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 2019ハロウィンイベントです。イベント時空ですのでソキのハロウィンは三回目ですが、本編と時系列とはなんら関わり合いのない、いつかのお話です。イベント時空ですので、どうぞよろしくお願いいたします。以下は、設定その他を踏まえた読書の目安となっておりますが、未読でもお読み頂けます。
 『あなたが赤い糸』&『希望が鎖す、夜の別称:14』までの読了を推奨しますが、展開についてのネタバレはありません。



おばけちゃんとソキ



 廊下にほとほとと灯りが点される夕暮れ時。ソキはとてちてと機嫌よく『学園』を歩き回っていた。そろそろハロウィンである。つまりはお祭りである。詳しいことを全部彼方に置いておいて、ソキの中ではそういうことになっている。ハロウィンは、あの魔のバレンタインデーというものと違い、お菓子は飛び交ってもチョコレートは出てこない良いお祭りであるから、ソキとしても大歓迎なのであった。
 とりっくー、あ、とりと、とりとーですよぉーっ、と今年こそ両腕いっぱいにお菓子を貰う計画のソキは、練習にも熱心だった。ふんすふんす気合を入れてとてちて歩き回りながら、道行く先輩を呼び止めては、練習させてくださいです、とりっくおあとりーとです、お菓子ちょーだい、と両手を差し出しては、週末になったらね、と囁かれることを繰り返していた。
 収穫はひとつもないものの、ふむむ、とソキは満足した気持ちで頷いた。今年こそお菓子をいっぱい貰えそうである。いつもいつも、どうしてだか、悪戯ばっかり要求されるハロウィンとも、これでおさらばということである。マシュマロ、リーフパイ、金平糖、それから、それから、と頬を赤らめて興奮するソキに、先輩たちはくすくすと好意的に笑いながら、ロゼアくんに許可を取っておくね、と歩き去って行く。
 そろそろ授業も終わりの時間である。はやい者は夕食を取りに食堂に向かうから、夕暮れ時の空気にはほわりと、おいしそうなご飯の匂いが混じっていた。ふんすす、と鼻をならして、ソキはぽんとお腹に両手を押し当てた。ソキの予想が正しければ、今日の夕ご飯はパリパリに焼けたパンとビーフシチューがある筈だ。ソキの好きな、白いふわふわのパンとは違うけれど。それはソキが『学園』で覚えた、おいしいもののひとつである。
 はにゃぁん、はやくロゼアちゃんをお迎えに行って、メーシャくんとナリアンくんを連れてごはんを食べに行かなくっちゃですぅ、と張り切って歩き出し、かけ。ソキは、てちり、と足を踏み出し、立ち止まった。火の揺れる灯篭が淡く影を落とす、廊下に見慣れないものがある。
「……落としもの、です?」
 白いハンカチ、に見えた。ただし、その下になにか落ちているのか、まぁるく盛り上がっている。とてて、と歩み寄り、ちょこんっとしゃがみこんで、ソキはそれに手を伸ばした。落としものは拾って、届けてあげなければいけないのである。万一、まんいち、ロゼアのものであったりしたならば、拾ったらこっそりソキのものにしなければいけないのだし。また大事に箱にしまって置かなければいけないのだし。
 ソキのちまこい手指が、ちょん、と布をつまもうとした。その時だった。まるで意思があるかのように。ぴょんっ、とハンカチが飛び跳ねる。そして。ソキは、それと、目が合った。
「……ん、んん……?」
 ハンカチに。目がくっついている。点のような目だ。線を引いたような口も描かれている。んん、とソキは首を傾げた。模様、とは違う気がした。なぜなら、それは。ぱちぱち、瞬きをしてじぃっとソキを見つめて。ふよよん、と浮かび上がったからである。ソキはそれを、なんと呼ぶのか知っていた。先輩が貸してくれた、ハロウィンの絵本にいたからである。
「……お、おばけちゃん、ですぅ……?」
 ふよよん、とソキの目の高さまで浮かび上がったおばけは、その名称に、やや不思議そうに揺れ動いて。やがて受け入れたかのように、こくり、頷くような仕草を見せた。はにゃっ、とソキは声をあげる。お、おばけちゃんですぅうううううっ、とびっくりした声が、夕刻の空気を甘く騒がしく揺らして行った。



 ロゼアちゃぁん、ソキ、おばけちゃんを拾ったですうぅう、とはちみつみたいなとろける声での報告を聞き留め、チェチェリアはついにこの日が来たか、という目でロゼアを見た。チェチェリアの勤勉な生徒は、常と変わらず授業の後片付けをしている所だった。使用器具をひとつひとつ掃除し、痛みや欠けのないことを確かめてからしまって行くその手つきは、几帳面で真面目なものである。道具を大事にする、という考え方と仕草が、ようよう染み付いている者の、職人的な手つきですらあった。
 その、丹念な動きをぴたりと止めて。ロゼアは、とてちてきゃっきゃとはしゃぎながらやってくる、ソキを凝視していた。その、頭の上に乗っかっている、見慣れないものを。とろとろと部屋を横断していくソキを目で追いながら、チェチェリアはなるほど、とひとり頷いた。『おばけちゃん』である。楕円形に膨らんだ布に、点と線で顔が描かれている。幼児用の絵本で見かけるような、そしてこの時期にはモチーフとしてよく登場するものの形。おばけである。ソキがおばけを連れている。
 ロゼアは担当教員に興味深く見守られる先、頭痛、あるいは眩暈を堪えるように、わずかばかり眉間に指先を押し当てていた。溜息はつかなかった。ソキが心配するからだろう。ロゼアは、ロゼアちゃんろぜあちゃぁんおかえりなさいですぅソキお迎えに来たですうぅだっこぉだっこぉだっこおおお、と両手をしゅぴっとあげて甘くねだる『花嫁』をひょいと抱き上げ、常と変わらぬ穏やかな笑みで、ソキ、と確かめるように少女の名を呼んだ。
「ただいま。お迎え、ありがとうな。……それで、これ、なあに?」
「ロゼアちゃん? ソキねえ、おばけちゃん拾ったです」
 えっへん、とこの上ない自慢顔での報告に、ロゼアは微笑んだまま、よく分からないものを拾ったらいけないだろ、とソキに言った。ふむ、とチェチェリアは一歩を踏み出した。恐らく、ロゼアは見た目よりうんと混乱している。普段ならばもうすこし上手に、あれやこれやとソキから聞き出そうとしているからである。チェチェリアは生徒を守る担当教員らしく、落ち着き払った観察眼を、その『おばけちゃん』に向けた。
 悪意はないものだ。まず、それを確かめる。これがなににせよ、なにものかの悪意によって生み出されたものではない、とそれを最重要のこととして確かめる。すい、と布の表面を撫でるように走らせる視線は、いずれかの魔力付与を確かめるもの。考えられることとして、一番可能性が高いのは、誰かしらの使い魔。あるいは、錬金術師の魔術具である。布に魔力を付与して方向性を持たせれば、こうした動きをさせることは可能だからだ。
 その布に顔があって。瞬きをしたりするように出来るのかは、また別の問題として。チェチェリアは困惑するロゼアと機嫌よくきらきらするソキに、おかしなものではないから安心おし、と囁いた。おばけちゃんですからねえぇっ、と楽しげにはしゃぐソキに微笑んで、チェチェリアはしっかりと、不用意に手を出すものではないよ、と注意した。
「なにかが起きてからでは遅いのだから。次にこうした……おばけちゃん? を、見つけても、拾ったりしないように。まず、教員か、寮長を呼びなさい。いいね?」
「はーい。あのね? チェチェリアせんせ。おばけちゃん、かわいいです!」
「そうだな。……ロゼア。しっかり言い聞かせておくように」
 はい、と苦笑するロゼアの腕の中で、ソキはおばけちゃんを頭に乗せたまま、ふんすふんすと嬉しそうに興奮している。さて、どうしたものか、とロゼアが思い悩むのに、チェチェリアはまず錬金術師からあたってみるといい、と告げた。これは、魔力のあるもの、である。そうであるから試作品の魔術具か、誰かしらの使い魔である可能性が高い。誰の魔力かは分かりませんか、と問うロゼアに、チェチェリアはふっと笑みを深めて頷いた。
「残念ながら。あまりに魔力が乏しい……色彩が薄いことが、ひとつ。ソキの魔力が、すでに混ざっているのが、もうひとつ、特定しきれない理由だ。ソキ? なにかしたろう?」
「ソキ、いけないことしてないもん。おばけちゃんに、金平糖をあげただけだもん」
 なるほど、とチェチェリアは頷いた。金平糖はソキが持ち歩いていた為に、魔力が零れて染み込んでしまっていたのだろう。未熟な魔術師にはよくあることである。ソキ、よくわからないものにご飯あげたらいけないだろ、と注意するロゼアに、『花嫁』はぷっぷく頬を膨らませて、やんやっ、とぷいとそっぽを向いている。おばけちゃんだもん、わからないものじゃないもん、というのが、ソキの主張である。
 そのおばけちゃんは、ソキの頭の上にふよんと乗っかったまま、動こうとしない。きょろきょろとチェチェリアとロゼアを見比べる目が、不安げに瞬きをしていた。口はあるが、声は聞こえない。しゃべれないのかも知れない。とにかく、持ち主、飼い主かも知れないが、探してかえしておいで、と言い聞かせるチェチェリアに、ソキはつむん、とくちびるを尖らせた。
「ソキが拾ったんだもん。ソキのおばけちゃんなのでは?」
「ソキ。飼い主さんがいるかも知れないだろ。勝手にソキのにしたらいけないだろ」
 ソキだって、アスルが誰かに勝手に連れて行かれたらかなしいだろ、とんでもないことだろ、そんなのは駄目だろ、と言いつのるロゼアに。ソキはしぶしぶ、仕方がなさそうに頷いた。
「……じゃぁー。さがしにー。いってあげるですー。……なんて偉いソキ。なんて偉いソキです……」
「偉いな、ソキ。かわいいな。かわいいからぎゅっとしような」
「きゃぁんきゃぁああーん!」
 ちたたとはしゃぐソキに微笑んで、チェチェリアはここは置いて行っていいから、はやく探しにおいき、とふたりの背を押した。見送りながら、ふと気が付いて、チェチェリアはソキの妖精の所在を問う。最近の、ソキの妖精の定位置に、おばけちゃんが乗っかっていたからかも知れない。女性の問いに、ソキは妖精の不在を告げた。蜜蜂が異常発生したので、狩りに参加しているらしい。
 どうりで、と担当教員は頷いた。お目付け役たる妖精がいたのなら、絶対に、こんな拾い物をさせない筈だからである。妖精が戻ってくる前に解決するといいな、と囁くチェチェリアに、ロゼアはそうですね、と頷いて。それでは失礼します、とソキを抱き上げたまま、訓練室を出て行った。



 えっ、なにこれ、というのが、呼び集められた錬金術師たちの第一声である。心当たりがまるでないらしい。寮長がまさかなぁ、と呻きながら、可能性を潰す為に教員たちをも呼びに走らせるのを横目に、ソキは先輩たちに自信満々、おばけちゃんですよぉ、と言い放った。おばけちゃん、とあっけにとられた声で何人かが繰り返し、訝しむ問いの視線はロゼアに向けられた。なにこれ、と目で問われて、ロゼアは無言で微笑んだ。ソキがおばけちゃんだというのなら、それはもう、そういうものである。
 談話室に集められた錬金術師のたまごは、五人である。そこそこ希少な適性だからこそ、担当教員を含めても、『学園』には十数人しか在籍していない。キムルやエノーラを呼ぶ程のことでもないからこそ、伝令は『扉』の向こうまでには走らされなかったから、増えるとしてもこの倍がせいぜいだろう。だからこそ、わらわらと取り囲まれることもなく、ソキは椅子に座ったロゼアの腕の中でよぉくふんぞり返り、だからぁおばけちゃんだって言ってるですぅ、と甘くほわほわとした声を響かせた。
「あのね? 廊下でお会いしたです。それでね、とっても可愛いから、ソキが拾ってあげたです。それでね、ロゼアちゃんをお迎えに行ったら、チェチェリア先生が、錬金術師のひとに返しなさいって言うです。誰かの、使い魔とか、魔術具じゃないかなっていうです。でもでも? やっぱり? ソキのおばけちゃんなのでは? 先輩たち、みぃんな知らないなら、やっぱりソキのおばけちゃんです!」
「……魔術具、かなぁ……? えぇー、そういうんじゃないと思うけど……え……? おばけって……おばけって、実在するの……? 『向こう側』の幻獣の一種だったりしないの……? 呼ばれるのは召喚術師とか、空間魔術師じゃなくていいの……?」
「そんなのが『向こう側』の世界にいるなんて話は聞いたことないし、断言してやってもいいが、そんなのが召喚されることはないぞ」
 困惑しきりの錬金術師たちに、寮長がきっぱりとした声で言い放つ。というか、いきもの、の範疇に定めて良い存在なのかすら分からない。なんといっても、見た目がおばけである。ソキの頭の上でじっとしている姿は、ただ愛らしい。おばけ、おばけねぇ、と呟き、首を傾げて、ひとりがじわじわと不安がりながら呟いた。
「待っておばけが実在するとなると……? 『学園』十五不思議がただの気のせいではなくなる可能性が存在してしまう……? えっやめて許してほんとやめて。ほんと、ほんとやめて」
「不思議の数多くないですか?」
「増えたり減ったりするから、平均してまあいつもこれくらいはあるよ。ロゼアくんに一番身近なのだと、二階男子トイレの不思議かな。満月の日の深夜にトイレでかくれんぼするとね、なんか黒くてぐじゅぐじゅした人の形をしたものに追いかけられたりするんだって」
 そつなく、ソキの耳を手で塞ぎながら、ロゼアは微笑んで頷いた。今後一切関わり合いにならない情報である。なぜなら、まず深夜にかくれんぼなどしないからである。しかも男子トイレで。他の不思議もそんな感じなんですか、と一応確認するロゼアに、うんまあ、と頷きが返る。
「なんか基本、追いかけられたり呪われたり、戻ってこれなくなる系? 色々あるけど、興味ある? 学園不思議部が詳しいから、呼ぼうか?」
「結構です」
「んもおぉお! 不思議なのは、いまはいいの! おばけちゃんでしょ! おばけちゃんでしょ!」
 ちたたたた、とロゼアの膝上で主張しながら、ソキは頬を膨らませて主張した。先輩たちが皆違うのなら、つまり、おばけちゃんはソキのおばけちゃんである。一緒にご飯食べたりお風呂入ったり眠ったりしていいのである。ソキのおばけちゃんなのだから。うーん、どうしよっかー、と錬金術師たちは視線を交わし合った。魔術具のようには見えないし、思えないし、感じられないのだが。
 ちょっとごめんね、とひとりが手を伸ばして、おばけの布の端を掴む。そのまま、ひょい、とめくって中を覗き込もうとしたので、ソキはぴゃぁああああっ、と声をあげて、おばけちゃんを抱き寄せた。ひしいいいっ、と抱きしめながら、いけないでしょっ、と声をあげる。
「お服をめ、めくるだなんて! なんというはれんち! いけないでしょ! いけないですぅ! だ、だいじょうぶですよ、おばけちゃん! ソキが守ってあげるですからね……!」
 ぴるぴる震えながら、ソキはおばけちゃんをぽんっと頭の上に乗せなおした。普段なら妖精がくつろぐ定位置に、おばけがふよふよしながら引っ付いている。ええぇ、と困惑の視線が、ソキとおばけを見比べた。
「中になにかいて動かしてるかも知れないから、調べたかったんだけど……ぱっと見は空洞だったかな……というかソキちゃん的にその布はおばけの服なの?」
「はれんち! はれんちです! いかがわしいおこないです!」
「……つまり、調べようがなく、なにも分からないってことで良いんだな?」
 傍観していた寮長が頭の痛そうな声で問うのに、錬金術師たちは深く頷いた。教員の姿はまだ見えないが、これならばたいした成果は望めないだろうな、と誰もが思う。教員の誰かが遊び心、あるいは事故を起こしてつくりあげた魔術具でなければ、魔術師の関与そのものが否定される可能性が高いのである。僅かばかり考え、寮長はよし、と周囲を威嚇するソキに言い放った。
「もし誰にも心当たりがなかったら、拾った以上は面倒を見ろよ、ソキ。観察日記でもつけて提出してもいいぞ」
「ロゼアちゃぁん! ソキ、おばけちゃん日記をつけるですー!」
「どなたにも心当たりがなければ……ソキがどうしてもしたかったら、そうしような」
 ソキは、もうすっかりそうするつもりの顔で、ふんすふんすと気合いっぱいに頷いた。おばけちゃんと一緒。ソキ、絵本を読んであげたり、ご飯を食べさせてあげたり、お風呂で洗ってあげたりするです。おねえさんなんでぇ、と目をきらきら輝かせてやりたがるソキに、ロゼアは柔らかく笑って。なら、ナリアンとメーシャにも紹介してあげような、と囁いた。



 夜更かしである。探検、なのである。なにせハロウィンなので。ソキはしぶるロゼアをちょっとだけですううぅ、と懸命に説得し、お風呂上がりのもこもこふわわな上着を着たままでいることと、ロゼアと手を離さないでいることを約束し、夜の『学園』に足を踏み出した。常は静かな夜が広がるばかりの『学園』は、今日ばかりはどこもかしこも華やかに飾られ、きらびやかな光と熱、笑い声と食べ物の匂いで満ちていた。
 知らないひとが混じっていても、深く追求してはいけないよ、と先輩が訳知り顔でソキに囁く。それは昔、ここにいたひとかも知れないし、これからここに来るひとなのかも知れない。『向こう側』の世界のひとかも知れないし、あるいは幻獣かも知れない。妖精かも知れない。それは誰にも分からないこと。普通ならありえないこと。不思議なこと。不可思議なこと。それが起こるのが、『学園』のハロウィン。
 誘われてもついて行ってはいけないよ。戻れなくなっちゃうからね。悪戯っぽく、ほんのり怖く。真剣に囁かれた言葉を、ソキは八割聞き流してはぁいはぁいと頷いていた。なぜならクッキーとマシュマロと金平糖があるからである。今年こそはたくさんもらっちゃうのである。ふんすふふんすっ、とやる気に満ちたソキはロゼアとしっかり手を繋ぎ、頭の上におばけちゃんを乗せてお供にしながら、てちてちとててと『学園』の隅々まで歩いて行った。
 とりっくおあ、とりーと。とりっくおあ、とりとー、ですよ。お菓子ちょうだい。ねえねえ、ちょうだい。ソキは行き会う先輩や、遊びに来た王宮魔術師や、どこかで会ったことがあるようなひとや、はじめて会うような気がするひとにも、きらきらした目でいっしょうけんめいに話しかけた。大事なのはお菓子である。甘い苺のキャンディーと、ふわふわもちもちのマシュマロ。さくさくのリーフパイに、ほろりと崩れるクッキーに、いい匂いのする色とりどりの金平糖である。
 昨年の、いたずらしか要求されなかった一夜が嘘のように、行く先々で、ソキはたくさんのお菓子を与えられた。手に持つ籠がいっぱいになって、ロゼアの大きな籠にざらざらと二回も移し替えるくらいの大量だった。なんてすばらしいことです、とソキはおばけちゃんと金平糖を分け合いながら頷いた。ソキはずっとこういうハロウィンがしたかったのである。あっソキちゃんだ悪戯してお菓子が欲しかったら悪戯して、などと言われるのは、もう去年でおなかがいっぱいだったのである。
 あっもしかしてロゼアちゃんと一緒だと皆お菓子をくれるです、ソキはかしこいから分かっちゃったです、さすがはロゼアちゃんですぅうう、ときゃぁんやぁんとはしゃいで抱きついた所で、ソキはぱちくりと目を瞬かせた。談話室を巡って、教員棟をしらみつぶしに訪ねて、部活棟にも行き終えた帰り道の廊下である。どうしたんだ、と言いながらひょいとロゼアに抱き上げられ、ソキは廊下の一点を注視しながら、口を開く。
「ねえねえ? ロゼアちゃん? あの黒いかぼちゃ、なーに?」
「……黒いかぼちゃ?」
「もやもやして、おめめがちかかっとしてるです」
 あれ、とソキが指さすのは、廊下の端ではなくちょうど中央あたりだった。あいらしい指が示す先を見つめて、ロゼアはふっと微笑んだ。絨毯しかない。ゴミひとつ落ちていない。つまり、なにもない。ソキ、とロゼアは静かに囁いた。
「指さすのやめような」
「あっ、浮かんだですぅ……? な、なんだかこっちに来るような……?」
 ロゼアは一秒たりとも躊躇わなかった。身を翻し、談話室に駆け戻る。ぴゃぁっ、と驚いたらしきソキの声が響き、あわあわと手が伸ばされる。やんやや、とちたちたするソキがなにごとかを説明しだした時、ロゼアはすでに談話室の扉を音高くしめ、先輩たちの視線を一身に浴びていた。え、なに、どうしたの、と誰かが問うのとほぼ同時に、ソキがやんやぁ、と扉の向こうに手を伸ばす。
「お、おばけちゃぁああ……! ろ、ろぜあちゃ、おばけちゃん、おばけちゃんが、もやもや黒かぼちゃにぽーんとしたぁ……!」
「先輩。なにかいるようなのですが、俺には見えません。なんですか? どうすればいいですか? 燃やせばいいですか? 燃えますか?」
「も、燃えるかなぁ……? 燃えないと思うな……?」
 あー、今年も出たんだー、とのんきに言いながら、ひとりが閉じた扉を開いて廊下に顔を出す。その扉の隙間から、ほよほよふよよ、と飛んで戻って来たおばけが談話室に入り込む。ひゅるるる、ぽすん、とばかりにソキの頭の上に戻ったおばけは、なぜか煤けて薄汚れていた。
「お、おばけちゃ……! どどどどうしたんです? 汚れちゃったです? もやもやかぼちゃをやっつけてくれたのでは……っ?」
「……なんかいた気配はするけど、もういない感じもする。ソキちゃんの、おばけちゃんが退治してくれたのかな……? よく分かんないね……?」
 そうですか、とロゼアは虚無と戯れる眼差しで頷いた。先輩が分からないようなことに、首を突っ込みたくない一心である。そして分からないなりに、ソキに危害を加えるようなものがいなくなっているのなら、それはもう、それでいいのだった。よし、もうお部屋に帰って眠ろうな、と言って来るロゼアにこくこく頷きながら、ソキはなんだかくったりと力なくしているおばけを、胸元にきゅむっと抱き寄せた。
「おばけちゃぁあああ……! そ、ソキが石鹸で洗ってあげるぅ……! それで、それで、今日は一緒に寝ようね、おばけちゃん」
「洗ったら乾くまでは一緒にいたらだめだろ、ソキ。濡れちゃうよ」
「灯篭の傍にいてもらうです。きっとすぐ乾くです」
 はい、あーん、ですよぉ、とソキが金平糖を差し出すと、おばけはちいさな手でそれをはしっと受け取った。見ていると、まるで手品のように、すっと金平糖が消えてしまう。クッキーも、パイも、同じように消えて行った。おいしいねぇ、とソキがにこにことおばけに頷く。幸せを分け合って喜ぶ、とろけるような笑みをしていた。まあ、ソキが楽しいのなら深くは考えるまい、とロゼアは談話室の先輩たちに別れを告げて、自室へ続く階段を登って行った。
 金平糖を与えられるたび、するする、おばけの煤けた汚れは溶けるようにして消え。部屋に戻る頃にはすっかり、元の白い姿に戻っていた。



 どうもロゼアとソキが遭遇した、もやもやした黒いかぼちゃのようなものは、『学園』十五不思議に数えられるハロウィンの怪異であるらしい。それをロゼアが知らされたのは、翌日の朝食の席でのことだった。それ自体が怪文書めいた筆文字で書かれた手紙には、昨夜の黒かぼちゃが『学園』十五不思議の『ハロウィンの怪異』に該当すること、他にもいくつかの種類が確認されていること、目視出来る者と出来ない者がいること、接触すると体調不良が引き起こされること、などが事細かに記され、最後には学園不思議部の署名があった。個人名の記載はない。不思議部の記載のみである。
 先輩たちも凝ったことするよねえ、としみじみと呟いたのはメーシャである。メーシャがフォークでプチトマトを口に運ぶ傍らでは、たっぷりの薄切りハムとレタスがはみ出すバゲットのサンドイッチに、ナリアンが頷きながらかぶりついていた。そうしながらもふたりの視線が食堂の空をさ迷っているのは、その手紙が風の魔術により、何処から漂うように届けられたからである。学園不思議部の所属者は、基本的に正体不明であれ。入部希望者は所定の手順により申し出、後日届くいくつかの謎を解決すれば審査に合格とし、仲間に迎えられることとなる。
 部員の正体不明もひっくるめて『学園』十五不思議、つまりは学園不思議部なのであるっ、と説明部たるルルクがはしゃぎまくって解説してくれたので、ロゼアたちは不本意なまでに、それに詳しくなっていた。知らないでいたかった知識を無理に与えられるのは、苦痛というか虚無を飲み込んだような気持ちになるので、心底辞めて欲しい。でも、もう手紙は届きそうにないね、と告げたのは風の流れを読んでいたナリアン。それに同意したのはメーシャである。緊張感というか、整った道筋を作る気配、流れが感じ取れない、ということだ。
 そっか、と胸を撫でおろして友人たちに礼を告げ、ロゼアはそれじゃあ、とやや困惑した視線をソキの頭上に向けた。
「……これは、いったいどういう……?」
 きゃっきゃはしゃぐソキの頭にひっついたままの、おばけとぱちりと目が合った。朝のまばゆいばかりの光に包まれた空間に、おばけはしっかりと存在している。ナリアンもメーシャも興味深く見つめる先で、おばけはまたひとつ、ソキから金平糖を受け取って、ちまこい布の手の中でそれを消してしまった。おばけちゃんとご一緒朝ごはんですううううっ、とはしゃぐソキの言葉を信じるならば、食べて、いるらしい。ふむ、と首を傾げ、メーシャは穏やかな声で囁いた。
「俺はてっきり、そういう不思議なものは、ハロウィンの……昨日の夜に現れたり消えたりするものだと思っていたんだけど。違うみたいだね? それとも、これも『学園』の不思議のひとつなのかな」
「手紙には、調査中、とだけ」
「悪いものではない、と思うよ。それ以外のことは分からないけど」
 こと、ソキに対する危険を察知することに関しては、ロゼアの次に敏感で、ともすれば同じくらい過激派のナリアンからの言葉である。俺もそうは思うんだけど、とロゼアが頷くのを見て、メーシャはくすくすと肩を震わせて笑った。そうだね、とメーシャも頷く。悪しき気配は感じない。魔術師としてそう感じられるのだから、それは確かなことなのだろう。なにより、そういったものに過敏なソキが、一目見た時から受け入れているので、おかしなことにはならないのだ、と誰もが思う。
 分からないのは、その正体である。どうも、ハロウィン限定の怪異の一種ではなく、『向こう側』からやってきてしまった幻獣の一種でもないらしい。突然変異的ななにか、と寮長はおばけを、そう定義して告げていた。それ以上のことは分からない。識者の結果を待て、ということである。ロゼアは、おばけにせっせと金平糖を与えるばかりで自分の朝食がおろそかになっているソキの頬を、もにもにして折檻しながら、ごく穏やかにため息を付いた。
「まあ、ソキが楽しそうだから……様子見かな」
「やややんやややん! ソキの頬をもにもにっとしたらいややややん!」
「朝ごはん食べようね、ソキちゃん」
 おばけちゃんと一緒に食べてるもん、とぷんすか主張するソキの前に、そっと果物いりのヨーグルトを押しやりながら、ナリアンはそれにしても、とおばけを見つめた。定位置である、とばかり頭にひっつくおばけには、どうも覚えがあるような、ないような気がしてしまう。うーん、と考え、ナリアンは不在にしているソキの妖精のことを思った。彼の花妖精さえいてくれれば、こういう類のことは、一瞬で解決してくれそうなのだが。
 いつ戻ってくるんだっけ、と問うナリアンに、ソキはもきゅもきゅとヨーグルトを頬張りながら、ちょこりと首を傾げてみせた。はちみつ、三瓶溜まったら帰ってくるって言ってたです、と告げられる。結構な量である。それはもうちょっとかかるね、と苦笑するナリアンの妖精も、心配だからと同行して不在にしている。おばけはその不在を埋めるよう、ソキの頭の上でふわふわとしていた。



 おばけが姿を消したのは、その二日後の朝。ソキの元に現れてから、三日後のことだった。ソキがいくら呼んでも、探しても、その姿は現れることなく。誰も見た者はなく。新鮮な蜂蜜を手土産に戻って来た妖精が、へんなものを拾ったり飼育したりするんじゃないっ、と特大の雷を落としても、ソキはすんすん寂しがってぐずり。きっとまた来年会えるもん、としょんぼりと呟いて、ふわふわとした布の感触を恋しがった。



 柔らかい光を零すように。ふわり、と白い布をなびかせて、それは闇夜に浮かび上がった。くぴくぴすぴぴ、とソキの寝息が響いている。見下ろせば、ロゼアがしっかり抱き寄せた腕の中、ソキが安心しきった笑みで眠り込んでいるのが見えた。そこへ、名残惜しくそっと降りて、頬にさらさらとすり寄る。名前を呼ぶ声はなく。けれどもそう響いたかのように、ソキはふにゃり、と笑みを浮かべて、寝ぼけた声で『おばけちゃん』と呼んだ。嬉しかった。ありがとう、と伝える術を持たないまま、それはふわふわと浮かび上がり、眠る魔術師をじっと見下ろした。
 許された、現れることの期限めいっぱいまで傍にいられたのは、ソキがせっせと金平糖を与えてくれたからだった。ほの甘いソキの魔力がひとかけ溶け込んだ金平糖は、か細く儚い存在を、なんとか繋ぐだけの力を与えてくれていたのだった。それでも、三日。それが期限だ。世の理はそれ以上を許すことがない。たとえどんなに変質してしまっていても、その枠を外れることはできなかった。もしも、それ以上があったとして。ソキの妖精が、それが傍にいることを許すとも思えなかったのだが。
 三日間。それは、ソキと共にいた。まるで親しい妖精のように傍らに浮かびながら、あちらこちらへ出歩いた。たくさんのことをした。一緒に食事をしたり、本を読んだり、他愛もない会話をしたり、散歩をしたり。与える言葉はなく、返す響きはないままだったけれど。それでも、心から楽しげに。はしゃいで、ソキは、それを連れ歩いた。なにとも、告げることができなかったから。なにとも、分からないままであったろうに。
 おばけはふわふわと浮かびながら、ちいさな布の手で、胸元を慈しむように擦った。そこには、ソキが描き入れた赤いリボンの絵があった。黒いかぼちゃから助けてくれたお礼に、と。ソキが絵の具で描いてくれたのだった。白い布だから、赤いリボンがとっても映えるです。ソキとお揃いです。かわゆいです、ととろける声で。ありがとう、と囁けぬままにもう一度思って、それはふわりと空を泳いだ。もう時間だ。戻らなければいけない。
 もしも、また来年、と願ってくれたなら、その祈りがかたちを与えてくれることがあるかも知れないけれど。このたった一度だけでも、十分だった。満たされていた。あたたかな思い出で胸をいっぱいにして、やさしい気持ちで眠ることができるだろう。それは、誰もいない深夜の『学園』をふわふわと漂って、やがてひとつの『扉』に消えた。武器庫に続く『扉』だった。誰もいない、誰も見ない、しんとした空間を漂って。
 それがふわりと消えたのは、とある一冊の本に触れたからだった。勿忘草の色をしたインクに、斑に染め抜かれた一冊の本。元は白い帆布で作られていた、魔術師の『武器』たる本。いまはなき、ソキの『武器』たる、魔術師の写本だった。



 それはもう、名もなきもの。喪われたもの。
 だからこそ、無意識に。魔術師は名前を付けずにこう呼んだ。



 ソキの『おばけちゃん』



 赤いリボンを再び与えられたそれは、今はもうゆっくりと、書棚の中で眠っている。

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