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 冬の雪、夏の薄荷。秋の銀木犀、春の白藤。しらじらと、しらじらと。ほんのり、わずかに色彩を乗せた魔力が、綿毛のようにあたりを漂っている。風の動きとは異なる流れに、ふわりふわりと揺れている。それはぱちりと弾けるしゃぼん玉のようでもあり、窓辺に垂れ下げる硝子飾りのようでもあった。砂漠の王は息を吐きながら、目の前のそれを手で払い、ゆっくりとした歩みを再開した。通常の魔力は、魔術師でなければ視認することも叶わず、まして触れることなどできないものだ。いくつかの例外が、魔法使いの行使するそれ。レディの出現させている、火の鳥が最たるものだろう。純度の高い、極限まで圧縮された魔力は、時としてまことの存在を呼び込み、世界に対して定着する。
 フィオーレの行使する白魔術が形を成さないのは、主として直に身体に対して魔力が注がれるからだ。携帯用回復魔術試作品、と称してちいさく可憐な白い花を渡されたこともあるので、やってできない、ということではないらしかった。さてあの花はどこへ置いたんだっけか、と思考を巡らせながら、砂漠の主たる男は、しんと静まり返った廊下を行く。ひかりあふれる陽の刻限であるのに、なんの気配も、なんの音もしない。眠りすら刈り取られた静寂。どこまで範囲が広がっているのは想像もしたくないが、すくなくとも城とその周辺に関して、意識を保っているのは砂漠の王ひとりきりであるらしかった。
 あるいは、これを成した魔術師なら、意識を保っていてもおかしくはないのだが。なんと言って叱るかを考えながら、王はふわふわ漂う魔力が濃くなっていく方向へ足を進めた。幼い泣き声が聞こえてくる。最後の廊下を曲がると、王の寝室の前にしゃがみこむリトリアと、壁に背をつけて横たわる白魔法使いの姿があった。フィオーレの意識はない。まず間違いなく他の者たちと同じように、衝撃に耐え切れず昏倒したのだろう。泣き声はリトリアのものだった。膝を抱えて顔をうずめ、幼くしゃくりあげている。外傷がないことだけを確かめ、王は深く息を吐いた。
「リトリア」
 少女は、ぱっと顔をあげた。涙が零れるその瞳と、前髪の一部に、瑠璃のような色が混じり揺らめいている。咲き初めの藤紫と、水辺にまどろむ鉱石のいろ。二つの色彩は交じり合わず、不完全なまま髪の一部と、その瞳に宿っていた。この世界でその特徴を併せ持つ者は、唯一。花舞の、王の直系であることを意味している。記憶と共に、失われたはずのものだった。白魔法使いが意図したことではなく。恐らくは自ら消してしまったのだろうとされていた、花舞の正式な王位継承権を持つ者であることを示す特徴。用意していた言葉のなにもかもを取りこぼし、砂漠の王は額に手をあて、足元をよろけさせた。
 そこへ、立ち上がってかけてきたリトリアが、ぶつかるように抱きついてくる。胸元に顔を埋めて泣かれるのに息を吐いて、王は編みこまれた髪を乱れさせないよう、指先でそっと、リトリアの頭に触れた。撫でる。ぐりぐり顔をこすり付けて甘えながら、泣き声交じりにリトリアが呼ぶ。
「シアちゃん……!」
「あーあぁああ……おま……それでか……!」
 叶うなら頭を抱えてしゃがみこみたかったが、リトリアに抱きつかれている状態では難しい。代わりに天井を仰いで深々と息を吐き、ごめんなさいごめんなさい、と繰り返すリトリアの頭に、ぽんと手を乗せる。
「思い出したんだな? ……俺が誰だか分かるな?」
「うん。……うん、シアちゃん」
「人前で呼ぶなよ。今のお前はスティの……楽音の、王の、王宮魔術師でもあるんだから」
 しませんしませんごめんなさい、とぴいぴい泣くリトリアに、砂漠の王はもう一度息を吐く。反射的に謝っているというより、とにかく反省していて、口に出さずにはいられない。そんな風に受け止められた。ああもう泣くなよ、と顔をあげさせ、王は丁寧な仕草でリトリアの涙を拭ってやる。ぱちぱち瞬きをして、せわしなく深呼吸されるのに、王もようやく落ち着いた気持ちで口を開いた。
「リィ」
「はぁい……。ごめんなさい反省しています……なぎ倒してごめんなさい……。えっと、えっとね、一時間もすれば、皆起き出して来ると思うの。それでね、ちょっと頭の痛い人とか、体調の悪い人もいると思うけど、安静にしていてば魔力も抜けるから……そういうことじゃない?」
「いや、聞きたかったのはそういうことなんだが……。お前、失踪してどこでなにしてたんだ?」
 泣いていたせいで崩れてしまっているが、普段はしていない化粧が見て取れる。触れた髪も、肌も艶やかでしっとりとしていて、体調もなにもかもが落ち着いているようだった。そして服装を含めて、全体的な仕上がりがとても可愛い。様々な欲目を差し引いても。眉を寄せていぶかしみながら、ハレムでハーディラの所にでも隠れてたのかと問いかければ、リトリアはふるふると甘えた仕草で首を振った。
「違うの。ハレムには行っていません……あっ、でもシアちゃんの初恋の君にはお会いしたい……。顔をそっと見に行ってもいい? どんな方? あ、まって、言わないで。ううん……美人さんでしょう。美人さん! シアちゃん面食いだもの」
「お前には面食いどうのこうの言われたくねぇよ……」
「ふふ。初恋は否定しなかった……! やっ、やぁっ、いじめないで……!」
 無言でリトリアの頬を摘んで引っ張って伸ばし、砂漠の王は溜息をつき、満足か、と問うた。
「指名手配させるような真似しやがって……謝っとけよ。イリス泣いてたぞ」
 星降の王は、そうでなくともよく泣くのだが。はい、と真面目に反省した返事をして、リトリアは目元を指で擦った。まだ涙が零れてくる。鼓動をおかしくさせる程の悲しみは、落ち着いてはぶりかえして、リトリアを苛んだ。きゅっと唇を噛んでうつむくリトリアの前に、砂漠の王はしゃがみこんで聞いた。
「辛いだろ」
「……うん」
「耐え切れなかったんだってな。……辛かったろ」
 うん、と素直にそれを認めて、リトリアは頷いた。ずっと迎えに来てくれると思ってたんだもん、と堪え切れなくてまた涙をこぼすリトリアに、王は知ってる、と頷いた。そう思ってたことも、そう思い込もうとしていたことも。違うって言ってやれなくてごめんな、と王はリトリアに囁いた。愛していなかったと、捨てて行ったのだと。教えてやれないままでいて悪かった、と告げる砂漠の王に、リトリアはぱっ、と花開くような笑みを浮かべた。
「ううん。私がちいさかったからでしょう? ……きっと、ずっと、後になって。今の私くらいの年齢になったら、教えてくれるつもりだったんでしょう?」
「ああ」
「……もう、大丈夫……じゃ、ないけど。受け止められるよ」
 あのひとたちは本当に、わたしのことがいらなかったのね。そう言って、リトリアはぐしゃぐしゃに顔を歪め、悲しい、と言って泣いた。泣いて、泣いて、気持ちを落ち着かせるまで。砂漠の王はリトリアの傍らで、ずっと待っていてくれた。



 リトリア無事確保の報を受けて砂漠へ駆け込んできた火の魔法使いは、室内に飛び込んで少女の姿を確認し、ええぇええと呻いて即座にその場に跪いた。しみじみと理解不能の眼差しを向けたのち、砂漠の王はうんざりとした声で、なにしてんだお前、と問う。恐れ多くも申し上げますがっ、と半切れした涙声で、眠っている所を叩き起こされたレディは告げる。
「あなたがたはもう少しご自身が高貴であることを自覚して頂いても良いのではっ? だいたいからして砂漠の王陛下は砂漠の王陛下であるから魔術師としての私の主君ではありませんので他国の王であるということを考えても礼を尽くすのは当たり前ですしだいたい出身国の王というのは魔術師にとって特別であるのはもうご存知であるかとも思いますがあなたは我らが砂漠の民の王なんですよつまり! そこの所分かっておいでですっ?」
「……そんなに言うなら砂漠に来ればよかったじゃねーか。火の魔法使い」
「一応進路希望に砂漠って書いたら! 戦力が偏るから駄目って言ってきたのあなたじゃないですかあぁあああああと今のリトリアちゃんは私には直視できないっていうか『花嫁』的なものを感じるので礼儀を尽くしたい気持ちが留まることを知らないのですけれどもあの確認しておきたいのですが色染めとかではないのですよねっ?」
 なんでずっと半切れなんだよ怖い、という顔を隠そうともせず、砂漠の王は感心しきった様子で、よく舌噛まないな、と言った。リトリアはレディの勢いにやや困惑しながらも、右側の前髪を摘んでちょいちょいと引っ張った。色が混じっているのはそこの一房だけで、全体がそうであるわけではないのだが。心配で仕方ない様子で、リトリアはことりと首を傾げる。
「そ、そんなに目立つかな……。見て、すぐにあれって思う?」
「わりとすぐ分かる」
「……う、うぅ……。えっと、えっと、認識かく乱と、幻術をそこだけ重ねておくのだったら、どっちが魔力消費少ないとおもう?」
 フィオーレが起きたらアイツに聞けよ専門家だから、と息を吐く王の傍らで、リトリアはこくこくと幾度も頷いている。見れば砂漠の王はすでに通常の執務へ戻っていて、鳥の巣のように配置されたクッションの上に座り込み、あれこれと書類を見比べながら、そこになにかを書き込んでいた。傍にちょこんと座り込んでいるのはリトリアだけで、文官の姿もなければ、室内に護衛もいない。そういえば『扉』からここへ来るまで誰とも行き合わなかったことへ思い至り、レディは深呼吸の後、跪いたままで問う。
「他の魔術師や……城の方々は?」
「……まだ起きてこないの」
 ぽつぽつ起き出して来た者たちもあるのだが、今は二手に分かれて市街地の状況確認と、城の見回りをしているらしい。八年間の記憶を回復させ、リトリアの魔力は一瞬だけ決壊した。顔に直撃した蛾に恐慌状態に陥り、嫌っ、と全力で叫んで振り払った、くらいの決壊の仕方であったという。そう説明したのは、一時間ほど前にのそのそ起き出して来た白魔法使いだった。意識がないのは、死角から全力でぶん殴られて気絶してる、くらいの解釈でいいと思うよ。ただし魔術師は思いっきり魔力の直撃も受けてるから、それを受け止めきれないただ人より回復が遅いと思うけどそのうち起き出して来るよ心配しないでいいと思うあと俺ちょっと吐いて来ていいごめんきもちわるいもうむり、と言い残して、現在は手水の住人である。
 殴られて気持ち悪い、というより、魔術的な二日酔いに似ているらしい。お前は無事そうだなと不思議がられて、レディは思わず苦笑し、距離がありましたから、と言った。
「白雪や楽音なら、もしかしたら影響があったかも分かりませんが。星降までは魔力残響が届いたくらいで、特にそこまでのことには」
「そうか。……で? リトリア。レディが来たら聞くんだろ?」
「う、うん……あの、あのね、レディさん。あのね」
 促され。リトリアは手をもじもじさせて言葉に迷った後、祈るように胸元で手を握り合わせ、潤んだ目で問いかけた。
「ストルさんと、ツフィアに、その……会いたいんだけど、一緒にいて欲しいの……。だめ……?」
「喜んで一緒におりますとも……! え? 陛下? これ私死にます?」
「フィオーレ貸し出してやるから。死にはしないだろ、死には」
 最後の一呼吸にさえ間に合えば、どんな状態からでも蘇生させてみせるよ。白の魔法使いだもん、というのがフィオーレの常からの主張である。それってよく考えれば極めて地獄に近い感じのアレでも引き戻されるってことなんじゃないのと死んだ目で呻いたのち、レディは達観した微笑みで一礼した。
「私が守ってあげるから安心してね……。でも、なに話すの? 心の準備だけ事前にさせて? いなくなってた間にいいひとが出来たとかそういう話だよね? 出会いからちょっとお話してみよう? 男? 女? 年上? 年下? 出身地どこ? 魔術師じゃないよね? ああ、大丈夫。私はリトリアちゃんの味方だから……!」
「ああ、やっぱりそう思うよな、これ……」
「ちがうの……。あ、あの、そういうんじゃないの……」
 頬を赤く染めて両手で隠し、恥ずかしさに震える姿には全くもってそういうんじゃない、という説得力がなかった。改めて詳細を求める王の視線にも、リトリアは拗ねた風にくちびるを尖らせ、言ったでしょう、とむくれてみせる。
「『お屋敷』の御当主さま……前の、御当主さま? ソキちゃんのお父さん? ……に、お会いして、その……お世話になっていただけなの! もう、かんちがいしないで!」
「だから。どこでどういう風に、どんな感じで世話になってたか詳細に教えればいいだけだろ?」
「ん、ん……えっと……その、ロゼアくんが、ソキちゃんにしてるみたいな感じ」
 目を潤ませながらもじもじと手を組み替え、耳まで赤くしてぽそぽそと呟くリトリアに、砂漠の王は微笑んで頭を抱え、レディは胃の辺りを押さえて心の底から呻いた。事案なんじゃないのこれ。
「そして私はやっぱりしぬんじゃないの……?」
「フィオーレに手を尽くせよって言っておいてやるから」
「やーいやーい振られてやんのー! ぷぷー! いまどんな気持ち? ねえねえ、いまどんな気持ち? ってフィオーレに傷心を煽らせればその隙に脱出できたりしませんでしょうか」
 なんでお前の発想は根本的に悪役寄りなんだ、と呻く王に、レディはすっきりとした声で言い放つ。
「個人的な日ごろの恨みで、つい」
 そうか、としか言いようのない王の腕を、不満げに頬を膨らませたリトリアが突っつく。だから、魔術制限を解除しに行くんだから、振るとかそういうのじゃないし、そうされるのがあったら私だから大丈夫なの、と。後半は目を潤ませてしょんぼりとしていくリトリアに、王は天井を仰いで深々と息を吐き。ないから安心して二人を生きて帰せよ、とリトリアを叱りつけた。



 リトリアが許可なく楽音の城から外出してはならない、というのは周知の事実であり、『学園』から五カ国の欠片たる世界に戻ってくるにあたっての誓約でもあった。また、『魔術師』は申請なくして他国へ渡ってはならない。『扉』の無断使用こそなかったものの、違法に国境を抜けたことは事実であり、リトリアもそれを認めていた。謀反でしょ、逃亡でしょ、越境でしょ、それに無断の魔術使用でしょ、と主なものだけを拾い上げて指折り数え、白雪の女王は頭を抱え、机に半身を伏せてうち震えた。
「ざ、罪状どうする……? 独房使う? さすがに反省札だけっていうのは、これはちょっと……」
「そもそも、ですが。罪を犯した魔術師に対する判例が、死刑か幽閉の二択しかないというのがねぇ……。今後の為にも刑務所作ります? 魔術師用の」
「どこの国に作るというのかな? 絶対的な人数から言っても、各国に用意するというのは現実的な案ではないね。幽閉、もしくはツフィアのように制約を多く科して城から追放、というのがいまは一番であると思うけど。今回は……各国魔術師一同の連名で、反抗期の家出だと思うのはどうでしょうっ? って嘆願書が届いてるしねぇ……」
 白雪の女王は涙目で顔をあげ、黒板に白墨で書かれた、いまひとつ緊張感のない『リトリアの罪状どうしようか? 会議だよ! 全員集合!』の文字を眺めやった。うるわしい微笑みでその文字を書き連ねたのは楽音の王そのひとだが、やたら凝った装飾文字である為に、芸術作品の一種であるようにも見える。ようするにやる気がない、ということだ。それを恨めしげに睨んだのち、白雪の女王は、っていうかっ、と机を平手でばしばし叩いた。
「全員集合って言っても五人集まればそれで全員なのに! 欠席二名とか!」
「星降のは、許してあげようね……。リトリアが無事に見つかって、嬉しくてはしゃいで階段から落ちて足を捻挫して動けないだけだからね……」
 憐れみすら滲む声で告げたのは、花舞の女王。なんだか胸が痛い気持ちで、白雪の女王は頷いた。捻挫くらい、本来なら白魔術師が即座に回復させる筈の怪我であるのだが。我が王が落ち着きとか威厳とかその他大切なものを失わず思い出してくださいますように、と微笑んで治療拒否した星降の白魔術師を、魔術師、護衛騎士、王の周辺の関係者一同が支持したが為に、そのまま自然治癒で放置されているらしい。彼の国の王には圧倒的に、落ち着きというものが足りない。これまで存在していたことがないので、復活というか、思い出してくれる気もしないのだが、祈る気持ちは分からないでもないので諦めようね、とは言い難いものがあった。仕方がないよね、と残念な気持ちで欠席理由を受け入れはしたのだが、それはそれとして。代理です、と砂漠の魔術師から受け渡されたまるまるとしたハリネズミのぬいぐるみを眺め、白雪の女王は額に手を押し当てた。
「砂漠のは、なんで欠席なんだっけ……?」
「先のリトリアの王都昏倒事件で、健康被害が本当になかったのかどうかの調査報告でそれどころではないそうで」
 昏倒が魔術師だけを選んで起こっていたのであればよかったのだが、影響はなんの関係もない一般市民にまで及んだ。その為、各都市に医師と魔術師をひと組として派遣し、調査と健康診断にあたっているらしい。城に残った魔術師は、僅かに四名。フィオーレと、レディ。リトリアとラティである。そもそもレディは他国の魔術師であるし、リトリアはなににせよ結果が出るまでは監視しておかなければならないし、フィオーレが魔術酔いがさめきらず本調子ではないとのことで、実質ラティしか動ける者がいない状態だ。なにかあったら食い止められない、という理由から、シークの殺害許可申請がラティから提出されたが、却下したとのことだった。言葉魔術師は殺してはならない。理由は、未だ闇の中だ。
 あっじゃあこの隙に私ちょっとシークさんとお話がしたいな、とリトリアが言いだしたのを砂漠の王は拳で沈め、お前そんなんだから謀反の疑いが取れねぇんだよと滾々と説教をした、のが昨日のことである。そうであるから、俺は今そんな会議してる場合じゃねぇんだよお前らで勝手に決めとけこの今一つ学習能力のないのがとびきり反省するような罪状と刑罰をなっ、というのが、砂漠の王の欠席の顛末である。今頃はたぶん、まだリトリアのお説教をしている筈だった。うううぅん、と頭の痛い声で首を傾げ、白雪の女王は眠たげなあくびをする。
「あの子が反省するようなの、反省するようなの……。あっ、違うちがう。こう、なんていうの? そこそこ見せしめみたいな感じになって、そこそこ今後の犯罪の防止になって……というかなんで家出されたの? スティ」
「フィオーレかシークに会いに行く為だ、と言っていたような気もしますが。理由までは、どうも」
「白魔法使いにはもう会ってるから、ひとつは終わってるとして……記憶戻したかったんだよね。あともうひとつがなぁ……特に仲良くもなかった筈だもんね。こないだフィオーレが言ってたけど。わざわざ指名したとなると、うーん……うーん……? だめだと思うけど、ツフィアに心当たりないか聞いてみる? というか、リトリアはなんて?」
 黒板に、リトリアが反省するであろう仕置きを楽しげに書き連ねていた楽音の王は、紺碧の瞳をゆるりと和ませ、淡い笑みを浮かべて囁いた。
「なんとも。不慮の事故だったけど、結果的に遮断できた気がするから、帰って確認してから報告します、とだけ」
「遮断。確認。……なにを?」
「予知魔術師の秘密にかかわることだから、正式な手順を踏んだあとでないと、どーしても! おはなしできないの、だそうです。書くことも、その他の手段で伝えることもできないのだと。魔術師として存在してしまった以上、手順を踏まなければ発音すら不可能なことだから、ツフィアに振られるまで待っててね、と言われましたが……」
 言葉を切り。口元に手をあてて震えるように笑いながら、あの子はなにを言ってるんでしょうね、と楽音の王は囁いた。
「まあ、話してくれる意思はあるそうですから、待ちましょうか。ツフィアと、ストルとの面会の後になりそうですが」
「面会はさせてもいいんだけど……その前に罰則だけでもなんとか……! どうしようかな……これまでより厳しくする感じにしておく? 行動範囲の制限と、発言内容の常時記録と……行動範囲の記録も付けられるようにしておく? とりあえず無期限で。単独行動は禁止。必ず、魔術師を一名以上同行させることにして、あとは……奉仕活動とか……?」
「反省札と、反省文。一日一回、王宮魔術師訓戒をそらんじる……という所でいいことにしましょうか」
 とすると記録する為の道具が必要ですねと苦笑され、白雪の女王は力なく頷いた。溢れかえった品々を整理する為に、整理整頓の為の収納を買ってこなければならず、なぜか一時的にものが増える不思議を目の当たりにした時と同じ表情で、遠くを眺める。そうすると設計からはじめないといけないから、完成は一月後とか二月後かな、その間はどうしようね、と問題を窓の外に投げ捨てたがる生徒の達観した笑みで言葉を零す白雪の女王に、花舞の女王はうつくしく笑った。
「それでは、その間はうちで引き取っておく、ということでどうかな?」
「……一応、いちおう理由聞いておくけど、なんで?」
「妹の保護観察をするのに、なにか理由が?」
 そう言いだすかなって思ってた知ってたー、と会議に真面目に出席してしまったことを心底悔やむ表情でゆっくり頭を抱え、白雪の女王は机につっぷした。もうやだ、もうやだ私ばっかり、いっつも私ばっかりが一生懸命でこのひとたちみんなまじめじゃないんだから、と涙声が響く。しかし残念なことに、女王を慰める者はこの場におらず。扉の外、廊下、建物の周りを厳重な警備で囲む代わり、三人ばかりが存在しているこの部屋に、味方などいる筈もなかった。かえる、もうおうちにかえる、と自国にいるにも関わらず意味不明な主張でぐずりだす白雪の女王を慣れた手つきで撫でてあやしながら、楽音の王が聞き捨てなりませんね、とやや不愉快そうな声で応じる。
「それを言うなら、楽音に戻しておくのが正当な筋というものでは? 魔術師としての所属国ですし、なにより、私の妹でもありますからね」
「……ふたりとも実の妹っていう訳では無かったよね……。でもきっと私の話は聞いてくれない……知ってる……」
 リトリアの母は、花舞の。父は、楽音の王の血筋。手に手を取って行方をくらませた、花舞先王の妹姫であり、楽音先王の兄である。そうであるから、正確には二つの王家の血をひく現施政者の従妹、というのが一番正しい。白雪の女王は他国であるが故に、ふたりに対して、よくもそんな大変なことをやってくれたな国を捨てて恋に走るとか王族の風上にも置けないから出奔してくれてよかったんじゃないの、くらいしか思わないのだが。二人はそれぞれ、叔母であり、伯父であるが故に、言葉では言い表せないものが多々あるらしく。その上でリトリアをひょいと捨てて行ったので。もう存在を抹消して最初から妹だったことにすればいいんじゃないかな、という所で、精神の安定を得ているらしい。あえて深く聞くまい、と白雪の女王以下、他国の王たちは思っているのだが。
 思っているのだが。頭上を飛び交う会話が、先に手を離した方が本当の兄もしくは姉です、じみた結論を下しかけていたので。白雪の女王は義務感のみで顔をあげ、息を吸い込んで言い放った。
「もう! ふたりとも、なに考えてるの!」
「あわよくば親権が欲しい」
 ぴったり重なった即答は、しかも真顔だった。そっかー、ふたりともあの子の親権までは持ってないもんねー、そっかーうんそっかぁー、としみじみ頷いて。白雪の女王は、わかりました、と言って机に手をつき、立ち上がった。場の温度がひといきに、冬の氷点下まで下がる錯覚。あ、と思って二人の王が口を閉ざすが、時すでに遅かった。
「各魔術具ができるまでの期間、私が、責任を持って、リトリアの保護観察をします。各国の錬金術師に協力要請は行くと思うけど、どうせ実際に制作するのはわたしのエノーラですから? 機能試験をする観点から見てもそれが一番効率はいいでしょう。黙りなさい反論は聞いていないし口を開いていいとも言ってない。私の許可なく発声するってどういうことなの? どうしてそれが許されると思ったの? ここは私の国だから、私の言うことくらいは聞き入れてくれてもいいはずよね? ね? もちろんそうよね?」
 ふふ、と口元に指先をあてて笑う仕草は普段のものだが、目が完全に笑っていなかった。反論を聞き入れる気もないようだった。白雪の女王は、沈黙するふたりを満足そうに見比べた。
「さ、ふたりとも。分かりましたと言いなさい?」
「……分かりました」
「よろしくお願いします」
 よろしい、と白雪の女王は頷き。もう、と怒った声で終幕とし、窓の外を眺めて息を吐く。すでに春は終わり、夏の日差しが地に突き刺さるよう下りてきている。もうまもなく、流星の夜。魔術師が己を守護する星に挨拶をする、瞬きの夜が、今年も巡ろうとしていた。



 ひかりの届かない、夜とは違うくらやみの中で。言葉魔術師の男はやわらかく、口元を和ませ肩を震わせた。少女が成した拒絶そのものの魔力の影響は、砂漠の王宮の地下に設えられた男の為の独房にも届いていた。一瞬のきらびやかなうつくしい花と、幻の芳香。あまやかな印象とは裏腹に、その魔力は暴力的なまでに、伸ばした糸のなにもかもを引きちぎり、消滅させていた。困ったナ、とくすくす笑いながら男は目を細める。モうすこシだったノニ。
 焦る気持ちが生まれないのは、時間がいくらでもあるからであり。操る糸が消えただけで、書き連ね、染み込んだインクは残されたままであるからだ。それでも、いましばらくは静かにしていようかと、男は笑って目を閉じた。思い描く。未来を。己が望んだ世界の在り方。その形を夢想して、笑う。その声すら。誰にも届かず、知られることなく、消えて行った。

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