジェイドはやんわりとした笑みで、困ったように息をこぼしてみせた。
「ふたりとも、俺をめぐって争わない。俺はあなたの魔術師筆頭で、それでウィッシュのパパだよ。ね」
 ふたりとも、いいこだね。俺の言うこと、ちゃんと分かるね、と。麗しく、美しく、芳しくさえ感じるうっとりとした微笑みで囁かれて、砂漠の王とウィッシュはしぶしぶと頷いた。ほんとなんていうか、己の顔の使いどころを分かってるあたりが筆頭そういうところですって感じ、と呻く魔術師たちに、ジェイドは口唇に指先を押しあて、うっとりするほど柔らかく目を細めて。しー、と囁いた。
 筆頭だからそういうところですうううっ、と断末魔めいた呻きで魔術師たちがばたばた倒れ、動かなくなるのを平然と眺めて。ジェイドはさて、と気を取り直した表情で、ウィッシュの頭をぽんと撫でた。
「疲れたろう。白雪に戻る前に休んで行きなさい。……それとも、『お屋敷』に用事があった? 送ろうか?」
「今日はいい。パパといる」
 ロゼアにきゃあんとひっつくソキめいた動きで、ウィッシュはジェイドにぴとりとくっついた。ねえねえパパお茶いれて、ねえねえ一緒に休憩して、とねだって来るウィッシュに、ジェイドはとろける微笑みでいいよ、と言った。
「ウィッシュのしたいこと、しような。なんでもいうこと聞いてあげる」
「発言がほのかに事案めいております我らが筆頭……!」
「はいはい。ほら、君たちは仕事に戻りなさい。陛下も、今日の執務がまだ終わっておりませんよね?」
 ほんとお前は好きに生きるよな、と息を吐いて、砂漠の王はひらひらと手を振った。もういいから出て行け、あとで呼ぶ、という仕草に一礼して、ジェイドはウィッシュを伴って執務室を後にする。その後を、ふわん、とましろいひかりがついて行った。ましろいひかりは室内を振り返るように僅かばかり滞空し、ふこーっ、と自慢げに膨らんでから、ほよほよふよよとジェイドたちを追いかけていく。
 魔術師たちと、砂漠の王の内側に。ジェイドはぁ、しゅにの旦那さまでっ、それでそれでっ、しゅにのウィッシュなんだからああぁあっ、と全力で自慢してくる、甘くやわやわとした声が響いた気がしたのだが。それについて王と魔術師たちは、視線を交わし合ってなかったことにした。もしも、万一、その声がまだジェイドに届けられないのだとしたら。大変なことになる気しかしなかったからである。
 よし、とやや虚ろな、砂漠の王の声が執務室に響く。仕事しよ、と国政に向き合うことで現実から逃れたがる王に、魔術師たちはそっと目元を拭って。で、結婚式いつになさいますかっ、と張り切って問い正し、王にうるせえ黙れと笑顔で告げられた。砂漠を吹き抜ける風は今日も淀みなく。晴れ渡る空には祝福のよう、眩く太陽がきらめいている。

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