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 担当教員だからって、生徒のことがなんでも分かる訳じゃないんだからなー、もぉー、というのが、『お屋敷』に訪れたウィッシュの第一声である。おにいちゃんなら分かると思ったんですうぅ、と甘えた声でごねる響きが、それに対するソキの返答だった。それから二人は、先生だろーソキー、ソキは先生って言ったもん、そうかなー、言ったですぅー、とお決まりのやりとりをきゃっきゃと繰り返し、世話役たちの微笑みを深めて行った。
 ロゼアは、ひとり、額に手を押し当てて、ええと、と呻く。来客である。それは理解ができる。ウィッシュである。それも把握している。ナリアンやメーシャと違ってすっと受け入れがたいのは、ウィッシュが魔術師であることよりも、彼の身が『花婿』であるからだ。ウィッシュは嫁いだ『花婿』である。つい最近までは、その生存すら『お屋敷』の、ごく一部以外には伏せられていた。
 そうでなくとも、嫁いだ宝石が、こうして戻ってくることはあり得ないのである。ソキは比較的自由に『お屋敷』で過ごしている、と見せかけて、厳密な連絡と計画の上で室外を出歩いている。その姿を、認識される訳にはいかないからである。いくら歩けると言えど、誤魔化すのには限度がある。ソキの顔を見知った者は多いのだ。事情を知る者もまた多いが、知らない者も過半数を超える。これ以上は増えないだろう。
 面会はほぼ謝絶といって良い程の徹底管理で、ナリアンとメーシャは特級の例外であるのだ。二人も、単に訪ねて通された訳ではなく、きちんと王宮を経由して訪問の申し出があり、ロゼアが許可し、当主が許して、はじめて『お屋敷』に足を踏み入れることが叶ったのである。しかし、ウィッシュの訪問は突然だった。すくなくともロゼアは知らず、無言で部屋から抜け出し、恐らくは当主の元へ全力疾走したメグミカも把握していなかったに違いない。
 これが、ラギがしれっと伝えていませんでしたか、と言うのか。それとも、レロクが俺だってウィッシュと遊んだり話したりしたかったのだからな俺のついでに寄っただけだろう、とふんぞりかえるかでロゼアの心労の重みと深さは違っているが、ただ、確かなことがふたつある。ひとつ、ウィッシュは正式な手順を踏んでいない。絶対に。ふたつ、今日もソキは世界一可愛い。それだけである。
 とりあえず本読もうなー、分からない時は文献あたるのが一番だよー、特に俺たち魔術師はさー、と言いながら机によいしょよいしょと本を積み上げていくのを眺め。ロゼアは機嫌よくちたちたするソキを抱きなおすと、凪いだ気持ちで微笑み、ウィッシュさま、と囁いた。
「訪問のご連絡は頂いておりましたでしょうか?」
「あっ、ロゼアの心配は、ちゃーんと分かってるよ。大丈夫! これね、なんと、認識阻害のローブなんだー。エノーラの新作なんだけどさー、実験というか実践を兼ねてるんだけど、この前の紐を結んでおくと、俺の姿が見えなくなるんだー。ソキの魔術解析したらしいよ。一着しか作ってないのをね、俺にくれたんだー。あっ陛下にも許可を頂いての譲渡だよ安心してね」
「そうでしたか。訪問のご連絡は頂いておりましたでしょうか?」
 掠っているが、そこではない。根気よく繰り返すロゼアに、ウィッシュはきょとん、とした顔で首を傾げてみせた。
「砂漠の陛下に、今日はお休みだから『お屋敷』にちょっと行きます、って言ってあるよ? 白雪の魔術師だもん。連絡はちゃんとしないとな。えっへん!」
「そうでしたか。『お屋敷』に、訪問のご連絡は頂いておりましたでしょうか?」
「うん。さっきラギに手紙渡してきた!」
 そう。ロゼアが一番確認したかったのは、そこである。ウィッシュはまだ、ソキに比べれば、まだ、白雪の王宮魔術師としてひとりだちしている分、回答には辿りつきやすい。問題はその回答が手遅れだということだけである。そうですか、と微笑むロゼアの頭を、ソキがうんしょうんしょと撫でていた。場に妖精の罵声は響かないままである。ナリアンとメーシャの元へ、妖精たちで集まっている為だった。
 ラギに渡した手紙には、エノーラから譲り受けた新作魔術具の簡単な効果が記載されているのだという。ソキの部屋に行くまでは、また脱がないでいるし、帰りにも声をかけるよー、とほのぼのと言い放って来たのだという。そうですか、と繰り返し微笑んで、ロゼアは彼方から爆走してくる、三人分の足音を聞き留めた。一人はメグミカ。もう二人は恐らく、片方がラギでないのなら、シフィアとアルサールに違いない。
 お勉強するですぅ、と目をきらきらさせるソキを偉いなかわいいな、とぎゅっと抱きなおしてから椅子に座らせ、ロゼアは手早く世話役たちに指示を出した。この部屋で会った者のこと、交わされた会話、その全てを室外に出すべからず。秘し、伏せ、守り抜け。世話役たちは一様に、また無言で『傍付き』の命を受けて一礼した。『傍付き』たるロゼアに、そして『花嫁』たるソキに。秘めるべき花たちに。
 それらに鷹揚に微笑み返しながら、ウィッシュは呑気な声で、俺一回でいいから、あの来ちゃったって言うのをやってみたかったんだぁシフィアとかパパとかに、と言っている。ソキは興奮でふんふん鼻を鳴らしながら、星屑のさんざめく瞳で、差し出された本をはっしと受け取った。
「ねえねえ。ソキにも後でぇ、そのローブを着せて欲しいです。ロゼアちゃんにそーっと忍び寄って、わっとして、びっくりした? をするです!」
「えー、ソキは駄目だよ。自分で出来るだろ? それに、これは着てる人の魔力をある程度は吸い上げて術式を発動させてるものだから、ソキは駄目。なにがあるか分からないし、疲れちゃうだろ? ロゼアもびっくりしちゃうよ。代わりに、あとで俺が、そーっと忍び寄って、わっとしておいてあげるからな。ソキの代わりに」
「いやぁんやんやん! ロゼアちゃんに、わっ、とするのは、ソキの。ソキのぉ!」
 子猫がもちゃもちゃじゃれあうように会話をしながらも、師弟はそこそこ手早く本を受け渡したり、開いたり、机の上に紙と筆記用具を用意したりしている。なにをしているのだろうか。世話役たちに、なるべくソキだけに視線を向け、文字にはじまる視覚情報を得ないように、と指示しながら、ロゼアは机に大股に歩み寄った。
「ウィッシュさま。魔術師の秘匿に抵触しないのですか?」
「ロゼアだって教科書とか、参考書持って帰ってるだろ? ……心配しなくても、大丈夫。教科書っていうのはね、魔術師じゃないと、読めないんだよ。図書館の蔵書も、そう。書いてあるのは共通文字で別の言語って訳じゃないし、専門用語がある訳でもないけど……なんでかね、通じないんだよ。分かんないの。例えば、空が青い。こう書かれた言葉ですら、そらが、あおい、と読めたとて、空で、青だとは理解できない。認識阻害の一種だとされてるよ」
 専門の授業は二年生の半ばくらいから、魔術師共通授業でするから、今はさわりだけね、と囁いて。『学園』を卒業した魔術師の先達は、若き後輩の警戒を解きほぐすように、くすくすと笑った。
「俺たちが……あえてこういう風に言うけど、魔術師たる俺たちが、大戦争が終わって今もなお、排斥され続けてしまう理由や、原因のひとつに、こういう所もあるんじゃないかなぁ、って思ってる。単純に、俺たちが魔術や魔力について学ぶ時。魔術師とはなにかと、こうして探る時。その言葉を、声を、文字を、意味を。ひとは理解することができない。不可能である、とされているね。その理由は? 俺たちが魔術師で、ひとがそうではないからだよ、ロゼア。存在の根底的なずれ。魔力を内包するか、否か」
 とある研究結果によると、とウィッシュが広げた紙の一枚に、さらりと文字を書き入れる。
「原因は単純に、魔力にあるらしい。魔力の関わる所について、を語る時。魔術師の声には魔力が乗る。零れ落ち、染まる。そうであるから、それはかそけき魔術であり、それを理解するのに必要なものこそ魔力である。魔術師だけの共通言語、なんて表現をすると、すこし分かりやすくなるよね。使っている言葉も、意味も、響きも同じ。でも、魔術師だけの言語であるから、それが通じることはない」
「……そうであるから、魔術師の秘匿に、抵触はしない。そう仰っておられるのですか?」
「普通に話してる言葉は通じるのに、俺たちの存在そのものにかかわるようなおはなしは通じなくなるって、ちょっと不思議だよね。……よかったね、ソキ。ロゼアがいて」
 普通のおはなしでも、他人に通じにくいのがソキである。ロゼアにしか分からないことが山のようにあるので、それすら封じられていたとするならば、ともすれば発狂しかねないことだった。どちらが、ではない。二人が共に、である。離れないでよかったし、二人でいてくれて、よかった。離され、ひとりであったウィッシュだからこそ、真に迫ってしみじみと呟かれた言葉だった。
 ソキは、手元の本に集中するあまり、また周囲の話を聞いていなかったらしい。名前を呼ばれたので、ちょっと不思議そうに、不満そうにもつん、とくちびるを尖らせて顔をあげ、ぱちくり目を瞬かせる。
「ソキを呼んだです? なあに?」
「なぁんでも。ね、ロゼア」
「はい。……ところで、いま仰ったのは学説ではなく、なんらかの根拠、結果が出ている上でのお話でしょうか? 『お屋敷』に、教科書や教本を持ち帰るには、目論に記載の上で王の許可が必要であったと記憶しておりますが、この本も同じように?」
 ロゼアは、『傍付き』としてはごく平均的な思考の持ち主である。すなわち、触れたことのない知識を与えられる時には、それが知己であればなお、入手元、入手経路、発信源を明確にし、資料が確かとされてから、まずは検討の材料とする、という。ロゼアにしてみれば『学園』でも幾度かチェチェリアに説明した通りの、ごく普通の習いである。ウィッシュがそういった持ち込み手続きを終えている、とも思いにくいので、確認の意味もあった。
 しかしウィッシュは心底感心した顔で、ロゼアをじっと見ながら頷いた。
「ロゼアすごいね。真面目だね。えらい、えらい。撫でてあげよ」
「いえ、偉いとか真面目とかではなく、ですね……」
 撫での気配を察知したソキが、きゅぴんと目をひからせて、ロゼアちゃんのなでなではうわきでしょっ、とウィッシュに向かって主張しはじめる。違うよ俺がロゼアを撫でようとしたんだよ、ロゼアちゃんをなでなでするのもソキのだもん、いーじゃんちょっとくらいきっとチェチェリアだって撫でてるよ、ぴっぴぎゃあぁああんどういうことなんですうううぅうぅっ、と花たちが大変きゃいきゃいぴいぴい騒ぎ出しかけた、その時である。
 ふ、と荒れた気持ちを宥めるような、しとやかな重量のある穏やかな声が、戸口から響く。
「なにしてるの? ウィッシュ」
「あ! シフィア! えへ、えへへへへ。ソキの授業だよ、先生しに来たの」
「そうなの? 詳しく、教えてくれる?」
 ゆっくり、ロゼアは深呼吸をした。『学園』でのロゼアの師はチェチェリアだが、『お屋敷』で特に交流のあったひとつ上の世代、教師役、『傍付き』候補だったロゼアを鍛え上げた者の名をひとり告げよと求められたのなら、真っ先に言わざるを得ない名こそシフィアである。ウィッシュの『傍付き』たる女性。ひよこ色の髪の、穏やかに笑う、獰猛な獣のようなひと。
 そっと顔を覗かせてロゼアを見たアルサール、『傍付き』シフィアの補佐、ロゼアに対するメグミカの立場である男性は、すまないな、という風に微笑んできた。ロゼアは知っている。よくよく、骨身に染みて、分かっている。『傍付き』を目指す者たちは、男女の区別なく育てられ、過酷な訓練を生き延びる。切磋琢磨しあい、共に宝石の幸福を祈る。そこに性別のくくりはなく。だが、そうであるからこそ。
 それを生き延び、勝ち抜き、『傍付き』となった女性は。つよい、の一言に尽きるのである。ロゼアも、メグミカをあまり怒らせたくはない。勝てないから、ではなく。怖くて、つよくて、絶対に痛くて、そして。あとが怖いからである。いついつまでも。あとが、とても、怖いからである。ゆっくり歩んでくるシフィアに、気が付いたソキが顔をあげる。
「あ、シフィアさんです! あのね、おに、うにゅ、せんせいはね、ソキの魔力の『 』の、お勉強と調査に来たの?」
「……そうなのですね」
 ふわ、とソキに微笑んだシフィアが視線をそのままロゼアへと移す。その瞳にはきとした困惑の意思が乗せられていたのは、ソキの言葉が疑問形であっただけではないだろう。魔術師の耳にさえ歪んだように、かききえるその空白も。響く、言葉の、その意味を。掴みあぐねているような、奇妙な戸惑いがあった。いま、なんと告げられたのかを。『花嫁』の『傍付き』に、問う。そんな眼差しをしていた。
 だから言っただろ、とウィッシュがちいさく、子守唄を奏でるような声で囁く。歩み、進む足元に。隠された、ぽっかりと空いた穴の底を、指し示すように。大丈夫だよ、と魔術師は言った。その断絶に、すこし。安堵しているようにも囁いて、『花婿』はやわく、笑った。



 ソキが身振り手振りで、あのねぇあのね、と一生懸命に繰り出す説明は、確かに分かりにくいものだった。だが、通じない訳ではない。ロゼアにはすんなり分かるし、慣れたナリアンとメーシャにも理解できるものだろう。そうであるから、シフィアに分からない筈はない。『花婿』を得た『傍付き』である。その手の話し方には慣れているからだ。おぼろげにであっても、分かるものはあるのである。
 しかしシフィアはソキがいくら、魔力のなの、いれものでね、ソキはそれがふわふわふにゃんだからね、きゅぴんとさせるの、と言葉を重ねても、微笑んで頷く以外、どんな言葉を向けることもしなかった。ひとしきり説明できて満足したソキが、ふんすっ、と自慢げにして読書に戻っても、その隠された困惑が消えることはなく。ウィッシュだけが理解した涼しい顔で、ロゼアに向かって、ね、と頷きかけてくる。
「こういうことだよ、ロゼア。もうすこし正確にいうと、シフィアにも通じてはいるんだけど、ほんとうに、なにひとつ、なにを言ってるのか分からない訳じゃないんだけど、どうしてか理解できない。意味が分かっている筈なのに、そのことを理解できない。そんな感じ。混乱しちゃうんだって。そういうものなんだって。……だからね、シフィア。フィア。いいよ。だいじょぶ。俺はね、『学園』の、用事があって、魔術師として、ここに来たの。それだけだよ。悪いことじゃないよ」
 分からないこと考えすぎると、頭痛くなっちゃうよ。それは、努力してもできないことだよ。だからね、やめよ。やめにしよ。ね、ね、大丈夫だから。最後に俺が言ったことは、わかるでしょう、と。『傍付き』に通じることはないのだ、と信じる『花婿』の声で。囁くように。そっと、そっと、語り聞かせたウィッシュに、シフィアは濃霧が晴れたような顔をして、うん、と暖かく微笑みかけた。
「分かるよ。ありがとう、ウィッシュ。……つまり、ウィッシュはお仕事なの? 今日は、お仕事でここにいるの?」
「ううん。お仕事じゃなくてね、おやすみ。だからね、あの……あの……」
 途端に、もじもじと恥ずかしがる仕草で。ウィッシュは椅子に座ったまま、その傍らに立つシフィアを見上げて首を傾げた。
「ソキの用事が終わったら、シフィアが欲しい……。今日、時間、ある?」
「あるよ。もちろん。ね! アルサール!」
 ない、と言おうものなら、辞表を叩きつけて国境を超える。そういう決意を感じさせる、ね、にアルサールはごく慎重に頷いた。
「宿舎ではなく、部屋に戻れよ? シフィア」
 広大な『お屋敷』の敷地の中には、専門の『傍付き』の任を離れた者たちばかりが住まう一棟がある。建物は分かりやすく区分けされており、現役の者たちとは明確に区別がされていた。シフィアはそこへ住まいを持つが、それとは別に、砂漠城下に一室を借りている。ウィッシュと再会してからのことである。ウィッシュはなにかとシフィアに会いたがって『お屋敷』を訪れるが、本来ならば叶うことのない『傍付き』の夢だ。
 二人で話すにも人払いをしなければならず。その調整をめんどうくさがったレロクが、シフィアの辞表を受理しない代わりとして、『お屋敷』の外に部屋を持つことを許したのだった。分かってるよ、と頷くシフィアに、ウィッシュはぱっと頬を染めてはにかんだ。それを、くちびるを尖らせたソキが、疑惑の目でじいっと見る。
「おにいちゃ……? もしや、もしや……? いっせんをこえたのでは……?」
「え、えへへ……。どうかな? ソキにはないしょ」
「うぎゅぅううううぅ……! あやしいですううぅう……!」
 いいですか、おにいちゃ、その時はソキにも教えてくれなくっちゃだめですよ、ソキは教えてくれなきゃいやいやんって言っているです、なぜならさんこーにするからです、と真面目な顔で言ってくるソキに、ウィッシュはそのうちなー、とまったりした仕草で頷いた。
「それより、本読もうな、ソキ。俺も、一日は一緒にいないよ。そこそこ終わったらデートだもん。ね、シフィア」
 というか、シフィアはお仕事じゃないの。アルサールもいいの、とちょこりと首を傾げて尋ねられ、二人はなにもかもを投げ出したがる微笑みで、仕方なく頷き合った。
「偶然! 休憩中だったの。顔を見に来たんだよ、ウィッシュ。残ってることも、すぐ終わるから、待っててね」
「……そうだったんですか? アルサールさん」
「そういうことになった」
 今、とこっそりロゼアに囁き返すアルサールに、ロゼアは理解のある顔で頷いた。そうしながらも、申し訳ありません、と頭を下げたのは、ウィッシュが急に来た理由がソキにあるからだ。ソキに関して、問い合わせの手紙を出したロゼアが、ウィッシュを引き寄せたのは明白だったからである。長期休暇明け、『学園』に戻って授業が再開してからでも、と書き添えてはおいたのだが。気になったのだろう。
 あるいは、ウィッシュには授業再開の目途が立たず、とりあえず空いた予定を使って姿を見せたのかも知れないが。そこはロゼアのあずかり知らぬ所だった。聞けば話してはくれるだろうが、目の前にいるソキをおいて確かめなければいけないことだとは思えない。それじゃあ終わらせてくるからね、またあとでね、ソキさま失礼いたします、とアルサールを連れて出て行こうとするシフィアに。
 その前に、となんの気ない仕草で紙を一枚持ち上げたウィッシュが、それをシフィアに向かって提示する。
「フィア。待って。これ読める?」
「……え?」
「ロゼアに分かりやすいようにね。実験してあげようと思って。ね、読める? 書いてあること、わかる?」
 そこに書かれていたのは長い文章ではない。二つの単語が並んで書かれているだけだった。だからこそすぐに意味を理解して、ロゼアはぎょっとしてウィッシュを見る。なんということを、と言わんばかりのロゼアからの視線に、ウィッシュは悪戯っこの笑みで、実験だもん、と言った。書かれていたのは、ふたつの言葉。シフィアの名と。やだ、と書かれている。シフィア、やだ。その文字を。
 アルサールはどうも読めないでいるらしい。しかし読めない、分からないなりに、不穏なものは感じるのだろう。あまり褒められたことではない、と言わんばかり、眉を寄せて沈黙している。そしてその傍らで、シフィアは。きょとん、として。文字列を幾度か視線でなぞり、ウィッシュを見つめ、そうして視線を何往復かさせた、のち。ふら、と足元がふらついた。
「……あれ?」
 こてん、とウィッシュが首を傾げる。紙を凝視して青ざめたシフィアは、言葉をなくして壁に背を預けてしまっている。あ、あれ、と焦ったウィッシュが紙をひっくり返し、そこに素早く文字をかいて、前に突き出した。
「し、しふぃあ! フィア! これ、これ読んで! これっ」
 あわあわはわわ、と慌てながらウィッシュが書いたのは、やはり短い言葉だ。うそ、ごめん、すき。シフィアは無言でふらつく視線を文字に向け、ややあって、ほぅ、と胸の奥から息を吐き出した。安堵一色に染まっていた。え、ええぇえ、と罪悪感にまみれた、怯えにもにたウィッシュの声が、反省しながら響いていく。
「よ、読めるの……? フィア、読めるの? 分かるの? アルサールは?」
「……申し訳ありません、ウィッシュさま。私には読めない、ような……分かるような、分からないような」
 あやふやであるらしい。読める、と告げるには意味に触れられず。読めない、と言い切るには、分かりきらない訳でもない。昔見知った記憶のあるものが、どうしても今思い出すことができない。おぼろげな形はあるのに、それ以上はどうにも進まない。そういう気持ちでいるのだという。だからこそ、言葉の意味は分からなくとも、雰囲気ならば感じ取れますよ、とアルサールは言った。いけない悪戯をしたのでしょう、とウィッシュを叱る声で。
 いけませんよ、と囁かれて、ウィッシュはしょんぼりとしながら頷いた。それからそろそろと視線をシフィアに向け、ごめんなさい、と呟く。
「シフィアも、じゃあ、読めた……? 読めない? でも、分かった?」
「……わ、か」
「あー! ごめんねごめんねふぃあ、嘘だよ。好きだよ。好き! 大好き! 一番好き! いっぱい好きー! ご、ごめんね。ごめん。ごめんなさい……! だって、これならロゼアに、通じないのが一番分かるかなって思ったんだもん……。俺がそんなこと思いもしないし、言いもしないことだって、通じなければびっくりしないと思って……ふぃあ、ふぃあー! ごめんね……許してね……」
 とうとう椅子から立ち上がって、とてとてと早歩きに近づいて。ウィッシュは壁に背をつけて弱々しく笑むシフィアに、真正面から、ぎゅむっとばかり抱きついた。ごめんなさい、シフィアごめんなさい、すき、すきすき、いやなんて書いてごめんね、嘘だよ、すき、これはだいすきのぎゅぅだよ、すきすきのぎゅぅだよ、わぁあんごめんねごめんね、とすりついて訴えるウィッシュに。シフィアはようやく、ほ、と息を吐き出して笑った。
「……嘘なの? いやって、書いてあったの? それは、嘘?」
「うん……。え? 読めたの? 分かるの?」
「……どうしてか、読めない、と思うし。分からない、と思う、けど……でも、分かるよ。ウィッシュの言葉だもの。分かる。分かるよ……」
 これがソキさまならロゼアには分かるし、御当主さまならラギだって分かる。『傍付き』だもの。分かるよ、と囁かれ、ウィッシュは反省しきった顔をして頷いた。ちら、とロゼアを見てくる。ロゼアは周囲の様子を全く気にしたそぶりなく、ふんすふんすと読書に勤しむソキを撫でながら、シフィアの言葉に同意した。『傍付き』であれば。声なき、言葉なき、訴えであろうとも。受け止めてみせる。理解してみせる。
 なにもかも全ては、分からないかも知れない。けれどもそこに、なにかがあるのなら。感じ取れる、という自負がある。分かりますよ、とロゼアは言った。きっと、でもなく。分かるものなのだ、とウィッシュとしっかり目を合わせて言い切った。『傍付き』であるから。それを信じぬくことが出来る。しかも、他の宝石ではなく、シフィアの『花婿』なのだ。たったひとり、追い求めぬいた存在であるのだ。
 ウィッシュはきゅぅと眉を寄せて、そっかぁ、と呟いた。魔術師としての申し訳なさと、『花婿』としての喜びが混在した声だった。
「ごめんね、シフィア。もうしない。ほんとの、ほんとに、もうしない……。試してごめんね。好きだよ。ほんとだよ」
「……うん」
「うーんと、うーんと。えっと。あの、あの、あとで、シフィアのいうこと、なんでも聞いてあげる……! なんでも、だよ。なんでも。だから元気になって……? 許して? ごめんねごめんね……!」
 うん、と囁き、シフィアは目をとろりと蕩けさせて笑った。
「なんでも、ね。ふふ」
「あ、ご機嫌なおった! わーい! よかったぁ。ごめんね、ごめんね、あとでして欲しいこと教えてね?」
 うん、じゃあそうするね、とシフィアはすいっと視線を動かし、アルサールとロゼアを見た。アルサールは程々にしておけよ、と窘めるように頷き。ロゼアは心得た仕草で、従順に頷いた。言質は取るものである。特に『花嫁』『花婿』に対しては。シフィアはにこにこと笑って、じゃああまり出歩いたりしないようにしていてね、すぐ迎えに来るからね、と言って、アルサールを引っ張って出て行った。
 あの様子だと三時間だな、とロゼアは推測する。そこそこ用事があったように記憶しているが、それを出来る限りの速度で終わらせ、あるは明日に回してくるに違いない。外出申請をした上で。ロゼアは、それじゃあ実験はこんどまたお城の人にでも付き合ってもらおうかな、『学園』に帰る時とかでいい、と言って来るウィッシュに、心からの願い、忠告として口を開いた。
「反省してくださいね、ウィッシュさま。……あとで、たくさん、されると思いますが」
「反省。してるよ。シフィアには悪戯とか、実験とか、しない」
「そうなんですけれども、そこではないというか。……否定、されるのは、一番辛いので。なにより、辛いので……」
 息苦しく告げて。ウィッシュさまも、シフィアに、いや、とか言われたら傷つくし悲しいし辛いでしょう、と説明するロゼアに、ウィッシュは目をぱちぱちっ、と忙しなく瞬きさせて。どうもあまり納得していない様子で、つむ、とくちびるを尖らせながらも頷いた。
「シフィアは俺にそんなこと言わないもん……。反省してるってば。もうしない。しないったら、しない。分かった?」
「……はい」
 そもそもウィッシュは、やることなすことが、極端にやりすぎる相手である。婚家を抜け出してくる入学の旅しかり、先日の魔術の件しかり。やると決めたらやる。やりすぎなくらいにやる。そういう性質の持ち主だった。シフィアはそれを、よくよく知り抜いた相手である。ふ、と微笑んで、ロゼアはお茶でも飲みますか、とウィッシュに問いかけた。ウィッシュは、んー、と迷った後に、こくりと頷いた。
 再会以後、聞き続けて。はじめての仕草だった。



 一冊読み終えたソキは、拗ねた声でわかんないですぅロゼアちゃんなでなでしてぇ、とくちびるを尖らせて要求した。ロゼアはその求めに従い、ソキをひょいと抱き上げてぎゅっとした後、読書して偉いな、分からなかったの悲しいな、ソキはかわいいな、かわいくって偉いだなんてかわいいな、と褒めそやし、『花嫁』の機嫌とやる気を瞬く間に復活させた。妖精は戻らないままである。遠出するとも聞いていないので、恐らくは『お屋敷』のどこかにはいる筈だった。
 ソキはそれについてちょっと首を傾げて、たぶんあっちにいるです、とメーシャが滞在する部屋の方向を指さした。正確な距離や場所は分からないものの、己の妖精であるから、なんとなく感知できるのだという。一時と比べて居場所が分かればそれでいいのか、ソキは特に、リボンちゃんがお傍にいないだなんていけないことです、とぶんむくれることはなく、椅子に座りなおすと、素直に目の前の課題と見つめ合っていた。
 そもそもウィッシュが『お屋敷』を訪れたのは、担当教員としてソキに面談、あるいは授業をしに来たからである。長期休暇中に、一般の場でそうすることについては、予め許可を得ているらしかった。目的は、ソキの喪失した、あるいは復活の兆しがある『 』について、詳しく調査、解析、知識を得ること。状態を把握することである。水器が壊されていること自体が前例に乏しく、そこから再度形を成すことと言えば過去の事例は絶無だった。
 しかし、魔術師に残されている資料というものは、そもそもが恣意的に編集されたものが大部分である。それは時の五王の判断によるものであったり、大戦争を経た魔術師たちが、なんらかの意思目的に従って焚書をした結果であるのだが、そうであるからこそ、過去に一度も起きなかったこと、とは断言できないのだ。それを探る為の手段が資料や本の読書であり、それは違和感を見つけ出す為の作業だった。
 なにかすこしおかしい気がする。ひっかかる。よく分からないけど、気になる。そう思った箇所にソキがぺたぺたと付箋を貼って行き、ウィッシュはそれに従って歴史書を紐解き、あるいは魔術による解析を行っていく。地味で、根気のいる、膨大な作業だった。重さと質量をある程度無視する魔術具によって運ばれた、資料と本の数は二十を超える。それで、すぐに動かせたものの三分の一程度。厳重な補完を成されたものも含めれば、五分の一にも満たない量なのだという。
 ソキが二冊を終えた時点で、かかった時間は三時間とすこし。ソキは飽きたり、途中で集中を切らすことなく、けんめいに頑張った。そうしても、それくらい時間のかかることである。全てを終えるまでの日数を計算し、忍耐強いロゼアですらうんざりする量があった。一度戸口に顔を見せたシフィアは、先に外出の申請をして準備をしてくる、と言ってまたいなくなっている。その帰りを待ちながら、ウィッシュは今日はここまでにしよっかー、と言って、資料を鞄に戻し始めた。
 ウィッシュが片手で持ち上げられる、ソキでもうんしょと両手で運べるくらいの、教科書なら三冊くらいは入りそうな大きさの布鞄である。容量としても絶対に入る大きさではないのに、資料も本も次々と吸い込まれていく。ふにゃにゃっ、と好奇心に目をきらんと輝かせ、ソキは机に指先をちょこん、と乗せて、鞄に向かって身を乗り出した。その魔術具に興味があるです、とってもです、と顔に書いてある。
「ねえねえ、せんせい? そのお鞄は、ソキが、リボンちゃんと一緒に旅をした時に、頂いたのとは違うのです?」
「ちょっと違うよ。あれは、ほぼ重量の調整だけ。こっちは、量もたくさん持って行けるようになってるやつ」
「それもエノーラさんがつくったの? それとも、他のひと?」
 ほかのひとー、と歌うようにウィッシュは言った。先々代くらいの、白雪の筆頭魔術師の作であるらしい。遺作である。錬金術師は通例として、その魔術具に付与した魔術の、式や図を書き残しておくものなのだが、事故で一切が喪失している為に、復元が難しいものなのだ、とウィッシュは言った。ソキに皆が貸した鞄は、その復元の試作品だったのだという。ある意味では失敗作で、エノーラが目の前から遠ざけたがっていたものなのだ、とも。
 だから返却しないでいいよ。あげられないけど持っててね、と笑いながら、ウィッシュはロゼアに向かって言った。その鞄は、今は寮の四階、物置とかしたソキの部屋にあるのを知っているからである。はい、と安堵したように頷いて、ロゼアは今更で申し訳ありませんが、と失念していたことを問いかけた。
「ソキが、白雪の方々からお借りした……お譲り頂いたものもあると聞いておりますが。その返却については、どうすれば」
「んー……。言い方悪いけど、皆、手元で持て余してた使えそうなものを、渡したりあげたりしてただけだからなぁ……。一応、聞いておいてあげるけど、たぶん皆返さなくて良いっていうと思うよ。普通の道具とか、そゆのについては、あげるって言うと思うし。魔術具の譲渡については申請書がたくさんあってめんどくさいから、とりあえず持っててって言うと思うけど、心配なら、そこも確認しておくな」
「ありがとうございます。お手数をおかけします……。遅くなりまして申し訳ありません、とも、お伝えください」
 ふふふ、と楽しそうに、ウィッシュは口元に手をあてて笑った。からかうように、ロゼアはまじめだなー、いいこだなー、と囁かれる。
「ほんとに、気にすることないんだよ、ロゼア。ロゼアもきっとそのうち、分かると思う。……学園に向かう魔術師のたまごが、目の前に現れた時。すごく、なんだろう……懐かしいような気持ちになるし、柔らかいような、祈るっていうか……。頑張って、行っておいでねっていう気持ちになるものなんだ。応援して、助けてあげたくなる。……俺だってそうだったんだから、皆はもっとだと思う」
 俺はまぁ、ソキだからっていうのもあったと思うんだけど、と。懐かしく目を細めて、ウィッシュは言った。これは別に、魔術師の本能だとか、そういうことではなくて。ただただ、ひとの身の、情というものだと思う、と。だってどんなに不安だったか、覚えてるだろ。出会ったばかりの、妖精とふたり。まだ信じることも、頼ることも、すぐにはおぼつかない、ひとには姿を見ることさえできない妖精とふたり。見知らぬ道を行き、見知らぬ国を歩く。
 どんなに心細かったか。
「危ない場所もあるし、信じられるひとばかりじゃない。妖精はある程度、危険を察知して避けてくれようとするけど、それだって絶対のことじゃないし、言うことを信じられなければ同じこと。ひやっとした覚えは誰にでもあるし、取り返しのつかない事件を起こしたり、事故に巻き込まれたのだって、少ない数じゃない。……一緒に旅してあげることはできないし、見送ることしかできない。できるかぎりのことをね、してあげたいなって。思うんだよ。思ったもん」
 俺は旅らしい旅なんて、結局してないし、できないままだったけど、と『花婿』は告げ、それでも、と言葉を重ねて言い切った。助けてあげたい、と思う。それがもし、助けられなかった過去の自分を救いたいが為の、自己満足の気持ちから来るものだとしても。力になりたいっていう、そのことは嘘ではないから。だからねロゼア、気にしないでね、でも皆嬉しいと思うよ、ありがとうね、と微笑む白雪の王宮魔術師に、『傍付き』ははい、と言って頭を下げた。
 きょときょと、ロゼアとウィッシュを見比べたソキも、ぴょこん、と椅子から降りて、同じようにする。
「ありがとうございましたです。……あ、ねえ? ロゼアちゃん? ソキ、『学園』に帰る前に、白雪にちょっぴりお顔を見せに行くのも、いいかなって思うです。だめ? 忙しいです? お時間、ない?」
「そうだな。そうしようか」
「うーん気持ちはありがたいんだけど、いまほんと、その、うちの国にはちょっと来ない方が良いよ……」
 誰かから聞いてないかな、と苦笑いしながら、ウィッシュはちょっとねぇ、と言葉を濁して囁いた。
「治安的に問題がある訳じゃないんだけど……いやある意味では治安に問題があるというか、治安……? 風紀……? 風紀かな……。うん。風紀に問題があるというか、乱れがあるというか、白雪の最新の流行が果たし状とか決闘試合、みたいなことになっていてね。ロゼアとソキに決闘を申し込んでくるようなひとはいないと思うけど、一応ね。念の為ね。やめといた方がいいと思うんだ。どうしてもって言うのなら、予定を先に教えてね。警備を変えてもらうからね」
「……それは、ウィッシュさまは大丈夫なんですか?」
 エノーラの名を伏せ、白雪の女王の心痛を伏せた物言いを尊重しながら、ロゼアはそっと問いかけた。ナリアンの口ぶりからすると、特に情報規制があってのことではないようだが、醜聞めいているので隠しておきたい、という王宮魔術師の心情は、察するに有り余るものがあった。きょと、としてうっかり口を滑らせそうなソキの、頬をこしょこしょくすぐって気を逸らすロゼアの細工に気が付いた素振りはなく。ウィッシュは、うーん、とのんびり首を傾げてから頷いた。
「俺は大丈夫だよ。王宮魔術師だもん」
「そうですか。それはよ」
「決闘にはちゃんと全部勝ってるよ? 一撃で、こうね、どーんって!」
 よかった、と言い終わるより早かった自慢に、ロゼアはそうですか、と再度頷いて遠い目になった。ちら、と戸口を伺う。ふ、と笑みを深めて、ロゼアは慎重に確認した。
「ちなみに、その決闘の内容というのは、どのような? 果たし状かなにかなのでしょうか?」
「えっとね、その時にもよるけど、勝ったら一緒に、ふたりきりじゃなくてもいいので食事してくださいとか。文通してくださいとか。お付き合いしてくださいっていうのは、俺にはフィアがいるから駄目ーって言って、陛下にお願いして、そういうのはいけないよってお触れを出してもらったんだー。戦うの得意じゃないひともいるしさ、利用されたら困るだろ。だからそゆのじゃなくて、うーん、俺にはこう、これまで交流の機会がなかったけど、これをきっかけに仲良くなりたいな……みたいなのが来るよ」
 基本的に一撃でやっつけてるけど、とウィッシュは言った。容赦もないし慈悲もない。なぜなら試合だからである。俺ねえ、負けるのきらいなんだー、とほのぼのとした春の陽だまりのような声で言い放って、ウィッシュは照れくさそうにもじもじした。
「でもね、仲良くなりたいって、それはすごく嬉しいからね、時々、あの、皆でご飯食べたりするしね、お手紙するひともね、できたんだ。えへへ」
「……そうでしたか。それについて、白雪の女王陛下はどのように仰っておられますか? エノーラさんや、同僚の方々は?」
「陛下? 陛下はね、お友達できてよかったわね、同意なく手を握られたりしたらすぐ教えてね、名前だけでも特定できるからねって。エノーラとか、皆は、お出かけする時は一緒に行きたいなって。声をかけてね、絶対ひとりでいかないで、皆で行こうねって」
 手紙に関しても、双方共に検閲を通ってから手元に届くようになっているのだという。ほっと胸を撫でおろしながら、ロゼアはそれはよかったですね、と嬉しそうな『花婿』に微笑んだ。
「白雪の女王陛下と、同僚の皆様の仰ることを守りましょうね、ウィッシュさま。お友達とは、皆で一緒にお出かけするものですからね」
「ふふ。うん。分かってるよ、大丈夫なんだからな!」
「はい。それと、贈り物を頂いた時には、だいたいの金額を……そうですね、一度、エノーラさんにでも相談された方がよろしいかと思います」
 うっかり破産させかねないからである。幸い、ウィッシュは『花婿』の中でも目利きであった方だ。贈答品の格を見抜き、換算することくらいなら簡単だろう。ウィッシュは素直にはぁいと返事をしながらも、不思議そうにくてん、と首を傾げてみせた。
「ロゼアは心配さんなんだから。貢がせ過ぎなければいいんだろ? 分かってるよ?」
「はい。でも、相談はなさってくださいね。食べ物であれば、調べず口にするのはお控えくださいますよう」
「はーい。だいじょーぶだからなー」
 ウィッシュの大丈夫に対する信頼度は、ソキの今日は元気ですぅ、と同じくらいである。そうですね大丈夫ですね、と微笑んで頷き、ロゼアはちら、と戸口へ視線を流した。まあ、ロゼアより言うことを聞かせられる相手もいることだし、大きな問題は起きないだろう。白雪の女王も、王宮魔術師たちも、察して手は打ってくれているようなので。それでは、また白雪に行く前に連絡します、とロゼアが話に一区切りをつけると、すっと戸口に人影が現れる。
 迎えに来たよ、ウィッシュ、と囁くひとに、満面の笑みを向けて。ウィッシュは、シフィア、とその名を呼んで立ち上がった。

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