リトリアからうさぎちゃんを借りて延々ともちもちしながら、ソキは本人としてはおとなしく、れいぎただしく、話を聞いた。どこでラーヴェと出会ったのか、なぜ旅をすることになったのか。旅の間のできごと、見たこと感じたこと考えたこと思ったこと。言葉は砂漠の城に辿り着いて幕を下ろす。
だからその、故意に会ったとかそういうことでは決してないの、ともじもじしながら付け加えられて、ソキは本人としてはものわかりよく、こっくりと、かんように頷いた。
「分かったです……。ラーヴェは、ソキのぱぱ、ソキのぱうゃやんうやん! ちがうもん! ラーヴェだもん。ぱぱって言ってないもん! ロゼアちゃ! ソキのほっぺをもにむにしたらだめぇだめぇいやいやん! やんやー!」
「あ、あの、ロゼアくん。それくらいにしてあげて……? 『お屋敷』でも説明されたし、私、ちゃんと分かってるから……! ね? そういうことになっているんだものね? ソキちゃん、そうだよね? ねっ?」
「そうなんですううう! ソキの、おとーさまは、ごとうしゅさま、なんですうう! あっなんだかため息をついてるぅ。どうしたの? ロゼアちゃん。頭がいたいの? なでなでしてあげるです」
んしょんしょ、と座っているソファから身を乗り出して『傍付き』を撫でる『花嫁』に、リトリアはほのぼのとした視線を向けている。安堵して安心しているのだろう。ゆるく和んだ雰囲気を漂わせて、リトリアはソキの持ってきてくれた香草茶のマグを、手で包み込むように持ち上げた。
「それでね、その旅の間に認定……? を受けたみたいでね……? 『お屋敷』に通うことになったのよ。週に一回。ソキちゃんたちが帰っている間も行く予定になっているから、挨拶に行かせてね」
「ソキ、リトリアちゃんが来たら様子を見に行くですぅー!」
「レロクさまに聞いてからにしような、ソキ。お邪魔になるかも知れないだろ」
はぁーい、と機嫌よくひとのはなしを聞かないで返事をして、ソキは膝の上に置いたうさぎちゃんを、また延々ともちもちしだした。部屋に通されてうさぎちゃんを見つけてからというものの、リトリアに貸してもらった上で、ソキはずっと手元から離さずにもちもちとしている。気に入っているらしい。心配そうなロゼアの視線にも気が付かず、ソキはふんすっ、と鼻を鳴らして要求した。
「リトリアちゃん。ラーヴェのおはなしをして? ラーヴェはソキの、ソキの……んっとお、ソキの、ラーヴェなんですけどぉ、リトリアちゃんの、旅の、ラーヴェのおはなしをして?」
「……どんなことが聞きたいの?」
「あのね、あの、あの……」
もちもちもちもち、ぎゅむっ、とうさぎちゃんを抱きしめて。頬をくっつけて目を伏せながら、ソキはぽそぽそと響かない声を落っことす。
「そ……ソキのおはなし、した? ラーヴェ、ソキのこと、なにか言ってたです……? そ、そきのこと、そきのこと……忘れてなかった? な、なにかいってたです……?」
「忘れたりなんかしていなかったわ。時々、昔の話をしてくれたもの。『学園』ではどのようにお過ごしですかって、ロゼアと一緒におられますかって。……どうして? どうしたの?」
「……だってぇ……だって、だってね……」
ぐずっ、と鼻をすすって、ソキはうさぎちゃんに顔を埋め、くしくしと涙を擦り付けた。
「ラーヴェは、『お屋敷』を辞めていなくなっちゃったんですよ……。それで、それなのに、リトリアちゃんをひろって、おててつないで歩いたり、お買い物したり、もっちりうさぎちゃんをくれたり、お茶したり、お昼寝したり、したんでしょう……? ……そ、ソキにはしてくれたことなんてないです……ソキのことを、忘れて、ラーヴェのかわいいがリトリアちゃんになっちゃたのかもです……? そんなのやだもん……。ソキの、ソキのぱぱ……ソキのラーヴェなのに……」
「……ソキちゃん。そんな風に思ってたの?」
「ふえぇ……。り、りとりあちゃ……あの、あのね……あするを投げて、ごめんなさいです……。リトリアちゃんが、ラーヴェのかわいいで、ソキじゃなくなったです……。ラーヴェ……」
みるみるうちに萎れていくソキにロゼアが手を伸ばしかけ、妖精に腕を蹴りつけられる。お前そういうところだからな、と叱る妖精をそっと伺いながら、リトリアはソファから立ち上がって、ソキの傍まで移動した。悩んで、すぐ隣に腰かけて。うさぎちゃんに埋められた顔を覗き込むようにして、リトリアはソキの名を呼んだ。
「ラーヴェさんは、ソキちゃんを忘れた訳じゃないのよ。ソキちゃんをかわいく思わなくなった訳でもないの。ソキちゃんの……ぱぱ? で、なくなった訳でもないの。わかる?」
「……でもソキ、ラーヴェと、おててを繋いで歩いたこと、ないです」
「ソキ。抱っことか、お昼寝は、したことあるだろ。ソキがちいさい頃は、ラーヴェさんは世話役にも殆どソキを預けないで、おひとりでソキと一緒にいたってお聞きしてるよ。したことない訳じゃないだろ。忘れたらいけないだろ」
柔らかく、穏やかな甘い声でロゼアが囁く。『花嫁』をいとおしく宥める、『傍付き』の声。ソキはぐずずっ、と鼻をすすって、目をしぱしぱとまたたかせた。
「でも、でも、ソキにはうさぎちゃんを買ってくれたことないです……」
「……ソキはずっと、おにんぎょうより、抱っこでぎゅうが好きだっただろ?」
そもそも、ロゼアとメグミカがアスルを贈ったのは、『花嫁』が『旅行』に連れ出されてしまうようになったからである。なにかにぎゅっと抱きつかなければ安眠できないソキが、すこしでも不安がらないように。連れていけるお供を贈ったのが、アスルなのである。ソキがその年頃になる頃、ラーヴェはすでに外勤となり、『お屋敷』には殆どいなかった。不在にさせられていた、と見るのが正しいだろう。
激務の間を縫って、ソキに会いに来てくれていたのを、ロゼアは知っている。数日、数時間、数分。一目。遠くから、すれ違うばかりでも。その視線がそれることはなかった。ラーヴェさんはずっとソキを想っているよ、と囁くロゼアに、リトリアも言葉にならず頷いた。そもそも、リトリアの旅に同行するきっかけも、ソキなのである。
ソキが狙われていて、危なくて、という言葉をどこまで理解し、信じていてくれたのかは今となっては闇の中だが。ソキの存在が、ラーヴェとリトリアを繋いでくれた。そうでなければ、あるいはリトリアは、回復したらあの場所からただ、見送られるばかりだったかも知れない。気をつけて、と言葉だけを送られて。共に歩む旅路はなかったかも知れない。ソキの存在がなければ。
ラーヴェがソキと手を繋いで歩かなかったのは、単純に、『花嫁』にはできないことだからだ。それを可能としないように、『花嫁』は育てられる。
「ソキ。ラーヴェさんは、ソキの代わりにリトリアさんを拾ったりした訳じゃないんだよ。ソキはソキだよ、ラーヴェさんの……ラーヴェさんの、ミードさまの、ソキだよ」
「……リトリアちゃん、ソキから、ラーヴェをとってない? しない?」
「あのひとをとるとかとらないとか……わたしには荷が重すぎるというか、あの、ほんと、ほんとうに、そんなんじゃないの……そっ、そんなんじゃないのよ、ソキちゃん。ちがうの」
そこで動揺して頬を染めるから誤解が加速するんだぞ分かってんのか、という妖精からの睨みに、リトリアはだってだってでも違うの、と頬に両手をあてて首を振った。
「ラーヴェさんは私に優しくしてくれたけど……あのひとは、あのひとの『花嫁』さん、ミードさん? を、ずっと腕に抱いているようなひと、だから……」
「そう、思って……感じてくださったんですね、リトリアさん」
彼の魂が、いまも、『傍付き』のそれであるのだと。『花嫁』が成長という余地を殆ど残さず完成させられるのと同じく、『傍付き』もまた整えられる。世話をしたがるのは。誰かを、惜しみなく慈しみ育て想いを注ぐのは『傍付き』の性だ。『傍付き』とは、そのように整えられる。誰かに心を向けなければ安定しないように。慈しみ、愛おしみ、守護する者を得てこそ、地に足がつけられるように。それなくては不安定になるように。
だからこそ、『花嫁』『花婿』を送り出した『傍付き』には、間を置かず婚姻の話が持ち込まれる。その魂が不安定に崩れてしまわないように。満ちていくばかりのものに、窒息してしまわないように。あるいはそれは、新しい別の宝石たちを世話することで、多少は紛れるものなのだと聞く。けれどもたったひとり。なにもかもを捧げて惜しくないと、心を砕き削られ整えられ奪われ、それでも、腕に抱き上げたその存在は、永遠に残るのだ。
だからもう、いなくとも。そこに『花嫁』の存在を感じるのなら、それはまことに、彼の存在が『傍付き』であるということ。そのように、完成しきっているということだ。誉である。喜ばしく呟くロゼアに、リトリアはごく素直に頷いた。ラーヴェは、そういうひとだった。いまも。その腕いっぱいに花を抱く。その満ちた幸せの残り香と共に生きている。そういう、自由な、ひとだった。
「だからね……ラーヴェさんは、ソキちゃんが知っているラーヴェさんと、変わったりしていないのよ」
「……ロゼアちゃんもそう思うです?」
『ソキ。ロゼアの意見で自分の心を納得させるのはやめなさい』
ロゼアがなにか言うより早く、妖精がぴしゃりと間に割り込んだ。
『ソキが納得できないのなら、それはもう、それでいいのよ。仕方がないわ。リトリアと、ロゼアが、そう思っている。それが正しいのかも知れない。でも、その正しさをもってしても、ソキはそう思えなくて、納得できないのだとしたら、それはもう、それでいいの。飲み込まなくてもいいのよ。だから、自分で考えなさい。ソキはどう思うの? ソキは、どう受け止めておきたいの? アタシも、リトリアも……ロゼアも、ソキの気持ちを否定したい訳じゃない。誰かの意見や正しさを、正しいからと言って、受け止めて納得してしまわなければいけない理由なんてないわ。ソキは、好きにしていいの』
「……でも、でも、ただしくないのは、いけないです。いけないのは、だから、いけないのでは……?」
「……いけなくても、いいのよ。人のこころは、正しいだけじゃないもの。正しいだけが、正解じゃないし、正しいことだけが……そうしなければいけないことでも、ないの」
難しいね、とリトリアは言った。好きにしていいって、いちばん、難しいような気がするね。そうしなきゃいけないって、決めてもらう方が、ずっとよくて、正しいような気がしちゃうよね。でも、とリトリアは、戸惑うソキをまっすぐに見て言った。自分のこころを大事にしてあげていいんだよ、と。それが、ラーヴェから受け渡された、リトリアの灯火だった。自分を大切にしていいのだ。そのこころを。例え正しいことでなくとも。
ソキはきゅうっと眉を寄せて、うさぎちゃんにもちもちと頬を擦り付けた。泣くのを堪えるような、ためらうような間の後に。雨のように、ソキはぽつりと言葉を告げた。
「……ソキにはよく分からないです。だって……だって、だってね、リトリアちゃん。だってね」
「うん。うん、なに?」
「ソキはラーヴェが大好きなの。ずぅっと一緒にいられると思ってたです。……あ、あっ、ちいさい頃は、ですよ。『花嫁』になってからはね、いつかね、さよならをしないといけないのはね、知ってたです。でも、でも、ソキは魔術師になったですのに……」
ずび、と鼻をすすって、ソキはちぱちぱと涙を堪えて瞬きをした。
「会いたいもん。寂しいんだもん……。もう、会えないって、ずっと思って、でもソキ、がまんしてた……なのに、なのに、リトリアちゃんは会えたのが、ずるいんだもん。ラーヴェはソキがまだすきすきなの? ほんと? リトリアちゃんは、そう思うです? ソキも……ソキもね、そうだったらいいなて、おもうです。だからね、あの、あの……あのね、怒ってごめんなさい……アスルも投げて、ごめんなさいです……でも、でも、ソキだって会いたいもん……」
「そっか。……そっか、寂しかったね。ずるいって思っちゃうよね。そうだよね」
「ソキはわるいこです……。リトリアちゃん、怒る? ソキ、けんめいに、リトリアちゃんにごめんなさいをする、してる、です……おこる? ソキ、ソキとね、な、なかなおりしてほしです……」
怒ってないよ、とリトリアは苦笑した。会えない人にね、会いたくて寂しい気持ちも。自分じゃない誰かがその人に会って楽しそうにした苦しさも、嫉妬も。私はよく知ってる、分かるもの。だから怒れないよ、と告げて、リトリアはソキの手を包み込むようにして握った。
「うん。仲直りしようね、ソキちゃん。……悲しい想いをさせて、怒らせちゃったね。そんなつもりじゃなくて、ただ、ただね……ラーヴェさんとのことを、話したかっただけなの。自慢とかでも、なくて。……とても素敵な人だった。幸せを、教えてもらったの。だからね、元気でいたこととか、楽しかったこととかをね、ソキちゃんと話せたら楽しいだろうなって思っただけだったの」
「ソキ、おはなし、きく。……ラーヴェはソキがすきすきだもん。ソキは、そう思うもん」
うん、と微笑んで頷き、お手紙書こうか、とリトリアは囁いた。それをレロクはいいと言ったが、ソキは手紙を出したがるかも知れない。案の定、ソキは頬を赤らめて笑い、きらきら目を輝かせてお手紙するっ、と叫んで意気込んだ。
「ソキ、そき、元気でいるってお手紙する! それでね、それでね、ソキがすきすきでしょ? すきすきの証拠はっ? ってする!」
「う、うん……? うん……?」
雲行きが怪しくなってきた、と思ったのはリトリアだけではないらしい。ねえなんで秒で調子に乗るのどうしてなの、と頭を抱える妖精に、ソキはふんすふんすと鼻を鳴らし、いつものように、なぜかふんぞり返りながら言った。
「ソキがすきすきならぁ、ラーヴェはきっと、お手紙とか? お菓子とか? およふくとか、おくつとか! おにんぎょー、とかー、なにかくれる筈ですぅー! ふんふふんふんにゃにゃきゃうー! ……あっ、このもちもちうさぎちゃんは? もしかして? ソキのだったのでは?」
『リトリアに返しなさいっ! それは! ソキのじゃ! ないでしょっ!』
「……いってみたぁ、だけですううぅ……」
しぶしぶ、しぶしぶ、仕方なく、ソキはうさぎちゃんを名残惜しそうに、リトリアに返却した。思わず笑いながら。リトリアはうさぎちゃんを受け取り、ぎゅむっ、と抱きしめた。息を吐く。インクと便箋を選ぼうね、と告げると、ソキはこくりと頷いた。
ソキがせっせせっせと、半日かけてあれこれ書いた手紙は、手紙というより小冊子になったが、リトリアはそれを指定された住所に向けて速やかに発送してくれた。返事が来るかは分からないという。リトリアも半月前に一通出したが、まだ紙片の一枚も戻ってきてはいなかったからだ。ただ、宛先不明で戻ってきてはいないので、その先で必ず、届いているのだとは思う。そう、疑わずに信じていられる。
ちょっとした荷物になったそれに、ロゼアも一枚便りをつけたのは、ソキがあんまりにもきらきらして、楽しそうで、ラーヴェにあれを書く、これも教える、こっちも言う、と熱心に筆記していたからだ。明確な返事でなくともいい。時間がかかっても、どのような手段であってもいい。ただ、届いたのだと。読んだのなら、それが分かるように。ソキになにか返してくださいませんか、という『傍付き』からの願いだった。
『お屋敷』を辞したものは半年に一度の報告義務を負う。そのことはロゼアも分かっていて、けれども、ラーヴェがそれから逃げ回っていることも、メグミカからの手紙で知っていたので。いよいよ『お屋敷』が嫌になってしまったのだとしても、それは別に、驚くことではない。あの場所が長年、ラーヴェに強いてきた扱いを考えれば、もう関わらないで生きていきたい、と願うこともあるだろう。
しかしラーヴェは、『お屋敷』と関わりを持っている。それがリトリアの保護の為だったとしても、『傍付き』としての能力を生かして全て隠蔽し、偽名でも使ってしまえば足取りなど辿れるものではないだろう。繋がりを失うつもりはなく、それでいて、表舞台に立つ気はない。そういう意志を感じさせるふるまいだった。あの方らしい、と苦く笑えばいいのか、仕方がない方だと諦めればいいのか、知る者は誰もが気持ちを持て余すだろう。
それでもロゼアが一枚忍ばせたのは、ソキの為だった。ロゼアの『花嫁』、宝石の姫君、ラーヴェの珠玉たる存在が、悲しむことのないようにと願ったからだった。ソキがラーヴェのことで怒り騒いだことから受けた、ロゼアが一番に優先されないかも知れないという『傍付き』の根幹を揺るがす恐怖にも似た想いは、まだうっすらと残ってはいるのだが。それはそれとして。
リトリアと仲直りもできたし、おてがみだって書けたです、とロゼアと手を繋いでとてちて歩くソキが、幸せなのが。その幸福が。ロゼアの、なにを置いてでも優先すべき事柄だった。
「ねえねえ、ロゼアちゃん。明日はなにをする日です? 明日、あしたぁ!」
「明日は観光の予定かな。花舞の国境から、すこし移動した所に花畑があるって先輩が教えてくださったろ。お花見に行こうな」
「ソキ、ロゼアちゃんと、お花を見にいくぅー!」
明日と、未来の約束を。それに縋り、つなぎ留めておくのではなく。ただ、日々の楽しみ。日常の繰り返しの一つとして。ソキとロゼアが結んでいけることこそ、『お屋敷』では考えられなかった、『花嫁』と『傍付き』では叶わなかった、奇跡のひとつだった。約束も、手を繋いで歩くことも。自由にどこかへ行くことも。景色を見に行く。世界を見に行く。どこへでも、二人で行くことができる。
おやすみ、たのしいですね、ロゼアちゃん、と言ってソキが笑う。そうだな、と言って、ロゼアは廊下の只中で、ソキをふわりと抱き上げた。妖精は傍にいない。シディに水をあげるのを忘れてたわ、いいこと歩かせなさいよ三十分だからね、と言いおいて、先に部屋まで戻っているからだ。ソキは目をぱちくりさせながら、ロゼアの首筋に腕をくるん、と回した。
ぺっとりくっつかれると、ロゼアはようやく、体の重みを取り戻したような気持ちになる。ソキを腕に抱き上げて、その存在があって、含めて、ロゼアだ。
「ロゼアちゃん、どうしたの? ……あっ、もしやっ! 歩くソキがあんまりにぃ、かわいいからぁ、かわいいかわいいの抱っこなの? きゃああぁあん! きゃあんにゃー!」
ソキ、ロゼアちゃんの抱っこだぁいすき、と甘い声でソキは囁く。ロゼアの耳元にくちびるを寄せて。こしょこしょと、ないしょ話のように声を潜めて、笑いながら言う。
「あのね、嬉しいです。暖かくてね、気持ちよくてね、嬉しくてね、それでね、安心するです。ソキね、歩くけど、歩けるですけど、ロゼアちゃんの抱っこが大好きなんですよ。あのね、ソキはね、ひとりでもソキなんだけどね、でもなんだか、ちゃんとしたソキになるの。くっつくとね、ちゃんとするの」
「そっか。……ソキ、俺もだよ。俺も、そうだよ」
頬を撫でて、髪を指で絡めて撫でて。ロゼアは、水面から顔を出して息をするようなくるしさで、開放感で、それをぽつりと口にした。『傍付き』ではきっと言えなかったこと。魔術師のロゼアだから、許される言葉を。
「俺も、ソキと、同じ気持ちでいるよ……」
なにが、と。伝えるのは、まだ難しい。ソキを抱く腕にしっかりと力を込めて、それがいまのロゼアにできる精一杯だ。それ以上ができるようになる日が来るかは分からない。『傍付き』に、変化の余地は残されない。嫁いで、その環境に適応しなければならない『花嫁』『花婿』とは違うからだ。完全に、そのかたちで整えられる。それでも。深くに沈めて、誰にも見つからないように、鍵をかけてしまいこんだものがある。
ロゼアにその鍵は拾えない。ソキが見つけて、許して、渡してくれなければ。『傍付き』には、それはできない。『傍付き』がロゼアの根幹であるから、基盤を同じくする魔術師にも、それは難しい。開放してくれるのはソキだけだった。もし、望んでくれるなら。その先を望んでくれるなら。言葉を。気持ちを。なにもかもを。可能性を。ロゼアは長いこと、希望を失わずに待っている。
ソキは幸せに蕩けた目でうっとりとしたあと、すこし不思議そうにロゼアのことを見つめた。じっと。その心の奥底までを覗き込みたがる、『花嫁』の無垢なまなざし。
「……ロゼアちゃん、ソキと一緒なの?」
「一緒だよ。……きっと、ずっと、俺は、ソキと一緒」
ふぅん、と分かっていない声をあげて、ソキがぱちくり瞬きをする。それでいて嬉しそうに抱きついてくるのは、一緒なのが幸せだからだろう。『花嫁』の幸福こそ、『傍付き』のしあわせ。だからロゼアも満たされて、その体を抱き返した。
「ロゼアちゃん」
「なに?」
「ソキが、どこにも行きたくないですって言ったら、言っても、ロゼアちゃんは、一緒? ……嫌じゃ、ない?」
嫌じゃないよ、と心からロゼアは言った。一緒だよ。ソキはロゼアをじっと見つめて、言葉はなく、こくん、と頷いた。
「……あのね、ロゼアちゃん」
「なに、ソキ」
「ソキ、ね。ソキね、あの……ロゼアちゃんをね、し、しあわせに……しあわせに……する、です。しあわせに、する、おんなのこに、なるです……から、ね! がんばる! ソキ、がんばるですからね、ロゼアちゃん! そしてロゼアちゃんはソキにめろめろのきゅんっ! というやつです!」
きゃあぁんはうううにゃああぁんっとはしゃぎだすソキに笑って、ロゼアはその柔らかな体を腕の中に閉じ込めた。伝えられない言葉がある。今はどうしても。その言葉は、意志は、感情は、『傍付き』である為にすり潰して、粉々にして、恐怖と嫌悪と憎悪にさえ塗れさせて、くらやみの中に置いてきた。けれども、ソキが鍵を見つけてくれたなら。そうして、望んで、差し出してくれたなら。
ロゼアは告げる言葉を持っている。感情も、意志も、気持ちも。言葉も。けれども今はただ、まだ、満たされて。ロゼアはきゃっきゃと楽しそうなソキを、ぎゅむりとばかり抱きしめた。
「じゃあ、楽しみにしてるな、ソキ」
「ほ、ほんと? ほんとっ? ロゼアちゃん、ほんと? 待っててくれる?」
「もちろん。待ってるよ。……ずっと、待ってるよ。ソキ」
ふにゃああぁあん、と身をよじって、ソキが蜂蜜の声で鳴く。はー、かわいいかわいい、ソキかわいい、と堪能していると、ソキがちたちたと足を揺らして主張した。歩くらしい。リボンちゃんに怒られちゃうです、お約束は守らないといけないです、なんて偉いソキ、なんて偉いソキですぅ、とそれらしいことを言ってちたちたしているが、ロゼアは知っている。今現在、ソキには『お散歩楽しいですブーム』が来ているのだ。
ロゼアの手を、あるいは指をきゅうっと握って、あちらこちらへとてちてと行くソキの目は、いつもきらきら輝いている。わぁ、とはしゃいだ声を上げては代わり映えのない校舎を歩き出したのは先日からのことで、本当に嫌ならどんな言い訳をつけてでもしないソキが、リボンちゃんと約束したんだもんと言い張るのは、ロゼアが抱き上げなくなると思っているからに違いなかった。
ソキが歩くなら、歩かない時に。抱き上げていれば良いだけである。例えば、ソファに座る時にも膝の上に乗せておけば、抱いている時間にそう変わりはなくなる筈だった。おさんぽーですぅー、と歌いだしたソキを滑り落とすと、『花嫁』はてちんっ、と愛らしく着地した。うふふん、と満足げ、かつ自慢げな笑みで立ち直し、ソキはロゼアの手をしっかり持って、あっちあっち、と廊下の先を指差した。
「今日はー、談話室に行ってー、自炊室に行ってー、食堂を覗いてー、お部屋に帰るです!」
「……ソキ、お腹がすいた? なにか食べたい?」
そういえば、リトリアを訪ねている間、ソキは殆どお茶しか口にしていない。手土産にした砂糖漬けの果物をいくつか食べていたが、たいした足しにはならないだろう。朝も緊張して、殆ど食事をとらないでいた。ほっとしてお腹が空いたのなら、いいことだ。なにか食べようか、と囁くと、ソキの頬がしあわせな薔薇色に染まる。
「ロゼアちゃん、すごぉいです! なんで分かったです? なんで、なんで?」
「ん? ……なーいーしょ」
「きゃあんにゃ! ロゼアちゃんが、ソキに、ないしょした! ないしょしたぁ! いけないですぅー! ないしょしたぁー!」
とろとろの甘い声できゃっきゃとはしゃぎ、ソキはロゼアを引っ張ってとてちて歩き出した。談話室をちらりと覗き、中には入らないで通り過ぎる。ナリアンくんは戻ってこないですし、メーシャくんもいないです、と言う声ががっかりしていないのは、向かう先が自炊室だからである。つ、つまりっ、と興奮しながら、ソキはロゼアをきらきらと見上げた。
「ソキ、ロゼアちゃんをひとりじめする! ……あ、間違えちゃたです。ソキ、ロゼアちゃんのおやつを、ひとりじめするぅ! ……あっ、あっ、でも、でも、ロゼアちゃんといっしょ、いっしょにも、食べたいです……ふたりじめです?」
「ソキの好きにしていいよ。なにがいい? なに作ろうか?」
「きゃふふふふ! えーっとぉー、うーんとぉー」
ソキはロゼアちゃんのプリンもすきすきですし、ロゼアちゃんのさんどいちもすきすきですし、ロゼアちゃんのスープだってすきすきですしぃ、と悩みながら、ソキはぽてぽてと歩いていく。告げられる料理名はてんでばらばらで、とにかく思いついたものを端から言っているようだった。自炊室に到着するまで好きに告げてもらい、ロゼアはひょい、とソキを抱き上げた。
火を使い、刃物もある場所だから、ソキのひとり歩きは到底許せることではない。ソキも分かっているのだろう。歩く、とは言わずぴとりとくっついてくるのに、ロゼアは満たされた気持ちで囁いた。
「じゃあ、サンドイッチ作ろうか。それで、今日の夕ご飯は俺の作ったのにする? プリンもつくろうな。そうする? そうして欲しい?」
「そうして欲しいですううう! ソキ、ロゼアちゃんの! ごはん! だぁーいすきぃー!」
うん、と囁いて、ロゼアはソキを抱き寄せた。体をくっつけて、その柔らかさとぬくもりと、重みと香りを堪能する。ソキは機嫌よくロゼアにすり寄った。
「あ。ソキ、リボンちゃんのご飯の用意をする!」
「角砂糖? お部屋にまだあるよ、ソキ」
「ちがうの。あのね、スピカさんにね、お砂糖の上に赤いリボンの飾りがある、かわいー! のをね、頂いてたの。お砂糖の、果物の袋に一緒にいれてくれたの。ロゼアちゃん? とって、とって」
あっち、とソキが示したのは、昨日ロゼアが品々を閉まった棚のあたりである。ロゼアはソキの愛らしいおねだりを数回堪能したあとに、うんいいよ、と笑ってその棚に歩み寄った。ソキは気がついていないことだが。じつはロゼアは、ソキのおねだりを聞きたいがため、すこしばかり、どうしようかな、と迷ってみせることがある。意地悪ではない。
おねがい、ねえねえ、ロゼアちゃん、と告げるソキがあまりにかわいいから、仕方のないことである。最近勘付いてきたらしい妖精をどう言いくるめるか考えながら、ロゼアはふゃふにゃ笑うソキを抱きなおした。離す気はなかった。
色彩が違う、とソキは思った。改めて訪れた星降の王宮。『扉』から降り立った瞬間に、ソキは目をぱちくりさせてそう思った。昼のすこし前。太陽がまばゆく天に登っている時間なのに、城はなんだか色褪せて見えた。くすんでいるのとはすこし違う。色が薄いような気がした。それをうまくロゼアに説明できず、きらきらが、透明になって、いつもみたいなぴかぴかじゃなくて、それでしおしおのしゅんになってて、でもぺっちょりくてんじゃなくて、とけんめいにソキは言葉を重ねた。
感覚的にそれを理解したのは、星降の王宮魔術師たちである。なにを言ってるのかは全然分からないんだけど、とソキたちが訪れた魔術師控え室で『花嫁』の機嫌を損ねながら。はしゃぎすぎて殴られた頭をさすりながら、ひとりの青年が陛下がな、と言った。
「元気がないというか……ずっと空元気でいらっしゃるから、その影響だよ。そう心配しなくても、まだ大丈夫。気分の落ち込みくらいで留まってるし。落ち込みというか、感情の起伏がすくないっていうか……落ち着かされてる感じっていうか……?」
『……落ち着き? 気分の落ち込み……? 落ち込みですって……?』
言葉の意味から疑って問いただす妖精に、さもありなんとロゼアは頷いた。ソキがぴょこりと顔を覗かせて、おはなしーをーしにきたですぅー、と告げた途端の大騒ぎは、落ち着きという概念を捨て去った者たちのそれに他ならなかったのだ。秒で事態を察知して駆けつけたステラが、容赦なく加減なく、ひとりひとり平等に拳で後頭部を殴っていかなければ、ロゼアはもうソキを連れて『学園』に帰っていた。
ステラはあいにく、警備の仕事からどうしても離れられないのだという。心底残念がって戻っていくのを、また今度ね、絶対ね、と見送って、ソキは魔術師談話室に留まった。それから、場が完全に落ち着いてしまうまで、十五分はかかったのである。会話ができるようになった今も、安全の為に、ロゼアはソキを下ろす気がない。いつまたどうなるか分からないからだ。
ソキはおちつきぃ、と疑惑まみれの声で足をちたちたしながら呟き、ふにゃん、と眉をひそめて首を傾けた。
「……あっ、ソキ、飴を食べたいです」
「いいよ。はい、あーん」
あむむぅっ、と飴を差し出すロゼアの指にしあわせそうに食いついたソキは、発言のなにもかもを聞かなかったこととして処理しきった。ころころ飴を転がしながら、ご機嫌の笑顔で控え室を見回す。各王宮に必ずあるという魔術師控え室は、『学園』の談話室を思わせる作りをしていた。広めの机がいくつか置かれ、ゆったりとした作りの椅子とソファがそれらを囲んでいる。
机の上には書類とカードゲームが混雑して広げられていて、あまり整理整頓された、真面目な印象は得られなかった。がさーっ、とまとめてそれらを端に寄せながら、まぁ、ゆっくりして行ってよ、と王宮魔術師たちがソキを手招く。腰に手を当ててあたりを威嚇した妖精が、ソキの目の高さまで降下して高慢に告げる。
『いい? すこしでもさっきみたいな素振りを見せてご覧なさい。次はぎったぎたにしてやるわ!』
「大丈夫、大丈夫。びっくりさせたよな、ごめんな。やー、ほんとに感情がうまく動かせないっていうか、久しぶりのすごく嬉しい感じだったからさ。ぱぁんってしちゃったっていうか」
『大丈夫だと思えないから帰りたいのだけど?』
問答無用で帰るとならないのは、この再訪を、ソキがそこそこ楽しみにしていたと知っているからだ。なにせソキには、なかなおりしたおともだち、との、だいじだいじなおやくそく、があるのである。朝から七回も自慢され倒したので、妖精はその言葉の響きすら覚えてしまった。ほらソキ、やることあるんでしょ、と促せば、ソキはこっくり頷いて。
もちゃっ、もちゃちゃ、もちゃちゃちゃやんやんやんやんっ、としろうさぎちゃんリュックに絡まってじたじたした後、ロゼアに助けられて、二通の手紙を取り出した。ひとつは、ストルに宛てた。もうひとつは、ツフィアに宛てた。リトリアからの手紙である。
「ソキぃ、これをぉ、リトリアちゃんから! リトリアちゃんから! 預かって来たんでぇ! ストルさんと、ツフィアさんに、渡してねお願いね、なんですけどぉ! ……けど? おふたりはどこなんです? 今日は、おやすみのひなの?」
おともだちなんでぇ、おつかい、だってできるんでぇっ、というこの上ない自慢顔が、室内を改めて確認してじわじわと曇っていく。いないです、と落ち込みながら呟かれて、一人が慌てて出張してて、と言った。
「ツフィアはまだ、その、正式なうちの所属って訳じゃないんだけど、色々あって……その関係で、ストルと一緒に出張してるんだ。花舞に」
「しゅっちょ? ……うんと、えっと、いつお帰りなの? いま? いま?」
堪えて待ちなさい、と妖精が頭が痛そうに叱責をする。今ではないなー、と苦笑して、ひとりが太陽の高さを確認するのに、窓の外に視線を向けた。ううん、と思い悩まれる。
「用事が済んだら、と言っていたから……今日か、明日か。二人がかりで取り組む筈だから、明後日ってことはないだろうけど」
『なぁにそれ? なにしに行ったの?』
やんや、やんやんっ、と途端に機嫌を損ねて怒り出すソキを、静かにしなさいっ、と怒りながら。妖精は訝しさに眉を寄せて問いかけた。言葉魔術師と、占星術師が二人がかりで、しかも他国に行かなければならない用事など、そう思いつくものではない。またなにか起きているのかとうんざりしながら尋ねれば、魔術師たちはすこしばかり気まずげに顔を見合わせて、起きているというか、と口ごもった。
「ずっと起きてた例のアレっていうか……?」
「問題が起きたというか、起こしに行ったというか……解決しに行った……ような? こじれなければ解決する筈だった例のアレを片付けに行ったんだよね」
「……つまり?」
話せることでないならかまわないが、煙に巻くか誤魔化す努力くらいは見せて欲しい、という呆れ顔でロゼアが囁く。ソキはすっかり拗ねて飽きた顔をして、くちびるをつつん、とさせながら足をふらふらさせていた。それを嗜めて、そーき、と笑いながら、ロゼアがソキを抱き直す。きゃあんやっ、にゃんにゃっ、と蜂蜜に角砂糖を砕き混ぜたような甘さの声で笑うソキに、魔術師たちが胸焼けを起こした虚ろな顔で首を振った。
「いや……その、リトリアの……リトリアの親権を奪いに……? あれ親権だっけ?」
「保護者の権利じゃなかったか……? あの、例の予知魔術師の。あとはフィオーレだけだ首を洗って待っていろって言ってたアレ」
『……レディがなんで、いつまで経っても出てこないのか分かった気がするわ。生きてるの?』
もちろん、死んではいない筈である。それでも聞かずにはいられなかった妖精に、さもありなん、という顔つきで魔術師たちは頷いた。一人残らず理解される。
「速やかに回収して医務室には叩き込んだから……。外傷はなかった。なかったんだけどな……? こう、物理的な外傷というか、心的外傷がすごいというかえぐいというか」
「手段は選べよ可哀想だろっていうか……」
「……うふん? レディさんがいじめられたの?」
空気が漏れたような疑問の声で、ソキは不安げに目を瞬かせた。大方の所を察したロゼアが、鎮魂を祈る表情で視線を伏せる。
「……ソキ、お見舞いして行ってあげような」
「はぁーい?」
『ねぇ、それ私闘にあたらなかったの? 確実にただの私怨じゃないの?』
魔法使い相手に、魔力切れを待つ耐久戦に持ち込ませなかった手腕は敬服の一言だが、妖精は嫌そうに顔をしかめて訝しんだ。魔術師は、特に『学園』を卒業して王宮に勤める者は、そういった争いを禁じられていた筈だ。陛下に余計な心痛与えてんじゃないわよ、と叱られて、星降の魔術師たちは、だってー、と言った。常の星降の王が言うそれに酷似していた。
「フィオーレがいつまでも砂漠に戻らないから、ラティの件もそのままだし、こっちの話も進められないしっていう状態で、ストルがいい加減限界来そうだったんだもん……。そしてそれをツフィアがそそのかしたんだもん……」
「唆したっていうか、ツフィアはツフィアで珍しくピリピリしたのを隠しきれなくなってたのをストルが突いたっていうか……」
「お互いがお互いの言葉尻に、これ幸いと乗っかって行ったっていうか……あれ、よく考えるとなにか二人で打ち合わせした上だったんじゃ……? レディ頑張れ、みたいな感じ」
はぁん、と妖精は鼻で笑って髪をかき上げた。
『アンタたち、ソキみたいな説明の意味を成さない説明をするんじゃないわよ。意味が分からないわ! なにひとつね!』
「ソキはなんだかけなされてるような気がするぅーですぅー」
「……こちらの要点だけ纏めますが、つまりツフィアさんとストル先生は揃って外出中。目的地は花舞。目的はフィオーレさんとの面会。いつ戻るかは、今日から明後日までの幅があり、いつとは特定できない。そういうことでよろしいですね?」
ロゼアのまとめに、そういうことー、と室内の魔術師たちが声を揃えて同意したので、妖精は額に手を押し当てて隠さずに呻いた。なんというか、星降の王の影響を受けまくっている。はやくなんとかしなくては。いざ正気に返った時に、窓から飛び立ったり空を飛ぼうとしたりしかねない有様だった。王とは国の楔にして祝福、呪いにして枷である。最も顕著なのが砂漠であろうが、他の国がそうでない、ということではないのだ。
世界から承認を受け、王となった者は、その心身を正しく国と人々に反映させる。その中でも王宮魔術師というのは、特に影響を受けやすい、とされていた。感情の制御が効かなくなっているのも、その一環だろう。本当に、早く、はやくなんとかしてやらなければ、と思うが、その為の第一歩としてラティの件を思えば、ストルとツフィアの動きは全く正しいものだった。
やり方に多少の問題は浮上するものの、いまの星降の状態からみれば、それでもよく抑制できている方である。分かったわ行くわよ、と妖精は完全に飽きてつまらなさそうにしている、ソキの眼前に対空して言った。
『手紙、渡すんでしょう? 花舞に行くわよ! ほらはやく歩きなさいロゼア!』
「ソキ、花舞まで渡しに行く? どうする?」
「ソキぃ、リトリアちゃんのおつかいのできる、お姉さんなんでぇ! なんといっても、おともだちの、お願いごと! なんでぇ! うふふふん」
リトリアと仲直りできた嬉しさで調子に乗っているソキは、ロゼアにぴとんとくっつきながら、はやくぅはやくぅと甘くねだった。ロゼアに否やがあろう筈もなく。それでは、とまだソキと話したりなさそうな魔術師たちを鮮やかに振り切って、ロゼアは『扉』から花舞に飛んだ。靴底をコン、と廊下につけた途端、妖精がうわっ、と呻く。ロゼアも知らず、眉を寄せてしばし瞬きをする。眩しいような気がした。太陽の、ひかりの眩さとは違う。魔術師だけが視認するひかり。
うぎゅううぅうう、と押し潰されたような声で鳴きながら、ソキは両目に手を押し当てていやいやと身じろぎをした。
「ま、まぶし、まぶしですぅう……! きらんきらんの、ちかちかの、ぴっかぴかですうううう……! やんや……これは中々のやんやですううう……!」
「な、んですか、これ……?」
『……女王陛下が絶好調ってことよ……。そうね、花粉みたいなものかしら……』
花粉、とロゼアは呻いてソキを庇う動きでぎゅむりと抱きしめた。
「……花粉症になったり」
『しないわよ! ものの例えだもの。これは、そうね……魔力が大幅に、なんていうの……? はしゃいでるだけ、というか……眩しい……。魔術師ども、よくこの中で生活できてるわね……。……ソキ、ソキ。目を擦るのはやめなさい。深呼吸して、大丈夫だから……こら、擦らないの。……ソキ! 擦らないの!』
「ややんやぁああぁあ……!」
あんまり眩しくて、混乱しきっているのだろう。ソキはしきりにくしくしと目を擦っては、ロゼアにぐりりと頭をこすり付けている。ソキ、ソキ、と冷静な声でロゼアが『花嫁』を呼ぶ。大丈夫だよ、びっくりしたな、もう大丈夫、そっと目をあけてごらん、いいこだな、かわいいな、いい子だなソキ、かわいいな。ゆらゆらと体を揺らしてあやされながら囁かれ、ソキはくちびるを尖らせながら、そろりそろりと瞼を持ち上げた。
実際、初激とも言える煌めきをやり過ごしてしまえば、あとは不思議なくらい輝きは引いていくものだった。ソキは世界にばら撒かれたかのような、色鮮やかなちかちかしたものに目をぱちくりさせる。星降が王の影響で、やや退色していたように。花舞もまた、その状態を反映しているのだとしたら、これは一体どういうことなのだろうか。
ソキは目の前のちかちかしたものをじっと見つめて、それを見定めようとした。したのだが。見当をつけるよりはやく、飛び込んできた光景が衝撃的すぎて。ソキはふんにゃああぁっ、と声をあげて、ロゼアの腕の中でちたぱたした。
「たっ、たたたたたたたたいへんですたいへんですううう! ストル先生とツフィアさんがっ! フィオーレさんを、壁ドンしてるですうううううこれはまさか浮気の気配なのではっ? リトリアちゃんが泣いちゃうですううううたたたたいへんなことですううううう!」
『はぁ? いやなにを見てそんなこと言って……』
ぴぎゃああぁあんっ、と騒ぐソキの視線を追って、妖精は早々と沈黙した。そちらに視線をちらりと向けたきり、よし帰ろう、という決意を過ぎらせたロゼアに、心底同意してやりたい。してやりたいのだが。ソキを清く正しく美しく、再教育して行きたい妖精としては、どうしても訂正しておかなければ気が済まなかった。
ソキ、と落ち着きなくちたんちたんと暴れるいとしい魔術師に、妖精はしっかりと言い聞かせる。
『あれは壁ドンじゃなくて、脅迫とかカツアゲって言うのよ覚えておきなさい……!』
「ソキ、見ちゃだめだ。帰ろうな。帰ってお茶してお昼寝しような」
「あっ、えっ、ちょっ、まっ! 待って! お願い待って! 見捨てないで人を助けるという優しさを見せて欲しいというか助けてくださいお願いします!」
そのような優しさに持ち合わせはない。なぜならソキの教育に悪いからだ、という顔で、言い分を無視した微笑みでこんにちはさようならまた今度、と言い切ったロゼアに、フィオーレがぎゃああぁあっ、と悲鳴をあげる。うるさいですうう、と嫌そうに言って、ソキはくちびるをとがらせた。
「んもおおお! もしかしてなんですけど! きてはいけないとこにきてしまたのではないのですぅっ?」
妖精はため息をついて頷いた。全く同意見だった。