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 美男美女に迫られたのにときめきがない所か恐怖しかなかった命の危険を感じてどきどきした、と顔を覆ってさめざめと嘆くフィオーレに、投げかけられる視線はどれも温かみがない。ストルからは苛立った、ツフィアからは冷えた微笑みを向けられ、ロゼアからは興味関心のない、ソキからはうわきあいてなのでは、という疑惑に塗れた視線を向けられている。それに同情することが出来ないのが、この白魔法使いの素行である、と妖精は思っていた。
 なんというか、自業自得、という言葉がよく似合う男である。在学中から、年上年下男女魔術師一般人を問わず、顔が好みなら、という理由だけで爛れきった交友を広げていた男だ。三ヵ月に一回くらいは痴情のもつれからくる修羅場を起こしていた。ちょっとコイツもしかして相当ソキの教育に悪いんじゃ、と思案する妖精の眼差しに、フィオーレは中庭に置かれた華奢な机に突っ伏した。そして、給仕にお茶がこぼれますので、と囁かれている。わりと粗雑に扱われている。
 冬にしては爽やかで暖かい、春のような風が吹き抜けて行く。昨年は気が付かなかった気候に、ソキは目をぱちくりさせて、物珍しくあたりを見回した。花舞とは、常春の国である。四季が無いわけではないが、気候変化が苛烈な砂漠や白雪に比べれば、一年を通じてその変化は誤差に等しい。陽射しは暖かく柔らかく、風はふうわりと爽やかで、肌を焼くことも冷やすこともない。
 それでも、今日は冬めいて、涼しい方なのだという。寒い、ではなく、涼しい、が、花舞に訪れる冬の印なのだった。この大地が、花の舞う国と囁かれるのはそこに由来する。その為の祝福として残されたような国には、常に水と花の香気がやわりと満ち、吹き抜ける。見上げる空は洗い終わったまっさらな青さで、浮かぶ雲の形も大きさも、光を宿すような白さも、なにもかもソキが見知ったものとは違っていた。
 砂漠と違う。『学園』のものとも違う。片隅から眺める庭園の、花の色も、種類も、木の緑の色も、高さも、せんぶぜんぶ違う。目をきらきらさせて、びっくりさせて、きょろきょろあたりを見回しては、わぁ、と楽しそうな声ではしゃぐソキを、ロゼアはそうだな、と穏やかな幸福を抱いて撫でていた。よろよろと空を漂いながら無言で頭を抱えていた妖精が、あぁ、と呻くような、納得したような声を力なくこぼした。
『気がついてなかったとは思いたくない……』
「ちがうです。ちがうんですよぉ、リボンちゃん! ちぁうの!」
『隙あらば発音をサボるのはやめなさい。いいわね? ……で? なにが違うの?』
 言ってみなさいよほら、と腕組みをする妖精に、ソキはぷーっと頬を膨らませて。ちがうもん、とおしゃまな表情で、つん、とくちびるを尖らせて言った。
「ちがうのは知ってたんですぅ。でもね、でもね、なんだかちがうの!」
 妖精は頭を抱えかけ、ふと、よぎるものがあって言葉に詰まった。はく、と幾度か口を動かし、声にはならず。予感めいた囁きに耳を傾けて、魔術師と根源を同じくする魔力を循環させているからこそ、触れられるものに。妖精は、ゆるく瞬きをして感嘆のように息を吐いた。視線を重ねて、確信へと変えて、呟く。
『……あぁ、そう。違うのが楽しいのね?』
 妖精がそう感じたのは、ソキの心がときめきと喜びに満ちていたからであり、なにより。一心に妖精を見つめるその瞳が、星空のように煌めいていたからだ。鮮やかな喜びが、すっと横切っては消えていく。次々と、終わりなく。流星のように。ソキは花びらさえ乗りそうな睫毛を、ふわふわぱちちと瞬かせながら、絢爛の春さえ宿す甘い声で、歌うように告げる。
「お天気もとっても気持ちよくって、風もぷわぷわぴゅーっとして、光もほんわりぽかぽかで、すごいです! ねえねえリボンちゃん? もしかして、みんな違うの? そうなんです? 砂漠と、花舞と、星降と、白雪と……楽音と、『学園』と、みんなみんな、ちがうの? ねえねえ、ねえねえ」
『そうよ、ソキ。違うの』
「すごーい、すごーいですぅー! ロゼアちゃん、知ってたぁ? あのね、ちがうんですよ。みんななの! ねえねえ、ロゼアちゃん? ソキはロゼアちゃんと、一緒に見に行きたいです。ねえねえ、いいでしょう?」
 あの国に咲く花を、あの国の空を。一緒に見に行きたい。ねえねえ、と甘く囁くソキを、ロゼアは万感の想いを込めて抱き寄せた。そうだな、と告げる。
「一緒に行こう。見に行こうな。どんな風に違うのか、一緒に」
『……つまり、去年はなーんにも見てなかったというか……そうね、ソキはロゼアしか見てないものね……』
 ソキはいつだってロゼアちゃんしか見てないんでぇ、と自慢げにふんぞり返られるのに、はいはいそうねそういう意味ではないのよ、と呻きながら言って、妖精は息を吐き出した。ようやく、ソキは己の周りに世界が広がっていることに気がついたのだ。そして、それを楽しい、と感じている。違うことを、それを知ることを。喜びだとして笑う、『花嫁』。予知魔術師。
 ああ、とひと知れず、妖精は胸を撫で下ろした。妖精の魔術師が世界を、困惑ではなく、恐怖ではなく、愛しさで、喜びで、見つめて手を伸ばしたことが嬉しい。己の世界が広がっていくことを。もうソキは怖がらないし、厭わないし、その必要がないことを知ったのだ。そうしても。失われないのだと、一年、二年をかけて。ソキはようやく受け入れたのだ。
 ロゼアの腕の中でひとしきりきゃっきゃとはしゃいだあと、ソキは己を見つめる視線に気がついて、やぁんや、と頬をぷくっと膨らませた。
「なんだかぁ、ストル先生も、ツフィアさんも、フィオーレさんも、ソキを見てにこにこしてるぅ……! ソキはぁ、あいにくとぉ、ロゼアちゃんのなんでぇ。……あっ、でも? なでなでくらいなら? させてあげてもいいですよ?」
『ひとの感情の機微に察しがいい、こともあるのにねぇ……なんでこうなのかしらね……。いや、ロゼアの趣味よ分かってるわ。このむっつり野郎!』
「事実と異なる誹りは辞めていただけませんか」
 ロゼアの趣味ではなく、『お屋敷』の方向性の問題である。ロゼアの趣味でないこともないのだが。というより、ロゼアの趣味ではないソキというのはないのだが。ごくごく一部、ロゼアが教育を担当しなかったものの中に、個人的な感情において面白くないものが混じっているのは確かなので。機会があれば上書き、ないし、教育しなおすことをロゼアは目論んでいる。ただそれだけのことである。平均的な『傍付き』の思考である。
 妖精は、興味も関心も信憑性も感じていない冷たい目で、ロゼアの言葉を、へー、とだけ返事して流しきった。
『ソキ、手紙を渡すんでしょう? 早くなさい、巻き込まれる前に帰るわよ。もう遅い気もするけどアタシは諦めないわ……!』
「あっ。そうです、お手紙のお届けなんですけどぉ、こっちがストルさん。こっちが、ツフィアさんなの。リトリアちゃんからなんですよ。あのね、ソキとリトリアちゃんは、な、なんと! 仲直りをした、おともだち、というやつなんですよぉ? えへへん!」
『よし、ほら、アンタたちはさっさと受け取ってちょうだい。それで、脅迫だのカツアゲだの、好きにすればいいわ。アタシたちは帰るから』
 そもそも、茶会の席に連れてこられたのさえ、不本意な事故なのである。うわきいけないですうううリトリアちゃんが泣いちゃうですううう、と怒っておろおろとするソキが、とりあえずお茶して落ち着こうか、など言いくるめられなければ、こんなことにはならなかった。あっそうだったです、かべぎわにおいつめていたです、いくないのではっ、とささっと手紙を抱き寄せて渡したがらないソキに、良いから用事を終わらせて関わらず帰るのよめんどくさいでしょう、と言って。
 妖精は頭を抱えるフィオーレに、冷たい一瞥を投げかけた。
『ソキが心配するじゃない、頭なんて抱えてないで起きなさいよ』
「違うから……! 俺とあの二人が浮気するとか天変地異が起こってもありえないから……! やだ俺だって顔以外にも相手くらい選ぶわ! やだー! ストルとツフィアだけはやだー!」
「安心しろ。俺だって嫌だ。そんな疑惑をリトリアからかけられた瞬間、この世界に魔法使いの墓がひとつ増えると思え」
 うつくしい程の笑顔で言っていいことではない。さっとソキの耳を塞いだロゼアが教育に悪い云々を言い出す前にすまない、と謝罪して、ストルはソキに微笑みかけた。
「安心してくれて構わない、ソキ。俺はリトリアを愛している。これではない。……だから、手紙を渡してくれないか?」
「ソキ、私もよ。リトリアより大切なひとはいない。……リトリアと、仲直りできたのね。よかった」
「ほんとぉー? ソキ、リトリアちゃんのおともだちなんでぇ、リトリアちゃんが悲しいことはしないんですけどぉ……」
 ソキはストルをじーっと見て、ツフィアをじじぃーっと見て、ふたりをきょときょと見比べたのち、こっくりとあどけなく頷いた。にょっ、と手紙が差し出される。ありがとう、と口々に感謝されたので、ソキは調子に乗った様子でふんぞり返った。
「あのね、リトリアちゃんは寂しいなの。だからね、お会いできない時はお手紙を書いてほしです。分かったぁ? それでね、リトリアちゃんは我慢するって言ってたです。寂しいの我慢するの偉いです。リトリアちゃんには褒めが必要です。分かったぁ?」
「分かった。……あぁ、分かっているさ、寂しがらせていることは。……フィオーレ、だから早くしろと言っているんだが?」
「俺だって分かってるよそんなことー! でもねー! 俺のねー! 一存でねー! いいよー、あとよろしくーとか言えないことなんだってば! だからありとあらゆる返事が出来ません! 陛下通して! 陛下を!」
 大きな声にびっくりしたソキが、毛を逆立てた猫のような表情でロゼアにびとんっと引っ付いた。帰るわよ、と妖精は囁く。これ以上滞在して、薄々察している事情になど、巻き込まれてなるものか。しかし、ロゼアが頷き、椅子から立ち上がるより早く。あっこのくっきーは食べてあげてもいいです、とちたちた机の上に手を伸ばすソキが、きょとんとしながら呟く方が早かった。
「ストルさんとツフィアさんは、浮気じゃないならなにをしてたです? くっきー食べてもいい?」
「話し合いをしていたのよ。リトリアの守り手を譲るように。……お腹が空いてるの? はい、どうぞ。いいわね? ロゼア」
 手渡す前にきちんと確認してくれるツフィアに、感謝と複雑な気持ちを抱えながらロゼアは頷いた。わーい、ときれいなお姉さんにクッキーを取ってもらってご満悦なソキは、かりかりとご機嫌にかじってはおいしいですー、と喜んでいる。
「話し合い……? 話し合いって、すぐに頷けばそれでいいとか、私達だって平和的に解決したいのとか、そういう言葉はばんばん飛び交わなくない……?」
「言い忘れていたが、陛下からは……我が星降の王からは、ある程度なら独自に交渉してもよい、との許可は頂いている。レディともすでに交渉は済ませた」
「……その交渉って話し合い? 会話によって解決した系? それとも物理? 物理的な?」
 ツフィアはふふ、と微笑みを深めた。瞬間的に察したフィオーレに向かって、言葉魔術師はごく穏やかに囁きかける。
「私たちも穏便にしたいとは思っているのよ。でもね、時間がないの。あなたが頷くだけで解決する問題がいくつもあるのよ。分かって頂戴……?」
「……レディはそれで頷いたってこと?」
 俺には到底そうは思えないんだけど、と嫌そうに問うフィオーレに、ストルが星降の我が王からご許可は頂いている、と繰り返した。
「話し合いが決裂したならば勝ち取ってもいい、と」
「あーー! 武力だこれー! 武力に訴えたやつだこれー! アイツはなにを許可してんだよっていうか、え……? なに……? ラティを起こすのにそんなとこから根回しが必要なのっていうか待ってちょっと待って、あれ……?」
 ひとりで勝手に思考の海に沈んだフィオーレが、真剣な顔をして黙り込む。白魔法使いは瞬きを繰り返し、やがて、ざっと顔から血の気を引かせて呟いた。
「えぇ……。まさかそっちの方向から黙らせていく……? いやそれなら確かに文句出ないというか言えないだろうけど、マジでそれやる……? だって当人覚えてないよ……? いや覚えてるかも知れないけど、え、ええぇ……?」
「……なんの話だ?」
「俺の幼馴染が外堀を埋めようとしてる話! だめ! ストル、ツフィア、ごめん! 俺は同僚としてラティの味方してやりたいから、この件にも協力できません!」
 どうしてもと言うなら戦って俺のしかばあっ駄目だ死ぬ、えーっと戦って勝ったらにして俺も全力でやるけど負けたのなら言い訳のしようがないし、これ以上どうしてもっていうなら戦って、と求める白魔法使いに。ストルは仕方がなさそうに、用意していた演習場の使用許可証と、フィオーレの外出許可証を差し出した。
「仕方がないな……。こうしたくはなかったんだが……」
「待って? ストルちゃん待って? そう言う割にはなにこの用意周到さ? え? なにこれ? 今から? 今からするの? マジで? マジで言ってる?」
「言ったでしょう、フィオーレ」
 逃げないように、見かけだけたおやかに、フィオーレの肩に手を置いて。言葉魔術師は、急いでいるのよ、と言った。
「さ、行きましょうか」
「……まじゅつし、もぎせんとう、きょかしょ」
 机の上に置かれたいくつかの書類のうち、ひとつを興味深そうに読み上げて。ソキはぱちくり瞬きをして、なにをするの、と妖精に言った。妖精はしばらく頭を抱えて答えなかった。その模擬戦を執り行う場所は、『学園』に指定されている。完全に巻き込まれる流れだった。



 お腹痛いから帰っていいと思わない私は思うわだから帰るわねおつかれさまさようならやめてよして触らないで、と虚ろな目で呻くレディの腕を、満面の笑みでフィオーレが掴んでいる。遠巻きに見る誰もの目にも分かった。死なばもろとも、という言葉が浮かんでいる。決して一人では立ち向かわない、という白魔法使いの決意が見て取れた。いやぁあああ帰るって言ってるのよおおおっ、と空気を切り裂く火の魔法使いの絶叫。
 嫌だって言ってるのよだいたい私一度負けてるんだからもう良くないなんで呼ぶのよ、敗者復活戦という俺の優しさあっての行いですけどーなにか文句でもあるのーわー俺やさしー、お前のその優しさなんて溝に捨ててしまえばよかったのにというか存在させて欲しくなかった、いやそこまでというか存在とかから否定されると俺も中々悲しいものがあるんだけど、煩い本音はなによ、ストルとツフィアにひとりで立ち向かいたくない、燃えろおおおおっ、と魔法使いたちは、談話室の壁際で大変騒がしい。
 それを優雅に無視しながら、ゆったりと椅子に座って喉を潤しているのは、ストルとツフィアである。同じ席には嬉しさを隠しきれないまでも、困惑しきりでふたりと、魔法使いをおろおろと見比べるリトリアの姿もあった。少女は分かりやすさ重視の為か、『優勝商品』と書かれたたすきをかけられていて、ええと、ええと、と呻きながら現実の把握に勤める真っ最中である。
 ストルとツフィアは、にこにこ笑ってその姿を眺めていた。一通りの説明はしたので、質問があるまでは可愛らしい戸惑いを見守るつもりなのだろう。はー、と息を吐いてなるべく巻き込まれないように上空を移動し、妖精はうんざりと『学園』の談話室を見回した。朝よりずっと人が増えている。寮に残っていた筈の生徒を、倍にしてもまだいるだろう。そして続々と増えている。
 話を聞きつけて帰省先から飛んで帰ってきた者もあれば、すこしだけ、と様子を見に戻った者もあり、戸惑いと困惑、喝采と祝祭の気配が混沌の渦を巻いていた。生徒たちの姿は増え続け、口々に情報を交わし合う。それでいて、増えた半数以上は王宮魔術師たちだった。年末年始、王宮魔術師にもまとまった休暇が与えられる。それを数時間、ないし一日取得してまで、『学園』に来ているのである。
 完全に娯楽だと思われている。騒がしくなっていくばかりの、談話室の入り口横。置かれた机の上には『受付』の文字がある。そこに走り込んできたひとりの魔術師が、ぱぁん、とばかりに一枚の紙を叩きつけた。
「やったー! 陛下のご許可は頂いてきました! 白雪から、エノーラ、ウイッシュ、参加します!」
「えええぇえ、なんで俺まで……? ねえ、なんで俺まで? なあなあ、エノーラ。なんで? なんで俺のこと巻き込んだのなんで?」
 はーい、と受付に座る花舞の魔術師が、必要書類が揃い、かつ完全記入されていることを手早く確認する。壁に貼られた紙に、さらさらとエノーラ、ウイッシュ、の名が書き加えられた。ああぁ、とまだ諦めず呻くウイッシュに、エノーラは真剣な顔をして言った。
「よく考えなさい、ウイッシュ。優勝すれば、陛下がなんでもひとつ、願いを叶えてくださるのよ? 私は靴底になるし、兎ちゃんは愛しの彼女と同棲でもなんでもすればいいじゃない? 愛しのパパと一緒に暮らしたりしてもいいんだし」
「えっ! ……お、俺、がんばる……! それで、それで、パパと、シフィアと、『お屋敷』からお仕事に通う……ふ、ふふ……!」
 頬をしあわせに赤らめ、楽しい妄想でもじもじするウイッシュは、妖精の目から見て、なんというかソキにとてもよく似ていた。残念な気持ちで息を吐き、つまりそういうことになったの、と妖精は呻く。妖精たちが星降に出かけ、花舞を訪れて巻き込まれたのは、昨日のことである。リトリアをかけた武力行使に巻き込まれ、かけたソキたちを救ったのは、『学園』に残っていた寮長だった。
 王たちから、この学び舎のほぼ全権を委任されている男は、ストルとツフィアから許可証を提示されても渋い顔をして、聞いていない、と突っぱねた。指定された演習場は、とびきり魔術耐性の高い頑丈な作りをしていたが、それ故、中々使われない場所でもある。安全面に問題がないか点検して整備してからでなければ、使用許可はできない、としたのが三日前のこと。
 その三日間で、話は火が燃え広がるより早く、五国の魔術師たちを駆け巡った。ツフィアとストルが、ついにリトリアを巡って魔法使いたちと決闘するらしい、という、限りなく事実には近い、それでいて詳細を省いたその言葉が、どこでどうこじれたものか。次の日には二人と戦って勝つと陛下がお願い聞いてくださるらしい、ということになり。
 気がつけば、大会を勝ち抜いて優勝すれば、陛下がなんでもひとつお願い聞いてくれるらしい、になっていた。伝言ゲームなどするものではない。元々の発端を知っているだろうに、楽音の王が面白がって、じゃあもうそれで、など言ったのも悪かった。三日間。たったの三日間であれよあれよと言う間に話は転がり、変形し、かくして魔術師武道会の開催と相成ったのである。
 参加は二人一組、勝ち抜き戦で、優勝者には王が思いのままの願いを叶える、という商品付き。えっ、と改めて声をあげたリトリアが、えっ、えっ、と半泣き声をあげながら、おどおどど壁に貼られた参加者一覧の紙と、にこにこしているストルとツフィアを見比べた。紙には『どきどきそわり! 誰が一番強いかな? 戦ってそれを証明しよう! 年末年始の大魔術師大会 ―リトリアちゃんを添えて―』と書かれている。
 企画、運営、実行は花舞の魔術師一同である。しょっちゅうこんなことばかりしているだけあって、用意がいやに迅速で手慣れていた。一覧にはロリエスと、ナリアンの文字が二重線で消されて、シル、と書かれている。感謝したくないけどあのひとにロリエス先生が止められるとも思えない俺はどうすればよかったんだろうキノコになりたい、と談話室の定位置で頭を抱えるナリアンを、ソキとロゼア、メーシャがしきりに慰めていた。
 寮長は、優勝したらロリエスに結婚を申し込み、そのまま王に承認を頂く算段であるらしい。俺はこの戦いが終わったらロリエスと結婚しようと思う、真横にいる当人に許可のない妄言は許可していないんだが、ロリエス結婚してくれないか、断る、というやり取りを受付前でしていたのは先刻のこと。ふふ、とうつろに笑うナリアンは知っている。なにせ師のことである。ロリエスは、シルがそんな条件を出すと分かっていて、ナリアンとの交代を許可したのである。
 自分が優勝して、女王陛下の外遊同行の権利を希うつもりで。優勝するつもりで。シルにも、まあいいか、としてそれを許したのである。いくら激務で精神が摩耗していたとしても、その判断力はおかしい、とナリアンは頭を抱えて師の決断に泣いた。もっと自分を大切にして欲しいというか、憎からず思っているのは知っていたけれど判明して欲しくなかったというか、断るのが面倒くさくなってきたからと言って、そういうことをするのは本当に辞めて欲しい。
 大丈夫ですよ、ナリアンくん、ロリエス先生はほんとは寮長のことを、えぇええりょうちょのことをぉ、なんでかすきすきでめろめろばきゅんなんでぇむぐぐぐぐ、とナリアンにとどめを刺して、ソキはメーシャに口を塞がれちたぱたとしている。そうこうしているうちに、受付時間が終了した。わーい祭りだーっ、と叫んで立ち上がった受付の花舞の魔術師の言葉が、このたびの事態に対する大多数の認識だった。
 大会名に添えられているリトリアが、えっ、とほぼ泣いている声を出して頬に両手を押し当てる。目を涙でうるうるにさせながら、リトリアはすん、としゃくりあげ、ストルとツフィアをそろそろと見比べた。
「な……なんでこんなことになっちゃうの……? な、なに、なにが、起きてるの……? えっ? 私、添えられるの? 添えられるってなに? 私はなにをすればいいの? というか私が知らない間に添えられてる? 添えられるってなに? えっ? な、なに? なにが起きてるの……っ?」
「リトリア。安心してくれていい。必ず君に勝利を捧げてみせる。……愛してる」
「大丈夫よ、リトリア。あなたが不安がることはなにもないわ。……私たちがあなたのものになる為に、必要だったことなのよ。分かるわね?」
 あうううぅっ、と顔を真っ赤にして涙ぐんで、リトリアが椅子の上で小さくなる。優勝商品リトリアは、たすきを指で引っ張ったり突いたり弄りながら、ちら、ちら、とストルを見て、ツフィアを見て、ぽそぽそと言った。
「ええと……あの……もしかして、なんだけど……。予知魔術師の……殺害と、守護の……? あの……」
「そうよ」
「そうだ」
 私だって頑張って説得してたのに、と恥ずかしさとしあわせにまみれた声で、リトリアが机に顔を伏せる。心底困って嫌がられてはいない態度に、ふたりはくすくすと笑い声を漏らす。それに、ちら、と視線を持ち上げて。リトリアはふにゃ、と無警戒に溶ける花蜜の笑みで囁いた。
「それじゃあ、ふたりとも……わたしのために……争ってくれるの……?」
「……リトリア、すこし一緒に」
「行かせないわよ密室になんて決して許さないわ」
 さすがは王家の血の濃い、小悪魔系悪女を目指すぽんこつは言うことが違う、と心底引きながら、妖精はその場を離れて飛び去った。さすがの一言である。痴話喧嘩と所有権争いを、五国を巻き込む規模に拡大させる者たちである。なんというか、近くにいたくない。そういえばこれは、きゃあぁんわたしのためにー、あらそわないでください、というやつですうううう、と楽しそうに身をよじってはしゃぐソキのほわふわした発言が漂ってくるが、つまりそういう思考回路に違いない。
 『お屋敷』に呼ばれるだけある。その思考は死滅してほしい。ため息をつきながら、妖精は壁に貼られた参加者一覧の前までたどり着く。もうすこし落ち着いてからでなければ、ソキの元へ戻る気にもならなかった。面倒くさすぎるからである。幸い、談話室の中にさえいれば許容範囲なのか、ソキがごねて妖精を呼ぶこともないままである。
 さて、どんな阿呆共が参加しているのかしら、と妖精は一覧を上から順に確認した。まず、ストルとツフィアの名が並び、その下にはレディとフィオーレの名が続く。ロリエスとシルの名があり、エノーラとウイッシュの名があり、それで終わっているのは、王宮魔術師が多忙だからである。良くも三日で四組も動かす算段をつけられたものだ、と感心していると、慌てた様子で受付の魔術師が戻ってくる。
 手には筆記具。妖精が虚ろな気分で見守る中、ささっと名が、もう一組書き入れられた。エノーラとウイッシュの下に。五組目が追加される。その名は。
『……ルルク、と』
 そこまでは分かる。こういうお祭り騒ぎを聞きつければ、率先して参加しそうな相手だからである。しかし、その組み合わせが妖精には理解できない。どうしてそこに、その名前が並ぶのか。しかし待てど暮せど訂正はされず、受付の魔術師は、わーい、どうやって試合組むか考えよー、と言っていなくなってしまった。妖精はしげしげと名を、上から下まで繰り返して眺め、その名をもう一度確認した。
『ルルクと、ジェイド……? って、あの、砂漠の筆頭の……?』
「ひぎゃあああぁああっ!」
 妖精の声を聞きつけて、恐怖の叫びをあげたのはフィオーレである。諦めきれないレディと睨みあっていたのを一瞬で離脱すると、一覧の前に走り寄ってくる。上から下までたっぷり五往復は視線を走らせ、頭を抱え、白魔法使いは膝からその場に崩折れた。
「ほんとだ……! 筆頭……なんで参加しちゃったの……えええぇなんでっ? なんでっ? なんでここで俺の死亡確率が跳ねあがるのっ?」
 その時、ひょい、と顔を覗かせたのはルルクだった。ルルクは崩折れて嘆く白魔法使いにぎょっとした顔になったあと、一覧を見て、ああ、と静かに頷いた。
「『お屋敷』に課題を提出しに行ってたんだけど、その帰りに筆頭にお会いしてね。お祭り騒ぎになってますよねー、私も参加したいんですけど相手がいなくてー、って話をしてて」
「ええ……それで一緒に参加してくれるほど、うちの筆頭面倒見良くない筈なんだけど……? なにしたの……?」
「特になにも……。そういえばウイッシュさんが参加するんですよって言ったら、分かりました出ましょうって。秒で」
 なんなら語尾が被ってた、と訝しげな顔をするルルクに、あーっ、と叫んでフィオーレが頭を抱える。最近の再会が嬉しくて、砂漠の筆頭は頭のネジが飛んでいる。あーっ、いいとこ見せよ、とかそういうやつだーっ、あぁあーっ、と叫んで床に転がる白魔法使いを邪魔そうに眺めて、まぁそういうことだから、とルルクは言った。
「優勝目指して頑張ります! でもなんか五組になったから、トーナメントじゃなくてストルさんとツフィアさんの勝ち抜き戦にしようかなーって言ってたよ?」
「あー! そうしようー! ぜひともー! それにしようー! 二人が勝ち抜いてく感じにしようっ? なるべく最後に当たる俺達の生存確率があがるやつで! 行こう! しにたくない!」
「えー、いいな、最後いいなー。でも、二番目でもいいな。だって四組っていうことは、あれでしょ? 最初の一組目が負けたら、ふふふ奴らは四天王の名でも最弱よ……! って高笑いしていいんでしょ? 私一回でいいからやってみたかったの! やったー!」
 そういうこと言ってると一回戦に割り当てられるから辞めなよ、と淀んだ目で床に転がるフィオーレに、ルルクはそれはそれでおいしい気がするっ、と楽しそうに荒ぶる鷹のポーズを披露している。組み合わせや試合形式は、午後に正式決定するのだという。なんとかソキを昼寝させっぱなしにする方法はないかしら、と悩みながら、妖精は混沌とした談話室を飛んだ。妙案は見つからなかった。



 大会は、ストルとツフィアが四組と戦い、四戦を戦い抜いたら終了、ということで決定した。明日から二日間、午前と午後に一組づつ戦っていく予定である。トーナメントはまた今度かなー、と花舞の魔術師たちが楽しく計画を立てているのは忘れることにして、妖精は楽しみですぅ、とロゼアの膝上できゃっきゃとはしゃぐ、いとしい魔術師を眺めやった。
 時刻は夕方。そろそろ夜にさしかかる頃。寮に温かな食事の匂いが漂い出すのは、王宮魔術師が大勢やってきたので、厨房方が臨時招集されてくれた為だった。王の承認の元である。中々大掛かりで大変なことになってきた、と談話室の隅で寮長が額に手を押しあて、何枚かの書類と向き合っているが、同情の気持ちが浮かぶことはなかった。そんなことは、加担していない状態で呻いて欲しい。
 この事態の四分の一は寮長にも責任がある。明日の初戦で発表されたのは、ロリエスとシルだった。やったー、ロリエスだー、いま大会規定作ってるからちょっと待っていやごめんなさい間違えた手伝って手伝ってお願いお願いロリエスー、と同僚たちに呼ばれ、女性は寮長の傍から消えていた。それについても、面白くないのだろう。あー、なんでこんなことに、と文句を言っている。鏡を見てくるといい、と妖精は思った。
 なんでもなにも、加担した者がいるからである。ぐっすり昼寝をして元気一杯目を覚ましたソキは、ロゼアに擦りついてまだきゃっきゃと楽しくご機嫌でいる。ため息をつきながら舞い降りて、妖精はソキ、と幸福の名を呼んだ。
『いいこと? 明日はアタシと、不本意だけどロゼアと、ナリアンと、メーシャの言うことをよく聞いて、良い子にしているのよ? 危ないことをしないで、何処かにひとりで行ったりしないのよ。分かった?』
「きゃあんにゃっ! はーあーいーですぅー! ソキね、ソキねぇ! けんめいに応援するかかり、する! こっちでね、ストルせんせと、ツフィアさんの応援をして、こっちでね、ロリエスせんせと、せんせと……仕方がないから、りょうちょの……おうえんも……してあげるですぅ……」
「無視しないで偉いな、ソキ。ソキは偉くて可愛いな。いいこだな。可愛いからぎゅっとしような。おいで、ソキ」
 右手と左手に応援担当を振り分けることで、両方いっぺんに応援する、ソキの画期的あいであー、なのだと言う。しかしだんだん、しおしおと嫌そうに力を無くしていくのを抱き寄せ、ロゼアはぽんぽんと『花嫁』の背を撫でる。その光景を心からの癒やしとして眺めながら、ここ数日、話は聞いていたけど、と机に肘をついてメーシャが笑った。
「先生ったら。意外とやんちゃだよね」
「ほんとだよ……。ごめんねメーシャくん……。ロリエス先生に、相手に怪我をさせないでくださいってしっかり言っておくからね……!」
「うん? うん、俺も先生に、怪我したり、させたりしないでくださいって言っておくからね」
 どちらも無意識に、師が勝つとして話をしている所に齟齬がある。それぞれ微妙な差異には気がついているだろうが、あえて追求しないのが、ナリアンが花舞で培った平和への道であり、メーシャの持つ穏やかな協調の意思だった。ロゼアが微妙そうな顔つきで、もちゃもちゃとするソキの口元を撫でて黙らせているのは、ウィッシュも参加するからであり、そのあたりの機微を、時に『花嫁』がぶち抜いていくからである。
 思えば四人の担当教員のうち、実に三人が参加者、うち一人が元凶という、中々に凄まじい状況である。先生が参加なさらなくて本当によかった、と安堵しきっている目で、ロゼアはもちゃちゃっとするソキの手に、はいと毛糸を受け渡した。
「ソキ? 応援の道具を作るんだろ。しなくていいの?」
「あっ、そうです。ソキはなかなかいそがしーでした! あのね、毛糸をね、くるくるっとして、ちょっきんとして、もこもこの、まるまるふわんとさせて、それで、がんばれー、をするの!」
「そっかー。ロゼア、ソキちゃん、なにを作るの? 俺も先生のを一緒に作ってもいい?」
 あれっ、ソキがいま説明したのでは、という笑顔で首を傾げるソキを撫で、ロゼアはいいよ、とナリアンに言った。応援のポンポンを、毛糸で作るのだという。長方形の厚紙にくるくると毛糸を巻き付け、その中心を紐で固く縛り、輪になっている部分を鋏で切って全体を広げる。それだけの、簡易的なものである。中心を結ぶのと、鋏で切ってもらう以外は、ソキにも出来る簡単なものだ。
 なるほど、俺も作ろうかな、と興味深そうにするメーシャに、ソキはずずいっ、と黒の毛糸を差し出した。ストルの色である。
「それとね、あとね、きらきらの、ちかちかの、お飾りとかつけるです。お星様とか、お花とか、形は色々あるです。ストル先生には、ソキは、このかっこいーのがいいと思うです。がうがうするです!」
「あ、狼のビーズだ。へえ、すごい……こんなのもあるんだね。『お屋敷』から? ロゼア、これ使っていいの?」
「いいよ。ソキはビーズ細工は、あまりしないし……試作品をいくつか頂いているだけだから」
 ソキの爪の先程の大きさの、青く半透明な、天に向かって咆哮する狼の飾りだった。ちいさいものだが細工が細かく、よく出来ている。すごいでしょう、これはねぇ、ソキの世話役のユーラがねぇ作ったんですよ、でもソキはあんまり上手に使えないからしまってたんですけど、メーシャくんならあげるです、と差し出されて、占星術師は笑いながら、ちまこい指先から細工物を受け取った。
「ありがとう、ソキ。大事に使うね。毛糸も、いいの?」
「うん!」
「ありがとう。明日は一緒に応援しようね。俺の隣に、ロゼアといてね」
 うんっ、と機嫌よく、元気にソキは頷いた。あまりに鮮やか、かつ流れるように言質を取り付けて、メーシャはロゼアこれで大丈夫だよ、と囁いている。こいつらこういうところばっかりどんどん上手になるわまぁソキの安全の為だから仕方ないしっかりやれ、と思いながら、妖精は約束を取り付けられたことを気が付きもしていないソキの、胸の上にぽんっ、と着地した。
『ところでアンタたち、ニーアとルノンは? どこ? 一緒じゃなかったの?』
「えっ、そこで普通に話し出すんですか……?」
『ソキはアタシの魔術師、アタシはソキの契約妖精。つまりアタシはソキに自由に座ったり乗ったりしても良いってことよ?』
 そうかな、そうだったかな、と考える顔をしながらもナリアンが口に出さないでいるのは、とりあえず妖精を直視できないからである。妖精を見て会話をしようとすると、必然的にソキの胸に目を向けることになる。許して欲しい。なんというか青少年の心的な問題からしてみても、どうか辞めて欲しいし、ロゼアごめん違うからなんとかしてごめん、という気持ちでいっぱいになる。
 メーシャがにこにこ笑いながら、リボンさん、そこにいらっしゃると会話しにくいので浮いてください、と囁いている。勇者である。ありとあらゆる意味で。内心で拍手をするナリアンに、妖精の舌打ちが飛んだ。
『アタシの方を見なければいいじゃない。アタシは寛大だし、理解もあるからその非礼を許してやるわよ』
「定位置を変えればいいだけでは?」
『春になったら考えるわ。花妖精が冬に活発なだけすごいと思いなさいよ。あー、寒い』
 もちっ、とソキの胸の上に腹ばいになる妖精に、当の本人はすっかり慣れたのか、ふにゃふにゃと楽しそうに笑っている。諦めきれていないロゼアが、ソキに冬服を編んであげような、など囁いているのを聞き流しながら、妖精は己の魔術師の、あまくぬくい体温を堪能した。
『それで、ルノンとニーアは? ちょっと手伝って欲しいことがあったから、待っていたのだけれど?』
「……ルノンは、ちょっと星降の陛下の様子を伺いに行ってくる、と」
「ええと、ニーアはリボンさんの本体の様子を見てくると。すぐに戻ると言っていました」
 そう、と妖精は眉を寄せた。ニーアはともかく、ルノンの不安は理解ができる。妖精たちを唯一、常時視認する、魔術師でもある星降の王。彼の王が常ならぬ状態であることは、妖精も感じていることだった。なにせソキでも分かるほど、国内の状態が、魔術師の落ち着きがおかしいのである。ストルとツフィアも、常であればここまではしなかっただろう。
 この強行はその影響を受けているからであり、なにより、その状態をなんとか打破しようとする、魔術師の王に対する献身の側面も見て取れる。先日、妖精がチェチェリアに告げた、ラティを起こす件については、まだ返事が来ない。砂漠で対応を決めかねているのだろう。聞かなくとも分かった。ここからさらに、砂漠が異変を起こすわけには行かないのだ。
 ラティの、外部からの働きかけによる目覚めは、本当に可能なのか。妖精たちがそれを成したとして、本人に影響があるものなのか、あったとしてそれは一過性か残ってしまうものなのか。白魔術師がいれば予防できるものなのか、その範疇にあるものか、それともないものなのか。ざっと考えただけでも検討する余地のある不安はいくらでも見つかり、詳細を追うにつれさらに増えることだろう。
 まあ、と妖精はちらりとメーシャを確認した。ルノンが傍を離れられる程、メーシャがまだ持ちこたえているのなら、今しばらく時間はかけられるだろう。妖精が見る分にも、無理をして明るくはしゃいでいる風には感じない。張り詰めて凪いでいるようにも思えない。できることをしながら、起死回生の一手がとどくのを、メーシャは冷静に、自分の不安を抑え付け、戦いながら待っているのだ。
 ふむ、と妖精は感心した。『学園』在学中の魔術師のたまごとしては、合格点をあげたいくらい、良い魔術師として成長してきている。ソキも、内面は成長してきている、所もあるのだ。魔術師的にはほぼ誤差の範囲しか成長が見られないので、依然振り出しのままではあるのだが。妖精と契約したことで、変わるものもあるだろう。
 ちら、とソキを見上げて、妖精はふと胸をよぎった違和感に眉を寄せた。ぱちくり、不思議そうに見つめ返してくるソキの瞳を覗き込む。ふんにゃぁ、と語尾をあげてくてんと首を傾げるのに言葉を返さず、妖精は気が済むまでソキの瞳を確認して、あることに得心が行って頷いた。
『それは花舞が眩しいでしょうよ……。対策を考えてあげるわ。魔術師としてあれこれ制御できるようになれば、どうということはないのだけれど』
「リボンさん、ソキになにか?」
『心配することじゃない、不安に思うことでもない。ソキの体調に関わることでもない。先に言っておくけど』
 瞬時に張り詰めた気配になるロゼアを呆れながら見返して、妖精は不思議そうなソキの頬を、もにもにと手慰みに突っついた。やん、やんや、やんやぁ、とあまくふわふわした声で嫌がられつつ、もにもにもにもにしながら告げる。
『アタシと契約したことで、妖精眼になってるわ。妖精と同じ精度で世界の魔力を視認する。正直、予知魔術師としてはこの上ない強みで、武器になる。問題は……ソキが自分の魔力を制御できないってことと、まぁ、眩しいくらい?』
「やぁんやああぁあ……! もにもに! やんやん! やんや、やんやぁ!」
 ソキのほっぺが減っちゃうですううう、と身をよじって嫌がって、『花嫁』はずびびっ、と鼻をすすってくちびるを尖らせた。
「リボンちゃん、ソキをもにもにしちゃだめぇ! 減っちゃうでしょ? よーせーがんってなぁに?」
『前から思ってるけど、なにが減るの?』
「決まっているです。ソキのかわいいです。減っちゃうだなんて、ゆゆしきことです……!」
 妖精は無言で、ソキの頬をさらにもにもにした。いやんやぁあああっ、とだんだん本気で嫌がりはじめたソキに腕を組み、妖精は減りなんてしないわよ、と言い切った。
『安心なさい。アタシのソキの可愛らしさは、そんなことで減りも損なわれもしないから』
「うふふん? ……うゆ? リボンちゃんはぁ、もしかして? ソキのもちもちもににが気にいってしまたのでは? ないのです?」
 非常にちょろく機嫌を回復させたソキが、あれ、とばかり訝しむのを、妖精は笑顔で誤魔化した。
『妖精眼っていうのは、魔術師の持つ、いくつかの特異体質のうちひとつよ。訓練や魔術によって、魔力そのものの妖精の瞳に近づくのではなく、体質の変化、変質によって、妖精の瞳と同等の物と化す。魔術師として目覚めてすぐなるものを先天性とするならば、ソキのは後天性のものね。アタシとの契約が影響したんだわ、きっと』
「……影響は?」
 慎重に確認を重ねるロゼアに嫌な顔をして、妖精は羽根をぱたつかせた。
『言ったでしょう。ソキに悪影響は、ない。魔術師としてもよ。……前からではなかったと思うけど……魔力の解析がずば抜けてるのも、これで説明がつくわ。恐らく、元々の資質もあったんでしょう』
「つまり? ソキがもしかして? えらーくて、つよーくて、すごぉーいのではないのですっ?」
『即座に調子に乗るんじゃないっ! 使いこなしてこそ、よ!』
 魔術や訓練で近づかせたものではなく体質変化であるから、制御そのものは不可能に近い。ソキがこれから覚えなくてはならないのは、その使い方だった。目に飛び込む魔力全てを無加工に視認していたら、先日の花舞のように眩しさでひとの目がやられてしまう。
『まあ、しばらくはそうね……顔の前にヴェールでも被っていなさい。ロゼアに言えば一枚や二枚出てくるでしょう?』
「ロゼアちゃ? ソキをすきすきかわいー! にする、ヴェールちょーだい? ねえねえ?」
「分かった。四階に行こうな」
 言っておいてなんだけどこうも即座に用意されると引く、という理不尽この上ない目でロゼアを眺め、妖精は再び、ソキの胸の上に戻った。暖を取る。
『こうなると、明日からの馬鹿騒ぎはソキの訓練にちょうどいいわ。ソキ、喜びなさい。特別授業よ、アタシのね!』
「授業ですー! やったぁー! ソキ、かしこくーて、つよーぉくなるぅー!」
『そうよアタシに任せておきなさい。誰もがひれ伏す予知魔術師に育ててやるわ!』
 リボンさんお願いしますからソキの教育方針については俺と相談してからにしてください、というか、ソキの担当教員はウイッシュさまですまずそちらを通すべきでは、とくどくど言ってくるロゼアに、妖精はあくびをしながら耳を塞いだ。明日からの魔術師戦のことを考える。これは本当に、好機だった。

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