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 4 英連邦の姫が話す、彼と優しい笑みのこと

 島ごと吹き飛ばされるんじゃないかと本気で思うくらいの大嵐が過ぎ去ったあとの、海と空の間に空気もないくらいに透明に澄み過ぎた日の、空の、一番薄くて白に近い、でも青色だと思えるなんかどうしようもなく綺麗な、綺麗な、綺麗なそれみたいに笑うひと。私がフランシスさんに会った時、一番最初に思ったのはそういうことでした。思い返しても私すごく的確というか、詩的な感想もったなすげー、と感心するんですけど。
 でも、今でもそう思うし、今までだって一度もその印象から外れたことないんですよ、フランシスさん。そっちのがなんかすげーですよね。いくら『国』が変わらない命だからっていっても、そんな風に印象まで……おっさんくさくなったな、と思うことはありますけどそういうことじゃなくて、なんか、笑顔が。うん、そう。笑顔の種類っていうんですかね。笑顔の、私に向けられる笑顔の感じが、ずーっとずーっとそれってすごいです。
 よく私はあの人に恋しなかったものだと、時々思います。やー、恋とか言ってみたけどまだよく分からないんですけどね。なんですか恋って。フランシスさんは私にそれを、出会って五番目くらいに教えてくれましたが。あ、ちなみに一番最初がフランシスさんの国名で、二番目が人名でした。三番目がフランスという国がどこにあるかで、四番目が私の島とはどれくらい離れてるか、でした。で、五番目が恋のこと。恋の歌。
 なんていうか、フランシスさんはすげーひとです。だってその日、はじめて会ったんですよ。本当に本当の初対面で、しかも『国』同士で、他に教えなきゃいけないことってたくさんあるじゃないですか。あの眉毛ヤロー……うう、えう、失礼しました。その後私の島に来た、元宗主国であるイギリスは、アーサーは、そりゃもうびしばし私にいろんなことを叩きこんだものですよ。礼儀作法とか、英連邦の常識とか、勉強とか。
 それと比べて考えても、フランシスさんはちょっとおかしいと思うんですけどね! その時でもそう思いました。このなんか、白くて金で宝石みたいな色をした瞳のそりゃもうすごい綺麗なお兄さんは、そりゃもうすごい変なひとなんじゃないか、と。でも、すごく変でもまあいいかな、と思うくらい、フランシスさんの歌ってくれた恋は素敵でした。その時イタリアで出たばっかりのオペラの歌だったって、ずっと後で知ったんですけど。
 恋は。恋を、恋だとするその心は、どんなものなのか。今でも私はよく分かりません。でもフランシスさんに恋する女の人や、フランシスさんが恋したひとのことなら、なんとなく、すこし、分かるつもりです。歌が終わって、当たり前みたいに気になって、私は聞いたんです。恋はどんなものですか、って。フランシスさんがしてきた恋は、どういうのですか、って。わくわく聞いた私に、フランシスさんはすごく優しく笑いました。
 私はその時、まだ人としてもすごくちいさくて。十歳にもならないくらいの外見で、フランシスさんにひょいって抱っこされちゃうくらいでした。それくらいちいさくても、女の子ですから、その笑い方がちょっと違うなってくらいは分かったんです。あ、これ違うな、って。今、たった今この人が歌ってくれたキラキラしたすんげー素敵な『恋』とかいうものを、話してくれる笑い方じゃないなって。優しいけど、優しすぎる笑い方でした。
 えー、と思いながらフランシスさんを見てたら、あのひとは見てごらんって空を指差しました。私の島から見える空は、大陸からのそれとちょっと違うんですよね。色が薄くて、色が濃いんです。……や、矛盾してることは自分でも分かってるんですけど、でもそんな感じで。空が遠くて近くて、色が薄くて濃くて、息を飲むくらい綺麗なんです。綺麗な空。あの島で生まれ育った私でも、時々意味もなく見上げて泣いちゃうくらいの。
 その、空を指差して。フランシスさんはこう言いました。『俺の恋はね、セーシェル。あの空みたいなもんで、その向こう側の、もっとずっと高い場所に居るよ』って。似てません? 似てませんでした? ふふ。と、まあ、フランシスさんは出会ったばかりの私に、そう言ってはにかむみたいに笑ったんです。恥ずかしいこと言っちゃったな、って感じでした。私はそれにもびっくりして、なんも言えなくなっちゃったんですけどね。
 自分の言ったこと分かってないのかなー、って思いました。自分が、今どんな声で、それを言ったのか分かってないのかなこの人は、って。そんな、恥ずかしがるような感じじゃなかったんですよ、全然。女の子ならたとえ三歳になったばっかりの幼児でも、きっと私に同意してくれます。んで、私と一緒に頷いてくれた筈です。このひと変だ、って。全然、まったく、なぁんにも。自分の気持ちとかそういうの、分からないひとだって。
 自覚してないとか、見ないふりしてるとか、忘れちゃってるとか、目隠ししてるとか、そういうのでもないみたいなんですよね。ただ単に、本当に、あれは分かってないんだと思います。出会って何百年も経って、最近ようやく分かったことなんですけどね、これ。フランシスさんって多分、自分がどういう顔でどういう声で、どういう笑顔で自分の恋を、話してるのか分かってないんです。恋が、どういう形でそこにあるのかも。
 ……え、いや、そうじゃないです。そうじゃないです絶対にそれはない。悲しい恋だったなんて、そんなこと、絶対ないです。ありえない。悲しいことが多かった恋なんじゃないかな、とは思います。でも悲しい恋だったとは、思えないです。恋、したこともない私がそんな風に言うのもアレですが、それだけは絶対に違う。違いますよ。心、弾むようなものだったと思うんです、フランシスさんの恋。世界の色が、変わって行くような。
 ぶ厚い灰色の雲の切れ目から、金色の光が差し込んでくるような。そんな恋。あったかくて、すこしのことが幸せで、生まれてはじめて心を持ったことを誰かに感謝したくなるような。そんな恋。唯一で、最初で、最後の気持ち。最後の恋。そんな風なものだったと、私は思います。だってフランシスさんはね、優しく笑うひとなんですよ。優しく、やさーしく笑うひとなんです。幸せだよー、大好きだよーって笑うひとです。
 あんな風に笑える人が、どうして悲しさで恋を終えたでしょうか。悲しいばかりの恋だったかも知れません。けど、でも、幸せだったんだと、私は、そう思ってます。

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