ロゼアから相談されたソキの担当教員は、えー、そうなんだ、大変だね、眩しいのは悲しいし嫌だもんな、うん分かったリボンさんどうぞよろしくなー、俺も本とかたくさん読んで分からないとこはまとめて後で相談しに行くからおはなししてなー、というほのぼのしたものだった。ロゼアより百倍話が分かる、と妖精は満足して頷いた。すぐさま質問をせず、学んでからという姿勢も好ましい。
ソキもそうなのだが、『お屋敷』関係者は基本的に学ぶことに積極的である。楽しんで嫌がらない。ソキは気分のむらっ気で、今日はもうしないだのなんだのぐずることがあるが、基本的に勉強というものは好きなのである。かしこいんでぇ、かわいいんでぇ、えらーいんでぇーっ、と胸を張りながら、貪欲に知識を吸収していく。知らなければならない、という宿命を持つ魔術師という観点からしてみれば、この上ない性質だった。
本を積み上げても課題を山のように出しても、ソキが嫌がるのはロゼアとの時間が減るか、お腹がすいたか、眠いかのいずれかに限られた。それだって、ロゼアが膝に乗せてソキは偉いなかわいいな、と褒めればころりと消え去るものである。学ばせるのにこんなにちょろいのも他にない、と妖精はしみじみ感心した。ロゼアもたまには役に立つ、というものである。そういう評価ならしてやってもいい。
ロゼアがころころソキを転がしてくれたおかげで、妖精眼が発覚してから、翌日の試合開始まで。時間は半日となかったのだが、それにしては間に合ったと思うほど、妖精はソキに知識を与えることができたのである。妖精眼。妖精そのものの瞳。変質によって成る魔術師の目が、どういうものであるのか。ロゼアによる徹底した調査により、心身の負担がないことは納得されていた。
魔術師としての負担になるものではないのだ。あとは脆い『花嫁』の体にどう馴染ませるかなのだが、これも妖精は特に心配していなかった。発覚が昨日というだけで、変質そのものは、妖精と契約した瞬間に発生し、終了していた筈だからだ。よしんば、契約が中途半端である加減で、じわじわ、のたくた、どんくさく変化が進んでいたのかも知れないが、ソキの体調に変化は見られない。
熱を出して伏せることもなく、昼寝も夜の眠りも、短くも長くもならず、変な夢を見ただとか、そういう類の報告もないままである。幸せな夢でもおかしな夢でも、見れば起きたらまっさきに、あのねロゼアちゃんあのねあのね、とぽしょぽしょあまく囁くのがソキである。なにも言わないでいるなら、ほんとうに、なにも起きてなどいないのだった。今日は朝からよく晴れている。
きよらかな青空が高くまで澄んだ、絶好の観戦日和である。演習場を中心に、すり鉢状に囲むよう設置された椅子に腰を下ろし、ロゼアはソキを膝に抱き抱えていた。片側にはメーシャ、その反対側にはナリアンが腰掛けている。観戦席は百五十もあるだろうか。その半数以上が埋まっていて、これ幸いとばかりに、物売りの姿をした生徒が、飲み物や軽食を持って間を走り回っている。
おまつりなの、おまつりなんですよっ、とご機嫌に、ロゼアの膝の上でちたぱたするソキに、ナリアンとメーシャからはほのぼのとした視線が向けられた。
「よかったね。ソキ、楽しみにしていたもんね。……大丈夫なんでしょう? ロゼア?」
「とりあえずは。……ソキ、ヴェールを外したら駄目だからな」
とりあえずもなにも、大丈夫である。妖精はソキの胸の上に転がりながらロゼアを睨んだが、心配性の『傍付き』の顔が晴れることはなかった。ロゼアが昨夜から四階の物置をひっくり返したおかげで、今日のソキは顔を覆うヴェールを付けている。しかし、真冬の室内用しかなかったらしい。夏用か、さもなくば外出用であればロゼアが満足する遮光性が供えられていたものの、室内用である。
午後には届くようにメグミカに手配したから、と告げるロゼアはヴェールの遮光性がいまひとつ不安でならないようだったが、ソキ本人はなんでもないような声で、はぁーい、と言って興味津々に演習場を見回していた。ソキがこの場に来るのは、殆ど初めてのことである。妖精が話を聞く限り、ロゼアの迎えに何度か足を運んだことがあるらしいので、全くの未知ではない、らしいのだが。
どうせロゼアしか見ていなかったのだから、それは知らない場所と同意にしかならないのだった。戦いの舞台として定められた演習場は、授業棟から徒歩五分の、すこし離れた場所にある。黒魔術師たちの合同演習場としても使用される建物は、元は楽音の騎士たちが使っていたものだったという。『学園』の建物が、五国のどこかからの寄贈、あるいは移築であるのと同じく。例に漏れず。
この、訓練場だか決闘場だかは、いまや魔術師たちに便利に使われていて、こうした祭りの会場にもなっている。黒魔術師たちの、定期的な合同演習授業も、この場所で行われていた。ロゼアちゃんとナリアンくんはここで授業をしてたですねぇ、と不思議そうに呟くソキに、ロゼアがうん、と囁いて指先を伸ばした。ヴェールの隙間から差し入れて、さらさらの頬をゆったりと撫でる。
きゃあっ、とくすぐったそうに首を竦めて笑うソキを、ロゼアがゆったりと抱き寄せた。
「なにかすこしでもいつもと違ったら、すぐに言うんだぞ、ソキ」
「だぁーいじょうーぶーですぅー」
だから平気だって言ってんだろ、という小言を飲み込んで、妖精は朝もした祝福を、もう一度ソキに重ねがけしてやった。甘い花の香り、草の匂い、香草の爽やかな薫りがふわりと広がり、消えていく。ありがとうございます、とややかたい、それでいてほっとした声でロゼアが囁く。妖精はちらりと視線を持ち上げて頷いてやった。この祝福はソキというより、ロゼアの安心のためである。うっとおしくて叶わないのだった。
祝福の気配を察して飛んできたルノンとニーアが、無言でナリアン、メーシャ、ついでとばかりにロゼアにもそれを送るのをあくびをしながら眺め、どいつとこいつも過保護だこと、と妖精はひとりごちた。自分の行いなど棚に上げて無視である。くすくすと笑いながら、ニーアがナリアンに向かって囁いた。
『ナリちゃん、大丈夫よ。心配いらないわ。ロリエスちゃんたら、はりきっていたもの。ナリちゃんにね、手本を見せてくれるのですって。よく見ておくようにって伝えてねって』
「ありがとうニーア……。でもなにひとつ安心できない……あのひとは今度は俺になにをさせるつもりで……?」
すでにそれを前提に、女王になんらかの計画書が提出されていても不思議ではない。もちろん、ナリアンには無断で。胃のあたりを抑えて蹲るナリアンの傍らで、ソキは楽しそうにロゼアを見上げていた。
「ねえねえロゼアちゃん? 試合っていうのは、なにをするの?」
無邪気に問うソキに、ロゼアは配られていた二つ折りの紙を取り出した。結局、試合形式はストルとツフィアが、四組を相手に四戦行うことで決定した。今日の午前に一試合、午後に一試合。明日にも、同じ間隔で試合が組まれる。明後日は試合進行と、各々の体調を踏まえて延期を選択肢に入れるため、予備日として確保されている。
第一試合はそれぞれの要望と話し合いを経て、ロリエスとシルに決まっていた。第二試合がウイッシュとエノーラ。明日の第三試合がルルクとジェイド、最終戦が魔法使いたち、という予定である。
「今回は魔術を使って戦うんだよ、ソキ。相手を規定線の外に押し出すか、戦闘不能にさせるか、降参を受けたら、試合終了」
「戦闘不能っていうと……ちょっと不安があるけど」
「そこは、フィオーレさんが待機してくださっているし……大怪我、というか、全治三日以上は反則負けとみなすって規定に書いてあるから……」
しかしそれはそれとして、あまり荒事になるようならソキの目を塞いで帰る、とロゼアの顔には書いてある。案内妖精たちが口を揃えて大丈夫だと告げたのと、シルが俺の輝きをたまには鑑賞しろよ魔術師の戦い方はお前にもソキにも、ナリアンにもメーシャにもこの先にあって悪い知識にはならないと言われていたので、素直に座って開始を待っているのだった。
チェチェリアからも、得難い機会だから特別な理由がなければ見ているように、と告げられている。ロゼアは気乗りのしない息をはき、わくわくどきどきそわそわしきっているソキを、腕の中に閉じ込めるよう、ぎゅむっとばかり抱きしめた。きゃふふふふっ、と蕩ける砂糖の笑い声をふりまくソキに、周囲からほのぼのとした視線が向けられる。
平和になったねぇ、と言わんばかりの眼差しに、妖精は息をはいて体を起こした。
『さ、ソキ。教えた通り。そろそろ集中しておきなさい。試合がはじまる前に』
「はーい」
意識を集中するとは、どういうことか。昨夜寝る前に、妖精はそれを徹底的にソキに問い正していた。ソキにとって、意識の集中とはなんなのか。意識の切り替えか、修練か。感覚的に言葉にするならどういう風になるのか。自分の意識で集中に入ることが出来るのか、出来ないのか。出来るなら時間にしてどれくらいあれば可能なのか。ソキは迷うことなく、すらすらとそれに答えていった。
集中は、目を閉じて胸の中に花を咲かせるイメージ。瞬きをするように、幕を閉じるように。するすると暗闇を呼び寄せればそれは成す。自分でちゃんと切り替えられる。すぐ、できる。ソキは元々、意識の切り替えということに対しては得手である。妖精がよし、と頷くほど満ちた集中は、たった数秒で完成する。
長い睫毛に縁取られた瞼が、夢見るように震えて開く。ゆる、と輝く、絢爛の春を抱いた森色の瞳。
「……えへん。リボンちゃん、ソキ、ちゃんとしたですよ。偉い? えらい?」
『あー、はいはい。えらいえらい、すごいすごい。……これがなければねぇ……アタシも、えっこれ本当に集中してるのかしら……? 集中ってどんな感じのことを言うのだっけ……? とか、不安にならなくて済んだのだけれど……』
しかし、妖精の感覚は告げている。言動が普段通りなだけで、ソキは魔術師的に、全く正しく意識を集中させているのだ。不可視の網はふわりと広げられ、魔力の流れをどこまでも感知する。予知魔術師の感知範囲は、演習場の客席までをも覆い尽くした。それは魔力を流すのとは違う。あくまで、ただの範囲指定である。目で見える範囲の隅々にまで、意識を流して集中させる。
ソキ、と妖精は張り詰めた雰囲気で見守るロゼアを無視しながら、柔らかく愛し子に囁きかけた。
『いいこね。……ゆっくり範囲を絞りなさい。客席は無視していいの。見なければいけないのは、演習場だけ。ストルと、ツフィア。シルと、ロリエスが立っている、あの範囲だけよ。……狭くなさい。こんな広範囲は集中が保たないわ。また今度にしましょう』
「うぅ……うにゅ、うゆ……。うゆゆ……? にゅっとするです、にゅっと……」
『……結果が全て、結果が全てだと思いなさいアタシ……。ソキ語は気にしない……気になるけど気にしないのよアタシ……!』
この際だ。出来ればいいのである。そもそも『水器』のない魔術師であるソキは、その魔力の加工を己の意識と器用さ、視認による制御に頼り切っている。理論上は不可能に近いが、やったらなぜか、そこそこできている、くらいの状態なのである。文句をつけるべき段階でないことは、妖精にも十分理解ができた。
ふにゃふにゃ、うゆうゆ、にゅううぅう、と眉を寄せてしばらく、難しそうに首を傾げ、鳴いて唸って。ぱちくり瞬きをしたソキは、ぴとっとばかりロゼアにくっつきなおして、えいっ、と言った。
「ふにゃんにゃ! にゅっとー! するぅー! ……きゃあんきゃあん! でぇーきたぁー! リボンちゃん? ソキ、ちゃあんと言う通りできたんでぇ、これは褒めがもらえると思うんですけどぉ?」
『あーはいはい、すごいすごい偉い偉い。よく頑張ったわね。ところでロゼアのヤロウにくっつく理由がわからないわ?』
「これぞー! ソキの、ロゼアちゃんすきすきぴとっとぱわー! ですぅー!」
雑この上ない妖精からの褒めでも、それはそれとして嬉しがるのがソキの良いところだ。しかし、その頭が痛くなる発言だけは本当にどうにかして欲しい。妖精は額に手を押しあてた。
『……結果、いまは結果を見るのよアタシ。過程を見て立ち止まったら負けよロゼア骨折れコノヤロウ』
「あっ、リボンちゃんたらぁ、またそんなこと言ってぇ。もうー、やぁんですぅー。だめだめぇー!」
ロゼアがでれでれして、そうなんだな、など言っていなければ、妖精だってもうすこし放っておいてやることも、できなくはないのだ。ロゼアがでれでれしていなければ。ちっ、と音高く舌打ちして、妖精はソキに向き直った。もそもそと座り心地を調整しているのに息を吐きながら、範囲指定が適切に出来たのなら、と義務感にまみれた教師の声で囁く。
『あとは、見なさい。一つ残さず。どんな動きも見失わずに。……ひとの動きではなく、魔力の流れを視認しなさい。アタシの予知魔術師、ソキ。その目はソキの、魔術師としての成長を助けるわ』
「じーっと、みる、です……。じーっと、じーっと……! ……うゃん」
「ソキ、ヴェールを取ったらいけないだろ」
視界を遮っているので、当然のこととして見にくいらしい。そーっと取り払おうとする動きをロゼアに止められる。妖精はとりあえずそのままにしておきなさい、とソキの動きを嗜め、ふくらむ頬に笑みを浮かべて言った。
『そんなものに、妖精の目は左右されない。魔術師が集中して、魔力を視認しようとする時、頼るのは視力じゃないからよ。……さあ』
妖精はまっすぐに演習場を指さした。審判役の魔術師が出てきた所である。そろそろよ、と告げられて、場の空気は張り詰めていった。しとやかに。ざわめきが引いていく。試合開始がつげられるまで、もうすこし。その隙間の時間に揺蕩いながら、ソキはぱちくり瞬きをした。なにかが。目に見えないなにか、形のないものが。ざわざわと目を覚ましていくような、予感がした。
それは、一瞬の白昼夢だ。ソキの意識があるようで、ない。瞬きの間にすら満たない、ほんの、僅かな。
水面を見つめている。足元に広がる凪いだ水の煌めきを見つめている。さらさらと砕けた砂のような、陶器の欠片が石のように沈み散らばる、その水を見つめている。瞬きをして、息を吸う。それはかつて形を成し、水を抱いていた筈だった。ちいさなソキのたからものだった。奪われて壊されてしまうまで、ソキはそれがあることを知らないでいたけれど。それでも確かに、目隠しをしたままで持っていたたからもの。唯一無二のものだった。
目隠しをしていたから、世界がそれをソキの目からも隠していたから、その形を知らなかった。分からなかった。いまも、思い出せないでいる。ソキの魔術師の水器。ころんとした、あいらしい、ちいさなちいさな水器。ソキの両手にすっぽりとはまるくらいの大きさの、喉をすこし潤せば空になってしまうくらいの、大きさの。ソキはちいさく首を傾げた。呼吸をする、瞬きをする。
まなうらに、その形を思い描けないのに、その形、輪郭、影を、なんとなく知っている気がする。思い出せそうな気がする。知っていたことがあるような気がする。確かにその目が、見たことが、あるような。描いたことがあるような気がする。一度だけ。永遠のように、遠い昔に。昔々に。一度だけ。でもそれがいつのことだったか、どんな時だったか、ソキには思い出せないでいる。
時の果て。時の巡り。出発点。終着点として、くるくるひっくり返される砂時計がもう遠くに置かれたここからでは、振り返っても分からない。大切なことなのに。思い出したいのに。水面を見つめている。砕かれた器と、広がるばかりの魔力を見つめている。勿忘草に染まった本は、穏やかな眠りに落ちている。息を、吸う。ソキは息を吸う。呼吸をする。それに、折り重なるように。
『本』は目覚める。祈りをこめて形作られた。願いをこめて再生された、『本』が。
時の果て、もうひとつの希望を託されて。
ソキのもとにまでたどり着いた『本』が、ゆるやかに目を覚ます。
初めに目を動かしてソキを見たのはツフィアだった。瞬きほどの遅れでストルと、観客席に座っていたフィオーレもソキを確認し、数秒のちにシルとロリエスも予知魔術師にたどり着く。五人の視線を受けた妖精が、なによなにか文句でもあるの早くしなさいよ見るんじゃないわよソキが怯えるでしょうが呪うわよ、とばかり腕組みをして視線とソキの間に割り込んだので、それぞれの疑問、違和感は確信となった。
魔術の展開を感じた訳ではない。ただ、観察されているような、意識にそっと柔らかな布が寄り添うような、言い知れない未知の感覚があったのだ。察知されるならまだまだ、だよなぁ、と苦笑するフィオーレの小声を敏感に聞き止めたのか、妖精からぎろりと睨みが向けられる。黙っていろ、とばかりの一瞥。はぁい、と口の動きだけで返事をして、白魔法使いは、それぞれ優しく放置してやることに決めて集中に戻る。
演習場の四人に視線を戻す。悪さではなく、妖精が関与しているなら、と受け入れるのは、それが本当に邪魔になるものではないからだ。気がつくまでは一瞬の不思議さがあるものの、そこからは体温に馴染んだ肌着のように、あるものとも意識することはない。魔術の発動を助けるものではないが、阻害するものでもなかった。ツフィアだけが丁寧に、己がなにをしてもソキに影響がないことだけを確かめ、微笑みを浮かべて数秒、予知魔術師を見返した。
己の対たる存在でなくとも、言葉魔術師として、なにか理解するものがあったのだろう。リトリアにもするように言っておけばよかったかしら、と口元だけの呟きは、少女の修練の機会をひとつ逃したことに対する悔しさで、それ以外の感情は見られなかった。リトリアは魔法使いたちと魔術師の様子に首を傾げ、遅れること数分でソキに視線をたどり着かせたが、なにが、という所までは察せないでいるらしい。
優勝商品のたすきをもじもじと手で弄りながら、なにやら拗ねた顔をして、見晴らしのいい一等席でちょんと椅子に腰掛けたままでいた。ふ、とストルとツフィアの視線がリトリアに向く。待っていて、また後で、とそれぞれの唇が音を成さずに紡ぎあげる。ぴぴー、と審判が試しに、というように笛を鳴らした。
「はーい、では規定時間になりましたので、そろそろ試合を始めさせて頂きます! それぞれ、一言くらいで意気込みをどうぞ!」
「お前自分の試合の時はどうするつもりなんだ? ルルク」
「もう、寮長? 意気込み言ってください! 私の時はアリシアに頼みました! 仲良しの! 幼馴染! とっても仲良しの! 幼馴染なので! わーい!」
来る機会は全て逃さず使って行く所存であるらしい。仲が悪いと疑われたことが、よほど気に入らなかったのだろう。幼馴染、私のはっぴー幼馴染、ちょう仲良しですんでっ、と力いっぱい主張する審判、ことルルクに。むごい、とばかりロリエスが視線を向けた。
「適材適所、というのがあるだろうに……」
自己主張大好きなルルクと比べて、アリシアの性格は物静かで内気な方である。普段は引きこもっていることを誰もが知っていたので、こういう場が辛いこともあるのではないか、と考えなくとも分かった。現に、観客席にその姿はない。しかしルルクはけろっとした顔で、今日は家の片付けですので、と告げ、断言した。
「大丈夫です! え? 二人とも、そんなことより意気込みは?」
呼吸がごとき自然さで、ロリエス結婚してくれ断るこの試合が終わったら新婚旅行の計画をたてよう断る、と繰り返す二人に、ルルクは瞬きをしてうーん、と言った。
「意気込み、意気込み……? まぁいいや! はーい、それではこちらのお二人も意気込みとかそんな感じのことを一言くらいでどうぞ! あと先に言っておくと、私との試合の時は、手加減して油断して負けて欲しい派です!」
「あなたのそういう素直な所は評価しているわ。しないけど。……そうね、リトリア。心配する必要はないわ、安心して待っていなさい。分かったわね?」
「怪我はしないし、させないさ。相手が本気で向かってくる以上、なるべく、だが。……リトリア、安心して見ていて欲しい。メーシャ、占星術師の戦い方、見ておきなさい」
とても不安で安心できません、という顔をしながらもリトリアは頷き、メーシャは課題を出された顔をして無言で首肯した。一言ってまぁ概念だよね、という表情で、ルルクが範囲に音を拡散させる小石めいた見かけの魔術具に、それでは、と声を吹き込んだ。
「簡単に、今回の試合の規定を説明するねっ! 目的は、二人がリトリアちゃんの恋人の座を奪還、えっ違う? なにが? え? あ、ええと? 予知魔術師の保護者の座をフィオーレとレディから譲り受ける為の、五王に対する切り札です! 欲しかったら力で奪ってみろみたいなアレだね! ちなみに陛下方からは、つまり力こそパワー物理力は裏切らないし殴って痛い方がつよい、フィオーレいいから早く戻ってこい迎えに行かせてやったからな、楽しそうなことがあれば子細漏らさず報告するように、ロリエスが欲しくば示す実力というものがあるだろう、わー皆がんばれー、という激励を頂いております! 激励かなこれっ? 激励ってなにかな? 考えなくてもいいかなっ?」
それぞれ、白雪、砂漠、楽音、花舞、星降の王で間違いがないだろう。分かりやすすぎる。全員がことごとく微妙な顔で沈黙する中、いち早く復活したルルクは、続けるねっ、と荒ぶる鷹のポーズになった。
「事前に通告のあった通り、演習場の正方形の範囲内で試合をしてください。演習場は、直線だと五十メートルだっけ? 中心から、四十五メートルの、四方範囲内が試合可能域、そこから外れると失格、ないし危険と見なされます。判定は魔術を使った厳密なものなので私は感知しません。記録係ー! よろしくねー!」
ルルクが手を振る先には小さなテントがあり、そこで楽しげにはしゃぐ生徒たちが、わらわらと手を振り返して応じた。全員説明部である。こいつらの情熱の出処よく分からない、という視線を会場中から浴びながら、ルルクはえーっと、と荒ぶる鷹のポーズのまま、手に持ったバインダーの紙をぺらぺらとめくった。
「試合は今日と明日、二日間に渡って行われます。予定通りに進めば、明後日は記録と掃除と休養の日! 試合は午前と午後に一回ずつ。……試合の詳しい勝敗についてなんだけど、相手の戦闘不能、戦意喪失、試合可能域外への押し出し、棄権の宣言、反則はその時点で失格、などなど。……えーっと、まあ、相手にすごい怪我させないで、勝ったら勝ちで! なるべく物理武器体術などに頼らず、魔術を使うこと、とのことです! もー、時間なかったから覚えきれないー! ごめんなさーい!」
「お前のそのポーズに対する執着はなんなんだ?」
「むしろなんで皆しないの? 我慢なんてしないでばんばん自分を解き放ってこ! はばたけー! わたしー! といつも思ってるので、私からすると私以外がいつも常にどうかしてます! やだもう皆我慢強いんだからー!」
こいつと正常な会話をするのは困難極まるな、という顔で寮長がため息をつく。ひとかけらも気にしていない笑顔で、よーしなんとか説明できたーっ、と言い放ったルルクは、すっ、となにごとも無かったかのように立ち直した。
「よし、それでは、これより! 第一試合をはじめます。せいれーつ! 整、列、して!」
「……はいはい」
「よーし、それでは宣誓ー! 僕たち私たち俺たち君たち魔術師たちはー! 正々堂々規定に則って戦い抜くことを、世界と王と、同胞たちに誓います!」
演習場に、眩い光が走り抜ける。地を這いまっすぐな線を描いて、試合範囲を告知する魔術が起動したのだ。互いに一礼してから開始の規定線まで下がり、二組の魔術師たちが対峙する。ぱちくり瞬きをして、ソキはそれを見つめていた。目の、見える世界とは別にもうひとつ。瞬きのたび、まぶたの裏に、きらめく魔力が形を残す。
首を傾げ、妖精が嗜めるのも聞かずに。くしくしと目を擦っても、それが消えてくれることはなかった。
「う……にゃ……にゃう……や、やん、ややん。リボンちゃぁん……」
『だから擦らないの! ソキ、それが妖精の見つめる世界。魔力だけで編まれる世界の形よ。気になるならずっと目を閉じてなさい、それでも見えるから! ……だー、かー、らー! 擦るなって言ってんだろうがー!』
「やううにゃあぁああん! もよもよちかかっとするううぅうぅうー!」
せめてもうすこし心配しやすいソキ語にしなさいと理不尽な怒られ方をして、ソキはぐしぐしとロゼアに頬を擦りつけた。メーシャ、ナリアン、ごめん、と言って、ロゼアがソキを抱き上げて場を後にする、その寸前のことだった。ぴたっ、と目を擦るのをやめ、ソキはくてりと首を傾げる。かすかに、どこかで。遠くで、近くで。本の開かれる音がする。
「……あれ?」
「ソキ、ソキ。どうしたんだ? ……どうしたの、ソキ。ちかちかする?」
「ふうぅんにゃあ……?」
目を閉じたまま、不思議そうにちたぱたして。ソキはぱっとヴェールを押し上げた。妖精が止めずに見守る中、ソキはぱちくり、あどけなく、また瞬きをして。ロゼアちゃん、リボンちゃん、といとしい者たちの名を囁く。
「……あのね、ストル先生がね、ぜんぶ、解析しようとするのをね、りょうちょが邪魔してるの」
「え? ……え? ソキ、なんのこと? なんの話?」
「んとんと、それでね、ツフィアさんが、みんないっぺんにえーいっ! ってしようとするのを、ロリエスせんせが邪魔してるの。ちかちかさせてね、くらくらでね、うまくできないよにしてるの」
まさか、という目をロゼアか演習場に向ける。そこでは二組の魔術師が争いをはじめていた。極力怪我をさせてはならない、という方針である為、双方派手な魔術はまだ使っていなかった。ストルはまだ、相手方を見たまま、動いていないようにも見える。魔術詠唱はあっただろうが、ロゼアもナリアンもメーシャも、ソキがあまりに騒ぐので聞き逃してしまっていた。
そのストルをシルが、ツフィアをロリエスが相手取ることで決めていのだろう。シルもまたその場から動かずにストルを見つめ、時折なにか手を動かしては、魔力の揺れだけを観客に感知させた。対して、観戦するのに適した動きがあるのはツフィアとロリエスである。言葉魔術師はその性質上、声の届く範囲、という魔術的な制約を持つ。相対している為に言葉が届かないことはなくとも、十分な距離ではないのだろう。
駆け寄ろうとツフィアが動くたび、その足元には精密に計算された風が逆巻き、進路を阻んだ。
「……近寄らせる訳がないだろう? ……ふむ、耳栓はやはり用意しておくべきではなかったのか、シル」
「物理的な音の反響を断つことで効き目に差異があるかどうか、というのは……そうだな、確かに良い資料になっただろよ。惜しいことをした。……それにしても、それに気がつくとはさすがは俺の女神……! 輝きが違う! 結婚してくれ!」
「いますぐおなかがいたくなればいいのに」
ナリアンとロリエスの呻きは、仲良く重なって響いた。にこにこ笑いながら、シルの視線がナリアンを向く。なんでそこでかぶるのかなー、なんでかなー、きにいらない、なー、と言わんばかりの視線に、ナリアンは淀んだ目で呟いた。
「ねえソキちゃんロゼアメーシャくん。ストル先生とツフィアさんに勝ってもらおうよそれが世界平和のためだよ先生ごめんなさい」
「あっ、りょうちょの集中が途切れたです。ナリアンくん、そのちょーしです! ロリエスせんせ、ごめんなさい。ストルせんせー、ツフィアさーん、がんばってほしですぅー! りょーちょがちょうしにのるんでぇ、へちょへちょにしてほしですぅー!」
個人的な恨みしかないソキの応援に、もちろんよと微笑んでくれたのはツフィア、任せておけ、と言ってくれたのがストルだった。
しなやかな金の糸が、瞬く間に繊細な布を織り上げながら広がって行く。ツフィアの魔力が場に展開していく様は、ソキにはそう見え、認識できた。作りたての、金無垢の硬貨めいたきんとした色彩は、やがて透明な水にインクを落とすように変化する。塗り替える。先染めの藤の色。金の布の上を、花びらが駆け巡っていく。ツフィアの元から。その示された先、布の広げられた端にまで。隅々にまで。
予知魔術師の淡い気配を乗せた言葉魔術師の魔術が、演習場を飲み込むように広げられていく。足元を覆い尽くす。魔力の本流。魔術展開の、その準備。ソキが見つめるその事実に、ロリエスとシルも気がついたのだろう。ロリエスの風が布を切り裂かんと舞い上がるが、冷静なストルの目が風の動きすら予見して、ツフィアにその流れを伝えきる。ふわり、と布が風を抱いて揺れる。たったそれだけの変化だった。
舌打ちして、ロリエスがシルの名を呼ぶ。どちらかを。シルはすまないと己の油断を詫びながら、やはりストルをまっすぐに見て片腕をかかげた。その指先から、硝子片のような魔力が零れ落ちるのを見た。輪郭だけが菫色を宿した、その他は無色透明な破片だった。それはほとほとと布に落ち、世界に落ち。触れた所から気持ちいいくらいに切れていく。刃の欠片だ。
それは布の展開を阻害するにはちいさく弱く、けれども確実に風穴を開けていく。鋭利な魔力を、布の優美さは受け止められない。純粋に、魔力加工の相性、魔術師として発現する魔術のかたちの相性が悪いのだ。さくさくと音さえさせるように、布に穴を開け風の通りを良くして行くシルの動きが、分かっていて止めきれないのだろう。すぅと目を細めたストルが、ロリエスだけを見てツフィアに告げる。
「あと二十秒以内だ。準備は?」
「誰にものを言っているの? ストル。……終わっているわよ。『さあ、言葉により世界と対峙する魔術師たちよ。私の声を聞きなさい』」
りん、と鈴が鳴ったようにソキには聞こえた。ちり、ちり、ちりりん。一部を切り裂かれぼろにされながらも、いまや一面に広がる藤の花びらが、ツフィアの魔術を喜ぶように跳ね回る。激しい雨が、足元で水滴を跳ねさせるように。りん、りん、と鈴の音めいた響きで、その魔術を奏であげる。奏でられる音楽の喜びを。
「……来るぞ。耐えきれるか? ……耳を手で塞ぐのは効果的と言えるだろうか」
「それで効果がなかったら間抜けすぎる。やりたくない」
「おお、さすがは俺の女神……! その潔さが眩く、今日も世界は祝福に満ちている。結婚してくれ!」
一日に何回も言わせるな断る、とうんざりした顔で、ロリエスが己の足元から周囲に向けて、突風を発生させる。音の連なりそのものに対する防衛。勢いは一瞬だけ強く、しかしすぐ、たおやかな布が風を捕まえて抱いてしまう。
「……っ、誰だ大怪我をさせるなという規約を入れ込んだのは! 殴らせろ! 黒魔術師に不利だろうこれ!」
「参加した以上、いま規約に文句を言うのでは遅いのよ。『鏡よ、鏡。私は鏡。あなたの鏡。忠実なる鏡像。さあ歩きましょう。私が歩くのだから、あなたも歩きましょう。鏡よ、鏡。あなたが鏡像。私の鏡』」
カツン、と音をさせてツフィアが前に一歩を踏み出す。それに合わせて、ロリエスもまた、足を踏み出した。手足を糸でくくられた操り人形のような動きで。ロリエスは歯を食いしばって耐えようとしているが、叶わないのだろう。ツフィアの魔力がシルと相性が悪いように。ロリエスの形は、ツフィアとたいそう噛み合わない。止めようと駆け寄ろうとして、シルもまた、動けないことに気がついたのだろう。
言葉なく、過度の集中によつてのみ成し遂げられたツフィアの魔術が、どう展開したか、ソキだけがはっきりと視認していた。は、と声を漏らすシルに、遅れて。胸の内、意識の中に停滞させていた言葉を、ようやく、ツフィアは口にする。
「……『鏡よ、鏡。あなたは鏡。あなたたちは向かい合わせ。幾重にも重なる鏡像のひとつ。あなたが鏡像? それともあなた? 繰り返す鏡合わせの、本当は誰?』……それじゃ、頼んだわよ、ストル」
「ああ、こちらこそ」
ストルと、シルを、ぴんと張った糸が繋ぎ合わせている。指先から胴から足元まで。瞼まで。呼吸まで、ひとつのもののよう。鏡合わせのよう。存在するように。金の布から糸紡ぎのように立ちのぼる、藤色の輝きがそれを成している。ツフィアは上機嫌にさえ見える足取りで、よどみなく演習場を横切っていく。ロリエスもまた、同じように。
目指しているのは、演習指定範囲の外だった。そこへ到達すれば、ツフィアも負けるが、ロリエスも負ける。残ったストルがシルを下せば、それでいいのだ。誰もがそう思っていた。すべてを見ていたソキと、間接的にツフィアを助けていたリトリア以外は。予知魔術師たちが揃って、あれ、と首を傾げる中で、ツフィアは悠々ときらめく直線目指して歩いていく。全身に力を込めて抵抗しながらも、同じように歩いていくロリエスを連れて。
背中合わせに離れていく二人の、残りの距離が僅か数歩になった瞬間。振り返ることなく。ぱんっ、と音さえさせるような勢いで張りつめた糸を切ったツフィアが、まっすぐに前を見て、歩きながら呼ぶ。
「ストル!」
「ああ!」
軽やかに。支配を解き放たれて、ストルが走り寄るのはツフィアに向かって、だった。一瞬遅れて寮長もロリエスを追うが、僅かに数歩、間に合わない。とん、と演習指定範囲を越えた靴音は一つだけ。直前で抱き上げたツフィアを範囲内に戻し、ストルが緊張の解けたため息をつく。
「……ツフィア。打ち合わせより二秒、呼ぶのが遅かったと思うが?」
「ロリエスの抵抗が強固で、これ以上早いと場外に出せなかったのよ。……間に合うと踏んだから駆けたのでしょう? ストル」
「腕を捕まえて引くのと、抱き上げて足をつかないようにするのだと大分違う」
もちろん、あなたの足の速さと筋力も加味したわよ、そういうことを言っているんじゃない、じゃあなに、計画には余裕が必要だと言っているんだ初回からこんなにぎりぎりでは、そこをなんとか読み解くのがあなたの役目でしょう違うのかしら、違わないさだがそう言うならすこしはこちらの提案にも乗ってくれていいだろう、あれは安全策すぎて時間もかかるし勝率も悪かったでしょう今回大事なのは勝つことよそうでしょう、堪え性がない、なんですって、短気だと言っているんだ、分かったわ今ここで決着をつけましょういいわねストル、望む所だツフィア、と。
ぽんぽん、目まぐるしい勢いで言葉を交わして、なぜか決裂して睨み合う二人に、寮長がうんざりしきった目を向けた。
「……いや、いままだ試合中なんだが?」
「は? あなた、私とストルに勝てるとでも思っているの?」
「降参をおすすめするが?」
どちらも切れていてとても、すごく、めんどくさくて、やだ、という顔をして寮長が首を振る。観客席ではリトリアが、えっ、えっ、と言ってひたすらオロオロしているが、在学期間が被っている者たちは、いっそ穏やかな表情でやりとりを見つめていた。いつものことである。リトリアの前ではそうでなかった、というだけで。リトリアのことで結託しなければ、二人はいつもこのような会話をしている。
ツフィアはあれで短気で決闘状を相手の顔に叩きつけていくような気性をしているし、ストルは特に受け流しもせず真っ向から買い上げて睨み合うのに躊躇わない。穏やかで、人当たりがよく、余裕を持って懐がひろいのは、二人の間にリトリアを置いておいた時だけである。えええぇええ、ふたりともなにしてるのっ、なんでっ、と悲鳴があがって、ツフィアとストルはようやく、にっこりと笑ってリトリアの方を見た。
「どうしたんだ? リトリア。……ああ、疲れたろう。すぐ終わらせるから、お茶にしようか」
「美味しいお菓子を買っておいたわ。もうすこし、待っていてちょうだいね」
「いやお前ら、ソキじゃねぇんだからそんなことでちょろく誤魔化され……てる、だと……!」
寮長が視線を向けた先、すっかり二人とのお茶、に心を奪われたリトリアが、嬉しそうにはにかんでそわそわとしている。ソキはなんだかふとうなそしりを受けたような気がするですぅ、とむくれかけるも、ロゼアにかわいいなー、と宥められて、予知魔術師は秒で機嫌を回復させている。今代の予知魔術師たちは、総じてとてつもなくちょろい。
世の真理に気がついてしまった顔つきで、寮長は額に手を押しあててよろめいた。
「これは嫌な想像なんだが……どの代にもいたであろう、こういう攻撃的かつ手に負えないような魔術師を大人しくさせるために予知魔術師があてがわれただけなんじゃないのか……? 守り手と殺し手っていうの後付だったりしないか……? どう考えても素直に言うこと聞くちょろい予知魔術師より、こっちのが問題じゃねぇの……? ロゼアとかナリアンとかストルとかツフィアとか。攻撃性能が高く、かつソキとかリトリアを与えないと危なさそうな奴ら」
「……それで寮長? 降参するのか、棄権するのか。早く決めてくれないか?」
「いいから負けろよって言う意志しか感じねぇよ……ストル、リトリアが見てるぞいいのかそれ……?」
実質一択の選択肢を投げつけておいて、ストルはあれ、あれ、と不思議そうに瞬きをしているリトリアに、ふっと甘く穏やかに笑いかけた。きゃっ、と声をあげて、リトリアが真っ赤になる。もじもじと恥ずかしそうに手を弄っているのを、心底可愛い、と思う眼差しで見つめて。ストルはちら、と寮長に一瞥を向けた。
「……それで?」
「お前とロゼアの性格が似てることは理解した。……そうだな、戦ってもいいんだが」
召喚術師として、打つ手はある、とシルは思案した。ツフィアとの魔力的な加工の相性も悪くない。阻害範囲を己にだけ絞れば、言葉魔術はある程度なら防げるだろう。問題はストルである。占星術師の、言ってしまえばただの占いめいた、王宮魔術師としては主に天気予報や天候の流れを予測し、それを記録しまとめ上げ各省に連絡することが主たる仕事の男は、その魔術を精密な未来予知として磨き上げていた。
恐らくは、鼓動一つ、呼吸の感覚や瞬きまでをも予測し予見し認識して、己の膨大な知識と組み合わせ、先見のかたちにまとめ上げているのだろう。長時間の乱用はさせるべきではない。ストルの魔術師としての生き方と、ロリエスに結婚を申し込む機会を天秤にかけ、寮長はため息をついて女神に祈った。愛が疑われませんように。
「分かった。降参してやる。……あと三試合、そうするつもりなら、都度白魔法使いの診察を受けろよ。リトリアに祝福でもかけてもらえ」
「……ありがとう、寮長」
「試合、しゅーりょーっ!」
安全権で大人しく観戦していたルルクが、ぱっと飛び出してきて終了を告げる。わぁあい実況したかったけど半分くらいなにが起こってるか分からなかったぞーっ、と元気いっぱい言い放ったルルクは、カッ、とばかり荒ぶる鷹のポーズになると、試合をした四人を順番に見つめた。
「それでは、ストルとツフィアは白魔術たちの診察を受けてから休憩、午後の試合に備えてね! 寮長とロリエスはお疲れさまでした! やっぱり診察を受けたら談話室にどうぞー! 有志が用意した参加賞があります! あとあと、ソキちゃん! ちょっとお願いがあるので! ロゼアくんと交渉させてね!」
「善処します」
にっこり笑って言い放ったロゼアの腕の中で、ソキは機嫌良くちたぱたうにゃにゃっとした。なんといっても応援をしていた二人が勝ったのは嬉しいことだし、妖精が満足げにしているのも嬉しいし、ロゼアのお膝でごまんえつなのである。それになんだか、どきどきするのである。目の前で展開されていく多種多様な魔力、魔術を見るたびに、ソキの中で涼しい音がする。
透明な器が、そっと風に触れて鳴るような。なにかの輪郭が、わかる。蘇ったソキの武器、赤い帆布の『本』が告げる。妖精の目を通して魔術を、魔力を見て学ぶなら、そのことで輪郭を取り戻せる。七色の魔力を身に宿した。かつて、確かにソキの中にあったものが。もう一度、息をしようとしている。そんな、どきどきする、そわそわする、わくわくする、予感がする。
ソキはご機嫌だな、と嬉しそうにするロゼアに体を擦り付けて、くふくふ、飴玉みたいな幸福を転がしながら言った。あのね、あのね、ロゼアちゃん。あのね。
「ソキ、次の試合は、ソキのあかほんちゃんを持ってくるです!」
「うん? ……ああ、新しい、ソキの『武器』のこと? どうしたの? なんで?」
「あかほんちゃんをお膝に置いとくです。するとね、ソキの見たのをそのまま書き込めるです。つまりぃ? あかほんちゃんが、つよーくなるぅー!」
なるほど、とロゼアは微笑んで頷いた。よく分からない。
「……リボンさんが良いって言ったら、良いよ」
『アンタね、アタシに投げるのやめなさいよ……。好きにしたら? 魔術師が『武器』を手元に置きたいと思うのなら、それは本能的ななんらかの欲求だもの。……というか、基本は肌身はなさず、の筈なんだけど。なーんでソキは普段から本棚に刺してるのかしらねぇ……?』
いちいち言うのも面倒くさいので、最近は放置している妖精も悪いのだが。咎めると、ソキはえへん、と自慢げに胸を張って言い放った。
「新しいお家を覚えさせてるです。しつけというやつです」
『……あぁん?』
「これでソキがなくしても、あかほんちゃんの、きそうほんので戻ってきてくれるです。ソキったらかしこいのでは?」
どこから突っ込んで行ってやればいいのか分からない、と途方に暮れながら、妖精は額に手を押しあてた。なんというかまず、魔術師の『武器』は、愛玩動物では、ない。そうなんだな、とさっそくソキを甘やかすロゼアに八つ当たりすることにして、妖精は腰に手をあてて息を吸い込んだ。ぴぴゃっ、と声を上げて耳を手で塞ぐソキに、誰のせいだと思ってんだ、という気持ちを。
妖精はすべて、ロゼアに向かって叩きつけた。