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 ラーヴェさん、ロゼアくんに似てるんだ、とリトリアが気がついたのは、保護された家をふと見上げた時だった。かれこれ半月以上お世話になった場所であるのだが、こうして外観を見上げるのは初めてのことである。ちょっと魔術を使っては熱を出し、あれこれ思い出してヘコんでは熱を出し、を繰り返していたリトリアは、基本的に寝台から動かしてもらえなかったせいだ。四回目の発熱の世話をしながら、いいこで眠りましょうねと微笑んだラーヴェの表情は穏やかだったが、有無を言わせないものがあった。いいこ、というのはつまり、絶対安静のことである。それに気がついたのは、室内にひとりになって暇を持て余したリトリアが、本棚から一冊を持ち出して窓辺に椅子を置き、読書していたのを発見された時だった。
 水や食料、こまごまとした身の回りのものを腕いっぱいに抱えて戻ってきたラーヴェは、特に怒りはしなかった。ただ無言でリトリアからひょいと本を取り上げ、いいこにしているといいましたよね、と微笑んだ。寝台から抜け出すのと読書は、同じ室内にいてじっとしていても、いいこには該当しないらしい。リトリアはあれよあれよという間に寝台に連れ戻され、薄桃色のうさぎの抱き枕を与えられ、寝かしつけられた。実はこっそりひそかに、ソキちゃんのアスルいいな、ぎゅっとしてみたいな、と思っていたリトリアは一応、私そんなにちいさいこじゃないですと抗議したのち、それを抱きかかえて眠りについた。
 もちもちの柔らかな抱き心地で、おひさまのにおいがして、とっても気持ちいい抱き枕だった。ひがないちにちぎゅっとして療養に努めていたせいで、最近のリトリアは、寝る時にそのうさぎをぎゅっとしないと落ち着かないようになってしまった。恥ずかしいのでその事実は内緒にしていた筈なのに、ラーヴェが手際よく積み込んでいく荷物の、それも取り出しやすい位置に、うさぎの耳がはみ出ている。くちびるを尖らせて、リトリアはととと、とラーヴェに走り寄った。
「余計な荷物は、いけないんじゃなかったんですか……!」
「ん?」
 にこにこ笑いながらしゃがみこんだラーヴェは、リトリアがなにを言いたいか、すぐに分かったのだろう。はみでた耳をちらりと見たのち、微笑ましそうにゆっくりと一度、頷く。
「ああ。やはり抱いていきますか?」
「ち・が・い・ま・す……! もう、ラーヴェさん? 私、十六だって言ってるじゃないですか……! そん、そんな、ぎゅっとしないと落ち着かないこどもじゃないですったら……!」
 ふふ、と控えめな笑みをこぼされ、大きな、あたたかな手で頬を包まれる。宥めるように。こつ、と額が重ねられて、至近距離から語り聞かされた。
「でも、よく眠っておいででしたよ。今日の朝も。大変可愛らしかった」
「そ、そういうことを言わないでったらぁ……!」
「はい、はい。さ、もうすこし出発には時間がかかりますから、どうぞ彼らに挨拶を」
 くるんと体を反転させられ、背を押された先、道に面した前庭には簡易的な机と椅子が並べられ、お茶の場が整えられていた。朝の清涼な風に乗って、リトリアの好きなお茶のにおいがふわっと漂ってくる。とと、と踏み出しかけて、リトリアははっと立ち止まった。
「準備! 私もします!」
「お気持ちだけで。昨夜十分手伝いはして頂きました。ですので、どうぞ」
 手伝い、と言っても。自分の荷物をまとめただけである。なぜか持ってきた服が総入れ替えされていたり、空になっていた飴や携帯に適した菓子類が補充されていたり増えていたり、色々と腑に落ちないことが山積みであったのだが。今だってリトリアの着ている服は、髪飾りから靴に至るまで、倒れて拾われるまでのものとは違っている。長袖の白いシャツこそ地味だが、柔らかく肌触りの良い生地は着ていてとても気持ちが良い。袖口のボタンはどれも花の形をしていて、光を弾くときらきらと輝いた。その上からかぶせられたキャミソールのワンピースはこげ茶色で、リトリアの体の線をするりと撫で下ろし、足元までを隠している。ワンピースの胸元や裾には生地と同じ色の色で細かな模様の縫い付けがあり、動くとようやく、靴の先だけがちらりと覗く。
 あいらしく丸みを帯びた革靴は見かけに反してしっかりとしていて、それでいて軽く歩きやすい。しっかりと結ばれた紐は銀のきらめきを帯び、同じものが、リトリアの髪にも揺れている。編みこまれ、きちっと整えられた髪に手を添えながら、リトリアはもじもじと、立ち上がったラーヴェを見上げる。なにか、と言うように微笑んだ男の視線が、ちらり、少女の胸元へ向いて。くす、と笑われた。
「はい、よくお似合いですよ。偉いですね。……可愛らしい」
「きっ……気がついちゃだめ!」
「そう仰られましても」
 胸用の下着がないことに気がつかれてすぐ、リトリアはラーヴェに、理由をやんわりと問い詰められていた。それに、ソキちゃんみたいにないからやだつけない、と拗ねた返事をしたのがいけなかったのだ、と思う。すぐに女性陣に服をぺいぺいひん剥かれ、事細かに測定され、その日の夜には下着がひとそろえ用意されていた。ちょっと意味が分からなかった。あれ私いまなにをしてどこにいてなにをしようとしているんだっけあれ、と涙ぐんで混乱するリトリアに、ラーヴェはあなたはもうすこしご自分に自信をつけましょうと告げ、微笑みながらきっぱりと言い切った。そのままでも十分愛らしいですが、とてもよくお似合いになると思いますよ、と。
 つけろ、ということである。そこまでされて言われて、なお拒否する理由までは、リトリアも持っていなかった。なので仕方なくつけたのだが、それからというもの、ラーヴェは非常に事細かにリトリアを褒めてくるのである。恥ずかしさとくすぐったくてしにそうになりながら、リトリアは悟った。ことあるごとにソキちゃんが褒めてって言って来るのはこれが普通の環境だったからだ、と。たぶんこれで育つと、褒められないと落ち着かないようになって、不安になって、そわそわする。足元をふらつかせながら前庭の席までたどり着いたリトリアに、華やかな印象の女性が肩を震わせて笑う。面差しがすこし、チェチェリアに似た女性だった。
「どうされました? ラーヴェがなにか?」
「……あんなにすぐ褒めなくていいです」
「ですが、今までされていなかったのですもの。わたくしがなにも言わずともつけて頂けるようになって、とても嬉しいですわ。偉いですね」
 しあわせそうにとどめをさされて、リトリアは胸に両手をあて、涙目でふるふるした。なんでここのひとたちは、息をするように褒めてくるのか。音のでない足運び、体の動き。やんわりと響く声や、向けられる微笑の雰囲気。やっぱりロゼアくんに似てる気がする、と思いながら、リトリアは改めて、女性に対して頭を下げた。
「お世話になりました。全部終わって、落ち着いたら、お礼をさせてください」
「お気になさらず。ラーヴェの老後の楽しみだと思われて?」
「ろぅ……ろうご?」
 あんまり似合わない単語だったので、聞き取れても漢字を当てはめる所まで持っていけない。ラーヴェはどう年齢を上に見ても三十代半ばの、ちょっと落ち着きをなくさせるくらいの、精悍な美丈夫である。ろうご、と思わず繰り返すリトリアに、女性は微笑んで頷いた。
「ひさしぶりに貴人のお世話をさせて頂きまして、わたくしどもも大変楽しかったですわ。ですので、お礼など……わたくしどもの趣味に巻き込まれたのだとでも思って」
 もしかしてたいへんなひとたちに拾われてしまったのではないかしら、とリトリアは思った。薄々、なんだかそんな気はしていたのだが。どういう人たちで、どういう場所であったのかも、リトリアは聞きそびれていて未だに知らないままだ。身を休めるには十分過ぎる程、整った家であるのに。妙に生活感のない場所であったのだ。ちいさな二階建ての家は、別荘のような雰囲気をたたえている。指先をもじもじ擦り合わせて、リトリアはちょっとうつむきながら、問いかけた。
「アーシェラさんは、その……ソキちゃんの、ご実家の……『お屋敷』の、方、ですか?」
「はい。ラーヴェの補佐をしておりました」
「このお家と……んと、皆、そうなんですか……?」
 つたない問いの意味を取り違えることなく、女性は微笑み、はい、と頷いてくれた。そうなんだ、とようやく身の置き所を見つけたほっとした気持ちで、リトリアは息を吸い込んだ。
「じゃあ……んと、えっと……。『お屋敷』を、お尋ねすれば、アーシェラさんには会える……?」
「わたくし?」
「だ、め……? その、もし、ご迷惑でなければ……。お手紙だけでも……」
 全部終わって落ち着いたら、ありがとうと伝えさせて欲しい。それで、やっぱり、あの、お礼もちゃんとしたいですし、えっと、と口ごもるリトリアに、女性はすっと立ち上がった。机を回り込んでリトリアの前にしゃがみ、両手を握って下から顔を覗き込んでくる。今にも、ごめんなさい、と言いそうなうるんだ目。リトリアは何度も瞬きをして、息を吸い込んでは口を閉ざして。やがてかぼそい声で、だって、と言った。
「やさしくしてくれて……嬉しかったの……。あの、私ね、すぐね、甘えちゃうんだけどね……。ラーヴェさんも、ね。甘やかさないでって、言った時にね。甘やかすんじゃなくてね……」
「はい」
 零れそうな涙を、女性の指先が拭っていく。しゃくりあげて、きゅ、と目を閉じて。リトリアはどうにか、言葉の続きを吐き出した。
「やさしくしてるだけですって、言ってくれたの……。嬉しかったんです……」
「甘えるのはいけないんですか?」
「じりつ……自立しなさい、って。怒るの……。わ、私も、ちゃんとね、もっと強く、なって。だからね、甘えるのはおしまいで、自立を頑張らなければいけないの……」
 だから泣くのもいけないの、と呟くリトリアに、吐息に乗せて笑う気配がする。仕方のない方、と告げられ、リトリアはやんわりと抱き寄せられた。ぎゅう、と力が込められる。おひさまのにおい。
「ラーヴェの言った通りですわね……。あなたはもうすこし、御自分に自信を持たなければ」
「自信……?」
「大切にされている自信。自負。あなたに今必要なものです。……まあ」
 ラーヴェはそのあたりが得意分野ですから大丈夫でしょう、と囁いて、女性はリトリアから離れ、立ち上がった。よろしければ他の者にも出発前に声をかけてあげてください、と告げられ、リトリアはおずおずと頷いた。椅子から立ち上がろうとすると、手を繋がれたままであったことに気がつく。えっと、と戸惑うリトリアにただ笑って、女性は手を引いて歩いてくれた。ソキちゃんと違ってひとりでもちゃんとあるけます、と言っても。そうですね、と笑って。出発の寸前まで、離されることはなかった。



 もちもちうさぎをリトリアが背伸びしてもぎりぎり届かない高さに持ち上げ、ああでもいらないと仰ったのでしたっけと残念そうに息を吐き出されるに至って、リトリアは確信した。正直に口に出す。
「ラーヴェさん、いじわる……!」
「なにを仰います。無理強いするのは忍びない。それだけのことですよ」
「う、うぅ……ううぅ……!」
 えい、と飛んで手を伸ばしてみても、微笑んですっと上に持ち上げられたのでやはり届かなかった。元からある身長の差が邪魔をして、どうすることもできない。ふたりの他は誰もいない砂漠の只中であるから、助けを求める相手もいなかった。岩陰で、駱駝がのんびりと腰を下ろしてあくびをしている、休憩中のことだった。すこし午睡しましょうと微笑まれ、もちもちうさぎを即座に取り出されて、これである。リトリアは砂の上に広げられた分厚い布の上にしゃがみこみ、端の方を指先でいじいじと突っついた。
「おや、どうされました?」
 白々しいことこの上ない。しゃがんで目の高さを近くしながら微笑まれて、リトリアはむくれながら両腕を広げ、差し出した。
「うさちゃんください……」
「やっぱり、欲しい?」
「だってぎゅっとすると気持ちいいんだもの……」
 そうですか、と微笑んで、ラーヴェは穏やかにリトリアを見つめている。しばらく無言で見つめ合って、首をかしげて思い至り、リトリアはくちびるを尖らせ付け加えた。
「欲しいです。いじわるしないで……!」
「はい。欲しい、とは仰られなかったものですから」
 ようやっと腕の中にもちもちうさぎを与えられ、リトリアは口元を緩めて安堵した。ぎゅっとして頬をくっつけて堪能しかけ、はっと気がついて顔をあげる。なんだかうっとり見守られていた。あう、うぅ、と顔を赤くしてもじもじとなにか言いかけ、リトリアはうさぎに顔をうずめて訴える。
「自立が……自立が、邪魔をされている気がするの……」
「気のせいです。さ、お休みの時間ですよ」
「寝かしつけられなくても、ひとりで眠れますったらぁ……!」
 はいはいそうですね、偉いですね、と微笑まれながら、リトリアはころんと横にさせられた。柔らかな綿の入った薄い敷布を、さらに広げられた上。頭は自然と抱き寄せられ、あぐらをかいた脚の上に乗せられる。岩陰は涼しく、心地いい風が時折過ぎていく。頭を撫でる手が、気持ちいい。瞼を閉じる。ふあ、とあくびをして、リトリアは膝に頬をこすり付けた。



 夕方から夜に変わる頃にちいさな都市にたどり着き、移動駱駝を預けてから宿までは徒歩で移動した。人々が家路を辿る時間であった為、はぐれると危ないからと手を繋がれ、導かれる。茜が長い影を引く道をゆっくりと歩いて、リトリアはなんだか泣きそうになった。暗くなりきる前の道を、そういう風に歩くのは初めてのことだった。ただ、守られながら。どこかへ帰ろうとしている。それはたぶん、リトリアがずっと欲しかったものの、ひとつだ。だから、路地のひとつに視線を流し、市がありますが寄って行きましょうかと告げられても、リトリアは胸がいっぱいで、ただ首を横に振った。欲しいものはいま、もう、そこにあった。
「なにもありませんか?」
「んと……。じゃあ、あの、すこしだけ……」
 ほんのすこしだけ、遠回りして。ゆっくり歩いて行きたいです、と。ぽそぽそと響かない声でねだったリトリアに、ラーヴェはあまく微笑して息を吐き出した。
「散策がお好きですか?」
「……うん」
「……そうですか」
 吐息に乗せてまた、すこし笑われる。泣きそうな目元をてのひらが撫でて拭い、そのまま額と頬に押し当てられた。鼓動と熱を確かめる仕草。乱れた髪を整えてから、またゆっくりと歩き出される。夕暮れが背を追いかけてきても、もう、さびしくはなかった。



 夕食の間にちらりとよぎり、湯を使っている間に考えた疑問を、リトリアは尋ねてみることにした。
「ねえ、ラーヴェさん」
 はい、と柔らかく響く声は背中側から響いてくる。部屋へ戻ってきたリトリアを椅子に座らせ、男は先程からずっと、少女の髪の手入れをしているのだった。どれがお好きですか、と差し出された香油から、瑞々しい果物の香りがするものを選んだので、なんだかすこしおなかがすいてくる。ぐうっと鳴りませんように、と祈りながら、リトリアはおなかにぺたんと手を押し当てた。
「私、ソキちゃんに似ていますか?」
「いいえ?」
 思いっきり楽しそうに、声が笑っている。どうして、と問うのに振り向こうとすれば、前を向いていてくださいねと告げられたので諦め、リトリアはきゅぅと眉間にしわを寄せる。
「だって……こんなにしてもらう理由、なにかなって……アーシェラさんにもお聞きしたけど、よく分からなくて」
「アーシェラはなんと?」
「……ラーヴェさんの。ろうごのたのしみ?」
 笑われた。それも声をあげて思いきり笑われた。もおおっ、と顔を真っ赤にして振り返れば、男は楽しげに碧の瞳をきらめかせ、肩を震わせながらも息を整えようとしている。その顔を、思わず見つめて。頬を染めてもじもじしたのち、リトリアはぽそ、と呟き落とす。
「……やっぱりソキちゃんのおとうさ」
 すかさず、もにっと頬を両手でつぶされる。微笑で反省を促されたので、リトリアはちょんっとくちびるを尖らせた。
「教えてくれたっていいじゃないですか」
「そうですね……。砂漠では行き倒れた方を、砂獣の恵みとして手厚くもてなす風習があります。ご存知ですか?」
「え、えっと……? さじゅう? ……幻獣、ですか?」
 教えて欲しいのはそっちじゃなかった。戸惑うリトリアを前向きに座りなおさせながら、ラーヴェは子守唄を紡ぐような声の響きで語っていく。むかしむかし、から始まる物語は、世界が分断される前からはじまっていた。砂漠を放浪する民に安住の地はなく、水や果物に溢れた祝福の地は古から生きる獣たちの土地であった。ある時、疲弊した砂漠の民のもとに獣が訪れ、こう言った。お前たちの所有するうつくしい宝石と引き換えに、豊かな地で生きることを許そう。宝石。一対の男女。親子であったとも、兄妹であったとも、夫婦であったとも、伝えられている。
 その身と引き換えにして、砂漠の民はオアシスを手にいれた。石と砂ばかりの地をさ迷う生からは、開放されて。
「砂の地に倒れる者は、連れ去られた砂漠の至宝、宝石の末裔であるやも知れぬ。ですから、大事になさい、という……御伽噺です」
「……でも、御伽噺でしょう?」
「ええ。砂漠の者なら誰でも知っている、寝物語のひとつです。……さあ」
 髪飾りはどれにしますか、と膝の上にぽんと紙の箱を乗せられて、リトリアは体を椅子の背もたれに預け、頭をラーヴェにくっつけた。さかさまの上目遣いに、にらむ。
「荷物の中にありましたっけ。なかったでしょう……? これ、さっきお店で飾られてた気がします……!」
「老後の楽しみなものですから。選んでいただけますね?」
 つい先程は思いきり笑っていたくせに、男はそれをリトリアをかまう理由として使うことに決めたらしかった。男の手がゆっくりと、リトリアの髪を撫で、慈しむ。
「どれでも似合うと思います。選ばれないなら、私が決めても?」
「で、でもでも、もう寝る……」
 ここで答えたら、毎朝髪飾りを選ばなければいけなくなる予感があった。ずっと昔、ストルがそうしてくれていたように。だから。寝るだけだから、いいです、とリトリアは言おうとしたのに。くぅ、とちいさくおなかが鳴った。おなかを手で押さえて椅子の上でまるくなるリトリアを、しばし眺め。ラーヴェは、笑みを深くした。
「お茶の準備をしましょうね。焼き菓子はなにがお好きですか?」
「……くるみのケーキ」
 療養中にも似たようなことがあり、なんでもいいです、とリトリアは言ったのだが。お好きなものを選べるようにしました、と眩暈がするほどの種類を用意されたので、それからは食べたいものを申告するように気をつけていた。
「はい。ではそれを。……それでは、こちらを」
 流れるような動きで木彫りの、花模様の細工が施された髪飾りが選ばれ、留められる。そうすると似合う服はあれだな、と呟かれたので、リトリアは慌てて椅子から立ち上がった。
「ラーヴェさん、えっとっ」
「ん? 老後の楽しみを奪うと仰る?」
「な……なんでもそれで行けると思っちゃったんでしょう……!」
 そんなことはありませんがこちらの服に着替えましょうね可愛いですよ、とさらに見覚えのない服を与えられるに至ってリトリアは理解した。お風呂へ行っている間、つまり男は好き勝手に買い物に出ていたに違いないのである。リトリアはええっとだから私はなんでこんなことになってるんだっけどこに行こうとしてるんだっけと涙ぐみ、くるみのケーキの誘惑に負けて、呼ばれた椅子に腰を下ろした。ケーキはおいしかった。



 ラーヴェは顔が広いらしい、と気がついたのは、宿から駱駝を受け取りに行く道すがら、四人目に声をかけられてからである。はじめこそ、拾ったので保護者の所まで送りますというだいたいはあっている説明をしていたラーヴェは、三人目から面倒くさくなったのかリトリアのことを説明するにあたり、老後の楽しみですと言い切っていた。知り合いにもそれで押し通するつもりらしい。というかそれで納得して行かないで欲しい、とリトリアは思っていた。楽しそうに手を引いて歩くラーヴェを見上げ、リトリアはほぼ断定的に問いかける。
「ラーヴェさん。めんどうくさがりでしょう」
「お嫌ですか? 老後の楽しみ」
 そういう問題ではないのだが。やんわりと微笑まれながら問いかけられると、うんまあもうそれでいいかな、という気持ちになってくる。諦め二割、ほだされ八割である。そういう風になる気持ちにとても覚えがあったので、リトリアはくちびるを尖らせ、ちいさくちいさく呟いた。
「やっぱりソキちゃんのおとうさん……」
 無言で、頬がもにもに押しつぶされた。



 王宮魔術師は、各国平均的であるように選んで配属させるのが常である。国の内情によって占星術師が多い星降、白魔術師が多い白雪、などという特色はある。しかし基本的にはそれでも、大きな偏りが出ないように計算され、魔術師は国へ引っ張られてくる。それは戦力の偏りを防ぐ為であり、万一の蹂躙と壊滅を防ぐための処置だ。この世界は存在し続けるにはあまりに安定を欠いていて、狭い。魔術師は天秤を傾けすぎないよう、慎重に積み重ねられていくだけの、金貨だ。つまりそこに、個々の能力は加味されても、個性というものは反映されない。反映されていないので、偏りようがないのだが、しかしなぜか極めて個性溢れる仕上がりになるのが五カ国の常であった。
 砂漠の魔術師は、有限実行の者が多いとされている。綺麗な表現をすれば。つまり言ったらやるのである。言った以上はわりとどんなことでもやらかすのである。よって夜間に同僚に襲撃され、王の許可を得た上で中庭に掘られた落とし穴に突き飛ばされて上から砂をかけて埋められた魔法使いの泣きながらの抗議は、予告されてただろ嫌なら備えろよ、の一言で終了させられた。言ったらやるのが砂漠の魔術師、その常である。つまり埋めると言ったら埋めるのだ。好き嫌い聞かれただけじゃん俺なにも答えなかったもんひどいひどいひどいいじめだいじめばぁかばぁかああっ、と言う訴えは退けられた。
 膝を抱えてぐずぐず泣くフィオーレを眺めながら、砂漠の王は眠たげにあくびをする。
「ちゃんと見つけて助けてやったろ? 俺が。直々に」
「うわほんとに落ちやがったコイツ……ってドン引きしてたくせにいいぃっ! ちゃんと聞こえてたんだからなーっ! 落ちたんじゃなくて落とされたに決まってんじゃんかよーっ!」
「いやだって。お前昔から落とし穴に落ちるの得意だったじゃねぇか」
 過去におけるそのだいたいの主犯は、フィオーレの目の前にいる砂漠の王そのひとである。今回もよくよく考えれば、許可を下したという時点で元凶を王としてもいいような気がしてきた。なんでお前いつも俺のこと穴に落とすの、としょぼくれた呟きに、砂漠の王ははなはだ心外であるとばかり眉をあげ、まだ眠そうにあくびをした。
「俺わりとお前の泣き顔好きだし」
「あー! 眠そうだからこれ本音だー! あー! やだー! 幼馴染のそういうトコ俺知ってたけど知りたくなかったー! あー! ……ところでなんでそんな眠そうなの? また不眠? ラティ呼ぶ?」
「最近寝て起きると眠いんだよ。あー……」
 目をこすってもう一度あくびをして、砂漠の王はやや幼い仕草で伸びをした。
「ところでお前もうアイシェに手紙とか出すなよ俺を通せよ? 分かったな?」
「……もしかしてアイシェ様のこと怒りに行ってた?」
「怒ってない。事情は聞いた。怒ってないつってんのに怒らないんですかとかかわいくないこと言うから罰として膝枕させたああくっそ……ねむ……」
 ちなみに、膝枕させると嫌そうな顔をされるので罰、とのことである。それ嬉しくて可愛くてにこにこしちゃいそうになるのを我慢してるだけなんじゃないかなー、とにやにやしかけ、口には出さず、フィオーレはそっかぁと頷くに留めてやった。王の初恋はそれなりに前途多難である。
「……つか。アイツの傍だと眠れんのに起きると眠いのどうにかなんねぇかな……」
「俺今すごい頭抱えて床を転がりたい」
 正確に言うと、安心してもっと眠りたがってるだけなんじゃないですか陛下ああああよかったね陛下あああああはやく素直になって召し抱えてる女の子からお妃さまとかにしちゃおうよおおお陛下あああああ式いつにするうううう、とか叫びながら床を転がりたい。確実に踏まれるので言わないが。そんなフィオーレになんでだよと白い目を向け、ようやく目の覚めた表情で、砂漠の王はそういえば、と言った。
「お前、リトリア探す気になったか?」
「……陛下。ねえ、陛下? だから? 俺がリトリアを見つけられないのは? やる気じゃなくてね? こないだ言ったじゃんかよー! なんか失踪してからリトリアが結構安定してるから、探そうにも探せないんだってば……! ストルもツフィアも言ってたでしょ? 本当なんだってー!」
 そもそも、特定個人の居場所を察知する、という魔術が存在しないのである。例外的に、あらかじめ目印をつけていたり、居場所を発信する魔術具を与えていれば、それを元に追いかける、ということはできるのだが。
「二十四時間ずっと魔力探査してる訳にもいかないし……あれ? って思う感じがたまーにするから、昨日報告書出したけど、砂漠の国内にいるのは確かだよ。でも移動してて位置の特定できない。すっごく大まかに、王城から見てこっちの方角、くらいしか分からないんだってば」
「……いなくなってそろそろ一月。直前に学園に行ってるとはいえ」
 アイツ体調もたないだろ、と怒りと心配が入り混じった表情で息を吐く王に、フィオーレはうーん、と思い悩む顔をして。病院も探そっか、と提案した。逆に、体調が悪すぎても見つけられないものなのである。そうしろ、と言い放ち、王はフィオーレを静かに眺めて。見つけたら言えよ、と言った。

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