知らない人に着いて行ったら駄目よ。お金の管理はきちんとしなさいね。疲れたと思ったらすぐに休んで、宿は一番高い良い部屋に泊まりなさい。ふかふかのベッドじゃないとソキちゃんは体を痛くする可能性があるからね。野宿は仕方がないけれど、なるべく計画を立てて街から街へ移動して、回数を少なくするように努力するのよ、など。ラティが細々とソキに言い聞かせた言葉は、過保護な母や姉のそれだった。お前はソキのなんなんだ、と妖精は呆れて突っ込む気にもなれず、すでに一時間が経過している。
朝、体調の確認をしにきたフィオーレが、これならもう大丈夫かな、と微笑んでくれたのに、ソキがじゃあもう旅に戻りますですよ、と言ったのがきっかけだ。告げられたフィオーレはお気に入りのケーキが目の前で食べられてしまったのを目の当たりにした表情でえええっ、と叫び、すぐさま部屋を飛び出して隣室ですでに政務に励んでいた国王を呼び、ついでとばかりに仕事へ出掛けようとしていたラティも呼びだして、少女の宣言を言いつけた。報告した、というよりも、それは言いつけた、とする方が正しい様子だった。
だって俺、入学までずっといてくれると思ってたんだもん。お前ソキの意思を無視するなって俺は言った筈だよな、と怒った王に対して、ぐずぐず鼻をすすりながら唇を尖らせて告げたフィオーレの言葉がそれだった。ラティは溜息をつきながら、持っていた長い棒のようなもので同僚を殴り飛ばした。魔法使いの杖ではない。打撃用に作られた、純粋なる武器だった。それ、なんですか、と思わず尋ねたソキに、ラティは柔らかな笑みでもってこう告げた。ただの、過失致死防止機能付きの長くてやたら丈夫な棒ですよ、と。
詳しく聞く気を無くしたソキの判断は、恐らく正常なものだろう。とにかくソキは旅に出るんですよ、と主張した言葉に、許可を出したのは国王その人だった。お前がそうしたいのならいいよ、と笑い、旅じたくを改めて整えさせたのだ。さあこれで出発できるぞ、という段階になって、注意することがあるから待って、と言ったのがラティだった。それから、かれこれ一時間。つらつらと並べられる言葉が五分を過ぎた時点で、ソキが、実は右から左に聞き流して頷いているだけ、と気がついたのは妖精くらいのものだろう。
放置しておけばまだまだ続きそうな言葉を、流しておくのにも飽きたのだろう。ふぁ、とあくびをしながら腕を伸ばし、ってゆーか現実的な問題としてさぁ、と声をあげたのはフィオーレだった。
「間に合うの?」
あと何日だっけ、と指折り数える男は、ソキを応援しているのか意志を叩き折りたいのかよく分からない発言をしているが、悪意がないことだけは確かだった。空気を読め、と笑顔でフィオーレを殴り倒しながら、ラティは今日を含めて、と言った。
「あと二十三日あるでしょう。普通に移動しても、ここからなら十六日くらいで到着します」
つまり余裕があるということですよ、と励ますラティの隣で、さらにやる気を踏みにじる声がする。でもさぁ、と言ったのがこの国の王その人でなければ、恐らくラティは持っていた『過失致死防止機能付きの長くてやたら丈夫な棒』を思い切り振り抜いていただろう。
「移動すんの、ソキだぜ? ……白雪からここまで、戻ってくるまでで二週間以上かかってるのを考えても」
『ちょっと、アンタたち、なんなのっ? 行かせたくないのっ?』
きいきいと声を張り上げて怒る案内妖精に、王宮魔術師たちと砂漠の国の王は、ごくごく素直な表情でいや別に、と言った。
「病み上がりだから、また無理して倒れると困るなぁ、と思って」
「私は応援していますよ。……間に合うと、思っていますからね」
「ラティ、目線それてるぞ」
突っ込んだのは王だが、ラティがぶん殴ったのはフィオーレだった。俺は今マジ関係なかったよねっ、と涙目で叫ぶフィオーレにうるさいわねもう、と言って、ラティは同僚を、今度は平手打ちにした。ぱぁん、とやたらといい音が響く。
「陛下を叩いたり出来る訳がないでしょう? 常識的に考えなさいな、フィオーレ」
「俺だってぽんぽん叩いたりしていい訳じゃないだろ! 痛い!」
「なんの為の白魔術よ、魔法使い」
すくなくとも、八つ当たりに耐える為の最高位称号ではない。涙目でじりじりとラティから距離を取ったフィオーレは、身の安全確保の為、国王の背中にへばりつくようにしゃがみ込んだ。ややうっとおしそうな顔つきになりながらも、むげにすることもできないのだろう。よしよし、とフィオーレの頭を撫でてやりながら、国王はソキを見る。
「とは言え……普通の倍の時間はかけないと、体調崩すのも事実だしな。倍かけても崩すみたいだけど」
「ソキ、ガッツと根性で頑張りますですよ。大丈夫です。ソキは丈夫です」
「んー。今すぐ国境に移動できたとしたら、まあ、なんとか行けるか……?」
唇を尖らせて主張するソキにてきとうに頷きながら、王の手が少女の頭を雑に撫でて行く。体調を崩す時点で丈夫でもなんでもないのだが、どうもその辺りを、ソキは分かっていないらしい。考えて、結論を出したらしい王が、背中にへばりついている魔法使いを呼んだ。
「フィオーレ」
ん、と男の視線が王を向く。それを見つめ返すことはせず、王は淡々とした口調で問いかけた。
「お前、今すぐ国境まで行けるような魔術に心当たりあるか?」
「移動系ってことですか?」
「そう。移動系で、なおかつ、ソキの魔力が枯渇したりしないような感じの。もしないようであれば、手のあいてる魔術師の誰かに、今すぐソキを連れて国境に飛ばなければ足の小指の爪が剥がれるような感じのアレな呪いをかけて来い」
うちの国王陛下の、目的の為に手段を選ばない感じは嫌いじゃない、という魔術師の視線が向けられた。城と国境を繋ぐ『扉』がありながら魔術を、と王が問うたのは、状態が安定していないからである。それは常に使用可能な移動方法ではなく、数日前から砂漠国内の『扉』はどこにも繋がらなくなってしまったのだ。おかげで国外や『学園』に用事のある魔術師たちは大急ぎで国境まで移動し、隣国へ行ってそちらの『扉』から移動をする、という大変手間暇のかかる方法を余儀なくされていた。
砂漠の国王の言葉に、焦ったのは案内妖精である。ちょっと、と声を張り上げ、魔術師たちをびしりと指差した。
『それ、同行になるじゃない! ペナルティになるわよ!』
「なんねぇよ。呪いのせいで連れてくだけだし、それに、同行が完全に不許可って訳でもない。特別な理由があれば、入口までの同行は認められてる。……まあ、病気で動けないとか、骨折で動けないとか、本人の意思があっても一人では辿りつけない系の理由が主だけどな」
「ソキ、ひとりで、ちゃーんと、いけますですよ!」
頬をぷぅっと膨らませて抗議してくるソキに、王たる男は幼子を愛でる視線を向けてきた。そうだなー、できるよなー、知ってる知ってる、とあやす声で笑いながら両手を伸ばし、うりうりとソキの頬を撫でて可愛がっている。
「分かってるよ。でもな、ここ、俺の国だから。な、そうだよな? 俺の魔術師」
なんだったらソキの魔術量でも足りるのか、を真剣に考えている二人に向かって、王はうるわしく問いかけた。
「王様の命令は?」
「……ぜったぁーい」
「よろしい」
満足げに頷き、男はソキをひょいと抱き上げると、膝の間に座らせてしまった。片手でわしゃわしゃと頭を撫でながら、もう片方の手で書類を取りあげて、目を通しはじめる。逃がすつもりがない、ということだ。むくれてちょこりと腰かけながら、ソキは妖精を見た。
「ねえねえ、リボンちゃん」
『なによ』
「ずるじゃないですか? ソキ、ずる、きらいです」
普通に歩いて移動したいので止めて欲しい、ということだろう。ペナルティもいやですよ、ともぞもぞしながら抗議するソキに、フィオーレの考え込む視線が向けられた。
「ペナルティは……や、たぶん、大丈夫。魔術で移動するのも、一応、自力移動の範囲に含まれるし、俺たちが連れて行くのも……国境までなら、うん。国内移動であれば、なんとか、なる……と思う。一応、呪いの為に致し方なくって名目もあるからさ」
「そして、ずるでもありません。未熟であれ、なんであれ、学園に召喚された魔術師が己の力を使うのは正当な行為です。それが移動であろうと、回復であろうと……自己防衛であろうと。やりすぎは咎められますが、大丈夫でしょう」
それがある限り、と微笑むラティの見つめる先にあったのは、ソキの指輪だった。右手の人差し指に、ひとつ。左手の小指に、ひとつ。眠りから覚めた時にはもうはまっていたそれを訝しく思いながらも、ソキは指輪を外そうと思わなかった。なにか、大切なものであるような気がする。そしてそれ以上に、温かい気持ちをもらった、そんな気がしていた。指輪を見つめるソキに、これならいけるかな、と呟いたフィオーレの声が届く。
「風の魔術をベースに、空間魔術で転移させる。理論的にはソキの魔力量でもぎりぎり行けると思う。ここから、国境くらいの距離ならね。ただ……ソキなら発動できるけど、俺には試せないんだよね。今、砂漠の国に空間魔術師いないしなぁ……危なくはないと思うけど、着地とかに失敗すると怪我するかも」
「ソキ、丈夫だから怪我しませんよ!」
「……それ、無意識の予知魔術の重ねがけの結果だからな?」
胸を張って言うソキに溜息をつきながら首を振り、フィオーレは王の膝から少女を回収した。立ち直させて目を覗きこみ、フィオーレは心配そうに囁いた。
「使うのは、この一回だけ。約束できるか?」
「はい」
「陛下。最後になにかありますか?」
緊張した様子で、ソキの手が指輪をひきぬき、それを左手の人差し指へはめなおす。それを眺めながら、国王は気の無い様子で言い添えた。
「期限は四年だ、ソキ」
「……はい」
「幸福であれ」
ソキは無言で、一礼をした。その肩に座りこんだ妖精が、しっかりとソキの服を握り締める。忘れ物がないことを確認して、フィオーレは復唱して、と言った。空間魔術に適性のないフィオーレが告げても、それはただ、言葉の羅列として空気を震わせるのみだ。けれども、予知魔術師は結果として、それを確実に成功させる。言葉を告げるたび、くらくらと眩暈がする。最後の一言を告げた瞬間、ざっ、と音を立てて意識が黒く塗りつぶされた。一瞬のことだった。途絶えた意識が無理矢理接続させられ、呼吸が戻る。
あ、と思う間もなかった。びたんっ、と音を立て、ソキは石畳の上でつんのめって転ぶ。
「……なんだか、ひさしぶりに、転んだ気がするです」
しかも鼻を打った。すごく痛い。くすん、と顔をあげると、そこは王宮ではなかった。辺りに広がっていたのは、建物の中ではない、外の景色だ。砂漠の国から、楽音の国へ続く、国境である。視線の先に、国境を示す城門が見えていた。
「……リボンちゃん」
『なに』
「魔術って、すごいです……」
でも、ちょっと疲れました。その場にくたりと座りこみながら、ソキはのろのろとした動きで、指輪を左から右に移動させた。
ソキの旅日記 二十一日目
日記も、ちょっと、久しぶりに書くですよ。
ソキは楽音の国にはいりました。
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